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619 :ヤンデレ家族と傍観者の兄 ◆KaE2HRhLms [sage] :2010/07/11(日) 12:14:54 ID:Rvq4YAnq
*****

 今日、あえて休日の時間を潰してまで友人に付き合おうと思ったのは、興味が湧いたからだ。
 家族愛に似た感情である、兄妹愛について。 
 僕には兄妹愛という感情が無い。
 家族愛というものが、家族を思いやるもの、ということは漠然と理解できている。
 しかし、兄妹愛、または姉弟愛というものとなるとさっぱりだ。
 その言葉を聞いても、何の感想も意見もない。
 理解不能なものを知るために、妹の入学祝いを買いたいから手伝ってくれ、という友人の頼みを引き受けた。

 僕が知る限り、僕の周囲で兄妹愛に一番目覚めている人間は、彼だ。
 本来なら彼の家族構成上、弟妹愛とでもいうのがベストだが、言いにくいので兄妹愛に統一する。
 友人の名は――仮にロマンス君としよう。
 彼のあだ名というわけではないけど、彼の性格・特徴に対して本名が大人しすぎるので、便宜的にロマンス君とする。
 ロマンス君が、どれほど彼の弟と妹を愛しているのか。
 例えば、彼に今日の調子について尋ねてみると、その一端が見られる。
 驚くべきことに、自分のことではなくて弟妹の最近の動向について教えてくれるのだ。
 実例を挙げると、以下のようなやりとり。

「おはようさん高橋。今日も変わらないな」
「おはよう。君こそ右腕以外調子が良さそうだな。最近はどうだ?」
「ん、右腕以外か? この間久しぶりに妹と長々会話したぐらいだな」
「そうか、それは良かった」
「まさか弟じゃなくて俺と会話するなんてな。珍しいこともあるもんだ」
「いいことじゃないか。弟妹と仲が良いなんて」
「ま、悪いよりはいいさ」

 僕はロマンス君の体調について聞いたのだ。彼の弟妹について知りたかったのではない。
 妹と屋外のバス停で会話したとか、弟よりも先に妹を見つけて会話したんだとか、そんな詳細なことまで要求していない。
 彼には、自己の意識が薄いのだろうか。それとも、自己の意識が無いのか。
 尋ねた前日にたまたま仲の悪い妹と会話できたから、ロマンス君がそう答えてくれた、と考えることもできる。
 しかし、体調について尋ねる度に、的外れの回答を寄こしてくれるのだから、僕にはこう意識せざるを得ない。

 ロマンス君はブラコンだ。さらにシスコンでもある。
 比率としては、ブラコン三割にシスコン七割。もしくは四と六。
 根拠を裏付けるのは、今もまだ彼の右腕を包むギプス。
 彼の右腕がギプスに包まれたのは、事件に巻き込まれ、解放された翌日から。
 先月の事件では彼自身が監禁された。その後、彼は解放されている。
 解放されたのに、翌日には腕が折れていた。
 事件に巻き込まれたというのであれば、監禁された時点で腕を折られることは納得できる。
 犯人が、逃げられないように彼の腕を折ったのだ、と。
 しかし実際のところ、監禁から解放された後で腕が折れたというのだ。

 これはあくまで推測だが、可能性は十分にある。彼ならやりかねない。
 事件の渦中にある弟もしくは妹をかばったことで、ロマンス君は右腕を折られてしまった。
 彼の言うような、運悪く家具が倒れてきてこうなったという説明など、信憑性に欠ける理由だ。
 家具が倒れてきて右腕が折れる。可能性はゼロではない。
 だが、憂慮する必要もないほど低い可能性だ。
 よって、彼の右腕が折れた原因は弟妹をかばったためなのだと、僕は推測する。
 その推測をしてしまうと、自動的に彼は重度のブラコンでシスコンだということになってしまうのだ。



620 :ヤンデレ家族と傍観者の兄 ◆KaE2HRhLms [sage] :2010/07/11(日) 12:15:54 ID:Rvq4YAnq

 ブラコンでシスコンなロマンス君はというと、今日は妹を連れて待ち合わせ場所のデパートへやってきている。
 待ち合わせの時刻は午後二時。お互い昼食をとった後に落ち合おうと僕から提案した。

