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214 :群青が染まる 03 ◆ci6GRnf0Mo [sage] :2010/03/27(土) 16:14:34 ID:sJQd6qba

 まだ陽は高いのに薄暗くカビの匂いのする通りから外れた路地裏で、ついて行
きたいと言ったハルに、どこか困ったような表情を浮かばせている。
 そんな二人を見ながら彼女でも悩むことがあるのかと全く違う事を考えていた。
「何故だ?」
 諦めたように空を見上げてから、もう一度ハルに向き直したマリンが言った。
 その一つ一つの動作に呆けたように見ていたのも束の間、背中から首筋にかけ
て、脈打つ何かが駈けた。
 ……やっぱり、慣れないな。
「いやー、マリンはんに惚れしてしまってな!」
 それを意にも介さず芝居でもしてるかのように大げさに手を振って話し始めた
彼に、きっといつもこんな調子なんだろうなと一人で納得する。
「どうや? わいは役に立つで! それにな 「何を目論んでいる?」」
 放って置いたら止め処なく喋り続けそうなハルの言葉を遮って低い声が路地裏
を大通りまで通り抜けていく。
 背筋を手で抑えながら、自分の足が一歩また一歩といつの間にか下がっている
事に気付いた。
「そ、そんなわいは……!」
 これから起こるだろう惨劇を目の当たりにしないように目を閉じると、通りか
らはまるで別世界のように和やかな声や音が耳に届いて来る。

「……好きにしろ」
 が、聞こえたのは予想外の言葉だった。
「おおきに!」
 だから、足に力が入らないのか、膝をつきながら何度も礼を言う男をただ眺め
ていた。
 ……俺はもうヒツヨウ、ナイ?
 そこまで考えて、喜ぶことのはずなのに悲しんでいる自分、そして少しでも役
に立とうともがく自分がいることが嫌でもわかった。
 ……違う! 独りになるのが寂しいだけ、そうに違いない。
 何かを喋っている二人の話の内容は、耳を通過していくだけで一つも頭に残っ
てはいなかった。
「っ?!」
 事実、急に引っ張られた事で自分が考え事に陥っていたことにやっと気付く。
「ほな、行くで!」
「な、何?! ちょっと待って!」
 何が起こっているのかわからずした抵抗も虚しく、強引に引っ張られていく。

 通りまで引っ張られて、ようやく離してもらえた手の感覚を確かめながら服に
ついた埃を叩く。
 雨が降った後ではないことに感謝していた、が、何よりも抵抗等おかまいなし
に引っ張って来れた力に驚いていた。
「ど、どういうことなの?!」
 まだ埃を叩き続ける自分の事など気にせず歩きはじめたハルを追いかけながら、
抗議の声を上げる。
「ん? 聞いてなかったん? あかんでぇ、人の話を聞き漏らすと大変なことに
なるで、そうでもなくても――」
「だから、何を?!」
「せやから、マリンはんの探し物や」
 その返事を聞いて言葉に詰まった、なのに頭ではやっぱりそういうことかと納
得していた。
 それは薄々気付いていて、気付きたくなかった……自分は必要ないのではとい
う事を。


215 :群青が染まる 03 ◆ci6GRnf0Mo [sage] :2010/03/27(土) 16:17:13 ID:sJQd6qba

 知らず知らずに顔が下向いていた事を、
「お、ここやここや!」
「っ!!」
 急に立ち止まった自分より一回り大きなハルの背中にぶつけた事でわかった。
「どうしたんや?」
「い、いや、なんでもないよ」
 そんなぶつけて真っ赤になってるだろう鼻をさすりながら、彼の視線の先に顔
を向けた。
「情報が一番行きかう場所や!」
「ここって……」
 そこには、随分歴史があるのか広めの敷地に酒場と旅館が一体となった三階建
ての建物があった。
 軒先にある今にも落ちそうな看板には、汚く読みづらい字で何か書かれている。
「おいていくでー!」
 建物を眺めているうちに入口をまたいだハルの後を付いて行こうと、すぐに考
えても、初めの一歩が踏み出すことが出来なかった。

