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811 :名探偵物語 [sage] :2009/11/14(土) 22:00:50 ID:WVM0YdgF
―どうしてこんなことになってしまったのだろう。
その女…只野 茂歩(ただの もぶ)は自身への問いかけを繰り返していた。
彼女は今、とあるマンションの一室にいる。すこし広めのその部屋は薄暗く、
外からの目線を遮るように厚いカーテンは窓を完全に覆っていた。
その中で十人程度の人間が、必死で何やらぶつぶつ言っている。
それを指揮しているのは、黒の衣装に身を包んだ謎の女だった。
「では皆さん。祈りの時間です。隣の方と手を取り合って…そうです。
さあ、一緒に素晴らしい世界への祈りをささげましょう…せーの。」
「イトミミズ!イトミミズ!我らの我らのイトミミズ!」
謎の女の指揮の下、部屋中の人間達が一斉にその言葉を復唱し始めた。
第三者の目から見たらこれはどのような光景に映るのだろうか?多分
ついていけないだろう。只、彼らの眼は馬鹿にするにはあまりにも真剣だった。
そこに一人気おくれしたようにぼそぼそと復唱しながら、只野は横を見る。
そこには彼女の悩みの原因…彼女の親友である富香 菜子(ふこう なこ)が
もはや狂信的というべき迫力で祈りの言葉を叫んでいた。
「イトミミズ!イトミミズ!万歳万歳イトミミズ!」
恍惚とした表情を浮かべ祈る彼女の姿を見ると、只野の心は痛む。
ここは、新興宗教団体『小宇宙(コスモ)イトミミズ教』の本部。とあるマンションの
ワンフロアを全部使って週に二度このように布教をおこなっているのだ。
日本が不況に陥った現在、国中の人々が頑張ってなんとか自分たちの暮らしを、
経済を、そして日本自身を立て直そうとしているその中で社会問題も起きている。
そしてその中の一つ…マスメディアにあまり登場しない問題が、新興宗教だ。
本来人の信仰心自体には何ら害はないもの。しかし、これが怪しげな宗教セミナーに
魅入られてしまうと、大変なことになってしまう。
富香の場合、まさにそれであった。
彼女の両親は事業で失敗した揚句高跳び。親の借金を一人背負わされた富香は
大学を中退し、少しでも稼ぎの良い夜間のバイトで借金の返済に努めていた。
大学で親友だった只野はそんな富香の身を心配したが、結局何もできなかった。
同時に、富香に小宇宙イトミミズ教の魔の手が迫っていることも知らなかった。

「イトミミズ!イトミミズ!意外と美味しいイトミミズ!」
十分間ほど続いた祈りの時間も、ようやく終わりを迎えそうだ。
只野はほんの数週間で変わってしまった親友に再び目を向ける。
富香が怪しげなセミナーに入信したというのを知ったのは一週間前。その
少し前に只野はそのセミナーの良くない評判を聞いていた。
詐欺まがいのグッズ売り付けや脱会の際の脅迫、そして教祖の信者への性的暴行。
只野は不安になり警察に相談した。しかし、警察の腰は重い。
その噂は警察でもチェックしているが、如何せん証拠がないのだと只野は言われた。
証拠があれば本部に踏み込むこともできるが、今の時点で宗教関係に手を出すのは
難しい…担当した刑事は苦い顔でそう訴えてきた。
そこで只野は決意したのだ。自分が、直接踏み込んで証拠をつかんでみせる!富香を魔の手から救うのだと。
今日、只野はイトミミズ教に仮入会しセミナーに参加している。親友の入会に
富香は涙を流して喜んでいたが、その顔を見るのも只野はつらい。
―待ってて菜子。今私が助けてあげる。
親友を毒牙に掛けようとしているであろう目の前の謎の女を、只野はありったけの
敵意をこめた眼で睨みつけた。


