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178 :群青が染まる 02 ◆ci6GRnf0Mo [sage] :2010/03/20(土) 14:13:35 ID:imLkQzaw

「なんでこんなことに……」
 ただ最後にあの丘からこの町に別れを告げて、それから確かに一人で旅に出る
はずだった。
 沸騰したお湯のように熱を持ち、こんがらがる頭を必死に繋ぎとめる。
「そういえば……どうやって帰ってきたんだろう」
 もしかすると、人にぶつかったのかもしれない。どんな道を歩いたかさえ覚え
ていない。
 だけど、思考の大半を占めていたのはそんなことではなく、彼女の何気ない言
葉だった。
「わかった」と、そう言った彼女。
 あそこで待つつもりなのだろう、それ以上何も言わなかった。だからこそ、断
られなかったのはいつでも見つけ出せるという自信の現れのようにも感じられた。
「どうすればいいんだ……」
 言いながら、考えるまでもないことだと気付いていた。
 既に纏めて玄関に置いてあった荷物を手に、町の出口とは反対のあの丘へ重い
足を持ち上げながら走った。

 丘の上には変わらぬ姿で佇む女がいた。
 予想より早く辿りついたせいなのだろうか、女が少しだけ驚いた表情を作った
……ようにも見える。
 どうやら、いかに人間離れした彼女でも、今日旅に出ようとしていたことは知
らなかったようだ。
「逃げたらどうなって 「殺した」」
 だからこそ、聞かずにはいられなかった質問は静寂に溶けるように澄んだ声に
遮られた。
 それが、皮肉にも一人だった町で二人で出ることとなった旅の始まり。

 いつもとは違い人通りのない道を、皆竜の祠へと向かったんだろう等と考えな
がら女と距離を保ったまま先を歩く。
「これはなんだ?」
 そんな町の出口までの道すがら女の声が耳に届いた。女の視線の先にはところ
どころ黒ずんで腐ってはいるが、頑丈な木で出来た柵が。
 柵の中では馬は騒ぎ立てることもなく静かに身を小さくしていた。
「馬車、だよ」
 側にある極平均な装飾も施されておらず、屋根さえない荷車と柵の中で怯える
ように固まる馬達。
「え、っと、荷物や人を載せて移動するための物だよ」
 お節介だったかもしれないが、そう付け加えた。女は聞いてるのか聞いていな
いのかはただ馬をそして荷車を見比べていた。
 次の瞬間、女が柵に手をかける。
「いやそれは!」
 咄嗟に女へと伸ばそうとした手を、止めて、
「他の人の、持ち物だから……」
 代わりに言葉を投げかけた、が、既に柵は鈍い音を立てて砕け散った後だった。
 信じられないことに、女は軽く掴んだように見えた。それなのに、どれぐらい
の力がこもっていたというのか。
 俺はそんな女に促されるがままに、まだ暗い闇に紛れて馬を走らせた。


179 :群青が染まる 02 ◆ci6GRnf0Mo [sage] :2010/03/20(土) 14:15:52 ID:imLkQzaw

 歩くたびに歪めが軽快に音を立ててまだ陽も上っていない空に響きわたる。
 馬の手綱を握る手にじんわりと汗が浮かぶ。それはきっと、暖かい日が続いて
いるからだと自分に言い聞かせる。
 そういえば、よく戦士達が寒い日の旅は地獄だと話し合っていたのを思い出す。
戦士達がそうまでしてあの町へと赴いたのは、やはり竜のためなのだろう。
 竜を倒すこと、それは誉れないことと聞く。だからこそ考える、俺が生まる以
前そして以来今まで竜の被害がなかったことを。
 これが自称竜といった彼女の初の被害かと、溜息をついた。
 何も語らず、ただ遠くを見つめている女。もしかすると何かを探しているのか
もしれない。
 そんな彼女の表情からはなにも伺い知る事は出来なかった。
 竜とはある特定の、考えたくはないが重罪人等の人間を指す隠語なのかもしれ
ない、と考えてそれのほうが無理があると苦笑する。

