317 :ぽけもん 黒 ◆/JZvv6pDUV8b [sage] :2009/10/09(金) 22:19:07 ID:Fq4q3HCv
遭難した。
何かの冗談でもなければ何かの比喩でもない。
本当に、道に迷った。
鬱蒼と生い茂る樹海の中で。
僕は、皆に向かって力の無い笑みを浮かべた。
シルバー達に逃げられた後。
延焼が起こらないことを確認した僕と香草さんはポケモンセンターに戻った。
香草さんが僕の火傷を心配したためだ。
香草さんはヒリヒリと痛む僕の肌を撫でると、今にも泣き出しそうな顔で僕を見た。そんな彼女に「今すぐポケモンセンターに行きましょう」と懇願されれば、同意しないわけにはいかない。
実際は火傷というより日焼けといったほうが正しいような軽症だった。どの道、このまま散歩を続ける気分にもなれなかったけども。
過剰に僕のことを心配したかと思えば、その直後に「あのアマ、今度会ったら絶対にぶち殺してやる」なんて恐ろしいことを口走る。
ますます香草さんとランは戦わせられない。
そもそもランが悪いわけじゃない。悪いのはシルバーなのに。
しかし、香草さんは感情の変化が激しすぎるように思う。笑っていたと思えばすぐに不機嫌になり、慌てていたと思えばすぐに怒り出す。もしかして女の子は皆こうなんだろうか。
だったら僕は今後女の子と関わっていく自信がない。
ポケモンセンターで診断を受けたが、やはり結果は「治療の必要なし」だった。
大事をとって一応塗り薬を出すか? と聞かれたが、不要だと思ったので断った。
僕が診察室からでて、診察室の前で待機していた香草さんにそれを告げると、「藪医者が!」と診察室に突撃しそうになった。
羽交い絞めにして抑え、なんとか説得した。
羽交い絞めにした際、香草さんの胸の感触がして恥ずかしいと同時に嬉しかったことは内緒だ。
しかしその後香草さんが「やけによそよそしかったから間違いなくばれていただろう。
触っているんだからばれない道理はないんだけど。
部屋に戻った後がまた大変だった。
香草さんの治療に行って以来戻っていなかったために、長時間(といっても一時間程度だが)放置されたポポは恐慌状態だった。
ドアを開けた僕の目にまず飛び込んできたのは散乱した羽。
次に目に入ってきたのは、隅のほうで小さくなっている、涙で顔をグシャグシャにしたポポの姿だった。
「い、一体何があった!?」
僕は慌ててポポに駆け寄る。どう見てもただ事ではない。
「ゴー……ルド…………ゴールド!? うわぁああああん!」
ポポの突進のような抱擁に僕は数メートル飛ばされ、背中から地面に叩きつけられた。ポポは僕の胸に顔をうずめ、泣きじゃくっている。
僕はすぐに危険を察知し、ポポの背中に両腕をまわした。
間髪空けずに、腕に蔦が叩きつけられる。
腕に爆ぜるような激しい痛みが走った。
「香草さん、何するのさ!」
「ち、違うの! ゴールドにやろうと思ったわけじゃないの! ただ私はその鳥に……」
「それがダメだって言ってるのさ! どうしてそんなことしようとするんだよ!」
「だってゴールドにだ……」
ポポが僕に思いっきりぶつかったことを怒っているのか。
「そんなこと言っている場合じゃないだろ! ポポ、僕たちのいない間に何があった!?」
僕は二度目となる質問をポポに投げかけた。
しかしポポは相変わらず泣いてばかりで話せそうに無い。
しかも廊下まで飛ばされてしまったので、人が通りかかるときっと奇異の目にさらされることだろう。
だからとりあえずポポを抱えてベッドまで移動することにした。
「な、何してるのよ!」
突然香草さんから批難のような質問が投げかけられる。
「何って、ベッドまで運ぼうかと」
直後、頭部を狙って飛んできた香草さんの蔦をかがんで回避した。
なぜかは知らないけど、香草さんの蔦が飛んでくる気がしたからだ。案の定、飛んできたわけだし。
香草さんの言葉には言外の意味が多すぎる。普通の回答じゃほぼ間違いなく蔦の餌食になることを僕はすでに学習済みだ。
318 :ぽけもん 黒 ◆/JZvv6pDUV8b [sage] :2009/10/09(金) 22:19:29 ID:Fq4q3HCv
次いでとんできた蔦も扉の陰に隠れることでやり過ごした。
ここは遮蔽物が多いから隠れやすいし、そもそも狭いから蔦を振り回しにくくて良いね。
香草さんの蔦対策がそのまま場所の良し悪しになっていることに泣けてくる。
「ダメよ、そんなの絶対にダメ!」
そういうことは蔦を振り回す前に言って欲しい。僕じゃなかったら今頃大怪我だ。
「何がダメなのさ」
「何がって……そんな……」
なにやら香草さんは大きな誤解をしているような気がする。
「ただポポから話を聞きたいだけだよ?」
「嘘よ!」
どうして嘘と判断したのか聞きたい。僕の今の話に何かおかしな点があっただろうか。それとも、僕はそんなに嘘つきに思われてるのかな。
「本当だよ。香草さんも一緒に聞こうよ。場合によっては警察のお世話になるかもしれないし」
「警察の世話になんてならないわよ! だってその鳥、それ自分でやったのよ!?」
自分で? 自分で羽を毟って撒き散らしたというのか?