812 :名探偵物語 [sage] :2009/11/14(土) 22:02:04 ID:WVM0YdgF
「ハイ。皆さんここまで。どうでした?小宇宙と一体化できましたか?」
黒装束の女…たぶんこのセミナーのナンバー2である女の呼びかけに部屋の
全員が満面の笑みで応じる。もちろん、その中には富香も混ざっていた。
「さて、今日は仮入信の…只野 茂歩さんを紹介したいと思います。」
不意に女が只野のことを指さす。あまりの唐突さに只野は驚き、ただ眼を
見開いたままだった。すると、急に富香が立ち上がった。
「私に紹介させて下さい追従者様。」
追従者…教祖のナンバー2であるなら教祖とともに歩む者という意味だろう。
只野はそう判断した。
「皆さん。彼女は私の親友で、大学の同期だった只野さんです。彼女はとても
優しくて、御覧の通り抜群のプロポーションをしているので、教祖様も
きっとお気に召すと思います。」
「ちょ…ちょっとまってよ菜子!」
聞き捨てならない言葉に只野は声を荒げた。プロポーションと気に入るという言葉。
結び付けて考えると、人々に救いを与えるべき宗教にはふさわしくないはずだ。
「そうですね。今日は教祖様も奥の間にいらっしゃることですし、入信の
儀式は早い方がよろしいでしょう。」
追従者がにこりと笑うと、信者たちがそれに従い一斉に笑い…いきなり
只野を押さえつけた。
「ぐう!?ちょっと何?何なのよ!」
「イトミミズ教の教え…それはすなわち教祖様の教えにしたがい生きる。
言いかえれば教祖様のために生きよということですの。そのため女性の…特に
若くて美しい方には教祖様の為に格別の奉仕を求めているわけです。」
追従者の笑みが、意地悪いそれへと変化する。ここまでくれば、只野にも
おおよそ言葉の意味は掴めるというものだろう。自分の置かれている状況から
自分の最悪の想像が的中していると判断した只野は思い切り叫んだ。
「ふざけるなバカヤロウ!私は菜子を連れ戻しに来たんだ!こんなレイプまがいの
変態宗教教祖に捧げる体なんか生憎持ち合わせちゃいないね!」
勢いよく放たれた罵声に、一瞬追従者の顔が醜くゆがむ。その醜さを見て
只野も…それこそ一瞬だが、こちらは勝ち誇ったような笑みを浮かべた。
ただ、彼女は気づいていない。もう一人彼女の言葉に顔を歪ませた人間がいることを。
「うぎゃっ!?」
ものすごい蹴りを脇腹に入れられて、只野は悲鳴を上げた。
そこには憤怒の表情を顕わにした親友…富香が仁王立ちしていた。
「ひどいよ茂歩…教祖様の悪口を言うなんて絶対に許さない!」
痛みで只野は動けなくなる。しかし、体の痛みよりもはるかに混乱の方が
今の彼女の行動を縛りつけていた。
―そんな…菜子、私はあなたを助けに来たんだよ?
仮入信はセミナーの不法行為を探るためだけのものだった。多少の危険は
覚悟していたものの、その危険を冒しても助けたい親友…富香が既に憎むべき
セミナーの一員となっていることに只野は衝撃を受けている。
「富香さん。見たところ、あなたの親友の体にはとてつもない悪霊が取り付いて
いるようです。そのせいで彼女は教祖様の事をこんなにもひどく言うのです。」
富香の肩に手を置きながら、追従者はいけしゃあしゃあと語りだす。
「でも安心なさい。教祖様と一体化し、その神力を授かれば彼女の悪霊も去り
彼女はあなたのような信仰厚い信者に生まれ変わることでしょう。
さあ、手伝ってください。彼女を教祖様の元へ…。」
「分かりました。教祖様の元へ…。」
富香はそう繰り返すとものすごい力で只野を押さえつけ、そのまま廊下に出て
奥の方にある部屋へと引っ張っていく。部屋への距離が近くなるほど
只野は恐怖を覚え…いつの間にか泣き出していた。
「嫌ァ!菜子目を覚ましてよォ!私だよ!親友の茂歩だよう!」
「親友だから…こうするの。」
そしてとうとう只野はドアの前まで引きずられていった。万力のような
親友の力から逃れられず、彼女は頭の中で後悔とともにつぶやいた。
―ごめんね、菜子。
目の前でゆっくりと開かれるドア。そして、完全に開かれたその先に広がった
光景を目の当たりにして…。
女の悲鳴が長く響き渡った。


