※上記の広告は60日以上更新のないWIKIに表示されています。更新することで広告が下部へ移動します。

 僕が目を覚ますと、そこは白い部屋の中だった。
 ベッドと机と椅子しかない、8畳ほどの部屋。
 起き上がって自分を見下ろすと、パジャマを着ているのが分かる。
 どうしてこんなところにいるのか。
 そんな疑問すら浮かばずに僕は歩きまわる。
 一歩、二歩、三歩。
 たったそれだけの行為で汗だくになった自分に、奇妙な違和感を覚える。
 でもその違和感が分からずに首を捻り、もう一歩歩きだそうとする。

「起きましたか、先輩。」

 ガチャリ、という音とともにドアを開けて現れた女性は、見たことない女性だった。
 腰までかかる長い黒髪。優しげに微笑む顔。
 親しげに僕を先輩と呼ぶ女性に、僕は何かを言おうと思った。
 けど喉が震えない。まるで声の出し方を忘れてしまったように。
 そんな僕を見て女性は嫌な顔一つせずに近づいてきて頭を撫でてくれる。
 柔らかくて、温かい手のひら。
 僕は嬉しくなって目を細める。

「先輩、私のこと覚えてますか?」

 女性の言葉に、首を横に振ることで答える。
 すると女性は顔を曇らせてそう、とだけ呟いて黙ってしまった。
 何か僕は悪いことを言ったのだろうか。

「先輩。私は奈子です。な・こ。わかりますよね?」

 奈子と名乗る女性にうなづいて答え、地面に座り込む。
 すると奈子は僕の頭を愛おしげに撫でて微笑んでくれる。
 安心して自分の体を預けられる。優しい子。
 僕は奈子が大好きになった。


 僕が目を覚ましてから三か月。僕と奈子はずっと一緒にいた。
 奈子が持ってきた食事を食べて、よくわからない問題を解いて。一緒のベッドで寝る。
 奈子は僕を抱きしめて寝るのが好きみたいで、いつも苦しい位に抱きしめてくる。
 僕は奈子の匂いも体温も大好きだから文句なんてなかった。
 三か月もすると僕は少しずつ喋れるようになってきて、奈子とお話しできるようになっていた。
 奈子は僕が僕というと、俺って言わないとダメって怒る。
 だから慣れないけど僕は奈子に対しては俺って言うようにするんだ。
 奈子が望むなら僕は何でもできる。僕は奈子の先輩なのだ。
 でも、先輩ってなんなのだろうか。
 先輩って言うのは僕の名前なんだろうか。
 きっと奈子が僕を呼ぶからには、僕は先輩なのだろう。
 奈子は早く来てくれないかな。撫でてくれないかな。

「先輩、ご飯ですよ?」

「奈子!」

 いつものようにご飯を持ってきた奈子に抱きつきたいが、奈子はそうすると怒るのだ。
 先輩はそんなことしないって言って口を利いてくれなくなる。
 僕はそれが悲しいから我慢して奈子が抱きしめてくれるのを待つんだ。

「先輩、先輩の好きなスパゲッティーですよ?」

「うん!」

 差し出されたスパゲッティーをお箸でかき混ぜて食べる。
 お箸の持ち方も奈子に何度も直された。
 先輩はもっと短く持ったとか、もっと内側よりだったとか。いろいろ怒られた。
 最近はやっと奈子も僕のお箸の持ち方に怒らなくなってくれた。

「先輩。」

「?」

 奈子の言葉に振り向くと、突然頬を叩かれた。
 この頃いつも奈子は僕を叩く。理由は後から言われるけど、よくわからない。
 叩かれた時に泣いてしまうともっと叩く。なんで泣くの、先輩は泣かなかった。そう言って叩く。
 だからこの頃僕は奈子を見つめることにした。そうすると奈子は満足するのだ。

