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26 :名無しさん@ピンキー:2010/02/14(日) 18:10:13 ID:EuCn9m2t
木村千華という奴がクラスメイトにいる。
滅多に他人とコミュニケーションを取らない、過剰なくらい無口で無愛想な女である。何を考えているのかもわからないし、声を聞く機会と言ったら、教師に名指しされたときくらいだった。その返答は意外にもしっかりしているし、問題を間違えているところを見たこともない。
だが別段テストの点が学年トップクラスということはなく、上位ではあるが飛びぬけているわけではなかった。それについては、単に予習に余念がないのだろうな、と勝手に想像している。
テストのときには、それなりに覚えていないし、それなりに間違う。そのあたりに、無感情に見えても人間味を感じられるものだ、などと思うのだ。
身長が低いし、括っていないストレートの黒髪は病的に長いし、ふとすれば人形のように見えはするが、彼女は間違いなく同い年の少女であり、友人たちの話すように、別次元の住人だと思ったことは一度もなかった。
とはいえ、そもそもがただのクラスメイトという関係なので、あまり彼女のパーソナリティについて特別に考えていたかというと、そうでもない。個性的な子だなあ、程度の感想を抱いていただけだ。

ただ、彼女の一際目立つその長い黒髪は、非常によく手入れされているのだろうと、気になっていた。いつだって色艶がよく、まったく癖なく腰まで流れる彼女の黒髪を、いつか触ってみたいもんだと胸に秘めていたのだ。
校則違反など知ったことではないと、中学時代、あるいはもっと前から伸ばされ続けている彼女のその拘りの綺麗な髪について、彼女自身の見解を聞いてみたいとも思っていた。
彼女の髪に触れる機会は、草木が枯れ始めた十月の終わりに、予想もつかない形で訪れることになった。


27 :名無しさん@ピンキー:2010/02/14(日) 18:12:47 ID:EuCn9m2t
教室に入り照明のスイッチを入れると、床が真っ黒で驚いた。
その驚きは、見慣れたものが思ってもいない場所に展開されていたことに対してで、床に髪が散らばっているという状態は、個人的に結構慣れているものだった。
放課後、部活に精を出す生徒たちも帰宅したあたりの午後八時、日の光もまったくなく真っ暗だった教室が蛍光灯に照らされると、床に黒髪が大量に散らばっていたのである。それはもちろん一部、ちょうど忘れ物のジャージが詰まった鞄の置いてある教室の後部だけだった。
冬も間近とはいえ、汗の染み込んだジャージを放置する気はなく、忘れたことに気付いて自宅と学校間を往復したわけだが、そんなことはその真っ黒な光景を前に吹き飛んでしまった。
その床を染める散らばった黒髪の中心に、うなだれて座り込んでいる、短髪になった木村千華がいた。腰まであった髪は耳が見えるほどまで短くなっていて、今まで一度も見たことがない彼女の頭の輪郭を知った。
髪が短くなっても彼女が彼女だと気がついたのは、その癖のない黒髪が綺麗なままだったからかもしれない。

「木村、どうしたんだよ」
走り寄り、彼女のすぐ傍で屈みこむ。肩を掴んで声を掛けると、木村千華は顔を上げてこっちを見た。
このとき受けた衝撃は、どうにも表現が難しい。泣いていたのだろう、頬には濡れた跡があったし、目も真っ赤に充血してしまっていたが、たった今我に返ったのか、こちらを見るその表情は驚きから、力がまったく入っていないごく自然なものだった。
初めてまともに顔を見た木村千華は、思っていたより遥かに幼い顔つきをしていた。
「……大須賀君」
意外なことに名前を覚えられていた。当たり前だが、名前を呼ばれたのも初めてだった。そして彼女が誰かの名前を呼んでいるところもまた、初めて見たと言える。
「どうしたんだこれ」
これとは勿論、彼女の切られた髪のことだった。この異常事態に浮き足立って、それしか聞けなかった。正直に言えば、彼女の素顔を知ったということもまた、異常事態に含まれていた。
一度口を開いた彼女は、声を出す前に俯いてしまった。
「嫌いに、なったから」
名前を呼んだときとは違う。目を伏せて、よく知るはっきりとした言葉ではなく、弱々しく小さな声で、彼女はそう言った。


28 :名無しさん@ピンキー:2010/02/14(日) 18:17:56 ID:EuCn9m2t
つまり自分の髪が嫌いになって、衝動的に切った、というのだろうか。そんな馬鹿な、という思いが瞬時に過ぎった。あんなに綺麗な髪だったのに。手入れも怠らず、この長い髪に拘りと思い入れがあったのではなかったのだろうか。
だが、思い入れが強ければ強いほど、一度嫌いになってしまえば、それはもう憎しみのように重く嫌ってしまうのかもしれない。それに似た経験が自分にあったから、反動が大きいということは理解ができた。
俯いたまま、黙ってしまった木村千華の、短くなった髪を見る。毛先の切り口はひどいもので、かなり乱暴に切ったことがわかった。
実は、相当気性の激しい性格をしていたんだなと、少し落ち着きを取り戻してから思った。そして繊細なのだろう、というのは、見たままというべきか。

彼女はここから動く気配がない。朝までこうしているのか、なんて心無い言葉を掛けるわけにはいかず、まず掃除でもしようぜと無難なところから声をかけるか、あるいは黙って掃除してあげるべきか迷ったところで、ちょっとした名案を思いついた。
「なあ木村、これから俺ん家来いよ」
言ってから、これまったく意味が通じないだろ、と自分で思った。やはり通じなかったらしく、俯いていた彼女は、顔を上げはしたものの、困惑するようにこちらを見るだけだった。
「ぼさぼさの髪、俺が整えてやるからさ」

その綺麗な髪が適当な扱いを受けているのが、個人的に気になってしまったのだ。せめて毛先くらい梳いてやろうと思うのは、彼女の綺麗な髪の密かなファンだったからであり、彼女の髪に触れる機会だという下心もあった。
それに、もう大分落ち着いているように見えるが、きっと心の中はまだぐちゃぐちゃなままだ。今まで好きだったものが嫌いになるというのは、とても大きな変化であり、一昼夜で整理できるものではないと思う。
傷心の彼女に、少しでも安らげる時間を提供してやりたい。そして、短い髪にも愛着を持ってくれたら、また自分の髪を好きになる機会も訪れるではないか、そんなことを考えていた。
きっと、嫌いになったものも、また好きになるときが来る。あんなに嫌いだった家業の理髪店が、改めて好きになった自分のように。