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349 :Tomorrow Never Comes9話「ほころび」 ◆j1vYueMMw6 [sage] :2009/03/01(日) 00:34:21 ID:bqVkUjNx
 幼い頃、俺は糸抜きが好きだった。
 衣服のほつれた部分を見つけては、飛び出た糸を抜けるまで引っ張った。縫い目がするすると崩れていき、ほころびが生まれる。何故かは分からないが、それを見ると満足した気持ちになったのだ。
見つけては迷わずに引き抜き、怒られようがお構い無しだった。
 幼い俺は、16歳になった自分がほつれを前に何もできずに立ち尽くしているのを、どう思うだろうか。

 朝から席についてはいるが、何もしていない。教科書とノートは開いているが、それだけだ。こぼれるようにため息をつくと、前の席の人が脅えるように身震いをした。
 ふと窓の外を見ると、7月の雄大で清々しい空に、ポツポツと雲が浮かんでいる。何か理由があるでもなく漂う雲は、どこか間抜けだ。
 今度は教室を見渡す。誰もが、先生がつらつらと黒板に書いた文字を無我夢中でノートに写している。
あの佐藤や遊佐までもが必死で写しているのだから、もしかしたら人生の悩みを一瞬で晴らすような方法が書いてあるのかもしれない。
 先生が何か質問は、と言ったので手を挙げる。
「ん、斎藤君」
「なんで浦和先輩は殺されたのですか?」
 全てのペンが止まり、教室中から音が失われた。誰もが恐る恐る俺を振り返り、その中で遊佐が可哀相な物を見るような目を俺に向けている。
そうか、俺は今、同情してもらってるのか。ありがとう、みんな。
「保健室でゆっくり休んできなさい」
 ありがとう、先生。


 とはいえ、バカ正直に保健室へ向かう気にはなれない。
 生徒会室へ向かう途中、なんとなしに携帯を取り出した。『不在着信99件 メール118通』と表示されたディスプレイをぼんやり見ていると、またメールが届いた。中身を見ることなく、ポケットにしまう。
「サイレントじゃなきゃやってられんな」音なし、バイブなしの状態をこれほどありがたいと思ったことはない。
 浦和先輩の死体が発見される数日前に起きた小さな事件は、俺とくるみと窪塚さんの心の内だけにしまわれている。
ただ、変化は確かに顕在化しており、この携帯の状況がそのまま今の現状を表していると言っても過言ではない。
 くるみの俺への依存は目に見えて悪化している。睡眠時だろうが食事時であろうが、可能なときはいつでも傍にいるようになった。一度、風呂にも来ようとしたが、さすがに止めた。
こうして学校などの強制的に引き離される場合は1分置きの電話、授業中はメールが送られてくる。罪悪感からなのか、俺はくるみを避けることも、拒絶することもできずにいる。
 一方、窪塚さんはといえば、休み時間のたびに俺の教室を訪れては同じように訪れるくるみと牽制をしあう。
出来るだけ避けようとはしているが、効果がないこともいい加減分かってきて、今では受け流すようにしている。メールや電話もほぼ同じペースで、ここ数日の間に届いたメールの9割はこの2人が占めている。
残りの一割は佐藤との部活の話や、姉が友人を連れて近々帰省するだとか、その程度だった。
 肝心の俺は、今まで通り、やはり何もしていない。“魔物の巣”に魂を置き忘れてきたのか、思いのほか図太く、それも冷静だ。授業も部活もかつての惰性で行ってはいるようなものだが、それでもそこまで支障はない。


350 :Tomorrow Never Comes9話「ほころび」 ◆j1vYueMMw6 [sage] :2009/03/01(日) 00:35:02 ID:bqVkUjNx
 幼馴染・・・いや、元幼馴染が昔、チェス盤の端から端までワープをする、という技を思いついたことがあった。
思考的なゲームが一変、先攻を取った方が勝つ、という趣旨の分からないものになってしまったのを今でも覚えている。
 現在の俺の状況は、言ってみればそんな感じだ。ノミの如く小さい俺のハートに、あの事件は衝撃的過ぎた。一気に容量限界を突破し逆の空っぽに戻ってきた、そんなところか。
 薄々勘付いていたとはいえ、核心に触れるのを意図的に避けていたくるみの狂気的な依存。予想だにしなかった窪塚さんの一面。現状をもってしても遠くの話に感じてしまう。
 同時に、これは全て俺が引き起こしたことではないか。そんなことばかり、ここ数日は考えている。
 くるみにもっと優しく、1番に気遣ってやってればここまで狂わなかったのか。
窪塚さんの気持ちにもっと早く気付けば、彼女も壊れなかったのだろうか。それはすなわち、先輩も死ななかったという結果も生んでいたかもしれない。
「俺の、罪」感情のない自分の声に、少しだけ驚く。

