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95 :向日葵になったら ◆KaE2HRhLms [sage] :2007/06/03(日) 13:49:08 ID:biq4Qk+P  朝の9時。山川の自宅のドアの前。  音符のマークが書かれているチャイムを押して、頭の中で3秒数える。  続いて3回、金属製のドアをノックする。反応はない。  だが、山川の自宅に来る前に連絡をしているから、起きていることは間違いない。  間もなくでてくるだろうと見当をつけて、ドアの前で待つことにする。  山川の住むアパートは築5年ほどの建物で、僕の住むアパートよりもだいぶ綺麗だ。  その分家賃は高いのだろうけど、娘を持つ親としてはそれなりにいいところに 住ませたいのかもしれない。  廊下の手すりに肘をついて、空を見上げる。  寂しそうな空だ、と思った。  空には青と、馬鹿みたいに白い雲が広がっている。  鳥が飛んでいる。時々現れては、円を描いて飛び、どこかへ行く。  空と地上を隔てるものは人工的な建物だけだった。  ここが田舎の村だったらまた違う景色が見られるのだろう、と意味も無く考えた。  昔――小学生のころだったか、詩を書いたことがある。  空を題にした詩だった気がする。いや、詩というよりポエムだったかもしれない。  まあ、どちらでもいいんだけど。  散歩しているときに見上げた空の青さに、僕は疑問を持った。  思いをそのまま文章にして、先生に見せた。  先生の感想はあたりさわりのないものだった気がする。  空がなぜ青いのか。それは、空の向こうにあるものの色が濃い青だから。  だんだん白やその他の色が交じり合っていき、地上から見たときにはすっかり薄くなった 青が見られる、というのが詩の内容だった。  今の僕が書いたなら、内容は違うものになる。  地上から見た空が青いなら、空の向こうから見た地上はどう見えるのだろう。  衛星からの写真では、地上の様子がそのまま映されている。  では、空はどこにあるのだろうか。  きっと空は存在していない。空の青は人の目が見せる錯覚。  とでも書くのだろう。  ここまで感傷的な気分になっているのは、失恋のショックから立ち直れていないからだ。  一晩寝たらまともになるかと思っていたら、むしろ逆。さらに憂鬱な気分になってしまった。  本当に辛い食べ物はあとになって辛さを知覚できるというが、失恋にも同じものが あるのだろうか。 「そんなわけ、ないか」 96 :向日葵になったら ◆KaE2HRhLms [sage] :2007/06/03(日) 13:50:24 ID:biq4Qk+P 「おはよう、北河君!」  後ろから山川の声がした。振り向いて挨拶を返す。 「おはよう、山川」 「……うわ、ひどい顔だね」 「失敬だな、君は」  どれだけひどい顔をしているのだろうか。  顔に手を当ててみる。特に変わった様子はないと思うのだが。 「今の北河君の顔を、喩えてみようか?」 「必要ないよ」 「まあ、そう言わずに。えっとね、念願の車を買えた男、が」 「が?」 「目の前で突然爆発した愛車を見てしまったときの顔、だね」 「それはひどいな」 「ちなみに、爆発はテロリストの仕業です。しかも生き別れの弟」 「そこまで詳しく設定を作らなくても良いから」 「全てを知った男は車の仇を取るために、生き別れの弟と戦う決意をするのです」 「そっか……さよなら」  背中を向けて、立ち去ることにする。  山川なりに元気付けているというのはわかるが、付き合う気分じゃない。  数歩進んだあたりで、山川が僕の肩を掴んだ。 「ま、ま。そう不機嫌にならずに、部屋に上がっていきなよ」 「……いや、もういいから」 「お姉さんが体と甘い言葉で慰めてあげるから」 「僕と君は同い年だし、慰めもいらない」 「そういや、そうか。じゃあ、お酒の力を借りるとしよう。  お酒を浴びるほど飲めばきっとエネルギーが充填されるよ」 「お酒? また?」 