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509 :ことのはぐるま ◆Z.OmhTbrSo [sage] :2007/06/23(土) 14:27:34 ID:PZFnWyFu ******* 第十五話~遠くに居た知り合い、遠くへ行った恋人~  階段を上がり、上りきったところで自分の部屋の扉を見る。  特に変わった様子は見られない。玄関前に荷物が届いていたり、動物の死骸が置かれたりはしていない。  ただ、俺の方をじっと見ながら無表情で立ち尽くす華がいるだけだ。  ぱっと見では怒っているように見えない。しかしここで安心してはいけないことを俺は知っている。  階段を上るとき以上の重い足取りで歩き、華の前に立つ。 「おにいさんおかえりなさい。――これはさっき言いましたね。  どこに行っていたんですか? 私に一言も告げずに外泊してくるなんて。  私がどれだけ心配していたかわかりますか? わかるわけないですよね。  不安だったんですよ、あの女の屋敷で起こった爆発事件は解決していない。犯人は捕まっていない。  もしかしたら町にでて無差別テロをしたりコンビニ強盗をしているかもしれない、  そうしたらおにいさんの身が危険にさらされる。早く帰ってきて欲しい。  そう思って送ったメールを、おにいさんは無視しましたね? 一体どういうつもりだったんですか」  予想通り、小言の絨毯爆撃を喰らわされた。  心配してくれるのはありがたいがそこまで心配しなくてもいい。……などと今の華に言うと逆効果だ。  だから、俺がしなくてはいけないのは華に謝罪の意思を伝えることだ。 「すまん。メールを返信しなくてもいいかと思っていたんだ。悪かった」 「では、なぜ早く帰ってこなかったんですか?」 「ああ、それは……」  香織と一緒に隣町まで行っていたからなのだが、正直に言わないほうがいいだろう。  多少の真実を含ませてごまかすことにする。 「友達と隣町まで行っていたんだ。帰りのバスに乗り遅れてしまってな。  金はあまり持っていないからタクシーでは帰れなかったんだ」 「なんで、私に連絡してくれないんですか?」 「連絡してどうするんだよ。迎えに来てくれるのか?」 「当たり前でしょう。おにいさんの無事のためなら往復のタクシー代くらい安いものです。  それに、後になって利子をつけて請求することもできますし」  嬉しいことを行ってくれるものだ。最後の一言がなければもっと良かった。 「それで、昨晩はどうしました?」 「ああ、ビジネスホテルに泊まったよ」 「1人で?」 「…………ああ」  つい嘘をついてしまったが、仕方がない。  香織と一晩同じ部屋で過ごしたということがばれたら恐ろしい目に合わされそうだ。  香織の身に危険が及ぶ可能性もある。 「……ちょっと、失礼します」  華は俺に近寄ってくると、左手を掴んだ。そして、鼻をよせると匂いを嗅ぎ始めた。  犬じゃあるまいし、と思ったが真剣な顔を見ているとつっこめない。  華は顔をしかめると、一度顔を離してからもう一度匂いを嗅いだ。  まるで、俺の手の匂いを再確認するように。 510 :ことのはぐるま ◆Z.OmhTbrSo [sage] :2007/06/23(土) 14:28:29 ID:PZFnWyFu  華は俺の手を離すと、ぽつりと呟いた。 「……嘘を言いましたね、おにいさん」 「何?」  顔を上げた華の目が向けられた。目を吊り上げて俺を睨んでいる。  まさか華のやつ、気づいたのか?手の匂いを嗅いだだけで? 「女性の匂いがします。しかも、この匂いは……どこかで嗅いだことがあります」  冗談だろ?わかるはずがない。……ない、はずだ。 「この匂いは、天野香織さんですね」  華の言葉を聞いて一瞬体が固まった。  驚きの表情を作らないようにするだけで精一杯だった。  なぜ、手の匂いを嗅いだだけで相手までわかるんだ?香織は香水をつけたりしないのに。 「もしかして、さっきまで香織さんといたんじゃないですか?  