 ふいに、はるか昔、幼い自分が犯した罪が脳裏を掠める。
 夏の日、親に抱かれた俺は、連れ去られるあの子を助ける術はおろか、力も持ち合わせていなかった。
 遠ざかる車は夏の陽炎。ゆらめきと共に消える。
 高き太陽は傲慢。地に這いつくばることさえ出来ない俺を笑う。
 俺がその光景を知っているはずがない。そもそも、見ていたという確証もない。だが、脳は鮮明に、幾度となく俺に示す。
━━忘れることなかれ、己が大罪。


 鍵を開けようと差し込んだ時、中から声がした。
「開いてますよ」
 そのまま引き返し素直に保健室へ行くという選択肢もあったが、俺自身、彼女には用があったので中へ入った。
 声がしたからには当然声の主が、この場合は窪塚さんが生徒会室の中にはいた。奥の窓に寄りかかるようにして立っている右手の人差し指には、彼女が勝手に作った合鍵がぶら下げられている。
「窪塚さんもサボり?」
「りおちゃん、って呼んでくれなきゃ返事しません」
 以前と変わらないように見える窪塚さんは、昔のままの屈託のない笑顔を見せる。俺は顔を逸らし、無言で入り口の横の棚に背を預け、床に座った。
「・・・意地悪ですね、先輩」メールも返してくれないし、と彼女は口を尖らせた。
「文字を打ってる途中でメールが来れば、誰でもその気をなくすよ」
「あの女からの、ですか」
 何時の間にか、窪塚さんは俺の前に立っていた。蛍光灯を背に俺を見下す姿は恐怖を感じるものの、生憎この手の恐怖には身体が麻痺してしまっている。決して喜ばしいことではないが。
「人のことを“あの女”と言うのはよくない」
「・・・どうしてっ、どうして私のことは見てくれないのに、あの女・・・黒崎くるみばっかり構うんですかっ」
「家族だからなぁ」


351 :Tomorrow Never Comes9話「ほころび」 ◆j1vYueMMw6 [sage] :2009/03/01(日) 00:35:28 ID:bqVkUjNx
「家族っ・・・私が1番嫌いな言葉・・・・・」歯軋りをしながら、彼女は呟く。「私だって、私だって・・・」
 毎度のことだが、俺は状況がまったく読めない。こんなとき、人生の攻略本を持つ父なら一発解決なのだろうが。
「せっかくだから、いくつか訊いておきたいことがあるんだけど」
 所在なさ気に呟くと、窪塚さんは表情を明るくし、俺の前にしゃがみこんできた。スカートの中身が見えそうな体勢なので、視線を横に向ける。
「はい、なんでも答えますよ。まずはスリーサイズからいきますか?」
「いや、いい」そんなに目を輝かれても困る。「えっと、凄くバカらしくてマヌケなことを言うよ?」
「好きな体位でも訊きますか?」
「・・・窪塚さんは、その、もしかしなくても俺のこと」
「好きですよ」
 あまりにもアッサリと答えられ、恥らう自分がアホらしく感じてしまった。「ああ、そう」
「私は先輩のことがだぁい好き。先輩のためだったら何でも出来ます。朝はまず優しくキスで起こして、それから先輩にスッキリしてもらって、ご飯作って掃除して・・・
あ、ワンちゃんのお散歩もしますよ。お弁当も作りますし、学校ではメール1つですぐ駆けつけますし、いつでも先輩をスッ」
「もういい、もういいから」これ以上聞くとスッキリという単語の意味を深く考えてしまいそうになる。
 こうして笑っている彼女を見ると、わからなくなってしまう。
 彼女は浦和先輩を殺した。あの時の会話から、なんとなくそれは予想できる。要するに、俺を振り向かせるため、俺が一番気遣う存在であるくるみと同じ土俵に立とうとしたということだろう。
 なんとバカな真似だろうか。どんな理由があろうと、人の命を奪っていい理由にはならない。ましてや、それが俺のためといっては、先輩も浮かばれない。
「もう1つ、窪塚さんはいつから俺のことを?」
「ずぅっと昔、まだ私が私じゃなかった頃からです」
「・・・よく分からない」
「いいんです、私はわかってますから」
━━先輩が忘れても、私は覚えてますから
 小さく呟いた彼女の顔は寂しげで、遠い過去を見ているような憂いを含んでいた。それ自体に見覚えはないが、どこかで似たものを見たような気がした。
「・・・ということは、浦和先輩と付き合ってたのは」
「ああ、全部嘘ですよ」
 あっけなく、まるで数学の解答を教えるように軽く言い放った。ああ、そこは3ですよ。そこはx=7ですよ。
「安心してください、アイツはもちろん、誰にだって私の純潔は捧げていませんから」
「なんで、そんなことまでして」
「先輩の傍にいるためですよ」艶やかな笑み浮かべ、俺の首へと手を回す。「捜すの大変だったんですよ?」
 覆い被さってきた彼女の豊満なバストが目の前で揺れる。大きく開かれたワイシャツから、胸元がちらつく。
「せんぱぁい・・・」
 気分が悪くなるほどの甘い声に、案の定気分が悪くなった。
「やめてくれ」思いのほか強くしがみ付く彼女を、立ち上がる勢いと同時にひっぺがしす。
 手加減が出来なかった。尻餅をついた窪塚さんは立ち上がった俺を睨みつけるが、その瞳は俺より向こうを見ているのが分かった。
「あの女・・・アイツが、アイツさえいなければぁっ」
 俺にも限界は、ある。
「いい加減にしてくれよっっ!!」
 しかし、1つだけ叫んだ俺は、糸が切れた人形のようにその場へとへたれこんだ。
「くそっ・・・何で、なんでこんなことになったんだ・・・・?」
 さっきまでは答えが出てたはずなのに、記憶に靄がかかったように思い出せない。
 塞ぎこむ俺の耳に、残響のようにあの甘ったるい声が響いていた。