 数巡後、意を決して踏み出した……考えても拉致があかないと。

 店内は料理の美味しそうな匂い、酒の匂い、煙管の匂いと、色んな匂いがごち
ゃ混ぜになっていた。
 何より、とても賑やかだった。
 そんな中、カウンターテーブルの席にいた目立つ後ろ姿の男に近づいていく。
「なんで、飲んでるの?!」
 隣まで来ると、既に空いた杯が……。
「そう固いこといわんといてな。それに、酒場言うたら飲まんとあかんがな! 
あ、もう一杯!」
 鼻歌混じりの杯を差し出す彼に、酔っているということだけはわかった。
「はぁ……で、何かわかった?」
 運ばれてくる今にも零れそうな程一杯に盛られた刺激臭がする杯に目を遣りな
がら、尋ねた。
「んにゃ、まだ聞いてへんよ」
「じゃあ、聞こうよ」
「これを、飲んだらな!」
 痛む頭と共につっぷくしそうになった体をなんとか持ちこたえた。

「ああ、飲んだ飲んだ!」
「飲みすぎだよ……」
 結局、何杯も飲み続けるハルの代わりに聞くこととなったが、今晩の宿が空い
ているということ以外は何もわからなかった。
「なんで、付いて行こうと?」
 まだ落ちずに辺りを照らし続ける陽の下で、酔っているだろう彼に問いかける。
「それは内緒や。それより、はよせな日が暮れるで!」
 答える気のないハルに、「誰のせいだよ」と聞こえるように嫌味を投げつけな
がら、追いかけた。
 それから、夕飯の良い匂いが辺りから香り出す頃にマリンと偶然の再会をする
まで、何か変わった情報はありませんか、という問いを色んな人に聞き続けた。


216 :群青が染まる 03 ◆ci6GRnf0Mo [sage] :2010/03/27(土) 16:19:51 ID:sJQd6qba

「もがが、海に面した……んぐ、街、セイクルにいるらしいで」
 陽が在った時とは違い、夜の酒場にはさらに多く人が集まっていた。
 旅人らしき身なりの楽器を弾きながら語る男。飲みすぎたのか、足腰がふらつ
いている男。今日の稼ぎを求めて男を誘う女……そういえば、ハルは何度も誘わ
れたようだが、頑なに断っていたな。
 そして、些細な言い合いから殴り合いまでに発展した男達。
 それは賑やかというより、うるさいぐらいだった。
「他には?」
 その質問は、口に食べ物を入れながら喋るハルに向けられたものだ。
 そんなハルとマリンの会話を男の視線も女の視線も集まっている事に居心地が
悪いと思いながら、少しだけ距離を置いて眺める。
 注視している荒くれの男達でも、異様な雰囲気に近寄ってくることはなかった。
「ぷはっ、後は“最果ての森”とか“祭壇の遺跡”とかどうでもいい情報ばっかや」
「……そうか、ご苦労だったな」

 そう言った彼女はとても綺麗で、時間が進むことを忘れたように見続けた。

「惚れた!」
 部屋に入ると急に叫んだ男に視線を移す。
「わいは、惚れたで! マリンはんのためならなんでもできる!」
 言葉を宙に放り投げたままハルが勢いよく寝床に飛びこむ。きっと酒のせいだ
ろうと、何か言う気にはなれなかった。
「わいは、やるでぇ」
 寝言がいびきと共に聞こえ出したのは、あっという間のことだった。
「……眠れない」
 自分はというと、いびきのせいなのか、いつもより柔らかい布団のせいなのか、
興奮して眠れないのか、冴えていくばかりの目を擦って部屋を後にした。

