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238 :ことのはぐるま ◆Z.OmhTbrSo [sage] :2007/04/01(日) 03:56:26 ID:HTSRzVfw 第八話~二つの告白~  中庭にある時計に目をやって、現時刻を確認する。  午後1時5分過ぎ。  ろくに弁当に手をつけていないというのに、従妹やお嬢様や変人と会話したり、 全員がその場から立ち去ったりしているうちに、正午から一時間も経過してしまっていた。  実にもったいない。  一時間もあれば、ご飯を食べ終わって、その後で軽く昼寝するぐらいの時間はとれる。  以前、会社に勤めていたころの俺にとっては至福の時間だった。  ――今は違う。  今では弁当の味を褒めたら華が顔を紅くしたり、かなこさんがなぜか箸をつきつけてきて、 それに対して華が険悪になって、十本松が変な本を渡す、という良くも悪くも味わい深い時間になっている。  そんな出来事が会社での昼休み時間に起こったりしたら、上司に何を言われるかわかったものではない。  今の俺が就職していなくて良かった。……いや、良くは無いか。 (……改めて、いただきます。っと)  テーブルの上に置かれている、特大の大きさを誇る弁当箱を左手で持ち上げて、箸をつける。  五目ご飯を箸で挟んで、食べる――というよりは削り落として、食べる。 (やっぱり美味いな、これ)  箸が進む。これなら毎日食べてもいいぐらいだ。  華が昔、俺の自宅でチャーハンを作ろうとして調理油をドバドバと注いで、 それをコンロにこぼしてしまって、それに驚いた華が手元を狂わせてフライパンをひっくり返して、 コンロがチャーハンまみれになった時の光景を思い浮かべ、時の移り変わりを実感しながら、 しばらくの間だけ舌鼓を打った。 ・ ・ ・    食べ終わるころには既に時計の針は長針と短針の組み合わせが1時50分を差していた。 (さすがに、食いすぎたな……)  やはり一人で食うには多すぎた。  中身の七割を胃の中におさめた時点で「もういいよ」と脳がぼやき、 九分目で味が分からなくなり、最後の一口を飲み込んだときには達成感さえ覚えた。  無理に食べるぐらいなら持って帰ればいいのだが、「出されたものを残したくない」という変なプライドが 邪魔をして、俺の行動を「五目ご飯の完食」という結果へと導いた。  ときどき、横隔膜が波を起こして喉と胃を締め付ける。  しゃっくりが止まらない。  ――――動けん。  仕方が無い。ここで満足に動けるようになるまで休むことにしよう。  テーブルに突っ伏して、左の頬をくっつける。  そのまま寝てしまおうかと思ったが――あるものが目にとまって、寝るのをためらった。  テーブル上、俺の顔の右に一冊の本が置かれている。  十本松が「面白い」という理由で薦めてきた、青い色をした背表紙の、薄い本だ。  ……あやしい。疑う余地も、確認する必要もないほど、あからさまにあやしい。   十本松が薦めてきた本、というだけでもあやしいのに、 奴が男装している理由のヒントが隠されていると聞くと、忌まわしいものにすら思えてくる。 (――それでも、気にはなるな)  なぜ十本松が男装しているのか。なぜあそこまで変わっているのか。  なぜかなこさんを婚約者と呼ぶのか。その理由が隠されていると思うと、好奇心がわいてきた。 239 :ことのはぐるま ◆Z.OmhTbrSo [sage] :2007/04/01(日) 03:56:59 ID:HTSRzVfw  左手にすっぽり収まる大きさの本を広げる。  1ページ目は、何故か黒いでたらめな線で塗りつぶされていて読むことができなかった。  2ページ目を開く。白紙だった。  3ページ目。縦書きの文字がずらりと並んでいた。  本のあらすじは、だいたいこんな感じだった。   『  あるところに、一本の刀と強い復讐心を持ち合わせた男がいた。  男には心から愛する女がいたが、忍び寄る魔の手からその女を守りきることができなかった。  