352 :Tomorrow Never Comes9話「ほころび」 ◆j1vYueMMw6 [sage] :2009/03/01(日) 00:35:57 ID:bqVkUjNx

「ったく、勘弁して欲しいぜ」
 体育館へ続く渡り廊下に、俺は横たわっていた。
 何故?
 分からない。頭の横に座る佐藤に目をやると、彼はわざとらしいため息をついた。
「お前、熱中症で倒れたんだよ」
 夏本番が近づき、体育館はまるで蒸し風呂のように暑い。ましてや、今日のように半面をバドミントン部が使ってると、窓が開けられないので余計に酷い。
そんな中部活をしていると、決まって倒れるやつが出た。それが今回は俺だったということか。
 ほれ、と差し出されたスポーツドリンクを受け取ると、上半身を起こし、一気に口に含む。冷たい水が体中を駆け抜ける。
「最近おかしいぞ、お前。昨日も保健室行ったまま帰ってこなかったし」
「怪獣ホルスタインとの対決が思いのほか長引いてね」
「おお、なんか素敵な怪獣だな」
「変われるなら配役を譲ってやりたいね」夏の強い日差しの中、時折吹いてくる風が心地よい。
 結局、俺がどうやって窪塚さんから逃げたのかは曖昧だ。気が付けば放課後で、何時の間にか帰宅していた。
ただ、今日こうして五体満足、体調万全でバレーに挑めているということは、上手いこと逃げ切ったのだろう。よくやった、昨日の俺。
 休日の部活というのはそれなりに憂鬱だが、一度始めてしまえば楽しいもので、思わず熱中してしまう。その結果、熱中症にかかるというのは多少病的に、そして親父ギャグのように聞こえる。
だが、悩みを抱えているときの運動ほど清々しいものはないのだから、仕方ないと言えば仕方ない。
 今日、窪塚さんは来ていない。浦和先輩の件で重要参考人として何度目かの事情聴取を受けているらしいのだが、今まで通り恋人だったから、という理由だろう。
確証はないが、彼女が警察に疑われるようなミスをするとは到底思えない。
 ちなみに、佐藤も数日前に警察へと赴いていた。死体発見の前に浦和家を訪れたことで、白羽の矢が立ったのだ。
実際、浦和先輩の家を訪れたのは俺なのだが、先輩のお母さんは佐藤君と言い張った挙句、佐藤の顔を見てこの子です、と言い切ったらしい。天然かと思ってたがあれはただの呆けだな、そう佐藤はいきっていた。
 その上、おばさんは同行していた少女の名前を『くるり』だと言っていたらしい。警察が気を利かせて、くるみでは?、と言っても意志を曲げなかったそうだ。
もしかしたら俺たちを庇っているのかもしれない、と考えたが理性が一瞬で却下した。そうする義理がない。
しかも運がいいことに、この近くに『くるり』という名の少女がいたらしく、警察はその子を捜索しているそうだ。その子からすれば、運が悪いにも程がある。いつか会えたらしっかりと謝りたいと思う。
 また、携帯の破片や指紋などで割り出されるのではないかとも思ったが、俺たちに捜査の手が伸びることはなかった。
くるみの前で何気なく口にすると、破片は掃除機で吸った上で中身のパックごと回収し、指紋のつきそうな位置は手持ちのウェットティッシュで拭いたのだと、胸を張って誇らしげに話してくれた。
そう言うならもちろん、髪の毛の一本一本まで回収したに違いない。何故ウェットティッシュを持っていたのかと訊くと、そっぽを向いて黙ってしまった。
 安心すると同時に、この時からくるみは異常だったのだと分かり、彼女を御せなかった自分を責めた。
「何があったかは訊かねぇ」佐藤がぽつりと呟いた。「くるみちゃんとりおちゃんが変なのは、流石の俺でも分かるよ。俺にできることがあったら言えよな」
「ああ、サンキュ」
 気にすんなよ、と笑う佐藤に、何の感情も抱いていないことに恐怖した。


