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80 :兎里 ◆j1vYueMMw6 [sage] :2010/07/13(火) 10:51:28 ID:MBxK7szr
12話「Our Love And Peace 後編」


『Kyoro』という名前の喫茶店のテラス席に、俺たちは座っていた。入り口の横、商店街の通りに面して、というよりは、通りに無理矢理スペースを作ったと言った方が正しいであろう、素人目にもあからさまな後付の席だった。
近くのホームセンターで買ってきた様な、安っぽい塗装の柵と椅子と机。案の定、椅子の背もたれには、最近オープンしたばかりの大型ホームセンターの名前が刻まれていた。
 二人がけのテーブルで女の子と向き合うのは初めての経験で、流石の遊佐といえど、どこかむずがゆく感じる。どうやらそれは遊佐も同じらしい。注文の時に声が裏返ってたし、さっきから視線が泳ぎっぱなしだ。
 ただ、遊佐がピーチティーをストローを使わずに、一口で半分以上飲む姿を見て思わず笑ってしまい、いつもの二人に戻ることが出来た。
「で、なにがあったわけ?」机に上に組んだ手に顎を乗せた遊佐が、にやけ顔で訊いてくる。
「別に」
 反抗期の子供をあやす様な顔付きで、遊佐は俺を見つめていた。やれやれ困ったな、というよりは、うんうんそうだよね、というような余裕を感じる。
「初めて会った時って、覚えてる?」
「いきなりだな」ごまかそうとして笑うが、睨まれたので、諦めた。「高校のバレー部の親睦会です」
「違う。中2の夏季技術講習会でしょ」
「そんなものもあったような、なかったような」
 本当のところ、俺はそれを憶えていた。いくつかの実業団を招き、新入生の技術習得と、2,3年生の技術向上を目的として講習を行う、という名目のものだった。
講習と言ってもホワイトボードを使って教えるものではなく、主に実演である。『プロのレシーブやスパイクを見て新入生をその気にさせる会』、と言った方が適切かもしれない。実際、俺がそうだったからだ。
「あったのよ。あたしはね、1年の時は法事で出れなかったの。だから、その年が初参加だったのよ」残り僅かなピーチティーを躊躇い無く飲み干すと、遊佐は中学校の名前を口にした。
どこか聞き覚えがある、と考える。「あんたのとこの姉妹校にあたるんでしょ、確か」
「そういえば、うちの中学は何十年も前に分裂したって誰かが言ってた」
「それよ。なんでも、人数が多すぎたり、通学の不便さから分けたらしいわよ」
「いや、でも市が違うだろ」
「私たちが小さい時、市も分裂したでしょ。・・・まさか、知らなかったの?」
「・・・それで、それがどういう関係?」
「学校同士仲良かったから、講習会の時も一緒に組んでやってたでしょ。それぐらいは憶えてるわよね?」
「思い出した」
「もういいわ、それで」
 ふと、俺の中にとある心当たりが浮かぶ。堰を切ったように、当時の情景が目の前を通り過ぎていく。あの時の嫌な空気や、気持ち悪い冷や汗も、同時に再現される。
「もしかして、模擬戦がどうとかって話になりますか?」
「あら珍しい。察し良いじゃない」
「マジで勘弁してください」

 講習会では恒例の行事として、1年生同士の模擬戦がある。模擬戦と言っても、入部してすぐの1年生でチームを組むのだから、内容的には体育の授業のレベルと変わらない。
そういう理由だったり、不足した人数を補うためだったりで、どのチームにも1人や2人、上級生や実業団のプレーヤーが加わっているのだが、その時は偶々、俺がチームに参加することになった。
 お遊び同然の試合の上、上手いこと1年をフォローすれば、先輩としての評価が上がる。これほどおいしい状況でバレーが出来るなんてことは、そうそうない。俺は小さな見栄を最大にまで広げ、並々ならぬやる気を出していた。
 結果だけ言えば、とんでもない空振りに終わる。しかも、空振ったバットが相手ベンチに突っ込むような、最低の所業を成し遂げることになる。
「もしかして、あの時の相手って」
「うちの中学よ。1試合目は練習で組んだところとやるっていうルールだしね」
「もしかしてあの時の眼鏡さんって」
「あたし」遊佐は笑っているが、その笑みには暴力的な脅しのようなものが混じっている。



