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154 :Tomorrow Nver Cmoes一話「平平凡凡」 ◆j1vYueMMw6 [sage] :2009/01/21(水) 15:47:21 ID:BKFgU1gH
「はい、じゃあ各自念入りにダウンしといて。レギュラー外の一年は手伝うか片付け。最後の子は戸締りをして、一階のラウンジに集合」
今日も部活が終わった。相変わらずの不完全燃焼で、不満が募るばかりだ。
季節は冬、12月。ごく普通に中学を卒業した俺は、ごく普通の高校に、特に何の波乱も無く入学し、大きな変化も無いまま一年が終わろうとしていた。
現に、今年の授業は今日で収めとなり、明日からは冬休みが始まる。冬休みはカレンダーで見るよりもずっと早く、あっという間に年が明けるだろう。

「さて、と」
散らばったボールを籠に戻すと、俺は体育館を見渡した。梅ちゃんが舞台のほうへと向かったので、おそらくモップを持ってくるはずだ。
シバちゃんがコーンを片付けており、続いて、ネットを下ろしている佐藤の姿が目に入ってきた。小走りでそちらへ向かう。
「お、悪いな」俺を見て佐藤が笑ったので、気にすんな、と言って俺も笑った。

俺は中学校からずっとバレーボールを続けており、自慢じゃないが中学生の頃は主将を勤めていた。
ただ、高校では普通にやれれば満足なので黙っているつもりだったが、アイツが━━浅井の野郎が新入部員の歓迎会でわざわざ言いやがった。
幸い、悪い方向には転がらずにすんだが。
「たいしょ~。マッサージして~」
「あ、俺も、大将」
「はいはい。今片付けっスから、ミーテの時にしますよ」
結果、これだ。念のため言うが、俺の名前は“大将”ではない。
主将をやっていたことが転じ、気付けば周りの人間は俺をそう呼び始めた。まぁ、これだけなら一向に構わないのだが、これに託けて、何かと俺に甘えてくる。
もしそれを断るものなら、「え~。だって主将やってたんでしょ」という意味のわからない責任を押し付けられる。1年生は5人もいるのだから、俺以外にも頼めばいいだろうに。
「モテモテだな、大将」佐藤登志男(さとう としお)はネットを支えるポールによじ登り、高い位置の紐を解きながら言ってきた。
「お前まで言うかよ」
「まあまあ、プラスに考えろよ。先輩に好かれてるなんてオイシイじゃないか」
「先輩だけなら、な」 事実、先輩だけではない。

我が校の部活は互いに関係が深い部活が多く、特に同じ競技なら尚更である。
男子バレー部と女子バレー部もその例に漏れず、非常に友好的だ。健全な高校男児なら手放しで喜ぶところだが、今の俺には不愉快としか言い様が無い。
部活同士で仲がよければ当然、部活の枠を越えてカップルが出来たりもする。
バレー部では、二年の池松先輩と城崎先輩がそれにあたり、主に二人を掛け橋にして関係が築かれている。“大将”は、その掛け橋を本人の知らぬ間に渡ってしまい、橋から橋へ、部活から部活へと一人歩きを始めたことに気付いた時には、もう手遅れ。
学年どころか、学校の大半の生徒に知れ渡ってしまった。『斎藤憲輔(さいとう けんすけ)=大将=なんでも頼める人』という式は、もう崩せそうにない。