353 :Tomorrow Never Comes9話「ほころび」 ◆j1vYueMMw6 [sage] :2009/03/01(日) 00:36:35 ID:bqVkUjNx

 それからバカ話をしていると、背後から呼ばれ、振り向いた。そこには、大川俊先輩がいた。
「大将、大丈夫かい?」
 先輩はいつも通りの笑顔で俺を覗き込んできた。
「すいません、もう大丈夫っス」
「ああ、無理しないでいいから、ゆっくり休んで」
 俺の肩に手を乗せ、地面に押し付けるかのように無理矢理座らせると、隣に腰を下ろしてきた。
体育館のほうから足音がしたので見上げると、通路を通っていくバドミントン部の女子が、邪魔くさそうに俺たちを見下して通り過ぎていった。
「調子悪そうだね、最近」それを気にもとめずに、先輩は言う。「やっぱ、好紀のこと?」
「遠からずも近かからず、ってとこです」
「直接の原因じゃない?」
「ええ、まぁ」
 確かに、直接ではない。なんとなく申し訳ない気持ちになった。
「なら安心だ」
「どういうことです?」佐藤が先を促す。
「もし好紀が原因で落ち込んでるとしたら、きっと、好紀はそんなの望まないよ。『テメェら、同情するなら生き返らす方法でも考えやがれ』ってね」
「ははっ、確かにキャプテンなら言いかねない」
 佐藤に合わせて俺も笑った。「ただ、『同情しろよ、薄情者っ』とも言いそうっスよね」
「ああ、言う言う」
「好紀なら言うなぁ、きっと」
 3人は笑うのが同時なら、ため息をつくのも同時だった。
「もういねぇんだな、キャプテン」
 不意に、叔父さんと浦和先輩が重なった。立場は違えど、人が死ぬということは残される人にとって、根本的にはなにも変わらないのだと、ようやく理解した。


354 :Tomorrow Never Comes9話「ほころび」 ◆j1vYueMMw6 [sage] :2009/03/01(日) 00:37:03 ID:bqVkUjNx

