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235 :ラック ◆duFEwmuQ16 [sage] :2007/03/09(金) 01:29:37 ID:wb9pdpD5 2 ひっしゃげて肉の塊になった子猫を抱え、湿気を含んだ土の中に埋める。雪香が泥まみれになった両手を合わせた。 『お休みなさい』 その時、人の気配がした。さきほどとは打って変わり、雪香の背筋が硬直した。肩越しに振り返った。驚愕──死んだはずの母がこちらを見つめていた。 思考能力が低下した。目の前の人物を凝視しつづけた。間の抜けた声が雪香の唇から洩れた。 『マ……ママ』 『ママって誰だ』                  *  *  *  *  *  * 雪香がベタベタと朧に甘えた。こうしているだけで幸せな気分に浸れた。死んだ母を雪香は思い浮かべる。優しい母だった。美しい母だった。 死んだはずの母──今、目の前にいる。もっと触りたかった。もっと甘えたかった。もっと抱きたかった。もっと──。 そこで理性が働いた。死人が蘇るはずなどない。第一、朧は母のような女ではなく正真正銘の男だ。朧が母と瓜二つなのはただの偶然の産物だろう。 雪香はそこで考えるのを中断した。どっちでもよかった。重要なのはふたりが今、こうやって一緒にいるという事だ。例え幻でもかまわない。 もし、これが夢ならば永遠に眼など覚ましたくはなかった。このまま朧を自分だけの物にしたい。強烈な独占欲が心の底からわき上がる。 嗅覚を駆使して朧の存在を確かめた。愛しい匂いがする。額を押し付けた。温かい。額、こめかみ、前腕の背、触覚の一番鋭い部分を使って楽しむ。 顔を引き寄せ、右瞼の上から朧の眼球を舐めた。目尻に沿りながら瞼に軽く舌をいれ、角膜の感触を味わった。 粘膜に傷がつかないように繊細な舌遣いで何度も味わった。眼球は完全な球体ではなかった。 角膜の部分が凹凸になっている。朧の涙腺が震えた。分泌される涙がしょっぱい。雪香は舌をはずした。冷たく乾いた風が肌寒かった。 「ねえ、雪香のおウチにこない。ここは凄く寒いよ。雪香のおウチは暖かいよ」 朧にも、さして断る理由は見当たらなかった。雪香が朧の袖を引っ張る。まるで駄々をこねる子供のようだ。 「おいでよ。それにあんなアンパンだけじゃ足りないでしょ。雪香、マ……朧にお料理つくってあげる」 「じゃあいってみようかな」 雪香の住まいは渋谷の裏──松濤の閑静な住宅街にあった。少し歩けば鍋島松濤公園が見える。奢侈な赤煉瓦作りの塀に囲まれた二階建ての邸宅だ。 敷地には一匹のドーベルマンが放し飼いにされていた。他の人間の気配は全く感じられない。 家の中にはいると雪香が急かすように朧を自室に連れ込んだ。清潔な室内だ。チリ一つない。窓際にはダブルベッドが置かれていた。 雪香がベッドに腰をおろした。朧を自分の左側に座らせた。物珍しそうに朧が室内を見回す。無邪気なものだ。 「じゃあちょっとまっててね。ご飯作ってあげるから」 朧を残して自室をあとにした。雪香がキッチンで料理を作り始める。 ベーコンと目玉焼きをトースターで焼いた食パンで挟み、コップにオレンジジュースを注いだ。サラダボールにレタスとトマトとチーズを盛り付ける。 自然に鼻歌がこぼれていた。顔の筋肉がほころぶ。雪香は至福に包まれながらオレンジジュースにギャバロンとロヒプノールを混入した。 朧にここから出て行ってほしくもない。