 僕がデパートにやって来たのは、昼食をとる人間が混み合う正午の三十分前。
 デパート内の手作りパン屋にて三品ほど買い、備え付けのテーブルで食事をとり、文庫本を読みながら時間を潰すつもりだった。
 メロンパンを食べ終え、二品目のピザパンにかぶりつこうとしたところで、僕は見た。
 ロマンス君と彼の妹の二人が、購入したパンをトレーに乗せて、テーブル席へ歩いてくるのを。
 どうせ昼食をとるなら待ち合わせ場所で、という思考に彼ら兄妹も至ったのだろう。
 そこで僕に挨拶してくれれば、一緒に食べるのも吝かではなかった。
 しかし、ロマンス君は僕に気付くことなく、僕の席から三つ向こうにあるテーブル席に腰掛けた。
 ロマンス君が僕に背中を向けて座った。彼の妹は彼の向かい側、僕の食事風景が見える席に着いた。
 このような位置関係では、ロマンス君が僕に気付くはずがない。
 彼の妹は僕を知らない。僕は自分の方から知人に声をかけて近寄っていくことはしない。
 そのため、お互いに一切声をかけることなく、それぞれの昼食は始まった。

 実を言うと、僕自身は昼食の時間にここまで楽しい気分になったことは久しぶりだった。
 学校が次年度への移行期間、春休みに突入してから、知人を目の前にして昼食をとることがなかった。
 誘えば付き合ってくれる人間もいるだろうが、僕はそうしない。
 わざわざ誘ってまでして、誰かと食事をとりたい欲求がない。
 僕は一人で食事することに慣れている。一人暮らしを始めて長いからだろう。
 今日は偶然にも、知人と同じ空間で昼食を一緒にとった。
 それを楽しいと感じられたのは、心中で一人飯を寂しく感じていたのだと自覚したから、ではない。
 たとえ見知らぬ赤の他人であったとしても、あの昼食時間は賑やかに感じただろう。

「お兄さん、そのパン美味しそうね。ちょっと頂戴」
「どうやってカレーパンを上手くちぎれってんだ――って、おい!」
「あ、美味しい。お家で作るのよりずっと美味しいわね。なんでかしら」
「……そりゃ、単にパン屋の人の腕がお前や母より上だってことだろ。
 あのな、カレーパンが欲しいなら追加で買って来い。俺のを食べるな。
 せめてだな、あー、えっとな、あれだ。ちぎってから食ってくれ」
「いいじゃない、お兄さんのケチ。それに一杯食べたら太っちゃうじゃない。
 目の前にお兄さんのがあるんだから、分けてもらうのが一番よ」
「……で、お前がかぶりついたこれを、俺にどうしろと?」
「どうしろ、って。食べればいいんじゃないの」
 
 このやりとりは、ロマンス兄妹の会話のごく一部だ。
 偶然にも、店内の客が僕とロマンス兄妹だけだったから、彼らの会話に不快な反応をする人間は居なかった。
 店先のレジを担当している女性は笑いを堪えるのに必死になっていた。
 焼きたてのパンを出しに来た男性は、優しく微笑みながら、ロマンス兄妹をたまに横目で見ていた。
 僕は能面を作ることについて、友人から定評がある。そのため表情に出すことはなかった。
 もっとも面白かったシーンは、ロマンス君が妹に仕返しをしようとしたところだろうか。
 二人ともパンを食べ終え、彼が、妹にさっきのお返しとして紅茶を要求した。
 そこで彼はグラスの中の紅茶を飲み干した。ストローを使わず、口を付けて飲み干した。
 ロマンス妹は、彼のアイスコーヒーを奪い取った。彼女もまた、彼と全く同じやり方で飲んだ。
 それを見たロマンス君の意味を成さない言葉と、戸惑う横顔が実に笑えた。
 彼にばれないよう、印象の薄いエキストラを演じていた僕にとっては、役を崩壊させるピンチだった。

 ともあれ、愉快な昼食の時間は終わり、僕とロマンス兄妹は待ち合わせの時刻まで別行動をとることになった。
 僕は篤子先生と向かい合っている気分で、テーブル席に着いたまま文庫本を読み続けた。
 午後二時五分前になったところでロマンス君に連絡をとり、僕は彼ら兄妹の待つ本屋へと赴いた。



