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第十話


「そんなこんなで昼休みだよ!」

「だから誰に言ってるんだ。」

 太めの友人1に突っ込みを入れながら立ち上がると、鞄を持ったまま食堂に向かう。
 これほどまでに挑発行為をしたのだ。どう考えても報復行為があるに違いない。
 そうなればこっちのもの。クラスの連中から犯人を聞き出して脅せばいい。
 報復には更なる報復を。血の制裁を。
 義侠に背く人間は悉くが最後は無残な死を遂げたことを、その身に刻みこんでやる。
 くくく、と笑いそうになりながらもやはり野菜炒め定食に感謝の祈りを捧げてから食べ始める。

「ここよろしいですか?」

「どぞ。」

 顔をあげずに答えると、前に座った人は上品に食べ始める。
 そこでようやっと顔をあげれば、いつもの先輩であった。

「食堂多いですね。」

「貴方の前に座れば自然に久住さんとも食べられますから。」

 まるで俺の価値はその一点のみだ、と言われた気がしてしまう辛辣な言い方だ。
 いや、実際にそう思っているのだろう。この先輩は。
 どこまでも上品で、誰に対しても丁寧。それはきっと先輩が誰に対しても価値を見出していないから。
 先輩は、中学の頃に出会った人だ。
 当時から美人で有名だったし、成績も上位。ついでに言うなら元財閥の家の娘だ。
 中学の頃からお見合いも多かったらしいし、告白された数も数え切れないほどという。
 そんな有名人が俺の中学にいると知ったのは中1の入学式で、出会ったのもやはり入学式。
 一目見た瞬間に確かに容姿と立ち振る舞いが綺麗な先輩であるとは思った。
 だけど他の男子みたいに先輩に夢中になることは、俺にはできなかった。
 冷たい目。どれだけ柔和な笑顔をしようともその眼だけは異様に俺の気に障った。
 師父は言っていた。人の本性は目に表れる。
 心清き者は目もまた澄む。心悪しき者は目もまた曇る、と。
 だから気にくわなかったのだ。他人を馬鹿にしているかのような目で見つめ続ける先輩が。


 そんなある日、先輩が人通りの少ない道で性質の悪い男たちに囲まれているのを見た。
 髪の毛を染め、服を着崩して個性を出そうとしている人間達。
 だけど俺には彼らが一人たりとて見分けがつかない。皆が皆所詮枠に収まったアウトローなのだから。
 男たちは先輩を中学生だと知っていながら高圧的に脅し、あわよくば卑猥な場所に連れ込もうという魂胆だったのだろう。
 そんなもの先輩が一声大きな声をあげれば終わってしまう、つまらない脅し。
 だけど先輩はやはりつまらなそうな眼で男たちを見ているだけで、声すらあげそうになかった。
 それはきっと、自分すらどうでもいいと思っている。そんな捨て鉢な態度だった。
 気に入らない。これ以上なく、気にくわない顔だった。

「先輩ー!こんなところにいたんですかー!探しましたよー!」

 次の瞬間、俺は訳も分からずに大声を上げながら先輩の方に歩いていた。
 無視すればよかったのだ。あんなつまらない女には助ける価値なんて、ないのだ。
 そうすれば男たちと事を構えることもない。俺は無事に家に帰って修練をするだけ。
 なのに俺は先輩と男たちの間に割り込んで、にこやかに男たちに話しかけていた。

「ごめんなさいね。先輩ぼーっとしちゃって。ダメじゃないですか先輩。」

「ンダト、オラ?テメ邪魔すんじゃねぇよ、ガキ!ブッコロスぞ、こら!?」

 説得の失敗を悟ったが、俺には引く気はなかった。
 しかし素人相手に拳を振るうわけにもいかない。師父との約束だ。相手が殴りかからない以上俺からは手出しできない。
 心の奥底では、相手から手を出してくるのを望んでいた。
 師父から離されて鬱屈した日々。心に隙間風が吹き抜けるような寂寥感。
 そう、俺はそれを埋めたかっただけなのかもしれない。だからこんな無価値な女を助けようとしたのだ。
 助ける為に助けるわけではない。俺が暴力に身を晒したかったから、助けたのだ。

「死ねや!!」

 男の大振りな、上半身のブレたパンチ。ストレートでもジャブでもない。なんと表現すればいいのか分からないパンチ。
 それを半身だけずらすことで避け、左手の平を相手の顎の下を打ち抜くように上げる。
 ブツ、という音とともに血を吐きながら倒れた男を無視して次の唖然としている男に向かう。
 思いっきり相手の足の甲を潰すように踏み、ゼロ距離からの崩拳で胸板を打ち抜く。
 ゴキリという嫌な音。赤黒い血を吐いて前のめりになった男を蹴飛ばして最後の男と対峙をした。
 そこでようやっと男も理解したのだろう。目の前の俺が、ただの中学生の子供でないと。
 震える手で男はナイフを取り出し、切っ先をこちらに向けてくる。
 刃渡り10cmほどのバタフライナイフ。素人が持つにはいい武器ではないだろうか。
 だが俺から言わせてもらえば包丁の方が殺傷力がある。
 おまけに構え方がなっていない。ナイフを構えるならば半身の構えでなければいけない。
 そんなに前面を出すように構えられると、ほら。