 ……どうにも考え事に嵌ってしまっていたことを、さらに暖かくなって来た空
気に気付いた。
 昨日という夜が終わり、今日という朝が始まった。
 これほど考え事をしていても整備された街道から外れることなく馬が歩いてく
れる。もし、整備された一本道を少しでも外れたのなら、砂利や草で悪路に悩
まされていただろう。
 馬の顔を一撫でして、後方を見遣る。
 随分夜の間に町から離れたな。これなら、盗みが気付かれたとしても……そう
か、自分も彼女と同じで罪を犯してしまったのか。
 一つ息を吐いて、また振り返った。
 一つは誰も追いかけて来ていないことを確認するため。
 もう一つは……どこかを見つめたままの女を視界に捉えた。青い瞳が瞬きもせ
ずに明後日の方向を向いている。
 そんな彼女はどこからどう見ても、人間としか思えなかった。
「何用だ?」
 こちらを向いた女のどこか爬虫類を連想しそうになるその瞳に吸い込まれてい
く、そんな感覚に陥りそうになる。
「っ! な、名前を、聞いてない!」
 突然のことに真っ白になった頭で咄嗟に思いついた疑問を吐き出す。
「好きに呼べ」
 女がどうでもいいと言わんばかりに視線をそらした。どうして探しているのか、
何を探しているのか、一つ疑問を言葉にすると後から後から疑問が思い浮かんで
来る。
 本当に何者なんだろう彼女は。燃えるような赤だと思っていた髪は、日中に見
るとその色合いを変えていた。
 そんな色素のない白に近い色の髪から悪魔憑きという言葉も浮かんだが、すぐ
に、彼女を何と呼ぼうかがということに入れ替わっていく。


180 :群青が染まる 02 ◆ci6GRnf0Mo [sage] :2010/03/20(土) 14:18:01 ID:imLkQzaw

「マリン」
 一人で唸りながら考えたその名は、安直だったが空を連想させる青いその瞳か
らつけた。我ながらいい名前だと感心したが、女はそっぽを向いていたまま何も
言わなかった。
 それは肯定の無言だったが、否定の無言のようにも取れた。
 いや、どうでもよかったのだろう彼女にとっては。それでも、本当に独り旅で
はないということに気付いた。
 勿論、彼女が俺の事など眼中にないことはよく知っている。彼女が……マリン
が、一度も俺のことを尋ねた事がないから。
 悩みが尽きない心情とは裏腹に車輪が小気味よい音を立てて緩やかに回ってい
るけれど、空だけはこの落ち着かない気持ちを体現したかの如く曇りのような、
そうでないような微妙な天気だった。
 そんな曇りとも晴れとも言いづらい空がぼやけたように明るくなって、焦げた
赤に染まるまで会話らしい会話はなかった。
 それは何を喋っていいかわからない自分にとって、ありがたいといえばそうだ
ったし、寂しいといえばそうとも言えた。
 我侭なことを考える俺とは違い、相変わらず、馬は従順に闊歩している。
 雲に隠れた陽が西へ空を焦がしながら山へと落ちると、次第に辺りに宵がかっ
てきた。その宵に合わせて街道から幾分か離れた位置で馬の手綱を引くと、馬が
嘶いて止まる。
 町を出る前から判っていたが、やはり野宿となったか。

「あれはなんだ?」
 それまで無言だったマリンの他愛のない質問が聞こえたのは積んであった毛布
を出そうと、荷車に近づいた時であった。
 その質問に答えるために、降ろそうとした毛布を片手で掴んだまま、見遣った。
「あれは風車っていうんだ。粉引きのための施設だよ」
 見えづらかったが、風を受けて羽が僅かな光を反射しながら闇を切り裂くよう
に回るあれは確かに風車だった。
 いつまで経っても返って来ない返事に、息を一つついて、徐々に回転を緩めて
いく風車をまだ見ている彼女に毛布を一枚渡した。
 返事がないのは、初めから知っていたからではとさえ思いながら。
「それに包まるといいよ」
 余計だと思いつつそう付け加えて、自分が寝る場所を探し始めた。
 すぐに見つかったしっかりと生えた木の根元に毛布を置いて、荷車と木の根元
からの中間の位置に獣避けの火を炊き始める。
「よし」
 次第に、小さな火が木を空気を焦がす匂いが辺りに充満する。これで獣も寄っ
てこないだろう。
 やっとのことで安心を覚えて、すぐに木に背中を預け毛布に包まる。
 ふと、硬く今にも破けそうだった家の寝床を思い出したのは、きっとこの固く
頑丈な木のせいだろう。
 そうして、ぼんやりと広大な空を仰ぎ見る。
 生憎星々は見えなかったが、雲間から覗く月は十分に辺りの木々を、街道を照
らしていた。
 ……どれぐらい眺めていたのだろうか、疲れた首を下げると荷車が目に付いた。
 マリンは寝ているのだろうか、起きているのだろうか。疑問には思っても聞く
気にはやっぱりなれなかった。
 そんな寝ているのか、起きているのかわからない彼女に目をやっていると、次
第に眠りが迎えに来た。
 家から持ってきたはずの毛布がいつもより柔らかく感じたのは、きっと……。