復讐を誓った男は遠く離れた地で恋人の仇を見つけた。  恋人を殺した男には、娘がいた。その娘を手篭めにして、仇に近づき、ようやく男は復讐を果たす。  刀を捨て、昔住んでいたところへひさしぶりに帰ると、昔の女が男を待っていた。  男はその女のもとへと駆け寄ろうとするが、父を殺された娘があとを追ってきていた。  男は、かつて自身が持っていた刀に胸を貫かれ、復讐を遂げた娘の前で絶命した。                                                    』  本に記されている物語はそこで終わっていた。  最後のページをめくっても、あとがきどころか著者名すらなかった。  結局、ヒントを掴むどころか、むしろ混乱しただけだった。  ――十本松が登場人物の誰かの真似をしているとでもいうのだろうか?  しかし、復讐者の男も、殺されてしまう仇役の男も十本松にあてはまるとは思えない。  もしそうだったとしたら十本松は殺されてしまう。  自分から殺される役を買ってでるほどあいつも馬鹿ではないはずだ。  一体この本にどんな意味が隠されてるんだ?  三度ばかり読み返したところで、本を畳んでテーブルに置く。 (んーーーー~~~………)  腕を組んで考えても、やっぱり何も浮かんでこない。  もしかして、ヒントは隠されていないとか?  十本松にからかわれたか?  ……だよな。やっぱりそうとしか―――― 240 :ことのはぐるま ◆Z.OmhTbrSo [sage] :2007/04/01(日) 03:57:50 ID:HTSRzVfw 『チャーチャーチャーチャー チャーチャチャーチャチャ チャチャチャ チャチャチャ・・・・・・』 「んむ?」  ポケットに入れていた携帯電話が着信音を鳴らしながら振動した。  手早く携帯電話を開いて、通話ボタンを押す。 「もしもし」 『あんたいまどこほっつき歩いてるのよ!!!』  右の鼓膜を突き破って、反対側の耳から飛び出してきそうな声が携帯電話から飛び出した。  バイト先の、女店長の声だった。 「……店長。いきなり大声出さないでくださいよ。なんだって言うんですか」 『とっとと来なさい! もう四時半になってんだから!!』  ヒステリックな声でそう言ってから、受話器が壊れたのではないか、 と疑うほどの派手な音を立てて電話を切られた。  ――もう四時半になっている、だって?  中庭にあるこじんまりした時計台を見ると、短針が四時の方向を、長針が七時の方向を指していた。  午後の、4時35分だった。 「う、うそだろおおおぉぉっ?!」 ・ ・ ・    自分の足で全力疾走をして、バイト先のコンビニに到着したら、香織がレジに立っていた。 「いらっしゃいませ――って! 遅いよ雄志君! 店長、カンカンに怒ってるよ!」 「悪い! すぐにレジに出るから!」  そのときは運良く店内に客がいなかったので、小走りで事務所に向かってドアに手をかけた。  ノブをひねってドアを押し開けると、眉を吊り上げてひくひくと動かしている店長が立ちはだかっていた。 「すいません店長! 時計を見るのを忘れてました!」  店長に向かって一も二もなく、素早く、深く頭を下げる。 「……つまり、理由は無し。言い訳も無し、ということ?」 「はい!」  ここで本当のことを言わないと後が怖い。  俺はごまかすのだけは昔から苦手で、勘の鋭い人にはすぐにばれるからだ。  そして店長は、(俺の知る限りで)これ以上優れた勘を持つ人はいない、と断言できるほどの人物だ。  よって、言い訳はしない。 「……頭を上げなさい」  低い声が頭上から聞こえてきて、心臓が一回だけ大きく収縮した。  その声から察するに、店長は今怒りの炎を心の中で燃やしているはずだ。  頭を上げたら店長の鬼の形相が目に飛び込んできて、その次は鉄拳が飛んでくるはずだ。  顔を殴られることはないだろう。  これからレジに立つ店員の顔を腫らす真似はさすがにしないはずだ。  ――女性の力じゃたいして痛くも無いだろう。平気さ。    