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234 :ことのはぐるま ◆Z.OmhTbrSo [sage] :2007/06/07(木) 22:53:14 ID:RsTTLffE 第十四話~雄志の告白~ 「1170円になります」  コンビニ店員の声を聞いて、千円札と100円玉を2枚レジに置く。  店員はそれを素早く手にとると、慣れた手つきでレジを打つ。 「30円のお返しになります。ありがとうございました」  レジ袋を手にとって、コンビニエンスストアの自動ドアを通り抜ける。  季節はまだ2月。昼間の格好で出歩くには少々寒い。  俺が1人でコンビニへやってきた理由。それは、今日の夕食と明日の朝食を買うためだ。  夕食と朝食だけで1170円も払うほど、俺はブルジョワジーではない。  ではなぜ1170円分の食料を買い込んだのか?もう1人の非ブルジョワジー人間のためだ。  天野香織の胃袋は、世間的によく囁かれるように甘いものは別腹、というものらしい。  俺は2食共カップラーメンだ。合計しても300円を越すことはない。  残り900円近くのパンや弁当は香織の分である。その差、3倍。  歩きながら考えてみる。  香織が活動する際に消費されるエネルギーは俺の3倍を越すのだろうか?  高校時代にリサーチしたところ、香織の身長は165cmだという。  ちなみに俺は就職していたころに受けた最後の健康診断で、171cmだった。  体格ならば俺のほうが大きい。よって香織の燃費の悪さは別の要因が絡んでいることになる。  男女の身体構造の違いによってエネルギーの消費量が異なる、というのはどうか。  女性が活動する際、男性よりもエネルギーを多く消費する。  なるほど、1番合点がいく仮説だ。しかし、納得のいかないところもある。  なぜ若い女性はあれほどダイエットに熱心なのか?  女性の内臓と筋肉のエネルギー消費量が男の数倍あるならば、女性がダイエットをする必要はないはずだ。  女性全員が男の数倍の食料を毎日摂取しているとも考えられるが、昔から知り合いである幼馴染の 食事量を考慮してみると、疑問点が残る。  以上を踏まえた結果、身体構造説は否定される。    ……馬鹿なことを考えて退屈を紛らわすのはやめよう。答えはわかっている。  香織の食欲が人一倍旺盛である。これが答えだ。  そうでもなければ、2人合わせた所持金5720円からビジネスホテル代4500円を引いた結果残る、 1220円いっぱいに食料を買ってきてくれ、とは言わないだろう。  ホテル代を出してくれた香織の手前、俺に反対する権限はなかった。  そんなに食べたら太るぞ、と危うく口にしそうにはなったが。  ぼんやりと思考しながら歩いていると、ビジネスホテルに到着した。  壁に貼ってある料金表を見る。シングルルームに一泊して4500円。  高いのか安いのかはわからないが、2人で宿泊しても値段が据え置きだというのはお得だ。  贅沢は言えないが、できるならば2部屋あれば有り難かった。  今夜、俺は香織と同じ部屋で一晩を越さなければならないのだ。  仕切りでもなければ、落ち着いて寝られるものではない。 235 :ことのはぐるま ◆Z.OmhTbrSo [sage] :2007/06/07(木) 22:57:39 ID:RsTTLffE  今夜俺たちが泊まる部屋は3階のエレベーターの近くの部屋、301号室である。  エレベーターから降りると、すぐそこにカードの自販機があった。一枚、千円。  このカードを使うと部屋のテレビである種の娯楽番組が見放題になるという、特殊なカードだ。  以前旅行をしているときはお世話になったものだ。だが、もう利用しようとは思わない。  なぜなら、翌日になると購入したことがとても馬鹿馬鹿しく感じられるから。  