ポポは腕が翼になっているために自分で自分の羽を毟ったりは出来ない。どうやって自分一人でこんなことをしたっていうんだ。
そう思いながらも、確認のために一応ポポに問いかける。
「そうなのポポ? これ、自分でやったのか?」
僕の問いかけに、ポポは首をわずかに下げた。なんてこった。
最初この羽毛はポポのものかと思ったけど、よく見たら部屋の片隅にビリビリに引き裂かれた枕が転がっていた。
羽毛の枕なんて、なんて無駄に高級な設備なんだポケモンセンター!
税金の無駄遣いという言葉が頭をよぎったが、普段は枕もなしに野宿という旅人達のために、せめてここでくらいは柔らかい枕で寝て欲しいという優しさかもしれない。
というか、そうであって欲しい。
「どうしてこんなこと……」
「怖かったんです!」
「怖かった?」
「ゴールドが帰ってこなくて……捨てられたのかと思って……探しに行きたかったですけど……ゴールドが戻ってきた時いなかったら……約束破ったら捨てられちゃうと思ったんです……それで、どうしたらいいのか分からなくなって……分からなくなったんです」
ポポは泣きじゃくりながらポツポツと述べる。
はっきり言って、ポポの心理が理解できない。
「ポポ。どうしてポポはそんなに心配するのさ。僕ってそんなに外道に見えるかな?」
つい言ってしまった。ポポもこんなことを聞かれても困るだろう。彼女には否定以外の回答は初めから用意されていない。僕が気づいていないだけで、僕が本当に下衆野郎だとしても、僕から見放されないためには否定するしかないのだから。
「ポポには……ポポにはゴールドしかいないんです。ポポには何も無いんです。一人では何も出来ないんです。ゴールドが……ゴールドがいないと……。だから、ゴールドがいなくちゃ生きていけないんです! だから、だから……」
嗚咽によって言葉は途中で途切れた。ポポは再び僕の胸に顔をうずめて泣きじゃくる。
「そんなこと無いよ、ポポはもっと自分に自信を持つべきだ。僕が……」
「はいはいそこまで。分かったでしょ? その鳥に付き合うだけ無駄なのよ。まともな理由なんかないんだから」
僕がいなくてもポポは大丈夫。ポポは僕以外のトレーナーを知らないからそう思うだけなのさ。僕はけして特別じゃない。
その言葉は香草さんの割り込みによって中断された。
香草さんはうんざりした表情でポポを僕から引き離す。
ポポは両翼をバタバタと羽ばたかせて抵抗したが、香草さんの力には勝てなかったようだ。
一方の僕はというと、その様子をただ呆然と眺めているだけだ。
どうしたらいいか分からない。
ポポの状態はどう考えたってまともじゃない。僕が、何かを間違えたのだろうか。
きっと、僕のそんな様子でまた不安になったのだろう。ポポがまた今にも泣き出さんばかりに顔を歪めた。
僕はポポを安心させるためにとりあえず笑みを作る。中身の無い笑みを。
319 :ぽけもん 黒 ◆/JZvv6pDUV8b [sage] :2009/10/09(金) 22:20:07 ID:Fq4q3HCv
僕が入り口から向かって左側のベッド、ポポと香草さんが向かって右側のベッドで寝ることになった。
香草さんの強い要望のためだ。
それには、僕としても同意だった。
ポポを甘やかしすぎたのかもしれない。いや、甘やかしているというほど何かをやったわけではないけども。
とにかく、距離をとることには同意だった。
香草さんには悪役を押し付けてしまって申し訳ないけど、香草さんの要望ということであれば僕がポポを見放したということにもならない。
もちろん、香草さんにポポに対して暴力を振るわないことは約束させた。
