※上記の広告は60日以上更新のないWIKIに表示されています。更新することで広告が下部へ移動します。

9 :上書き ◆kNPkZ2h.ro [sage] :2007/10/21(日) 23:34:41 ID:CSIWB/IF
 ……瞼が重い。眼の周りだけ重力が倍になっているのではないかと思うくらいに。
こんな感覚は久しぶりだ。いつも朝の目覚めは良かったからな。加奈を起こしに行くことを考えれば当然だが。
 ――加奈。
 もう、起こしに行くこともないのかな。
別に極楽浄土なんて信じてないけど、俺が今こうやって思考しているということは、少なくとも死後に世界があるという証拠だ。
そしてそこは、俺と加奈以外誰もいない、俺たちだけの楽園だ。
学校に行く必要もないし、その上、加奈とずっと一緒にいられる。誰からの干渉も受けず、真っ直ぐな加奈と永遠を過ごせる。
 ――最高だ。
 これが俺たちが目指していた到達点だ。お互いに絶対の信頼を持って、疑心なんて言葉とは無縁の生活を送ること。
俺たちはこれでやっと、“本当の恋人”になれたんだ……。
 加奈も喜んでいるだろう。笑顔で迎えてくれるに違いない。早く会いたい。抱き締めたい。
だから、億劫だが起きよう。それに、さっきから何だか鼻と口の付近がくすぐったいし。
「……」
 まず視界に飛び込んできたのは、瞳だった。濁りのない綺麗な黒色が、ガラスらしき物を隔てて俺に注がれていた。
その色彩は、真夜中の海のようだ。
暗闇という圧倒的な恐怖と、僅かに天から降り注ぐ月光の安心感とが織り成す、際どいバランス下での演出。
危険と安全という相反する二つの道のどちらをも選べるということから生じる偽りの自由が、被保護欲をそそる。
そのまま溶けていきたいとさえ思える甘い罠――今俺を見ている瞳からは、そんな感覚が伝わった。
 こんな目をしている人を俺は知らない。一瞬で足場を失う危機感を覚えさせたその事実を打破したい一心で、視線を逸らした。
「目、覚めましたか」
 心底から安堵したことがわかるほどの大きな溜め息と共に、俺の耳に声が染み込んだ。
それは、聞き慣れていて、且つ忘れられる筈がなく、忘れてはいけない声。
ただ、その透いた声から伝わる穏やかな感覚は、俺にとって初体験としか言い様がなかった。
不快ではない違和感――矛盾している気がするが――を覚えつつ、俺は視線を先の所へと戻した。
「随分可愛い寝起き顔じゃありませんか」
 俺の顔に触れるか否かまで迫っていた瞳は既に離れていて、そのおかげで全体像を捉えることが出来た。
その瞬間、確信は俺の中の事実へと姿を変えた。
「……島村……」
「ほっぺた引っ張りたいくらい可愛いですよ」
 島村由紀だ。
ここ数週間、加奈以上に俺を翻弄し続けた存在であり、加奈以外で初めて俺のことを好きだと言ってきた存在でもある。
人畜無害な表情の裏に加虐的且つ好戦的性格を秘めている彼女は、しかし、非常に脆い一面をも持ち併せていた。
そこをピンポイントで突いた俺の告白が、彼女を変えてしまった――筈なのだが。
寝起きの靄掛かった頭の俺が見る限り、島村は『島村』だった。
俺の加奈だけが好きという言葉を捻曲げて、歪んだ思考回路の下『加奈』になるという凶行に走った島村はどこにもいなかった。
目の前にいるのは、黒の短髪に若干大きめの眼鏡を掛けた、島村由紀という“唯一人の少女”だけだ。
勿論、『痕』が消えた訳ではない。目元を隠していた長い前髪は額を隠す程度に切り揃えられてしまっているし、胸もない。
髪と胸……どちらも女の子にとっては命と同価なほどのものだろうに、俺なんかを好きになってしまったが為に……。
「誠人くん、病み上がり早々他人の胸を凝視するというのは、あまり感心なりませんね」
「……」
「ノリ悪いですね」
「……別に」
「……全く」
 はぁ、と大きな溜め息をついた島村は、考えの読めない黒い瞳で俺の顔をなぶるように見つめてきた。
そうすること数秒の後、何を思ったか、島村は突然俺の体にのしかかってきた。
左腕で俺の首を固定し、体を隙間を作るまいとするかの如く摺り寄せてきた。
そして、いつからか影を潜めてしまった挑発的な視線で俺を見下ろしてきた。というか、見下しているように見える。
「……何を嬉しそうにしてるんですか」
「違うよ。お前に見下されるのを、懐かしく思っただけだ」
