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194 :羊と悪魔 [sage] :2007/09/28(金) 06:12:59 ID:FGMYK50Z
「……あきら?」
階段を降りたその先、生徒昇降口を目前にした廊下に、赤い髪の女の子が立っていた。
薄く笑うその表情は、以前にも見た。背筋が冷たくなるような、あのときの微笑み。
あきらは何も言わずに、困惑する私たちを見上げている。彼女の眼は前髪に隠れていてよく見えない。見たくもない。
「何の用? 石橋さん」
玲が尋ねる。玲だけはなぜか冷静らしい。理子ものぞみも、動けないでいるというのに。
──何故、私は動けないのだろう。
「あなたに用はない」
あきらが答えた。その声は、暗い校舎によく響く。彼女の声を聞いたのは小学校以来だけど、少し大人びた気がする。
赤い髪が揺れた。あきらが階段を上ってきていたことに気付くのが一瞬遅れた。同じ段に一列に並ぶ四人の中から、私を目指して昇ってくる。
私に。
「…………!」
あきらの顔が近い。あと一段上れば顔がぶつかってしまうような位置で、あきらは足を止めた。
相変わらず前髪が邪魔をして、あきらの眼は見えない。
「な、なに?」
私が喉の奥から搾り出した言葉を覆うように、唇を塞がれた。
…………。
……私、キスされてるっ!?
しかも同性に!
唇が離される。混乱する私の耳元に、あきらが何事か囁いた。
「愛してるよ、きみこちゃん」
……私の聞き間違いデショウカ? デスよね? いや、そうに決まってる。同性に告白されるなんてそんな、漫画じゃあるまいし。
ファーストキスを奪い去られ、さらに爆弾発言を投下された私の頭は、白絵の具で塗りつぶされたように真っ白になっていた。
当のあきらは何もなかったように踵を返して階段を降り、そのまま生徒昇降口に行ってしまう。
ちょっと待てなんだこの状況。私の頭は、冷静さを求めていた。
195 :羊と悪魔 [sage] :2007/09/28(金) 06:13:36 ID:FGMYK50Z
やってしまいました。
とうとう、私の想いを伝えることができたのです。
言葉にして初めて、私は私の気持ちに気付いたのです。私は、きみこちゃんを愛しています。
ああ、今日はなんていい日でしょう。今すぐ踊りだしてしまいたいくらいです。
「ねぇ、ちょっと」
浮かれてスキップしかけた私に、誰かが声をかけました。
振り向くとそこには、きみこちゃんを分厚い本で叩いた、眼鏡をかけた他人がいました。
「何の用?」
私は精一杯の敵意を込めて尋ねます。しかし、その他人は表情も変えずにこう言うのです。
「明日の放課後、美術室に来てくれないかな?」
「いやだ」
きっぱりとそう言って、私は害された気分を落ち着けようと胸を抑えました。
心音が骨と筋肉を伝わって、私の頭の中で何重にも響きます。
「即答か……。うん、面白い」
眼鏡をかけた他人の呟きが聞こえましたが、私は無視することにしました。
胸と喉が酷く痛みます。
家に帰るまでの記憶がありません。
無言の父と母の横を通り過ぎようとして、私はふと気付きました。
彼らを、父と母を、私はもう他人とは思わなくなっています。
何故でしょう。何も言わない彼らをじぃっと見ても、理由はわかりませんでした。
害された気分は、彼らを見ていて少しだけ癒されました。
相変わらず、彼らから愛は感じないのに。
196 :羊と悪魔 [sage] :2007/09/28(金) 06:14:09 ID:FGMYK50Z
「ごめん、あたし先に帰る」
玲がそう言って昇降口から出て行くのを見送りながら、私は先ほどからずっと呆けていた。
理子とのぞみがさっきから携帯電話をいじっている。多分さっきのことを広めているのだろう。止めたかったけど、止める気力が起きなかった。
女が女に告白されるなんて話題性抜群。あきら、あんたどこまで話題性を集める気? 話題性を七つ集めても願いは叶わないぞ?
