463 :そして転職へ  6:2009/08/15(土) 00:19:33 ID:YmZJicXF

どうしてこんなことになってしまったのだろう。
身を縮めるようにして、迫りつつある敵に怯える僕。
ほんの少し前までみんなはそこにいた。一緒に笑ったり、ふざけ合ったり
していたはずだった。
今の状況はなんだ?
一人、また一人と次々と消えていく仲間。
消えたはずの仲間が不意に現れたと思ったら、味方のはずの仲間を
次々と手にかけていく。
地獄絵図だった。
かろうじて僕の味方だと認識できる者は残り数えるほど。しかも
それぞれ敵に囲まれている。
そんな僕も他人を気にかけていられない。敵に追い詰められてとうとう
僕は追い込まれてしまった。
情けないことに僕は足が遅い。この包囲網を突破するのは不可能だろう。
…僕を囲み慢心しきっている敵の後ろから仲間が攻撃して救出してもらうしか…。
ゆっくりと一歩右に動き相手の様子をうかがう僕。
その時だった。
敵の一人がゆっくりと僕の右斜めに躍り出たのだ。
チャンスだった。
ざっと見ても奴の周囲には敵はいない。
周りの敵が僕を取り囲もうとしても、奴を失えば包囲網に隙ができる。
なんとか仲間の所へ逃げ切れば、陣形を立て直して反撃できる!
僕はのこのこと飛び出してきた敵を一刀で斬り伏せた。
力なく倒れ戦場から消えていく敵。敵が倒れたおかげで塞がっていた
視界が開けた。その先に…人影?

「き…君は?」

少し遠くの方に人影が見える。ずいぶんほっそりとした体つきだ。
少しずつ視界が鮮明となる中、僕はようやくその人影に見覚えがあることに
気づいた。

「君は…僕たちと一緒にいた…。」



464 :そして転職へ  6:2009/08/15(土) 00:20:42 ID:YmZJicXF
「覚えていてくれたんだ。うれしいな。」

にこりと少し恥ずかしそうな笑みを浮かべる女の子。確か僕たちの仲間の一人で
いつも隅っこの方でじっとしている目立たないタイプの子だ。
顔なんて正面切って合せた事はなかったので、パッと見て実直そうな
この子の顔が変に心に残る。
…そういえば本当に彼女の顔を正面から見たことなんてなかったな。
小さな顔立ちがこんな状況であるにも関わらず彼女の清楚さと可愛らしさを
花開かせている。
ただ、目が心なしか虚ろだ。

「…初めて…初めてあなたの顔をまっすぐ見ることができたね。」

ほほを染めてまたかすかに微笑む少女。ただ、事態は一刻を争う。

「悪い、君と話している暇はないんだ!仲間と合流しないと…。」

「必要ないよ。」

彼女が凛とした声で言い放つ。周りの音が聞こえなくなった。
まるでスローモーションだ。
彼女の手に握られていた槍。それを彼女は左手で柄の後ろを持ち、
そのまま刃を水平にした状態で左手を引きながら右足を前に出し
腰を少し落とす。右手で槍の先端を支え、その切っ先が僕を照準にとらえ
ぶれないようにしている。
奇妙な構えを見せる彼女に僕もいそいで構える。切先を相手の喉笛にあてる
基本の構えだ。
彼女の武器は槍。基本の戦闘術は突くことのみに限定される。
たしかにリーチこそ長いが、いくらなんでも距離が離れすぎている。
攻撃は不可能なはず。
…なのにどういうことだ?さっきから震えが止まらない。

「あなたの全てを奪ってあげる…。」

刹那
ズガアアアアアアン!

腹部が燃えるように熱い、いや痛い。すぐ目の前にさっきまで
遠くにいたはずの彼女の顔が見える。左片手からの水平突きが僕の
腹部を貫通していた。馬鹿な…この一瞬であの間合いを詰めて!?
血を吐く僕。刀が僕の手から滑り落ち、カラカラと地面に転がった。

「なぜ…僕を…?」

彼女は答えない。かわりに槍を僕の腹から引き抜き、槍を投げ捨てた後
僕を抱きしめた。

「…好きだから。」

しばらくのち、彼女の発した言葉はそれだった。


465 :そして転職へ  6:2009/08/15(土) 00:22:12 ID:YmZJicXF
「私の位置はいつも隅っこ。あなたから一番遠くにいた。
あなたの横顔を遠くから眺めるだけで我慢していた。
私は前に進むことしかできない。辛くても、思い残すことがあっても
過ぎ去ったものに浸ることもできない。」

