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182 :赤と緑と黒の話 第三話 ◆BaopYMYofQ :2010/07/03(土) 00:13:18 ID:J2m6B0rY
「私、お父さんに犯されたことがあるの」

その一言の意味を、理解するのに数秒を要した。

四年前へと話は遡る。

湊は幼い頃から容姿端麗で、発育も早く、ある意味歳不相応に成長していた。
中学に上がってすぐに多くの男子生徒たちの視線が湊に集まり、女子生徒の友人も多くはないがそれなりにいた。
だが至って普通の、一人の子供にすぎなかったのだ。仮にもしこのまま平穏に過ごせていれば、湊は間違いなく幸せだっただろう。
湊の母が仕事で出張し、一晩家にいなかった日の夜。湊はすでに就寝しており、自室の扉が開かれ、誰かが忍び寄って来るのに気付くはずもなかった。
掛け布団をそっと剥ぎ取られ、寝間着のボタンを上から一つずつ外されている最中、湊はようやく目を醒ました。
最初は何をされてるのかわからなかった。だが湊は一応は中学一年なりに、そういった知識は持ってはいた。
故に、男の手が自分の乳房にかけられた時、自分がどういう状況に置かれているのかを理解した。そしてひとつの結論にたどり着く。この家には私ともう一人、お父さんしかいない、と。

湊は自らの腹部に、制服ごしに両手を当て、なぞる。

「"ここ"にね、父さんのものが何度も、数えきれないくらい…嫌だって言っても、やめてくれた事は一度もなかった」

湊は言う。何より辛かったのは、信じていた相手、すなわち父親に蹂躙されたことだと。
父親による凌辱は、一度では済まなかった。隙を突いては何度も身体を弄ばれ、何度も胎内に注がれた。
湊の父親は、一切の避妊行為をとらなかったのだ。
ほどなくして湊は、胎内に命を授かる。誰にも望まれずして宿ったその命に、当然ながら湊は嫌悪感…いや、もはや言葉に表しがたいマイナスの感情を抱いた。
しかしそれを、誰にも相談できずにいた。悪阻も次第に酷くなり、隠し切れなくなってようやく母親は、湊の妊娠を察したのだ。

「でもね、お母さんは私を心配してはくれなかったよ。むしろ、お父さんの"愛"を私が一身に受けていたと解釈してた」

まもなく湊は医療機関で堕胎手術を受けさせられる。母親は医者の、「誰の仔だ」という質問に対し「男遊びの報いだ」と答えた。
この時点で、湊はおそらく世界でただ一人、自分しか存在していないかのような強い虚無感を抱き始める。誰ひとりとして、信ずるに値しないからだ。
湊は自分の身体を「汚らわしい」と思い始め、白い肌が赤くなるまで身体を洗い、何度も人目から逃げて嘔吐もした。
そんな湊にも、救いの手は差し延べられた。それが、中学二年で出会ったとある男子生徒である。

「あの人は私の事を綺麗だ、って言ってくれた。こんな汚い私を、好きになってくれたの」

そして湊はその男子生徒と付き合い始める。身体の繋がりはなく、友達以上恋人未満と言えなくもない関係だった。
ただそれでも、辛いことを相談し、親身になってくれる。それだけで湊は充分幸せだった。
だが、その幸せは長くは続かなかった。

男子生徒は校内でもそれなりに人気があった。しかし対して湊は、虐待に遭って以来人を避けるようになっており、徐々に校内での印象も悪くなる一方。
故に、"相応しくない"と湊を妬む女子生徒は多くはないが、存在していた。
校内に噂が流される。湊が以前、堕胎手術を受けた、という噂が。
男遊びをして出来た子を、ゴミのように棄てたのだと、人を介する度に噂は悪質さを増した。
噂を知った男子生徒は湊に対して、掌を返したように吐き捨てる。嘘つき。騙しやがって。汚らわしい女。その言葉の痛みは湊にとっては、ナイフで腹をえぐる、という例えすら生ぬるいほどだった。
実の父親による、性的虐待。卑劣で、残忍で、この世のどんな罪よりも重い(と俺は思っている)行為。
加えて、信頼していた相手からの拒絶、裏切り。
身体も、心も深く傷つけられた筈。表情にこそ出さないが、傷は癒えたわけではあるまい。