81 :兎里 ◆j1vYueMMw6 [sage] :2010/07/13(火) 10:52:09 ID:MBxK7szr
 1年生同士の試合のレベルというものは、俺が予想したものよりも遥かに低かった。レシーブなんて上に上がればいいほうだし、大抵はサーブだけで点数が入った。
アタックの『ア』の字も無いような試合に、俺のフラストレーションは溜まっていく。
 そして、その時が来る。1年生のレシーブが偶然、ネット手前に高く上がったのだ。それはまさに、2アタックしてくれと言わんばかりの球で、俺は鬱憤を足場にし、高く飛び上がった。
 次に俺が目にしたものは、相手コートの中央で大の字に寝そべっている女子の姿だった。その後、彼女の横に転がった、綺麗に真っ二つになった眼鏡に目がいく。駆け寄る人々。ざわつく会場。冷や汗。
 それからどうなったかは、あまり憶えていない。何度も頭を下げて謝ったことと、念のためということで連絡先を書かされたことぐらいは、かろうじて記憶の片隅にあったが、それだけだ。
「模擬戦で全力スパイク打つだけでもどうかと思うけど、か弱い女の子の顔面に直撃させるなんて、どこの鬼畜よねぇ?」
「穴があったら入りたいっす」
「あたしが埋めてあげよっか。で、地面から顔だけ出して、あの時の百倍蹴っ飛ばす」
「いっそ死にたい」
「50発あたりで死ぬんじゃない?」
「できればもっと早めに殺していただきたい」
 遊佐が言うと冗談に聞こえない。無論、そんなことを口に出せばそれこそ殺されかねないので、言わない。



 それにしても、あの人が遊佐だったなんて、思ってもみなかった。高校で遊佐に会ってから、何度か昔を思い返すことがあった。
初対面の人に、「ここであったが百年目」と言われれば、誰だって過去に何があったか思い出そうとするだろう。しかし、何度振り返ろうと、俺は心当たりを見つけることが出来ずにいた。
 それも仕方の無いことだ。今の遊佐に、当時の面影はまったくない。昔の遊佐は、遊ばせた肩下までの髪を茶色に染めており、僅かにウェーブがかかっていた。
赤色の太いフレームの眼鏡をかけ、遠目から見てもわかるほどに厚い化粧をしており、いわゆる『ケバい』という部類に入る女子だった。
 対して、今は正反対といえる。髪も短くなり、色も黒く、化粧などしているところをみたことはない。
「ここまで変わったら、気付けっていう方が無茶だよ」
「あの頃は、まぁ、荒れてたというか、なんというか」
「今時の非行少女ってバレーボールするんだな」
「あー、うっさいうっさい」こんなにバツが悪そうな遊佐を見るのは初めてかもしれない。「とにかく、あたしがバレー一筋になったのも、全部アンタのせいってことよ」
 要するに、復讐したかったってことか。『俺の顔面にスパイクを打ち込みたい』という欲求が、目の前のスポーツ少女を作ったかと思うと、なんだかとんでもない過ちを犯してしまった気になる。
「ま、でもさ、そのお陰であたしは更生できたんだから、ある意味感謝してるわよ」
「感謝ねぇ」
「そ。だから、チャラにしてあげる。ここのピーチティーとケーキ奢ってくれたらね」
 俺の返事を聞かずに、遊佐は店員を呼びつけ、ケーキを3つほど注文した。
「理由とか訊かないんだ?」しばらくしてから、遊佐は俯きがちに言った。
「なんの」
「荒れてた理由」
「言っても答えないだろうよ」
「まぁね」
「言いたくなったら言ってくれればいいよ」
「ん、サンキュ」
 礼を言いたいのは俺のほうだ。笑ったり、ビビったり、驚いたり、落ち込んだり。遊佐のお陰だけでも、俺の高校生活は随分と潤っている。今日だって、随分と気が楽になった気がする。
 礼を言わなきゃいけないのは俺のほうだ。