ほほを涙が伝う。だんだん雫と雫の間隔が短くなってきたようだ。

「私はあなたが好きだった!あなたの顔を正面から見て愛を打ち上げたかった!
でもそれは無理!私は前にしか進めないから!」

「横にだって動けない!あなたに近づきたくても叶わない!ねえ何で!?
どうしてもっとそばに私を置いてくれなかったの!」

「私は敵につかまり…そして条件を出された。あなたを仕留める
手伝いをするなら命を助けてやると。」

叫びすぎて喉が渇いた。彼女はそういうと僕の傷口に舌を這わせ
舐めるように血を口に含んでいく。恍惚とした表情を浮かべる彼女。
いっそ気絶してしまった方が楽かもしれないが、あいにく意識は保たれている。

「最初は断るつもりだったよ。だけど、ある言葉を聞いて考えを変えたの。
『好きな場所で戦っていい』と。わかる?この意味。
今私があなたと正面切ってお話できるのもこのためなの。」

僕を抱きしめる力が強くなる。彼女の声に嗚咽が混じるようになった。

「だから…ごめん。私条件をのんだ。たとえあなたを裏切っても
私の思いを正面から…ひぐっ…伝えたかった。」

ふうと息をつき、今度はまっすぐ僕の眼を見据える。

「あなたはいつも楽しそうだった。近くの金さんと仲良く喋ったり、たまに
あなたを守るため戻ってくる龍さんをねぎらったり…。私の隣にいた
桂さんもあなたのことを本当は狙っていたんだよ。私それが耐えきれなかった。
実はあの子は二股をかけるのが得意なんだよ。知ってた?桂さんとはちがって私は
どこまでもまっすぐにしか進めない。それを器用に渡り歩く桂さんに
馬鹿にされているみたいで…。でも彼女は私よりもあなたの近くにいた。」

確かに彼女はユニークな動きで僕らを支え続けてくれた。でも彼女はいい子
だよ。そんな悲しい言い方しないでほしいな…。


466 :そして転職へ  6:2009/08/15(土) 00:23:08 ID:YmZJicXF
「死にかけているのに、優しいね。…でも、諦めて。
私はまっすぐにしか進めない。その代り狙ったらはずさないこの
左片手平突きがあるの。狙われた人は貫かれるだけ…本当は私が
あなたに貫いて欲しかったんだけど。」

最後は少しいたずらっ子のような笑みを浮かべた彼女。
…あ、意識が遠くなっていく…。

「いよいよだね。…最後に一つだけ。私の名前を覚えてくれないかな?」

僕が聞いた最後の言葉。

「私の名前は…香車(かおる)っていうの。すぐに私も逝くから
待っていてね。…私の名前忘れちゃだめだよ?だって…。」

「私はこれから旅立つ二人だけの世界での、恋人だからね。」



467 :そして転職へ  6:2009/08/15(土) 00:24:26 ID:YmZJicXF
「やってしまったぁぁぁ!」

僕の絶叫が響く。ここは僕らの王国から数えて二つ目の町にある宿屋。
日も暮れてきたのでここに宿をとったのだが、あいにく四人部屋は
開いていなかったのだ。
そして市原悦子似の宿屋のおかみが『二人部屋なら二つ開いています』と
まるでこれから起こるかもしれぬ修羅場に期待を寄せているような口調で
僕に勧めてきた。
言葉の中に『柱の隅から絶対に覗いてやる!』という強固な意志が
読み取れる…。
どういう組み分けにするか悩んだ僕の結論は。
勇者&魔法使いさんペア と 僧侶ちゃん&盗賊くんペア に決定!
異議は認めない。なぜならこれが万が一の時一番戦いやすい組みわけだからだ。

勇者としては寝込みを襲われる可能性も考慮しなくてはならない。
その時危険なのは防備がほかに比べ甘くなる魔法使いだ。
寝込みを襲うなら接近戦になることは間違いない。打撃が攻防問わず
苦手な魔法使いは命が危なくなる。
だからペアを組むのは接近戦で攻防優れるもの…この場合は僕だ。
僧侶ちゃんも盗賊くんも接近戦にはある程度の備えがあるだろうから
僕のサポートは必要ないだろう。
か…勘違いしないでよ。べ…別に下心があるわけじゃないんだからねっ!
何が不満なのか膨れ面をしている二人を残し、僕と魔法使いさんは
部屋に入って行った。

この機会に僕は彼女に聞いておきたかったことがある。
前にも話した通り、彼女の持つディン系の呪文についてだ。
王室に何らかの形で関係しているのは、彼女が提供してくれた王宮兵士の
捜査情報で分かっている。ただ、他は一切謎に包まれている。
個人のプライバシーを詮索するのは気が引けるが、命を預ける仲間たるもの
相手の素性ぐらいは最低限把握しておきたい。
とは言っても、僕がいくら尋ねても『禁則事項です。』の一言で片づける
巨乳の監視役はなかなか手ごわい。
そこで僕が提案したのは…かけ勝負!種目は…『将棋』!
はるか西方にあるという救いの浄土ガンダーラ。そこで生まれたこのゲームは
ガンダーラの僧ゴダイゴが銀河鉄道999に乗りジパングに伝えられ、
その国の風土によって改良され現在にいたるものだ。
このゲームで勝った方が負けた方の言うことを一つだけ聞く…僕は
彼女にそう提案して、彼女は受け入れた。よし、勝って聞きだしてやる!


