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468 :とねかむ11話「Our Love And Peace前編」 [sage] :2009/06/22(月) 19:18:40 ID:X/iPN+ym
 うなされて飛び起きるという、史上最悪の日曜の朝を迎えた。
 蒸し風呂のような部屋の暑さに苦しんだわけではなく、部活の開始時間から大幅に遅れて目覚めたことも、原因ではない。
 昨晩、さんざん俺を苦しめた悩みは、さも当り前のように夢にまで顔を出した。挙句、最悪なアレンジを加えてくれるというサービスっぷりだ。
これはもう、鳴ってもいない目覚し時計を床に叩きつけるほどの喜びである。

 やたらと後を引く眠気を引き摺って、部屋を出た。階段に向かう途中、くるみの部屋の扉が少し開いていることに気付いた。
 元は姉の部屋だったのだが、引っ越してからも頻繁に帰ってくる彼女のため、部屋の中はそれなりに整っていた。奥の壁に押入れがあるお陰で収納には困らず、タンス等の後付の収納具は一切ない。
淡い桃色の壁紙の張られた壁が大きく広がっており、そのせいか、二割り増し程度に広く感じる。
 綺麗に畳まれた布団の上に、丁寧に畳まれた寝巻きが置いてあった。その脇に、三角形に近い形をした、白く小さな布を見つけ、慌てて扉を閉めた。
 1階には和室と洋室があるが、食事をとるのは基本的に洋室なので、そちらに向かう。テーブルの上にはスクランブルエッグとキャベツとソーセージを炒めて、
海外由来の調味料で味付けされた、我が家の定番の朝食が置いてあった。今の今まで眠っていた俺が作ったはずもないので、くるみがやったのだろう。
 手でソーセージを摘んだ時、書置きがあることに気付いた。度を越えた丸文字で、『ぐっすり眠っていたので起こしませんでした。少し出かけますが、遅くならないうちに帰ります。』と書いてあった。
 この文体は黒崎家の血筋なのだろうか。母の字と瓜二つである。ちなみに斎藤家は達筆で、父の字は解読不能の域に達している。この二つの血筋が交わると父方が勝つようで、姉も俺も達筆な部類に入る。
さらに、姉の髪が黒いことからも、その理論は証明されている。
 茶碗にご飯を盛りながら、くるみが1人で外出するということの珍しさを、ようやく実感した。よくよく考えれば、こっちに住んでからどころか、遊びに来てた頃から1人で出かけることはなかった。
 ぼんやりと、叶とくるみが並んで歩く姿を想像した。身長差が激しい気もするが、これはこれでありだろう。
 そう考えた直後、胸が締め付けられる。いや、胸が締め付けてきた、というのが正しいだろうか。それを押し込むように、食事をぶち込む。吐き気に近いゲップを、今度は牛乳で押し流した。
 時計を見れば10時過ぎ。部活の開始が8時なので、遅刻どころの騒ぎではない。となれば、するべきことは自主休暇だ。
 食器を洗い終わると、まるで計ったかのように、庭とを隔たるガラス戸にマエダが飛び掛ってきた。背中側の黒とは真反対の白い毛の生えた腹をこちらに向け、前足を戸にかけて擬似的な二足直立をしている。
その足元には全身が黒い毛で覆われたルイスが、あどけない瞳を向けて尻尾を振っていた。
「後で散歩行ってやるからな」
 人差し指でガラスを突付くと、ルイスがガラス越しに指を舐めてきた。どこかこそばゆくて、指先を離す。ふと、ガラス戸の脇に置かれた小さな机にカゴに目がいく。
底の浅いバスケットのようなもので、キャンプが趣味の父が集めた、用途のよくわからない雑貨の掃き溜めとなっている。元は和室に置いてあったのだが、母に追いやられていくうちにここまで移動してしまった。
そう遠くない未来、庭に置かれることになるであろう。
 なんとなしに漁ってみると、相変わらずのカオス空間だった。黄緑色のロープや謎のフック、20センチはあろうかという杭など様々なものが出てきた。
 また増えたな、と呆れながら中身を戻すとき、何かが足りない気がしたが、特に気にしなかった。
 立ち上がるとき、足元がふらついた。相変わらず眠気が頭を重くしていた。寝不足という感じのものではなくて、眠気というよりは、脳に鉛か何かを埋め込まれたような不快さがあった。
 鏡と向き合ったとき、髪の毛がだいぶ伸びていることに、今更ながら気付いた。「まさかこれが原因ではないよな」と思わず零し、顔を洗った。