いけない、冷静な思考ができてない。いつからドラゴンボールになった。
今日はさっさと帰ってさっさと寝よう。そうしよう。
次の日、私は学年中の友人たちから追究されることになった。
「あの石橋さんからコクられたって本当!?」
「うん、そうみたい……。今でも信じられんわ」
「希美子ぉ、あんたそういう趣味あったの?」
「ねーよ!」
「ねぇ、キスまでされたんだよね? どんなだった!?」
「聞かないで! 頼むから聞かないで!」
「実はあたし、あなたのことが……」
「冗談でもやめなさい! 私にそういう趣味はない!」
とまぁ、こんな感じである。この間に溜まった私の疲れ具合は、察して欲しい。
朝、授業の合間、昼休みと、空いた時間があれば彼女たちは嬉しそうに楽しそうに私のところにやってくる。中にはちらりちらりと男子の姿も見えた。
放課後になっても人溜まりは絶えなかったが、段々その人溜まりに隙間が出来始めていた。さすがに一日も経てば飽きるか。
「大変だね希美子」
のぞみが他人事のように言う。まぁ、彼女にとっては他人事だろうが。
「のぞみ、あんた部活は?」
「サボリーん。ここで希美子見てるほうが楽しいもん」
「私はバラエティ番組か」
サボると美術部顧問の長門先生が怒るぞ、と心の中で呟いておく(ちなみに言うと、長門先生のフルネームは長門啓介、男性である)。
ふと、人だかりに空間が出来ていることに気がついた。自然に空いたのではなく、みんなが意識的に空けている。
その空間の中心に赤いものが見えて、私はため息をついた。ああ、元凶が来た。
「きみこちゃん」
あきらが、例の薄い笑いを浮かべていた。
ざわざわとした女子たちの会話が、いつの間にかひそひそとした小声になっている。
「……何の用よ」
「昨日のこと」
あきらが微笑む。その表情を見るたびに私の背筋が冷たくなっていく。
「私、きみこちゃんのこと、好き」
そしてとびっきりの笑顔で、そう言った。
「ああそう。私は好きでもなんでもないわ。同性愛者じゃないし」
「そっか。でも、それでいいよ。きみこちゃんが私のこと嫌いならそれでいい。私がきみこちゃんのこと愛してるから」
……てっきり逆恨みするのかと思ったら、逆に「それでいい」と即答されてしまった。その反応は逆に困るのだけれど。
197 :羊と悪魔 [sage] :2007/09/28(金) 06:14:53 ID:FGMYK50Z
私の想いを伝えるのは二度目です。
きみこちゃんはなんだか困った顔をしています。その顔も、なんだか可愛らしい。
胸が熱くなってきます。きみこちゃんのことを想うと、痛みは熱に変わると気付いたのは、昨日のことでした。
「じゃあね、きみこちゃん。またね」
少し名残惜しいですが、私は帰ることにしました。
……これ以上、他人たちに囲まれていたら、私はこの殺意を抑えることができません。
背を向けて、樹立する他人たちの群れをかき分けようとしました。
「あ……! ちょっ……」
きみこちゃんが引きとめたような気がして、私は振り返りました。
「……やっぱり、なんでもない」
なんでもないようですので、私は他人たちの群れをかき分け始めました。
しかしなんなのでしょうか、この蝿のような他人たちは。
私の進んでいる道を遮り、何事かを鼻の下にある穴から吐き出します。その雑音は音声が大きく、私には聞き取れません。
「邪魔。どいて」
私がそう言うと、他人たちは道を遮るのをやめました。雑音は消えません。
熱かった胸に残るのは痛み。その痛みは喉まで這い上がってきます。
この痛みが頭まで来たら、私は。
私は。
私は?
どうなるというのでしょう。
ふと、目の前に誰かいるのに気付きました。
昨日の、きみこちゃんを本で叩いた他人。何故あの他人が?
「いや、本当にありがとう。前々から貴女のこと、モデルにしたかったんだ」
ここは美術室のようです。ああ、思い出しました。帰ろうとしたところで、そこにいる他人に誘われたのです。
『私の描く絵のモデルになってくれないか』
何故私は承諾したのか、憶えていません。ただ、酷く頭が痛みます。
私は椅子に座らされ、そこにいる他人は絵を描く道具の準備をしています。
「今日はもう他の部員も帰ったし、長門先生は今日は出張なの。今だけはあたし専用の部屋よ」
私とそこの他人以外、美術室には誰もいません。私たちを見下ろすのはモナリザのコピーです。カールクリノラースくんは何も言いません。
「それじゃ、脱いで」
…………。
「人を描くときには裸体が一番なのよ。だからほら、脱いで。もちろんお礼はするからさ」
言われた通り、私は制服を脱ぎました。まだ初春の風は、少し寒いです。
「ああ、下着も脱いでね。靴下も」
言われた通り、下着も靴下も脱ぎ捨てます。
「へえ……普通の人は大抵躊躇するのに。まぁいいや、それじゃあ座って」
そして私は再び椅子に座らされました。
一糸も纏わぬ姿を、他人に晒して。
何故でしょう、胸と喉、頭の痛みが増していきます。
そこにいる他人は鉛筆を持って、白いカンバスに線を引いていきます。その姿を見ていると、私の心が痛むのです。