その寂しさたるや、1人で対戦型の戦術シミュレーションゲームをおこなったがごとし。  今夜は、いかなる理由があろうとも購入しないし、そもそも購入できない。  寂しさを味わう心配はしなくてもよさそうだ。  部屋をノックして、しばらく待つ。ドアの隙間から声がした。 「……残酷の」 「世界史」  合言葉を交わすと、ドアが開いて香織の姿が目に入った。  香織は俺の手からコンビニの袋をひったくると、数個のパンと弁当を取り出して奥へ向かった。  放置されたビニール袋の中にはカップラーメンが2つ。  さすが長年の付き合い。俺が何を買ってくるかよく分かっている。  俺は味噌ラーメンをとりだすと、包みを破り、沸かしておいたお湯を注いだ。  そして3分待つ。待つ時間は嫌いではない。食べる時間は大好きだが。  椅子に座って味噌ラーメンを食べながら、ベッドの上で食事する香織を見る。  手に持って集中して食べているのはチキン南蛮弁当だ。香織の好物らしい。  ときどき顔をしかめると、むせたように胸を叩く。  そのたびに手が胸に沈むが、あさっての方向を向いて意識しないことにする。  実は、俺は緊張しているのだ。香織と一晩を過ごすというこの状況に。  いくら親友相手とはいえ、俺の審美眼が麻痺することはない。  香織は可愛い。これは、中学時代から俺が思っていたことだ。  目は綺麗な形をしているし、肌にはしみひとつない。  香織のちょこまかした動きに合わせるように動く髪には茶色が軽く混じっていて、 柔らかい雰囲気をかもし出している。  さらにスタイルもいい。24歳になっても保たれている童顔と、出るところが出て引っ込むところが 引っ込んでいるスタイルの組み合わせは、人によってはたまらないものだろう。  俺自身、高校時代はときどき香織に見とれていた。  昔を思い出しながら香織を見ていると、容姿にほとんど変化が見られないことに改めて気づく。  うらやましいやつだ、と心の底から思う。  香織は弁当を残らず食べ終わると、両手を合わせた。 「ごちそうさま。……ああ、美味しかった」  目をつぶりながら喋る香織の頬は、嬉しそうにほころんでいた。  俺もカップラーメンを完食して、ゴミ箱に突っ込んだ。  香織はベッドから下りると、テレビのリモコンを掴んで、またベッドの上に座った。  その一連の動作をなんともなしに見ていたのだが、不意にここがどこであるのか思い出した。  ビジネスホテル。男も利用する場所である。  男が何もない場所で一晩すごすとき、一体何をするのか。  言うまでもなく、俺はわかっている。だというのに、なぜ気づかなかったのか。  テレビの電源を入れたとき、最初に映るものがなんであるかということに。 236 :ことのはぐるま ◆Z.OmhTbrSo [sage] :2007/06/07(木) 22:59:19 ID:RsTTLffE  テレビの電源を入れる音が聞こえたときには、遅かった。  もしかしたら違うものが映るかも、という俺の期待にテレビは応えてくれなかった。  リモコンの信号に応えたテレビが、音を出す。女性の嬌声を。 「あ、あっあっあっあんっ、だ、めぇぇぇ」  テレビに映し出されたのは、予想通りエロ番組だった。  一瞬目に入った画像から推測するに、OLが会社でセックスをしているようだった。  すぐに目をそらし、うなだれて、ため息を吐く。  こんなものを見たら、香織は一体どんな反応を示すものやら。  首を倒したまま、ちらりと香織を見る。 「…………」  ベッドに座り、リモコンを持った手は伸ばしたまま、呆然とした顔でテレビを見ている。  まばたきをすることすら忘れたように、じっと前を向いている。  意外な反応である。てっきり顔を紅くしてテレビを消すかと思っていたのだが。  テレビから漏れる音は、男と女の体がぶつかりあうものだった。  時々水音が混じり、段々ペースが速くなっていく。 