「それ、どういう意味ですか」
 軽く俺の頬を叩いた島村は、一瞬柔らかく微笑んだ(ように見えた)が、すぐに口の端を吊り上げ元の余裕溢れる表情を浮かべた。
「ま、誠人くんがマゾだなんてことは分かっていたのでいいんですが、本題は別にあります」
 ツッコまなきゃいけないとは思ったが、表情の自由奔放さとは裏腹に真剣味を感じさせる声を前に、ふざける気は失せてしまった。
「感じてますか、私に――罪悪感を」


10 :上書き ◆kNPkZ2h.ro [sage] :2007/10/21(日) 23:35:34 ID:CSIWB/IF
 ――罪悪感。
 繰り返してきた自問の中で、特に多く出てきた言葉。
頻出する余り、頭が麻痺して、その意味を見失しないそうになった単語。
何に対して、誰に対しての感情なのか――常にそういうことを理解していなければ、真の意味で“感じた”と断言出来ない重い感覚。
それを、俺が島村に……。
「……」
「答えなくても結構ですが、もしそうだとしたら……私の為にも、誠人くんの為にも、やめて下さい」
 今度こそ、島村は声にぴったり噛み合った真面目な表情で言った。
細めた目からは、非難とも心配とも取れそうな視線が注がれている。
試すかの如く俺の瞳を捕えて離さない島村のそれが、金縛りの被害妄想までもを誘発しそうになるのをうっすらと感じる。
無言のまま膠着状態が続くが、やがて全て悟ったように「ふっ」と息を漏らした島村は、ゆっくりと俺の体から離れていった。
そして若干乱れた制服を直す。
「私、誠人くんが思っているほど、情けない女じゃありませんよ」
「別にそんな風に俺は……」
「なら、何故そんな悲しそうな顔するんですか? それって、誠人くんが私に罪悪感を感じているって証拠ですよね?」
 考えをいともあっさりと射抜かれてしまった。
きっと今の俺は驚愕の色の濃い表情で、島村の憶測を確信へと変えてしまっているのだろう。
でも、俺は感情を隠せるほど強くない。痛いのを我慢出来るほど、大人じゃない。
確かに俺は島村に後ろめたさを感じている。告白を断ったのだから当然と言えば当然だ。
だが同時に俺は、罪悪感を感じることを後ろめたくも思っている。
好きになるなだなんて男としてエゴ丸出しだし、島村に対して失礼だから。
島村だって、自分が好きになった相手が一般的尺度から見て悪い部類に入る男だなんて嫌な筈だ。
かといって、それは島村を完全に拒絶した俺がしていいことなのかというと、素直に「はい」とは頷けない。
あれは島村から恨まれても構わない覚悟での行動だった訳で、島村に罪悪感を感じるというのはその覚悟を否定することに他ならない。
更に言うなら、俺は恐れている。
この“罪悪感を感じている”という実感そのものが、島村とのことで残った蟠りを消す為の逃避手段に過ぎないのではないかと。
それは無自覚下での行動だろうから、肯定も否定も出来ない。
だがもし本当にその通りだとしたら、それこそ島村の好意に報いることが出来ないほど自分が腐った人間であることの証明になってしまう。
 結局どれが正しい選択なのかわからず右往左往を繰り返していた俺に、しかし島村はあっさりと断言してみせた。
 島村の為にも、そして俺の為にも罪悪感は感じるな――それが島村の答え。島村がそう言う以上、俺はそうすべきなのだろう。
元は島村が良かれと思える選択をしようと思っていたのだから。しかし、当然その理由は聞いておきたい。
俺がない頭を絞って必死に未来を模索していたにも関わらず、いとも簡単に断言出来るその根拠を俺は知りたい。
「確かに俺はお前に引け目を感じていたよ」
「やっぱり。誠人くんは優しいですからね……残酷なまでに」
「矛盾してないか? それ」
「ただの独り言ですから、気にしないで下さい」
「それならいいんだが……。後、一つ教えてくれ」
「何ですか」
「こんな言い方だと生意気なんだけどさ、どうして罪悪感を感じて欲しくないんだ? お前と俺の為に」
 俺の質問を聞いた途端、島村は点になっている目を俺に向けてきた。
呆然とした様子で、見方によっては小馬鹿にしたようにすら見える態度だった。
「誠人くんって色々頭の中で考えている筈なのに、案外馬鹿なんですね」
 あ、本当に馬鹿にされた。こんなにはっきりと馬鹿にされたのっていつ以来だろう? 