82 :兎里 ◆j1vYueMMw6 [sage] :2010/07/13(火) 10:52:33 ID:MBxK7szr
・・・
 それから数分後、遊佐が2つ目のケーキに手を付け始めた頃、気付くと、「くるみのことなんだけどさ」と語り始めていた。
「くるみ、どうやら叶のことが好きみたいなんだ」
「はぁ?」口の横に生クリームをつけた遊佐は、ひどく間抜けだった。
 納得してもらえるとは思えなかったが、とりあえず、昔の話をする。
叶とくるみ、そして俺の3人が幼馴染に近しい関係であること、叶がくるみに告白し、くるみがそれに答えたことなど、その他にも多くの思い出を話してみた。
 やはり、効果は無かった。
「バカじゃないの。そんな昔のこと、憶えてる奴いないわよ」
「叶は憶えてたけど」
「あれは別よ」苦虫を噛み潰すような顔で、遊佐はケーキを噛み潰した。「あたし、あいつ嫌いだし」
「結局は主観かよ」
「あたしだけじゃないわよ。あいつ、女子に対しての態度異常よ。泣かされた子なんて何人もいるわよ」
 確かに、高校に入ってから、叶に関する良い噂はあまり聞かなかった気がする。告白してきた女の子を罵倒しただとか、廊下でだべってる女子を怒鳴りつけただとか、とにかく色々あった。
 昔はそうじゃなかったのにな、と考えつつも、中3の事件を思い出せば、荒れてしまうのも当然のような気もした。
「根はいい奴だよ。それに、昨日はくるみ自身が好きだって言ってた」
 俺は昨日の帰り道でのことを一部始終話すことにした。記憶が曖昧な部分もあったが、だいたいは合っていると思う。「『東京』で『昔からいた人』って言ったら、叶しかいないんだよ」
 遊佐が俯き、黙り込んだので、もしや、と思った。これはもしかしたら、初めて口論で、遊佐をねじ伏せたのではなかろうか、と。もちろん、そんなことはまるでないのだが。
 おもむろに立ち上がると、遊佐は座っている俺の横に立った。
「一発殴るよ」
 こういう時、つまりは遊佐が宣言をした時、こちらには反対はおろか、同意する権限も無い。

 バチン、という小気味のいい音が耳に響いたかと思うと、頭全体に振動が伝わった。脳が揺さぶられるという感覚を吟味する間もなく、俺は机に叩きつけられた。
カラン、という音は、はたして倒れたコップの音だったのだろうか。
 殴るよ、と言いながらも、遊佐は殴らなかった。俺の左頬に全力のビンタをかましたかと思うと、そのまま後頭部を掴み、机にぶつけた。まだ殴られた方がマシだな、とやけに冷静に考えていた。
「あんたさ、頭が悪いのとバカなのは、ちゃんと区別しなさいよ」見下ろす遊佐の目はいつもと違った。例えるなら、死刑確定の犯罪者を見る裁判官のような、感情の無い、蔑む感情すらも無い、冷たい目をしている。
「なにがだよ」机に押さえつけられていると喋りづらい。たぶん、生涯で1度か2度しか気づかないであろう、大発見だ。
「勉強が出来ないのも、頭が回らないのもいいわよ。それだったら誰かに助けてもらえばいいんだから。でもね、他人のことを想ってやれないようなバカになるなって言ってるのよ」
「また『遊佐論』か」
 持論をぶら下げて他人を説教する彼女をちゃかすように、うちの学年にはそんな造語が浸透していた。
「くるみちゃんが言ったの?あいつのことが好きなんだって、ハッキリと、名指しで言ったわけ?」
「言って、ない、けど」



83 :Tomorrow Never Comes ◆j1vYueMMw6 [sage] :2010/07/13(火) 10:53:24 ID:MBxK7szr
 大きなため息をつくと、俺の後頭部から手をどけ、人差し指を俺に突きつけてくる。
「あんただってその条件に当てはまってるんじゃないの?」
 え、と情けない声を漏らしてしまった。それから、ゆっくりと頭を机から上げ、「まさか」と変な声を出した。
「あんたって、頭の回転悪くないし、何でも受け入れる気概があるけど、たいてい裏目に出るよね」
 不快、とまではいかないものの、何か嫌な感覚が体中にあった。完成した絵を消して、書き直した結果、さっきよりも質が落ちてしまったような、そんな脱力感がした。
同時に、ただでさえごちゃごちゃした頭が、余計にかき混ぜられたような気もした。考えがまったくまとまらない。
 真偽や道徳などは置いておくとして、もしくるみの好きな人が俺だった場合、俺の昨日の行為はなんだ。彼女の話もまともに聞かずに決め付けて、勝手にはしゃいでいた。
 さらに言えば、俺はくるみが誰を好きであろうが、どうでもよかったのではないだろうか。俺はただ、くるみといることが恐くなって、いや、面倒になって、あわよくば誰かにその役目を押し付けようとしていたのではいないか。
 濁流のように溢れる思考に押し流される。
 あの子の傍にいようと誓ったはずなのに、それすらも忘れたふりをして、逃げようとした。あの子は好意で答えようとしてくれたのに。
 叩かれた衝撃で、俺は現実へと帰還した。「また考えすぎてんでしょ、バーカ」
「だって、俺」
「まだ決まったわけじゃないでしょ。あんたが知らないだけで、他の人って可能性も充分あるじゃない」
「でも、そうだとしても」
「あー、うざいなぁ。もっかい殴るわよ」言うが早いか、遊佐はまた後頭部を叩いてきた。「理由なんて後付でいいんだから、まずは行動よ」
「また『遊佐論』?」
「真実よ」
「『遊佐論』すげぇ」
 馬鹿馬鹿しいと思ったが、少しだけ気が楽になる。それから、カフェのほかの客と、通りを歩く人に2人で頭を下げた。



