674 :起『承』転結 ◆BAPV5D72zs :2010/02/13(土) 14:06:00 ID:mHMjV5ak
「思い出してくれて嬉しいわ。あの頃から五年も経って私も随分変わったし、驚いて当然よね。でも辰巳君も変わったわね」

 金魚のごとくパクパクと口を開いては閉じている俺に、平坂睦美は懐かしそうにそう言った。
 目の前の裸エプロンの美女こと平坂は少し複雑な表情に変わる。きっと俺はもっと複雑で変な、ピカソの絵画的な顔になっているだろう。
「ずっと会いたかった。転校したあの日から今日まで、一日も辰巳君のことを考えなかった日はなかったわ……」
 おお、なんと嬉しいことを言ってくれる。美女にこんなこと言われるなんて。
 でもなあ……過去の平坂を思い出してしまっては素直に喜べない。
 だってあの平坂睦美だぞ。過去の面影なんて微塵もない。別人すぎるにも程がある。つーか別人だろお前。
 過去と現在の平坂が交差して入り混じり、ソフトクリームのように重なって螺旋を描く。チョコとバニラのダブルソフトは反則だよな。まさにそんな感じ。
「今でもはっきりとあの時の事は覚えてるわ。びっくりしたなぁ……だって、あんなの初めて見たから」
 過去の記憶がじわじわと蘇る。ああ嫌だ、思い出したくないのに俺の脳みそってば勝手に過去をリプレイしやがって……。

 ここで中学生時代について少し説明をしなければならない。したくもないが平坂と俺の話なのでしなければならないのだ。
 あの頃の平坂は平凡で地味で暗く、少し太っていて、おまけにイジメられていた。友達はいなかったようだ。
 地味で地味でそして暗い平坂は、いつも本と向き合っているか勉強をしているかだった。
 思い出してみれば、平坂はどんな時でもずっと席に座っていた。そしてひたすら本と向き合いながら自分の世界に没頭しているようだった。
 中2になって同じクラスになり、隣の席になるまで俺は平坂の存在に気付かなかった。確かその時は夏休み明けだったはずだ。
 その頃の俺はというと思春期真っ盛りで、両親の離婚問題に祖父の他界、さらに夏休みに覚えた夜遊びでアホになっていた。
 部活を辞めて勉強もせず、意味不明な苛立ちを持て余していた中2の頃。思い出すだけで恥ずかしい。完全な中二病だ。だって中二だったしなあ。
 そんな時に隣の席になった平坂はというと、早速夏休み明けからクラスの女子数人にイジメられていた。
 イジメられやすい空気を身に纏っていたのだろう。そしてイジメられる者にはそういう体質みたいなものがある。




675 :起『承』転結 ◆BAPV5D72zs :2010/02/13(土) 14:08:02 ID:mHMjV5ak
 イジメとは風邪のようなもので空気感染する。イジメは周囲に“移る”のだ。
 最初は数人だったイジメもだんだん人数が増え、あからさまにクラスの女子全員を巻き込んだ。あと男子数人も混じっていた。
 俺は関わらなかった。面倒で関わるのが煩わしかった。だから無視して放っておいた。大体1ヶ月くらいか。助ける気なんて微塵もなかった。

 ――で。

 机をぶん投げて椅子を振り回して、止めに入った担任にドロップキックをかましたのには深い理由がある。マリアナ海溝よりは深くなく、昔掘った落とし穴よりは深い。
 だってそりゃあ隣の席は近い。手を伸ばせば届く距離だ。そこで毎日うんざりするほどうるさくイジメがあれば近所迷惑というものだ。無関心でも鬱陶しい。
 日々エスカレートしていくイジメに耐える平坂。それと比例して日々苛立ちがジェンガのように積もる俺。俺に対する嫌がらせにしか思えなかった。
 なので「うるさいからやめろ」と言ったらば、翌日にはクラス中に俺と平坂ができているという話が広まっていた。
 朝教室に入ると、俺と平坂に向けられる奇異と侮蔑の視線。そして丸聞こえの俺に対する中傷。黒板に書かれた――