「暗い所に独りでいるとね…さっきみたいに"思い出す"の」

それはいわゆるトラウマ、という物なのだろうか。心の傷は簡単には癒えない。何年経とうと、刻み付けられた恐怖、苦しみは突然に襲い掛かる。


183 :赤と緑と黒の話 第三話 ◆BaopYMYofQ :2010/07/03(土) 00:17:07 ID:J2m6B0rY
「ごめんね、がっかりした?」
「…何?」
「私の身体、汚れてるから…先生だって、嫌だよね」

果たして性的虐待を受けた経験がある人間は皆、自分を"汚い"と卑下するのだろうか?
今の湊にはいつもの快活さは今は微塵もない。声のトーンは低く、視線も伏しがちになっている。嫌われる事を恐れているのだと、一目で感じとれた。
だが俺は湊が思うほど、湊に対してマイナスのイメージを抱いてはいない。何故なら、湊の理屈なら俺は湊以上に汚れているからだ。
実の姉と愛し合った過去。それは俺の記憶からは一生消えず、その事実もずっと残りつづける。湊は望んで汚れた訳ではない。しかし俺は、自ら望んで"堕ちた"のだ。
それを抜きにしても、俺は湊を決して"汚い"と罵ることはしないが。ただ、解らない事がひとつだけ残っていた。

「どうして、俺なんだ」
「…?」
「俺は教師で、しかも生徒に一方的にキスした、ろくでもない男だぞ」

言うなれば湊は、俺に対して恋愛感情を抱いているのではなく、子供が親に甘えるようなレベルの感情を抱いているのではないか?
そういった疑念が、頭の中を交錯した。

「………言ったよね。先生だけは私に優しくしてくれたから、って」
「そんなの、教師として当たり前だ」
「ううん。先生はね、いつも正直。誰に対しても、言いたいことを言う。ずっと見てたからわかるよ。
先生の優しさは上辺だけ、言葉だけの優しさなんかじゃない。だから、キスされても嫌じゃなかった。むしろ、嬉しかったよ。
私の事を心から求めてくれたんだ、って思えたから」

都合のいい解釈。だが、そうでもしなければ堪えられなかったのかもしれない。
なぜ、信じられるのか。裏切られ、傷ついてもなお、信じることをやめない?

「湊、覚えておけ」
「え……きゃっ」
俺は湊を、ほんの少し乱暴に(と言っても少し雑に、というほどに)畳の上に押し倒した。

「男ってのはこういう生き物なんだ」

お前の父親も同様にな、とは流石に言葉には出さなかったが。

「んっ……」

強引に唇を奪い、それからブラウスのボタンに指をかけ、わざとらしくボタンを二つほどちぎってみた。

………それでも湊は、身じろぎひとつしない。

「…怖くないのか、俺が」
「うん。だって、これからいっぱい愛してくれるんでしょ?」

普通、嫌がるんじゃないのか? 少なくとも俺は、そういうリアクションを期待していたのに。
嫌がってくれれば、それでよかった。そこから、湊の想いを全否定することができたから。
なのに湊は、まるで玩具の箱を前にわくわくしている子供のような表情を見せる。
黒い感情が、かすかに自分の中に湧き出るのがわかった。…いっそ、俺のものに---

「………ああ、その通りだ」

もう戻れない。そうして俺は…俺達は、身体を重ねた。

######

俺達にはたぶん、普通の恋人同士のように過ごす事はできないだろう。そんな事は始めからわかっていた。…わかっていたんだ。
なのに人とは得てして、最悪の結果から遠ざかりたいと願い、都合の良い想像、願望を抱くものだ。それは俺達とて例外ではない。
少なくとも俺は、湊とは普通の恋人同士のようでありたいと願っていた。互いに消えぬ傷を抱え、社会上あってはならない関係であったとしても。それほどに、好きになっていたんだ。


184 :赤と緑と黒の話 第三話 ◆BaopYMYofQ :2010/07/03(土) 00:19:05 ID:J2m6B0rY
毎週水曜日、俺達は茶道部室で愛し合うようになった。その蜜時は俺達にとって数少ない、互いを全力で求め合える瞬間だった。
最初の一回目こそ用意は怠ってしまったが、以後は必ず避妊具を財布に忍ばせておいた。湊は「先生の子供なら産んであげる」とは言っていたが(どこまで本気かは計りかねるが)、俺はそんなつもりはなかった。
身勝手だとは思う。けれど、湊は過去に妊娠し、堕胎した経験がある。そんな苦しみを、味合わせたくはなかったから。

水曜日。今日も、雨が降る。

底冷えし、いよいよ冬らしくなってきた12月の初頭に降る雨は、室内にいようと容赦なく身体を震えさせる。
"クラスメイトの一人が欠けた"1年5組は、いつになく静かで、暗く重苦しい空気だ。