468 :そして転職へ  6:2009/08/15(土) 00:25:24 ID:YmZJicXF
そしてまんまと相手の釣り餌に僕の王は引っかかり、いつの間にか
仕掛けられていた香車が僕の王をとった。
惨敗です。本当にありがとうございました。
深々と一礼する僕。…え、なぜ投了しなかったのかって?僕がアマだったから。
なぜ将棋盤を持ち歩いているのか?僕が勇者だからさ。

それにしても、彼女の桂馬の使い方は絶妙だった。桂馬を使い王手飛車取りを
狙っていると思いきやそれは囮だったり、二つの駒を刺しながらも相手の
出方をうかがい桂馬をただの捨て駒にせずに動かす絶妙さといったら…
魔法使いさん…恐ろしい子ッ!
そういえば、刺された二駒は銀と香車だったな。僕はあの時香車を
捨てたのだけど、まさかその香車に復讐されるとは…。

「んっふっふ~勇者クン。解説も御苦労さまだけど、約束は守ってもらうよ。」

意地悪そうな笑みを浮かべながら魔法使いさんが顔を近づけてくる。

「なににしようかな?アタシのことを『お姉様』って呼ばせるのもいいし~
明日一日四つん這いで歩き回らせるのもオツだよね。…いっそのこと
あの僧侶チャンの目の前で熱いディープキスでも…。」

…はっ!いけないいけない。無意識のうちに口が地獄のいかずちの詠唱を…。

「う~んと…そうだ!」

彼女はニヤリと笑うと、僕に軽く口付けして…

「この旅が終わったら…アタシのことをお嫁さんにして?」


その瞬間、ドアが勢いよく開け放たれた。

「…勇者。そういう訳だったのだな。私ではなくその魔法使いを同室に
誘ったのは…アレだ、あの…その…厭らしい目的だったのだな!」

「…勇者さん。イッペン…シンデミマス?」


469 :そして転職へ  6:2009/08/15(土) 00:26:33 ID:YmZJicXF
そこには右手で大量のポッキーを抱え、左手にしっかりと聖なるナイフを握りしめている
僧侶ちゃんと、右手にトランプを持ち、左手のダガーナイフが臨戦態勢にはいっている
盗賊くんが立っていた。
一方の僕はキスの余韻とまさかの発言から立ち直れていなく、茫然自失。
さらには魔法使いさんが僕に抱きついた状態…。
…こんな時に言うのもアレだけど、君たち明らかに小旅行の荷物だろ。
大体僧侶ちゃん。そのピンクのパジャマは何?一応僕ら命張って旅してるはず
だよね?…いや、可愛いのは認めるけどさ。寝込み襲われたらどうするの?
…え、僕に守ってもらうつもりだった?
盗賊くんも何そのカッコ。水色で子犬柄パジャマって…君盗賊でしょ?
…さらにツッコミ入れると、その右腕に抱えている大きめの犬のぬいぐるみは何?
…え、僕に買ってもらった?
そんな覚えないんだけd…はっ!?いつの間にか僕の財布が無い!
盗賊くん…恐ろしい子ッ!
こんなやりとりが続く。こののほほんとしたムードで何事もなく終わってくれ…。
ゆうしゃはにげだした!
そうはとんやがおろさなかった!
ご愁傷様、僕。


「全く…勇者さんがそんな人だとは思いませんでしたよ。」

僧侶ちゃんが僕に丁寧に包帯を巻きつけている。妙に口調が優しく、それでいて
申し訳なさそうなのは、僧侶ちゃんの一撃が想像以上に僕にダメージを
与えたためだ。
…武道家の副職でもやっているのだろうか?

「まったく~僧侶チャンも大げさだよ~。勇者クンにはもう既に
こーんなに可愛い恋人がいるっていうのに、アタシが手を出すわけないでしょ。」

やだなぁ、とでもいうかのように魔法使いさんが手を振る。

「…そうでしょうか?私は魔法使いさんが何を考えていらっしゃるのか
さっぱりわからない物で。」

きっぱりと言い放つ僧侶ちゃん。


470 :そして転職へ  6:2009/08/15(土) 00:27:42 ID:YmZJicXF
「…待て。僧侶が勇者の恋人だと…?勇者!お前たちまさか…あ、ああ
あーんなことやこーんなことを既にやっているのか!?」

顔を真っ赤にして僕に掴みかかってくるのは盗賊くん。…ってか痛い!