 そこで、俺の中のジェンガが崩れた。こう、ギリギリの一本を勢い良く引っこ抜いた感じでがっしゃーんと。
 近くで笑っていた男子(加害者)に自分の机を投げつけた。次に近くにいた男子(加害者)に椅子を投げつけた。
 女子(主犯格)が何かを言っていたので近くの椅子をぶん投げた。後は手当たり次第に机と椅子を振り回し、窓ガラスが全部割れた。
 ドロップキックの理由は担任もイジメを知りながら黙認していたのと、あと元々嫌いだったからだ。
 その後の記憶はしこたま親父に殴られて痛かったという記憶だけだ。もうフルボッコでしたよ。
 で、その日を境に俺に話しかけてくる者はいなくなり、平坂へのイジメもパッタリと止んだ。そして、俺は平坂と並んで暗い学校生活を送ることになったのだ。
 そして三年生になってクラスが変わり、奇遇にも平坂も同じクラスになった。そして何の因果か再び席が隣になり、少しだけ平坂と話すようになったのだ。
 相変わらず平坂に友達はいなかったようだ。ひたすら本と向き合うだけの地味で暗いふくよか貞子だった。
 それからしばらくして平坂は家庭の事情で転校した。そして俺の両親も離婚して、俺もすぐに転校したのだ。




677 :起『承』転結 ◆BAPV5D72zs :2010/02/13(土) 14:09:59 ID:mHMjV5ak
「どう、思い出した?」
「うん、できることなら忘れたままでいたかったけどな……」
 おお、チャーリーよ、将臣よ。彼らは元気に過ごしているだろうか? 将臣は去年彼女ができたらしいから死ねばいい。ホント死ねばいい。
 よくもまああの事件の原因である平坂を忘れていたもんだ。中2といえばその事件、その事件といえば平坂なのだ。
 あれから俺の人生は山あり谷ありおむすびころりんである。まあ大学にもなんとか入れたし今のところは無難な人生まで軌道修正された。
 相変わらず彼女ができない寂しい人生だが、友達がいるだけで良しとしよう。うん、女友達がいるだけ勝ち組だ。
 そして現在、平坂がここまで変わって再会するとは夢にも思うまい。いやあ変わったねえ君。まさか裸エプロンの美女に変身するとはな。
「って変わり過ぎだろ!?」
「ふふっ、その反応が見たかったの」
 なんだそれ? 本当に嬉しそうに笑うね平坂。ちくしょう可愛いなぁおい。
 目の前の平坂は全くの別人になっている。そりゃあ記憶に該当する人物なんて浮かばないわけだ。
 裸エプロンこと平坂睦美は(それにしてもなぜ裸エプロンなのだろう?)何か遠くを見ているかのような表情で言葉を紡いだ。
「イジメられていたあの時、自殺しようと悩んでいたわたしを辰巳君が助けてくれたのよ。あの時辰巳君がいてくれたから、今のわたしは生きているの」
 聞いてるだけで恥ずかしくなるから止めてくれ。それ以上仰天告白をしないでくれ。顔で茶を沸かせそうだ。
「あの時はどうしてイジメられているのか分からなかったわ。ただ、きっとこれからもずっと続くんだろうなって思ってた。
両親は毎日喧嘩してたし学校ではイジメられるし、友達なんていなかったから誰にも相談なんてできなかった。どこにも居場所なんてなかった」
 平坂の独白は不思議と懐かしそうに聞こえる。そんな辛い過去を笑って話すのは今が幸せだからなのだろうか?
 いや、辛い過去は思いだしたくもないもんだ。蓋を閉めて厳重保管で記憶の海に沈めるのが一番だろう。俺だってそうだったし。

「どうして笑って話してるか不思議? だって、あのイジメがあったおかげで辰巳君のことを知れたんだもの。
わたしにとっては辰巳君との“出逢い”のきっかけになったんだよ。だから今では良い思い出なの」
 疑問が顔に出ていたのだろうか、平坂は俺の表情を見て微笑みながら俺の疑問に答えてくれた。