「そ」  山川が言うには、部屋に大量のビールと日本酒、焼酎まであるらしい。  僕はいろいろ考えた末、山川の提案をのむことにした。  僕はアルコールが好きじゃない。缶ビール一本にしても明らかに単価が高いし、 たいして美味いと感じることもないからだ。経済的じゃないし、味も悪い。  山川と飲んだときは同席した以上仕方ない、という感情が働いていたから飲んだ。  友人と飲むときも軽く飲む程度で、飲み屋のトイレや床に吐いてしまうほど飲んだり、 二日酔いになるほどコップを忙しく動かしたりしない。  けれど、今日は飲みたい気分だった。  僕は山川に手を引かれて、部屋の中へ入ることにした。  山川の部屋の中は、意外なほど綺麗で、まるで雑草を刈った後のようにさっぱりとしていた。 97 :向日葵になったら ◆KaE2HRhLms [sage] :2007/06/03(日) 13:52:35 ID:biq4Qk+P  僕がビールを何本飲んだか忘れるほど飲んで、山川がビールを2本と焼酎一升と 日本酒を半分ほど片付けた時点で夕方の7時になり、僕は家に帰ることにした。  酔っているくせに正気を保とうとして目の前の光景をじっと見つめるのは僕の癖だ。  僕の目が狂っているのでなければ、山川がタクシーを止めようとして道路に寝転んだ という光景は嘘ではないことになる。  大の字になって寝転んだ山川を僕は当然起こした。  車の通りが少ない場所でやったからいいものの、どこでも人の目はあるもので、 やはり僕と山川は奇異の目で見られることになった。  電信柱に寄りかかりながらタクシーが来るのを待ち、運よく目の前で止まったタクシーに 乗り込んで僕はアパートに帰ることにした。  しかし、なぜか山川までもが僕の家についてきた。  山川がついてきていることに気づいたのは部屋の鍵を開けて、中に入った時点でだったが。  山川は僕の部屋に入ると同時に、トイレへ向かった。  僕はその間に水を一杯飲み干した。  コップを2つ用意してインスタントコーヒーの粉を入れる。  空になっていた電気ポッドに水を入れて沸騰するまで待ち、電子音が鳴ってから コップにお湯を注いでいく。全ての動作がいつも通りに行えた。  僕は居間のテーブルの上にコーヒーを置いて、口をつけずに山川を待った。  山川は勢いよくトイレのドアを開けて出てきた。  居間から山川の様子を観察する。  山川はまず、手を洗った。台所の流し台の前に立って、蛇口をひねり手を濡らして水を止めた。  その後居間に向かってくるかと僕は予想していたのだが、違う動きが見られた。  山川は首を下に曲げてじっとしたあと、しゃがんで流し台の下を見ながらぼーっとした。  そして、何故か笑った。  何が面白かったのかはわからないが、声も出さずに肩を揺らして満面の笑みを浮かべていた。     山川はしゃがんだまま、流し台の扉を背中にしてもたれかかった。  僕を見ると、左手首で手招きした。 「北河君、ちょーっと、こっち来て」  僕はおかしな山川の様子に不審を抱きながら、台所へ向かうことにした。  山川と目線の高さを同じにして、問いかける。 「なに? どうかした?」  「いやー、なに、聞きたいことがあってさ」  遊んでいるときと同じ声だった。  時々、笑い声を漏らさないようにして口を手で覆う。 「ぷくく……あのさ、北河君の好きな人って、誰?」 「誰って、それは……」 「部屋で飲んでいるときもさ、教えてくれなかったでしょ」 「別に言う必要ないだろ」 98 :向日葵になったら ◆KaE2HRhLms [sage] :2007/06/03(日) 13:54:20 ID:biq4Qk+P  話をそこで終わらしたかったので、立ち上がることにした。  が、山川が僕の手をいきなり引っ張ってきたので、前のめりに倒れた。  危うく衝突しそうになったところで手を流し台について、こらえる。 「こら! いきなり……」  何をするんだ、と言葉を続けようとしたのだが、山川の予想外の動きに封じられた。  