813 :名探偵物語 [sage] :2009/11/14(土) 22:03:10 ID:WVM0YdgF
目の前の光景を、信じられないという表情で今只野は見つめている。
そこには確かに教祖がいた。ただし血みどろの姿で。
顔の穴という穴から血を流し、顔じゅうの皮膚はほとんど紫色と化し膨れ上がっている。
何かの奇病かとも思ったが、教祖の傍らに突っ立っている人影を見た瞬間只野は
その場でなにが起きていたかをうすぼんやりと悟った。
年は二十歳と少々といったところだろう。只野とそれほど大差ない年齢に見える。
長くも短くもない髪をして、黒のスーツ。ものすごいイケメンといった表現はできないが、
どこかしら爽やかさと安心感を与える顔だちをしているその男が、血で染め上げられた
金属バットを片手にぶら下げそこにいるのだ。
まだ驚きから立ち直れない只野の横で、富香が長く響く悲鳴を上げている。
そんな二人に気づいた謎の青年は、二人の方を向き笑みを浮かべ挨拶をした。
「やあ。俺の名前は明智 乱歩(あけち みだれある)。フリーの名探偵さ。」
どんなセミナーよりも胡散臭い自己紹介をしたこの男こそ、この物語の主人公なのである。
…正直、大いに不安だが。


「結論から言うと、お前がしばき倒した相手…伊藤 深水(いとう みみず)はクロだ。」
灰色の天井の下、タバコ臭い空気をかきまわしながら刑事が大勢走り回る中
ここ羽羅麗留警察署(ぱられるけいさつしょ)の木剣納刑事(きけんな刑事)は
目の前でかつ丼を平らげている男を呆れたように見やった。
「伊藤は地位と女欲しさに、そのパートナー…追従者として伊藤と組んでいた
あの女は金欲しさに宗教セミナーを設立したらしい。おい、聞いているか?」
木剣納の不満げな声が、幸せそうにかつ丼の丼を空にした男…明智の耳に届く。
しかし当の明智は一切存ぜぬといった顔。
「おい…聞いてんのかMrミダレアル!」
「俺をその名前で言うなぁ!」
木剣納の最後の発言がよっぽど気に召さなかったのだろう。明智の手が
木剣納の胸倉を掴み、テーブルをはさんで若干明智よりに引き寄せる。
「嫌だったらおとなしく私の質問に答えたまえ明智君。それと私の胸から
その男の欲望がにじみ出た薄汚い手を放したまえ。」
「ちっ…了解した、A 。」
今度は木剣納の耳が聞き捨てならないワードを脳に伝えとったらしい。こめかみに
十字マークが入った木剣納が、腰に下げてある木刀をすらりと抜いて
チェシャ猫のような笑みを浮かべたままの明智の喉元に突きつけた。
「ォぉおおおい…?今なんと言った?何がAだ?木剣納はKのはずだが?
何をもってAとした?そもそも何のためのアルファベット一文字表記だ?」
「かのジェームス・ボンドのMみたいでカッコいいだろう?Aの理由は…。」
「もういい!沢山だ!本題に入るぞ今すぐに!」
真っ赤な顔で机を平手で何度も叩きながら、木剣納は話を続けた。