181 :群青が染まる 02 ◆ci6GRnf0Mo [sage] :2010/03/20(土) 14:21:26 ID:imLkQzaw

 あれから荷馬車を盗んだ件で誰かが追ってくるというのはなかったし、面倒ご
とも起こってはいない。
 食料は味気のない干物でなんとか過ごしている。
 だから旅路は順調だと言えた。が、何度振り返っても変わらずどこか明後日の
方向を見たままの彼女に話しかける勇気はなかった。
 それでもどうやって話かけようか、とそんなことばかりを考えていると幾人も
護衛兵をつけた悪趣味な装飾が施された屋根のある豪華な馬車が前方に見えた。
 そんな団体の通行に、動きやすいこちらが道を譲る。
 通り過ぎるまでの間、ずっと護衛兵達がこちらを注視しているのはどうしてな
のかを考える気もなく、見られないように顔を隠していた。
 そういえば、あの馬車が向かう先は……。
 頭を軽く振って、そろそろ街が見えてもいいころだ、と思考を強引に移す。
 一刻ほど後に前方の故郷とは比べ物にならないほどの大きな街が視界に写りこ
んだことで、それが正しかったことがわかった。
 要塞のように石垣で囲われた街、タウリオは中継地点にとても適した場所のた
め、色んな品物が一度ここに集められ運送されていく。
 だからなのだろうか、これほど繁栄しているのは。
 そんな街に入るための、城門を思い起こすような門の前には人々によって列が
出来て……。
「ど、どうしよう?!」
 門の近くにいる兵達が並んでいる人達の荷物や馬車を調べているのを見た瞬間
に血の気が引いていくのが嫌でもわかった。
 しかし、助けを求めても当然のように反応しない彼女に諦めて反射的に手綱を
力強く引きしめる。と、馬が殊更声高く嘶いた。
 ……その瞬間、逃げる事を諦めた。

 次々と消化されていく順番を待つ間、生きた心地がしなかった。
「よし、そこで止まれ!」
 調べるための行為。ただそれだけなのに、嫌な予感が後から後から湧いて出て
くる。
 心の中ではずっと、ばれないようにばれないように、と願い続けていた。
「調べさせてもらうぞ」
 門兵に言われるままに馬から降りる。
 心臓が大きく律動していく、そして強く手綱を握っていた手の平は赤く変色し
汗で濡れていた。
 どうしていいかわからず焦る俺とは違い、この騒ぎにすら興味がなさそうなマ
リンにこんな状況ながら感情というものがあるのかだろうかという疑問が脳裏を
過ぎった。
「おい、これ」
 その声に心臓が一際大きく跳ねる。
 何かを確認し合っている兵達の次の言葉を、額から落ちてくる冷たい水滴を何
度も拭いながら、待った。


182 :群青が染まる 02 ◆ci6GRnf0Mo [sage] :2010/03/20(土) 14:23:12 ID:imLkQzaw

「お前達ちょっと来、っ! 待て!」
 その言葉にいち早く反応したのがマリンだった。
 声を聞いて、振り返るわずか一秒にも満たない時間に、彼女の姿は何かが地面
を打つ軽快な音と共に忽然と消えていた。
 マリンがいた場所に残るは、段差となって直線的に抉れた地面。
 ……どれほど力を込めればこんなに抉れるんだ?
「お、追うぞ!!」
 すぐに門の方へと振り向くと、見えた……丁度石垣で囲った塀を飛び越える後
ろ姿が。
「逃がすな!!」
 慌てる門兵が壁を軽々飛び越えたマリンを追って街の中へと消えていく。俺は
というと、その人離れした力に口を閉じることも忘れていた。