 暖かくなったとはいえ、肌寒い空気が辺りに満ちていた外は耳が痛いほどに静
まりかえっていた。それでも寒すぎるほどではなかった。
 呼吸をする度に肺が冷え、そして、頭も冷えていく。
 ついさっきまでの騒ぎが嘘のように静かな空間に澄んだ空気、そして満月には
足りず、かといって半月よりかは大きい中途半端な月がそれに溶け込む。
 そんな月の光を霞ませるように、家の壁に灯りが乱立している。
 夜中にまでも明りは灯っているのは、生まれてこのかた故郷だけしか知らない
自分には初めての光景だった。
 ……その神秘的な光景の中、屋根の上で佇む女が。
 遠くてよく見えないながらも、月明かりを弾きながら輝いて揺れる長い髪、他
者を寄せ付けない完全な後姿、それはマリン以外にはあり得なかった。
 そんな絵画の一つのような彼女に話しかけようか、と迷っては話しかけようと
何度も考えながら、

 ただずっと見惚れていた。


217 :群青が染まる 03 ◆ci6GRnf0Mo [sage] :2010/03/27(土) 16:22:26 ID:sJQd6qba

「いい眺めだな」
 不意に降って来た声に、驚きながらも“そうだね”、
「俺は、いていいのか……?」
 と、返すはずだった。なのに、口からついて出た言葉は、全く別の事だった。
「我はそなたに案内を頼んだ」
 星屑が落ちてきそうな夜空に顔を向けたままの彼女は、きっとこんな時にでも
いつも通りなんだろうな。
「だけど……!」
「それとも、ここで終わりを迎えるか?」
 ひんやりとしたそれでいて暖かい指先が首筋に触れている事でやっと気付いた
……目前に迫った彼女に。
 それは触られているだけなのに、悲鳴どころか、声を上げることさえ許されな
いほどの重圧だった。
 視線が合った瞬間に今まで抑えてきた震えが全身へと駆け巡る。
「我が憎いか? 人間。 だが、これは約束事。呪うなら、己自身を、そして貢
物とされた役目を呪うがいい」
 視線を外して、顔を上げ空を見上げる様は、まさしく異様だった。
「決めろ……死ぬか、生きるかを」
 そんな彼女がもう一度こちらを向いた。
 待つのは死しかない狙われる獲物のように、泣いて叫びたいほどだった。
「……? なぜ、何も言わぬ?」
 答えようと動かす口が開かない。振ろうとする首が動かない。
 立っているのが不思議なほど力のない足に、倒れないのは固定されているため
だと気付く。
「ああ、」
 祈りが届いたのか、言葉と共に触れていた指が離れた。途端に、力なく膝が折
れた。
「……ごほっ!」
 緩まった圧力に、咳き込みながらも必死に息を吸い続ける。
「すまぬ。加減を間違えていたようだ……」
 息を吸って吐きながら、目から出る水滴を手で拭いながら、もしかして、間違
えて殺されるところだったのか? という疑問が脳裏を過ぎる。
 冷たい地面に冷えていく身体、未だ足に力が入らなかった。
「では、答えてもらおうか」
 わざとらしく咳を打つ仕草だけは、ひどく人間臭い。
「行く、行くよ!」
 それは、そう答えるしかない問いだった……だけど、例え本当にそうだとして
も、少しでも必要とされているのではないかと思えた。

「そうか」
 瞬間、わからなくなってしまった……さっきまでの自分に死の恐怖を持たせた
彼女と、薄く笑みを浮かべた彼女、どちらが本当の姿なのかが。
「なぜ、……探すんだ?」
 だからなのだろう、思い切って訊いてしまったのは――
 相変わらず人形のように無表情で、肯定のような否定のように流して、そんな
姿を想像していたのに、
 ――そして、後悔した。
 そこにいるのは、いまにも泣いてしまいそうに眉をひそめて、口をつぐんだ女
だけだった。
「……なんとなくだ」
 人である自分より弱々しく見えたのも束の間、
「我からも一つ問おう」
 何かを振り切るようにそう続けた。


218 :群青が染まる 03 ◆ci6GRnf0Mo [sage] :2010/03/27(土) 16:25:07 ID:sJQd6qba

 蹴飛ばしていた毛布をハルに掛け直して、部屋を出る前はあれほど暖かかった
のに今ではもうすっかりと冷たくなった寝床に潜り込む。
 味わったのは死の恐怖、だというのに頭にあるのは何も言わずそれでも何かを
聞きたがっていた彼女の事だった。
 なんでも知っていそうな彼女に何の疑問があったのだろうと考えて、いつもあ
れは何かと、これは何かと問う姿が思い浮かぶ。
 そんな考えも、次第に鈍くなった頭に消え、やがて眠りに落ちた。