小学生くらいの頃は馬鹿騒ぎも結構してたけど、年を重ねるにつれて無難な生き方を目指すようになったからな。
人目につきそうなこともしてなかったし。だからか、何だか新鮮味があって、思わず笑ってしまった。
やばい、島村の蔑んだ視線が痛い。
「……何を嬉しそうにしてるんですか」
「違うよ。誰かに馬鹿にされるのを、懐かしく思っただけだ」
「それ、気に入ったんですか」
 島村は一瞬小さく笑った。あどけない微笑だった。
「脱線してしまいましたが、話を戻します。理由ですが……別段難しいことじゃありませんよ」
 演劇でもしているかのように絶妙な一拍を取った後、島村は片腕をベッドにつきながら言った。
「同情して欲しくないだけです」


11 :上書き ◆kNPkZ2h.ro [sage] :2007/10/21(日) 23:39:12 ID:CSIWB/IF
「……同情……」
「かなり大雑把な考えですが、『罪悪感≒同情』というのはわかりますよね? 
罪の意識を感じるには少なくとも相手の立場を理解していなければなりませんからね」
「いや、それは何となくわかるんだが……」
 正直、釈然としない。というか全然納得出来ない。
だって島村が『罪悪感≒同情』だと言うなら、『同情して欲しくない≒罪悪感を感じて欲しくない』ってことになって、結局何も話が進んでないことになってしまう。
これでは俺は霧に包まれた答えまでの途路に迷い続けたままだ。腑に落ちない俺の様子を察したのか、島村は若干慌てた様子で続けた。
「わかりやすく言い換えたつもりだったんですがね。
すいません、少々自分の中で話の道筋を完結させてしまっていたようです。完全な独り善がりです。今のは忘れて下さい」
 そこまでは言ってないぞとフォローを入れようかと思ったが、馬鹿な俺にも理解出来るようにどうやって話そうか考えているのか、手に顎を乗せて唸っている島村を見ていると、それを邪魔するのは悪い気がした。
しきりに頭を動かしている様は、丁度忘れかけた物事を思い出そうとする時の仕草に似ていた。
そのまま見守ること十数秒後、島村に「すいません」と切り出された。
「一言じゃまとめられないので、普通に説明します」
「うん、そうしてくれるとありがたい」
 何だか無駄に時間取らせてしまったような気がする。いや、実際俺が物分りよければそれで済んでいただろうに。
無知は罪深いことだな、と何となく思った。
「同情しているということは、相手を……私を哀れんでいるんですよ、誠人くんは」
「それってつまり――」
「違います」
「……まだ何も言ってないだろ」
「大方、私の自尊心を傷付けてしまっただとか、真夏にマフラー巻いているくらい的外れなことを言うつもりだったんでしょう」
 何だこいつ、エスパーかよ。
こうも見事に心の内読まれていると、実は考えていること全て他人に漏れてるんじゃないかって不安になっちまうじゃないか。
しかも間違ってたとは。ここまで外すと、自分に呆れて羞恥心も湧き上がってこない。
発言すると粗が出ることは重々承知したから、これからはしばらく傍聴者に徹していよう。
「そんな感情論はどうでもいいんです。問題は、何故誠人くんが私を可哀想だと思っているかということです」
 さすがに学習したのでもう口を挟もうとはしないが、島村の言ったことの答えくらいはわかる。
そんなの、俺が島村の好意を受け止められないからに決まっている。それが起因となって、今までの事態は連鎖していったんだ。