それだけは絶対に避けたかった。逃がすくらいなら死んだほうがマシだ。 ではどうすればいいか。答えは単純だ。筋弛緩剤と睡眠薬を飲ませて動けなくすればいい。あとは手錠を嵌めようが縛ろうが自由だ。 出来れば自発的に留まって欲しかったがそれは無理な話だろう。ゆっくりと慣れさせていくしかない。 (食事も下の世話もセックスも全部お世話してあげる) 236 :ラック ◆duFEwmuQ16 [sage] :2007/03/09(金) 01:31:00 ID:wb9pdpD5 切なくも甘酸っぱい感覚が雪香を包み込んだ。食べ物をトレーの乗せて愛しい人の待つ自室に戻る。 「お待たせ。遠慮せずに食べてね」 サンドイッチとオレンジジュースを口に運ぶ朧の姿を横目で見つめながら、雪香はいつものように微笑む。聖母の如く。幼子の如く。 (朧。雪香は朧の事が大好きだよ。どんな事でもしてあげる。だから……お願いだから、雪香のママになってよ……) 藍色の闇が立ち込める空間。巴はいつものように東郷神社へと足を運んだ。もしかしたらまた逢えるかもしれない。 淡い想いを抱きながら玉砂利を見つめ続けた。確かに彼はここに居たのだ。言葉を交わすこともなく、ただその貌だけを一目見ただけの彼。 名前すらわからない彼。一目惚れだった。一度だけでいいから逢いたかった。 逢って──孤独を癒してほしかった。自分の物にしたかった。誰かに惹かれたその瞬間──人は愛に目覚める。 分かり合いたかった。彼と分かり合いたかった。血を飲みたかった。血を飲んでほしかった。人はその血によってのみ、お互いを理解し合える。 巴は幼い頃に血の快楽を知った。血の快楽に耽溺し、同時に自分が孤独である事を確信した。流れる血を想像しただけで疼く身体の芯。 身体中の細胞が発熱した。血液が沸騰する。切実だった。眩暈がした。もし逢えなかったら──巴の心に一抹の虚しさがよぎった。 (そんな事考えちゃ駄目。絶対に、絶対に見つけなきゃ) 雑念を頭から振り払う。夜空を見上げた。上弦の月が淡い光を放ち、星々がキラキラと華やかに輝いていた。瞳を閉じて、星に願い事をした。 (どうか逢えますように……)                  *  *  *  *  *  * 全裸になった朧をベッドの上に仰向けに寝かせた。聖ドメニコの彫像のように眼を閉じて動かない朧──雪香は眠り続ける朧の頬にそっと唇を重ねた。 薄明に際立つその美しい横顔。胸元に指を這わせて擦る。雪香の相貌が妖艶に唇を歪ませた。 雪香の嫣然としたその姿は、類まれなる美貌の悪魔とすら錯覚してしまいそうだった。腋下に鼻を忍び込ませて嗅いだ。くすんだ汗の匂いがした。 (ママ……ママ……ッ) 母と過ごしたあの日の記憶が鮮明に蘇る。舌を窪みに絡ませ、上下に激しく動かす。唾液が地肌を濡らした。興奮に拍車がかかった。 腋から胸板へと舌を回遊させ、愛くるしい乳首を小鳥のようについばむ。母乳を求める赤ん坊のように吸った。ペニスに触れる。 237 :ラック ◆duFEwmuQ16 [sage] :2007/03/09(金) 01:31:48 ID:wb9pdpD5 萎えて柔らかかった。前歯で乳首を咥えながら、懸命に指を遣った。それでもペニスは硬くならない。眠っているからだろうか。 雪香はペニスを後回しにした。欲情の露に瞳を輝かせ、雪香は愛液にまみれて濡れ光るラビアを朧の太腿に塗りつける。 匂い付けだ。動物のマーキングに近い行為だった。