山川がいきなり僕の頭を抱きかかえた。  両手で僕の頭を包み、体で受け止めている。山川の胸に僕の顔は沈んだ。  僕は全力で山川から離れようとしたのだが、加えられている力は僕の力と拮抗していて、 拳ひとつ分しか距離をとれなかった。 「は、離せ……」 「それはできないよ。正直に答えてくれるまではね」 「誰が、言う、もんか」  喋り続けながらも離れる努力をしているのだが、状況は変わらない。 「もしかして……私?」 「…………は」 「北河君の好きな人って、私なの?」  それはない、という答えが最初に浮かんだので、言おうとして口を開いた。  だが、言葉は出てこなかった。山川の目が僕の目をまっすぐに見つめていたから。  山川の目が語っていた。本当のことを言え、と。  まず、山川の問いに答えを返す。 「僕が好きな人は……山川じゃない」  自分でも驚くほど、鮮明に言葉にできた。僕が好きな人は、山川じゃない。  山川は僕の答えを聞くとふーん、と言いながら何度か軽く頷いた。  僕を睨み付けているように見えるのは、目の錯覚なのだろうか。 「それはつまり、他に好きな人がいるってことでしょ」 「まあ、そうだけど……」 「誰なのかな? 北河君の好きな女性は」  僕の頭に加えられていた力はすでに弱まっていた。  逃げようと思えば逃げられた。けれど、今度は山川の問いに動きを封じられた。  僕が好きな人は、さつき姉だ。でも、それを口にしてもいいのか?  昨日、さつき姉への想いを断とうと決めたばかりじゃないか。 「僕は……」 「あ、迷っている顔。本当は誰が好きなのか自覚しているのに、答えることを躊躇っている」 「……違う」 「答えを口にしたら辛くなるとわかっているから、口にしたくない。そうでしょ?」 「違うって、言ってるだろ」 「ガキみたいな恋愛してんじゃないよ」 99 :向日葵になったら ◆KaE2HRhLms [sage] :2007/06/03(日) 13:55:45 ID:biq4Qk+P  山川の顔と声が変容した。一瞬、情けなくも思考が停止した。  今まで見たことのない、厳しい目が僕を見つめている。 「まだ好きなくせに、なんでごまかそうとするの?」 「……」 「今日一日中観察してて思ったけど、自分をごまかそうとしているようにしか見えなかった。  それってさ、ただ嫌なことから逃げているだけだよね。自分の気持ちからさ」 「な……」 「何も言ってないんでしょう? 好きだとか愛しているとか。  面と向かって振られたわけでもないのに、なんで諦めるの?」 「それは……山川だって……」  山川は、一度不敵な笑みを浮かべてこう言った。 「私ね、花火大会の次の日に起きたら、すぐ電話して聞いたよ。彼氏に。  そしたらね、向こうから謝ってきた。色々あってむしゃくしゃしてたんだって言ってた。  あれは間違いだった、ごめん。って、そう言われた」  だからあの日、やけに声の調子が良かったのか。  僕が無言でいると、山川が優しい顔をして口を開く。 「もし私が諦めてたら、たぶん破局してただろうね。  諦めずにもう一度話してみたから、やりなおすことができた。  北河君も同じじゃないの? 想いが伝わるかもしれないよ。やってみる価値はある」 「…………そうかもしれない」 「そうかも、じゃなくて。やるだけの価値はあるの。私が言うんだから間違いない!」  説得力のある言葉だった。  持つべきものは友達。まさにその通りだ。  今なら、さつき姉に告白することもできそうだ。 「にひひ……すっかり乗り気になったみたいだね。  それじゃあ、言ってみなよ。私を相手だと見立てて、告白してみて」 「ちょっと待て。なんで山川にそんなことを……」 「予行練習ってやつよ。さあ、ばっちこい!」 「野球部じゃあるまいし……」  でも、冷めないうちに今の気持ちを言葉にするのもいいかもしれない。  今日は酔っているからさつき姉に電話はできないし、会うこともできない。  