「そうよ、先輩。私を睨んで。殺意を込めて……!もっと、もっと恨んで!」

 奈子の言葉は分からないけど、僕が見つめると奈子は喜ぶなら僕はいくらでも見つめる。
 でもずっと見つめていると奈子は泣き始めてしまうんだ。

「先輩、ごめんなさい……、ごめんなさい……!ごめん、なさい。」

 どうして泣くのか分からない。どうして謝るのかわからない。
 僕は奈子が泣いていると悲しい。心が張り裂けそうになっちゃう。
 いつもは見てるだけだけど、今日僕は初めて奈子を抱きしめることにした。
 ビクリ、と震えて大きく目を見開いたまま僕を見つめる奈子は、少し怖い。
 けど泣いたままの奈子はもっと嫌だから僕はもっと抱きしめた。
 すると奈子の震えも止まって、涙も止まった。
 けど笑顔は戻ってこなくて、奈子は僕をじっと見つめたまま耳元で呟いた。

「先輩、私のこと好きですか?」

 僕はうん、と呟いた。
 僕は奈子が大好きだから。奈子と一緒にずっといたいから。
 そうすると奈子はそう、と呟いて僕を抱きしめてくれた。
 温かくていいにおいがする奈子。大好きな奈子。
 首筋にチクリと痛みが走ったけど、安心して目を閉じる。
 目が覚めたらまた奈子と一緒にいられるはずだから。



「うまくいかないですね……。本当に。」

 私はそう呟くと眠っている294番を放置して電話をかける。
 もうこの作業にも慣れてしまった。2年以上同じことを繰り返しているのだ。

『主任、どうしました?』

「294番の廃棄を決めたわ。バラして臓器だけ移植用に廻して。」

『今回は長かったですね。』

 無邪気にこちらに尋ねてくる助手に、思わず苦笑がこぼれてしまった。
 今まで2日や3日。長くて2週間のペースだったのだ。
 今回に限って3か月の期間を設けたのは別段特別なことではない。
 ただ長期になれば何か変化が表れるのではないかと思っただけだ。

「上手くいかないわね。私じゃダメなのかしら?」

『クローニングの権威者である主任がダメなら世界中の誰もできませんよ。』

 ありがとう、と呟いて携帯の電源を閉じて眠り続ける少年の顔を眺める。
 記憶にあるよりもずっと幼くて、険のない顔。
 先輩の幼いころの顔はこんなのだったと初めて知ったのは2年前だった。

「長いわね、本当に。」

 手元のフリップの294番の所に廃棄マークをつけて伸びをする。
 部屋から出て扉を閉じてしばらくすると白衣の男達が来て中に入っていく。
 これで294番とはお別れだ。
 これと言って愛着が湧いたわけでもない。どちらかといえばせいせいしたというところか。
 先輩のクローンのくせに覚えは悪い。言うことは幼い。間抜けな顔をしている。
 ……先輩は、私が認めた唯一無二の存在だった。
 私が先輩と出会ったのは10年前。高校生2年生の頃だった。



「人は脳みそだけで生きられるか?」

 私の言葉に先輩は嘲笑を浮かべ、手元に持った本を乱雑に机の上に投げ捨てる。
 私としては酷く当然のことを投げかけただけなのに先輩は一笑に臥したのだ。

「いいか?人ってのは体の一つ欠けただけで精神状態に関しちゃ健常者とはまるっきり別物になっちまう。」

 いつもしかめっ面で講義する先輩が、私は大好きだった。

「それが形そのもの失って生きていられるか?そりゃ生きるだけならできるだろうさ。だがそいつは単なる記憶媒体だ。んなのコンピューターに任せとけよ。お前はそういうの生きてるって言うのか?」

 先輩の言葉に、いいえとだけ呟いて手元のノートに目を下ろす。
 教えてもらっていた生物の問題からかけ離れた話題だった。ただぽつりと漏らした疑問。
 それを先輩は喜々として私を叩きのめそうと挑んできたのだ。
 私は先輩のそういう子供っぽい癖に理屈ばっかりのところが好きだ。