155 :Tomorrow Nver Cmoes一話「平平凡凡」 ◆j1vYueMMw6 [sage] :2009/01/21(水) 15:49:31 ID:BKFgU1gH
佐藤がネットを取り外すと、いつのまにか戻ってきたシバちゃんがネットを丸め始めた。
俺と佐藤はポールを運ぶ事にした。最近のはアルミだかなんだかで作られており非常に軽いのだが、歴史が深いらしいこの学校は未だに鉄製のものも所有し、男子バレー部はそちらを使わされている。
顧問曰く、これも筋トレの一貫らしいが、女子バレー部の若いコーチに言い寄られ、最新のは女子が使っちゃってください、と顧問が言っていた現場を俺は見ていた。あの時のイイ笑顔は忘れられそうにない。
「ほっ、と」若干、ふらつきながらもポールを倉庫の定位置に置いて固定した。横でも佐藤が同じ作業を終え、右手のこぶしで腰を叩いていた。
「かぁ~、腰にくるなぁ。そういや、今日はりおちゃん来なかったな」
「ん?・・・あぁ、そういえば」
「うわっ、今の間は何よ。聞いてたら傷つくぞ」
「今日はいないから大丈夫」
そう言いながら倉庫を出た矢先、彼女の声が聞こえた。
「遅れて申し訳ありませんっ」体育館に入るや否や、土下座でもしそうな勢いで頭を下げている。
そこへ、現主将の浦和先輩が寄っていく。「もっぉ~、りおっち遅いって~。今日は終わっちゃったよ」
「ご、ごめんなさいっ。なかなか用事が済まなくて・・・」
「ま、いいからいいから。今日はお休みってことで」
「いえ、せめて片づけだけでも手伝いますっ」
「・・・りおちゃん、スゲーな」舞台横の時計を見ながら、佐藤が言う。
つられて見ると、時刻は6時過ぎだった。「俺だったから確実に来ねーよ、なぁ?」
「それよりも、6時間部活やって汗をろくにかいてない自分にびっくりだよ」
言いながら、俺は体育着の首元をひっぱり、匂いを嗅いだ。未だに洗剤の匂いがした。
「ん?・・・冬だからジャン?」
「お前、それ本気で言ってたら殴るぞ」
「んなこと言っても仕方ねぇだろうよ。俺らレギュラー外だもん」
佐藤は、俺の最大の悩みをあっさりと口にしてくれた。

そう。俺は大将と呼ばれているクセに、レギュラーではない。
部員数が100を超えていたり、全国に名を轟かす強豪校だというのなら、俺は甘んじてこの状況を受け入れよう。
ただ、現実は1,2年生合わせて20人ちょっとの部活で、全国どころか、地区大会を勝ち抜いたことすらない。
顧問の高橋先生は、俺のことが嫌いだ。ミーティングの時に俺の顔を見ないし、練習のときは俺に対する球筋がやたら緩い。
あんなもん、素人でも取れる。差し入れを持ってきたときは俺の分だけ足りなかったし、俺がいるのに体育館の鍵を閉めたこともあった。
りおちゃんがいなかったら確実に一泊していただろう。元大学選抜選手らしいが、その御眼鏡には俺のことが悪く映っているらしい。
確かに、俺はそれほどバレーが上手いわけではない。弱小校で頭を張っていただけで、主将に選ばれた理由も、おそらく実力ではないだろう。
バレーに限らず、スポーツ全般において優劣を分ける体格も、恵まれているとは言い難い。
一言で言うなれば、平平凡凡。誉められることも、怒られることもなくここまで成長してきた俺は、たかだか16年間生きただけで、己の人生の行く末を把握した。
ドラマティックも、スペクタクルも俺には用意されていない。
遠い、隣の世界の話だ。


156 :Tomorrow Nver Cmoes一話「平平凡凡」 ◆j1vYueMMw6 [sage] :2009/01/21(水) 15:52:24 ID:BKFgU1gH
「大将、ギャラリー頼んでもいい?」

ナーバスになっていたところ、突然後ろから声を掛けられて、思わず体が跳ねた。
向き直ると、大川俊(おおかわ しゅん)先輩がいた。大川先輩はバレー部だということを疑うほどに身長が低く、無駄に声が高い。

「ああ、はい。大丈夫っス」

「ホント?悪いねぇ。俺ちょっと、今日は用事があってさぁ」先輩は満面の笑みを浮かべると、そのまま走り去った。

はぁ、とため息を一つ吐く。

「俺が行こうか?」心配したのか、佐藤が気を遣ってくれる。

「私がっ。私が行きますっ」また後ろから声がして驚く。そこにはりおちゃん、窪塚りおが高く右手を挙げて立っていた。

「あ、いや、いいよ」二人の申し出を断ると、りおちゃんはどこか悲しげな表情をし、佐藤はあからさまに呆れていた。
「頼まれたのは俺だし。それに、りおちゃんは今日休みな、って言われてたでしょ」