相手が山川というのはとても、すごく不満だけど。 「む、何か言いたそうな顔をしているね。私じゃ不満?」 「まったくもってその通り……じゃなくて、不満じゃないよ。うん」 「……いろいろ言いたいことはあるけど、今日はやめとく。  それじゃあさ、言ってみて。はっきりと、大きな声で」  大きな声では言わないけど、はっきりと口にする。 「僕が好きな人は、さつき姉だ。  今さら言っても遅いんだけど、自分の気持ちはごまかせない。  僕は、さつき姉と一緒に居たい」 100 :向日葵になったら ◆KaE2HRhLms [sage] :2007/06/03(日) 13:58:26 ID:biq4Qk+P  僕がそう言うと、山川は紅くなり、俯いた。  あまりにおかしかったので、僕は笑った。山川が僕を見て紅くなるなんて、初めてのことだった。 「笑わないでよ、こっちだって笑いそうなんだから」 「だってさ……その顔を見て笑わずにはいられないって」 「北河君の告白の方が面白いって。しまったな、録音しておけばよかった」  のちのちネタにできたのに、と山川は呟いた。  僕が立ち上がると、山川もふらふらしながら立ち上がった。  山川が帰るというので、僕は電話でタクシーを呼んだ。  アパートの下まで送っていこうとしたのだが、山川は1人で大丈夫、と言ってドアをくぐった。  ドアの前に立って背中を見送っていると、山川が僕の方を振り向いてこう言った。 「流し台の下、開けてみて」  山川は千鳥足で階段まで向かい、手すりに掴まりながら下へ降りた。  僕はドアを閉めて、鍵をかけてから、座り込んだ。  続いてため息をつく。もう一度、今度は肺から息を全て吐き出すつもりで嘆息する。 「何をやってんだ、僕は……」  酔った勢いとはいえ、とんでもないことをしてしまった。  よりによって山川に、さつき姉へ向けた告白の言葉を聞かせてしまうとは。  恥ずかしい。録音されていなくてもこれから酔った勢いで同じ話をされてしまうかもしれない。  ため息を吐きながらドアに向かって、頭突きをする。頭に突き刺すような痛みが走った。  めんどくさいので、電気を消して玄関で寝ることにした。  頭がぐるぐる回っていていたが、混濁の渦に意識を置いているとすぐに眠くなった。  しかし、目が覚めた。部屋の中から物音が聞こえたのだ。  ドンドン、という音は流し台の下、さっき山川が背中をつけていた場所から発せられていた。  猫でも入り込んでいたのだろうか?立ち上がって、電気をつける。  まだ音は続いていた。おそるおそる手を伸ばし、流し台の下の扉を開ける。 「……」  絶句した。ここにいるはずのない存在がいたことに。  なぜ流し台の下にいるのか、理由がまったくわからない。  さっきのやりとりを聞かれていたことは当然聞かれていたはず。無性にさけびたくなった。  しかし、その人が持っているものが包丁であることがわかって、叫ぶ気は失せた。 「さつき姉、何してんの……?」 101 :向日葵になったら ◆KaE2HRhLms [sage] :2007/06/03(日) 13:59:55 ID:biq4Qk+P  流し台の下にいたのは、さつき姉だった。口にハンカチをあてている。  僕が手を差し伸べると、さつき姉は手に捕まって這い出してきた。  ようやくハンカチを手から離すと、大きく深呼吸を数回して、僕に向き合った。 「早く気づいてよ! 流し台の下って臭いから息ができなくて声は出せないし!  驚かせようとして入り込んだはいいけど狭いから出てこられなくなったし!」 「いや、隠れる必要もないでしょ。……って、いつからいたの?」 「惣一が帰ってきたとき。声が聞こえてきたから、咄嗟に隠れたのよ」 「どうやって部屋に入ったの?」 「鍵、開いてたわよ」 「なるほど……」  思い出してみると、今日は部屋を出て行くときに鍵をかけなかったかもしれない。  さつき姉の着ている服は白いブラウスとジーンズだったが、上下共に黒く汚れていた。  さつき姉は右手で髪をいじって、汚れをチェックしている。  