・・・
 それでも、懲りもせずにくるみの好きな人は本当に叶じゃないのだろうか、と考えていると、まるで心を読んだかのようなタイミングで遊佐が、「まず浅井のことを好きにはならないでしょうねぇ」と言った。
 すると、これまた計ったかのようなタイミングで、「うるせぇよ」という声が聞こえてきた。
 驚いて声の方、通りの方を見ると、そこには叶がマウンテンバイクに跨ってこちらを見ていた。黒地に赤色のラインが入った男子バレー部のユニフォームを着て、その上に黒いジャージを羽織っていた。
下もユニフォームで、Tシャツと同じデザインだ。膝上数センチの短パンは、コートの外ではどこか変態チックだ。
「なんつー格好よ、アンタ」
「部活終わりなんだからいいだろうよ」
「じゃあさっさと帰りなさいよ」
「寄るとこがあんだよ」
 昨日の口論よりも前から理解していたものの、この二人は非常に相性が悪い。何故かといえば、似ているからだろう。
「っつか、なんでユニフォームよ」
「卒アルの撮影で使ったんだよ」叶は、面倒だという感情をを微塵も隠そうとしない。遊佐から目を逸らして舌打ちをしたかと思うと、今度は俺を見てきた。「部活サボってデートとは、いいご身分だな、おい」
「限りなく説教に近いデートだけどな」
「そりゃお疲れ様だ。デコと頬が腫れてるぞ、お前」歯を見せて無邪気に笑う姿に懐かしさを感じ、心が安らぐ。
 しかし、遊佐がなんの前触れもなしに、「あんたってさ、くるみちゃんのこと好きなの?」と訊くものだから、思わず大口を開けてしまった。
 さらに、叶があまりにも堂々と、「ああ、好きだよ」と言うものだから、開いた口が塞がらなくなった。
「へぇ、身の程知らずもいいとこね」
「るせぇ、俺はな、本気なんだよ」
 照れ隠しなのか、叶はわざとらしく大き目のボリュームで「えーと」と濁してから、切り出した。「お前らって、マジで付き合ってるの?」
「んなわけないだろ。なぁ?」
「ん、まぁ、そうよね」
 俺が答え、遊佐が少し遅れて肯く。叶は、「あ、そう」とだけ返事した。


84 :Tomorrow Never Comes ◆j1vYueMMw6 [sage] :2010/07/13(火) 10:53:54 ID:MBxK7szr
 それからしばらくして、俺の携帯が鳴った。開いて見ると、ディスプレイには『佐藤登志男』の文字が浮かんでいた。
「悪いちょっと」と言いつつ2人を見るが、特に気にする素振りも見せず、遊佐に至っては、「男子のユニフォームってかっこいいよねぇ」と言い出した。
俺の言葉には、『ごめん、電話させてもらうね』という意味と、『ごめん、電話するから少し静かにしてね』という意味を含ませたつもりだったが、どっちも届かなかったようである。
 もしもし、と電話に出ると、佐藤は特に挨拶も無く、「今何処にいる?」と訊いてきた。少し迷ってから、「家だ」と答える。
「何かあったのか?」
「いや、あー、あった、っつうか、ある」佐藤の言葉はどこか不明瞭だ。電波が悪いという意味ではなく、単に考えがまとまっていないように思える。
「ばっ、触んなよ」
「いいから、ジャージ脱ぎなさいって」
 すぐ横では、何ともいえない争いが起きていた。会話の流れから察するに、遊佐がユニフォームを見たいのだろうが、だからと言って力尽くで脱がそうとする必要は無いだろう。通りを歩くおばちゃんが変な目でこちらを見ている。
「その、くるみちゃんが今何処にいるか、わかるか?」
「それなら」叶のところ、と言いかけてやめる。そういえば、くるみは何処へ行ったのだろうか。叶と出掛けたものと勝手に決め付けていたが、現に叶は今、俺の目の前にいる。
「っていうか、なんでアンタユニフォームのまんまなの?」
「卒アルで使って、着替えるのが面倒だからそのまま練習したんだよ」
 いつの間にか叶はジャージを脱がされており、遊佐がそのジャージを丁寧に畳んでいた。
 それにしても、電話と考えごとをしている時ぐらい、黙っていて欲しいものだ。ましてや、今はどっちもしているのだから、勘弁して欲しい。
「斉藤?」
「ああ、ごめん。悪い、俺もくるみがどこにいるか分からないんだ」『くるみ』と言った時、僅かに叶が反応したように見えた。
「そうか。実は、俺は知ってる」
「は?」
「俺は、くるみちゃんが今何処にいるか知ってるんだ」
「それで、なんでわざわざ俺に電話するんだ?」
 叶と目が合う。「なぁ、もう行ってもいいか?」と言う彼は、どこか焦っているように見える。
「今、俺とウメは例の竹林の近くにいるんだ。ほら、清掃の罰則でさ。そしたら、竹林の中へと入って行くくるみちゃんを見たんだ」
「なんでまた」


