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841 :いない君といる誰か ◆msUmpMmFSs [sage] :2007/01/29(月) 18:49:39 ID:SQxqzpns 「……考えとくよ」  それだけ言って――僕は如月更紗のベッドから離れた。彼女の生腕が名残惜しそうに離れる。  別に、一緒に帰ることが嫌なわけではない。  神無士乃との約束を破るのが嫌なわけでもない。  如月更紗を、嫌いなわけでもない。  それが、問題なのだ。  そう――僕はもう気付いている。ここ数日のやり取りの中で、気付かずにはいられなくなっている。 神無士乃に対してそう思ったように――如月更紗にもまた、ある種の居心地のよさを感じていることに。  一緒にいると疲れる。それには変わりはない。  けれど――  一緒にいて、楽しいのも、また事実だ。  偽ることのできない――事実だ。  だから、怖い。  楽しくて、楽しくて、楽しすぎて――姉さんのことを、忘れてしまうのが、怖い。  深く情を入れてはいけない。  自分にとって、何が一番なのか、忘れるな。  何を最も優先すべきなのか、忘れるな。  お前は――姉さんが、好きなんだろう。  お前は――姉さんの、仇が取りたいのだろう。  なら、それを一番に考えろ。  死んでいる姉さんと、生きている神無士乃や如月更紗を天秤にかけて。  いない君と、いる誰かを秤にかけて。  迷わずに――姉さんを選べなければ、ならない。  迷っては、いけない。 「なあ如月更紗」  僕はベッドを離れ、保健室のベッドを囲む白いカーテンに手をかけながら、如月更紗に話しかけた。 如月更紗は「ん?」と、枕の上で器用に首を傾げてみせた。何かを心待ちにするような、楽しそうな 表情。  そんな如月更紗に、僕は尋ねる。 「お前――いつから僕のこと好きなんだよ?」  どうして、と聞くべきだったのかもしれない。  けれど、直接的に聞くのが何となく恥かしくて、そう訊ねた。  如月更紗は―― 「ああ、ああ、そんなことか」  応えて。  微笑みながら、僕の問いに、楽しそうに答えたのだった。 「勿論秘密だよ。秘密だけれども――夜にベッドの上で教えてあげなくもないわよ」 「そういう物言いが胡散臭いんだよなあ……」  答えを期待していたわけではないけれど、こうもはぐらかされるといい気分ではない。  まあ、夜を期待しておこう。  ひょっとしたらひょっとすると、何かの気まぐれで、如月更紗自身のことを話してくれるかもしれないから。 「それじゃあ――またな」 「また、ね」  挨拶をして、僕は如月更紗と別れて保健室を出る。  また、という約束は――果たされることは、なかったけれど。 842 :いない君といる誰か ◆msUmpMmFSs [sage] :2007/01/29(月) 19:16:57 ID:SQxqzpns  太陽が遠い。  夜も夕方もまだ遠い。真昼の太陽は、かなりの高さにあって手が届きそうにもなかった。季節柄暑いけれ ど、我慢できないほどでもない。坂道の下から吹いてくる風が制服の下に入り込んで気持ちが良かった。  誰もいない坂道を下るのは、かなり気分がいい。 「皆がサボりたがる気持ちも少し分かるな……」  独り言を呟くが、独り言を聞く人がいないというのは、中々いいものだった。教室で独り言をぶつ ぶつと呟けば変人だが、ここでは聞く人は誰もいない。坂道をのんびりと歩いているのは僕だけだっ た。いつもならば蟻のように行き来している中学生や高校生も、今は一人だっていやしない。  どことなく、静かな気がした。  遠くからは車の走る音や、町の声が聞こえてくる。背後にある学校からは、グラウンドの歓声が聞 こえてくる。それでも、周りには音がないように思えた。  近くに、何もないからだ。  全てが遠い――別のセカイでの、音だった。 「たまにはこんな静かなのも悪くないよな……」  いつも、賑やかだから。  登下校は、神無士乃が一緒だから。  最近は、とくに賑やかだから。  学校や家に、如月更紗がいるから。  こんなに静かなのは――姉さんといるときくらいだ。 「どこにも行きたくねえなあ……」  そんな、不健全のような、不健康のような台詞を吐きながら、  僕は歩く。  家へと、歩く。  三十分ほど歩いて家まで辿り着く。郊外まで来ると、静けさはより一層深くなっていた。住宅街に 存在するせいで、道路からの音が聞こえずらい。学校の声も聞こえない。夕方になればそこそこ賑わ うが、この時間に家にいるのは、暇を持て余している専業主婦くらいだろう。  あるいは、家から出ることのできない事情を持つ者だけだ。  姉さんもその一例だよな――そんなことを思いながら、胸ポケットから鍵を取り出して扉を開ける。  ノブをひねると、鍵がしまっていた。 「…………」  あれ――おかしい。  