「でも・・・」

「ムダムダ、りおちゃん。コイツは人一倍意地っ張りだからさ」やれやれ、と言って首を振る。

「あぁそうだよ。どうせ俺は意地っ張りだっつうの」

「で、でも、でも・・・」りおちゃんは両手を胸の前で擦り合わせながら、モジモジとしている。

俺もたいがいだが、りおちゃんもなかなかだ。そしてりおちゃんは胸がデカイ。

「ほら、ミーテ始まるから先に行ってくれ。鍵も俺が閉めとく」

雑念を振り払って舞台袖へ向く。後ろから佐藤が「無理すんなよ」とふざけたトーンで言ってきた。それがどれだけありがたいか、アイツ自身は知らないだろう。


集会などで使われる舞台の下の両脇に、扉がある。
そこから裏方へ上がり、さらに階段を上ることで、大会などの時に保護者が来たり、横断幕を張るような通路、通称ギャラリーへと行ける。窓ガラスに沿って体育館の二階を、ぐるりと一周している通路だ。
バレーボールは、稀に、球を弾き過ぎてボールが乗ってしまうことがある。部活が終わってから、カーテンをしめたり窓を閉じたりするついでにまとめて回収するのだ。
また、今日はたまたまいないが、体育館で二つの部活が活動するときは、反面ずつに分かつ網状のカーテンをギャラリーから下ろすため、それをしまうこともこの時にする。
扉を開けて裏方に入ろうとすると、モップをしまっている梅ちゃんと目が合った。「あ、ギャラリー」
数秒待ったが、続きを言おうとしないので、解読することにした。
つまりは、俺が来たことでギャラリーという仕事を思い出し、もしかしたら、そのことを謝ったりもしているかもしれない。

「ああ、いいよ、気にしないで。俺いくから」できるかぎりの優しい顔と口調で返事をした。

「あ、う、あり、ありがとう」そう言うと、梅ちゃんは走っていってしまった。

お礼を言われるとは、予想外だった。同学年である梅本賢三(うめもと けんぞう)は内向的な性格のようで、いつも小動物のようにビクビクしている。
それでも、俺の努力の甲斐あって、先ほどのように心を開きつつある。
あれだな、テレビでやってる動物と触れ合いを中心に据えた番組。なんたら動物園。
あれでよくやっている、芸能人が珍しい動物を飼う企画。最初は脅えたり、拒絶していた動物が、初めて飼主の足元に擦り寄ってきた瞬間、あの時のような感動が今押し寄せてきている。
そうか、そのうち梅ちゃんも動物園に帰ってしまうのか、と不謹慎なことを考えながら階段を上った。


157 :Tomorrow Nver Cmoes一話「平平凡凡」 ◆j1vYueMMw6 [sage] :2009/01/21(水) 15:54:35 ID:BKFgU1gH
薄暗い階段を抜けて視界が開けると、またもや驚いた。体育館の入り口に、りおちゃんが立っている。先にミーティングに行きなと言ったのに、なんと律儀なことか。
歩きながら暫く彼女を見ていたが、彼女はこっちに気付いていないようだ。ここぞとばかりに直視してみる。
りおちゃんは丸い。太っているというわけではない。普通よりほんのりと丸い程度で、体型的には普通といっても問題ないかも知れない。もしかしたら、雰囲気なども相まって、そう見えるのかもしれない。
クリクリとした瞳と割と大きめの唇が印象的で、黒のショートヘアーは爽やかさを醸し出している。身長は低めだが、その割には胸が・・・
りおちゃんと目が合い、慌てて逸らした。バカか、俺は。マネージャー、それも人様の彼女になに欲情してやがる。
もういちど見ると、彼女は笑顔で手を振っていた。濃い緑色のブレザー越しに、胸が揺れる。俺のバカ。
りおちゃんは主将、浦和好紀(うらわ よしき)先輩の彼女で、推薦での合格が出ているものの、まだ高校生ではない。
中学での授業が終わるとかけつけ、マネージャー業務をしてくれているのだ。正直、ありがたすぎて足を向けて眠れないが、やはり愛する彼氏のためなのだろう。
しかし、こうして一端の部員でしかない俺にまで優しくしてくれているあたり、浦和先輩がうらやましい。