85 :Tomorrow Never Comes ◆j1vYueMMw6 [sage] :2010/07/13(火) 10:54:15 ID:MBxK7szr
「ねーねー憲輔」俺の焦りを知ってか知らずか、遊佐は相も変わらない口調で、電話中の俺に話しかけてきた。遊佐は知らずの内に叶の背後に立っている。
コイツをどうにかしてくれ、と叶が顔で訴えてくるが、どうしようもない。「なんでこいつのユニフォーム、名前が『NAGAMASA』なの?」
「浅井長政の『ながまさ』だよ」俺の代わりに、叶が答える。
「誰それ」
「武将だよ」
「どこいんのよ、そんなの」
「北近江」
「バレー部じゃないの?」
「武将はバレーやんねぇよ」
 くだらないが、随分と息の合ったやりとりだ、と感心してしまった。
 バレー部のユニフォームは、代々ニックネームをつけることになっていた。ちなみに、俺は『KAZUYOSHI』で、佐藤は『SUGAR & SALT』となっている。
由来は、なんとなく察して欲しい。もちろん、変に捻ったあだ名でない人も多い。
「別に独りで入ってくなら、俺だって電話しねぇよ。恭の奴と一緒だったんだ」
「キョウ?柴崎恭平?」
 いきなり見知った人名を出され、意識が受話器へと戻る。名前を鸚鵡返しに口に出した瞬間、遊佐と叶は口論を止め、揃って俺を見た。遊佐の顔から、サッと色が引いていくのが分かる。
 それから、二言三言交わして、電話を切った。佐藤の声は終始暗かったので、最後に、「わざわざありがとう」と礼を言っておいた。
「あいつはダメだ」
「お前もか」恭平も叶のことを、まったく同じように評価していたことを思い出す。叶はそのままの意味にとったようで、「当たり前だ」と力強く答えた。
「親父狩りとか、レイプがどうとかっていう話を聞いたことがある。それで新入生を孕ませた、っていうのも聞いた」
 聞きなれない、不穏な単語に戸惑う。そう言えば、1年生で休学している子がいると、誰かが言っていた気がする。
「あくまで噂だけどな。俺だって、あることないこと噂されてる」
 庇ったわけではないだろうが、叶はそう付け加えた。しかし、遊佐が、「それ、女バレの子だよ」と言い、急激に現実味が増す。
「なんで捕まらないんだよ。っていうか、俺はそんな噂知らなかったぞ」
「口止めされてるのよ。あいつの父親、すごく偉いみたいでさ、良くない知り合いも多いって聞いたよ」
 じゃあどこから聞いたんだ、とか、すごく偉いっていうのはどれくらいだ、良くない知り合いってなんだよ、など、言いたい事はいくらでもあった。だけど、震えながら話す遊佐を見ると、何も言えなかった。
 どうするべきなのか、考える。その噂が本当ならばくるみは危険の真っ只中のはずだが、所詮は噂。
2人の話は曖昧模糊としており、信憑性に欠ける気がしてならない。実はくるみと恭平は昔からの知り合いで、既に恋仲であった、というのも無いとは言い切れない。

━━理由なんて後付でいいんだから、まずは行動よ
 口を閉ざしたはずの遊佐の声が、耳に木霊した。
 知らずの内に落としていた視線を上げる。叶と目が合う。頷く。
 ポケットから財布を取り出すと、遊佐に向かって投げた。突然の奇行に困惑しながらも、遊佐はそれを受け取る。
 柵を飛び越えると、叶は既に自転車に跨っていた。「乗れ!」
 自転車の後輪には、大きなハブが付いていて、そこに飛び乗る。
 よっしゃ、と小さく気合を入れた叶は、勢いよく自転車をこぎ始める。後ろから遊佐が何か言っているような気がするが、止まらない。
 叶の運転は上手く、後ろに俺を乗せながらもかなりのスピードを出し、且つ、キレイに人の間を抜けていく。
「懐かしいな」風の音に負けないよう、叶は大声で言う。「昔に戻ったみたいだ」
「ああ、すげぇ楽しい」
「これで『みなみな』のサインはぱぁだ」
「『みなみな』?」
「アイドルの『みなみな』だよ。これからサイン会があったんだけどなぁ」
 場を和ませようだとか、そういう感じはなく、叶は本気で悔しそうだった。
「くるみのことが好きなんじゃないのか?」
「アイドルは別腹」
 俺たちは必要以上の大声で話し、笑った。叶の首筋の汗も、俺の背中を伝う汗も、決して熱さが原因ではなかったと思う。
 ふと、朝方に見た父のキャンプ用具のバスケットに、ナイフが1本もなかったことを、今更になって思い出した。


