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590 :きみとわたる ◆Uw02HM2doE :2010/06/26(土) 00:37:37 ID:eVwVtCZL
「今日は三限で終わりだから」
「はい。それではまたその時にお迎えにあがります。里奈様、お気をつけて」
そう言うと桃花は車で去って行った。
「じゃあ行きましょうか、遠野君」
藤川さんは俺の手を取る。
「……はい」
またここに戻って来てしまったのか。俺は憂鬱な気分になりながら、
半年前まで通っていた大学の門をくぐった。



「おはよ~里奈」
「おはよ」
「あっ、藤川さんおはよー!」
「おはよう」
「おーい藤川~!」
「おはよう~!」
藤川さんが教室に入ると皆が彼女に声をかける。元々モデルになれる程のルックスだし、
あの藤川コーポレーションのお嬢様なのだ。良い意味でも悪い意味でも注目される。
「里奈、今月号の雑誌見たよ!出るんなら言ってくれれば良いのに~」
「いちいち言うの面倒臭いし。それに恥ずかしいのよ、そういうの」
「またまた~!前年度ミスコン覇者が何言ってるんですか!」
「あ、あれは誰かが勝手に応募したら受かっちゃって…」
ミスコンとはこの大学で毎年やっているコンテストのことだ。
去年彼女は二位に大差をつけて優勝した。
「そういえば藤川さん、今日の課題やった?」
「……アンタ、空気読めないよね」
「ええっ!?」
「今はそういう話の流れじゃないでしょ。ね、里奈」
「えっ?ゴメン、聞いてなかった」
「……この子は本当に首席なのかしら」
「本当に面白いな藤川は」
見ていて思う。彼女には人を引き付ける力がある。ライムと…少し似ている。
でも俺の前で見せる彼女とはあまりにも違いすぎていて…。
「そういえばいつも一緒にいるメイドさんは?」
「今日からは執事にしたの。彼がそうよ」
執事服を来た俺を指差す藤川さん。視線がこっちに集まる。
「…里奈様の執事の遠野と申します」
今朝、桃花に習った通りにこなす。
幸い俺と藤川さんは他学部だったので、俺を知っている人はいなかったようだ。
「執事とか初めて見たよ!何かカッコイイよね」
「雰囲気だけよ。…手、出しちゃ駄目だからね。アタシの所有物なんだから」
「藤川さん、たまに恐ろしいこと言うなぁ…」
「冗談に決まってるでしょ!ね、里奈」
「…そうだね」
「ったく、お前は本当に空気読めないな」
…もしかしたら、本当は誰も彼女の本当の姿を見ようとしていないだけなのかもしれない。
授業が始まるまで藤川さんはどこかぎこちない笑みを浮かべていた。


591 :きみとわたる ◆Uw02HM2doE :2010/06/26(土) 00:38:43 ID:eVwVtCZL
「…はい。それではよろしくお願いします」
三限が終わり校門の前で桃花に連絡を取った。迎えに来てもらうためだ。
勿論自分の携帯は奪われたので、今は藤川さんの携帯を使っている。
彼女は課題を出しに行っているので一人待機だ。
「……はぁ」
授業終わりということで人の波がやや多く、邪魔にならないように隅で待つ。
「これから毎日これか…」
知り合い会ってしまったら何と言い訳すれば良いのだろうか。
そんなことを悩んでいると会話が耳に入ってきた。
「そういえば知ってる!?鮎樫らいむ、長期休養だってさ!」
「知ってる知ってる!今朝のニュースでやってた!何か病気らしいよ!マジショック…」
咄嗟に声のした方を向くと女子のグループが帰っているところだった。
「しかも事務所が火事にあったらしいよ!一部の過激なアンチの仕業じゃないかってテレビでやってた」
「アンチとかいるの!?信じられない!」
「私あんまり好きじゃないなぁ」
「…アンタもしかして」
「わ、私な訳無いじゃん!?」
「ですよね~」
女子のグループは話しながら去って行った。
「………何だよ…それ」
ライムが休養?病気って一体何だ?事務所が火事にあったって?
一部のアンチの仕業?訳が分からない。頭がガンガンする。冷や汗が出ているのが分かった。
「…………」
そういえばしばらく新聞やテレビを見ていない。自分に用意された部屋にもなかった。
テレビはリビングにはあったが今朝はついていなかったし。
「まさか…意図的に…」
藤川さんが見せまいとしたのか。いや、そんなこと有り得ない。
それじゃあまるで、これから起こることを予知していたみたいな…。
「……先輩?」
何かが落ちた音がした。振り返るとそこには鞄が転がっており、
目の前には血に染まったような紅い髪をツインテールにした女の子が立っていた。
「先輩っ!!」
その子に思いっきり抱き着かれる。ライムのことで混乱していた頭がさらに混乱する。
「先輩っ!!会いたかったぁ!!先輩先輩先輩先輩先輩先輩先輩先輩先輩先輩先輩先輩先輩っ!!!」
「…回文」
周りの視線を全く気にせず顔を胸に擦り寄せてくる。
彼女のことは知っているが、大学で一番会いたくなかった人物だった。