……これで責任を果たした、と考えるのはただの独りよがりなのだろうか。
もしかして、育児放棄を行った大人も、このように考えているのかもしれないな。最低限すら果たせてないのに、それで十分と勘違いする。
たとえ偽りでも、それが一時的な仮初であったとしても、ポポを愛すべきなのだろうか。
たとえ、それがいつか僕の人生と共に決定的な破滅に行き着くことが分かっていたとしても。
僕の心は揺れていた。
フワフワの羽毛の枕も、僕の煩悶を吹き飛ばしてはくれなかった。
重い気分で迎えた朝。
体を起こすと、香草さんとポポはすでに起き上がってこちらを見ていた。
なんだか怖い。
「お、おはよう」
「おはよう」
「おはようです」
僕の挨拶に対して二人は微笑んだが、それがさらに恐怖を煽る。
これは単なる被害妄想だろうか。
僕たちは準備を終えると次の町目指して出発した。
檜皮村から次の古賀根市へ行くには姥女の森を通らなくてはならない。
この森、木々が鬱蒼と生い茂っているため、昼間でも地上部まで日光が届かず、非常に薄暗い。その上、いろんないわくがあるとかで全国的に有名な心霊スポットでもあり、夜には絶対に立ち入りたくない場所だ。
地元住民からはいわくつきの地というより、神聖な場所ということで畏れられてこそあれ、怖れられているなんてことは無いから、いわくなんてものはただの噂で、実際には何も無いと信じたい。
入り口で通行が制限されるという特性上、ここは一つのチェックポイントにもなっている。僕は入り口の係員にポケギアで自分の情報を提示する。
係員の隣には警察の人もいて、ロケット団の出入りを監視しているようだった。
「ロケット団に気をつけて、見つけたらすぐに通報してその場から逃げてください」
と言われたが、シルバーの件を知っている僕からすれば、出入り口なんて警戒しても意味がないと思ってしまう。元々一部の人とトレーナーしか立ち入れない場所なんだし、そもそもロケット団が正規の出入り口を使うはずがないのに。
実際に踏み入ってみて分かったが、この森は本当に暗い森だった。
入り口から数十歩進んだだけで晴れから曇りになったくらいの明るさの差がある。
行き先は闇にかすんで、はっきりとは見えなかった。
「なんだか、気味が悪いね」
僕は思わずそう漏らす。
「な、情けないわね。ゆゆゆ幽霊なんているわけないじゃない!」
そういう香草さんの足は小刻みに震えている。少し可愛い。
ポポはといえばキョトンとしていた。羨ましいまでに鈍感だ。
光が入らないためか、あまり固くない地面を踏みしめながら進んでいく。
まだ朝だというのに、森はすでに雨天時よりも暗くなっていた。
暗さもさることながら、木々の密集度からポポが飛ぶことが出来ないことも厳しい。香草さんの蔦も本来の力を発揮することは出来ないだろう。
「きゃっ!」
香草さんがゆるい地面に足を取られ、短い悲鳴を上げる。
「大丈夫?」
「ポポは大丈夫ですー」
はいはい、分かったからね。
香草さんは――僕もだが――歩きにくそうにしているが、ポポは鉤爪のお陰か、それとも長かった野性の生活のお陰か、滑りやすく力を込めにくい地面をまったく苦にせず、なんでもないようにひょいひょいと歩いていく。
その跳ねるような動きが、ヒラヒラと揺れる服や羽と相まって、とても可愛らしい。
あっちに足をとられ、こっちに躓きと、ふらふら歩いている僕と香草さんとは大違いだ。
香草さんは何も言わないが、表情からは不機嫌さがにじみ出ている。
こういうときこそ、(一応)パートナーである僕が支えてあげないと!
