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457 :群青が染まる 07 ◆ci6GRnf0Mo [sage] :2010/04/24(土) 11:21:01 ID:VKzsM1qd

「そういえば、」
 馬車から見える相変わらず太陽を向いて固定された向日葵の群生を横目に、
ふとした疑問が口をついて出た何気ない昼下がり。
 寒いのも厳しいのだろうけれど、こう暑いと何をしていなくても汗が後から
後から滲み出てくる。
「ん? どうかしたか?」
 その疑問に間髪居れずに答えたのは、何度も肩が触れ合うほど真横に座して
いる手元に羊皮紙と羽ペンを抱えたマリンだった。
 彼女は暑いのか暑くないのか、それとも人と作りが違うのか、この輝く陽の
中でも平然としている。
 むしろ楽しんでいるようにも見受けられる彼女は、その通りに機嫌がいいの
か、随分と柔らかい返事を運んできた。
 ……もしかすると、何かあったのかもしれない。
 雲を掴むようなおぼろげな記憶と、雲を掴むようにおぼろげだったのに思い
出してしまった記憶。
「えー、と、」
 そんなわからないことはとりあえず置いて、こちらに向日葵のように視線を
固定しながら待つ彼女に照れくさいと感じながらも、荷車に積んである羊皮紙
を丁寧に仕分けていく。
「あったあった。これ」
 その中で選んだ一枚の羊皮紙に描かれている古い祠と、奉納されている竜の
爪の、あの絵を差し出す。
 この祠を最後に見たのはもう随分と昔のような気もする。
「何か違えているのか?」
「あ、いや、そうじゃなくて、これって本物なの?」
 それは、幼い頃からずっと気になっていたこと。
 初めて見たときはその大きさに恐怖したものだった、が、今となってはその
獰猛さのほうに目が行ってしまう。
「ああ、そういうことか、」
 相槌を打ちながら、何て答えたらいいのかと迷っているのだろうか、彼女が
一呼吸を置いた。
「それは偽者だ」
「え、じゃ、じゃあマリンのはもっと別の形をしているとか……?」
「ふふっ、そうだな、そ……ふむ、その前に」
 楽しそうに、本当に楽しそうに何か描こうとした羽ペンを止めて、もう一度
こちらに顔を向けた。
 あの森を抜けた辺りからだろうか、彼女が変わったと気付いたのは。
「随分と遅くなったが、ちゃんと名を聞いていなかったな。教えてもらえるだ
ろうか?」
「あ、う……」
 その不思議なほど心の中に入り込む声音に、耳まで赤くなっているだろうと
自分でもわかるほど顔が茹っている。
 恥ずかしくて、なのに心地がよくて、失くした様に言葉が出てこない。
「……、いやか?」

458 :群青が染まる 07 ◆ci6GRnf0Mo [sage] :2010/04/24(土) 11:24:56 ID:VKzsM1qd

「い、嫌じゃないよ! ト、トモヤ」
 途端に曇った顔に、慌てすぎてぶつ切りとなった名に心地悪いと想いながら、
「いい名だ。よろしくな」
 それでもあれほど嫌だった自分の名を、それだけで少し好きになれた。
 そうして、成すがまま握られた手は肌が決め細やかでさわり心地がよく、柔
らかくて、何度触っても描かれていた容易く何でも突き刺せそうな爪を連想す
ることはできなかった。