「……みんな、とっくに知ってる者もいるかもしれないが。…水城が亡くなった」

ざわざわ、とわずかに教室内がうごめく。

「詳細は、現在警察が調査中だ。…一応、我が校としては学年閉鎖も検討されたが、明日以降も授業は普通に執り行われる」

現在、空席は三つある。ひとつは水城。残り二つは、桐島と秋津のものである。生徒には一切の詳細を明かさないよう言及されたが、俺は大雑把には詳細を把握していた。
当事者たる二人は今、自宅で休んでいる。誰もが、不自然に思うだろう。桐島と水城が友達以上の関係にあったことは、周知の事実。
その水城が殺され、桐島だけならまだしも秋津も欠席しているのだ。嫌が応でも、想像はされるだろう。男女関係のこじれ、だと。

「…俺からは以上だ。一時限目の英語は、自習とする。なにかあったら、副担任に伝えろ」

話を打ち切り、教室を後にする。
俺は今から、二人の自宅に向かい、詳しい話を聞きに行かなければならないのだ。表向きはあくまで見舞いだが。

最初に訪れたのは、桐島の自宅。親御さんが不在の中、ガキ一人で暮らすには大きめな一軒家の脇に車を停め、ドアの前まで来て呼び鈴を押してみた。
…返事はない。出られないのか? と思ったが、数秒の間をおいて、解錠される音がした。
ドアは開かれた。顔を出したのは、なんと秋津だった。
いや正確には、ショートヘアにくりっ、とした裸眼。疲れこそ見てとれるが、整ったその顔立ちは昨今のTVで頻繁にお目にかかるそれと同じだった。つまり、彼女は"仮装"を解いた姿で俺を迎えたのだ。
だが俺はけして、"秋山"とは呼ばない。そんな生徒は、"うちのクラスにはいない"からだ。

秋津は無言で、俺を住居内へと招き入れた。

「なぜお前がいる?」

秋津は何も言わない。かと思えば、スカートのポケットからメモ帳らしきものを取り出し、すらすらとペンを走らせる。

(真司くんが心配だから来たの)
「筆談? …秋津、お前まさか…声が…?」

秋津は俺の問いに、こくりと頷いた。

(今の真司くんはとても傷ついてる。今もベッドの中で、うなされてるわ)
「一体、お前たちの間に何があったんだよ」
(・・・全部、私のせいなの)


『うわぁぁぁぁぁぁぁっ!』

突然、叫び声が聞こえてきた。
秋津はハッ、として寝室らしき部屋へと駆け出す。俺も慌てて、秋津についていった。
秋津が扉を開けると、そこには普段の桐島とは大きく掛け離れた状態の桐島がいた。

「来るな、来るなぁ…っ! 僕が悪かった! だから…やめろぉ…っ!」

桐島は空を仰ぎ見て、訳のわからない事を口走る。その姿は誰が見ても、気が触れたように見えるだろう。
秋津はそんな桐島へと駆け寄り、優しく抱きしめようとする。だが桐島には現実の判別がつかなかったようで、乱暴に引き離され、秋津は床に転げた。
…よく見ると、秋津の手足には痣が少し、目につく。どうやら、こういった出来事は一度や二度ではないらしい?


185 :赤と緑と黒の話 第三話 ◆BaopYMYofQ :2010/07/03(土) 00:21:13 ID:J2m6B0rY
「秋津、桐島。…恨むなよ」

俺は暴れる桐島の手を力任せに押さえつける。必死の抵抗を試みてきたものの、隙を見て俺は膝蹴りを鳩尾に入れた。

「ぐっ……!?」

うめき声をあげ、桐島は気を失った。

「…さて、詳しい話を聞かせてもらうぞ、秋津」

這いつくばる秋津に手を差し延べ、身体を起こしてやる。秋津は抗議と疑念の混じった視線を向けてきたが、無視して部屋を出た。

ひとまずリビングで落ち着いた俺は、秋津の入れてくれた紅茶を飲みながら、秋津の書いたメモに目を通していった。
秋津が桐島を好きで、水城から"奪い返そうとした"こと。
それを知り、水城が秋津を殺そうとやってきたこと。
そして、"のえる"という実の姉が、秋津を守る為に水城を殺したこと。
その結果秋津は声を失い、桐島は半狂乱状態になったこと。…すべて、繋がった。