621 :ヤンデレ家族と傍観者の兄 ◆KaE2HRhLms [sage] :2010/07/11(日) 12:16:47 ID:Rvq4YAnq
*****

「どうも始めまして。高橋です」
「いつも兄がお世話になってます。今日はヘタレな兄のお願いを聞き入れていただき、ありがとうございます」
 高橋と妹がお互いに頭を下げる。
 二人は今日が初対面。ならばこういった挨拶はあって然るべき。
 だが、どうして妹が挨拶の中に、わざとらしく俺への貶しを含んでいるのかがわからない。
 かしこまった場ではわざわざ身内を立てない、っていうのは理解できる。
 しかし必要以上に悪く言う必要もないんじゃないかね、妹。
「妹さんはお兄さん達と同じ学校に入学するんですって?」
「高橋さん、私に敬語なんか使わなくてもいいですよ。来月からは高橋さんも先輩なんですから」
「ああ。それもそうだね。じゃあ、いつも通りにするとしようか。
 そうか、二つ年下の後輩か。ということは僕もとうとう高校三年生になったわけか。
 早いものだね。ついこの間まで僕も君みたいな立場だったというのに」
「それは、もう高校に通ってるからそう思えるだけですよ。
 私なんか、ちゃんと勉強について行けるか、学校で上手くやっていけるか毎日不安です」
「安心したまえ。身銭を切ってまで妹に入学祝いを買ってあげるぐらいいいお兄さんだ。
 きっと君が助けを求めたら、文字通り飛んで駆けつけてくれる」
「それもそうですね」
 あははは、ははは、ははははは。二人につられて俺も笑う。

 高橋の野郎、まるで先日のことを見ていたみたいに言いやがる。
 たしかに妹が、「おにいさん助けて」なんてメールを送ってきた時は駆けつけたさ。
 身体の方が飛んだりしなかったが、意識は飛びそうなぐらいにはなった。
 妹が同じ高校に通うようになったら、果たして、俺に助けを求める機会も増えるのだろうか。
 授業で分からないところを聞いてくる、ってことは……無いはず。
 これまで、妹は勉強については自己解決する手段をとってきた。
 俺は教えていないし、弟は他人に勉強を教えられるほど成績優秀じゃない。
 教えを請われたら、教授してやってもいい。
 今までも弟の相手をしてきたんだ。一年生の学習内容を復習する意味でも、引き受けて損はない。

 妹がうちの高校で上手くやっていけるか。これについても、まあ、大丈夫だろう。
 俺や弟抜きで、中学校で問題無く過ごしてきたなら、同じクラスの友達がちゃんとできる。
 変な風に歪んだ奴がいないからな。進学校ではない、部活動に強い高校でもない。
 校内にあからさまな不良がいない。……あ、花火がいるか。金髪のロングヘアーの女。
 でもあいつの素行は最近大人しいそうだから、除外する。
 そういえば、同じ学年に美人なら誰でも声をかける女たらしがいたっけ。
 あのたらしは、もはや名前も浮かばないぐらい存在感が無くなってしまった。
 花火に手を出したのがあいつの運の尽きだったのか。無茶しやがって。



622 :ヤンデレ家族と傍観者の兄 ◆KaE2HRhLms [sage] :2010/07/11(日) 12:18:06 ID:Rvq4YAnq

 今日、妹の入学祝いを買うために高橋を呼んだのは、アドバイスを貰うためだ。
 何を送ればいいのか決められなかったから、高橋に助けを求めたわけじゃない。
 妹への贈り物を何にするかは決まっている。
 ただ、その贈り物のカテゴリーについて、俺の知識がほぼ皆無だったため、知識を有する高橋に相談したのだ。