楽観的にそこまで考えて頭を上げた時、目に飛び込んできたものは、 予想通りに右手を固く握り、右腕を腰に構えている、鬼の形相をした店長の姿だった―― 241 :ことのはぐるま ◆Z.OmhTbrSo [sage] :2007/04/01(日) 03:58:29 ID:HTSRzVfw ・ ・ ・  バイトが終了した、夜の八時過ぎ。  コンビニの外に出たら、香織がベンチに座って俺を待っていた。 「お疲れ様」 「ああ、ほんとにな……」  大学からコンビニまでの道のりを全力で駆け抜けて、 コンビニに到着して、怒り狂った店長のボディブローを受けて、 それから四時間のバイトを終えた今の俺は疲れ果てていた。  まだボディブローを受けたときの衝撃が腹と、脳の深い部分に残っている。  店長があそこまでいいものを持っているとは夢にも思わなかった。  なぜあの時、本気で腹筋を固めて歯を食いしばらなかったのかと後悔しきりだ。  数時間前の俺に会うことができたら何度も、しつこく、うざったく思われるぐらいに注意してやりたい。  これからは遅刻しないようにしよう。――絶対に。    香織が右に移動して、左側にスペースを作った。  ため息をつきながら、香織の左に腰を下ろす。 「ねぇ。どうして遅刻したの?」 「……寝坊だよ。昼寝してたから時間を忘れてたんだ」  本当のところは言わないでおく。   いくら香織が相手でも「本を読んでいたらいつの間にか四時を過ぎていた」とは言えない。 「あはは…そうなんだ。今度から、気をつけてね……」 「どうかしたのか? 元気が無いぞ」  香織の声には、いつもの覇気がなかった。  アスファルトの地面を見つめて俯いたまま、顔をあげようとしない。  両手は膝の間で組まれている。  ときどき、人差し指と親指を開いたり閉じたりした。 「……いつもは遅れないからさ。…………不安になったんだ」  ぽつり、と小さく香織が呟いた。  左膝、右膝の順に足を浮かせて俺との距離を詰めてきた。  顔を上げて、弱弱しくなっている瞳で俺の目を真っ直ぐに見据える。 「もし雄志君がいなくなって、このままボクの前から消えちゃったら……って。  そう思ったら、なんだか怖くなっちゃって……」  そこまで言うと、俺の右手を両手で掴んだ。  香織の両腕の、肘から先が震えている。  俺の右手を支えにして、ようやくその場に留まっていられるような頼りなさを感じられた。 「そんなの、嫌だよ。  寂しすぎるよ……。いなくなっちゃ、いやだよ……」 242 :ことのはぐるま ◆Z.OmhTbrSo [sage] :2007/04/01(日) 03:59:08 ID:HTSRzVfw  香織の目が涙を溜めはじめた。  整った眉の左右それぞれが垂れ下がっている。  唇は薄く開いていて、小さく振動している。  何度か鼻がすん、すん、と小さな音を鳴らした。  最後に見たのがいつだったか思い出せない程、久しぶりに見る香織の泣き顔だった。 「っく……ぅ……」  下を向き、必死に泣き声を口から外に漏らさないようこらえている。  香織の両手が、右手を柔らかく圧迫してきた。  それから、手の上に一滴の雫が落ちてきた時点で俺はようやく動くことができた。 「……とりあえず、ほれ」  ジーンズのポケットからハンカチを取り出し、香織に差し出す。  香織はハンカチを受け取って何度か目の下を拭った後、俺にそれを返す。 「…………ありがと」 「ああ」  短く返事をしてから、ハンカチをポケットにしまう。 「雄志君は、」  香織がひっく、と小さな嗚咽を挟んで、一拍置いてから言葉を続ける。 「ボクが高校卒業してからもずっとキミと連絡を取り合っていたか、わかる?」 「学校の友達の中で、一番仲が良かったから。だろ」 「もちろんそれもあるよ。でもそれだけじゃない。  キミと離れ離れになるのがいやだったんだ。  ずっと――あの時点では六年間の付き合いだったかな。  それでもボクにとっては一番長くて、一番大事な、失くしたくない関係だったんだよ」 「一番長い? 家族は……?」  『家族』と俺が言った途端、びくり、と香織の肩が揺れた。  香織は、合わせていた目を反らし、すっかり日が沈んで星が出ている空を見上げた。  