雪香の唇から洩れる甘い歓喜の吐息が聴こえてくる。 「ああ……ママァッ、いいよ……ッッ」 よがり狂いながら腰を使い続けた。吐息が一層激しさを増す。激しい吐息に雪香は咽いだ。身体が火照りつく。 「ンァァッ……ンンッ」 包皮を被ったままの敏感になったクリトリスが肌に擦れて喜悦を与えた。素晴らしいエクスタシーだ。このまま永遠に肉欲の愛を貪りつづけたい。 それは雪香の痛切な願望だった。頬の筋肉をこわばらせ、熱い蜜汁をしたたりおとしていく。朧の太腿にこぼれる蜜汁がシーツに伝って染みをつけた。 激しい愉悦感に浸りながら、かぶりをふってセミロングの髪を振り乱した。毛穴から滲む珠の汗が宙に踊る。 「クハアァァ……ッッ」 情欲に上ずる声。雪香の脳裏に白い閃光が走った。痺れるような快感が背筋から這い上がる。 「い、嫌ッ、嫌ッ嫌ッ、まだいきたくないよォ……ッ」 叫んだ途端、雪香の子宮が痙攣した。身体が痙攣した。絶頂感に身体を支えきれなくなり、横様にベッドの上に崩れ落ちる。 雪香は大声で泣いた。れが哀哭なのか号哭なのかは、雪香自身にも分からなかった。意識が徐々に遷移する。 朧と同様に雪香はベッドの上にその身を横たえ、身じろぎもせずに薄目を開けたまま焦点の定まらぬ瞳で朧を凝視し続けた。 3 蕩けるような余韻から覚め、雪香は我に返った。心地よい倦怠感が身体を支配している。朧はまだ眠っている様子だ。壁に掲げられた時計を見る。 時刻は午前四時二十五分。どうやら六時間近く眠っていたらしい。窓を見やった。外はまだ暁闇だった。あと二時間もすれば朧も眼を覚ますだろう。 警察が使用する安全装置無しの硬化スチール製手錠を両手に嵌める。最初は後ろ手にしようかと思ったが可哀想なので止めた。 双腿をぐいっと開き、臀部を少しだけ突き出させる。全てが雪香の目前に曝け出された。ペニスを口腔内に埋め、蟻の門渡りを指で弄ぶ。 その雪香の様子を薄目を開いて朧は静かに観察していた。 78 :ラック ◆duFEwmuQ16 [sage] :2007/03/27(火) 00:02:22 ID:9shiYSb+ かつて悪魔が私にこういった「神もその地獄を持っている。それは人間に対する彼の愛である」と。 そして、私は悪魔がこういうのも聞いたことがある。「神は死んだ。人間に対する同情ゆえに神は死んだ」と。                        ──ニーチェ『ツァラトストラはかく語りき』 ヒッコリー製のアンティークな本棚に並べられた書籍に朧は眼を通した。本の表紙に触れる。表紙も古いものから新しいものまで実に様々だ。 オスカー・ワイルド、ジャン・ジュネ、サルトル、ボードレール、バルザック、アポリネール、ニーチェ、ヘーゲル、マンディアルグ ユイスマンス、バロウズ、ケルアック、稲垣足穂、三島由紀夫、川端康成、その他にも文学、哲学系の作品が揃えられていた。 昨日はオスカー・ワイルドの『サロメ』を読んだ。今日は何を読むべきか。本を眼で追いながら思案する。 朧の視線が止まった。本を取り出し、タイトルと作者名を眺める。ホコリが指を汚した。ふっと息を吐いてホコリを飛ばす。 (カポーティの『冷血』か。面白そうだな) 机に置かれた手錠を朧は自分で掛けなおした。鍵の部分が簡易な作りの手錠は、ヘアピンの一本でもあればいつでもはずせた。 朧は雪香の居ない時だけ、こうして手錠をはずして羽を伸ばした。短い時間ではあったが、手首の感覚を戻すには充分だ。 