「ところで、妹君はさっきお兄さんのことをヘタレと呼んでいたが?」
「ヘタレですよ。だって、入学祝い一つ選べないで、高橋さんに助けを求めるんですよ。
 ヘタレじゃなきゃボンクラです。ボンクラじゃなきゃカカシです」
「それは違うな。君のお兄さんはカカシじゃない。
 ただトラブルが襲いかかってきてもじっと見たまま、回避行動を一切とらないだけだ」
 衝動を堪え難い。ツッコミを入れたい。
 それをカカシというんだよ、ってツッコミたい。
「カカシじゃない? だったら、高橋さんは兄を何だと思ってるんです?」
 お前の兄だろうが。寝込みを襲うぞ毒舌女。舌を抜いてやろうか。
「鈍感とか向こう見ずとか、彼に相応しい言葉は色々あるが……どれか一つを選ぶなら、僕は友人にするね。
 君のお兄さんにどうこう言えるのも、休日に一緒にいるのも、僕と彼が友人だからだ」
「高橋さん、いい人ですね」
「いやいや、君のお兄さんには敵わないよ。僕程度では、とてもね」
 高橋は俺を見ると、唇だけで笑みを作った。
 高橋の台詞は皮肉ともとれる。だが、こいつがそう思っているのは真実だろう。
 俺が日頃どんな行動をとっているか、一部だけではあるが高橋は知っている。
 それと、弟や妹に対する接し方、他人に対する態度などを考慮した上で、皮肉っている。
 普段から高橋には、表情を変化させないことで、他人と半透明な壁を通して接している雰囲気がある。
 だが、半透明な壁の裏で、実は他人を観察し、考察している。
 年上好きで奇妙な話し方をする、ただの能面男じゃない。
 一言で言うと、馬鹿じゃないのだ。だからこそ、俺も高橋との会話に付き合っていられる。

「まあ、あまり彼のことを悪く言うものじゃないよ。
 僕の前で本音を出せないで、彼の悪口をつい言ってしまうのも、心情として理解できるけどね」
「それ……どういう意味ですか」
「失敬。口にすべきではなかった。ごめん、悪かった。
 だが、そこに居る君のお兄さんを見ていると可哀想になってね。
 ほどほどにしてやってくれ、と僕は言いたいのさ。彼に誤解させないためにも。
 兄妹の仲に口を出すべきじゃないと理解しているよ、もちろん。その上で言っている」
「わかりました。一応、聞いておきます」
「そうか。それは何より。
 では早速行こうか。妹君の入学祝いを買いに」
 そう言うと、高橋は歩き出した。行き先は、贈る予定の物を取り扱っている店舗。
 高橋には、入学祝いに何を贈るか、前もって告げてある。

 妹と並び、高橋の後ろをついていく。
 ふと、九時の方向から、妹に視線を向けられていることに気がついた。
 妹が何か言いたそうにしている。だが俺はあえて放置することにした。
 放置してから十歩ほど歩いた頃、脇腹に妹の貫手が刺さった。
「何無視してるのよ。……何か言うこと、無いの」
「行こうか? お前の入学祝いを買いに?」
「高橋さんと同じ台詞でも、その疑問系はむかつくわ。もういい。ほら、さっさと行くわよ、お兄さん」
 気がついたら高橋との距離は三メートルほど開いていた。
 その距離を、妹に手を引かれて早歩きで詰める。
 なんなんだ、この妹のおかしな行動は。俺に何を望んでいた?
 こうやって手を繋いで、デパートの中を歩きたかったとか? 
 まっさか。そんなこと、思春期に突入している兄妹がするもんじゃないよ。
 恋人とやるもんだろ、そういうのは。



6 :ヤンデレ家族と傍観者の兄 ◆KaE2HRhLms [sage] :2010/07/11(日) 12:31:53 ID:Rvq4YAnq

 入学祝いと言えば?
 この問い、実は定番と言える回答が無い。あえて贈るのに相応しいものを挙げるなら、学習に使う筆記用具やノートになる。
 しかし、筆記用具やノートだけでは、あまりにも簡潔になりすぎる。
 かといって、必要そうなものをなんでも贈ると、使われずじまいということになりかねない。
 そのため、俺が高校に進学した時のように、いくらかのお金を贈るというケースが見られる。
 無難と言えば無難。しかし、ちょっと味気ない感じもする。
 俺のように、学校では一切使用することのない、プラモデル工作用の工具を買い換える、という人間だって出てくる。
 前例があるので、妹の入学祝いにはお金以外の何かを贈ろうと決めていた。
 色々なものを検討した上で出した俺の結論は、これだった。