592 :きみとわたる ◆Uw02HM2doE :2010/06/26(土) 00:40:22 ID:eVwVtCZL
彼女の名前は神谷美香(カミヤミカ)。
同じサークルの一つ下の後輩で自分で染めたという紅い髪とパッチリした目が印象的な女の子だ。
そして彼女は名前が逆から呼んでも一緒、いわゆる"回文"のため
サークル仲間からは「回文」とか「かいちゃん」とか呼ばれていた。
「心配しましたよ先輩っ!急にいなくなって!」
「…とりあえず離してくれ」
俺はまだくっついている彼女を引き剥がした。
「あ…」
「暑苦しいし周りが見てる」
正直に言おう。俺は彼女が苦手だ。
元々タイプが合わないのもあるが、一番は彼女の強すぎる積極性だ。
彼女がサークルに入った直後から、大学を辞めるまでずっと俺は彼女に付きまとわれた。
周りは羨ましいというが俺としてはいい迷惑だ。
藤川さんも多少止めてくれていたが効果は薄かった。
「…何ですか、その格好は?」
じっと執事服を見つめられる。やはり聞かれたか。
「えっと…実は大学は辞めたんだ」
「…やっぱりそうだったんですか」
正確には卒業したらしいが、よく分からないのでとりあえず辞めたことにする。
「それで…今はその…藤川さん、いるだろ?同じサークルの。彼女の家で執事として働いてる」
言いたくなかったが仕方ない。他に言い訳も思い付かなかったし。
「…………はい?」
キョトンとする神谷。まあ普通は理解出来ないだろう。俺も理解出来てない。
「…まあそういうことなんだ」
でも今は納得してもらうしかない。
「……ふ」
「…?」
「ふふふっ!あははははははははははははははははははは!!」
いきなり神谷は笑い出した。さらに周囲の視線が集まる。
「お、おい神谷!?」
「そういうことですか!分かりました!実に愉快ですね、先輩!!」
「楽しそうね」
藤川さんが戻ってきた。…最悪のタイミングで。
「…藤川センパイですか」
今さっきのテンションは何処にいったというのか。いきなりトーンを下げる神谷。
「アタシじゃ悪い?」
「いえ、別に。ただ…遠野先輩を執事にしているというのは」
「事実よ。まあ回文さんには理解出来ないかもしれないけど」
…何だろう。冷や汗が止まらない。
「……お前、狂ってるだろ」
「…なん、ですって?」
「狂ってるって…っ!?」
予備動作無しで藤川さんを蹴ろうとした神谷の足は
「お止め下さい」
突如現れた桃花の右手によって防がれた。
「…ありがとう桃花」
「いえ、当然のことでごさいます」
…マジかよ。俺は身体すら反応しなかったのに。
「ちっ…」
桃花と距離を取る神谷。一筋縄ではいかないと判断したようだ。
「里奈様、いかがいたしますか」
「所詮負け犬の遠吠え、取るに足らないわ。帰りましょ」
「かしこまりました」
戦闘態勢を崩さずこちらを睨む神谷に見向きもしない桃花。
「遠野君、行くわよ」
「は、はい」
藤川さんに手を取られ俺もその場から去る。
「先輩!安心してください!わたしが必ず」
車に乗り込む俺達に向かって神谷は叫んでいた。
「必ず助けますから!」


