※上記の広告は60日以上更新のないWIKIに表示されています。更新することで広告が下部へ移動します。

第六話


 それからすぐに放送で担任に呼び出され、俺は放課後残るように指示を受けた。
 確実に今日の職員会議は俺を対象としたものだろう。
 片や学校で人気の生徒。片やよく知られていない地味な生徒。
 どちらが好意的な証言とやらを集めるかは日を見るよりも明らかだ。
 ホームルームが終わってから2時間。待ち続けるのはさして苦ではない。
 好奇の目で見続けられるのも慣れ、静かに椅子から腰を浮かし空気椅子状態で鍛錬を続ける。
 椎名は待ちたがっていたが俺の担任に命令を受け、百乃と帰って行った。
 時間の感覚もなくなり、生徒達も全員居なくなったころに担任が来て一枚の紙を俺に差し出した。


「……停学ですか。」

「いいや、謹慎だよ。近衛君。」

 眼鏡をかけた気の弱そうな中年は肩を落とし、俺に告げた。
 その様子ではロクに俺の弁護も出来なかったのだろう。そもそも俺自身目の前の担任が身を挺して誰かを庇うとは思えない。
 事なかれ主義で生徒達を怒ることもできないほど気弱な担任だ。それが上司相手ならばなおさらだろう。

「1週間ですか。」

「一方的に怪我させたからね……。一応第三者の意見で相手から手を出したと分かったから、その、ね。」

 すまなさそうな顔をさらに歪め、頭をかく担任。
 心からすまないとは思っていないのだろう。せいぜいが目の前の問題児をなんとか言いくるめたい程度か。
 ……疑悪的になりすぎだろうか。普段の俺ならばそこまでは相手を貶すまい。
 ささくれ立った神経を鎮めるように呼吸をより深くして、ペラ紙を掴んで鞄に仕舞い込む。

「相手は?」

「あ……うん、その、厳重注意を受けたよ、うん。」

 歯切れの悪い答えから鑑みるにお咎めなしだったのだろう。どれだけ色男を支持する人間がいるか窺い知れる。
 多分停学になろうとも署名活動かなにかですぐに処罰は軽くなるだけだ。
 吐き気がするほど、いつの間にか俺は呼吸を乱していた。
 怒りは心に沈め、爆発的な力の原料にしなければいけない。表に出すのは二流のする事だ。
 即ち、怒りを今出せば俺を陥れるだけではない。師父すらも陥れることになる。
 俺の怒りを感じたのだろうか。担任は言葉少なく教室から立ち去って行った。
 机の上に残された反省文用の原稿用紙。
 それを力任せに破いてやろうかと思ったが、抑えてあえていつもより綺麗に畳んで鞄の中にしまう。
 怒っている時こそ頭はキンキンに冷やさなければいけない。
 心だけは熱くし、今するべきことだけを考える。

「1週間自宅謹慎、か。」

 家から出ることを許されず、毎日かかってくる担任の電話に出なければいけない。
 あの担任は事務仕事だけはきっちりとする男だ。自分の不手際を責められまいと必死で俺に食らいつくだろう。
 それに逆らうのも馬鹿馬鹿しい。大人しくしていればそこまで内申も酷くされまい。
 そうするのが大人というものだ。自分に納得させるように心に語りかけるが、返ってくるのは虚しさだけだった。
 何もかもが、馬鹿馬鹿しかった。
 強がって自分の殻に閉じこもって、そうして得られるものなどありはしない。
 これは自身の心の弱さを鍛えるにいい機会なのかもしれなかった。
 そう自分を奮起しながら教室を抜け、靴を履き替えると校門に向かって歩く。
 好奇心、嫌悪、怒り、殺意。
 多くの視線が俺に纏わりつき、離れない。
 聞こえてくるはずのない悪口まで聞こえてきそうな精神の惰弱さを引き締め、顔をあげる。
 こんな時だからこそ、胸を張る。
 逆境だからこそ、その波に向かう。
 修錬とはそうあるべきもの。そうでなければいけないのだ。
 悔しさを拳を握り締めることで胸の中に沈め、来るべき爆発の機会までため込む。
 強がりも最後まで押し通せば己の意思だ。

 ふと顔を見上げた時に、私服姿の椎名の姿が見えた。
 今さら何を言えばいいのだろうか。逆光でその表情は見えないが、経験から理解している。
 きっと、泣きそうな顔で、怒っているんだ。

「楊……。」

 震える声に片手を挙げることで返し、脇を通って校門を抜ける。
 確かに付いてくる気配を確認しながら薄ぼんやりと歩き続ける。
 余計なことをしてしまったせいで椎名の居心地が悪くなったら、それは俺のせいだ。
 それだけは、謝りたいと思っていた。

「椎名、すまんな。」

 息をのむ音を背中に、歩き続ける。
 許さなくてもいい。聞かなくてもいい。ただ俺は、自分自身の心を軽くしたいだけだった。

「余計なことをした。余計なことを言った。……お前の立場を、悪くした。」

 返事は……なかった。
 もしかしたら俺は返事がないことに安心していたのかもしれない。いや、きっと嬉しかったのだろう。
 正直、椎名に拒絶されることだけは嫌だったのだ。

「楊、どうだった?」

 返事の代りに椎名が告げた言葉は関係のない言葉だった。
 俺が返事を求めていないと分かっていたのだろうか。それとも言いたくなかっただけなのだろうか。
 どちらでもいい話だ。俺は聞きたくない、ただそれだけなのだから。

「1週間の謹慎だ。」

 そう、と呟いたきり椎名は何も喋らなくなった。
 赤焼けたアスファルトと、長く伸びる影。
 子供のころのように物寂しい風景なのに、あの頃とは違う感情を抱くこの光景。
 いつからだろうか。今日が終わるのが悲しいということから、明日が来るのが怖いと思うようになったのは。
 遠くから微かに聞こえる電車の走る音だけが、この静かな風景を彩っていた。