本当のことを言ってください。今なら、まだ許せます」  いや、待て。いくらなんでも手についた匂いで人物まで判断できるか?  まさか、俺にカマをかけているんじゃないか? 「おにいさん、どうなんですか?」  どうする。もう一度嘘をつくか、本当のことを言うか。  華が俺にカマをかけているのか、そうでないのか、どちらだと思う? 「…………」  考えた結果、俺は。 「すまん、嘘をついた。昨晩は香織と一緒にホテルに泊まったんだ」  包み隠さず、本当のことを言うことにした。  華は俺の言葉を聞くと、目を瞑って息を吐き出した。 「やっぱりそうでしたか……それで、泊まったところはどんなホテルですか」 「普通の、ビジネスホテルだ」 「さっきまで香織さんと一緒にいましたね?」 「ああ」 「香織さんに昨晩、なにかしましたか?」 「……いいや」  これだけは真実だ。抱こうとしたのは事実だが、未遂に終わっている。  返事を聞いた華は、俺の目を覗き込んできた。 「……なるほど、それは嘘ではありませんね。  ですが、一度嘘をついたことは事実です。おにいさん、歯を食いしばってください」  言われるがまま、奥歯を噛み締める。  華の右手から放たれた張り手が、左頬を打った。  強制的に右を向かされて、振りぬかれた華の右手が見えた。 「これで許してあげます。でも、今度嘘をついたときはこれだけじゃ済ませませんからね」  華はそれだけ言うときびすを返し、自分の部屋へと入っていった。  鍵を開けて、自分の部屋に入って、洗面所の鏡を見る。 「うあ……手の形がついてやがる……」  とてもじゃないが、こんな顔を他人にさらすことなどできそうもない。  もしこんな顔でバイトに出ようものなら店長に失態を叱られた上、 レジにやってきた客に奇異の目で見られることは間違いない。  香織に見られたら……どうなるだろうな。  やりすぎだ、と華に怒りをぶつけるか。正直に話さなかった俺を怒るか。  考えても仕方がないか。もとより、見せるつもりもないし。 511 :ことのはぐるま ◆Z.OmhTbrSo [sage] :2007/06/23(土) 14:29:22 ID:PZFnWyFu  洗面所で顔を洗うと、頬を張られた痛みも引いてきた。  畳の上に座って壁にもたれながらテレビの電源を入れる。  何度かチャンネルを変えてニュース番組を探す。 「……どこも、やってないか」  普通のニュースを報じているところはあったが、どこも目当てのニュースをやっていなかった。  菊川家で発生した爆発事件は一日経っても進展していないようだった。  もしかしたらマスコミに報道規制がしかれているのかもしれない。  というより、その線しか考えられない。  一日経って何ら進展がないのはよくある話だが、一切ニュースで報じないというのは明らかにおかしい。  もしかしたら予想以上にまずいことになっているのかもしれない。  となると、心配になるのがかなこさんのことだ。  彼女については……正直言うと、このまま会えなくなった方がいいと思う。  かなこさんは変わったところはあるけど、いいところのお嬢様だ。  俺みたいなやつに会ったせいで勘違いを起こして、将来をつぶすことはない。  前世のことは、きっとかなこさんの勘違いだ。  仮に前世の繋がりがあったとしても、必ず現世で結ばれなければいけないわけではない。  もちろん、かなこさんのことを俺は嫌っていない。  けれど、俺には香織がいる。俺は香織のことが好きだし、香織も俺のことが好きだと言っていた。  俺は、自分の気持ちに嘘をついていつまでも平気でいられる人間ではない。  だから、かなこさんの気持ちには応えられないんだ。    世の中には俺以上に凄い男はたくさんいる。むしろ、そのような男の方が多いだろう。  俺と付き合ってあまりのつまらなさに失望するより、話の合う男や身分の釣り合う男を 相手にした方がかなこさんは幸せになれる。  こんなことを聞いたらかなこさんは悲しむかもしれない。だが、失恋の悲しみはいつまでも続かないものだ。  