俺もつられるように夜空を見上げる。  雲ひとつなくて、月が良く見えた。 「お母さんは、ボクが物心つく前からいなかった。  離婚したのか、死んじゃったのかはわからない。顔も思い出せないよ」 「親父さんは?」  遠くを見つめたまま、香織に問いかける。 「お父さんは、ボクが高校二年生のときに、死んじゃった」 243 :ことのはぐるま ◆Z.OmhTbrSo [sage] :2007/04/01(日) 03:59:54 ID:HTSRzVfw  死んだ。  それはおそらく、直喩でも隠喩でもなく、そのままの意味で言っているのだとわかった。  香織の声があまりにあっけない、あっさりとしたしゃべり方だったからだ。  そして、その声に悲しみの色が一切含まれていなかったことが気になって、 香織の父親が死んでいたという衝撃的な事実はその時の俺の頭からは消えてしまっていた。   「悲しくはないよ。  お父さんは仕事で忙しくてあまり家にいなかったから、思い出は無いし。  ボクを養うために必死になって働いていたのか、って思ったこともあるけど、  貧しい生活をしていたわけじゃなかった。――むしろ裕福な方だった」  香織はそう言うと一旦言葉を区切った。 「年齢・かける・一万円。それがボクの毎月のお小遣いだった。  10歳なら10万円、11歳なら11万円、12歳なら……って感じ。  どう考えてももらいすぎだよね? でも、それが毎月繰り返された。  家の大きさも、小さい頃は普通だと思っていたけど、成長していくにつれて、  その家が相当な値段をかけて作られたことがわかっていった」  香織は一回、鼻で息を吸った。  そして、今度は沈んだ声で喋りだした。 「でも、ボクはちっとも面白くなかった。  小学生の頃は、誰が言ったのか知らないけれど『お高くとまったお嬢様』みたいに言われてて、  友達なんかいなかった。近づいてくるのは、お金欲しさに近づいてくるいじめっ子だけ。  お金なんかいらない。友達が欲しいって、毎日、学校がある日もない日もそう思ってた」  そう言うと、俺の方を振り向いた。  香織はもう泣いてはいなかった。  ただ、その時の彼女の目が縋るような色をしていて、俺は思わず抱きしめたくなってしまった。  ――思っただけで、実行はしていないが。 「中学校に入学したら、何か変わるかもしれない。  そんな願いとか、希望とかを胸に秘めて入学した中学校には、雄志君がいた。  入学初日のこと、ボクは今でもはっきりと覚えてる」 「……俺も覚えてる」 「雄志君がボクの顔を観察してて……ボクがそれに気づいて雄志君に話しかけて……  そのとき、ボクは初めて『この人とは友達になれる』って思った。  そして、その通りに友達になれた。親友になれた。――とっても嬉しかった」  独白を続ける香織の瞳からは、涙がこぼれていなかった。   「気づいたら、ボクは雄志君から離れられなくなってた。  それを初めて自覚したのは、高校の進学先を決めるときだったけど。  雄志君がどの高校に進むのか調べて、  その高校がボクの成績じゃ受からないレベルだって気づいて慌てて勉強したりして」 「……どおりであの頃、付き合いが悪かったわけだ」 「高校二年生の今頃の時期かな。お父さんが死んじゃって。  ボクはそれから、雄志君以外に心を許せる人がいなくなっちゃった。  親戚の人たちはお金の話しかしない人ばっかりだったし、  友達は雄志君を通して関係がある人だけだった」  悲しい告白だった。  ――あの頃の俺はそんなこと、気づいてもいなかった。  それだけじゃない。  香織の家庭の事情を聞いたのも、これが初めてだった。  10年以上友人の関係でいたのに、俺は香織のことをほとんど知らなかったのだ。 244 :ことのはぐるま ◆Z.OmhTbrSo [sage] :2007/04/01(日) 04:02:02 ID:HTSRzVfw 「高校を卒業してから、雄志君と離れ離れになるかもしれないって思ったときは焦ったよ。  ボクも同じ会社を受けたんだけど、採用されなかったし。  