814 :名探偵物語 [sage] :2009/11/14(土) 22:04:25 ID:WVM0YdgF
「あのセミナーの信者たちは気の毒だが一応拘束させてもらった。性犯罪幇助の
行為はあったわけだから致し方ないのだ。」
ああ、と明智は相槌を打つ。その点は明智も理解している。
宗教系の被害にあうのは大抵日常生活に疲弊した人間たちだ。さらにまずいことに
ようやく救いの手が差し伸べられたと彼らが一度でもそう認識してしまうと
以降自分のその価値観を捨て去ることができなくなる。その宗教が間違っていたとしたら
それは自分のミスであり、自分は真実を見抜くことのできない駄目な人間だということを
認めてしまうことになりかねないのだ。
駄目な自分は社会から淘汰される。よって駄目な自分とみられないために必死で
自分の信仰を弁護し続けるうちに自分の中で嘘が誠になりのめり込んでいく…。
自分の宗教に一度でも疑問を持った時点でその人間達は思考の罠にはまり深みに落ち、
最初から魂まで捧げるほど深みにはまった人間達と同じ所まで行き着いてしまう…。
悪徳宗教はまさに蟻地獄。そしてそこにはまった人間は自身のアイデンティティを
保つために逆に自我をどんどん失っていく忌々しい矛盾の世界。
表情の硬くなった明智に気を使ったのだろうか?木剣納はつとめて明るく言った。
「でもまあ、お前は今日一人の女性を救ったわけだ。お前からの一報で我々も
あのセミナーを性的暴行未遂でしょっ引けたわけだし。」
「俺は依頼を受けただけだ。あやしげなセミナーをひとつ潰してほしいってな。」
「ははは…お前もはや探偵じゃなくゴルゴだな。」
明智も苦笑してお茶を啜った。何げない話をできる仲間がいるのはほっとする。
目の前の胸が非常にかわいそうな美女刑事を見つめ、明智の顔は柔らかくなった。
「大丈夫。入信した彼らの目もすぐに覚めるさ。」
二人は視線を交わすと席を立つ。そして日々の雑踏の中へと帰ってい…。
「ああ、そうだ。このかつ丼は奢りじゃないぞ。」
明智の悲鳴が警察署に響き渡った。


明智の職業は探偵だ。つぶれた小さな喫茶店を買い取り中を改装した
事務所を駅からだいぶ離れたところにぽつりと持っている。
仕事はもっぱら浮気調査。たまに警察の表ざたにできないような案件を引き受けたり
今回のような悪徳宗教からの救出任務を請け負うこともある。
それならば明智は実力があるのだろうか?
答えは否。明智は洞察力も頭の回転も普通の人間と大差ない。運動神経は常人より
頭一つ二つ抜けているが、それだけである。
にも関わらず明智にハードな仕事が来る理由…それは本人が探偵が好きだからである。
好きな物のためには意欲的に活動し、そのためのお客様には丁寧懇意なサービス。
探偵業のためならば危険なこともなんのその。今回のような悪徳セミナーの教祖程度なら
暴力による事件解決も辞さないダークヒーローは、悩めるクライアントの要望に
これまでしっかりと答えてきたのだ。
この静かな町で探偵業という怪しい職業が受け入れられたのも、本人の積み上げてきた
業績の賜物である。


815 :名探偵物語 [sage] :2009/11/14(土) 22:05:22 ID:WVM0YdgF
…補足しておくと、今回の明智の教祖への暴行はなぜか立件されないことになった。
あの後伊藤 深水の拷問…じゃなくて尋問の担当をしたのが警察署きってのオトシの達人
時津風刑事(ときつかぜ刑事)だったからだ。彼の武道とは思えぬ残虐な指導…もとい
社会復帰のための愛有る鞭のおかげで、伊藤は誰のことも訴えないことになったのだ。
これにて本件は一件落着…といったところだろう。
冬も間近の曇天とは裏腹に、少し明るい表情で街角を歩く明智。くすんだ深緑の
外套の温かさに心地よさを覚えつつ、彼は事務所の前についた。
「ただいま。」
カランカランと頭上の鈴が鳴り、とたとたとたという足音が近づいてくる。
「おかえりなさい!明智先生!」
くりりと丸い目。少し茶色に染めた髪。垢抜けたファッションをしている割には
まだ可愛らしいという表現の方がぴったりくる見た目一七、八の少女が明智を出迎えた。
彼女は微動だにしない明智の外套を実に器用に脱がせて傍らの衣装かけにかけると
寒い外から帰ってきた明智を気遣い手を取って暖か…。
「何故ここにいる小林いィィ!!!!学校は一体どうしたんだぁ!!!!」
「ふみゃみゃみゃみゃみゃ~!?」
明智の怒号が描写ごと少女の耳を吹き飛ばそうとした。
今日は木曜日。時間は午後一時と半を少し過ぎたところ。よい子は学校の時間です。


