「和菓子と洋菓子 第十一話」の編集履歴(バックアップ)一覧はこちら

和菓子と洋菓子 第十一話」(2019/01/15 (火) 10:19:31) の最新版変更点

追加された行は緑色になります。

削除された行は赤色になります。

265 :和菓子と洋菓子 [sage] :2007/07/15(日) 02:13:47 ID:teTGGwWE 規則的に一日二回、通いなれた道を自転車を走らせながら学校に向かう少女が一人いた。 まだ、さほど人通りが激しくない通路であったため、彼女の姿を目の当たりにする人はごくわずかであった。 しかし、その少女は梅雨の風物詩である紫陽花(あじさい)もあちこちにできている水溜りも目に入ることなく、 外界の刺激を受け流しながら、何か思いつめた表情で物思いにふけっているようなので、 黒髪で元来の怜悧な印象との相乗効果で近寄りがたいオーラを通路を往来する人に与えているようだ。 266 :和菓子と洋菓子 [sage] :2007/07/15(日) 02:15:50 ID:teTGGwWE 私があの害物に屋上に呼び出されてから、既にかなりの時間が経とうとしていた。 この期間は言い換えれば、私が松本君と一日のうちに一秒たりとも、顔を合わせることがなかった期間でもある。 というのも、父が私とあの害物の抗争を解決するために、松本君の体調が良くなるまでの間、 一度たりとも顔を合わせない事を私と害物に提案したから。 当然、条件があの害物と同じものだというのは、正直業腹であったけれど、あの場合は冷静に考えて、譲歩しておいたほうが後々、 得になると思ってその案を呑んだ。 だから、自分の選択の結果として、彼に会えずに二週間近くが過ぎようとしているのだが、 いまさら、昔のように彼のことを一方的に想い続けるだけの日々というものは、相当寂しく感じられ、 時折耐えられなくなることがある。 それで、私は何度となく、父を伝って手紙を渡そうとしたが、父は頑として受け付けなかった。 父が何故私にそんな理不尽なことをするのか、解らなかった。 ただ、面倒だったからなのか、問題がねじれていく可能性があると判断したからなのか、 それは私には推し量ることができない。 かつて、私が母に虐げられていたときも、見て見ぬ振りをしていたような父のことだから、 私に対する人間的な情などもともと期待すること自体が間違っていたのかもしれない。 いずれにせよ、私がありとあらゆる松本君との接点が絶たれている状況には他ならない。 幸いにもが異物も私と同じ条件が課されているため、これ以上彼が毒されることはない。 しかし、自分の事しか考えていないあの害物が、果たしてこの条件をどこまで遵守するかは保証されていないことに私は当然気づいている。 仮に害物が約束を違反したとしても、それを咎めたり実際に阻止しようとする人間は私とは違って傍にいない。 だから、実際にそうなってしまってから言っても詮無いことだけれど、私が約束を遵守するなど、馬鹿げている。 267 :和菓子と洋菓子 [sage] :2007/07/15(日) 02:16:44 ID:teTGGwWE それから、最近気になっていることがある。 そもそも私は自分の価値観を理解することができる、ないし共有している人間とだけ付き合うことにしてきていた。 あくまでも私の世界は私のものであって、他の人間とは異なったものとして独立していた。 それは、自他共に認められていて、私は他との交わりは希薄なものであった。 私自身は他人に話しかけず、聞かれたことにだけ淡々と答える。また、相手も私に干渉しないし、口も利かない。 それが今までの構図であった。 けれども、その構造が崩れてきていると思う。 これは、松本君が事故にあったときを境にしていると思うのだが、他人が私の陰口をきくのは今に始まったことではないが、 最近それが著しくエスカレートしつつあった。前はごく一部の人だけであったため、歯牙にもかけなかったが、 最近では大多数の人間が私の人格侮辱語を発しているようだ。 中には正面から罵詈雑言を浴びせかける人すらもいる。 268 :和菓子と洋菓子 [sage] :2007/07/15(日) 02:18:27 ID:teTGGwWE 所詮は自分と価値観を共にしない私から見れば部外者の人間の言うことだから気にしないが、 これがエスカレートし始めた時期が自転車事故前後であることが妙に私の中で引っかかっていた。 