きっとかなこさんは立ち直ってくれる。俺はそう確信している。  会うつもりはないにしても、かなこさんの安否はだけは気になる。その件だけは事実が知りたい。  偽善者と言われようがかまわない。気になるものは気になるのだ。  あの時、俺たちが立ち去るとき、かなこさんは床に放置されたままになっていた。  無防備な良家のお嬢様は、犯罪者にとって格好の餌食だろう。  誘拐されるか、もしくは恨みを持った人間であれば―― 「……ふう……」  こうして気にしていても仕方がないとはわかっている。  俺が心配のあまり一日飯を食わなかっただけで事態が進展することはありえない。  それでもやはり、どうしても気になって仕方がない。  こんなときはどうすればいいのか。  そういえば、1人だけあてがあった。  あの屋敷に住んでいる人間の知り合いに、十本松がいる。  十本松に聞けば、何かがわかるかもしれない。  昨日連絡がなかったのはどういうわけかはわからないが、あいつは無事だろう。そんな気がする。  十本松は爆発事件があったというのにあっけらかんとしていた。  非常事態だというのに動じないのは変人たる証拠だろう。  あまりに普段と変わらなさ過ぎるのも妙ではあるが。 512 :ことのはぐるま ◆Z.OmhTbrSo [sage] :2007/06/23(土) 14:30:57 ID:PZFnWyFu  挨拶抜きで、爆発事件についての質問メールを打つ。  事件の被害、犯人が判明したかどうか、かなこさんと十本松の無事。  他にも聞きたいことはあったが、3点に絞って、メールを送る。  寝転がり、天井を見ながらぼんやりしているとメールが着信した。  送信者は十本松。本文は2行程度のものだった。この時点で十本松の無事は確定したな。 「夜になったら雄志君の家に向かう。  そこでいろいろ話を聞かせたり、聞かせてもらったりするよ、ね」  夜か。今は昼の1時だから、まだ時間があるな。  華は今頃大学へ行っているだろう。  今日はすることもないし、ここ数日で変なことばかりあったから出かける気分でもない。 「……寝よ」  枕を頭の下に敷いて、目を閉じる。  昼間の明るさの中でも、頭の奥の睡魔は絶好調のようだった。 ・ ・ ・ 「――華ちゃん、どいて。ボクは雄志君に会いに来たんだから」 「おにいさんは寝ています。お引取りください」  女の声が目覚まし代わりになったのか、目がしっかり覚めた。  暗くなった部屋の電気を点けて、目を慣れさせてから時計を見る。  7時をとっくに回っていた。どうりで窓の外が暗くなっているわけだ。 「あれ、今電気がついたよね。起きたんじゃないの? おーい、雄志くーん!」 「香織さん、大声を出さないで! 他の住人の迷惑になります!」  2人の声が寝ぼけた脳の中に叩き込まれた。  言い争う声は玄関の向こうから聞こえているようだった。  どちらかと言えば、華の声のほうが耳に障る。贔屓無しで見ても。  玄関を開ける。最初に見えたのは華の後ろ姿。ドアに背を向けて立っている。  華の肩越しに視線を送ると、香織の姿が目に入った。 「よう、香織」 「うん、久しぶりだね、雄志君!」  笑顔全開。喜色満面。途端に上機嫌になる香織。ここまで幸せそうな人の顔はなかなか拝めない。 「久しぶりって、朝会ったばかりだろうに」 「ちょっとでも会えなかったら、それだけでも久しぶりなんだよ」 「そいつはどうも。そんなに会いたがってくれて嬉しいよ」  嫌味のないように言ってみたつもりだったが、香織はしかめっ面になった。 513 :ことのはぐるま ◆Z.OmhTbrSo [sage] :2007/06/23(土) 14:31:46 ID:PZFnWyFu 「もしかして、ボクに会いたくなかったの……?」 「あー、落ち込むな。会いたかったに決まってるだろ」 「……ホント?」 「本当だとも」 「ホントにホント?」 「こんなくだらない嘘はつかないぞ。俺は」 「うん、そうだよね。雄志君は嘘つかないもん。昔の約束も守ってくれたし」 「……昔? 