「あぁぁぁあ、く、るぅっ! いっちゃう、いっくう、い、っっくぅぅぅぅ!」  香織の目が大きく見開かれた。……と思った瞬間だった。 「……以上の理由から、私は法案成立には反対です」  テレビの画面が、男女の裸がぶつかり合うものからスーツを着た初老の男たちが意見を述べる ニュース番組へと勝手に切り替わった。  今日ほどテレビの向こうにいるおっさんの声に安らぎを覚えることはない。  今だけ、感謝の言葉を述べるとしよう。たまには役に立つな。ありがとう。  香織はというと、あからさまに面白くなさそうな顔をしていた。  玩具を取り上げられたような子供の表情は見ていて面白いが、変でもある。  何を不満に思っているのだろうか。 「香織」 「ふひゃぁっ! ……あ、なに、雄志……くん」 「どうかしたのか? ぼーっとして」 「あ……ううん、何でもないよ」 「何でもないようには見えないんだがな。もしかして、お前……」 「え、えっ! ち、違うにょ、ボクはそんなつもりじゃ……」 「ああいうのを見るのは、初めてなのか?」  首をすさまじい勢いで振っていた香織は、俺の言葉を聞いて動きを止めた。  天井を見ながら何かを考える仕草をすると、無理矢理つくったように笑う。 「そ、そう! 実は見たことがなくって、それでびっくりして」 「まあ、女なら無理もないか」 「……うん、聞いたことがあるだけで、どんなものかは……」  そこで言葉を止めると、香織は俺の顔を見た。  そして、ちらりと視線を下に動かした。 「あんなもの、入るのかな……」 「あんなもの?」 「あ……なんでもない! ボク、お風呂に入ってくる!」  香織はベッドから飛び降りると、浴室へと飛び込んで、勢いよく扉を閉めた。 237 :ことのはぐるま ◆Z.OmhTbrSo [sage] :2007/06/07(木) 23:01:06 ID:RsTTLffE  2人とも風呂から上がり、歯磨きを済ませたころには窓の外はすっかり暗くなっていた。  香織は部屋にあらかじめ用意されていた浴衣を着ていた。  せっかくだから着てみた、と言うのだが、見ているほうが寒くなる。   風邪をひかないよう暖房を入れて、さて寝ようかと思ったのだが、ここで問題が発生した。 「実は俺、ベッドで寝ないとむちうちになるんだ」 「それは初耳。ボクが華ちゃんと一緒に雄志君の家に泊まったときはそんなこと言わなかったよね」 「ああ……実は違うんだ。枕が代わると俺は寝られなくって」 「中学と高校の修学旅行では爆睡してたよね」  手ごわい。どんな理由を並べても反論でねじ伏せてくる。  この部屋にあるベッドはひとつ。当然、ベッドの上で眠れるのは1人だけ。  香織は床では眠りたくないようである。それはそうだろう。俺だって同じだ。 「香織、俺は寝癖が悪いらしいんだ」 「……それで?」 「寝ている間にベッドをひっくり返すこともあるらしい。そうならないためにも、ここはひとつ……」 「しつこいよ、雄志君。ボクがホテル代を出したんだから、ボクがベッドで寝るの!」 「ぐっ……」  代金のことを言われては、どうしようもない。  しかし、こうなったのは俺のせいなのか?  俺が普段から金を持ち歩いていないわけではないのだ。  香織が俺の財布の中にいる千円札を全滅させるほどケーキをバカスカ食べたのが悪いのだ。  奢ると言ったのは俺だが、いくらなんでも遠慮というものをすべきだろう。  香織は俺がひるんだ隙に、ベッドに横になって布団を被った。 「雄志君は床に寝ること! 枕だけは恵んであげるから」 「……この暴食女」 「ん、何か言った? 廊下で寝るほうがいい?」 「わかったわかったわかりました! 寝ますよ、寝ますともさ」  仕方なく部屋に用意されていた予備のシーツを被って、床に寝転ぶ。  絨毯が敷かれているが、眠れるほどの弾力はない。  これなら俺の部屋にあるつぶれた敷布団のほうがマシである。  