「腕時計?」
「そうだ。携帯電話があれば要らないと思うかも知れないけど、使い出したら便利なんだぞ。
 時刻を確認するだけなら、ちょっとだけの動作で済ませたいだろ?」
「……ええ。そう言われれば、そうかも。たまにケイタイを探したりするし」
「時刻を確認したい時に時計がないと、ちょっとしたストレスになるからな。
 高校では時計について校則も決めてないし、問題無く使えるぞ」
「そう。腕時計もいいわね。
 やけにお兄さんの言葉に説得力があるのが気に掛かるけど、気にしないことにするわ」
 そう言って、妹は時計店に入り、ショーケースに納まっている腕時計を物色する作業に入った。
 鋭い。俺の説明が流暢なことに疑いを持つとは。
 さすが同じ家に住んでいるだけのことはある。
 俺が腕時計について何の感心もないことなど、お見通しか。
 高橋に腕時計のメリットについて、予め聞いていなければ危なかった。

「上手い説明だったよ。さすが僕の友人だ」
「お前のおかげだよ。
 しかし、普段からお前が俺に腕時計を勧めてくるときの文句が、この場で上手く出てくるなんてな」
「それだけ君の中で腕時計という存在が大きくなっているということさ。
 どうだい。せっかくだから僕がここで、君に相応しいものを見繕ってあげようか?」
「金が無いからパス。それに持ちたいほどの興味が湧いてこない」
「そういうことなら無理強いはしないよ。ただ、覚えておいてもらいたい。
 腕時計は、ただ日付、時刻を確認するだけのものではない、ということ」
 高橋が左腕にはめていた腕時計を外した。腕時計を耳の近くに寄せ、一度頷く。
 そうすると、今度は俺の前へと差し出した。
「手にとって、耳で音を聞いてみたまえ」
「音だあ?」
「いいからやってみるんだ。それぐらいたいしたことじゃないだろう」
 腕時計を受け取り、言われたとおり耳に寄せてみる。
 小さな音が忙しなく連続している。それに、音が重なっているみたいだ。
 なんとなく、中で複雑な動きをしてそう。
「この音がなんだって?」
「自動巻きの機械式腕時計、というタイプの時計さ、そいつは。
 機械式と呼ばれるだけあって、電池が内蔵されていない。
 多くの電池式時計はチッチッチ。僕の機械式時計はチチチチチ、という音を立てる。
 その中にはゼンマイがある。それの力で時計の針を動かしているんだ。
 ゼンマイは、腕に時計を付けていれば、意識しなくても自動的に巻かれる。
 ただし、一日二日着けていなければ、ゼンマイは力尽き、針は時を刻まなくなる」
「なんだそりゃ。そんなめんどくさくて使えない代物を、なんでわざわざ使うんだ?」
 腕時計を高橋に返す。高橋は左腕にするりと時計をはめた。



7 :ヤンデレ家族と傍観者の兄 ◆KaE2HRhLms [sage] :2010/07/11(日) 12:33:34 ID:Rvq4YAnq

「簡単に言うなら、愛着がある故に、かな。
 日頃から着けていなければ止まってしまう。それなら毎日身に着けよう、という気になる。
 そうした、仕方がないから、という気持ちからも芽生えていくものなんだよ。愛着っていうのは。
 何も機械式時計に限った話ではない。電池で動く時計であろうと、もちろんそれ以外のものであろうと。
 話が大きくなるけど、人間に対しても同じ事が言えるのではないかな、と僕は考えている。
 愛着は、好きという純粋な気持ちだけで生まれるとは限らない」
「男と女に関しても、か?」
「お互いが人間同士であるなら、僕は肯定するよ。
 そう簡単な話でもないけどね。物と違って、人間には意志と、意志に従う身体があるから」

 高橋が時計の物色をする妹の方へ歩いて行く。
 二人が時計についてあれこれ話しているのを見届けてから、ショーケースに鎮座する腕時計を見る。
 値札を見ると、四つのゼロが並んだ先に、五がくっついていた。
 五万円もあればエアブラシのコンプレッサーを買い換えられる。それもグレードの高いものに。
 そんな考えに至っている限り、俺に腕時計の価値は理解できないだろう。

 だが、高橋の説明を聞いて引っ掛かるものがあった。
 仕方がない、という気持ちがきっかけで芽生える感情――愛着か。
 今更、本当に今更だが、こんなことを考えた。
 あの日、葉月さんに告白され、流されるまま付き合ったら、俺もいつの間にか葉月さんを放っておけなくなり、彼女に愛着を抱くのだろうか。