「俺から言わせれば不老不死だって人間外さ。精神構造に至っては壊れてるとしか言いようがない。」

「先輩はずっと生きながらえるの、嫌いですか?」

 おう、と鼻息荒くつぶやくと窓の外を眺めて先輩は机の上に腰かけた。
 長く生きることがなぜ悪いことなのか。私には分からなかった。
 けど先輩に嫌われたくなかった私は聞き返せなかった。
 ああ。嗚呼。ずっと後悔している。
 先輩が次の日事故にあって死んだと聞いた時から、ずっと聞かなかったことを後悔している。
 私が次に先輩と出会ったのは病院で、頭以外殆んど残っていない状況だったのだから。


 ……私は先輩の死体を盗み出し、それを冷凍保存した。
 いつか生き返らせるのだと。そしていろんな疑問に答えてもらうのだ、と。
 そして私は大学受験をして遺伝学の方に進んだ。
 その頃から私には明確なビジョン。先輩のクローンを作るというものがあった。
 だが2005年3月8日。クローン人間禁止宣言が国連で採択されて表向きには人間のクローニングはできなくなっていた。
 でも実際には政府は地下でクローンの研究を推し進め、ついには人間のクローンを作り出すことに成功していた。
 私は大学で懇意にしていた教授の推薦を受けて政府の機関に入り、研究を続けた。
 研究自体は確立していたものの成功率をどう高めるか、それこそが問題だった。
 TSA処理。化学媒体。合成物質。日夜研究が行われ、徐々に徐々に成功率は高くなっていった。
 現在は約5%。100個の無性卵に一つずつ核を埋め込んでやっと5人出来る計算だ。
 でも私はそんな不純物を使いたくなかった。
 先輩は先輩だけ、他の誰の中にも入れたくない。
 だから私は先輩の全能細胞を卵細胞に形成させ、そこに先輩の精子を入れることで完全な先輩を作りだした。
 勿論成功率は通常のヒトクローンより低い。けど、私はそれを突き詰め続けた。
 そして研究所内でそれが評価され主任となり、今の権威を手に入れたという訳だ。
 主任になって私は先輩の1号を作った。
 冷凍保存してある先輩の死体から作られたそれは、確かに先輩の面影があるモノだった。
 けどまったく違う。愚鈍で間抜けで、私の手がなくては生きられないモノ。
 私はそれをすぐに廃棄した。
 次に私はクローンの急成長を行うことにした。
 新陳代謝を活発にして人の数倍で年をとるようにした。
 すると先輩のクローンは大きくなった。けど、まったく白痴と言っても大差ないものだった。
 それでも先輩に近づけるかもしれない。そう思って何度も何度も作りなおしては覚えこませる。
 けどどれもこれもうまくはいかなかった。
 だから今度は先輩の脳みそを電子化してクローンに焼き込むことを決めたのだ。
 それはうまくいくと思った。先輩が帰ってくると思った。
 けど、先輩の脳みその細胞は死後2日経って殆んど死滅していたのだ。
 私はそれでもいつかたどり着くと信じて、何人も何人も先輩を作っている。
 先輩を作って、作って、作って。殺して、バラして。
 いつしか先輩の形をしたモノを憎むようになっていた。
 どうして先輩は生き返ってくれないのか。どうして先輩は私の所に帰って来てくれないのか。
 だからつい先輩の形をしたものを殴ってしまう。
 その時の反応が先輩みたいだと嬉しくなる。
 先輩のクローンが先輩に近づくと嬉しい。
 先輩。先輩。先輩。

「先輩は、私を憎みますか?」

 貴方のずっと生きながらえることを憎む意思を無視する私を、憎んでくれますか。
 それともあのクローン達と同じで私を愛してくれますか。
 答えてください。先輩。答えてください、せんぱい……。
 私は今日もこの箱庭の中で、先輩に尋ね続ける。
 答えはないと知っているのに。