しかも雄志君はボクの知らないところに引っ越しちゃうし。  メールが今の時代にあること、ものすごく感謝してるよ。連絡がいつでもとれるんだから。  ……もし雄志君と連絡がとれなくなってたらボク、今頃どうなってたのかな」  そう言って香織は微笑んだ。悪い想像をごまかすように。 「ね、お願いがあるんだ。――ボクとずっと、仲良くして。  せめて、こうやって話をできるように、連絡をとりあえるように。  実は……昨日の夜、華ちゃんが言っていたように、ボクも雄志君のことが好きなんだ」 「……やっぱり、聞いてたか」  香織は俺の言葉には答えなかった。  そのかわりに、独白のような告白を続けた。 「今すぐに答えて欲しいわけじゃない。  雄志君が華ちゃんを選んでも、ボクを選んでも、他の誰かを選んでもいい。  どんな結果になっても、今みたいに仲良くしてほしい。  それが――ボクのお願いです」  そこで香織の告白はとまった。  俺に向かって頭を下げている。  まるで、今の自分にはそうすることしかできない、というような実直さだった。  俺からも、香織に言いたいことがあった。  ――今の関係を変容させてしまうものではないけれど。 「俺は香織に感謝してる。  こう言っちゃなんだけど、俺が心を許せる人間は香織だけなんだ。  それなりに仲のいい奴はいるけど、香織ほど気が合う奴はいない。  会社に勤めていたときだって、香織以上に仲良くなった人間はいない」 「……?」 「いつか誰かを選ぶときが来たとしても、俺はずっと香織と仲良くする。  ご先祖さまに誓うよ」  右手の小指を軽くまげて、香織の前に差し出して、自分の顔を笑みの形に変える。  よくこんなことが口から飛び出すもんだ、と自覚する。  でも、今はこうしたい気分だった。  俺の小指と、顔を交互に見て、それから香織は右手の小指を絡めてきた。  細くて、小さい感触と、熱が俺の右手に伝わった。  右手の小指を弱い力で、しかししっかりと握り締められた。 「雄志君ってさ、ご先祖さまだけに誓いをたてるよね。昔から」 「会ったことがあるのはじいちゃんとばあちゃんだけだけどな。  それでも、会ったことのない存在に誓いをたてるよりはマシだ」 「あははっ……ありがと。嬉しいよ。  じゃ…………『ゆーびきり げーんまん うーそついたら』、……ついたら、ついたら……えーと」 「…………どした?」  目だけを動かして俺の目を見たり、空を見上げたり、繋いだ手を見たりしている。  『嘘ついたら』の次の言葉を何にするかを考えているようだ。  嫌な予感がする。――って今日は嫌な予感、覚えまくりだな。 「『うーそついたら むーりやーりいうこときーかす』! 指切った!」  その言葉を元気良く言い終わると小指を素早く離した。  『無理矢理言うこと聞かす』?  ――これって、解釈次第ではどうとでもとれるぞ。 「なあ、今のって……」 「もし約束を破ったら、無理矢理でも仲良くしてもらうからね! そのつもりで!」 「なんだそりゃ……」    それだけ聞いても、どんなことされるかわかったものではないな。  指切りなんかするんじゃなかった。――とも思うけど、香織が元気を取り戻したし、よしとするか。 245 :ことのはぐるま ◆Z.OmhTbrSo [sage] :2007/04/01(日) 04:02:52 ID:HTSRzVfw  嬉しそうな顔をした香織は、ベンチから腰を浮かせるとぴょんっ、と前にジャンプした。  そして俺の方を振り向くと、また笑顔を浮かべた。 「それじゃ、バイバイ雄志君! またね!」 「ああ、またなーー!」  香織が大きく手を振ってから、駐輪場の方へと走って行った。 (こういうの、傍から見ると変だろうな)  周りに人の気配は無いが、少しだけ恥ずかしい。  だというのに、胸が暖かい。自然と頬が緩む。  ――目からじんわり、汗がでてきた。  上下のまぶたを結んで離す、ということを数回繰り返すと目から出てきた汗は引いていった。    駐輪場の方向からバイクのエンジン音が聞こえてきた。  続いて何度か空ぶかしの音がして、排気音がコンビニから遠ざかっていった。  