枕に頭を埋めて、目を閉じる。眠れ眠れ、と念じてもやはり眠くならない。  それは床の固さのせいではなく、部屋の電気が点いたままだからだ。 「おい、香織」 「ひぇっ! 待って、まだ準備が……」 「ベッドの横に蛍光灯のスイッチがあるから、消してくれ」 「……ああ、そうだね。電気が点いてたら、眠れないもんね」  香織の言葉とともに、部屋の電気が消えた。 「おやすみ、香織」 「おやすみなさい……雄志君」 238 :ことのはぐるま ◆Z.OmhTbrSo [sage] :2007/06/07(木) 23:03:39 ID:RsTTLffE ・ ・ ・ 「また、泣いてるのか? 香織」 「だって、もう雄志君と会えなくなる、なん、って……」 「あのなぁ、一緒の会社に就職できなくても、会うことはできるだろ?」 「でも……この町じゃなくて、ずっと遠くの町に引っ越しちゃうんでしょ。  そしたら、偶然会うことだってなくなっちゃうよ」 「たまに連絡をとりあえばいいだろ。電話してくれればちゃんと話すって」 「嘘だよ……就職しちゃったら、忙しくってボクのことなんか気にしなくなって……  同じ会社の女の子にかまうようになって、電話の相手もしてくれなくなるんだ……きっと」  高校からの帰り道、嗚咽を漏らす香織をなだめながら俺は歩いている。  数週間前、俺と香織は同じ企業の面接を受けた。  結果として俺は内定をもらったが、香織には薄っぺらい封筒が届いた。  香織と同じ会社に就職できたらいいな、と俺は思っていたが現実はやはり甘くない。 「ね、内定を蹴ったりは……しないよね、やっぱり」 「さすがにそれはできないな。他の会社は全滅だし」 「うん……あ、そうだ! ボクと一緒に暮らさない?」 「はあ?」 「雄志君が引っ越したところに、ボクも一緒に住むの。  ボク、家事はそれなりにできるし、アルバイトもする! だから……ね?」 「ね?じゃないだろう。まったく……そんなに嫌なのか? 俺と会えなくなるのが」 「……そんなの、当たり前でしょ。雄志君は違うの?」 「そりゃ、同意見ではあるけどな」 「だったら!」 「駄目といったら駄目だ」 「うぅぅ……」  香織が顔を覆って立ち止まり、再び泣きはじめた。  髪の毛が顔を隠していて、香織の顔は見えない。  けれど、地面に落ちていく涙は見える。どうしたものか、これは。  俺と会えなくなるのが嫌、俺と連絡を取れなくなるのが嫌。  ……なら、連絡が取れればいいのか? 「香織、携帯電話貸してくれ」 「……ぅぇ? ケータイ……?」 「メールなら電話より気軽にできるし、いつでも見られるから。それならどうだ?」 「ボク、ケータイ持ってないんだ」 「なら、買えばいいだろ」 「今月、お金ない……」 「はあ……わかった。俺が買ってやるよ。新規で買えば安くつくし」 「…………いいの?」 「ああ」  このときに浮かべた香織の笑顔は、見ている俺が嬉しくなるほどに輝いていた。  次の日に2人で電気店へ行き、香織のために携帯電話を買った。  銀色の、1番安い携帯電話だったけど、香織はすごく喜んでくれた。 239 :ことのはぐるま ◆Z.OmhTbrSo [sage] :2007/06/07(木) 23:06:07 ID:RsTTLffE ・ ・ ・  ふと目を覚ました俺は、まだ夢の中にいるのかと錯覚した。  香織のむせび泣く声が、静かな部屋に響いていたのだ。  体をベッドの方へ向ける。香織の姿は見えないが、泣き声はよく聞こえるようになった。 「ひっ……く、ひっく………う、ぅぇぇぇ……」  俺はまず、何かしてしまったのか、と自分を疑った。  今日一日を振り返ってみても、香織を泣かせてしまう理由は見当たらなかった。  まとわりつくシーツをどけて体を起こし、ベッドの上に肘を乗せて香織を見る。  布団は肩にかかっていて、寒そうには見えなかった。  部屋の空気に触れているのは頭と、両手。