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69 :向日葵になったら ◆KaE2HRhLms [sage] :2007/06/01(金) 00:06:50 ID:wBkMeU5t  夜の闇との区別が薄くなった歩道を、ひたすらに走る。  思考を捕らえて離さない性欲に抗うために。  自分の犯した罪の重さをごまかすために。  僕は、どこに行こうとしているのだろう。  どこに行っても、結局は逃れることなどできないのに。  衝動に任せてさつき姉の唇を奪ってしまったことは、消せないのに。  僕の記憶にしっかりと刻み込まれたさつき姉の涙と、おびえるように震えだした 体の感触は、今でも思い出せる。  そして、それを思い出すだけでまた興奮してしまう自分の下劣さに、腹がたつ。  呼吸が苦しくなってきた。足も、少しずつ動かなくなりだした。  かなりの時間全力で走ってきたから、心臓と肺が弱音を吐き出した。  何度か跳ねるようにして走り、ゆっくりスピードを落としていく。  立ち止まった場所は、自宅の近くにある公園の入り口だった。  どうやら、ぐるりと回ってアパートの近くに戻ってきてしまったようだ。  入り口近くにある自動販売機の前で立ち止まり、倒れるようにして背中で自動販売機にもたれかかる。  自動販売機の光に集まってきた小さな羽虫や楕円形の虫が体にくっついてきた。  膝の力を抜く。支えを失った体はすぐに地面に腰をつけた。  俯いて、周りを飛び回る虫を吸い込まないように深呼吸をする。  心臓の鼓動が邪魔をして、上手く息を吸うことができない。  でも、すぐに鼓動は静まってきた。  本当に、すぐだった。いっそのこと一晩中僕を苦しめてくれれば嬉しかった。  だけど、自分のあやまちを忘れるなどという安易な道は選ばせてはくれないようだ。  体が汗にまみれて、筋肉が痙攣を起こしているのに、思考だけは冷たかった。  幸いにも、性欲は頭の中からすっぱりと消えていた。  僕はさつき姉にキスをして、傷つけた。傷つけたのは体でなく、心。  僕は知らないけど、強引に唇を奪われるなど、さつき姉は経験していないかもしれない。  いや、経験していようとしていまいと同じことか。  僕がやったことは、許されることではないのだ。  両手で拳を作り、太腿を全力で叩く。右手で叩いて、左手で叩いて、右手で叩く。  何度やっても手に力は入らなかったし、足に痛みが走ることもなかった。 70 :向日葵になったら ◆KaE2HRhLms [sage] :2007/06/01(金) 00:08:41 ID:wBkMeU5t 「惣一!」  地面に座って俯いていると、僕を呼ぶ声が聞こえた。  声が聞こえてきた方向は右側。目を向けると駆け寄ってくるさつき姉の姿が見えた。  自動販売機の明るさに目が慣れてしまっているから、さつき姉の顔は見えない。  僕はもう一度俯いて、さつき姉から目をそらした。  さつき姉は僕の前に立つと、しばらくしてしゃがみこんだ。  視線を、頭の皮膚で感じられる。僕はひたすら地面を見つめ続けた。  なにを言われても、覚悟はできている。罵倒でも、叱責でもなんでも。  それでさつき姉の心の傷が少しでも癒されるのならば、と最初は思っていた。  でも、それは違う。本当は、僕が癒されたかっただけだ。  さつき姉に責められることで自分の罪の意識を消したかったのだと、はっきり自覚した。  さつき姉の呼吸は穏やかで、夜の静かさの中ではよく聞こえてきた。  息を吸う音が聞こえた。さつき姉が口を開く。 「追いかけっこは、おしまい?」  さつき姉の声は、弾んでいた。  まるで迷子の子供を発見できた母親のように楽しそうに、嬉しそうにしていた。 「追いかけっこ?」  と、僕は聞き返した。 「そうでしょ? 私に背を向けて走りだすのは、惣一の役目だったじゃない。  そして、私が鬼の役。懐かしいわね、何年ぶりぐらいかしら」 「…………最後にやったのは、僕が小学校6年生だったころだよ」 「だとしたら、もう6年は経ってるのね。私は今でもはっきりと思い出せるわよ。  惣一が私から必死になって逃げ出す様子も、捕まったときの悔しそうな顔も。  でも、一度も勝ったことはなかったわね。今日もそうだったけど」  さつき姉はそこまで言うと、僕の隣に座った。  僕は、さつき姉の顔を見て話しかけることができた。 「ここ、虫がいっぱいいるよ」 「別に平気よ。どうせ走り回って汗をかいたんだからシャワーを浴びないといけないし。  でも、よく30分も走り回れたわね。やっぱり成長してるのね、惣一も」 「自分では、まだあの頃のままみたいな気がしてるけど」 「私も同じ。なんだか、体だけが大きくなっているみたい。  性格とか、考え方とか、好みとか、全部小さい頃と同じ。  小学生が大人の体を持つと、私みたいになるのかもね」 71 :向日葵になったら ◆KaE2HRhLms [sage] :2007/06/01(金) 00:12:24 ID:wBkMeU5t  さつき姉は立ち上がると、自動販売機にお金を入れて、一本だけジュースを買った。  