678 :起『承』転結 ◆BAPV5D72zs :2010/02/13(土) 14:12:07 ID:mHMjV5ak
 なんとまあ、あんな陰湿なイジメを受けておいて良い思い出とは豪胆ですなあ。俺にとっては最悪のメモリー(思い出)ですよ。
「でも、あの頃の辰巳君は恐かったなあ。目つきも鋭かったしいつも怒ってるみたいで。人が吼えるのなんて初めて見たし。
でも、わたしには救いだった。だって助けてくれたのは辰巳君だけだったんだもの。
親が離婚して転校して、遠くに離れてもずっと辰巳君のことを考えてた。ねえ辰巳君、わたしが転校する前に話したこと覚えてる?」
「話したこと? 悪いけど、俺は平坂と違って記憶力には自信がないんだ」
「もう、覚えててほしかったのに!」
 頬を膨らませて怒る顔も可愛いぜ! でもな、んな昔の話した内容まで覚えてる程記憶力が良けりゃもっと良い大学入ってるんだぜ!
 いや、実は覚えてるんだけどな。なんせ例の事件以降は平坂しか会話する相手いなかったし。
 そう、思い出せば次々と記憶が蘇ってくるが、平坂と会話をした人間って実は俺しかいないんじゃなかろうか?
「どうしてあの時助けてくれたの? って聞いたら「ムカついたから」って答えたのよ。おまけに「お前もやればスッキリしたのに」って言ったの。
ムッスリした顔で言うのよ。あれはどう答えればいいか分からなかったなぁ……」
 楽しそうに笑って平坂が両手の細く白い指を重ね、その上に顎を乗せる。その仕草すら様になるから美女とは得である。
 6年前の俺よ。まさか平坂がこんな美人になるとは思うまい。隣のふくよか貞子はシンデレラに化けるぜ!

 しかし、記憶の中の平坂と目の前の平坂は重なりそうで重ならない。どうしても過去の姿をダブらせようとするのは何故だろう?
 きっと記憶を繋げたいのだ。過去と現在のギャップとブランクを埋めようとしているのだ。それが無意味と分かっているのに。
「そこまでは覚えてないな。そんなこと言ったか?」
「言ったわよ。わたし辰巳君と会話したことは全部覚えてるんだから!」
 真面目な顔でそんなこと言われたら恥ずかしいじゃないか。どんな顔でどう答えればいいというのだ。
「親が離婚して転校するって話したら「お前もかよ」って言ったのよ。それ聞いてまたビックリしたわ」
「俺の両親も離婚する寸前だったからな。あん時は妙な親近感が湧いたよ」
「わたしは運命を感じたわ」
「おいおい、運命って……」
 随分と乙女だなあ平坂よ。こいつの発言は聞いてるだけで恥ずかしくなる。つーか離婚で運命て。



679 :起『承』転結 ◆BAPV5D72zs :2010/02/13(土) 14:15:27 ID:mHMjV5ak
「それでね、思ったの。転校したら生まれ変わって可愛くなって、辰巳君と必ずまた会おうって。ふり向かせようって誓ったの」
 おーじーざす。平坂の衝撃告白は俺を驚かせてばかりであります。まさか俺の知らぬところでそんな乙女の誓いがあったとは。
 この美貌は努力の結晶なのだな。シンデレラも真っ青な生まれ変わりっぷりではないか。きっと血の滲むような努力をしたのだろう。
 まさか一人の女性の人生にいつの間にか俺が深く関わっていたとはなあ。
「そうだったのか」
「捜して見つけるのは大変だったのよ。辰巳君も離婚して引っ越したし、大学に進学してまた引っ越したでしょ。
高校を卒業してから自力で調べたの。再婚した義父さんはお金持ちだったけど、誰にも頼らずに自分だけで探したわ」
 すげー、すげーよ平坂。なんて無駄な努力してんだよ。俺なんか捜す暇があるなら良い男見つけて幸せになれよ。
 今の平坂ならよりどりみどりだぞ、もったいねえなあ。その気になれば芸能界入りも夢じゃないだろ。
「4年ぶりにようやく見つけた時は嬉しかったわ。でもどうやって話しかけようか悩んだ。
運命的な再会って素敵な出逢いにしたかったの」
「4年前? だって中3から5年経ってるだろ?」
 平坂の説明は疑問が残る。一年の空白はなんなのだろうか。
「ええ、だから辰巳君を見つけたのが去年なの。でも……」
「でも?」
「自信がなかったの。久しぶりに会ってどう話せば良いんだろう、どんな反応をするんだろうって考えちゃって恐かった。まだ勇気がなかったのよ……」
 あと一歩のところで踏み出せなかったってわけか。無駄に行動力あるくせにそこんとこ抜けてんのな、お前。
「で、一年経ってようやくの再会か。そこまでは分かった。それでやっと今の現状について質問できそうなんだけど」
「その前に聞きたいんだけど、ねえ辰巳君、あの女って辰巳君にとってなんなの?」
 ……あの女?
 なんだろう、いきなりのこの質問は。そして平坂の顔から笑顔が消えたのはどうしてだろう?
 顔から感情が抜けたような、無表情というのとは違う、何か寒気を感じさせる。うん、なんかヤバイ気がします。

 ――どうやら現状について聞けるのはまだ先になりそうである。
最終更新:2010年02月15日 12:17