携帯電話で時刻を確認すると、8時40分だった。  少しばかりゆっくりしすぎたようだ。  今から戻れば、9時を過ぎた頃にアパートの自宅に到着するだろう。 「さて、帰るとするか」  小さく呟いて、ベンチから立ち上がる。 「うむ。帰るとしようか」  唐突に、右側から、聞き覚えのある声をかけられた。  右を向くと、髪をオールバックにして、紺色のスーツを着た人間が立っていた。  月光とコンビニの外灯がその男――ではなく、女を照らしていた。  そいつは左手を右肘に、右手を顎に当てたまま真っ直ぐに立っていた。 「……またお前か。十本松あすか」 「そうだ。君の言うとおり、また私だよ。  ――しかしここで疑問が沸いて来るんだ」  相変わらず――数時間しか経っていないから当たり前だが――の口調だった。 「『また』というが、君が先刻遭遇した十本松あすかと、ここにいる十本松あすかは、  細胞のレベルにおいて変化を起こしている。そして今も細胞分裂を繰り返し、その分細胞が減っている。  だというのに、まったくの同一人物であるなどと言えるのかな?  来年の卒業論文にしたいから、君の論理を参考にしたい。ぜひとも聞かせていただきたい」 「……お前が俺のことを知っている。  俺はお前のことを知っている。  お前は相変わらず言っていることが滅茶苦茶だ。相変わらず男装をしている。  お前以外にそんなことをする奴はいない。だからお前は十本松あすかだ。……これで満足か?」 「ふむ。他者の認知と自己の行動によってこそ、同一人物であると証明できる。ということか。  なかなか面白い意見だ。参考にしよう。家に帰ってノートに記すまで覚えていたらね」 「……参考にするつもり、まったくなさそうだな」  まじめに返答した俺が馬鹿だった。  この女は頭がおかしいうえに、人の話など聞いていない。  それは昼のやりとりで分かっていたつもりだが、どうしても返事をしてしまう。  ――俺も変人なのかもしれないな。 246 :ことのはぐるま ◆Z.OmhTbrSo [sage] :2007/04/01(日) 04:03:42 ID:HTSRzVfw  立って会話をするのもどうかと思ったので、再度ベンチに座りなおす。  十本松はさっきまで香織が座っていた場所、俺の右側に腰を下ろした。 「まず聞きたい。なんでお前がここにいるんだ」 「あまりにいい夜空だったものでね。つい散歩にでかけてしまったのだよ。  こんな夜にはきっと恥ずかしい男が恥ずかしいことを言いつつ、恥ずかしいことをしながら、  恥ずかしい部分を見せびらかしているのではないかと思ってね」 「……もっと簡潔に『散歩に出かけていた』とだけ言ってくれ」  ――恥ずかしい部分を見せたりはしていないが、自分の行動が恥ずかしくなるだろう。    「ところで、さっき香織と面白い話をしていたね。  父親が死んだ、とかなんとか」  と十本松が言った。  俺はその言葉に引っかかるものを感じた。 「お前、立ち聞きしてたのか? あと、なんでお前が香織の名前を知ってるんだ?」 「うむ。一つずつ答えるとしよう。  立ち聞きをしていたのか? ――最初から立ち聞きしていたとも。  おっと、聞いていたことを咎めるのは無しだよ。  コンビニの前に寂しげに置かれているベンチに座りながらあんな話をしているのが悪い」  ……反論できない。  やはり、ああいう会話は人目につきにくいところでやるべきだったか。  頭を抱えたい気分だ。自分のうかつさに腹がたつ。 「もうひとつ。  なぜ私が香織の名前を知っているのか? ――昔会ったことがあるからさ」 「な、に……?」  ――どういうことだ?  俺の周りにいる四人が、あらかじめ何らかの関係を持っている?  香織と華は、昔から喧嘩しあう仲で。  華とかなこさんは、大学の後輩・先輩で。  かなこさんと十本松が、婚約者(?)同士で。  十本松と香織は、昔会ったことがあって。  そして、俺はその全員と知り合っている。  これは、偶然なのか――? 「二回程かな。香織に会った回数は。  