 その日の夢には笑顔の彼女がいた。きっとこんな顔を見たら見惚れるどころで
はないんだろうな、と自然と自分まで笑顔になった。

「――はん! トモヤはん! 起きてぇな!」
「……ハル?」
 勢いよく揺すられる肩に、二日酔いのように重たい頭。
「ハル……? じゃ、あらへん! もう昼やで?!」
 ああ、そうか、もうそんな時間か。
「……え?」
「マリンはんが待ってるで!」
「わ、ちょ、ちょっと待ってよ!」
 すぐに静かに怒る顔が思い浮かぶ。
 鈍痛がする頭もそのままに、いつもの倍の速度で用意を済ませ酒場兼食事場へと
降りた。
 なのにそこには誰もおらず、置いていかれてかもしれないという焦りの下、外へ
と急いだ。
「こっちやでー!」
 扉が外れそうに跳ね返るほどの勢いで飛び出すと同時に聞こえてきて来た声の方
を見る。
 そこには、ここに来るまでに乗っていたのより僅かに広く相変わらず屋根がない
荷馬車があった。
 その隣でハルが何が嬉しいのか笑顔で大袈裟に手を振っている。
 どっからどう見てもあれで移動するんだろうと、安堵の息を吐いて胸を撫でた。

「さ、出発するで!」
 そんな彼に近寄ると、すぐに馬に飛び乗った。その姿は自分よりよほど様になっ
ていた。
 ……だが、そんなことよりも重大が疑問が俺にはあった。
「ここに乗るの……?」
 荷車を、膝を手で抱えて座るマリンが乗っている隣を、恐る恐る指差す。
「当たり前やないか」
 何を言っているのか理解できないとでもいいたげな顔で、既に手綱を握って出発
を今か今かと待つハルにどうしても変わると言い出せず、出来るだけ彼女を視界に
入れないように荷車へと足をかけた。
 乗り込むと同時にハルが馬の手綱を引いた。すると、待ってましたとばかりに馬
が勢いよく蹄を唸らせた。
 その歩みに連なって車輪が小気味良い音を立てて回り始める。
 そんな中、肩が触れ合うぐらいの距離に彼女がいることにどうしても落ち着かな
かった。
 こんなことだったら手綱を握ると言おうとして、マリンの隣で仲良く話すハルを
思い浮かべ、喉まで出かかった言葉を止める。
 そんな二人に嫉妬した自分に嫌悪感を抱いて気付いた……自分は彼女に惹かれて
いるんだと。


219 :群青が染まる 03 ◆ci6GRnf0Mo [sage] :2010/03/27(土) 16:28:31 ID:sJQd6qba

「いやー、無事抜けれてよかったわ!」
 街の西門を潜り抜けた事への安堵の声にも、落ち着かないのは彼女が近くにいる
からだというのを無理やり押し込めて平静を保つので精一杯だった。
「そういえば、トモヤはん」
「な、何?!」
「昨日、何かあったん?」
「き、昨日?!」
 何かあったと言えばあったのだろうが、まさか死に掛けたと言う訳にもいかず、
次の言葉を待った。
「マリンはんが今日はゆっくり寝かせてやれっていうもんやから、てっきり何かあ
ったと思ったんやが、」
「……は?」
 思わず盗み見た彼女の表情はいつもと変わらなかったけれど、いつもより悲しそ
うに見えたのは……きっと俺の気のせいなんだろうな。

「……すまなかった」
 そんな小さすぎて聞こえるはずのない言葉が、風に流されて耳へと確かに届いた。
 その言葉に自分でも気付かぬうちに跡が残っているだろう首筋に触れていた。
 ……この旅の終わりは港街セイクルなのだろうか?
 少しでも長く続いて欲しいと思ったのは、我侭な願いなのかもしれない。