「あ、……」
 随分と触っていた事に、丁度すれ違った休ませるためか実りがない畑の側で
遊ぶ子供達の草笛の懐かしい音色で気付いた。
「もういいのか?」
「ご、ごめん!!」
「謝る事はない、気にするな」
 どうしても抜けない気恥ずかしさから視線を彼方へと移す、と見えたのは雲
が西から押し寄せる大空を我が物顔で舞う鳥達が見えた。
 彼女もこんな風に自由に、そして支配者として飛ぶのだろうか?
「……少し脱線してしまったな、話を戻そうか。主が想像していたのは、きっと、」
 それまで同じ方向を眺めていたマリンが羽ペンを手に視線を落とす。
 そうやって、書きなれているのか、羽ペンが踊るように描いたそれは、まさし
く自分が想像していた全てを弾くと思えるほどの固い鱗、捉えられたら抜け出せ
ないだろう鋭い爪、そして世界を覆うほどの翼を持った大きな体躯の“竜”とい
う生物そのものだった。
「こんなのだろう?」
 そのお世辞にも上手とは言えないけれど、目を引く絵に何度も、首が取れるの
ではないかと思うほど上下に振った。
「話せば長くなるが……、その質問に答える代わりに答えてもらいたいことがあ
る、いいだろうか?」
 その険のなさに、今度は気軽に頷く。
「うむ、それは楽しみだな。……では話そうか、竜とは何かということについて」
 笑みを浮かべている彼女は、まるで何か企んでいる子供のようにも見えた。
 ……そうやって笑う度に、惹き寄せられていく。
「この竜の爪は、姿形は本物を似せているが、素材が偽者ということだ」
「え、じゃあマリンもこんな爪を?」
 堂々巡りのように質問をもう一度繰り返すと、
「そう、焦るな」
 そうは言うものの、微笑みながら緩やかに首を振る。
「まずは竜の成り立ちから話すとしよう、竜は個で全でもあり、その生い立ちは
細胞分裂の限界を超えたときに所謂転生という事象を利用して生を成し、――」
「ま、待って! え、な、何……?」
「理解する必要はない、今はただそういうものだと聞いておけばいい」
「わ、わかった」
「要するにだ、竜には子孫、性別、排泄機能、生殖器、生殖機能は存在しないし、
必要ないものだ、……落胆したか?」
「い、いや別に!!」
 急に振られたやっぱり意味のわからない問いに首を慌てて横に振る。
「そうか、……安心した」
 安堵したその顔すら優雅で、不覚にも時間を忘れるほど見とれてしまった事を、

459 :群青が染まる 07 ◆ci6GRnf0Mo [sage] :2010/04/24(土) 11:26:22 ID:VKzsM1qd

「ならばどうやってその命を繋いでいくのか、」
 話しを続ける彼女の声で気付く。
「それは肉体の限界を巻き戻すことにより生という概念を紡いでいくのだ。だか
ら記憶を引き継ぎ、意識を引き継ぎ、我はずっと我であり、それ以上でもそれ以
下でもない。だが、」
 難しい話は耳半分に抜けていく、けれども、そう言った時の憂いを伴った彼女
は“何を”考えていたのだろうか。
 ……きっと自分の一生ではわかるはずもない事なのだろう。
「そうでありながら世代を経るたびに少しずつ意思を変えていくことにより世代
間の格差を持って時の流れに対応、……また、ずれてしまったようだな、話を戻
そう。我は過去においてこのような姿を取っていたのも事実だが、生の過程で当
然に進化と退化は存在する」
 描かれた竜の絵を指しながら彼女は続ける。
「そして我は、人間の姿を取ることを選択したのだ。これは進化であり退化でも
ある。力の弱まりはあるが、無用な争いを避けるうえではこれ以上の選択はなか
った」
「じゃ、じゃあマリンはこんな身体にも戻れるってこと?」
 話の焦点は掴めなかったが、彼女が今人の姿を選んでいるということだけは、
なんとか理解できた。
「そうだな、次の生への過程で戻ろうと思えば戻れる、が今は戻れぬ。細胞の組
み換えをしないといけないからな」
「なんで、人の姿に……?」
「今言ったように巨体では目立ちすぎて、格好の的になる。そうやって色んな種
族が人の姿を選択して人の中で生きている。生憎我は人の中で生きるためにこの
姿を取ったわけではないがな」
「そ、そうじゃなくて!」
 そうではなく、彼女がそうまでして探しているのは何なのか、なぜ探すのかと
いうことを聞きたくて、なのに、あの時とは違い直接に尋ねることは、どうして
もはばかられた。
「……そうだな、」
 そんな想いが伝わったのか遠く想いを馳せ、誰かに想いを馳せるように彼方を
向いたその顔は、こんなにも穏やかな日なのに、なぜこうも痛いと感じさせるの
だろうか。
 ……それは、わかりきっている。

「すまない、答えることはできない」
 どれほど経ったのだろうか、あれほど晴れていたのにいつの間に降り始めたこ
の季節にほとんどない小雨を伴ったその返事に、耳を塞ぎたくなった。
「そ、そうなの?! マリンでもわからないことってあるんだね!」
「ああ、……わからないことだらけだ」
 彼女の声はもう耳には届いていなかった、ただ、この情けない嫉妬心と空元気
が憎くて、心を爪のように突き刺し抉り取る。
 そして、何も言えなくなると、会話もそこで糸を真っ二つに切断するかのよう
に途切れた。