もう一度鍵を差し込んで、ノブを回す。今度は抵抗なく扉が開いた。無人の玄関が、いつも通りの玄関が 目の前に広がる。 「…………」 843 :いない君といる誰か ◆msUmpMmFSs [sage] :2007/01/29(月) 19:17:41 ID:SQxqzpns  鍵が壊れていたのではない。  最初から――開いていたのだろう。  扉の鍵が、開いていた。 「…………」  可能性は二つ。  閉め忘れたか、誰かが開けたかだ。  前者はいかにもありえそうだった。今朝はどたばたとしていたから、閉め忘れていてもおかしくはない。実際、きちんと 閉めたかどうか、記憶は曖昧だった。神無士乃や如月更紗にかき乱された朝だ、鍵を閉め忘れていてもおかしくはない。  おかしくは無いが、違和感がある。  そんなはずはないと、頭のどこかで警鐘が鳴る。  後者の可能性について考えてみる。家の中にいる人間が扉を開けた、というもの。  それは、あり得ない。  家の中には確かに姉さんがいるけれど――姉さんは、物理的にはもう何もできない。  なら。  家の外にいる人間が、扉の鍵を開けて、中に入ったことになる。 「…………」  考えられる可能性を更に考える。こういうことをしそうなのは、間違いなく如月更紗だ。僕らが家を出た後で、 タイミングを見計らって如月更紗がこの家に侵入、トランクケースを置いて学校へ向かった――そう考えれば辻褄 はあう。如月更紗は既に一度ピッキングを行っているから、実行することは可能だ。  可能なだけだ。  辻褄があうだけだ。  何かが――何か、嫌な予感がする。  蟲のしらせ、なのかもしれない。  ――これ以上考えても、答えはでない。  考えすぎかもしれない――そんな甘い考えを捨て切れなかったが、それでも念のために、 足音を殺して家へと上がる。なぜ足音を殺すのか、考えもしなかった。  静かに、静かに。  家へと入って。  居間への扉を開けて――  居間では。 「雨に――唄えば――」  見知らぬ男が、小声で歌を口ずさんでいた。 844 :いない君といる誰か ◆msUmpMmFSs [sage] :2007/01/29(月) 19:59:37 ID:SQxqzpns 「――誰だ、お前」  思わず、言葉が口を割って出てきた。  見たことのない男だった。  見たことも聞いたことも無い男だった。  上から下まで黒一色の服装。暑さを感じないのか、長袖に黒の靴下まではいているせいで、首から上まで しか肌色が見えない。怪我でもしているのか、松葉杖を使っていた。  男が見ていたのは、居間に飾ってある、何の変哲もない写真たてだ。  姉さんの写真を――男は、見ていた。  男は、唄うことを止めることもなく、写真を見るのもやめようとしなかった。僕がきたのを、まったく意に介して いなかった。まるでそこが自分の居場所であるかのようにくつろいでいる。  ここは。  この家は、僕と姉さんの場所だというのに―― 「――誰だお前は!」  今度こそ、意志を持って怒鳴った。怒鳴られて初めて気付いたように、男はゆっくりと、振り向く。  優男にしか見えなかった。  不法侵入をするような男には見えなかった。どこにでもいる男にしか見えなかった。  ただ一点。  姉さんのように。  如月更紗のように。  変質した神無士乃のように。   あるいはそれ以上に――暗く暗く暗く暗い、何処までも沈むような、黒い瞳だった。  黒い意志を持つ、瞳だった。 「……ああ」  男は僕を見て、興味なさげにいう。 「君が弟か」 「…………!」  その言葉に、感情が沸騰しそうになる。  弟。  それは僕を主体にとらえた言葉ではなく――あくまでも、姉さんを主とした場合の呼び名だ。  つまり、こいつは、姉さんの知り合いで―― 「お前は――誰だ」  僕は三度、如月更紗に対してそうしたように、誰だと、男に尋ねる。  姉さんは、学校に知り合いなどいなかった。まともな友人などいなかった。  まともでない知り合いが、まともでない方法でここにいる。  それは、つまり。   この男は――  男は、惑うこともなく、淡々と応える。 「特に誰でもないよ――先輩から貰ったウサギの名は、後輩に譲ってしまった」  ウサギ。  先輩。  後輩。  ウサギ。  三月ウサギ―― 「――お前か!」  頭の中で幾つもの単語が浮かび上がり、一瞬でくもの巣のように繋がっていく。家にいた男、姉さんのことを知っている男、 ウサギ、譲られたウサギ、譲られたものを譲ったウサギ、三月ウサギの次。  五月生まれの三月ウサギ!  こいつが――姉さんを殺した男!  奇妙な確信を持って僕は松葉杖をつく男へと飛び掛り、 845 :いない君といる誰か ◆msUmpMmFSs [sage] :2007/01/29(月) 20:28:47 ID:SQxqzpns 「あら、駄目ですよ」  後ろからかかる声と共に――止められた。  