86 :Tomorrow Never Comes ◆j1vYueMMw6 [sage] :2010/07/13(火) 10:55:19 ID:MBxK7szr
***
 薄暗いこの竹林は、必要以上に蒸していた。
 本来、日が当たらないのだから涼しいはずなのに、この竹林は夏場、どうしてか酷く暑いのだと言っていたのを思い出す。
 ただ、今なぜ暑いのかは、よく理解していた。左腕にの傷口に目をやる。溢れるほどではないものの、傷口からは血が滴っている。幸い、それほど深くは無いようだ。左腕の向こうには、この腕を刺したナイフが転がっている。
 しゃがみこんだまま、目の前で大の字になって倒れている『元』人間を見る。腹部と胸元にそれぞれ4本、ナイフが刺さっており、刃が見えないほどに深い。
傷口を中心に血が流れ、円形に広がっていた。誰が見ても、もう死んでいると分かる。
 ふふふっ、と笑い声が漏れていた。やった、やったんだ、やり遂げたんだ、という充足感に満ち溢れ、意識しなければ左腕の傷を忘れてしまいそうだった。

 敵を倒した。『Kyo』を、お兄ちゃんと私の仲を引き裂こうとする敵を、私が倒した。

 校門で待ち合わせてから、人気の無い場所ということで、この竹林に来た。窪塚りおと同じような手を使うのは気が引けたが、贅沢は言っていられない。
民家から離れ、人のあまり立ち入らないここは好条件過ぎた。そう、それで安心しすぎたのだ。まさか、反抗されてナイフを奪われるとは思わなかった。
 ずっとニヤニヤしている男は、いつでも刺せる気がしていた。だから、竹林の奥まで来た時、すぐにナイフを取り出した。だけど、その時、何かに脚をとられた。
なんとか転ばずにすんだものの、敵を刺す事は出来ず、挙句、ナイフを奪われて左腕を斬られてしまった。
 すぐに身を退いたお陰で深い傷は負わずに済んだが、男を警戒させてしまった。真正面からぶつかれば、私に勝ち目はない。
 そこで、再び予想外のことが起きた。男が笑い出したのだ。
 何が起きたのか、私はわからなかった。男は笑うのをやめたかと思うと、こう言った。「死にたくなかったら、ここで俺に忠誠を誓えよ」
 呆れた。安っぽく痛々しい言葉にではなく、いや、それもだが、完全に油断しきっている男に呆れた。
「わかりました」私が返事をすると、男はこの上なく不快な、厭らしい笑みを浮かべた。
 片膝をつき、鞄を斜め後ろに置き、左手で鞄から別のナイフを取り出した。背中に手を回して、男から隠す。それから、右手だけでネクタイをとり、ワイシャツのボタンを外していった。
 お兄ちゃんにもまだ見せたことの無い肌を見せるのは屈辱的だが、唇を噛んで耐える。左手に力が入る。
 ボタンを外し終わると、右腕を抜き、背後でナイフを持ち替えてから、左腕を抜いた。流石にバレるかと危惧したが、警戒どころか、男は満足そうな表情をしているだけだった。バカすぎる。
 ゆっくりと立ち上がり、それから、これでいいですか、と言う予定だった。しかし、男は我慢の限界に達したのか、飛びつくような勢いで私の方へと向かってきた。
そこで、男がナイフを投げ捨てたのが、私の目にはハッキリ映った。この男は本当にバカだ。自分の安全よりも、性欲を優先した。