460 :群青が染まる 07 ◆ci6GRnf0Mo [sage] :2010/04/24(土) 11:29:47 ID:VKzsM1qd

 水溜りが出来るでもなく疎らに降り続ける滴の音を聞きながら、高まった神経
落ちつかせていた、そんな時だった、
「きおく、……過去をもらえるか?」
 水滴が髪については濡れ、服については重くする、うんざりする小雨の中で、
マリンの聞こえるか聞こえないかほどの呟きが、大気を僅かに振動させたのは。
「……」
「過去の、話をしてもらいたいんだ」
 それが約束だったと思い出して、怯える子供のように毛布に包まったままの彼
女に頷いた。
「そうか、楽しかった記憶を、頼む」
 そう言われて思い出すのは、苦い子供時代しか持たない自分にとっては一つし
か、たったの一つしかなかった。
「じゃあ、姉さんのことを、」
 それは霧が晴れたように思い出した一部で、過去にあの街で持った楽しかった
唯一の記憶。
「か、かぞくが、いたのか……?」
「そ、そうじゃなくて、昔、姉と呼んでた子がいたんだ」
 慌てて訂正するも顔を歪めたマリンは、何を思っていたのか、知る由もない。
「ね、姉さんとトオヤと出会ったのは、もう……」
 未だに何かを考えているのか喋ろうとしない彼女を横目に、指を折りながら年
月を数えていく。
「そうか、もう十三年も前になるのか……」
 幼い頃で忘れていて当然なのに、何でこうも思い出せるのだろうと輪郭を持っ
た過去に首を捻って、
「トオヤと初めて会ったのは、あの小高い丘で、」
 濡れた毛布のように重たくなった空気を晴らすかのように、意気揚々と話を続
ける。

 元々あの町の住んでいなかった彼女と会ったのはマリンとあった場所と同じあ
の思い切りのよい風が吹く、小高い丘だった。
 いつものように苛められて泣こうと訪れたあの丘で、見も知らない女の子が泣
いていた。
 それを初めは年下と思い、臆病な自分は彼女を慰めるという大儀の元に、友達
を作ろうと話かけた。
「その時のトオヤは泣いてばかりで、話にならなくて、」
 だけど、一向に泣き止まない女の子に次第に苛立ちを持ち、彼女の隣に座って
自分の考え事に逃げた。
 ……結局、自分のことばかりしか考えてなかった。
「慰めるはずが、自分も泣き出してしまって!」
 今でも恥ずかしくて笑いで誤魔化したくなるほどの思い出を、身振り手振りを
交えて話す。
「そうしたら、隣で泣いてたはずのトオヤが、」
 それは、自分より小さな女の子に逆に慰められたというオチだった。
 だけど、それからだ、彼女とよく遊ぶようになったのは。
 ……そういえば、彼女の本当の名前は何だっただろうか。

461 :群青が染まる 07 ◆ci6GRnf0Mo [sage] :2010/04/24(土) 11:32:35 ID:VKzsM1qd

「トオヤと遊ぶのは楽しくて、いつも夕方が過ぎて暗くなるまで遊んでたなぁ」
 そこまで話して、
 だけど祭りの日が近づくにつれてトオヤの周りには多くの見張りがつくように
なったことも、それはいつも抜け出して俺と遊んでいたせいだと、養父に罵られ
たことも記憶にある。
 不意に気付いた。
「それから、……」
 なぜ、トオヤと別れることとなったのかという自問に答えられないことに。
「え、っと、トオヤとは、草笛を吹いたりして、「もう、やめてくれ!!!」」
 その怒号は、雨を話を思い出を掻き消し、木で雨宿りをしていた鳥達が一斉
に飛び立つほどの声は、楽しいことすら話せなかった自分に向けられたものだ
としか思えなかった。

 ……今更ながらに、人として弱さを見透かされたようで、やるせない気持ち
になる。
「お、町が見えたでー。今の時季やと、豊穣祭にありつけるかもしれへんで!」
 だから、あのお喋りなハルが今まで一度も、たったの一度たりとて口を挟ま
なかったという奇妙な事実が過ぎりながら、助かったと、ただそれだけしか思
考に留めることはできなかった。