「認めん認めんぞそんなこと駄目だ駄目だ勇者お前は気づいていないのか
あの日お前にもらったお弁当から始まったこの想いに許さないそんなこと
私はいやだもうつらい思いをするのはたすけてくれおまえなら他人に
りかいされぬことのつらさを私の思いをわかってくれるはずだ
よめがだめならどれいでもいいいやいっそかちくでもかまわないこのたび
がおわってもおまえのそばにわたしはいたいのだたのむわたしは
おまえをしんじている…!」

ものすごい早口で何かしゃべっている盗賊くん。あまりの速さに僕や僧侶
ちゃんはもちろん、魔法使いさんまで目が点だ。何を言っているかなんて
当然誰も分かりはしない。…たぶん早とちりして僕と僧侶ちゃんが
何やら秘め事でも行っていると思って怒っているのだろう。
…そういう初心なところが彼女の可愛いところだよね…はっ、殺気!
この展開だったらこの殺気は僧侶ちゃんのものだと思うだろう。だが違う。
この体に不快にからみつくような殺気は今まで感じたことの…あれ?
あまり覚えのないような殺気なんだけど、どこかで感じたことのあるような…。
僧侶ちゃんはおろおろとしだしているが、魔法使いさんと盗賊くんはすでに
杖とナイフを構えて油断なく部屋を見渡している。

「勇者、この殺気…。」

盗賊くんもどうやらこの殺気に覚えがあるようだ。となるとその持ち主といったら…。

「爆破の呪文、イオラ!」

声が聞こえたのは一瞬だった。次の瞬間には黄色い閃光が辺りを
包み込み、爆発した。

窓のガラスをぶち割り、盗賊くんと魔法使いさん、そして僧侶ちゃんを
抱き抱えた僕が飛び出す。足先が焦げるのを感じた。
そしてそのまま地面にたたきつけられるような状態で着地。後ろに
迫る火の粉を掻い潜り、火の手が届かぬ所まで走った。
そのまま短剣を握りしめた僕は盗賊くんと魔法使いさんに合流する。

「勇者クン。キミにはこんな奇襲方法予測がついたかい?」

「いいえ。さっぱりです魔法使いさん!」


471 :そして転職へ  6:2009/08/15(土) 00:28:48 ID:YmZJicXF
爆音が連続して聞こえる。どうやら部屋のランプやストーブ用の火種薪に
遅れて引火し爆発しているようだ。
奇襲のメリットとして相手に気づかれないことと、少数で多人数をたたけること。
そして目立たないことが挙げられる。
しかし今のような市街地の宿屋でよりによって爆破呪文をぶっ放すような
奇襲方法では、メリットのうちのひとつ少数攻撃しか効力を発揮していない。
だから、逆に忍び込んで直接攻撃してくるものだとばかり考えていた。
迂闊だった!
足にやけどを負っているのを感じる。僧侶ちゃんが気づいたようで
僕に回復呪文をかけようとしたが、僕は今まで彼女に見せたことのないような
強い目線で睨み制止した。
申し訳ないとは思うが、この戦いは途中で回復する余裕のあるものではない。
僕の呪いの件を置いておいても、回復呪文を唱えようものならその詠唱中に
殺されかねないようなレベルの敵だ。

「来たぞ!」

盗賊くんの眼光が銀色のそれに変わる。パジャマ姿とはいえ、ナイフから
放たれる殺気は少しも衰えない。
魔法使いさんもまた杖に魔力を込め始めている。バンダナの付け方を気にする
ようなそぶりを見せてはいるが、たぶん本気で気にしてはいないだろう。
事実、彼女の魔力が今や肉眼で感じられるほど集中している。
…この二人って、こんなに強かったのか。
そういう僕も負けていられない。
短剣に僕の使える唯一の攻撃呪文メラ(地獄のいかずちは別にして)を
付加して身構える。地味だが、結構強力だ。
ただ、この場にいる誰もが感じていることだが、自分たちよりはるかに
相手は強い。存在のみしか把握できていないがそれでもわかるのだ。
体を少し硬くした状態で身構える僕ら。そんな僕らの前に現れたのは…。

「ひさしぶりだな小僧ォ!家宝の恨みたっぷりと晴らさせてもらうゾォ!」

かつて僕を殺そうとしたあの老魔道士がそこにいた。

                       続く
最終更新:2009年10月11日 16:43