そんな事を考えているといつの間にか、学校の校門を越え、既に自転車置き場にまで来ていた。 いつもの習慣から機械的な動作で自転車の鍵を施錠し、一直線にグラウンドを横目にしつつ、昇降口へと向かう。 名前の順でわりと早いほうにある、私の苗字のため、下駄箱は上から二段目の左から三番目にある。 北方、と書かれた名前カードの上の取っ手に何気ない動作で手を掛ける。 「痛っ!」 突如、指に電流が走ったような痛みを感じる。 取っ手から手を離して、痛みの走った人差し指を見ると、鮮朱の血が指を伝っていき、 床に真紅の小さな斑点がいくつかできているのがわかった。 血を見ると無意識のうちに、気が遠のいていくような感じがした。 無意識のうちに力を入れていたので、想像以上に血の量が多いようだった。 一瞬、私の脳裏は真っ白になり、何が起こったのか冷静に考えることができなかった。 少しして、指をかけていた取っ手の部分を蚤取り眼で見ると、裏の陰になって見えない部分にかみそりの刃が取り付けられていた。 見事なまでに一箇所だけでなく数箇所に取り付けられており、どの方向に手を入れても怪我をするように周到に計算されているようだった。 269 :和菓子と洋菓子 [sage] :2007/07/15(日) 02:19:45 ID:teTGGwWE こんなことを仕掛けてくるのが誰であるか私は想像がついていた。 しかし、何と姑息な手を使うのか、と怒りよりも呆れが先立ってしまった。 あの害物は本当に自分中心の思考しかできないよう。 結局、害物は本当の意味で松本君が好きなのではなく、それを支配する自分が好きなだけなのかもしれない。 滴り落ちる血液の鉄の匂いが鼻につくので、私は鞄の中にある、応急処置セットを取り出すと、 消毒液をティッシュにとり、傷口を消毒し、その上から絆創膏を貼り、その上からガーゼで傷口を圧迫しておく。 取っ手に仕掛けられたかみそりを全てはずしてから、下駄箱の中の上履きや内側に仕掛けがないか入念に確認したが、特に問題はないよう。 上履きを取り出して静かに履くと、まだ誰もいない自分のクラスの教室へと向かっていった。 このとき、北方時雨は自分の後ろでわずかに小さな影が動いたこと気づかなかった。 そう、喜色をたたえた表情で肩頬を緩ませていながら、やや曇った目は微動だにせずどこか不調和な印象の、ブロンドの少女の存在を―。 270 :和菓子と洋菓子 [sage] :2007/07/15(日) 02:20:46 ID:teTGGwWE 人という字は二人の人間が支えあっているから立っていられる、ということを示しているのです―。 それはどこかで使い古された、言い換えるなら、手垢のついた陳腐な話だと引き合いに出しておきながらも、思う。 しかし、多くの人は気づかない事が多いけれども、身近な人がどれだけ自分たちの心の支えとなっていることか。 それはお互い様のことなのでどちらが片一方に、一方通行に貢献している、というわけではない。 多くの場合、それは失ってから気づくものなんだよね。 私自身はもともと、お兄ちゃんの存在は大きなものとしてとらえていたけれど、お兄ちゃんと会える機会が減ったことで一層、私の中における存在が大きくなったよ。 本当に失ってから気づくことだよね。 でも、これは私にとっては人災で、とばっちり以外の何物でもないよね。 だって、私は雌猫を退治しようとしただけだもの。それなのに、父猫がにゃーにゃー、うるさいものだから、私ね、すごく哀れになってきちゃったの。 私は動物を好き好んで殺す趣味はないからね。私にたてつく動物以外は。 私はあくまでも襲われた側にもかかわらず、何で行動を束縛されなければならないのかな。 お兄ちゃん、わからないよ、そんな問題。お兄ちゃんにも絶対に、絶対にわからないはずだよ。 271 :和菓子と洋菓子 [sage] :2007/07/15(日) 02:22:10 ID:teTGGwWE だからね、こんな理不尽な思いをする事になった直接の原因のあの雌猫に少しだけ、 うん、小出しに報復してやることにしたの。 私が不当に味わった悲しみを何倍もあの雌猫に味あわせてやるつもりだよ、あはは。 やっぱり身近な人が死んでいったり、近くにいる人からいろいろと嫌がらせを受けるのは誰だって嫌だよね、 それが人間じゃなくても。