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最終話


「死ぬかと、思った。」

「馬鹿。腕を刺されただけでそう簡単に失血死すると思った?」

 俺にとってはじめての見舞いとなる百乃の言葉に、少しむっとした。
 目を覚ますと白い天井が見え、すわ天国かと早合点した俺は飛びあがってしまい傷口がもう一度開いたのはいい思い出だ。
 医者と看護婦にこっぴどく怒られ、次騒いだら拘束具ですと脅されてしまった。

「しかし死ななくて良かった。」

「……心配、かけたか?」

 百乃の口から、想像もしなかった殊勝な言葉が出たためこちらも思わず気を使ってしまう。
 元気がない百乃は、少し気持ちが悪い。

「近衛が死んだら椎名が殺人で捕まっちゃうじゃない。」

「……傷害でも捕まるぞ。」

 思わずため息を吐き、窓の外を眺める。
 蝉が鳴き、葉が茂り、青空が映える絶好の夏日。
 こうしてベットに寝てるのがひどく馬鹿馬鹿しく思えてくるほどいい天気だ。
 幸い失血量も多くなかったのか、体自体は問題なく作動する。
 唯一問題なのは左手で、包丁に刺された時に骨までやられていたらしく骨折扱いだ。

「椎名は、どうした?」

「……ショック、大きいみたい。」

 瞼をとじ、首を微かに横に振るう百乃にいつもの元気はない。
 俺に対しての悪態ですらいつもの勢いがないのだ。余程心配をしているのだろう。

「見てなくていいのか?」

「浅葱姫が見てる。……借り、出来たから。」

 忌々しげに呟くと座っていたパイプ椅子から荒々しく立ち上がって、何も言わずに出て行った。
 先輩に電話をかけて気を失った俺は、その後のことを百乃から大体聞いた。
 出ても返事がないことを不審に思った先輩が、どうやってかしらないが位置を特定。強襲部隊を率いて廃ビルに侵入。
 傷だらけの俺と、気絶している椎名を見つけたらしい。
 ……どこまで本当かは知らないけど、先輩のことだから全部本当のことだろう。
 そのあと先輩が懇意にしていた院長を頼って病院を手配。俺と椎名は即入院となったらしい。
 そして俺は数時間足らずで意識を取り戻し、一晩寝て過ごして今の状況になっているというわけだ。
 椎名は、カウンセリングを受けたらしい。
 判断能力に衰えはないし、社会不適合な思想も持ち合わせてはいない。
 突発的な行動として処置されるだろう。
 傷害事件ではあるが、表沙汰にはなっていないし、俺もことを大きくするつもりもない。
 先輩の手回しのおかげで外に漏れることもないという話だ。
 世は全て事もなし。これにて一件落着、といけるわけだ。
 しかし心の問題だけは違う。人間は自分が犯してしまったことを忘れられるほど器用な頭を持ってはいない。
 特に椎名は優しい娘だ。俺にかどわかされた結果と言えども自分のした行動を許すことなど出来はしないのだろう。

「……なんとか、しないとな。」

 夢は終わったんだ。それがいい夢だったか、悪い夢だったかは本人にしか分からない。
 ただ夢に引きずられ続けるのは少なくともいいことではない。
 だから全部に片をつけなければいけない。
 現実は苦しくて怖い。けど、いつまでも籠ってばかりはいられないのだから。
 よっ、と短く息を吐くと立ち上がって左手をなるべく動かさないように体の調子を見る。
 まだ縫ったばかりなので左手は固定されていない。痛みは走るが骨折には慣れている。
 他の箇所は幸い怪我はなく、いつもどおり動く。
 普段から修練を欠かさなかったが故に強靭な体が出来たのだと思うと、10年間は無駄じゃなかった。
 血が足りないせいかふらつく体に活を入れて個室から抜け出て、隣の部屋のプレートを見る。
 やはりそこには椎名の名があり、こんなところまでご近所さんを続けることになる運命に苦笑してしまう。
 軽くノックをしてから扉を開けると、呆然とこちらを見つめる椎名と先輩がいた。
 ふらつく体のまま椎名のベットの傍まで歩き、ベットに座りこむ。

「よ、よく歩けますね。近衛さん。」

 若干引きつった表情の先輩は、これはこれでレアな表情だ。

「いい治療を受けましたから。」

 麻酔なしで雑巾みたいに縫われたことを皮肉で返し、呆然としている椎名の頭を乱暴に撫でる。
 ついでに少し振ってやった。

「うぇうぇうぇいうぇうぇうぇい?!」

「何ぼんやりしてるんだ。」

 目を回している椎名に最後にデコピンをかましてやる。
 ……先輩、その能面のような表情は止めてください。怖いですから。

「椎名、何か言いたいことあるか?」

 出来るだけ、俺の最大限出せる限りの優しい声を出してみる。
 少し、気持ち悪かったがそれで椎名も落ち着いたのだろう。しょげた顔で指を絡め始めた。
 ……どれくらい時間がたったのか。数分か、それとも数時間か。
 時計がない世界は酷くゆったりしていて、とてもじゃないが慣れそうにない空間だ。

「あのね。」

 ようやく想いがまとまったのか、椎名は気まずそうに顔をあげるとこちらの目を見つめてくる。

「私、ぐちゃぐちゃして、かーっとなって。それで……傷つけて。許されないって分かってて。でも、でも。」

 思わず笑ってしまいそうになる。小学生でももう少しまとまってものを喋れる。
 それに根本からして違うのだ。

「椎名、違う。」

「え?」

 やれやれ、とため息をつきながらもう一度デコピンをかます。
 ……先輩、果物ナイフをじっと見つめないでください。本当に怖いです。

「悪いことをしたら、ごめんなさい。だろ?それでいいんだよ。」

「でも……。」

 口答えをする生意気な小娘にもう一度デコピンをかます。
 ……先輩、なんで果物ナイフ構えてるんですか?病院で刺されるとか洒落になりませんよ。

「悪夢は終わった。それでいいんだ、椎名。夢を、引きずるな。」

 そこまで言って立ち上がる。これ以上ここにいれば刺されかねない。
 それにこれ以上どんな言葉をかければいいかも、わからない。

「楊!」

「椎名。」

 振り向かず、扉を開けたところで手を振って言葉を告げる。

「またな。」

 閉ざした扉の向こう、椎名がどんな表情をしてどんな言葉を吐いたかは知らない。
 ただ俺は、いつもの平穏さが戻ってくるのを願うことしか出来ないのだから。

「さて」

 一度だけ軽くのびをし、左手にさわりがないことを確認すると窓の外を眺める。
 いい天気だ。クーラーの効いた室内にいるには勿体ないくらい、いい天気。
 だから

「修練するか。」