「なぁ、秋津。お前は…いや、何でもない」

幸せなのか? と聞こうとしたが、やめた。だが秋津は俺の顔を見て、何を言いたかったのかを察したようで、新たに書き綴ったメモを差し出してきた。

(私には真司くんしかいないから。真司くんは私が守る)
(それは他人からしたら幸せとは程遠いかもしれない)
(でも、彼のためだけに生きる。それは私にとって、最高に幸せな事なの)

不思議と、微塵も辛い、苦しいといった風には見えなかった。
手足に痣はあれど、今の秋津の表情はまさに、幸せに満ちあふれているように見えた。

「そうかい…ま、俺にできる事があったら。何でも言ってくれ。…担任としてだけじゃない、俺個人としても、な」

果たしてこの二人の間に、その必要があるのかどうかはわからない。だが秋津はにこりと笑い、

(ありがとう)と、言った。

######

外に出てみると、いつの間にか雨が降り始めていた。それだけでなく、か暗雲が立ち込め、ゴロゴロと遥か彼方で轟く音もする。

「ははっ…雷雨かよ。傘なんか持ってきてねえって」

まあ構いやしない。どうせ車があるんだ。傘を差す必要など、殆どない。俺は脇に停めておいた車に乗り込んだ。雨が降っても慌てず、身体が濡れても特に急いだりせずに。

「やっぱ俺には、誰かを守るってのは無理みたいだよ。…姉さん」

今はもう何処かもわからない、かつての想い人に対して俺は呟いた。教職に就いて4年が経つが、こんなにも自身の無力さを痛感したのは初めてだった。
生徒一人、死なせてしまったこと。もしかしたら俺が特別、気に病みすぎているだけなのかも。それでも、胸は痛むのだ。
…こんなとき、湊ならなんて言ってくれるのかな? そんな淡い期待をしつつ俺は学校へ向けて車を走らせた。

学校に着いた頃には水曜の授業は全て終了しており、部活動が始まっている時間になっていた。
俺は職員室に荷物を置き、副校長へ簡単に口頭での説明を済ますと、すぐに茶道部室へ向かった。
さすがに湊は今日は帰ったのではないか、とは微塵も疑わなかった。何の抵抗もなく開いた茶道部室のドアが、俺の期待が無駄ではなかったと教えてくれた。

「おかえりなさい、刹那」

そう言って、可愛らしい笑顔で俺を迎えてくれたのは湊だ。
二人きりの時は名前で構わない、と言ったのは俺だ。知ってるだろう? 俺は堅苦しいのが苦手なんだ。
ただ今この瞬間だけは、名前で呼んで欲しくはなかった。少しばかりおセンチな気分だったから、嫌でも姉さんの事を思い出してしまう。それがまた、胸の奥の古傷をえぐられたみたいでたまらないのだ。


186 :赤と緑と黒の話 第三話 ◆BaopYMYofQ :2010/07/03(土) 00:23:38 ID:J2m6B0rY
「…ただいま湊。俺、お前に知っておいてほしい事があるんだ」
「…それは、辛いことなの?」
「今はそうでもないさ。ただ、知っておいてもらいたい。…それだけだ」

それから俺は湊に、俺と姉さんとの間にあった出来事を全て話した。
実の姉と愛し合い、引き離され、一時期は屍のようになり、うわ言のように姉さんの名前を呼んでいたことも、全部。
全てを話し終えてもなお、湊は一度たりとも目を背けなかった。それだけで、救われた気分だった。

「苦しかったんだね、今までずっと」
「…湊よりは遥かに楽だよ。俺は、好きで受け入れたんだから」
「私にもあるよ。好きで受け入れて、裏切られたこと。刹那は、好きで受け入れて…引き裂かれた。似た者同士だったんだね、私たち」
「ははっ…そうかもな」

外の雨は一向に止む気配を見せない。俺達はどちらともなく、互いに暖めあうように身をすり寄せた。

「ずーっと、こうしていられたらいいのになぁ」
「さすがに風邪引くぞ?」
「むー、そんな事言わないでよ。ロマンのかけらもないなぁ」
「安心しろ、手放す気なんてないから」
「あ………うん////」


俺達はきっと、普通の恋人同士のように過ごすことはできない。だけど、幸せにはなれる。この時はまだ、そう信じて疑わなかった。それ程までに、今が幸せだったから。
しかし俺は、決して忘れてはならなかった。俺達の関係が、どれだけアンバランスな位置にあるのかを。

全てが壊れ始めるのは、もう間も無い。