「お兄さんちょっと来て! いくつか選んだからお兄さんの意見も聞かせてよ」
「お、おう。今行く」
 ――考えても詮無いことだ。
 それとも、今頃葉月さんのことが気になり出したのか?
 バッカじゃねえの。
 馬鹿じゃないの、お兄さん。
 君は馬鹿なのか? いや、馬鹿なのか。
 俺の罵倒に、脳内の妹と高橋のそれが続いた。
 葉月さんが俺に告白してきたのは、とっくの昔なんだ。手遅れだ。
 本当に惜しいのなら、今からでも葉月さんに告白しにいけばいい。
 どうせ、行けないだろうけどな。
 告白する勇気を奮い立たせる意志が無いんだから。



8 :ヤンデレ家族と傍観者の兄 ◆KaE2HRhLms [sage] :2010/07/11(日) 12:34:24 ID:Rvq4YAnq

「高橋さん、これとかどうですか?」
「レディースモデル、クオーツ、ソーラーチャージ、派手すぎない銀ベルト、か。
 彼の予算内で収めるなら、このタイプであればどれを引いても外れは出ないよ。あとは、どのデザインにするかという一点だけだ」
「そうなんですよね。三つぐらいに絞り込んだんですけど、どれにしようかなあ」
「好きな色はあるかい?」
「嫌いな色が無いんですよ。黒も白も好きだし、カラフルなのも」
「ふむ。それはなかなか難しいな」
 ショーケースの上に並べた三つの時計を前に、こっちいい、でもこっちもいい、と妹が試着を続ける。
 高橋は基本的に口を開かないが、アドバイスを求められると自分の意見を口にする。
 ふうむ。この二人を見ていると、こう言いたくなってしまうな。
「お前ら、デート中のカップルみたいだぞ」
 とてもお似合いだ、という続きの台詞は、妹のとっても怖い顔を見たら、喉の奥に引っ込んだ。
 頼むから眉を歪めるな。目を剥くな。お前のそんな顔を見ると母を思い出してしまう。
「ふざけたこと言ってないで、あんたもアドバイスしなさいよ。このカカシが」
「言っていいことと悪いことがあるだろう。今日の君にはデリカシーが欠け過ぎている。
 他人の気持ちを読み取ろうと思わないのか、ロマンス」
 高橋が俺に向かって不快感を露わにしている。言葉と表情の両方で。
 普段なら言及している高橋の台詞に対しても、もはや一言も浮かばない。
「だいたい、入学祝いを贈るとか言っといて、自分で選ばないとか、主体性がなさ過ぎじゃないの。
 それとも何? 私への贈り物なんかどーでもいいって?」
「そ、そんなわけないだろう!
 よ、よーし! それなら俺が妹にピッタリの時計をチョイスしてやるぞ!」
 
 妹が選びかねている、三つの時計を見る。
 一つはスクエアタイプで、ガラスの縁にライトブルーの線が引かれている。
 二つ目はラウンドタイプで、文字盤の色が黒。大人しい佇まいだ。
 三つ目もラウンドタイプ。ただしこっちはガラスの縁と、白い文字盤に浮かぶ文字が薄いピンク色。
 このうち一つと言われたら迷う。俺が妹の立場でも迷う。
 外れがない。選んだものが自動的に正解となる。
「一つ言っておこう。これは責任重大だぞ。
 何せ妹君がこれから身につけるものだ。女性が身につける物は、当人のセンスを表している。
 投げやりに決めるなよ。妹君の高校生活が、ここで決まると言っても過言ではない」
「それはさすがに、言い過ぎなんじゃないかと思うんですけど……」
 プレッシャーをかけることには長けやがって。
 こうなったらもう、直感で選ぶしかない。
 ブルー、ブラック、ピンク。
 一瞬でもどれかの色が脳裏に浮かんだら、その色の時計を選ぶ。
 さあ、どれが最初に浮かぶ――――?
「お兄さん、別にそこまで悩まなくてもいいわよ。
 どれを選んでも、最後には私が決めてあげるから、ね?」
「優しいな、妹君は」