87 :Tomorrow Never Comes ◆j1vYueMMw6 [sage] :2010/07/13(火) 10:55:58 ID:MBxK7szr
 左手に持ったワイシャツを、迫る男の顔に向けて投げる。それから、何も考えず、ナイフを前に突進した。その場で思いついた、B級映画のような戦い方だったが、安っぽいこの男に、そして私にも適しているように思えた。
 ワイシャツ越しに、ナイフを伝い、弾力のあるものに触れる感覚がする。一瞬、弾かれるような気がしたが、さらに足を蹴り出し、前進する。
今度は、柔らかいものにめり込んでいく感覚。するすると、レールを辿るような抵抗の無さで、ナイフは男の中へと進入していく。男のうめき声が聞こえる。
 刃が全部うまったのを感じると、すかさず引き抜く。ワイシャツが落ちて、男の姿が露になる。左脇腹からは血が滲み、男のワイシャツの色を変えていた。
 男の顔は見ない。見れば、自分が恐怖に支配されるとわかっていたからだ。位置をずらし、今度はへその辺りへと、ナイフを突きつける。さきほどと同じ動作で刺し、引き抜く。
 男が腹を押さえてうずくまった。怒りや恐怖などのあらゆる感情が混ざり合い、気付けば脚を出していた。男の咽元へと脚の裏を突き出す。
運動が苦手な私が格闘技などを心得ているはずも無く、当然、蹴りの威力は低く、体勢はひどく不恰好だった。男は仰向けで倒れたものの、私までもが反動で尻餅をついてしまった。
 左手をついたところに、私の鞄があった。迷うことなく残りのナイフが入った鞄を左手に、立ち上がって駆け出す。そして、仰向けで呻く男に馬乗りになって、次々と刺していく。
重力のお陰か、さっきよりも力を込めずに刺すことが出来た。この頃には、そういえばこんな玩具があったな、なんて思い出す余裕もあった。
 頭へと急激に集った血が退くのとともに、私はナイフから手を離した。ナイフの生えた男を見下ろし、ゆっくりと息を吐く。
額の汗を腕で拭うと、明らかに汗とは違う液体で、余計に湿った。吐き気を催す、酷い匂いが充満している。


 怒りも充足感も引いたところで、次の行動に移ることにした。
 まずやるべきことは、男の死体を隠すこと。窪塚りおが殺した浦和という人は、ここからさらに奥の、竹林の裏にある山に近い位置で、極太の竹に寄りかかるようにして死んでいたらしい。
内臓という内臓全てが取り出され、山道から外れた獣道に、綺麗に並べられていたという。最近、2件ほど同じような状況の事件があったので、おそらくそれを真似て、カモフラージュにしたのだろう。
まるでヘンゼルがパンくずを落として道しるべにしたかのようで、『殺人鬼ヘンゼル』などと巷では持て囃されている。
 窪塚りおの場合、死体を発見させることが目的だったので、この事件を利用したに違いない。私は違う。決して見つかってはいけない。
 やはり、埋めるのが一番だろう。草が生えているので、掘り返した跡は一目瞭然となってしまうが、それを見て、死体が埋まっている、と思うような人はそうそういまい。
血の跡や、返り血を浴びた服も一緒に隠してしまえば、一石二鳥と言える。
 そこまで考えて、致命的なミスに気付いた。スコップを忘れてしまった。
 なぜ私はいつもこうして、あとの一歩ところでミスをしてしまうのだろうか。至らな過ぎる自分を思いっきりひっぱたいてやりたいが、今はそんな場合ではない。
無論、お兄ちゃんに叩かれる妄想に浸っている場合でもない。
 竹林を出て少し歩いた所の平屋に、スコップが立てかけられているはずだ。段取りでは、それを使う予定だった。まずは着替えを済ませよう。座ったまま鞄からタオルを取り出し、肌に付いた血をふき取る。
「くるみ!」
 普段は私を陽だまりに連れ出してくれるはずの声なのに、私の身体には寒気が走った。全身の力が抜け、知らず知らずのうちに、「ごめんなさい」と何度も呟いていた。