寂しいと死んでしまうという動物は何だっただろう?その動物じゃないけど、 苦しい思いをしたから死んじゃった、なんていったら、それはそれで楽しい逸話が一つできて、 何かの本に載ったりしてね、あははは。 でも、それに比べてさっきのはつまんない。 せっかく苦労して、朝早く起きて取り付けた仕掛けを全て見破られちゃった。 しかも、あの泥棒猫は自分の傷口は取り澄ました表情で応急処置を何事もなかったかのようにしてしまう。 まだ、保険医の先生が来ていないから、もっと怖がると思ったのに、残念だなあ。 せっかく猫なんだから、猫らしく傷口をなめて、にゃーにゃー泣いていれば良かったのに。 まぁ、いいや。次はどんな仕掛けを使おうか考えておけばいいんだし。 272 :和菓子と洋菓子 [sage] :2007/07/15(日) 02:23:06 ID:teTGGwWE それよりも、この前にお兄ちゃんに会ったのは、お兄ちゃんがまだ眠ったままのときだったっけ。 それから、何度もお兄ちゃんに会おうと思ったけどいろいろあって、 ごたごたしているうちに思った以上に日がたってしまった。 だから、今日の帰りには寄ってみることにしよう。 それで折角、あの泥棒猫の影響がないのだから、お兄ちゃんの誤解をといておかないと。 いや、それだけじゃ駄目だよね。プラスマイナスゼロじゃ意味がない。こういう好ましい状況はプラスにしなきゃいけない。 そうなると、学校で過ごす時間がわずらわしくなってくる。 でも、私が学校に行かなかった、お兄ちゃんが悲しい顔をするので、そうしないように私は仕方なく学校に通っているのだ。 それにしても、早くお兄ちゃんに会いたいなあ。 273 :和菓子と洋菓子 [sage] :2007/07/15(日) 02:25:03 ID:teTGGwWE 「と、いうわけでこの場合の摩擦力は垂直効力と動摩擦係数の関係から……」 物理担当の白衣に身を包んだ若い女教師が、聞き取りにくい小さな声で、教科書にある問題を説明しながら、 黒板に板書された図にいろいろな数値やら、計算式やらを書き込んでいく。 今日は一時間目に物理という、頭を使う学科がきているので、一様に眠そうな顔をしながら、理解しがたい話に耳を傾けている。 この言い方では、やや語弊があって、どんな授業でも必ず悪い意味で教師から目をつけられている人間がいて、 そういった連中は冷房でちょうど良い環境になっているため、堂々と居眠りをしたり、またある者はノートに思い思いのものを落書きしている。 最も、まじめに聞いているような振りをしながらも、先生の目を盗んでは、近くの人と話したり、学校に持ち込んではならない不要物の漫画を読んだりしている者もいる。 別に私は、他人は他人だと思うので、特別にどう思う、とかこうこう行動しよう、とか考えたこともない。 私自身、物理はあまり好きでない教科なので、特別に授業を聞きたいとも思わない。 「というわけで、この問題の解法を活かして、96ページの問2、発展、ですが解いてもらいます。」 説明を一通り終えるとこの教師は毎回恒例で発展問題を解かせるので、私のクラスは本来理系のはずなのだが、 文型肌で、特に物理が苦手な大半の人間にとっては、憎悪の対象となっている。 実際に越えのボリュームを下げた状態で、死ね、黙れ、調子に乗るな、などと言ったたわいもない陰口を叩いている連中も数人だが、確実にいた。 274 :和菓子と洋菓子 [sage] :2007/07/15(日) 02:26:38 ID:teTGGwWE 「ええと、34番・松本弘行さん、この問題を解いてください。」 もう二週間近くも入院している松本君を問題を解く人間に指名するとは、何を考えているのだろうか、と咄嗟に呆れてしまったが、その無粋な態度が私を非常に不愉快にした。 「先生松本君は入院しています、それなのに指名するというのはいかがなものでしょう。」 一歩間違えば、大爆発を起こしかねない負の感情を、すんでのところで抑えこみ、まるで吐き捨てるように早口でまくし立てるように言った。 「あ、そうでしたっけ?では、誰にやってもらいましょうか。」 急に椅子から立ち上がり、そう言い放った私の剣幕にたじろいだのか、相手からやや狼狽の色が読み取れた。 他のクラスメイトも呆気にとられてみていたが、再び自分が問題に当たるかもしれないという危惧から、急に騒がしくなった。 