 ――――あ。色、浮かんだ。



9 :ヤンデレ家族と傍観者の兄 ◆KaE2HRhLms [sage] :2010/07/11(日) 12:35:48 ID:Rvq4YAnq
*****

 兄妹愛について、ロマンス兄妹を観察していたら、ある程度理解できた。
 友情をブレンドした家族愛、という感じだ。
 お互いに助け合おう、カバーしよう、という情の厚さ。
 言いたいことがあっても、言う必要のないこと、相手を傷つけることは言わない。
 同じ世代に生きる者同士、近い感覚を有している。
 そして何より、なんだかんだ言い合っていても、最後には許してあげようという心情が奥底にある。
 家族という土台がまずあって、その上に友情が築かれている。
 家族の情は、親からの一方的ともとられる思いやりの心で破綻しかねない。また、子の独立心からの反発で破綻するかも。
 いくら厚い友情があっても、その関係は時間的・距離的な離別が続くと薄れてしまう。
 兄妹愛は、家族愛と友情のいいところをとったものだ。ロマンス兄妹を見ているとそう思えた。
 ただし、兄妹愛にも破綻は起こりうる。
 決定的な理由で相容れないと分かったら、友情は崩れ去り、家族という繋がりが残るだけの関係になってしまう。

 僕には姉が一人いる。
 性格をはじめとして、いろいろと破天荒で、浅慮で、運が強く、とにかく前しか見ていない人。
 僕と姉の間に、ロマンス兄妹のような姉弟愛があるか。
 あると言えば、ある。
 両親に言えないことも、姉に対しては気安く言えたりする。
 他には、僕自身が姉の行動に対してある程度の理解を示している、とか。
 しかし、彼ら兄妹と全く同じかというと、そうではない。
 ロマンス君に対して、彼の妹はかなり踏み込んで接している。
 それはもう、兄妹の壁をぶち破りそうなほどだった。
 兄をなんとも思っていないように僕に思わせるために、兄のことを悪く言うなんて、ツンデレの行動パターンだ。
 どうやら僕の知らない間に、ロマンス兄妹の間にロマンスっぽい出来事があったらしい。
 彼ら兄妹にはあっても、僕と姉の間にはそんなものは一切無い。
 先日姉から送られてきたメールには、「大学受験頑張れ」、なんていう早とちりにもほどがある文章が含まれていた。
 僕は来月になってようやく高校三年生だというのに。
 姉と付き合う人はきっと大変だ。
 付き合った一日目から結婚式場、出産する病院、定住したい土地まで決めることになるだろう。
 そんなことを考えると、姉が行き遅れるのではと心配になってくる。
 これも姉弟愛なのかもしれない。

 きっと、姉弟愛なんていうものは意識しないうちにできるものなんだろう。
 そう思うと、姉弟愛があるかないかなんて、くだらない問題になる。
 そんなものは他人が見て判断することだ。当人はただ、姉弟の関係を続けて生きていくだけだ。
 僕と姉の間に愛が無くても、これまでの関係は何一つ変わらない。



10 :ヤンデレ家族と傍観者の兄 ◆KaE2HRhLms [sage] :2010/07/11(日) 12:36:49 ID:Rvq4YAnq

 携帯電話に着信があった。ロマンス君からのものだ。
 彼ら兄妹はまだデパートにいるはず。
 僕は、所用を思い出したので帰る、と言って二人を残して帰ることにしたのだ。
 ロマンス君の念願が叶って、彼は妹と二人きり。邪魔者は退散するに限る。
 こうして彼が電話してきたと言うことは、今なら邪魔にならないということだろう。
 電話に出る。
「君か。妹君はどうしたんだ、電話する暇があるのか」
「あいつならトイレだよ。ありがとな、今日は」
「どうした、かしこまって。礼ならさっきも聞いたんだが」
「いや、妹の奴がものすごく上機嫌なもんだから、まだ感謝が足りない気がしてさ。
 お前が居てくれて助かったよ。俺一人じゃこうはならなかった」
「君がそう言うなら、感謝を受け取ってあげるとするか」
 本当に鈍いな、君は。
 きっと妹君は、僕が居なくても喜んだに違いない。
 君が時計を選んでくれれば、同じようにはしゃいでいたはずだよ。

 ロマンス君が選んだのはスクエアタイプの腕時計だった。
 彼の妹が最終的に選んだのも、同じもの。
 彼女はロマンス君からのプレゼントが欲しかったんだ。
 彼が、自分のために悩んで選んでくれた、唯一の腕時計。
 プレゼントは気持ちが大事と言われるのはね、物に込められた思いやりの気持ちこそが最高の贈り物になるから、なんだよ。