ドミノ倒しのように、一度崩れたら止まらない。そうやってズルズルとここまで来てしまったんだ。
「勿論私からの告白を断ったから。そしてそのことで相当悩まれているのでしょう。でも、そんなことはしてくれなくていいんです」
 ベッドについていない、空いている方の手で俺の手を緩く掴みながら、ゆっくりと島村は口を開いた。
「私は誠人くんに、私の想いを真摯に受け止めて、“その上で”フってほしいだけです」
 握られていた手にかかる力が強くなった。その加減が妙に心地良く、懐かしかった。
何故そう思うのかはわからないが、少なくとも伝わる温かみは俺が久しく感じていなくて且つ、欲していたものだということは感覚的に理解していた。
その柔らかさに恍惚となり一瞬我を忘れそうになった自分に叱咤を入れつつ、島村の言葉を脳裏に蘇らせる。
……どういうことだ? もう発言する気ゼロの俺は、ただひたすら島村の言葉を待つ他なかった。
「念の為ですが、受け止めて欲しいというのは付き合ってくれってことじゃありません。
あんなに何度も無理無理言われ続けたんですから、今のところは観念しました」
 勿論誠人くんのことを諦めた訳ではありませんが、と続けながら今度は握力測定でもするかのように島村は俺の手を握ってきた。
繋がれた手から怨念が湧き出てきそうなのは、気のせいじゃない筈。
冷汗が流れるのを感じながら、弱い握力を軽くあしらうと、露骨に不服な様子を表情に滲ませた島村が睨んできた。
手繋ぎたいのか繋ぎたくないのかどっちなんだよ。
「私が求めているのは、私から逃げないで欲しいということです」
 ふざけ半分な表情を引き締めて、島村が再び話を続ける。
「誠人くんが私を好きになれないことは承知しています。
しかし、誠人くんはどこか頭ごなしに私を否定しているように思えてならないんです。
私と付き合えないことを“前提”であるかのようにして、それに依存して、私の気持ちと向き合ってくれていない気がするんです」


12 :上書き ◆kNPkZ2h.ro [sage] :2007/10/21(日) 23:40:08 ID:CSIWB/IF
 直接心を刃物か何かで刺されたと錯覚しそうな程の痛みが走った。
あまりにも核心を突いた言葉に、何も言い返せなかった。
今まで島村に罵倒されても耐えられたのは、それが根拠のない発言で、戯れに近いものだったからだ。
だが、これは違う。言い方こそ遠回しだが、島村は俺の奥底で牙を研いでいる腐った性根を容赦なく引きずり出した。
図星というものの本当の痛みを俺は初めて理解した。
その要因は、今まで自分で自分の悪い部分に気付いたことは多々あっても、他者に指摘されたというかつてない体験からくるものが大きい。
つまり俺は、客観的立場から見た自身の醜い姿というものを初めて見せ付けられたということだ。
思えば今までの俺は鏡を見ているようなものだったんだ。
鏡に映し出された自分を見るということは客観視しているように思えるが、結局客観視するのも自分自身だ。
つまるところ、幾らでもその解釈を捏造することはできる。意識的にしろそうじゃないにしろ、俺がそうしていたということは明白……。
「あの……誠人くん」
 かなりトリップしていたところを何とか拾われたようだ。気付けば、島村は俺の顔の前で自分の小さい掌を振り回していた。
その動きから、そして、島村の暗い面持ちが心配してくれているということを顕著に感じさせてくれた。
「前から言おうと思ってたんですが、誠人くんってちょっと深刻にものを考え過ぎじゃありませんか? 