何か約束してたか?」 「ほら、雄志君がいたずらでボクにコインをぶつけたときのことだよ!」 「ああ、あれか」  この間思い出したのにすっかり忘れていた。  昔俺が香織の額に怪我をさせたあと、香織が「責任をとって」と言ったときのことか。  別にあれは約束でもなかった気がするが。俺は数日前まで覚えてすらいなかったわけだし。  けど、勘違いしているならそれでいいか。変に蒸し返す必要もない。  2月の冷えた空気の中で立ち話はよくない。香織と華を部屋にあげよう。 「2人とも、俺の部屋に――」 「おにいさん、ちょっといいですか」 「なんだ」 「今のやり取りから推測するに、お2人はもしかして……」 「!」  ――しまった。  俺が言葉に詰まっていると、華が軽くうつむいた。  後ろに立っている俺からは、華の顔は見えない。 「やはり、そうでしたか。お2人は……」 「あ……ごめん。雄志君、喋っちゃった。あと……ごめんね、華ちゃん」  申し訳なさそうに香織は頭を下げた。  香織は、華の好意が俺に向けられていることに気づいていた。  自分が抜け駆けをしてしまった、と思っているのかもしれない。  華は頭を下げる香織をじっと見つめていたが、やがて口を開いた。 「いいんですよ、香織さん。おにいさんが貴方を選んだのなら、仕方のないことです」  華は頭を下げる香織に向けて、怒気を含まない穏やかな声で言った。  頭を上げた香織は、意外そうな顔をしていた。  俺にとっても、華が簡単に引き下がるということは意外だった。 「でも華ちゃんだって、昔から雄志君のことを」 「私はおにいさんが誰を選んでもいい、そう思っています」 「じゃあ、ボクが付き合ってもいいの?」 「はい」 「あ……ありがと」  香織は遠慮したような笑みを浮かべた。  俺は心の中のつかえがとれたような気がした。  香織と付き合うことになって、華が心を痛めるのではないかと危惧していた。  けれど、それは杞憂だった。華はそんなに弱いやつではなかった。   思っていた通り、俺がいなくても生きていけるような強い人間になっていた。 514 :ことのはぐるま ◆Z.OmhTbrSo [sage] :2007/06/23(土) 14:33:15 ID:PZFnWyFu 「では香織さん、どうぞ中へ」 「うん、お邪魔しまーす」  香織は言われるがまま、俺の部屋の玄関を通って中へ入っていった。  残された俺は、いつもの調子を保っている華に話しかけた。 「華、黙っていたことは……」 「お昼に話を聞いたとき、なんとなく気づいてましたから、そのことに関してはいいですよ」  華は俺の顔を見ずにそう言うと、部屋の中へ入っていった。  俺も部屋に入ろうとしたのだが、靴を脱いだ華が背中を向けて立ちはだかっていて入ることができなかった。 「私が許せないのはですね……」  華は振り返って、言葉を続ける。 「私からおにいさんをとったあの女だけですよ」  何か言う前に華に突き飛ばされて、玄関前に放り出された。  ドアが閉まり、鍵のかかる音がした。  ドアノブを回す。やはり開かない。 「いきなり何をする! ここを開けろ!」  白いペンキで塗られた鉄製のドアを手で叩く。  叩く度にうるさい音がしたが、そんなことを気にしている場合ではない。 「開けろ、華!」 「おにいさん、静かに」  声がした方を向く。華が台所の小窓から俺を見ていた。 「近所迷惑ですよ、夕方はみなさん仕事から帰ってきて疲れているはずです。  ゆっくりさせてあげてください」 「……お前、ドアに鍵をかけて何をしようっていうんだ」 「あの女に少しだけお灸をすえてあげます。もう二度と、おにいさんに近づけないように」  華の目が笑っていた。だが、声はものすごく暗かった。  いつまでも聞いていたら、自分が泥の中へ引きずり込まれてしまいそうな声。  笑っている目と暗い声のギャップが激しくて、今見ているものが何なのかわからなくなりそうだ。 「それじゃ、そこでしばらく待っていてくださいね」  華の声を聞いて、ようやく我にかえった。  