本を持つと朧は書斎を出て、雪香の寝室に戻る。本を読み始めたのは単に暇だったからだ。雪香との奇妙な生活が始まって二ヶ月が過ぎた。 最初の二週間は部屋から出られないようにベッドにくくりつけられた。足にも錠をかけられて身動き取れぬ有様だった。 食事に混ぜられた筋弛緩剤と睡眠薬。睡眠薬の効果は失せていたが筋弛緩剤のほうはそうはいかなかった。 頭の中ははっきりしていたが、身体の自由がほとんど利かないのだ。この少女は何故、自分にこんな仕打ちをするのか朧は考えた。 雪香に恨みを買ういわれはなかった。 澱のようなものが腹の底に沈み、怒りが沸々と煮えた。自由を奪われた獣の怒りだ。 そして、こんな罠にひっかっかった間抜けな己自身に対する怒りでもあった。憤怒が脳髄を灼いた。 筋弛緩剤の効果が薄れるとともに、怒りが燎原の火の如く燃え広がった。両腕をめちゃくちゃに動かす。手錠が肉に食い込み、皮膚が裂けた。 血飛沫が舞った。傷口から溢れる鮮血が手首を汚した。かまわずにベッドで暴れ続けた。痛みなどどうでもよかった。 『はずせっ、はずせっ!』 叫んだ。無言で不安そうに気弱な眼でこちらを見やる雪香の姿──ぶっ殺してやりたかった。 顔面がザグロになるまで拳を叩き込んでやりたかった。血みどろになるまでぶちのめしてやりたかった。 『そんなに暴れないで。手、怪我しちゃったよ……』 『ふざけるな。さっさと手錠をはずせッ!』 傷ついた朧の右の手首に雪香が労わるように手を伸ばす。雪香の頬に朧の唾が飛んだ。雪香は黙って掌で唾をぬぐうと部屋をでていった。 室内に独り取り残された朧は冷静さを取り戻そうと瞼を閉じた。闇が視界を覆う。脳内で渦を巻く冥い殺意を腹に押し込んだ。 朧は隙を窺うことにした。問題はどうすれば逃げ出して雪香を殺せるかだ。朧は思索した。こういう手合いにはどう対処すればいいのか。 朧は雪香に対し、徹底的に無視を決め込んだ。飲食物を一切取らず、何をされようが一言も喋らなかった。 朧の態度に雪香は柳眉を逆立て、罵詈雑言を浴びせた。ヒステリックに朧の脇腹に爪を立てて胸を痣が出来るまで叩いた。 『なんで雪香を無視するのッ、お願いだから何か言ってよ……ッッ』 79 :ラック ◆duFEwmuQ16 [sage] :2007/03/27(火) 00:04:04 ID:RI+ri3es 朧の頬に平手打ちを浴びせながら雪香が大声を喚いた。鼓膜が振動で震えた。切れた唇から血が滲む。 雪香に殴られ、罵られても朧は石の如く口をつぐみ、無反応を通した。完全なる拒絶を示し、眼をそらそうとさえしなかった。 その態度が雪香の苛立ちを募らせ、雪香はさらに手酷く朧を打擲するという悪循環だった。 十日間が過ぎたあたりで雪香は狂ったように泣き喚いた。髪を掻き乱し、喉が張り裂けんばかりに叫び声をあげる。 『お願いだよっ……お願いだから何か食べてよ……っっ』 躍起になって朧に食事を摂らせようと自分の口にミルクを含ませ、雪香は朧に口移しで何度も飲ませようとした。 それでも、朧はミルクを飲まずに吐き出す。雪香の口に含んだミルクを飲むくらいなら、朧は餓死したほうがマシだった。 それよりもあと何日持つか。せいぜいが一週間以内。それ以上経てばまず動けなくなるだろう。 頬骨がこけ、肋骨が浮き出た肉体。眼窩は窪み、初雪のように白かった朧の肌は栄養失調で灰色にくすんでいた。 ただ、黒い瞳だけがいつまでも変わらなかった。朧は掠れた声帯から搾り出すように呟いた。 『死んじまえ。