「うしっ、完璧」

体育館の各所にある扉、窓、足元の小窓。順に指差し確認をしてから、防犯システムのスイッチを入れ、入り口の鍵を閉めた。
今なら某偉人に「してますか?」と訊かれても胸を張って返事が出来る。

「お疲れ様です」横にいるりおちゃんが微笑む。花が咲くよう、とはまさにこれで、一瞬見とれてしまった。

「ありがと。じゃ、行こうか」と言うと元気良く、はいっ、と答えてくれた。

ミーティングはもう始まっているだろう。ぜひとも走りたいのだが、りおちゃんがいる手前、それはやめておく。
柔道場と剣道場の前を通り、本館に移る渡り廊下を抜ける。あとは道なりに、視聴覚室、図書室の前を行けばラウンジがある。
下駄箱の前にあるラウンジは、壁が一面ガラス張りになっており、昼間はラウンジ全体が柔らかな日差しに包まれる。逆に、夜は不気味なことこの上ない。
柔道場を通り過ぎたあたりで、りおちゃんが急に言う。「先輩は好きな人とかいないんですか?」

「いきなりだねぇ」

「ダメですか?」

「ダメ、というか」『“彼女”いないんですか?』では ないあたりが寂しい。

「どうなんですか?」

「好きな人ね、いないよ」

「ホントですか~?」上目遣いで、少し近づいてきた。
口元に手を当てて反対側を向く。これ、だれかに見られたら誤解されるな。

「りおちゃんは・・・って、いるか。浦和先輩だ」相当混乱しているみたいだ、俺。

「ん・・・そうですね」りおちゃんは急にテンションが下がり、俯いた。上手くいっていないのだろうか。
苦し紛れで、浦和先輩が羨ましいね、と言うと、りおちゃんは勢いよく顔を上げ、何故、と言うような顔で俺を見てきた。

「りおちゃんは気が利くし、優しいし、か・・・たづけも上手いし」『可愛いしね』と言おうとして止めた。他人の彼女に言うのもどうかと思ったからでヘタレだからではない。断じて。

「私、優しくなんかないですよ。そうだな・・・例えば、好きな人に彼女がいたら、その人をころ・・・押しのけてでも付き合うだろうし」

「すごいなぁ」一瞬、マズイワードが聞こえそうだったが、空気を呼んで、ここは流す。ヘタレだからではない。多分。「じゃあ、もし好きな人が付き合うのを拒否したら?」
言ってから、後悔した。りおちゃんはいつも通り、いや、いつも以上の笑顔を浮かべたが、目は一切笑っておらず、瞳の黒がより濃く見えた。「どんな手を使っても、好きになってもらいます」

「すごいなぁ」具体的にどんな手を使うのか気になったが訊かなかった。ヘタレだからだ。絶対。


158 :Tomorrow Nver Cmoes一話「平平凡凡」 ◆j1vYueMMw6 [sage] :2009/01/21(水) 15:56:02 ID:BKFgU1gH
学校から電車に乗って最寄駅まで帰り、そこから自転車に乗った。学校までも自転車で行けるのだが、朝はどうもテンションのせいでその気にならない。
冬の夜は、朝のような刺すような寒さとは裏腹に、どこか清々しい、気持ちのいい寒さと言える。

ミーティングはいつも通り行われ、いよいよ5日後に控えた地区大会についての説明があっただけだった。
今年は高橋先生の存在もあってか、期待がかかっているそうだ。メンバーもここ最近では最も粒揃いで、地区大会は勝ち抜ける、と先生は言っていた。俺はといえば、どうせ出ない試合なので興味が無く、りおちゃんへの失言をいつ謝るかを悩んでいた。
話の流れから推察するに、浦和先輩と上手くいっていないのだろう。そこへ、あの言い方はなかった。怒るのも当然だろう。
ミーティングが終わり、すぐ謝ろうとしたのだが、先ほどマッサージを約束した先輩につかまり、結局、りおちゃんは帰ってしまった。
電車の中、メールで謝ろうかとも思ったが、電池が切れていることを確認させられただけだった。さすがに、そろそろ替え時だろうか。