この状況、そして今の華は、まずい。香織が危ない。 「香織、逃げろ! 華に近づいたら――」 「10分で済みますから、それまで大人しくしていてください」  華の顔が窓から離れる。続いて小窓が閉め切られた。  これで部屋の中の様子はまったくわからなくなってしまった。  華は一体、何をする気だ?お灸をすえる?  まさか、香織に危害を加えるつもりなのか?  冗談じゃない。ようやく自分の気持ちに気づいたのに、すぐトラブルに見舞われるなんて。  香織を傷つけさせるわけにはいかない。華にそんなことをさせるわけにもいかない。  絶対に止めなければ。 515 :ことのはぐるま ◆Z.OmhTbrSo [sage] :2007/06/23(土) 14:34:40 ID:PZFnWyFu  だが、どうする。  部屋の中に鍵を置きっぱなしにしているから、玄関をあけることはできない。  ドアは頑丈にできているから壊せそうにない。  部屋の窓から入るのは不可能ではないが、時間がかかりすぎる。  こうなったら、1階の管理人のところに行くしかない。  管理人室へ向かうため、振り向いて一歩踏み出した。  その時だった。数メートル前から俺の方へ向かって歩いてくる十本松を目にしたのは。 「やあこんばんは、雄志君。健やかな夜を過ごしているかな?」 「悪い、今お前の相手をしている場合じゃないんだ」  十本松の脇を走って通り抜けようとしたら、腕を掴まれた。 「何を急いでいるんだい? そんなに生き急いでも寿命は変わらないよ。  死に急ぐというのなら寿命どころか命が磨り減るけれど」 「それどころじゃないんだよ! 早くドアを開けないと香織と華が……」  俺の言葉を聞くと、十本松は表情を変えた。  最初は軽い驚きの表情。その次は嬉しそうな笑顔。  何度か首を縦に振ると、呟いた。 「香織がいるのか、そうか……手間が省けたよ。ではさっそく、邂逅といこうか」  十本松は俺の手を離すと、部屋の玄関へ向かって歩き出した。  部屋の前で立ち止まると、ジャケットの内ポケットに手を入れた。 「雄志君、メールに書いてあった質問のうちのひとつに、今から答えるよ」 「なに?」  昼に送ったメールの答え?  事件の被害、犯人の正体、かなこさんの無事……どれについてだ?  十本松がジャケットから手を出した。  その手に握られているものを見て、俺は自分の口が間抜けに開くのを自覚した。  木製のグリップが十本松の手の中におさまっていた。  鈍い銀色をした砲身が、人差し指の先から、腕を延長するように伸びていた。  昔は似た形をしたものを何度か見たことがある。だが、モデルガンなど偽者にすぎない。  今十本松が握っている回転式拳銃に比べれば、玩具そのものだ。  十本松は、ドアを見つめたまま喋りだした。 「もう少し遊んでいたかったのだけどね……まあ、どんなものでも終わりはくるものさ。  人の関係も、人の命も、日常の平穏も。捲れば変わる。アイスクリームの蓋と同じだ」  十本松は右手に握った拳銃を、ドアノブに向けた。  途端、発砲音と金属音が響く。  1回、2回、3回、4回、5回。最後の6回目の音だけは耳に強く残った。  十本松はハンカチを取り出してドアノブに当て、引いた。  そして拳銃を内ポケットにしまうと、部屋の中へ入っていった。 516 :ことのはぐるま ◆Z.OmhTbrSo [sage] :2007/06/23(土) 14:36:17 ID:PZFnWyFu  ……なんだ、これ。  十本松が、今……拳銃でドアノブを撃って、こじ開けた。  十本松が拳銃を持っていた。なぜ、拳銃を持っているんだ?  拳銃を持ち歩いて撃つのは……まともな筋の人間ではない。  あいつはかなこさんと華の友達で、俺と香織の知り合いで……それだけじゃないのか?  十本松は一体、何者だ?  さっき、質問メールのうちのひとつに答えると十本松は言った。  回答方法は、ドアノブに向けて拳銃を発砲すること。  常軌を逸した、まともではない答え方。そこから導き出される答え。  俺は十本松の正体を察した。