「学校より先生の助手をやった方が楽しいですもん。」
全く悪びれた様子もなくその少女…小林 兎凪(こばやし うなぎ)は言い訳をした。
「何度も言ったはずだ。学校をさぼるな。それと俺に助手はいらん。」
明智の方もほとほと呆れたといった様子で応対する。
「むみゅ~。」
少し怒ったのだろうか?頬をプクリと膨らませて明智を見上げる少女は、
そのまま明智の顔を睨み続けている。
「私だってちゃんと明智先生の手伝いとして情報収集していますよ?今日も
怪しげな宗教サークルの情報を仕入れてきました!褒めて褒めて!」
何がめでたいのだろうか?笑みを浮かべ自分で拍手している目の前の少女を
明智は疑いの眼差しでもって見つめていた。


816 :名探偵物語 [sage] :2009/11/14(土) 22:07:17 ID:WVM0YdgF
「まずは…な、なんと!近年珍しい悪魔崇拝の情報です!」
小林君がカンニングペーパーに目を通しながら強調する。
「ええと…信仰の対象は奇抜なメイクとファッションに身を包んだ男性です。
人々を脅迫して自分の信者にして、勢力を伸ばしつつあります!」
「ちなみに、なんと言って脅迫しているんだ?」
明智の問いかけに対し、小林は本人そっくりに似せようと努力しながら…
「お前も、蝋人形にしてやろうかぁ~!」
…。
明智の射抜くような視線にしばらく射抜かれた小林は、ようやく自分が間違っている
ことに気づいたらしい。しかし、肩を落としたのも一瞬のこと。二枚目のカンニング
ペーパーを取り出すと、明智に進言した。
「むむむう!私小林はまだ諦めません!今度の情報はすごいですよ?なんと
宗教テロを企てている団体があるんです!」
明智の耳が反応する。小林の自信ありげな表情から具体的な情報なのだと
悟ったのだ。テロの計画があるなら警察と協力して…明智の頭が回転し始める。
「この団体の中心人物はカリスマ二人組。そして信者は数え切れないほどいます。
二人が彼らの前に姿を現すと、信者たちは皆まるで彼らに祈りを捧げるかのように
両手を全員高々と上げ、何やらみんなで復唱するんです。
恐ろしいのはこれから。彼らは誰かを殺すつもりです!」
「本当か?誰をだ?」
小林はちょっと困り顔になって、首を横に振った。
「でも、殺し方は分かります!多分信者全員で撲殺するつもりです!」
「それはまた奇妙な殺し方だな。もっと効率的な方法はいくらでもあるだろうに。」
「本当です!二人組の『殴りに行こうか』というフレーズの投げかけに対して
全員が狂気の表情で呼応するんです!」
明智の表情が凍りつく。彼の眼に冷酷な氷の力が宿りだした。
「ちなみに小林。信者たちの復唱している言葉はなんと言うのだ?」
「え~っと…たしか『YAH YAH YAH』でした。」
「小林それC & Aだぁぁ!!!」
怒りの表情で突っ込みを入れた明智。小林の頬を両手でつかみ左右に引っ張り出す。
「わ~ん!許して下さい明智先生!小林まだこの星の事が分からないのです!」
「どういう意味だ今の発言は!お前は一体何なんだぁ!」
折檻はしばらく続いた。だいぶ落ち着いた明智が今度は諭すような口調で
小林の説得を試みる。
「いいか小林。学業ってのはいつか必ずどこかで役に立つから学ぶんだ。
学校をこうも休んでばかりだと、俺がお前から未来を奪っているような気がしてならない。」
「…でも、小林勉強についていけない。」
不意に少し沈んだ口調で小林が漏らした。明智はそれを見てしまったというような
顔つきを一瞬見せてしまう。
少し捕捉させていただくと、彼女は少し学習部分で発達が遅れているのだ。
一度問題が分からなくなるとパニック障害に陥り、以降全ての問題が解読不可能に
なってしまう…そんな悩み。それを彼女は抱えている。
明智は心理学方面には詳しくないが、これはもはや心の病気の一種だということには
とうに気づいていた。そして、それは日を追うごとに厄介な問題に発展している。
彼女のパニック障害が日常生活にまで広がってきたのだ。一度心の平穏をかき乱されると
それ以降の行動を監視する理性の力が急激に低下してしまう。
そしてその症状が日常生活に支障をきたし始めたころ…その時ちょうど明智と小林は
この事務所で出会ったのだ。