そして、左手には包丁が握られている。 「ねえ、なんで、包丁を持ってるの……?」 「え、それはもちろん山川さんを……」 「え」 「じゃなくて、暗闇に不安になったから握っちゃったのよ。防衛本能よ、防衛本能」 「あっそ……」  頭をかきながら俯いて、ため息をひとつ。まったく人騒がせな。  だいたい、なんで僕の家に来てるんだ?恋人の家にいるはずじゃないのか? 「さつき姉、恋人は?」 「恋人? ……あーあー、あれね……うふふ」 「なに、その勝ち誇ったような笑顔は」 「う、そ」 「う、そ?」 「あれね、お母さんに頼んで一芝居うってもらったの」  えっと、つまり……恋人がいるっていうのは嘘?  僕が昨日あれだけ落ち込んだのは一体なんだったんだ。  いくらなんでも悪質すぎるいたずらだろう、これは。 「さつき姉、さすがにこれは僕でも……」 「ここに引っ越すとき、惣一は何も言わずにどこか行っちゃったでしょ?  その仕返し。どう? 同じことをやり返された気分は」 「……返す言葉もございません」  満足そうな笑顔でうなずくさつき姉。  僕はさつき姉の笑顔を見て、からからになっていた心が潤っていくのを自覚した。 102 :向日葵になったら ◆KaE2HRhLms [sage] :2007/06/03(日) 14:01:52 ID:biq4Qk+P 「結果としては、成功だったかしら。惣一は正直になったみたいだし」 「なんのことを言って…………あ」  今度こそ、僕は凍りついた。  僕は山川との会話で、さつき姉への気持ちを口にした。  そしてさつき姉は流し台の下にいて、それを聞いていた。  頭を抱えて座り込みたい。床を突き破って一階に下りて住人に謝って逃げ出したい。  顔から火が吹きそうだ。流し台の下に隠れたい。 「私のこと、好きなんでしょ?」  知っているくせにあえて言わせようとするさつき姉。  微笑んで、僕の言葉を待っている。  恥ずかしいけど、僕は言うべきなんだろう。 「うん。僕は……さつき姉のこと…………好きだよ」  面と向かって言いたいが、首が重くて持ち上がらない。  床に向けた視界の中に、さつき姉の足が現れて、白い腕がすぐ目の前に来た。  呆然とする僕の体を、さつき姉が抱きしめた。  耳元で、さつき姉の口から小さな呟きが漏れる。 「私も、もちろん惣一のことが好き。もちろん、1人の男として」  何を言われたか、わからなかった。  だって、さつき姉が僕のことを好きだ、って、今……。 「やっぱり気づいてなかったわね。今さらだけど、ここまで鈍いとは」 「だって、さつき姉他に好きな人がいるって、昔」 「あのね……昔からずっと一緒にいるのは、惣一だけでしょ。他に居た?」  過去の記憶を全て振り返る。そして出た結論。 「居ない、ね」 「ちょっと考えればわかりそうなものだけど。あの時はっきりと言っておけばよかったわ。  でも、いいか。結果としては、上手くいったんだから」  さつき姉の腕に力が込められた。僕は、より強くさつき姉を感じられた。   上手く動かない手を動かして、ゆっくり、壊さないように抱きしめ返す。  くすぐったかったけど、離れる気にはならなかった。ずっとこうしていたい。   「そうだ、惣一。罰ゲームのことだけど」 「うん」 「罰ゲームとして、惣一には私と結婚してもらうから」  ……なんだって? 「けっ、こん?」 「そう、結婚。これでずぅっと、一緒に暮らせるわね」  嬉しさと驚き。思考が停止するかと思いきや、逆に冷静になってきた。  自分はまだ大学一年生であること、さつき姉とは離れて暮らしていること、 親御さんへ向けた挨拶の言葉、自分名義の銀行口座の残高。  それら全てを同時に考えていると、さつき姉が僕の耳元に口を寄せた。  溢れる感情を堪えきれないのか、さつき姉は涙声でこう言った。 「絶対に、離さないからね」

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