「あがっ……!」

 金的をくらわせやすくなってしまう。
 鈍い、何かがつぶれる音と共に倒れ伏す男の手からナイフを奪って下水に投げ捨てる。
 素人が刃物を持つから痛い目を見るのだ。刃物を出さなければ、少なくともここまではしなかったのに。

「大丈夫ですか、先輩。」

 そこまでして思い立ったのは先輩がいたということだった。
 正直どうでもいいことになっていたが、一応は助けるためという名義だったのだ。声はかけようと思った。

「最低ね、貴方。」

 だから、次の瞬間先輩が言った言葉は俺には理解できなかった。
 ありがとう、とか余計な御世話とかならまだ想定の範囲内だった。
 それが最低ときたもんだ。誰だって戸惑うだろう。

「貴方はそこの男達と同じ、下種。暴力で相手を傅かせることしかできない、最低の人種。」

 さっきまでどうでもいいと俺を見ていた視線は、敵意の籠ったものとなっていた。
 そこまで言われなくても、自分がしたことくらい分かり切っていた。
 俺は、いらいらに任せて暴力を振るっただけだ。
 義侠心もなければ、正義すら見いだせないただの暴力。

「貴方みたいな人間に助けてほしくなかった。」

 そう呟き、俺を振り返りもせずに先輩は去って行った。
 先輩に対する怒りは湧かない。当然だ。俺は最初から分かっていて暴力をふるったのだから。
 ただ高揚感も一切なかった。ひたすらに心の寂寥感のみが積もるだけ。
 武術とは破壊の為に存在する。綺麗事を並べようとも、武術を習う上で避けては通れないのが破壊だ。
 倒れ、呻く男たちを見下ろし、敗者達の上に立つ。それは甘美なようでいて、その実空しいだけだった。
 弱い相手をどれだけ倒しても俺の心は満たされない。
 勝ち負けが空しいのではない。この程度にしか振るえなかった自分の武術が空しいのだ。
 師父に習った武術とはきっと振るわれる技のことではなかったのだ。
 己の弱さを破壊する為の手段。心の、体の弱さを乗り越えるための方法。

「なんて、くだらないんだろう。」

 血を流す敗者達を無視して、俺は立ち去った。彼らには何の用もない。彼らから得るものもなかった。
 くだらない時間。これならば一人で修練していた方がまだマシだったとしか言いようのない、無駄な時間。
 俺は初めて武術を暴力に変えた日に、それがどれだけくだらないことかを理解したのだ。
 幸いなことに俺が倒した不良たちは俺の顔も先輩の顔も覚えてなかったらしく、報復はなかった。
 暴力を振るって他人を下しても、俺の中では何も結果が出ない。
 それでも俺は修練を続けている。誰かを倒すためだったならば修練に意味はなくなってしまったのに。
 ただ自分の中で、自分を打ち倒すためだけに。その為の武術だと俺はその日気づいた。
 ではなんのために修練を重ねるのか、俺は今でもそれすら分かっていない。
 修練の為に修練を重ねているだけ。そんな、気がする。


 つまらないことを、思いだした。
 忘れていたわけでも、忘れたかったわけでもないけど、特には思い出さなかったこと。
 先輩を前にしてふと思い浮かんだそれは気恥かしいものだった。

「?何をじっと見てるんですか、貴方は。」

 柔和な笑顔で首を傾げる先輩に、なんでもないですと一言告げて目をそらす。
 きっとこの先輩は俺のことを覚えていないのだろう。
 あの頃よりも身長は伸び、目つきも悪くなった。
 女の子みたいだと称された顔も、今では無骨で無愛想な益荒男とすら言われるようになっている。
 それで分かるはずもない。

「楊ー!先食べるなんて酷いのー!」

「近衛死ね。」

 後ろからぺたぺたと近づく椎名に、溜息すら出てくる。
 ガタンと勢いよく立ちあがって乗り出す先輩はいつものように揺れる。
 ……師父、乾いた日々にも癒しが存在します。ぷるんと。

「楊ぅぅ!!」
「死ね近衛。」

 いつものように殺気を放つ椎名と百乃。ビッグな先輩。
 ……暴力を振るう世界よりも、俺はこっちの平凡な世界の方が百倍いい。
 騒ぐ3人を尻目に、俺は食器を片してのびをする。

 今日も、いい修練日和だ。