このキチガイ女……』 雪香に向かって罵りの言葉を吐き捨てる。 それっきり朧はまた口を閉ざして、天井の一点を瞬きもせずに見続けた。飢えの苦しみはすでにない。 人間の身体はうまく出来ているのだ。三日間食事を摂らなければ、脳内麻薬が分泌されて飢餓の苦痛を取り除く。 持久戦だった。衰弱して死ぬのが先か、ベッドから開放されるのが先か。二週間目の朝、雪香はついに根を上げて朧の拘束を解いた。 ──俺が衰弱してると見て油断してるのか。それでも首を絞めるくらいの力は残ってるぞ 体力の擦り減った身体は動かすたびに悲鳴を上げた。筋肉はその柔軟性を失い、硬くなった関節がギシギシと軋む。 空中を飛んでいるような感覚だった。身体に力が入らない。そのくせ、やけに意識だけは明瞭だった。 網膜の奥に映った雪香の首筋。青白い静脈を皮膚の内部に張り付かせている。スローモーションな動きで頤に手をかけた。 親指と人差し指に力を込める。雪香は抵抗も、振りほどこうともしなかった。朧はじわじわと力を強めた。 指先に伝わる柔らかい肉を掴む生々しい感触──何の感慨も涌かなかった。復讐の達成感が感じられないのだ。 『なんで抵抗しないんだ』 朧は不思議でしょうがなかった。恐怖を感じるわけでも、憎悪を現すわけでもない雪香の反応に朧は眼を細める。 雪香の相貌を見た。どこか夢見心地だ。雪香は死を厭わなかった。この少女は朧から与えられる死を歓喜を持って迎え入れようとしたのだ。 胸裏深くに沈んだ記憶が、小波を打つ水面のようにゆらりと揺らめく。 瞳に灯った慈愛の輝き──無意識に朧は手を離した。雪香のその聖母の如き明眸を見た瞬間、怒りも憎悪も消えうせていた。 思えば哀れな少女だ。 『どうして止めちゃったの……雪香を殺したい殺してもかまわなかったのに?』 キョトンとした表情を浮かべて雪香が朧に尋ねた。雪香の頬を撫で付けながら朧は言った。 『あんた変わってるな……』 雪香が笑みを浮かべて答えた。 『朧だって変わってるよ』 朧の拳が飛んだ。病み上がりにしてはキレのある良いフックだ。雪香の顎に命中した。脳が震盪し、雪香はあやうく意識を失いかけた。 『とりあえずそれで許してやる』
235 :ラック ◆duFEwmuQ16 [sage] :2007/03/09(金) 01:29:37 ID:wb9pdpD5 2 ひっしゃげて肉の塊になった子猫を抱え、湿気を含んだ土の中に埋める。雪香が泥まみれになった両手を合わせた。 『お休みなさい』 その時、人の気配がした。さきほどとは打って変わり、雪香の背筋が硬直した。肩越しに振り返った。驚愕──死んだはずの母がこちらを見つめていた。 思考能力が低下した。目の前の人物を凝視しつづけた。間の抜けた声が雪香の唇から洩れた。 『マ……ママ』 『ママって誰だ』                  *  *  *  *  *  * 雪香がベタベタと朧に甘えた。こうしているだけで幸せな気分に浸れた。死んだ母を雪香は思い浮かべる。優しい母だった。美しい母だった。 死んだはずの母──今、目の前にいる。もっと触りたかった。もっと甘えたかった。もっと抱きたかった。もっと──。 そこで理性が働いた。死人が蘇るはずなどない。第一、朧は母のような女ではなく正真正銘の男だ。朧が母と瓜二つなのはただの偶然の産物だろう。 雪香はそこで考えるのを中断した。どっちでもよかった。重要なのはふたりが今、こうやって一緒にいるという事だ。例え幻でもかまわない。 