両手で何かを握っているように見える。  暗くてよく見えないが、目をこらすと形だけはわかった。  たった今見た夢の中で、香織に買ってあげた携帯電話だ。 「……あ…い、たいよ……会っ…話し、たい…………の、っく……に……  いなく、な……ぁないで……ボクと……いっしょに……いようよ……」  続けて、寝言で俺の名前を呼んだ。消えてしまいそうな声だったが、確かに呼んだ。  寝ている香織に喋りかけても、聞いてはくれないだろう。  香織の手を握る。ひんやりと冷たい。細すぎて、簡単に折れてしまいそうだ。 「ん……あったか…………だぁれ……」  香織の声が、少し覚めた。聞こえるか、聞こえないかぐらいの声で呼びかける。 「起きたか? 香織」 「ああ、うん……雄志君だぁ……あれ? なんでボクの手を握ってるの?」 「え、ああ、これはだな……」  つい香織の手を握ってしまったが、俺は何をするつもりだったのだろうか。  香織の目が俺を見ている気がする。とりあえず、話を逸らそう。 「その携帯電話って、俺が買ったやつか?」 「……これ? うん、そうだよ」 「もう4年以上経ってるのに、なんで替えないんだ?」 「……これじゃないと、駄目なんだ。他のケータイは持ちたくない」 「そっか」  短く答えて、それ以上は問い質さないことにする。  香織にも好みがあるのだろう。それに、物を大事にするのはいいことだ。 「ねえ、雄志君。理由は聞かないの?」 「理由があるのか?」 「理由がなくちゃ、同じケータイを使い続けたりはしないよ。  ……理由はね、雄志君を身近に感じられるからなんだ。  雄志君を身近に感じたいから、ボクはずっと同じものを使ってるの」 「そうだったのか……」  香織がそこまで俺と会いたがっていたなんてな。  昔から何をやっているんだ俺は。香織を泣かせてばかりだ。 240 :ことのはぐるま ◆Z.OmhTbrSo [sage] :2007/06/07(木) 23:08:34 ID:RsTTLffE  ベッドの脇にあるランプのスイッチを入れる。  控えめな明かりは、香織の顔と、ベッドを照らしてくれた。  目を細めて光の明るさに慣れてから、香織の様子を再確認する。  肩には布団が乗っていたが、足は布団の外に出されたままだ。  香織は浴衣を着ているので、自然と生足が目に入る。  白い足から、慌てて目をそらす。見とれてしまうところだった。 「どうかしたの?」 「いや……それより、さっきから足が出てるぞ。それじゃいくら暖房を効かせても同じだ」 「……ニブチン」 「誰がニブチンだって……、!?」  香織は布団を跳ね除けると、俺に全身を見せた。  さっきまで眠っていた香織が着ている浴衣は乱れていた。  浴衣の端から下着がのぞいていて、ふとももは丸見え、胸の谷間まで見える。 「ボク、やっぱり魅力が無いのかな」 「いや、そんなことはないぞ」  この場にいるのが俺以外の男なら、すぐに狼になっているだろう。 「じゃあ、どうして雄志君はボクを……抱いて、くれないの?」  予想外の言葉に心臓をつかまれて、揺さぶられたような気がした。  俺が、香織を、抱く? 「ごめん。今日、ケーキをたくさん食べたのは雄志君と一晩過ごしたかったからなんだ。  いっぱい食べてゆっくりして、最終バスの時間を過ぎるようにしたんだ。  お金が無ければ、2人でホテルに泊まることになるだろうって、そこまで計算して」  ……全然、気づかなかった。 「一緒の部屋に泊まれば、もしかしたら雄志君がボクを抱いてくれるかな……って。  でも、やっぱりボクじゃ無理なんだね……雄志君をその気にさせるのは」  香織は手で顔を覆い、体を丸めた。そして、泣き始めた。 「ごめん、ごめんね……勝手なことしちゃって」  泣かないでくれ。俺は、お前を泣かせたり、悲しませたくないんだ。 「ただの友達には、そんなことできないよね……」  違う。