 先ほどとは逆方向から足音が聞こえてきた。しんみりしていたのと、さっきの経験から顔を挙げるつもりがなかったのだが、すぐ近くで足が止まったので、思わず目をやる。
「・・・なぁにしてんの」呆れ顔の遊佐がいた。
「なんだ、遊佐か」
「ちっ、遊佐かよ」
「なんだとは何よ、なんだとは」
「なんで舌打ちはスルーで俺に絡むかなぁ」明らかに佐藤のが悪い。
 遊佐は少し息が上がっている。多分、午後からの練習に向けて、外でウォームアップしていたのだろう。
「よくやるねぇ、遊佐ちゃん」
「あたし、中途半端は嫌いなんです」営業スマイルで答える遊佐の額には前髪が張り付いている。
 夏場なのだから必要ないだろうに、Tシャツが肌にくっつくまで汗をかいている。ここまで真剣に打ち込んでいるのは、部活内では遊佐だけに違いない。
 遊佐は俺へと向き直り、人差し指を突き立ててきた。「アンタには負けたくないのよ」
「俺は勝負した覚えはない」
「アンタが覚えてなくても、あたしは覚えてるの」
 いつか言っていた、大会でのことだろうか。
「っていうか、そもそもポジションが違う」
「そう、それなのよっ。アンタ、何で今になってポジション変えたの?あたしの努力が台無しじゃないっ。どうしてくれるのよっ」
「責任とって結婚しなさいよ」裏声でちゃちゃを入れた佐藤が蹴られる。
「どうして、って言われても、チームのためとしか」
 概ね、間違ってはいない。
 冬休み、及び3学期中の大会と練習試合で、我が校はなかなかの好成績を収めた。その中には、リベロとして新たな仕事をこなす佐藤の活躍も含まれていた。
しかし、そのことからますます俺の存在意義は打ち消され、正直、俺はやる気をなくしてしまっていた。くるみに励まされながらもやる気なく続けていたある日、俺は顧問の高橋先生にポジョションの変更を提案された。
 確かに、現3年生はスパイクに関しては粒揃いだ。2年も、浅井とシバちゃんが、自分たちの代になれば佐藤がアタッカーに転向する事だって可能だ。
とどのつまり、この面子に俺は見劣りするのだ。肩を落とすほどにうなだれる俺を見て、先生は、セッターをやらないか、と訊いてきた。
 アタッカーを大砲を打つ人と例えれば、セッターは弾を込める人。弾を込めなければいくら点火しようが城壁は崩せない。高橋先生はそう続けた。
 うちの部活にセッターは大川先輩しかおらず、比較的丈夫で健康な彼だが、これから先に万が一がないとも言い切れないし、何より3年生だ。
 また、先生は俺の右足首の障害も見抜いていた。それが原因で部活を休んだことはないし、練習中に痛みで抜けたこともない。
しかし、先生からすればスパイクを見れば一目瞭然らしく、今まで俺を試合に出さないのもそれを気遣ってくれた部分が大きいようだ。確かに、アタッカーと比べてセッターは脚への負担が少ない。
 さまざまな要因から、先生は俺がセッターになるのを最良とした。俺に、断る道はなかった。
「大将の上達は凄まじかったなぁ」俺の存在が霞むくらい、と先輩はおどけた。
「まさか、足元にも及びませんって」
「またまたぁ」
 肘で小突かれる俺を、遊佐が納得いかないという顔で見ている。
「でもなぁ、遊佐。コイツ、マジで努力してたんだぜ?先生に頼んで遅くまで残ってたりさ」
「知ってるわよ、そんなの・・・」
 俯いてしまった遊佐に、誰もがかける声をさがしていたら、アイツが来た。
「なんだよ、遊んでんならさっさと帰れよ」相変わらず嫌な声だ。


355 :Tomorrow Never Comes9話「ほころび」 ◆j1vYueMMw6 [sage] :2009/03/01(日) 00:37:31 ID:bqVkUjNx

 体育館から出てきたのは同じ2年生の浅井叶(あざい きょう)。浦和先輩のいない今、実質的なエースである。
部活中だというのに崩れない髪形にはどのようなワックスを使っているのか、訊いてみたいものだ。背が高いくて体格もがっちりしており、威圧感がある。
「ああ、悪いな、すぐ戻るよ」
「やる気ねぇなら帰れよ、邪魔だから」
 コイツに関しては、俺のリミッターも緩くなる。ずいっ、と前に出る。
「アンタねぇ」遊佐が。なんでだ。
「なんだよ、女バレ」
「女バレじゃないっ、遊佐杏だっ」
「別にテメェの名前なんかどうでもいいよ」
「なんですってぇっ」
「遊佐っ、もういいよ」今にも飛び掛らんとする遊佐を制する。
「離しなさいって、一発殴んないと気が済まないっ」
「おちつけよ、遊すぁ」援護に来た佐藤の顔に裏拳が入る。それを見た大川先輩は一歩退いた。
「アンタは怒んないの!?憲輔っ」
「遊佐が怒るから、タイミング逃した」
「あ・・・ぅ」
 途端に遊佐の力が抜けていく。抑えていた腕を離すと、顔を逸らして、ごめん、と一言言って走り去ってしまった。
 それを見送ってから、気合を入れて浅井に向き直る。が、浅井はあからさまに呆れた表情を向けていた。しかも、佐藤や先輩までもが同じ顔をしていたので、どこか空回りした気分になってしまった。
「あれ?」
「アホくせぇ」
「先輩、そろそろ戻りますか」
「そうだね」
 先輩は頷くと、先輩は佐藤を連れて体育館に入っていった。置き去りの俺と、呆れた浅井だけが残される。
「え、なに、この状況」
「アホくせぇ、ってことだよ」 振り返り、自らも戻ろうとした矢先、浅井は思い出したように立ち止まって振り向く。「そういや、くるみちゃんこっちに来てるのか?」
「物凄く今更だが、来てるよ」
「お前が毎日一緒に帰ってるの、くるみちゃんか?」
「ああ」
「そうか」
 浅井は少し考え込んでから、口を開いた。「目はやっぱり」
「見えてない。治る見込みは、ゼロではないよ」
「・・・今度、お見舞いに行ってもいいか?」
「ああ、きっと喜ぶ」ただ、と続ける。「できれば、お見舞いじゃなくて、遊びに来てくれると嬉しい、くるみも」
「だよな」どこか幼げな、懐かしい笑顔があった。