十字路を抜け、坂を下る。寺、酒屋、和菓子屋がいつも通りの順番で流れていく。信号で止まり、ふと横を見ると、一軒家の窓からあたたかな光が漏れていた。
帰る家に、あのような光が灯っていたのはいつまでだったか。車用の信号が黄色になった。赤になる前に、答えは出た。最初っから灯ってなどいない。
母は介護関係の仕事をしており、朝6時から、早くても夜9時まで家を開ける。
父に至っては、母よりも早く家を出て、母より遅くに帰るというハードスケジュールだ。
それ故、俺とは週に一度程度、それもニアミス程度の関わりしかない。何の仕事をしているか、知りたくても訊く機会が無いので諦めている。
3歳上の姉もいる。いや、いた。
母に代わって、我が家の家事全てを受け持っていたが、大学進学を機に県外に逃亡してしまった。それでも、「寂しい~」と泣きながら電話してきたり、「寂しかった~」とか言いながら、頻繁に帰ってくる。

断っておくが、家族間の中は悪いわけではなく、むしろ模範的な仲の良さである。
父か母、どちらかが休みだと聞けば、誰が言い出すでもなく全員が休みを合わせ、一日中一緒に過ごすというのも、もはや習慣となっている。姉は彼氏との約束をドタキャンしたほどである。逆に、その仲のよさが辛いと思うこともある。
いかんせん、父と母は忙しすぎるのだ。幼稚園の頃は閉園まで待っても誰も俺を迎えに来なかったし、小学校では授業参観などあったかどうかすら曖昧だ。

そのため、家に帰ったら家族が食卓についていて、遅いじゃないか憲輔、お疲れケンちゃん、今日はお鍋よ~、うふふ、あはは。などというのに憧れていたりはする。

「せめて、おかえりくらいはなぁ」
ぼんやりと呟いた言葉は白い靄になって浮かび、すぐに見えなくなった。



159 :Tomorrow Nver Cmoes一話「平平凡凡」 ◆j1vYueMMw6 [sage] :2009/01/21(水) 15:57:25 ID:BKFgU1gH
案の定と言うべきか、いつも通りというべきか、家は暗かった。母の中途半端なガーデニング趣味が災いし、壁には正体不明の蔓が巻きついているのは相変わらずだ。

明かりの無いまま、おぼつかない手つきで鍵を開けると、まずは玄関、廊下、階段、居間、キッチンの電気を点ける。玄関の明かりを点けた時、大きめの何かがあったが、気にしないことにした。どうせ母が通販でまた何か頼んだのだろう。

「洗濯物入れて、掃除機かけて、風呂やって、飯作って・・・」居間でカバンを下ろしつつ、やるべきことを反芻する。こうでもしないと、スイッチが切り替わらない。

庭のほうからどんっ、という激突音がした。目をやると、シベリアンハスキーがガラス戸に前足をのせ、後ろ足で立っている。「待ってろ、マエダ。飯食ったら散歩に行くから」

ある日、突然にシベリアンハスキーを貰ってきたのは父だ。
その数日後、帰省した姉は黒いラブラドールレトリーバーを抱えていた。
飼い始めてから知ったのだが、我が家はどうも動物好きの血が流れているらしい。
帰りの遅い母が、帰ってきてから散歩に行ったり、ただでさえ家を出るのが早い父は、わざわざもっと早くに起きて散歩に行っている。
犬の世話に熱中して倒れて貰っても困るので、自粛するように呼びかけているが、あまり聞いてくれていない。

ちなみに、ハスキーがマエダで、レトリーバーがルイス。さらに言えばレトリーバーはメスで、どちらとも名付け親は俺だ。
とりあえず、先に二人にえさをやろう。そうでもしないと鳴き始めて大変なご近所迷惑になる。

こうやって、いつもどおりの一日が終わり、いつもどおりの明日が来る。そう思っていた。
テーブルの上の書置きと一枚の切符を見てから、少しだけ、捩れ始めた。

数時間前、彼女の人生は大きく捩れ、ブツリ、という音を発てて引きちぎれたのを、まだ知らないまま。