「兄さん、今のうちやで」
 いつのまにか隣に立っていた男に言われて、我を取り戻して、やっと気付いた。
 すぐに誰もいなくなった門へと、街の中へと猛然と走る……路銀の入った袋だ
けは忘れずに持って。
 街に入った直後に、騒ぎを聞きつけた交代の兵士達が派出所から出て来るのが
見えた。
 それよりも、あの兵達全員が彼女を追いかけていったのは不幸中の幸いという
べきなのだろうか。
 ……それとも彼女はこうなることを見越して?
「いやー、兄さんついてるね」
「……何か用ですか?」
 まとまらない考えに一息つく間もなく、何がおかしいのか笑みを浮かべながら
並走する男に尋ねる。
「そうやで、聞きたいことがあるんや」
 嫌そうな顔をしているだろう自分を気にせずに飄々と話始める。
「聞きたいこと?」
「そや、ここではなんやから、場所変えようや」
 わけもわからず男の後を付いて手近な食堂へと入って気づいた……何も考えず
に付いてきたことに。

「そ、それで用って?」
 細い目をもっと細くして笑ったまま何も言おうとしない男に、すぐに切り出す。
 彼に助けてもらったのは確かだが、笑みが貼り付いている顔のせいか、何か企
んでいるとさえ感じられた。
「そんなに、構えんといてや。あ、わいの名前はハルって言うんや、よろしくな! 
で、兄さんは?」
「え、あ、トモヤ」
 つい流れのまま口をついてでた、そんな自分の頭を抑えながらハルと名乗った
男を盗み見る。
 目の前の男は自分より若くそして、どこかマリンと似ていた……。
「トモヤはんか、いい名やな」
 彼女の髪は何色にも染まっていない白、ハルと名乗った男の髪はどこにでもい
そうな茶味がかった色。彼女の瞳は晴天の青、男の瞳はどこにでもいる淡褐色だ
った。
 人形のように無愛想なマリン、どこか人を馬鹿にした笑みを浮かべる男。
「おかしいな……」
 こんなにも違うのに。


183 :群青が染まる 02 ◆ci6GRnf0Mo [sage] :2010/03/20(土) 14:26:49 ID:imLkQzaw

「へ?」
「いや、なんでも!」
 つい、言葉となった疑問を慌てて両手を振って訂正すると、「まぁ、ええか」、
と男が短く区切って続けた。
「それで、あれは何者や?」
 急に机に乗り出して来た男に呆気に取られて答える事が出来なかった。
 何よりそれは俺自身が知りたいことだったから。彼女への疑問はいくつもある、
が、そのどれもが人間という種に疑惑を投げかけるものだった。
 それでも彼女が人ではないと自分自身でも信じきれず、言おうとした言葉を飲
み込んだ。
「そんな、警戒せんといてや。ただわいは興味が沸いたんや」
「……なぜ?」
 騒がしい店内に聞こえるほど、喉が音を立てて鳴った。

「惚れた! 一目惚れや!」
「……は?」
 まるで演技でもするかのように拳を硬く握り締め声を強める男。
「あんなべっぴんさん初めて見たわ!それで御近づきになりたいと君を誘ったわ
けや!」
「はあ」
 ……としか答えようがなかった。そんな馬鹿みたいなことを言うハルに少しだ
け警戒の気持ちが薄れる。
「ついでに言えば紹介してもらいたいなと! ここの飯は奢ったるから! な、
ええやろ?」
「いや、お金なら……」
「ええから、気にしなさんな!」
 戸惑う自分を尻目に興奮したハルがまくし立てる。

 結局押し切られる形で強引に会計を済ませられた俺は、店員の声を背中に受け
ながら、外へと年期が入り薄汚れた木製の扉を押した。
「といっても、マリンがどこにいるか俺は知りませんよ?」
 また問題起こしてないといいんだけど。それだけが不安と言えば不安だったが、
彼女が自分から何かをするとは思えなかったのも確かだった。
「マリンはんっていうんか!」
 そう嬉しそうに言うハルはあれほどの力を見て怖くないのだろうか?
「大丈夫や。あんなべっぴんさんなんやし、すぐ見つかるわ」
 そんな心配がわかってか、わからずか、そう言い切った。
 この大勢の人の中を簡単に見つけれるとは思えない。それに、もしマリンが見
つからなかったら?
 ……考えて、複雑な心持となった。
「さぁ、探しに行くで!」
 そんな考え込む自分とは違い掛け声と共に歩き出したハルに、気遣いながら溜
息を一つついて、付いて行こうと足を踏み出した瞬間だった。

『あ』
 同時に喉から声が這い出てきた。そこには、大勢の人々を遠巻きに惹き付けな
がら、相変わらずの無表情で悠々と歩く探し人がいた。
「……な? 言ったとおりやろ?」
 ……そうは言うものの、彼の声はひどく上ずっていた。