もし、これが夢ならば永遠に眼など覚ましたくはなかった。このまま朧を自分だけの物にしたい。強烈な独占欲が心の底からわき上がる。 嗅覚を駆使して朧の存在を確かめた。愛しい匂いがする。額を押し付けた。温かい。額、こめかみ、前腕の背、触覚の一番鋭い部分を使って楽しむ。 顔を引き寄せ、右瞼の上から朧の眼球を舐めた。目尻に沿りながら瞼に軽く舌をいれ、角膜の感触を味わった。 粘膜に傷がつかないように繊細な舌遣いで何度も味わった。眼球は完全な球体ではなかった。 角膜の部分が凹凸になっている。朧の涙腺が震えた。分泌される涙がしょっぱい。雪香は舌をはずした。冷たく乾いた風が肌寒かった。 「ねえ、雪香のおウチにこない。ここは凄く寒いよ。雪香のおウチは暖かいよ」 朧にも、さして断る理由は見当たらなかった。雪香が朧の袖を引っ張る。まるで駄々をこねる子供のようだ。 「おいでよ。それにあんなアンパンだけじゃ足りないでしょ。雪香、マ……朧にお料理つくってあげる」 「じゃあいってみようかな」 雪香の住まいは渋谷の裏──松濤の閑静な住宅街にあった。少し歩けば鍋島松濤公園が見える。奢侈な赤煉瓦作りの塀に囲まれた二階建ての邸宅だ。 敷地には一匹のドーベルマンが放し飼いにされていた。他の人間の気配は全く感じられない。 家の中にはいると雪香が急かすように朧を自室に連れ込んだ。清潔な室内だ。チリ一つない。窓際にはダブルベッドが置かれていた。 雪香がベッドに腰をおろした。朧を自分の左側に座らせた。物珍しそうに朧が室内を見回す。無邪気なものだ。 「じゃあちょっとまっててね。ご飯作ってあげるから」 朧を残して自室をあとにした。雪香がキッチンで料理を作り始める。 ベーコンと目玉焼きをトースターで焼いた食パンで挟み、コップにオレンジジュースを注いだ。サラダボールにレタスとトマトとチーズを盛り付ける。 自然に鼻歌がこぼれていた。顔の筋肉がほころぶ。雪香は至福に包まれながらオレンジジュースにギャバロンとロヒプノールを混入した。 朧にここから出て行ってほしくもない。それだけは絶対に避けたかった。逃がすくらいなら死んだほうがマシだ。 ではどうすればいいか。答えは単純だ。筋弛緩剤と睡眠薬を飲ませて動けなくすればいい。あとは手錠を嵌めようが縛ろうが自由だ。 出来れば自発的に留まって欲しかったがそれは無理な話だろう。ゆっくりと慣れさせていくしかない。 (食事も下の世話もセックスも全部お世話してあげる) 236 :ラック ◆duFEwmuQ16 [sage] :2007/03/09(金) 01:31:00 ID:wb9pdpD5 切なくも甘酸っぱい感覚が雪香を包み込んだ。食べ物をトレーの乗せて愛しい人の待つ自室に戻る。 「お待たせ。遠慮せずに食べてね」 サンドイッチとオレンジジュースを口に運ぶ朧の姿を横目で見つめながら、雪香はいつものように微笑む。聖母の如く。幼子の如く。 (朧。雪香は朧の事が大好きだよ。どんな事でもしてあげる。だから……お願いだから、雪香のママになってよ……) 藍色の闇が立ち込める空間。巴はいつものように東郷神社へと足を運んだ。もしかしたらまた逢えるかもしれない。 淡い想いを抱きながら玉砂利を見つめ続けた。確かに彼はここに居たのだ。言葉を交わすこともなく、ただその貌だけを一目見ただけの彼。 名前すらわからない彼。一目惚れだった。一度だけでいいから逢いたかった。 逢って──孤独を癒してほしかった。自分の物にしたかった。