何かあるとすぐ全部自分の責任だと思い詰め過ぎているように思えるんですが。
それは一般的観点からすれば、決して褒められたものじゃありませんよ」
 図星。
「あ、これも責めてはいませんからね。寧ろ私は誠人くんの美点の一つだと思ってますし」
「何かおかしくないかそれ? 普通の人からは欠点で、お前からすれば良いところってのは」
「ただのアプローチです。他の人が気付けない魅力にも私ならわかってあげられますよっていうさりげないメッセージです。
鈍感な誠人くんにするだけ無駄だったようですが」
「それは幾らなんでもさりげなさ過ぎるだろ」
「ふふ、やっと笑ってくれましたね」
 俺の頬に手を添えながら、島村が笑いかけてきた。
その幸せな気色を見ていると、さっきも笑ってただろなんて野暮なツッコミをする気はまるで失せてしまった。
さっきもこんなことあったな。どうやら島村には相手の言葉を問答無用で遮る才能があるようだな。
「当たり前のことですが、好きな人の悲しい顔なんて誰だって見たくないものですよ。
私を少しでも思う気持ちがあるなら、是非満面スマイルでいて下さい」
 そう言いながら、島村は触れるか触れないかの距離にあった手で俺の頬をぎゅうぎゅう引っ張ってきた。
ニッコリニッコリと連呼しながら、玩具で遊ぶ子供のように本当に楽しそうに弄り倒してきた。
その様子を前に、沈んだ自省の思いに囚われていた心もいつの間にか晴れてしまった。
不謹慎なのかもしれないが、今は島村の言う通り笑顔でいるべきなのだと言い聞かせた。
「と、何度も話が逸れてしまいましたが、そろそろ終わらせちゃいましょう」
 これ以上話が脱線しないよう、全神経を耳に集中させる。
「要は、恋愛漫画の一ページを思い浮かべて頂ければいいんです。
女の子の告白を断る時、男の人は大抵バツが悪そうにしているじゃないですか。拳を握り締めたりとか、歯を噛み締めたり。
その時の気持ちを感じて欲しいだけなんです。私という一人の人間を“感じて”、真剣に悩んで、そして結論を出して下さい。
結果なんてわかってますが、せめて努力だけは認めて欲しいんです。
卑しいことだとはわかっていますが、誠人くんを好きでいるこの気持ちをわかって欲しいんです。
だから……私に、頑張ったで賞を下さい」
 島村の言葉一つ一つを耳に染み込ませ終わった後、島村の方を向く。
するといつからかはわからないが、島村は完全に俯いてしまっていた。
指一本でも触れたら壊れてしまいそうな程脆く見えるが、それでも俺は勇気を振り絞って島村の両の頬を鷲掴みし、無理矢理俺の正面へと向き合わせた。
虚を突かれた様子の島村をよそに、俺が言うには不相応過ぎる言葉を口にした。
「島村は何も悪くないよ。だから、笑えよ」
 一瞬の間を置いて、島村は小さく頷いた。


13 :上書き ◆kNPkZ2h.ro [sage] :2007/10/21(日) 23:43:07 ID:CSIWB/IF
「ところで、お前罪悪感感じるなって言った時、俺の為とか言ってたよな。あれってどういうことなの」
 唐突に湧いた疑問をそのまま吐き出した。
もしシビアな雰囲気じゃなかったら聞き流しそうなほどさらっと言っていた、「俺の為」という一言。
それの持つ意味が何となしに知りたくて、俺は意図もなく尋ねた。
「あぁ、そのことですか。それは説明が簡単です」
 良かった、と安堵しながら、島村は続けた。
「私に罪悪感感じるより、もっと優先すべき相手がいるだろって話ですよ」
「何のことだ」
「……まぁ病み上がりで寝惚けてるだけってことにしておきましょう。
あんまり言いたくないんですが、あなたは自分の恋人に何をしましたか」

 ――『自分の恋人に何をしましたか』

 瞬間、頭の中の余計なものが全て吹っ飛んだ。