817 :名探偵物語 [sage] :2009/11/14(土) 22:08:34 ID:WVM0YdgF
「ここで働かせて下さい!」
今から一年ほど前だろうか?明智が事務所に帰ると、そこには一人の少女が
少し寒そうにしながら事務所前で待っていた。
クライアントだろうと思い、事務所に迎え入れた明智に対して少女が開口一番
放った言葉がこれである。
「ここで働かせて下さい!」
明智は大きく息をつくと、昨日の新聞を引きずり出しテレビ欄を眺める。
昨日の特別ロードショーで某ジブリ作品でもやっていて、そこにインスパイア
された少女が嫌がらせのためにやってきた…明智は当時そう判断したのだ。
しかし、確かにその日ジブリ作品はやっていたのだが予想していたものではない。
『秋の特別企画 東宝とジブリのコラボレーション! ゴジラ対メカトトロ』
という謎めいた番組が九時からあっただけである。
「ココデハタラカセテクダサイ!」
とすると…明智は推測する。本当にこの少女は仕事を求めてきたのだろうか?
可愛らしい少女だが、どこか儚げで危ないような印象をうける。
「君さぁ、おうちの人はそれを許したの?未成年みたいだけど…。」
おうちの人…少女はゆっくりつぶやくと、突如堰を切ったように泣きじゃくりだした。
「わああ!泣くな!泣くなっての!分かったよ来てもいいから!泣くな!」
明智はその時うっかり少女の来訪をオッケーしてしまい、以来その少女…小林は
こうしてほとんど毎日明智の事務所に入り浸っているわけだ。
その時明智は彼女の家の事情については何も聞かなかった。彼の腕なら調査は
容易かったかもしれないが、明智の第六感が深くかかわるなと命じたのだ。
そして後に語られることになるだろうが、その判断は賢明なものだった。
少なくともその時は…。



818 :名探偵物語 [sage] :2009/11/14(土) 22:09:35 ID:WVM0YdgF
「夕御飯の支度しておきますね先生。お腹が空いたら温めて食べてください。」
事件の捜査に自分が役に立たないことを悟った小林が、エプロンを身にまとう。
彼女が自分の心の安定を保つために彼女なりに考えてとった行動は、明智の
助手を日々の日課にすることだった。
どうして明智のことを知ったか。それは当の明智にもさっぱり分からないが、
最初の来訪以降、彼女は助手としての腕は最悪だが家政婦代わりに
立派に務めあげている。彼女もまた、明智とともに生活リズムを組み立てていくことで
パニック障害の発症はだいぶ抑えられているのだ。
「キッチンには絶対に入らないで下さいね?」
いつものセリフを残し、小林はスキップしながらキッチンに消えていく。もとは
喫茶店なのでキッチンの設備もよく、今晩もおいしいものにありつけるだろう。
しばらくのちに流れてきたシチューの匂い。小林の料理の上達具合からして
この冬にはシチューパイが食べられるだろうと考えながら、明智は今回の事件の
依頼人への報告書を仕上げ、パソコンを立ち上げたのちメールボックスを調べる。
そして、明智の顔が見る見るうちに青ざめていった。

件名 お元気ですか?
差出人 怪人20面相 

                              続く。