誰かに惹かれたその瞬間──人は愛に目覚める。 分かり合いたかった。彼と分かり合いたかった。血を飲みたかった。血を飲んでほしかった。人はその血によってのみ、お互いを理解し合える。 巴は幼い頃に血の快楽を知った。血の快楽に耽溺し、同時に自分が孤独である事を確信した。流れる血を想像しただけで疼く身体の芯。 身体中の細胞が発熱した。血液が沸騰する。切実だった。眩暈がした。もし逢えなかったら──巴の心に一抹の虚しさがよぎった。 (そんな事考えちゃ駄目。絶対に、絶対に見つけなきゃ) 雑念を頭から振り払う。夜空を見上げた。上弦の月が淡い光を放ち、星々がキラキラと華やかに輝いていた。瞳を閉じて、星に願い事をした。 (どうか逢えますように……)                  *  *  *  *  *  * 全裸になった朧をベッドの上に仰向けに寝かせた。聖ドメニコの彫像のように眼を閉じて動かない朧──雪香は眠り続ける朧の頬にそっと唇を重ねた。 薄明に際立つその美しい横顔。胸元に指を這わせて擦る。雪香の相貌が妖艶に唇を歪ませた。 雪香の嫣然としたその姿は、類まれなる美貌の悪魔とすら錯覚してしまいそうだった。腋下に鼻を忍び込ませて嗅いだ。くすんだ汗の匂いがした。 (ママ……ママ……ッ) 母と過ごしたあの日の記憶が鮮明に蘇る。舌を窪みに絡ませ、上下に激しく動かす。唾液が地肌を濡らした。興奮に拍車がかかった。 腋から胸板へと舌を回遊させ、愛くるしい乳首を小鳥のようについばむ。母乳を求める赤ん坊のように吸った。ペニスに触れる。 237 :ラック ◆duFEwmuQ16 [sage] :2007/03/09(金) 01:31:48 ID:wb9pdpD5 萎えて柔らかかった。前歯で乳首を咥えながら、懸命に指を遣った。それでもペニスは硬くならない。眠っているからだろうか。 雪香はペニスを後回しにした。欲情の露に瞳を輝かせ、雪香は愛液にまみれて濡れ光るラビアを朧の太腿に塗りつける。 匂い付けだ。動物のマーキングに近い行為だった。雪香の唇から洩れる甘い歓喜の吐息が聴こえてくる。 「ああ……ママァッ、いいよ……ッッ」 よがり狂いながら腰を使い続けた。吐息が一層激しさを増す。激しい吐息に雪香は咽いだ。身体が火照りつく。 「ンァァッ……ンンッ」 包皮を被ったままの敏感になったクリトリスが肌に擦れて喜悦を与えた。素晴らしいエクスタシーだ。このまま永遠に肉欲の愛を貪りつづけたい。 それは雪香の痛切な願望だった。頬の筋肉をこわばらせ、熱い蜜汁をしたたりおとしていく。朧の太腿にこぼれる蜜汁がシーツに伝って染みをつけた。 激しい愉悦感に浸りながら、かぶりをふってセミロングの髪を振り乱した。毛穴から滲む珠の汗が宙に踊る。 「クハアァァ……ッッ」 情欲に上ずる声。雪香の脳裏に白い閃光が走った。痺れるような快感が背筋から這い上がる。 「い、嫌ッ、嫌ッ嫌ッ、まだいきたくないよォ……ッ」 叫んだ途端、雪香の子宮が痙攣した。身体が痙攣した。絶頂感に身体を支えきれなくなり、横様にベッドの上に崩れ落ちる。 雪香は大声で泣いた。れが哀哭なのか号哭なのかは、雪香自身にも分からなかった。意識が徐々に遷移する。 朧と同様に雪香はベッドの上にその身を横たえ、身じろぎもせずに薄目を開けたまま焦点の定まらぬ瞳で朧を凝視し続けた。

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