どこからともなく、答えがやってきた。  答えを追い払って、もう一度考えても、導き出される答えは変わらない。  信じたくない。俺の身の回りにいる人間が、そうであることなど。  だが、もうごまかすことはできない。  答えは、これだ。  十本松は犯罪者だ。  今の行動は、菊川邸を爆破した犯人を教えるためのもの。  つまりあいつは、自分が爆弾犯だと俺に教えたんだ。  ――まずい。  部屋の中には香織と華がいる。さっき十本松は部屋の中に入っていった。  あいつは、もしかしたら2人を目的にしているのかもしれない。  だとしたら、すぐ助けに行かなければ。  左足を踏み出して、地面につく。足が震えて足元がおぼつかない。  おじけづいてるのか、俺は。十本松に怯えているのか。  今は怯えている場合じゃないんだ。  自分の好きな女と、自分にとって大事な幼馴染。  どちらも失うわけにはいかない。  ここで動けなくて、後悔するのは嫌だ。  とにかく守らなくては。どんな方法を用いてでも。  武の心得がなくとも、止め方すらわからなくとも、動かなくては。 517 :ことのはぐるま ◆Z.OmhTbrSo [sage] :2007/06/23(土) 14:37:50 ID:PZFnWyFu  部屋に向かって駆け出し、中に飛び込む。  そこで見た光景を見て、一瞬思考が停止した。  うなだれた香織が、十本松の腕の中にいた。  華は床に手をついて苦しそうな咳を何度も繰り返していた。  十本松は香織を抱えたまま、俺に背中を向けていた。  まさか、もう――?  悪い考えを追い払うように、頭を振る。  まだだ。まだ全員生きているはずだ。諦めるな。 「十本松!」  自分が今出せる精一杯の声を絞りだして吼える。  ゆっくりと十本松が振り返った。 「……雄志君か。遅かったね。遅すぎるぐらいだよ。もっと早く来ないといけない。  私の目的がもし、2人の命を奪うことだったら……」  十本松が床で咳き込む華を見下ろした。 「2人とも、いくつ命があっても足りなかっただろうね」 「てめえ……」 「そんなに憤らなくてもいいじゃないか。2人とも、まだ息はあるんだから。  ……まあ、もし私が命を奪うつもりだったら雄志君がいようといまいと同じことだがね」 「香織を放せ、十本松」 「おや、どうしてかな、それは? 君達はただの友達じゃないのかい?」 「お前には、関係ない」 「それはそうだね。私には関係ないことだ。……だけど」  十本松は気絶した香織の首を掴むと、片手で上に持ち上げた。  香織の表情が苦痛に歪む。 「雄志君のその態度は気に入らないな。  香織を生かすも殺すも、私の気分次第だということがわかっていないのかな?」 「くそったれが……」 「話す気になったかな? なぜ、香織をそこまで気にかけるんだい?」 「……香織は俺の恋人だ。手を出すな、十本松」 「ほう」  俺の答えを聞くと、十本松は香織の首から手を放した。  香織の腰を片手で抱えると、俺に話しかけてくる。 「憤るわけだ。大好きな恋人に暴力を振るわれて、平然としていられる男は変態だ。  つまり雄志君は変態ではないということが証明されたよ。おめでとう」 「……いい加減にしろ。香織を放す気はないのか」 「こういう場合に雄志君がすべき行動はね、私に向かって殴りかかることだよ」  十本松が香織を開放した。気絶していた香織は床に落ちても動かない。  十本松の行動がいちいち癪にさわる。言われるまでもない。殴ってやるさ。  拳を握り締めて十本松に近寄り、殴れる間合いで立ち止まる。 「ふむ……悪くない。感情を暴発させないよう、コントロールしている。まだまだ制御できていないけどね。  自分をコントロールできない人間に、明日はない。私が人生で学んだことの一片だ」 「逃げねえのかよ。鼻の骨が折れても知らねえぞ」 「できないことをいうものじゃないよ、雄志君」 518 :ことのはぐるま ◆Z.OmhTbrSo [sage] :2007/06/23(土) 14:39:26 ID:PZFnWyFu  拳を固く握り締めて、力任せに右腕を振るう。  