「おい、俺は解かないからな!」 「おまえ、ずるいぞ!お前が解けよ。」 「とにかく、俺は解けといわれても、わかりません、としか言わないからな。」 などと言い出す輩も通常よりも増えている。私には知ったことではないので、さっさと自分の主張も終わっていることもあって、 静かに座り、状況を静観することにした。 物理担当はまだ大学の教育実習生と言ってもおかしくないくらいに若い先生で、こうなってしまうと手のつけようがない。 必死に騒ぐ連中を黙らせようとするが、彼女の声は小さくて聞き取りにくいので意味を成していない。 オロオロしながら右往左往する教師と騒がしい生徒、冷めた目で見てしまえば、滑稽なものにしか見えず、 なかなかに見苦しいものなので、それを見ないようにするためか私は傍らに置かれている問題集に手をつける。 三問目に取り掛かりだした頃から、私は何人かの発言が気になった。 275 :和菓子と洋菓子 [sage] :2007/07/15(日) 02:27:56 ID:teTGGwWE 「何、あの態度。」 「えー、誰のこと?」 「北方……なんて人だったっけー?よくは覚えていないけど、松本が入院しているのでいません、とか言って、 で今はお高くとまっていやがってさ、気分悪くならない?」 「まあ、ね。第一、あいつは何を考えているかわからないし。」 口を利いたことのない女子の二人組、私から見れば特にとりえのない種類に属する人種だったが、 私に対する随分と辛口の中傷を展開しているようだ。 例によって最近、急速に増えだした私への個人攻撃だったが、こういう態度をとっている以上、 いつかはこうなっても仕方ないことは自覚していたので、私への中傷だけだった最初は私は聞き流していた。 ごたごたしたまま、物理の授業は終わってしまい、折角教えていた公式も解法も誰も覚えていない、 という感じであったが、そんなことは些事に過ぎない。 それからの授業は、いつも通り、味気なく淡々と決められたことを機械的に先生が板書し、それを書き取るという形態で、特に問題なく過ぎていった。 放課後は、私は図書室の片づけと蔵書点検、それから督促状の作成をしなければならないので、図書室に向かう。 276 :和菓子と洋菓子 [sage] :2007/07/15(日) 02:29:09 ID:teTGGwWE 施錠されている図書室の鍵の鍵穴に職員室からとってきた鍵を差込み、開錠する。 他教室より重い図書室の扉を開放し、図書カウンターの引き出しに鍵をしまう。 それから、図書室内を一望する。 そういえば、松本君と初めてこちらから積極的に話しかけたのはあのときが初めてだった。 半ば、強制させるような形だったけど、この図書室の片づけを手伝ってもらった。 私は本の片付けをして、彼には掃除をしてもらった。 何とも、味気ないファースト・コンタクトだったものかと今は思ってしまうが、それでも私にとっては大きな転機だったと手前の机に無造作に積まれている本を前にしながら、思う。 手際よく片付けるにはどうすれば良いかを考えて、作業に取り組むと一人でも一時間とかからずに全ての仕事を終えることができた。 図書館で司書の仕事をしている先生がわりと仕事をさばいておいてくれたおかげもあったが、これほどの時間で終わるというのは、驚きだった。 しかし、そのてきぱきと片付いた作業の達成感はあったにはあったが、なんとなく空虚な気持ちが心を掠めた。 何かが足りない。その何かが何であるかも当然、私は解っている。 そう、彼が傍にいない事が私の心にぽっかりと穴を作ってしまっているのだろう。 私は彼と話をしなかったこの期間は、前は話すことができないのが当たり前だったのに、ただただ侘しい。 277 :和菓子と洋菓子 [sage] :2007/07/15(日) 02:30:56 ID:teTGGwWE 何度となく彼には図書室掃除を手伝ったもらったが、いつもこの仕事が退屈で仕方のない私をいろいろと楽しませてくれた。 それから、私の話をきちんと聞いてくれた。 私は昔から自分から話をすすんでしようとはしなかった。 父に話せば、仕事のこと以外に興味のない父に無視をされ、母にはなせば、どんな内容でも揚げ足を取られて、虐待を受ける。 かといって、雇われていた使用人に話せば、仕事として義務として話を聞くだけであって、その対応は無味乾燥とした味気ないものだった。 