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 最後の晩餐


 私には両親がいない。お父さんとお母さんは、私は小学校一年生の時、事故で亡くなってしまった。
 しかし、私にはお兄ちゃんがいる。両親が他界してからはお兄ちゃんは世界でたった一人の家族になった。

 私はとってもかっこよくて、とっても頼りになって、とっても優しいお兄ちゃんが大好きで、何度も好きと言ってしまったこともある。
 しかし、お兄ちゃんはいつも真面目に受け取らず、
「由紀には、いつか素敵な彼氏ができるよ」
と、笑いながら言うだけだった。
 それでも、お兄ちゃんは私のことを愛してくれているはずだと信じていた。しかし――

 2カ月前、お兄ちゃんに彼女ができた。

「ただいまー」
 午後7時、部活を終えたお兄ちゃんが玄関のドアあけた。私は、スリッパの音をぱたぱたと鳴らせながら玄関に向かって硬直する。
「おかえり、おにいちゃ……」
「ただいま。由紀」
 お兄ちゃんは、隣の女性に笑顔をみせながら隣にいる女性に声をかける。
「上がれよ。恵理子」
 恵理子という名の女性は、同じく笑顔をみせながら私に向けて言った。

「おじゃましますね。由紀ちゃん」
「あ、はい。どうぞ」
 私は表情を極力外に出さないように心がけながら、スリッパをふたつ置いた。
「ありがとう」
 談笑しながら居間に向かう二人の後ろ姿を、私は眺めることしかできない。
 お兄ちゃんの彼氏である内藤恵理子さんは、お兄ちゃんと同じ学年で、同じクラスだ。腰のあたりまで伸ばした黒髪が綺麗で、
大きな瞳と長い睫毛が特徴的なかなり美人だ。確か、茶華道部の副部長だったはずだ。

 恵理子さんのパーソナルデータを反芻しながら、私は台所に戻った。
 いつものように彼女は、家で食事をしていくのだろう。
 今日のメニューであるカレーに、一人分の材料を追加しなくてはいけない。

「なあ。由紀」
 ニンジンを切っている時に、お兄ちゃんが近付いてきた。
「どうしたの? お兄ちゃん」
 普段は歯切れのよいしゃべり方をするお兄ちゃんだが、今日はもじもじとしている。何かを切り出そうとして逡巡しているようだ。
「あ、あのな……」
「なあに? 」
 何度も躊躇った後、おにいちゃんはようやく話を始めた。

「今日、恵理子を泊めようと思うんだけれど……」

 心臓がとまった気がした。


「恵理子さんを? 」
 指の震えを懸命に抑えながら、私はほんの少しだけ首を傾げた。
「あ、そ、そのな、由紀が嫌というなら、やめるけれど」
「いいよ。お兄ちゃん」
 私は、お兄ちゃんの言葉を遮るように言った。
「私のことは気にしないで。恵理子さんにヤキモチなんか焼いたりしないんだから」
 内心の動揺を抑えて懸命に笑顔を見せる。

「わ、悪い。埋め合わせはちゃんとするから」
「じゃあ、明日駅前のケーキ屋で何か買ってきてね」
「あ、ああ」
 ほっとしたような顔をしてから、小さなため息をついたお兄ちゃんが、背中を見せて去って行った。

「お兄ちゃん……」
 ふいに瞼から涙がでて頬をつたい、ぽたぽたとまな板に落ちる。
「おにいちゃん。おにいちゃん」
 泣きながらニンジンを刻み続ける。
「おにいちゃん。おにいちゃん。おにいちゃん」
 ニンジンが細切れになり、プラスチック製のまな板が傷つき始める。

「オニイチャン。オニイチャン。オニイチャン。オニイチャン」
 悲しみと入れ替わるように憎悪が噴き出る。かつてはニンジンと呼ばれていた赤いものをさらに粉々にしていく。

 オニイチャンは悪くない。オニイチャンを誘惑したのは、あの悪い女だ。
「許さない。私のお兄ちゃんを奪うなんて絶対に許さない!」
 私は小さな声で宣言してから、粉々になったニンジンを捨てて、調理を再開する。

「恵理子さん。お兄ちゃんをGETしてしてやったりと思っているでしょう。でもね。チャンスはピンチとも言うの」
 私はぶつぶつと呟きながら、台所に並べたお皿にカレーを盛り付けていく。

 ねえ。恵理子さん。本当は帰った方がいいわよ。
 お兄ちゃんの部屋は鍵なんかついていないから、いつだって忍びこめるの。
 無防備な恵理子さんの首なんか、ちょっと包丁の先で触ってあげるだけで死んじゃうんだよ。
 私は、恵理子さんが大量に血を流してベッドに倒れているシーンを想像してから、居間でテレビを見ている二人を呼んだ。
「お兄ちゃん。恵理子さん。ごはんできたよ~」
「りょうかーい」
 お兄ちゃんと恵理子さんが、嬉しそうに台所にやってくるのを見ながら、私は微笑んだ。

 恵理子さん。よく味わって食べてくださいね。あなたにとって最後の晩餐になるのだから。

(おしまい)