一度目は私の父の葬式の席。  二度目は香織の父の葬式の席。  ま、私が覚えているだけで香織は覚えていないだろうけどね。  だからこそ、さきほど香織がいるときに気配を消して陰に隠れて、顔を出さなかったわけだが」 「父の葬式って…………お前、親父さんを……?」  俺がそう言うと、十本松は腕を組み、顎を上に向けた。  数秒間星を見た後、いきなりではなく、ゆっくりと目を瞑った。  その仕草にどんな意味があるのかはわからなかったが――なんとなく、想像がついた。 「素晴らしい、至上、最高、男の中の男。  いろんな形容詞がこの世には存在するが、父をあらわす的確なものは無い。  愛にどんな形容詞をつけても陳腐にしかならないようにね。  そして、私は父を愛していた。説明しようもなく、形容しようもなくね」  そこまで言い終わると、ようやく首を下ろした。  十本松の視線の先には、車道があった。  それは目に見える限りにおいてどこまでも伸びていて、同時に十本松の目も遠くへ向けられていた。 247 :ことのはぐるま ◆Z.OmhTbrSo [sage] :2007/04/01(日) 04:04:21 ID:HTSRzVfw 「娘が父に向ける想いではなく、女が男に向けるものであったと、私は今でも思う。  父を愛したこと、一片たりとも悔いてはいないよ。  父と手を繋いでいるとき、間違いなく私の心は父と繋がっていて、  同時に空気の上をふわふわと浮かんでいるような浮遊感と開放感を得られたのだから」 「…………」 「君の言うとおり、私は変人さ。  12回誕生日を迎えただけの子供だったというのに、かつては実の父に対して肉欲を抱いていたのだから」  俺はそういった意味で変人と言っているわけではない。  ――と思ったが、そんな野暮なことは言えなかった。  十本松が初めて本当のことを打ち明けている、と感じたからだ。 「ふっ――」  十本松は鼻で笑うと、首を振った。  やれやれ、といった様子で。  俺にではなく、自分自身に向けて。  その仕草は、どこか諦観しているようにも見えた。 「話が反れたね。なんの話をしていたのかな?  ……ああ、香織の父親のことについてだったね」  ああ、と俺は頷いた。 「香織の父が亡くなったのは7年前の、彼の誕生日の日だった。  十階建てのビルから落下して、体を強く打ち、死亡した。  自殺か他殺かの決着は未だについていない。  ビルから飛び降りたのか、突き落とされたのか、それを見た者がいないからだ。  ちょうど今頃だったかな。ちょっとしたニュースにもなったものだよ。  なにせ、菊川家と少なからず関係している人間だったからね」  ――なんだって? 「待てよ。ということは、香織とかなこさんは……」 「君の予想通り、推測どおり。知り合いだよ。  もっとも、深い仲ではないようだが。顔を合わせたらば、きっと分かるのではないかな」  俺は眉間をつまんで、目を瞑って頭を働かせて、意識を深い闇の中に沈めた。  黙考する。  ――野球のベースで考えてみるか。  香織、華、かなこさん、十本松。  その四人を野球のベースに、ひとりずつ配置する。  最初に挙げた順番に並べていけば、四つのベースは関係の線で結ばれる。  しかし、そうするとあと二本の線が作り出されることになる。  向かい合ったベースである、香織とかなこさん、華と十本松。  つまり、この四つのベースはどんなやり方でも結びつけることはできるし、 同時に結び付けられないベースは存在しないことになる。   「四人全員が、少なからず関係を持っているってことか……」 「そういうことさ。実に面白いね。  しかも全員が雄志君と知り合いだなんて、もはや君の策謀に引っかかったとしか思えないよ。  もし、全員を手篭めにするつもりだったとしても、私とかなこは開放してくれ。  君の謀、もしくは棒よりも、かなこの房のほうがいいからね」  十本松の電波な台詞より、俺はこの奇妙な四角形のことが気になっていた。  四人が皆、俺の知り合いだった。  じゃあ……俺は四人にとっては、何者なんだ?  ただの知り合いなのか?  