ペットボトルに入れられているスポーツドリンクは透明だった。  キャップを開けると、さつき姉は半分ぐらい一気に飲んだ。  そして、僕にペットボトルを押し付けた。 「喉、渇いたでしょう? 飲んで良いわよ、それ」 「ああ、ありがと。って、それはちょっと……」 「何か問題があるの?」 「だって、これって間接――」  そこで、僕は口をつぐんだ。  急に心を締め付けられた気がした。  自分がしたことを思い出して、後悔が形になって胃を圧迫する。  僕はさつき姉から目をそらそうとした。けど、不意の笑顔に動きを止められた。 「さっきのことは気にしなくていいわよ」 「でも、僕は無理矢理――」 「ふう。わかってないわね、惣一は」  さつき姉はかぶりを振ると、右手を振り上げた。  続いて振り下ろされた右チョップが直撃して、僕の鼻から空気が漏れだした。  脳から鼻に突き抜ける痛みが、僕の思考を止める。 「私はキスされたことに怒っているんじゃなくて、いきなり逃げられたことが不満なの。  男の方からキスしてきたくせに逃げ出すって、どういう了見よ。んん?」 「う……」 「本当は、責任をとってほしいところだけど。  他ならぬ幼馴染は反省しているようだし、初犯でもあるから許してあげるわ」  僕はさつき姉の言葉を聞いて、口を閉じるのを忘れた。  あまりにあっけなさすぎる。なんで、そんな簡単に許してくれるんだ? 「馬鹿な顔してると、虫が口の中に入るわよ。  仕方ないわね。惣一に教えてあげましょうか、許してあげる理由」 「理由があるの?」 「そ。大きな理由」 「どんな理由なのさ」 「ふふ。それはねぇ……」  さつき姉は僕の顔を見つめながら、微笑んだ。  僕はつい、見とれてしまった。  じっと見つめたままでいると、さつき姉が勢いよく立ち上がった。 「やっぱり、やめた!」 「ええ?!」 「それぐらい、自分で気づきなさい。胸に手を当ててみればわかるはずよ」  言われたとおり、胸に手を当てて考えてみる。でも、思い当たるフシがない。  シャツがすっかり冷たくなっていることだけはわかったけど。 72 :向日葵になったら ◆KaE2HRhLms [sage] :2007/06/01(金) 00:13:44 ID:wBkMeU5t  アパートに帰りついて、2人が別々にシャワーに入り終わったら、すでに11時を回っていた。  電気を消して、布団を敷いて横になると、またしてもさつき姉は僕の横に潜り込んできた。  だけど、今日だけは何も言うつもりにならなかったし、疲労感から眠気がすぐに襲ってきたので 黙って眠りにつくことにした。  鼻から吸う息が心地よくて、吐く息が軽くて、すぐに眠れそうだった。  今夜は風が窓からよく入り込んできていたから、扇風機は必要なかった。  意識が闇に沈んできたころ、肩をつつく指によって起こされた。  首だけで、さつき姉の顔を見る。 「惣一。罰ゲームのことなんだけど」 「罰ゲーム?」 「今日、追いかけっこしたじゃない。昔から負けたほうが罰ゲームをする約束だったでしょ」  しまった。すっかり忘れていたけど、昔は追いかけっこをするたびに罰ゲームをやらされたんだった。  21歳になった今、さつき姉は一体どんな罰ゲームを言い渡してくるんだ? 「それね、一度家に帰ってからやってもらうから」 「家って、誰の?」 「私、明日家に帰るから。言わなかったっけ?」 「いや、聞いてないんだけど」 「そういえばそうだったわね。予定ではもっと後で追いかけっこするつもりだったし」 「何、それ?」  予定?予定っていうとさつき姉のか?  追いかけっこをする予定って、どういうつもりで立てたんだろうか。 「あ! ええ、っとね。久しぶりに会ったから、昔を懐かしむって目的でやろうと思ってたのよ」 「なんだ。それならいつでも言ってくれればよかったのに」  むしろ、これだけ自然に話せるようになれるなら自分から誘えばよかった。  僕は今、さつき姉と昔みたいに仲良くなれた気がしている。  ずっと心にわだかまっていたものがとれたように、安らかな気分だ。 「罰ゲームっていうのはね、あんまりやりすぎると意味がないのよ。  1回きりだから、無茶なことも相手に聞いてもらえるの」 「無茶なことをやらせるつもりだったの?」 「大丈夫よ。死ぬこととか、怪我したりすることじゃないし、惣一にできそうなことをしてもらうわよ。  というより、惣一にしかできないことと言ったほうがいいかしら」  なんだろう。僕にしかできないこと?  僕にしかできないことというと――何も思い当たらないな。 「楽しみにすると同時に、覚悟をしておきなさい。……それじゃあ、おやすみ」 「おやすみ、さつき姉」  さつき姉は僕に背中を向けると、無言になった。  寝息が聞こえ始めてから、僕は今日一日で起こったことを反芻した。  山川とさつき姉に起こった異変、衝動に任せてさつき姉にキスしてしまったこと、 そして、さつき姉と久しぶりに仲良く話せるようになったこと。  終わってみると、いい一日だったように思える。二度と繰り返したくは無いけれど。

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