……決してポイント稼ぎとか、そういうのじゃないからね!
僕は彼女に手を差し出した。
ふらふらしている人間同士が手を繋いだら共倒れになるんじゃないかとか、そういう野暮なことは考えてはいけない。
320 :ぽけもん 黒 ◆/JZvv6pDUV8b [sage] :2009/10/09(金) 22:20:43 ID:Fq4q3HCv
しかしその手に重ねられたのは手ではなく翼だった。
いつの間にかポポが素早く駆け寄ってきていたのだ。
僕はポポを見たが、涙目で上目遣いで覗き込まれてしまった。
「だめ……ですか?」
涙声でのトドメの一押し。
これで何も言えなくなってしまうのは僕だけではないと自信を持っていえる。
そういうことで、なんのためか分からないけど、ポポと手を繋いで森を進む。
ポポと手を繋いでも、当然足場が安定するわけではなく、そのため何回かポポを巻き込む形で転んでしまった。
しかも一回は一見ポポを押し倒しているような格好でだ。
すごく気まずいと共に、手をつないだのが香草さんでなくてよかったと思った。香草さんとだったら今頃僕の命はない。運がよくても繋いだ腕は根元からなくなっていることだろう。
しかし巻き込んでしまっていることが申し訳ないから、ポポに手を離そうかと提案しようと思ったけど、ポポの嬉しそうな顔を見て、僕が手を離そうと言った後のことを考えると何も言えなかった。
僕の数歩前を行く香草さんの周りだけ闇が濃いように思えるのは気のせいではないと思う。
一方で、隣にいるポポはここが薄暗いというには暗すぎる森の中だと思えないくらいニコニコとして明るい。
まるで香草さんの周囲の光がポポの周囲に移動しているかのようだ。
僕はとても胃が痛い。
その胃が痛い空気で進むこと数時間。
唐突に、ポポが立ち止まった。
「どうしたの?」
「……誰かの泣き声みたいなのが聞こえる……気がするです」
僕の質問に、ポポはおずおずと答えた。
その様子からして確証は無いようだ。
事実、立ち止まって耳を澄ませてみても、僕には何も聞こえない。
香草さんにも尋ねてみたが、彼女はこちらに向き直ることもせず、無言で首を振った。
彼女は僕や香草さんと比べかなり耳が良いから、僕が分からなくたって間違いとは言えない。
しかし、こんな暗い、先の見えない森で泣き声。どう考えても気分のいい話ではない。
背中に寒いものが走る。
「と、とりあえず、先に進んでみようか。ほ、ほら、ポケモン同士のバトルかもしれないし!」
僕は結論を保留して先に進むことにした。
立ち止まっていてもしょうがないし。
何かに怯えながら、慎重に、ゆっくりと進むことしばらく。
聞こえた。僕にも、聞こえた。
しくしくと、すすり泣くような声が。
香草さんも聞こえたらしい。足が止まった。
香草さんは青ざめた顔をして振り返った。
き、ききき気のせいよね!?
口はパクパクと動くばかりで言葉をなしていないが、そう言いたかったような気がした。
僕はコクコクとせわしなくうなずく。
香草さんを勇気付けるというよりは、自分を落ち着かせようと暗示をかけているといった方が適切だ。
なんとか励まそうと言葉を発しようとしたけど、恐怖でパニック手前に陥っている頭は上手い言葉を見つけてくれず、僕も彼女のように口をパクパクさせるだけに終わった。
ポポはそんな二人の様子をキョトンとして見ている。ポポは幽霊に対する恐怖とかないんだろうなあ。ゴーストポケモンだったら戦う対象だろうけど、それ以外のモノはポポにとっては意味を成さないんだろう。
辺りを警戒しながらゆっくり先に進むが、明らかに香草さんの歩が遅くなっている。進めば進むほど、すすり泣きも近くに聞こえてきているから分からなくも無いんだけど。
ついに香草さんの足が止まった。彼女は今にも泣き出しそうな顔で振り返った。
か、かかか風の音よね!?