それとも、別の何かだとでも言うのか……? 248 :ことのはぐるま ◆Z.OmhTbrSo [sage] :2007/04/01(日) 04:05:16 ID:HTSRzVfw 「はぁっ!!!」 「うおっ?!」  俺の思考を遮るかのように、十本松の口からかけ声が飛び出した。  十本松は左手首にはめた時計を見ている。  つられて、俺もその時計を見る。  銀色のシンプルな時計だった。  短針と長針が黒く、秒針だけが仲間はずれのように銀色だった。 「9時20分……ゆっくりと談笑を楽しむ時間は無いな」  十本松はベンチから立ち上がり、上着の内ポケットに右手をつっこんだ。  また文庫本でも飛び出すかと思ったが、手を取り出したとき、そこには紙切れが握られていた。  その紙切れには、見たことのない文字が印刷されていて、読むことができなかった。 「なんだ、それ?」 「招待状さ。これを渡すのがここに来た目的だったことを失念していたよ。  というわけで、これを最優先で受け取りたまえ! さあ!」  びしっ、と指ではなく、招待状で俺の顔を差してきた。  無言で受け取ると、その紙がただの薄っぺらいものではなく、厚紙でできていることがわかった。 「なんの招待状だよ。悪いが、お前の誕生日だって言うなら行かないぞ」 「安心したまえ。菊川家のパーティだよ。  菊川家当主の誕生日がささやかに、しかし局所的に華やかにとり行われる。  具体的に言えば、最高級のワインや銘酒、超一流シェフの料理が振舞われる」 「なんだと……!?」  これは罠か?  そんな美味しい、いやおいしい場所に俺を誘うなど、現実的にありえない。  メジャーリーガーのストレートに素人の振ったバットが触れてホームランになるぐらい、ありえない。 「かなこからのお誘いだよ。そうでなければ、君がその招待状に触れることは、  アメリカ空軍の演習中に戦闘機のコクピット同士が触れ合って、  さらにパイロット同士の唇が触れ合って愛が生まれるぐらいの低確率でしか起こりえない」 「……よくわからんが、本当に行ってもいいんだな? スーツでも着てくれば大丈夫か?」 「うむ。できればタキシードで来てくれればいいが、スーツでもかまわないだろう。  ただ、上流階級の椅子にふんぞりかえっている連中がくるパーティだからそれなりの覚悟をしてきてくれ。  ちなみにそれ一枚で五人まで同時に参加することができる。  お誘い合わせの上、菊川の屋敷まで来てくれたまえ」  そう言うと、十本松は俺に背を向けてコンビニ前を通る車道へ向けて歩き出した。  歩道の上で手をあげると、そこにいいタイミングでタクシーが走りこんできて、音を鳴らさずに停車した。  タクシーの後部座席に乗り込む前に、十本松は俺の方を振り返ってこう言った。 「あの本を、読んだかい?」 「青い本のことか? 何回か、読んだけどさ。……あれのどこがヒントだっていうんだよ。  お前があの本に毒されたとかいうオチはナシだぞ」 「そうか……気づかないか。今はそれでいいさ。だがいつかは気づくことになる。  そうしたら――――――きっと、君はあまりの歓喜、もしくは恐怖にその身を震わせるよ。  ふるふるブルブルがくがくガタガタがちがち、といった様子でね」  笑みを浮かべずにそう言い残すと、十本松はタクシーの後部座席に乗り込んだ。  見計らって、タクシーのドアがばたん、と音を立てて閉まった。  タクシーは右のウインカーをオレンジに点滅させながら走り出した。  その橙が消えると真っ直ぐ走り出し、赤いテールランプを光らせたまま、夜の闇に染められた空間へと向かっていった。 「あ……そういえば、かなこさんの家って、どこだっけ……」  他にも、招待状に書かれた文字が読めないとか、スーツをどこにしまったのかとか、 何時に菊川家の屋敷に行けばいいのかとか、参加するにあたっての問題点を箇条書きにして頭の中に並べていくうちに、 十本松が乗っているはずのタクシーのテールランプは見えなくなっていた。

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