俺にとって香織は親友で……。  親友?本当に、それだけなのか?  俺は香織のことを、ただの親友としてしか見ていなかったのか?  ……違うな。香織を泣かせたくないと思う気持ちは、それだけじゃ説明がつかない。  俺は、他の友達よりも近くにいて、1番近くで香織の笑顔を見続けていた。  いつのまにか俺は、香織の笑顔をずっと見ていたくなっていた。  ああ、そうか……きっと、この気持ちは――ただの友達には湧かないものだ。 「香織、俺の話を聞いてくれ」 「いいよ、もう。慰めなんて……」 「好きだ。香織」  香織の嗚咽が乱れた。顔から手を離すと、涙に濡れた目で俺を見つめる。 「ぇ…………今、なんて……?」  何度も言わせるな。恥ずかしい。 「俺は、香織のことが好きだ。友達としてじゃなく……女として」 241 :ことのはぐるま ◆Z.OmhTbrSo [sage] :2007/06/07(木) 23:10:21 ID:RsTTLffE  香織の目から流れる涙は止まっていたが、その代わりに目は大きく開いた。  口は半開き。顔はでたらめに赤色系を塗りたくったように赤い。 「す、すすすすす、好きって、今、ぁ……雄志君、言った……?」 「ああ、言った。はっきりとな」  まっすぐな香織の目から目を逸らしたくもある。だが、ここで逸らしたら真剣さが伝わらない。  対する香織は目を逸らさない俺の様子に、何かを感じ取ったようだ。 「好き……ボクのこと、好き……雄志君が、ボクのことを、好き……」  ベッドに顔を伏せ、自分が聞いた言葉を忘れないよう、反芻している。  香織は呟きを止めると、ベッドの上に正座した。 「香織はどうなんだ? 俺のことがまだ好きか?」 「はい! もちろん、当然、なにがあっても、好きなままです!」 「じゃあ……恋人になってくれるか?」  告白したんだから、あえて言うまでもない質問である。  しかし、俺と香織のような仲になるとお互い好きだと言い合っても、変化が薄い。  今までの関係とは違うとわからせるためには、聞く必要があるのだ。 「こ……恋人……雄志君と……」 「……」 「もちろん、OKです……こちらこそ、不束者ですが、よろしくお願いします」  ベッドの上で座礼をする香織。俺も同じように礼をした。  俺の中に常に存在していた、香織を泣かせたくないという思い。  その思いを抱く理由。それは、香織に対しての好意によるものだったのだ。 「……ふわぁぁぁ……へへへ」  香織はとろけた、ふにゃりとした表現が似合う顔で俺を見ている。幸せに浸っているようだ。  さて、このまま眠りについてもいいんだが……興奮して眠れそうにないな。 「香織」 「うん、なあに……?」 「抱いてもいいか?」  とろけた表情が一変、唇を横一文字にして固まった。 「抱くって、あの、テレビみたいに……?」 「まあ、そういうことだ」  香織の体を抱きしめて、ベッドに押し倒す。暖かいうえに、柔らかい。特に胸の辺りが。 「ま、待って……まだ、心の準備が……」 「安心しろ。やっていくうちに覚悟ができてくるから」  体の下にいる香織の顔を覗き込む。いったいどこまで紅くなるのだろう。試してみたくなってきた。  唇にキス、をするように見せかけて、頬にキスをする。触れた途端に柔らかくかたちを変えた。  続けて額、耳の下、顎の下にくちづける。一段と香織の顔が紅くなった。  最後に、唇にキスをする。 「んん…………ん……んんっ、……ぁ……………………ふぁ」  数秒唇を当てていると、香織の顔が横に向けられた。俺を避けたわけではなく、気絶してしまったようだ。  肩をゆすっても、頬を叩いても起きる気配はない。おあずけである。  香織を仰向けにして着衣の乱れを直し、布団をかける。俺は床に寝ることにした。  同じベッドで寝ていたら、ついイタズラしてしまいそうだったからだ。  ……次の機会があったら、香織をあまりからかわないようにするとしよう。 