相変わらず言葉にはなっていないが、そう言っている気がした。
しかしこれが風の音ではないことは明白だ。もちろん気のせいでもないことも。
僕は無責任にうなずくわけにも行かず、沈黙を返す。
ポポは僕の顔の覗き込んで、不思議そうな顔をしている。
321 :ぽけもん 黒 ◆/JZvv6pDUV8b [sage] :2009/10/09(金) 22:21:16 ID:Fq4q3HCv
「そ、そういえば」
「そういえば?」
「い、いや、なんでもない」
「き、気になるじゃない。言いなさいよ」
「あー、えっと……思い出したんだけどさ、とある研究所で、幽霊の研究をしていた科学者が、幽霊に取り付かれて自分も幽霊になっちゃったっていうホラーを思い出してさ……」
「いやぁああぁあぁああああああ」
耳を劈く悲鳴が辺りに響く。
香草さんは叫びながら強く僕に抱きついた。骨が折れそうな勢いで。
肺から空気が噴き出していくのが分かる。い、息が……
「ご、ゴールド!? しっかりして!?」
香草さんは僕がグッタリしていることに気づいたようだ。
「ま、まさか……幽霊の仕業!?」
いえ、貴方の仕業ですよ香草さん。
だからそんな青い顔をしてガクガクと震えないでください。
「チコのせいです!」
一方、幽霊なんてものに微塵の恐怖も抱いていないポポは当然僕がグッタリしている理由が分かっているわけで、激昂し、香草さんに飛び掛った。
止めなければ。僕がそう思うより早く。
ポポは突然空中で固まり、そのおかしな姿勢のまま地面に落ちた。
「ぽ……ポポ?」
呼びかけるも、返事は無い。
慌てて抱き起こす。意外なことに、ポポには意識があった。目だけをを必死に動かしているが、体の自由が利かないようだ。ポポ自身も、何が起こったかわからないらしい。
こ、これはまさか……
「ゆ、幽霊……」
香草さんはそう呟いたかと思うと、体をまっすぐに伸ばしたまま後ろ向きに倒れた。抱き起こしてみたが、こちらはただの気絶のようだ。
よく見れば、前方の空間、木々が不自然に折れ曲がっており、しかも周囲に比べて水浸しになっている。これはもうじめじめの域ではない。
前方に何かいる。
おそらくポポが突然動けなくなった原因もそれだろう。
となると、この何かをなんとかするしかなさそうだ。
頼りの香草さんは気を失っているし、起こしたところで戦力にはなりそうにない。
となると、当てに出来るのは僕一人だけか……
出来ることなら逃げたいが、そうも行かない。
僕はベルトに挿したナイフを抜くと、そろそろと進む。
またシルバーに遭遇しないとも限らないと思ってベルトに挿しておいたのだけれど、隙を少なく武器を取り出せることがこんなときに役に立つとは。
原因が本当に幽霊だとしたら効果があるかは疑問だけど、それでも心強い。
ほとんど進む必要もなかった。
ほんの数歩進んだだけで、濁った池が見えた。
同時に、その池に浮かぶ桃色をした何かも。あ、あれはまさか髪?
で、溺死体?
もしくは、あれはここで非業の最期を迎えた人の幽霊で、成仏しきれずに化けて出ているとか……
ろくでもない言葉が脳裏をよぎって、思わず身構える。
そうしている間もすすり泣きの声が聞こえてくる。
やはり発生源はアレのようだ。
……嫌だけど、とりあえず近付くしかないのかな。
い、いや、そういえば、池に近付くと、そのまま池の中に引きずり込まれるなんて怪談ではよくあるパターンではないか!
「あ、あのー、すみませーん」
近付く気が失せたので、とりあえず呼びかけてみる。
しかし反応はない。
どうやら近付いてみるしかないようだ。
ああ、嫌だなあ。
そう思いながらゆっくり近付いていると、突然その桃色の物体が池から浮上した。
同時に、見えない手のようなものに押されて、その場に倒された。
慌ててナイフを構えなおし、前方を向くと、そこには、桃色の長い髪を持った、同じくピンクの着ぐるみのようなものを着た少女が立っていた。
着ぐるみは撥水加工がほどこされているのだろう、表面の水は見る見る玉となり落ちていく。
年は僕と同じくらいか少し上くらいだろう。目は物憂げに開かれており、口が開きっぱなしになっている。どこかこことは違う世界を見ているような、単に何も見ていないような、そんな不思議な印象を与える表情だ。
322 :ぽけもん 黒 ◆/JZvv6pDUV8b [sage] :2009/10/09(金) 22:22:01 ID:Fq4q3HCv
これは……ヤドンか。
幽霊の正体見たり枯れ柳とはまさにこのことだ。
ここはヤドン族が多数住んでいる檜皮村からいくらも離れていない。ヤドンに遭遇しても何の不思議も無い。
僕は安堵したが、同時に不安も覚えた。
ヤドンは本来温厚なはずだ。それなのに彼女の周囲にある木々はことごとく、おそらく念力で曲げられており、そしてポポが身動きが取れなくなったのは、きっと彼女の金縛りによるものだ。
だとすると、これはこれで、危険な状態と言える。
香草さんにもポポにも頼れない今、襲い掛かられたら僕は自分の身を守れるのだろうか。
情けない現実だ。
彼女は池から上がると、僕のほうにゆっくりと歩いてきた。
ど、どどどどうしよう!