「わかりやすい実例だよ、まったくね」
「ん、なんだって?」
「なんでもないよ。また何か用事があったら呼んでくれ。
 君が腕時計を選びたくなったら、優先順位を最上位に上げて対応してあげるとも」
「そこまではしなくていいんだが……その時が来たらよろしく頼むわ」
「ああ。それじゃあ、また」
 お決まりの文句を言った後、電話から耳を離す直前になって――それは割り込んだ。



11 :ヤンデレ家族と傍観者の兄 ◆KaE2HRhLms [sage] :2010/07/11(日) 12:39:46 ID:Rvq4YAnq

 小さい声だ。明らかにロマンス君の声とは違う。
 携帯電話本体の近くから話しているわけではなさそうだ。
 デパート内部の賑わいに混ざってしまい、かすかな声しか聞こえてこない。
 無視しても良いはずの声なのに、どういうわけか僕には無視できなかった。
「――あれえ? ――が繋がらないと、――たら、電話――――たのね。
 いけな――、私の電話にはすぐに出てもらわないと」
 声が少しずつはっきりになっていく。携帯電話に声の主が近づいたのだろう。
 女性の声だ。ロマンス君の知り合いだろうか。
 特定は難しい。クラスメイトの女子ならば、ほとんど分かるのだが。
 ロマンス君へ何が起こったのか問いかける。
「どうしたんだ、君の友人にでも遭遇したのか?」
「いや……うん、知り合いだ」
「声が上擦っているぞ。知り合いなら名前を教えてくれないか」
「……あの、なんで、そんなこと、してるんだい」
 今のは僕へ向けた言葉ではない。
 演技でこんな声を出せるなら、ロマンス君はホラー映画に出演した方がいい。
 それほど彼の様子は緊迫していた。声には怯えが混じっていた。
 ただ事ではない。彼の前に何者かが現れ、何かをしている!
「言え! 君の前には一体誰がいるんだ! 早く言え!」
「……葉月さん」

 葉月、さん?
 葉月さんというと、眉目秀麗の彼女がロマンス君に恋したきっかけを突き止めた者には金一封を差し上げる、
とまでクラスメイトに言わしめるほど、周囲の人間を混乱に陥れた葉月さんか?
 彼女は一体何をしたんだ? ロマンス君をうろたえさせるほどのことをした?
 電話からでは状況がわからない。
 僕の居る場所からデパートへ戻るには、時間がかかりすぎる。
 今のロマンス君に状況説明はできない。
 ――どうする?

 何かが床にぶつかって跳ねる音が、一回。いや、二回聞こえた。
 重い音ではなかった。かなり軽い、手が滑って携帯電話を落としてしまった次の瞬間に聞こえる音だ。
「もしもし、今の音は? 何を落としたんだ! おい!」
「――さて、なんでしょう?」
 声を聞き、反射的に喉の筋肉が収縮した。
 葉月さんの声だ。ここまで声がはっきりしているということは、ロマンス君の携帯電話は彼女の手の内にある。
 じゃあ、本来の持ち主の彼は、今どうしているんだ?
「ごめんなさい。彼はあなたとは話すことがないんだって。今度直接会った時に話すって」
「か、彼は……どうしたんだ」
「無事に決まっているでしょう。私が彼を傷つけるはずがないじゃない。
 もっとも、あまり聞き分けがないようだと、どうするか。私にもわからないけど」
「君は、葉月さん、か?」
「そう。でもね――彼はもうすぐ私の名前を呼ぶようになるわ。うふふ、ねっ、そうでしょう?」
「君は一体、何を言っているんだ」
 葉月さんはロマンス君のことが好きなんじゃなかったのか? 
 僕の知らないところで、彼と葉月さんの間に何かが起こっていた。
 それは彼女の声をここまで、異常にしてしまうほどだった、と?

「あんまりゆっくりしている時間が無いから、切るわ。さようなら」
「あ、待ってくれ!」
「……ただいま、この電話は使われておりません。申し訳ありませんが、もう一度お確かめになっても、誰も出ることはありません」
 葉月さんの演じる機械音声が終わると同時に、通話が終了した。

 最後に聞こえたのは、携帯電話をへし折る音だった。