242 :ことのはぐるま ◆Z.OmhTbrSo [sage] :2007/06/07(木) 23:11:49 ID:RsTTLffE ・ ・ ・  電話の音で目が覚めた。携帯電話の着信音ではなく、室内に置いてある電話から音が出ていた。  かかってきたフロントからの電話によると、10時になる前に部屋を出てもらわないと追加料金がかかるらしい。  時刻は9時半。かなりギリギリである。  電話を切り、ベッドで寝息を立てたままの香織を起こす。 「起きろ、香織」 「ああ、ううん……おはよ、雄志君……、!!!」  香織は俺を見ると、ベッドを転がって、床に落っこちた。 「大丈夫か?」 「うん、なんとかね……って、駄目だよ! 朝から、その、し、しようだなんて……」 「何を根拠に言っているのかわからんが……そういうつもりじゃない」  いぶかしげな顔の香織に事情を説明する。  事情を聞くと、時間がないということにすぐ気づいて身支度を始めた。 「着替えるから、あっち向いてて!」 「見たら、駄目か?」 「いや、駄目じゃ……違う、駄目ったら駄目!」  香織が着替えを終えてから、荷物をまとめて部屋を出る。  ホテルのフロントに行き、鍵を返す。追加料金は請求されなかった。 243 :ことのはぐるま ◆Z.OmhTbrSo [sage] :2007/06/07(木) 23:17:15 ID:RsTTLffE  近くの銀行でいくらかお金をおろし、バス代を確保する。  駅前に行くと、運よく自宅近くへ行くバスが停まっていた。  バスに乗る。結構広いバスだったが、他の乗客はいなかった。  俺が窓際に座ると、香織がくっつくようにして横に座った。 「変なこと、しないでね」 「するか、こんなところで」  バスが動き出した。眠くなりそうなほどにゆっくりと、国道へ向かって進んでいく。  窓の外を見たまま、手探りで香織の手を握る。  香織の手は一瞬躊躇したが、すぐに俺の手を握り締めた。  指の間に香織の指が絡まっていて、くすぐったかった。  バスが香織の自宅近くの信号で停車したタイミングで、話しかける。 「香織、明日は暇か?」 「うん。今日はバイトがあるけど、明日は入ってないし。……ねえ、どっか行かない?」 「俺もそのつもりだったんだ。それじゃあ明日、香織の家に行くよ」 「うーん……ううん、ボクから行くよ。いいでしょ?」 「ああ」  こだわる理由も無いので、うなずきを返す。  間を空けないうちに、香織の自宅前にバスは到着した。  バス停の前で手を振る香織を見ながら、バス代を用意する。  片道料金は720円。昨日あんなことがあったからか、これだけの金額でも大きく思えた。  5分ほどして次のバス停へ到着した。  バスから降りたとき、目の前に広がっていたのは懐かしい光景、俺が住むアパートの外観。  緩む頬をそのままに、アパート前の駐車場を歩きながら、2階にある自分の部屋を見る。  そのとき目に飛び込んできたものを見て、俺は一瞬歩みを止めた。 「……」  部屋の前に、華が立っていた。無表情のままで俺を見つめている。  部屋の前に立っている華の手が動いた。携帯電話を耳に当てている。  もしかしてと思っていると、ポケットに入れていた携帯電話が振動した。  ディスプレイには、華、と表示されている。  ごくり、と喉を鳴らしてから、電話に出る。 「……もしもし?」 「おにいさん、おかえりなさい。……ずっと、待ってたんですよ。ここで」  2階に立っている華が携帯電話を下ろすと、通話も同時に切れた。  そういえば、昨晩外泊するということを華に伝えていなかった。……間違いなく、怒っているな。  華に出会い頭で何を言われるか不安に思いながら、俺は2階の自室へ歩き出した。

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