356 :Tomorrow Never Comes9話「ほころび」 ◆j1vYueMMw6 [sage] :2009/03/01(日) 00:38:38 ID:bqVkUjNx
 浅井は俺の幼馴染だった。“だった”というのも、とあることから確執が生まれてしまったからだ。
 当時から俺はどこか客観的で、浅井も今と同じくガキ大将タイプだった。家が近いこともあって俺たちは毎日のように遊び、くるみが訪れたときは3人で裏山やら川などで日が暮れるまで遊んだものだ。
浅井が引っ張り、俺がフォローする。そうやって俺たちの関係はいつまでも続くはずだった。
 中学に入り一緒にバレーを始めると、より一層仲は深まった。浅井はぐんぐんと身長が伸び、運動、勉強、恋・・・この頃には、俺が勝てるものは1つもなかった。
それでも、地味な俺を親友と言ってくれる浅井が好きで、誇らしかった。
 だから、あの日俺は、親友のために闘った。せめてもの恩返しと願って。
 名門校への推薦が取れた浅井は、いつにもまして上機嫌だった。そんな浅井を見ていると、まだ受験の真っ最中であったにも関わらず、俺は祝ってやりたくなって街へと繰り出した。そして、不良に絡まれた。
 スポーツでは右に出るもののいなかった浅井とはいえ、3人相手では歯が立たなかった。這いつくばる浅井を見て、俺は咄嗟にその前へと踏み出した。
そこからの記憶は曖昧で、ただとにかく殴られ続けたのは覚えている。我慢強さに定評のある俺とはいえ、キツかった。だが、親友のためと思えば、膝が屈することは決してなかった。
 そのうち、騒ぎを聞きつけた人たちが警察呼んで、全ては丸く収まった。はずだった。
 理由はどうであれ、喧嘩をしたことで、スポーツ名門校への推薦を取り消された浅井は失意に暮れた。俺はただひたすらに謝ったが、彼が口にした言葉は、あまりにも意外だった。
━━なんで助けた。
 なんでお前が俺を助ける。逆だろう。お前はいつも俺の陰に隠れてればいいんだよ。無能なお前を、俺が構ってやる。ただそれだけで俺の株が上がるのに。なに余計なことしやがる。憲輔のくせに憲輔のくせにっ。
 以来、浅井とは今日まで、一度も会話をしていなかった。同じ高校を受けたことも、入学式の当日まで知らなかったぐらいだ。
結局、浅井は俺を友達だと思っていなかったのか、自暴自棄になった結果なのか、それはわからない。今の今まで俺だってコイツを嫌っていたのだ。
どちらだろうと、今更変わらない。それでも、この会話はなにか、きっかけのようなもになる、そう思えた。
「い、一応言っとくけどな」
 背を向けたまま、浅井が言う。声は上ずっている。
「俺は、まだ、あの子のこと、好き、だからな」
「あぁ、そういやそんなことを昔・・・」
 ふと思い出す。河川敷、芝生の公園、夏、爽やかな風、くるみの誕生日。浅井がくるみのことを好きだと言い、くるみも頷いたあの日。
「よく覚えてんな、お前」
「俺は、本気だよっ」勢い良く振り向いた浅井は、顔を真っ赤に染めていた。
「くるみに言えよな、叶」
 さりげなく言ったつもりだが、浅井・・・叶は呆気に捕られた顔をしていた。
 一瞬の間が開き、笑う。
「わかってるよ、憲輔」
 不器用でぎこちない光が、俺たちの世界に射す。

 ほころびが、手には負えない大きさになっていることにも気付かないまま、俺は笑っていた。