無理矢理に、脚を止められた。  止めざるを得なかった。  横薙ぎに脚を包丁で切られれば、誰だって足を止めるだろう。  右足から感覚が消え、うまく走ることができずに右半身から床に倒れこむ。受身を取ることすら できなかった。どうにか手をついて頭を床にぶつけるのだけは防ぐ。  遅れて――痛みがくる。  脚に、痛みが。  痛い。  それ以上に――熱い。脚が熱い。熱いのに、冷えていく。  脚から血が、抜けていく。 「兄さんに乱暴しようなんて――私が許しません」  上から声がする。さっき後ろで聞こえていた声が、今度は上から聞こえてくる。高い、女の子の声。  聞いたことのない声は、笑っている。  楽しそうに、笑っている。 「兄さんに触れるなんてとんでもない。触れていいのは、私だけです」  笑い声が近づいてくる。同時に、きぃ、きぃと車輪の音が聞こえる。  何の音だ――疑問に思いながら、力を振り絞って、身体を仰向けに戻す。  車椅子に乗り、血に濡れた包丁を手にした少女が、楽しそうに笑っていた。 「男の方も、女の方も、関係ありません。兄さんの側にいていいのは私だけです。  私は兄さんだけのもので、兄さんは、私だけのものです。  そうでしょう――兄さん?」  最後の言葉は、僕ではなく、松葉杖をついた男に向けられたものだった。  男は、目の前で起きた惨劇に眉一つ動かすことなく、退屈そうに答える。 「お前が言うなら、そうなんだろ」 「ええ、その通りです。だから――貴方は、邪魔者です」  退屈そうな男と対照的に、少女はどこまでも楽しそうだった。  おかしそうに、笑っている。  犯しそうに――笑っている。 「お前、は……」  脚の傷を手で押さえる。ぬるりと、血に濡れる感触がする。それでも血が止まらない。フローリングの床に、血が だくだくと、だくだくだくと広がっていく。的確に、これ以上ないくらいに正確に動脈を切られたのだろう。  急いで手当てをしないと、間違いなく死ぬ。  いや、手当てをしても怪しい――そして、それ以上に。  目の前の少女が、それを許すようには見えなかった。 「ごめんなさい。ここは貴方の家なんでしょうけど……今は、私と兄さんのための世界なんです」  くすくすと、車椅子の少女は笑う。血塗れの包丁にはそぐわない、純粋無垢な笑みだった。  少女は笑う。  男は笑わない。  僕は―― 「は、はは」  僕は、笑った。 「はははははははははははははははははははははははははは!」  笑うしかなかった。  なんだ――これは。  一体なんで、こんなことになっている。理不尽だ。曖昧だ。唐突すぎる。伏線も前ぶれも何もなく、理由も意味もなく、  ――僕は、殺されるのか。  姉さんを殺した奴にですらなく。  その妹に――邪魔だという、それだけの理由で、死ぬのか。  馬鹿げている。  狂っている。  どいつもこいつも――狂ってやがる。 「はははははははははははははははははははははははは!」  僕は笑い、笑い、笑って、 「煩い」  喉に包丁が突き刺さって――それ以上、笑うことはできなかった。 847 :いない君といる誰か ◆msUmpMmFSs [sage] :2007/01/29(月) 20:43:59 ID:SQxqzpns  少女の投げた包丁は――まっすぐに、僕の喉へと突き刺さっていた。  惑いも迷いもない、微塵の躊躇もない、真っ直ぐな一撃だった。  刺さってから、初めて投げられたことが気付くほどに。  つまりは、何をしようが、手遅れだったのだろう。 「兄さんと、私の、邪魔をしないでください」  少女が憮然とした声でいう。人を殺したばかりとは思えない、可愛らしい嫉妬めいた声だった。  態度と――やっていることが、一致していない。  それとも。  これが、彼女にとっての、日常なんだろうか。  邪魔なものを、残らず排除するのが。 「兄さんも兄さんです。こんな所、こなければいいでしょう? 二人だけでいいじゃないですか」 「思い出めぐりをしたかっただけだよ。またしばらくここから離れるんだから」 「私は――兄さんがいれば、思い出も何もいりません」 「そうかい」  兄妹の会話が、遠くで聞こえる。  彼らが遠くに行ったんじゃない――僕の意識が、遠ざかっていく。  喉に刺さった包丁を、抜く力もない。脚を押さえていた手から力が抜ける。  力が、抜ける。  血が、抜ける。  命が――抜ける。  抜け落ちる。 「…………あ、」  暗くなる視界の中で。  男も少女も見えなくなっていく視界の中で。  姉さんが、笑っているのが見えた。  ああ――姉さんが笑っている。  僕も、それだけで十分だ。  十分、なんだ。  姉さん。  僕も、今。  ――そっちにいくよ。 《TYPE・C BAD END》

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