ただ島村の言葉によって喚起される“一つの事実”が、抵抗のない思考回路に繰り返し流れ込んできた。
何で今まで忘れていたのかなんて些細なことはどうだっていい。
どうせ下らない理由か、はたまたそんなもの存在しないだけなのだろうから。
重要なのは、俺が何をしたのか。そしてその結果、どうなったのか。
「加奈は……加奈はどこだ!?」
 形振り構わず、俺は島村の肩を思い切り掴んだ。相手が女の子だとわかりながらも緊張のせいで、入る力を抑えることが出来ない。
「誠人、くん、……痛い……」
「加奈はどこにいる? どうなってるんだよ!? 答えてくれ!」
 恥じらいもなく大声で喚いている俺は、島村からはとんでもなく情けなく映っているに違いない。
でも早く知りたい。知らなければならない。俺が加奈を傷付けた……。
いや、そんな生易しいものじゃなく、俺ははっきり加奈を殺そうとした。
そこに至るまでの顛末や思考なんてものは今は忘却の彼方へと捨て去る。
問題は俺がこうして生きていて……そういえば、どうして俺は生きているんだ? 
俺は自分で……いや、やめよう。今は小さい疑問は道端の小石だ。
もし俺が生きていて、加奈が――なんて状況になったら俺は……。とにかく加奈の安否が第一だ。
「島村ッ、加奈は」
「生きていますよ」
 淡々と、島村は言ってのけた。躊躇のないその言い草が、島村の言葉に信憑性を持たせ、ヒートアップしていた俺の心を一気に冷やした。
「安心して下さい。別の病室で寝ていますよ」
 爆発しそうなほど早まった鼓動はそのままだが、俺はその言葉に一応の安心感を得た。
徐々に冷静になってくると、今更ながら、ここが病室だということが理解できた。
ということは、俺と加奈は病院に搬送されたってことか。でも、そうなるまでの経緯が全くわからない。
質問ばっかして悪いとは思うが再び島村に尋ねようとしたところを、言葉で制された。
「どうせ訊いてくるでしょうから先に言っておきますが、お二人は私が見つけました。
誠人くんの帰り道は知っていたんで、そこをずっと辿っていったら、丁度土手で――この先は言いたくないんで省略します」
 そうか、島村が発見してくれたのか。でも、発見したといっても、俺も加奈も首を切って出血していたんだ。
倒れていたところを見たというからには、俺が加奈を刺してから結構時間は経っていると思う。
なのに、どうしてこうして二人とも生きていられるんだ?
「ちなみに、傷は浅かったそうです」
「浅かった? ……でも何で」
「そんなの決まってるじゃないですか」
 そんなことすらわからないのかと言いたげな島村の目をなるべく見ないようにしながら、俺は無言でその続きを待った。
「加奈さんは誠人くんが好きだから、誠人くんは加奈さんが好きだから――傷付けるなんて出来なかった。それだけでしょう」
 そう言った時の島村の表情が悔しそうに見えたのは気のせいじゃないだろう。
島村が一体どんな心境で自分の推測を言ったのか、その辛さは容易に想像出来る。
でも、それでも俺は……嬉しかった。加奈と俺との仲をはっきり肯定されたのが嬉しかった。
今まで色んな奴に冷かされたりなんやりしていたが、何も感じていなかった俺が、島村のその言葉にはっきりと喜びを覚えている。
前者と後者に一体どれほどの違いがあるというのか? わからない。でも、これだけは言っておきたかった。
「ありがとう」
 そして、本当に良かった。加奈が生きてくれていて。
加奈を傷付けようとした俺が思う資格なんてないのはわかっているけど、今だけはこの喜びを噛み締めたい。
「どういたしましてのついでに、私からも質問です」
「何だ」

「誠人くんが加奈さんを好きなことを承知の上で訊きます。誠人くん、あなたは――本当に加奈さんが好きなんですか?」