88 :Tomorrow Never Comes ◆j1vYueMMw6 [sage] :2010/07/13(火) 10:56:32 ID:MBxK7szr
***
 叶の自転車で街を走り抜け、竹林の前で佐藤らと合流した。前のめりになりながら竹林へと入る。途中、何かに足をとられそうになったが、なんとか耐えた。
 状況は最悪だった。
 いやに蒸し暑い竹林の中には、異臭がたちこめていて、熱気と相まって酷いことになっている。
 くるみは倒れた男の前に座っていた。多くはないものの、日常ではありえない量の血がくるみに付着しており、何故かワイシャツは脱げていた。
「くるみ!」その姿に、思わず叫ぶ。
 死体に背を向けるようにして、くるみの前に回りこむ。肩を掴むと、軽く揺さぶる。「くるみ、おい、くるみ!」
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい・・・」
 くるみは力なく地面に手をつき、茫然自失とした表情で、ひたすら謝り続ける。
 取り返しの付かないことをしてしまった。くるみがじゃない、俺がだ。本来、くるみはどんなに人を憎むことがあろうと、最終的には笑って許すことの出来る、優しい子だ。
そんな心を支えてやることが出来ず、その優しさを歪ませてしまった責任は全て俺にある。
「埋めるぞ」突然、叶は力強い声で言い放った。
「埋めるって、お前」佐藤の声が震える。
「さっき通った家に、スコップがあっただろ。お前ら、取ってこい」
「いや、だから埋めるってさ。警察に連絡とかは」
「警察に言えば、この子が捕まるに決まってんだろうが」叶の語調は段々と強くなる。「いや、でも」と佐藤が返事を濁すと、叶は感情を爆発させるように、「ごちゃごちゃうるせぇよ!」と叫んだ。
「俺が埋める準備をする、お前らは黙って取ってこいよ」
 久しく見ない、感情的な叶に驚いていた。初めて見る佐藤は当然、俺以上の衝撃を受けているに違いない。
「行こう」
 少しばかりの沈黙を挟み、誰かが言った。
 ウメちゃんだった。普段のなよなよした感じはなく、力強い声だったために、一瞬誰だかわからなかった。 
 眉を寄せた佐藤は、「わかったよ」と苦しそうに残して、走り出した。足音が遠ざかると、竹林には、くるみの謝る声だけが響いていた。
「もういい、もういいから」
 落ち着かせるために、くるみの顔を抱えるようにして抱きしめた。嗚咽の混じった声が、未だに謝り続けている。シャンプーの甘い匂いと、汗、死臭が同時に鼻に入り、なんともいえない気分になる。
「お前に関わると、ろくなことがない」叶の声は笑っていた。顔は、悲しそうに見えた。
「迷惑かけるよ」
「いい、慣れた。とにかく、コレをどうにかしよう」
 叶が足を踏み出す。つられるように、俺の目線はその先を辿る。


89 :Tomorrow Never Comes ◆j1vYueMMw6 [sage] :2010/07/13(火) 10:56:53 ID:MBxK7szr
 暗くてよく見えないものの、地面が、死体を中心にして赤黒く変色しているのはわかった。ワイシャツはかつての色が白だったとは思えないほどに血が染み込んでおり、何本かのナイフがまだ刺さっている。
大きく開いた口の端には泡が溜まっており、眼鏡の奥の瞳はただ空を睨んでいた。髪だけがセットされた状態を保っているのが、ひどく不自然だった。
 柴崎恭平は、間違いなく死んでいる。そして、殺したのはくるみで、まず間違いない。
 隠さなくてはいけない。俺の頭は、それしか考えていなかった。死体を隠し、証拠を隠し、罪を隠す。
「穴を掘ろう。それで、何もかも埋めればいい」
 驚く素振りも無く、叶は頷いてくれた。不思議と、自首をさせて、罪を償わせる、という考えは一切なかった。俺の胸元で泣き、謝る少女は、断罪するよりも、護るべきだという意識があった。
 だから、急に照らされた瞬間、法という形の無い存在が裁きにきたものだと、錯覚してしまった。いつのまにか首に縄が巻きついていて、突然足場がなくなるのではないか、と不安になる。
 光は、一瞬のものだった。耳当たりのいい音と共に、3回ほど光った。叶は立ち尽くしたまま、わけがわからないという風だった。くるみの腕が、照らされるたびに俺の背をきつく絞める。
 光が止んでから少し間が空いて、草を踏み鳴らす音が聞こえてくる。
 初めは、佐藤たちが戻ってきたものだと思っていた。しかし、すぐに逆方向だと気付く。竹林の奥から、何かが近づいてくる。
「いい絵が撮れました」嬉しそうにクスクスと笑う声に、鳥肌がたつ。
 サク、サク、という軽い音に反比例して、俺の身体には重い何かが圧し掛かってくる。腰が曲がり、肺が潰れ、心臓の機能が低下していく。息が出来ない。
 不意に、笑い声が木霊する。続いて、叫び声。そして、くるみの声が聞こえた。
 驚いて叶を見るが、彼はただ一点、林の奥だけを見ていた。驚く以前に、声が聞こえていないようにも見える。くるみも、何かに反応しているようにも、何かを喋ったようにも見えない。
 ああ、そうか。この声は今じゃない。ここにあるけども、今のものじゃないんだ。
 草を踏む音が止んだ。死体を挟んで向こう側に、影を纏い、窪塚さんが立っていた。
「取引ですよ」
 窪塚さんは、首を横に倒して、笑った。
 これが魔物なんだ、と理解しても、手遅れだった。
「ほんと、ろくなことがない」青ざめた顔で、叶が笑う。
 俺の耳には、あの日の笑い声が、未だに止んでいない。