十本松の顎を狙った一撃は空を切った。  右足を蹴り上げる。つま先が十本松の胴体に突きささった。  腹を蹴られた勢いで、十本松は後ろに下がった。 「痛いな。さすが若い男。自堕落な生活を送っていようと力だけはあるものだ」  平然とした口調。全力で蹴りを放ったというのに、一度も咳き込まない。 「雄志君、君にとって残念なことを教えてあげるよ。  さっき私は華君の蹴りを受けたのだがね、それも何発も。  君の一撃は、華君の蹴り半分ほどの威力しかないよ」  十本松が近づいてくる。俺の手が届かない位置で止まった。  そして半身をずらすと、突然十本松が回った。  回ったように見えたのは、体を捻ったから。  体を捻ったのは、俺の頭に向けて回し蹴りを放ったからだった。  十本松の蹴りを受けて脳を揺さぶられると同時、えぐられるような痛みが走った。  頭を振りぬかれ、首を強制的に曲げられ、俺は倒れた。  畳が見える。十本松の姿は、俺の目には入っていない。 「今の一撃が、華君の蹴り一発分だよ。どうだったかな。君と、君の従妹の差を思い知ったかい?」  頭が割れる。鼻から下の感覚がなくなったみたいに、体が動かない。  十本松が何か言っていたのはわかったが、頭には入ってこなかった。 「まだ終わりじゃないんだろう? まさか、この程度だとは言わないよね?」  終わり……終わる。俺が終わるのか? 「……返事はなし、か。仕方がないか。  少しは期待していたんだけどね。大昔の君は、とても強かったから。  やはり昔は昔。今は今。前世は前世。その程度のものか」  前世?お前もそれか。かなこさんと同じことを言いやがって。 「関係も少しばかり変わっているしね……。以前は、君が私の父を殺したんだから」  体はまだ動かないくせに、思考だけはまともになってきた。  誰がお前の親父さんを殺したって?  お前が自分で自分の父親を殺してしまったんじゃないのかと疑わしく思えてきたぜ。  ああ、くそ。眠くなってきた。まだ寝るには早い時間だってのに。  今は寝ている場合じゃないっていうのに。  香織と華を逃がさないといけないのに。 519 :ことのはぐるま ◆Z.OmhTbrSo [sage] :2007/06/23(土) 14:41:57 ID:PZFnWyFu 「それじゃ、さようならだ、雄志君。香織は頂いていくよ。  今日ここに来た目的は、香織をもらっていくためだったんだ」 「……待、て」  必死に声を絞り出したらかすれた声が出てきた。  息を吐くのと大差ない、呟きよりも小さな声だった。 「悪いけど、私は忙しいんだ。私も無職だけど、やることはそれなりにあってね。  まあ、今回の件が最後だからきっちりとやることにするよ」 「待て……香織を、置いてけ……」  かろうじて動くようになった右腕で体を浮き上がらせる。  すぐに背中を踏まれて、床に押し付けられた。 「香織、香織、香織か。想いが報われず、華君も可愛そうに」  華?そうだ、華は?無事なのか?なんで床に伏せていたんだ?  くそったれ、十本松がなにかやりやがったな。 「こん、ちきしょうが……」  呟いた途端、頭を後ろから踏まれた。  十本松の履いている靴が、ぐりぐりと後頭部をにじる。  口と鼻が畳にくっついているせいで、乾いた匂いの混じる空気を吸わされた。  固い靴の感触がなくなったら、今度は左耳を引っ張られた。  耳を頭ごと持ち上げられて、耳の付け根に引きちぎられそうな痛みが走る。 「最後に言っておくよ。  二度と私に近寄るな。近づいたり、目の前に現れたりしたら……殺すからな。遠山雄志」  耳を放されて顔が畳につくと同時に、横っ面に固いものがぶつかった。  次いで、わき腹を思い切り蹴られた。痛みで呼吸が詰まり、頭が朦朧とする。  そのまま自分がどこにいるのか、どうなっているのかもわからなくなり、俺の意識は途切れた。 ******

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