593 :きみとわたる ◆Uw02HM2doE :2010/06/26(土) 00:41:35 ID:eVwVtCZL

「…………」
ベッドに仰向けになる。俺はこれからどうするべきなんだろう。
「……ライム」
やはり一番気になるのはライムのことだ。昼間聞いた話は本当なのか。
いずれにしろ、一度ライムに会いに行かなければ。
「……よし」
時刻は夜の10時を回ったところだ。深夜にこの屋敷を抜け出そう。
とにかく今はライムに会いたい。…いや会わなければ。
「…そろそろ時間か」
藤川さんの部屋へ行くために廊下に出るとそこには桃花が立っていた。
「今、行きます」
きっと藤川さんの部屋へ行けとの催促だろう。そう思って立ち去ろうとする。
「一つ御忠告をと思いまして」
「忠告?」
「はい。前に私が申したこと、覚えていらっしゃいますか」
「前に…?」
「"里奈様を悲しませるようなことをしたら排除します"と申したことです」
今朝のことか。確かにそんなことを言われたような気がする。しかし
「覚えてるよ」
それがどうしたというのだろうか。
「それならば良いのです。お止めしてしまい、申し訳ありませんでした」
「…ああ」
今度こそ立ち去ろうとする。
「もしこの屋敷から逃げ出そうとお考えなら、腕の一本や二本は覚悟してください」
「っ!?」
振り返るとすでに桃花は背を向けて立ち去っていた。
「……偶然、だよな」
逃げ出そうと考えていたのを悟られた訳じゃない。そうに決まっているのに震えは止まらなかった。


594 :きみとわたる ◆Uw02HM2doE :2010/06/26(土) 00:42:41 ID:eVwVtCZL

アタシは腹が立っていた。昼間会った神谷美香のことで、という訳ではない。
確かに神谷美香は障害であるが脅威とまではいかない。
むしろ負け犬の遠吠えは心地良ささえあった。
「…終わりました。それではこれで」
「待ちなさい」
アタシが腹が立つのは何故遠野君がアタシに興味を示さないのか、ということだ。
自分で言うのもどうかと思うが決して魅力がないわけじゃないと思う。
ミスコンにも輝いたしモデルだってやっている。
確かにアタシより魅力的な人はいくらでもいるだろうが。
「キスしなさい」
「……」
「キス、しなさい」
「…はい」
キスをする。熱い。焼けてしまうくらい、溶けてしまうくらい。
こんなにも好きなのにどうして受け入れてくれないの…!
「ぷはぁ!…これからは」
「……何ですか」
「これからは二人の時、アタシのことは里奈と呼びなさい。アタシも君のことは亙って呼ぶわ」
「……でも」
「呼べないなら!」
「分かったよ……り、里奈」
「それでいいわ。今日はもういい。お休み…亙」
「…失礼します」
それなら。興味が無いなら持たせるだけ。
アタシより鮎樫らいむの方が良いなら、あの女を越えれば良い。簡単なこと。
「今に見てなさい。アタシしか見えなくなるんだから」
里奈はしばらく亙が出ていった扉を見つめていた。




深夜。屋敷は静まり返り人影は皆無。そんな屋敷の庭を一つの影が駆け抜けた。
「はぁはぁ…!」
全速力で走る。屋敷から門までは200mほど。全力で走れば25秒前後で辿り着ける。
服は執事服ではなく半袖に長ジャージという、屋敷で用意された寝巻だ。
「…っ!着いた…」
門は閉まっているが横の塀を登って行けば越えられる。
「後少し…!」
塀をよじ登り外へ出る。着地も上手く行った。
「…成功だ」
しかしまだ終わりではない。ここからライムのマンションまでは結構ある。
出来れば誰にも気付かれず戻ってきたい。そうすればまた抜け出せる。
「…とりあえず急がないと」
夜明けまで後5時間弱。俺は休む間もなく夜の闇へ駆け出した。