警戒は怠ってはいけない。しかし相手に警戒心を与えてもいけない。
僕は彼女の死角になるように、背中にナイフを構えた。
念力を自在に操るヤドンに、果たしてナイフは通用するだろうか。
そう思わなくもないけど、何もしないよりはマシだろう。
見えない腕で全身を締め付けられるような、そんな感覚。
突然僕は四肢の自由を奪われた。
何もしないも変わらなかったかもしれない。
おそらく、いや、間違いなく彼女の仕業だろう。
彼女は一歩、また一歩と僕に近付いてくる。
恐怖におののくも、何も出来ない。
一回の跳躍で僕に届く、そんな距離まで近付いたとき。
彼女は突然パッタリと倒れた。
わけが分からず、混乱していた僕の目に飛びこんできたのは、着ぐるみから突き出した、根元に近い部分からバッサリと切り取られた尻尾だった。
碌な処置がされていないようで、傷口は随分と生々しい。
手当てしないと!
そう思ったときには、すでに金縛りは解かれていた。
僕は彼女を引き摺り、香草さんとポポが倒れているところまで戻った。
「ゴールド!」
僕の姿を捉えるなり、ポポに抱きつかれた。やはりポポは彼女に金縛りをされていたのか。
「急に体が動かなくなって、それでゴールドもいなくなっちゃって、心配したです!」
いなくなったって言ったってほんの数十メートルの話なんだけどね。
と、今はポポと戯れている場合ではない。一刻も早く彼女の傷を看ないと。
「ポポ、ちょっと離れて。彼女の手当てをしたいんだ」
「あう、ごめんなさいです」
ポポは僕から慌てて離れる。お願いだからその不安げな目をやめてくれ。
彼女が意識を失ったせいか、傷口からは血がにじんでいた。彼女が僕に近付くとき、特に血が垂れた様子はなかったから、きっと起きているときは念力で止血していたのだろう。となると、ますますまずい状態だ。
僕はリュックをおろすと、中から傷薬と包帯を取り出した。
僕のリュックに入っている道具は何も逃亡用の物だけではないのだ。突然の怪我にも対応できるようにしておくのはトレーナーの常識さ! 僕はただ他の人よりほんのちょっと逃亡用の道具が多いだけなのさ。
傷薬を傷口に吹きかけると、傷にしみたのか彼女はうっと呻き声を漏らした。
気絶したんじゃなかったのか。しかし立っていることもできないほど弱っていることに変わりは無い。
「今傷の手当をしているから、じっとしてて」
彼女にそう言うと、今度は傷口にガーゼを当て、手早く包帯を巻いていく。
これでよし。元々出血は酷くなかったし、ガーゼすらいらなかったかも知れないくらいだ。
彼女が倒れた原因はおそらく貧血だろうけど、水の中にいなければここまで酷くならなかったんじゃないだろうか。
しかし外敵がどこにいるかわからない状況ではしょうがないか。
……それにしても、どうしてこんな酷い怪我をしているのだろうか。
ヤドンの尻尾は再生能力があるから多少の損傷は問題にならないとはいえ、これほど酷いとそれも例外だ。ちゃんと治癒すればいいけど。
鋭利な物で切られたような感じの傷口からいって、自然に出来たものではなさそうだ。
となると、誰かに襲われたと考えるのが妥当だ。
すぐに思いつく心当たりが一つ。
ロケット団。
僕は、背中に冷たいものを感じた。
最終更新:2009年10月13日 13:25