母が私の前から姿を消した後、私は度々、習い事のために家の外に出て、同世代の子と触れ合ったが、同世代の相手とは話の内容がかみ合わず、 私の話す文学やアネクドートの類は他人には嫌味に映ったらしく、自然と人の輪から外れていた。そんな記憶しか思い出せない。 そんな中、嫌な顔一つせず話を対等にしてくれたのは、彼くらいのものだった。 気づくと、頬を温かく湿った感じのしょっぱい何かが流れていく。 泣かないように、と精一杯こらえてみるが、それはやがてくぐもった嗚咽になるだけだった。 こうなると、自分が情けなく思えてくる。 こうして泣いているだけでは何の意味を持たないことを私は知っているのに、実際に何をしたか、努力したかが、重要なのに、 堰をきったように溢れ出てくる奔流を押しとどめることができない。 自分は、一人で、誰とも接点を持たずに何事もこなしてきたが、自分ひとりの感情を抑えられないのだから、自分は決して強い存在などではなく、 もっと脆いものであると、再び確認する。 278 :和菓子と洋菓子 [sage] :2007/07/15(日) 02:31:59 ID:teTGGwWE 126という部屋の識別数字の下に松本弘行と書かれた紙が張られ、その部屋にいる患者名がわかるようになっているプレートが表に掲げられている、どこか空しい病室。 患者は自身の妹である理沙と面会していた。 手持ち無沙汰でベットに横になりながら、お気に入りのアニメ鑑賞で時間を潰していた兄は突然の来客に驚いた。 ましてや、その来客が来ることが考えられない人物であったからだ。 「り、理沙!どうしてここへ来たんだ。」 「確かに私はお兄ちゃんのところに行っちゃ駄目だって怒られたけど、妹が兄に会って、話をするのは普通のことだよね、そうだよね、お兄ちゃん?」 「いや、それは…」 「確かにお兄ちゃんの体調が良くなるまで、行かない、と約束したけど、それは、私自身にもその条件を呑まざるを得なかったからだよ。 だからね、あの場はああするしかなかっただけで、それを守るかどうかは私の勝手になっているのだから、そんなことには従えるわけがないよね、ねえ、お兄ちゃん? お兄ちゃんは理沙の事、叱らないよね?」 約束を一方的に破った理沙はやはり間違っていると僕は思うが、やはり理沙に対する今までとっていた態度を考えると、 少しくらい甘くてもいいのでは、と思ってしまう。 第一、僕が帰るように諭してもこの子のことだから、こういう時は僕の言った事でも、頑として聞かないだろう。 とにかく、何か理由があってきたのだろうから、話しを聞くくらいはしてもいいんじゃないだろうか。 279 :和菓子と洋菓子 [sage] :2007/07/15(日) 02:33:48 ID:teTGGwWE すぐに何かを言い出すのかと思っていたが、理沙は黙り込んでしまった。 それだけでなく、僕に愛に来たことでうれしげな表情を浮かべていたさっきとは打って変わって、沈みこんだ、 どこか申し訳なさそうな感じの表情になっている。 どこか気まずい感じの沈黙の時間が流れる。 こういうときは、相手の発言を待ったほうが良いのだろうか、それとも僕から話しかけたほうが良いのだろうか、と真剣に考えてみるが、答えは見つかりそうにない。 そうしていると、ついに覚悟を決めたのか、気のせいか、すう、と理沙が息を吸う声が聞こえた。 「お兄ちゃん、あの、今までお見舞いにこれなくてごめんなさい。」 「………。」 謝罪から始まった理沙の話に何と返せばいいのか解らず、僕の反応のための時間が三点リーダで埋まってしまう。 「お兄ちゃんがどう思っているかわからないけれど、妹としては恥ずべき行為だよね。」 「それと、もう一つ謝らなければならないことがあります。お兄ちゃんはもう既に知っているかもしれないけれど、 お兄ちゃんの今負っている怪我の九割は私が原因だということです。」 そこまで気丈に理沙は言い続けてきたが、申し訳なさそうな表情に加えて、涙をこらえているのが見て取れた。 もう既に知っていることであり、この事故については僕自身にも遠因となるものがあったと思うから、特別、理沙が悪いなどと僕は思っていない。 そう、ここで理沙の行っている途中に口をさしはさんだところで、彼女を混乱させてしまうだけだろうから、黙って、すぐにも泣き崩れそうな妹を見守りながら、なるべくなら話の聞き手に徹しようと思う。 