469 :とねかむ11話「Our Love And Peace前編」 [sage] :2009/06/22(月) 19:19:22 ID:X/iPN+ym

「髪切りに行くかな」掃除、洗濯、晩御飯の仕込みが終わると、唐突に暇になった。だから、なんとなく呟いてみた。
この気だるさを髪の毛のせいと断定したわけではないが、なんとなく、髪を切れば変わるんじゃないかと勘ぐっていた。失恋した時に切るのと似ているなと思ったが、すぐに、それは違うだろう、と自分でつっこんだ。
 途端、ルイスが吠えた。それはもう、烈火の如くといっても大袈裟ではないほどに。
 なだめようが犬用の菓子をやろうが、ルイスは黙らなかった。ルイスは滅多に吠えないのが特徴で、近所では『行儀のいい犬』としてそれなりに有名だった。
そんなルイスが俺を見上げて一心に吠える姿は、警告をしているようで、非難をしているようでもある。
 その姿から逃げるようにして自室へと戻り、出掛ける仕度を始める。
 東京と言えば大都会。ビルが群生して、並々ならぬ量の人と車が行き交い、緑も情もない都市、そんな様子を想像するのが普通だろう。実際、そこまで間違ってはいない。
ただ、東京といってもピンからキリまでが存在し、23区から大きく離れた地域は、目も当てられない。
4階建てを越える建物は学校やデパートぐらいで、すれ違うのはおじいちゃんおばあちゃんやトラクター、緑と情なら豊富な田舎町。そんなところに、俺は住んでいる。
 歩いて行ける範囲には駄菓子屋か小さいスーパーぐらいしかなく、コンビニを探そうものなら30分以上歩くことになる。とはいえ、理髪店ぐらい、田舎にもある。
あるが、バカみたいに高いうえに、どんな風に注文しようが、坊ちゃん刈りかスポーツ刈りにされてしまうのだ。訴えれば勝てるレベルである。
 高校があるのは最寄駅から三駅向こうで、そこまで行くだけでも大分発展度が違う。あそこの駅前には安く、腕前もそれなりの、行きつけの美容室がある。
部活をサボって学校の周りをうろつくのはよろしい事とは言えないが、まぁ構わないだろう。
 私服に着替えて再び居間へと降りると、変わらずルイスが吠えていた。
「すぐ戻るから」
 もういい加減に効果はないと分かったが、一応声をかけた。やはり、効果はなかった。
 のそのそと、ボリュームのある毛が何かに擦れる音が、ガラス戸の向こうからした。マエダが小屋から出てきたのだ。
元々は北極だか南極に生息している犬種なので、夏場であろうと、マエダはかなりの量の毛を有している。
 その毛皮の奥の瞳が、ジッと俺を見つめてきた。いいのか、と問われた気がした。俺は慌てて家から逃げ出す。
 玄関を抜けて外へ出ると、容赦ない日差しに顔が歪んだ。それでも、何故かそれほど暑くは感じなかった。ヘッドフォンから、『ユー・ダイド・イン・ザ・シー』という曲が流れてきた。
『あなたは海の中で死にました』。きっと、手足も動かせないほどの深海で、俺は死んだに違いない。駅へと向かって、やけに重い脚を踏み出す。頭の中で、鉛が、カランといい音を響かせた気がした。



470 :とねかむ11話「Our Love And Peace前編」 [sage] :2009/06/22(月) 19:21:07 ID:X/iPN+ym


 お兄ちゃんのいない通学路は、なんのおもしろみもない。
 ベタつく湿気に、新緑の木々、立ち昇る焼けたコンクリートの匂いも、何もかもが味気なく感じる。もしかしたら、お兄ちゃんといる普段が満ち足りすぎているのかもしれない。
 そんな無味乾燥の道を歩いて学校に到着した。休日だというのに思いのほか人が多く、この学校の部活が盛んだという事を改めて認識させられた。その中を、少しも足を止めずに体育館へと向かう。
途中、数人の友人を見かけた気がするが無視した。
 ロールケーキみたいな体育館の入り口、右手にダンボールが積み重ねられた渡り廊下に立っていた。中から大きな声といくつもの足音、そして篭った熱気が感じられた。
立っているだけでも汗が吹き出る暑さだというのに、好き好んで運動をするなんて、なんと殊勝な心がけだろう。
 昨日、熱中症で倒れてしまったお兄ちゃんにゆっくり休んでもらうためにも、これから私がすることをお兄ちゃんに見られないためにも、
私が医者から処方されている睡眠導入剤を、こっそりとお兄ちゃんの飲み物に混ぜてあげた。
早くても昼過ぎまでは眠れるだろう。
 お兄ちゃんに関して問題はない。問題があるのは私のほうで、どうやって敵を捜し出すかだ。
 “部活のときに話した”と言うからには、同じバレー部の人である可能性が高い。『あいつ』が私のことを好きだとも言っていたので、まず男とみて間違いない。そして、『キョウト』。
 まさか、『京都』や『教徒』なわけはないだろう。それだと文章にならない。文脈から推測すれば『キョウ』と『ト』で分けて、『ト』は接続詞、つまり、敵の名前は“キョウ”。
「キョウ・・・」
 一晩中、頭を抱えても答えは出なかった。お兄ちゃんの中ではどうも、私がその人のことを好きだということになっているらしい。なにがどうなってそこに行き着いてしまったのだろう。
“昔からそばにいる人”で“東京の人”と言ったら、斎藤憲輔以外にいないというのに。
 とにかく、まずは状況を知る必要がある。誰かがお兄ちゃんを唆しているのならば、止めさせなくてはいけない。窪塚りおが一枚噛んでいるのならば、ここで一度ハッキリさせるべきだ。
絶対にお兄ちゃんを渡すつもりはない、と。
「あれ、くるみちゃん?」意を決して体育館に踏み込もうとした時、背後から呼びかけられた。
 校舎の方へと振り向くとそこには、膝上までのショートパンツに、胸元に大きく『排球』と書かれたTシャツ姿の男子が立っていた。顔と髪がびっしょり濡れている。
汗だとは思えないほど濡れているので、校舎の中の水道で水を被ってきたのだろう。確か、お兄ちゃんの友達の、さ・・・とう?だった気がする。田中だったような気がしなくもない。
「こんにちは、先輩」とりあえず、先輩であることに間違いはない。先輩は、こんち、と挨拶だか呪文だか分からない返事を返してきた。
「くるみちゃんがいるってことは」
「おに・・・兄は来てませんよ。体調を崩して寝込んでます」
「倒れたのに無理するから、ったく」
 頭を掻きながら、ぞんざいに言う先輩が頭にきたが、堪える。ここで時間をくうわけにはいかない。
「あいつ、くるみちゃんの言うことは素直に聞くからなぁ。いっそ、マネージャーやんない?」
「先輩」背中にぞわりと悪寒が走る。この声はいくら聞いても慣れないと思う。
 先輩の後ろから、窪塚りおが、降って湧いたかのように現れた。比喩などではなく、本当に突然。
「片付け、まだ残ってますよ」窪塚りおは笑顔で、手に持った雑巾を掲げた。
「ああ、うん。すぐ行くよ」
 私にとっては嫌悪と恐怖の象徴でしかない声だが、男の人には甘美なものらしく、大抵の人はこの先輩のようにヘラヘラと、厭らしい笑みを浮かべる。
こうやって他人を魅了する力は、私には無く、そして一生涯得ることの出来ないものだと思う。
 だからといって、悔しいなんて思うことはない。私に多くはいらない。お兄ちゃんだけ、お兄ちゃんだけでいい。
 優しげに笑う彼女だが、先輩に表情が見えない位置まで来た途端、研ぎたての刃物のように尖った敵意を私へと向けてくる。目を逸らして、服の上からチョーカーを握り締めた。


471 :とねかむ11話「Our Love And Peace前編」 [sage] :2009/06/22(月) 19:21:51 ID:X/iPN+ym
「つーわけで、俺もそろそろ・・・大丈夫?」
 我に返って、目の前にある顔に驚いた。慌てて後退りしたところ、背中が何かにぶつかり、そのまま倒れこんでしまった。バタバタと大きい音が響いた。
続いて、鈍い痛みがじんわりと広がる。
「あぅ・・・」
「ちょ、大丈夫?」
「だ、だいじょぶです」まだ少しだけ目が回っていたが、なにより優先して確認するべきことがあった。
 幸い、スカートが捲れたりはしていなかった。それどころか、いくつもの箱が覆い隠してくれていた。どうやら、ダンボールの山に突っ込んでしまったみたいだ。
 先輩がダンボールをどかしてくれたので、なんとか身体を起こせた。左手に持った鞄のファスナーが閉まってるのを確認して、胸を撫で下ろす。
「立てる?」
「だいじょぶ、大丈夫です」
 差し伸べられた手を取らずに立ち上がった。足場が安定せず、少しよろめいた。
 そこで、唐突に思いつく。もしかしたらこの人が『キョウ』かもしれない。こうやって善人ぶる人種こそ裏が恐いのは、窪塚りおで十分すぎるほどに知っていた。
「とりあえず、片付けは後回しだなぁ」私が警戒しだしたことに気付かないのか、変わらぬ口調で彼は言う。「まずはこっちだな」
「あ・・・」
 目線を追って、ようやく、足元に散乱した箱に気付いた。ダンボールよりかはずっと小さく、ボール一個分くらいかな、と思った時、箱の表にバレーボールが描かれているのが目に止まった。
どうやら新品のボールみたいだ。
「ごめんなさい、私がやります」
「いや、いいよ、俺やっとくから」
 警戒しつつ、しゃがみこんで箱を片付ける。次になんと言って探りを入れるべきかと思案していると、後ろ側から、体育館の扉が開く音がした。
「うっわ、外も暑いな」
 最初に感じたのは不快感。窪塚りおとは違い、隠したり、取り繕おうという気が感じられない。お兄ちゃんとは違い、冷たく、蔑むような声だ。
「お、丁度いい。手伝え」先輩が腰を上げて、話しかけた。私は振り返らず、効率よく探る方法だけを考える。
「嫌だね、なんで俺が」
「んなこと言うなよ~」
「てめぇの尻ぐらいてめぇで拭けよな」
 足音と同時に、男の声、気配が移動していき、後姿が視界に入る。
「俺、現代の若者です」と主張するかのような、ワックスで固めたよく見る髪形で、背の高さと相俟って、若々しさを増長している様に見えた。どこか生意気にも思える。
 ただ、今の私にとって、そんなものは微塵も関係ない。彼の背中、首の下辺りから目が離れなかった。
「あのっ」気付けば、立ち上がり、声を掛けていた。
 男は片手で髪型を気にしながら、気だるそうに振り向いた。しかし、目が合うと、少しだけ表情が柔らかくなったように思えた。「ああ、くるみちゃん」
 お兄ちゃんが呼ぶからか、苗字が言い慣れないからか。こちらに引っ越してきてから、下の名前で呼ばれることが多くなった。お兄ちゃん以外に呼ばれるのは、不快を通り越して苦痛だ。
「あの、この後、お時間ありますか?」
「時間?」
「お話がしたいんです」少し迷ってから、二人っきりで、と付け足した。「ダメですか?」
「ダメなわけがない。むしろ、こっちからお願いしたいぐらいだよ」
 校門前で待ってますね、と言うと、彼は笑顔を見せ、校舎へと消えていった。
 これでいい。一番の難関だと思っていたが、まさかこんなに上手くいくとは思ってなかった。あと少し、あと少しだ。そう言い聞かせて、鼓舞する。
 箱を片付ける作業に戻ろうとすると、先輩が話しかけてきた。「いいの?」
「いいもなにも、私から誘ったんですよ」
「いや、そうだけどさ」
「あの人じゃなきゃダメなんです」
「ダメねぇ」
 先輩が校舎の方へと目を向けたので、身体で隠しながら、鞄を開けた。陰なので中身は見づらいが、手で探ると、すぐに見つかった。レザーケースに入れられた、刃渡り20cmほどのナイフが。
 これで、あの男を、『Kyo』を刺す。私の頭の中には先ほどの後姿、ユニフォームの首下に書かれた『Kyo』という文字がハッキリと写し出されていた。
鞄の中で握り締めた木製の柄は、ひんやりとしている。
「喧嘩でもした?」先輩がポツリと、思わず出てしまったかのような声で訊いてきた。言葉が足りない気がしたが、むしろ、わざと言っていないようにも思える。
「私とお兄ちゃんは喧嘩なんかしませんよ」
 笑顔で答えると、先輩は余計にまいったような表情になり、「悪い、良くない、Bad、Badly」と呪文のように呟いた。



472 :とねかむ11話「Our Love And Peace前編」 [sage] :2009/06/22(月) 19:22:39 ID:X/iPN+ym


『散切り』という、なんとなく嫌な名前の美容室から出た時、遊佐とかちあわせになり、『偶然がいくつも積み重なることで必然や、奇跡がうまれる』という一節を思い出した。
だからといって、この出会いが必然や奇跡だとは思いたくない。
「あれ、憲輔じゃん」
「遊佐かよ」
「『かよ』ってなに、ねぇ、『かよ』って」
 たまたま靴紐がほどけて、それを結んでいたのがたまたまこの美容室の前で、たまたま俺が出てきた。さらに言えば、遊佐がこの道を使ったのも、俺が『散切り』へ来たのもたまたまだ。
確かに偶然が積み重なっているが、俺は頭の中で否定し続けた。
「なに、その顔」
「俺はもとからこんなだ」
「あんた、その顔なら鳩ぐらいは殺せるわよ」
「今度試してみるよ」
「時間はもっと有意義に使いなさいよ」
 やれやれ、と大袈裟なアクションをする遊佐は、もはやトレードマークとなったいつもの髪形に、よくわからない英字のプリントされたTシャツを着て、下は膝上までのジーンズを履いていた。
なんとうか、非常に色気がない。Tシャツを大きく膨らませている胸のお陰でギリギリ及第点と言ったところか。
「どこ見てんのよ、エロガッパ」
「なんだよ、エロガッパって」
「エロっていったらカッパでしょう」
「今まさに、千を越える河童が多摩川を上り始めたぞ」
「この暑さじゃ皿が乾くわよ」
 何かある度に、遊佐は河童を馬鹿にする。というよりは、俺が住んでる市が河童を大プッシュしているのを馬鹿にする。それ自体は一向に構わない。
俺だって、どうかと思う。ただ、遊佐はそれを使って俺をからかうのだから、手に負えない。
「もういい、帰る」頭の鉛がだいぶ軽くなり、ほどよくテンションも上がってきたのだが、遊佐と漫才が出来るほど元気ではなかった。
 悪かったって、と俺の手を掴む遊佐のは声は小刻みに震えており、息を殺しながら笑っているのがバレバレだった。「怒んないでってば、カッパはいるわよ、寿司屋とかに」
などとくだらないことを言って、自分で笑い出す始末である。
「帰る、帰って河童と遊ぶんだ」
「なに、バカなこと言ってんの?」と笑う彼女に、思わず必要以上のため息が出てしまった。


「いいかげん機嫌なおしなさいよ~」この店だけで6着目の服を手に取りながら、遊佐は言ってきた。
「お前は態度ってものを学ぶべきだな」
「どう?これ可愛くない?」スポンジだかチーズだかわからないキャラクターの書かれたTシャツをヒラヒラと揺らしながら、悪びれもせずに訊いてきた。
 半ば引き摺られるようにして駅前の商店街まで来た。
よくあるような、片っ端からシャッターが閉まっていたり、需要があるとは思えないような色合いの服が並んでいるものではなく、最近改修したばかりで、有名ブランド店も出店している、屋根までついた最新の商店街だ。
ちなみに、看板に商店街と書いてあるにもかかわらず、地元民は『モール』と呼んで都会ぶっている。
 今日はいつにも増して混んでいた。遊佐が言うには、とあるアイドルがこの地域の出身で、ここのCDショップでサイン会を開くらしい。
「いいんじゃないか」今日だけで何度この言葉を口にしただろうか。
「テキトーすぎでしょ」
「いいんじゃないでしょうか。デザインも今風だし、着やすいようにも思えますね。ただ、黄色っていうのは少々派手で、組み合わせが難しいんじゃないでしょうか」
「ん~、60点」
 さすがに嫌気が差し、やけっぱちになる。「杏が着るなら、なんでも似合うと思うな、僕は」
「ビミョー」目を細めているものの、少しだけ頬が赤くも見える。面白いのでしばらく見ていると、案の定、「エロガッパ」と言ってきた。
 それからまた別の店へ移動し、さらに2軒目で、空色のワンピースを手に取った時、遊佐は思い出したように口にした。「そういやさ、今日って部活じゃないの?」
「休んだよ」ワンピースを眺めていた目線を俺へと移すと、目を見開き、「珍しい」と言ってきた。
「この前も休んだし、どうかしたの?」
「別に」
「こういう時、言葉が短くなるのよね」
「そんなこと」勢いに任せて出たが、そこで少し考え込んだ。「確かに」
「憲輔のそういうとこっていいよね」やけに真面目な顔つきで言うので「珍しい」と言ってみた。
 遊佐は、あはは、と笑いながらワンピースを元のところへ戻す。
「場所変えよ」
 返事を聞かずに、遊佐は店の出口へと向かった。後について、俺も店を出る。結局、14軒回って、遊佐は何も買わなかった。