「お兄ちゃんの怪我の原因になった……自転車は……うっ、ぐすっ、わ、私が……細工したものだったから、……私が、ぐすっ、お兄ちゃんを怪我させて………しまったようなもの………」 そこまで、既に泣くのを我慢できずに嗚咽を漏らしながら、弱弱しく話している理沙はそこまで話し終えると、正しくは中断し、感情が抑えられなくなったのか泣き出してしまった。 もともと自分が泣いているところを誰かに見られることを嫌う、健気な理沙の性格から彼女の心中を想像するのは難しくない。 280 :和菓子と洋菓子 [sage] :2007/07/15(日) 02:35:37 ID:teTGGwWE このまま、聞き役に徹することは不可能だと悟ったので、声をかける。 「理沙、僕は理沙が自転車にいたずらした事くらい、当然知っているよ。 でも、僕が怪我したことについては僕自身、いろいろあって、納得しているんだ。だから、そんなに泣くことはないよ。」 涙にぬれ、抑えられなくなった感情から赤く染まった理沙の顔にきちんと目を向けて話す。 「うっ、ぐすっ、…………お、お兄ちゃん……。」 そう僕に許しを請うような表情で、理沙も僕の顔から目を逸らすことなく一心に見つめてくる。 二週間前、理沙について考えていた、あの時のことが脳裏によぎる。 だから、僕は理沙に対して冷たい態度を知らず知らずのうちにとっていたことを遅くならないうちに謝りたい。 何だかんだ言って、結果的に僕の選択が謝っていたがゆえに起こってしまった事なのだ。 やはり、こんな一方的に理沙が謝り続けるのはおかしいような気がする。 あの時は二律背反、などという難しい言葉を持ち出して、この理沙と北方さんとの問題はどうにもならないと思ったが、そんなことはないと今は思う。 努力という言葉はあまり好きになれないが、結局は人間の努力しだいなのだ。 どちらかを選べ、なんて酷薄な選択をする必要なんてどこにもない。 妹を捨てるような選択も好きな人を捨てるような選択も、やはり愚かだと思う。 「理沙、僕は、僕はこの怪我をしてから、考えた。なぜ、理沙がこんな行動をしてしまったのか、 自分が足りないところがあったからこんなことになってしまったのか、その足りないところは何なのか、という風に。」 「それで、僕はお前がこんな行動に出てしまったことは、僕が冷たい態度を取って、理沙が何を必要としている、 自分の行動によって理沙がどう考えるかを理沙の視点からあまり捉えようと、努力しなかった、ということに気づいた。」 「確かに、兄としては愚かしく、お粗末な限りだけれど、僕は今からその自分のミスを直すのでも、遅くないような気がするんだ。 理沙としては今頃になって、と思うかもしれないけれど、僕を許してくれないか?」 そう、僕が気をつけていれば理沙は北方さんと争うことなんてなかったに違いない。本当に僕は兄としては失格だろう。 281 :和菓子と洋菓子 [sage] :2007/07/15(日) 02:36:43 ID:teTGGwWE 理沙は嗚咽を漏らさないようにこらえながら、真剣に僕の発言を聞いていたようだ。 真剣なまなざしで僕に双眸を向けている。そして、再び沈黙が訪れるのかと思った瞬間、理沙が唐突に僕の胸に飛び込んできた。 「り、理沙!」 「……お兄ちゃんは悪い訳なんてないよ。それにね私、うれしいの。お兄ちゃんが私のこと、真剣に考えてくれているなんて思わなかったから。」 僕の胸に顔をうずめている理沙がくぐもった声でそう言った。 「それよりも、お兄ちゃん。お兄ちゃんに迷惑をかけた私のことを本当に許してくれる?」 「ああ、もちろんだよ、理沙。」 「でも、北方さんの自転車に細工をしたということは、理沙はけじめとして北方さんに謝らなければならないだろう。」 そう言いながら、こうされることが理沙は好きだということを知っているので、 丁寧に手入れされているブロンドの髪をゆっくりと人形を扱うようになでる。 「お兄ちゃんの言うことだから、もちろん北方先輩にも謝ります。」 そう言ってから、理沙は瞬間的なまでにわずかな時間であったが、邪悪さを含んだ笑みを見せていたことに松本弘行は気づかなかった。 また、同様に自身が入院した際に病室に妹によって取り付けられたはずの、盗聴器にも―。

表示オプション

横に並べて表示:
変化行の前後のみ表示: