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86 :合わせ鏡 ◆GGVULrPJKw [sage] :2007/12/12(水) 19:21:03 ID:Fph0owpB
鏡の向こうの自分は、自分と同じ顔をして、自分と同じ行動をする。
私が笑えば笑うし、私が泣けば泣いて、私が怒れば怒る。
私と同じ顔をした私は、私のようで、私ではない。


エントランスで倒れていた私を助けてくれたのは、同じ棟のポスドクの先輩。
私もよく知っている人で、こーたと先輩は、同じ少林寺拳法のクラブで先輩とOBの間柄でもある。
女性の悲鳴を聞いて駆けつけてきたところ、争っていた二人のうち一人が自分に気づき、荷物を
持って逃げたのだと聞かされた。
確かに、私の荷物は、全て、なくなっていた。
突き飛ばされた時に打ち付けた体が、ズキズキと痛む。

慌てて先輩に事情を話し、先輩の携帯で家に電話をかけてもらう。私達の家が徒歩10分だった
としても、その10分が惜しかった。
なのに、電話の呼び出し音はむなしく鳴り響くだけ。時間から考えて、瑞希はもう家についている
はず。そして、彼女は家の鍵を持っているから家に入れるはずだ。
「水樹ちゃん、行こう。もしどういう状況だったとしても、電話に誰かが出る確率は低いかも
 しれない」
「でも、先輩、うちはオートロックなんです。鍵は瑞希にとられたし、もし、こーたが開けて
 くれなかったら、私達、入れません。管理会社もこんな時間じゃ連絡とれないし」
瑞希。もし、こーたに何かしたら。許さない。
でも、どうしたらいいの。私に何ができるの。こんなにも無力でどうしようもなく馬鹿な私。
声が震える。体がガタガタを音を立てて揺れる。焦燥感と恐怖で立っていられない。
そんな私の肩を、先輩は強く掴んだ。


「じゃあ、警察だ」




87 :合わせ鏡 ◆GGVULrPJKw [sage] :2007/12/12(水) 19:22:13 ID:Fph0owpB
「え?」
……警察?先輩の言葉が一瞬理解できなくて、思考が停止し、体の震えまで
止まった。
呆然と、先輩を見上げる。
「先輩、そんな、警察なんて、そんなオオゴト」
「水樹ちゃん、何を言ってるんだ。これはオオゴトだぞ」
先輩は、私の肩を掴んだまま、もう一つの手で私が握り締めている携帯をゆっくりはがした。
低い声で、子供に言い聞かせるように諭す。
「身内のことだからためらうのはわかる。でも、君は襲われて荷物を奪われているんだ。これは立派な 犯罪だぞ。それに、君の妹さんは、鍵を使って家に侵入するだろう。凶器だって持っている。
 もしかしたら浩太に危害を加える可能性だってあるんだ」
「あ…でも、でも…」
「いきなりのことでパニックになるのはわかる。俺が連絡するよ。待っててくれ」
先輩は、携帯を操作すると、耳に当てる。そして、安心させるように笑って、余計なことを言った。
「浩太だってうちのクラブの主力だ。殺されることはないだろう」
「こ。ころ…」
こーたが、瑞希に、殺される。そうだ。例えこーたが武術をやっていても、寝ている間に縛られて
しまったら、叶わない。
違う。瑞希はこーたに恋しているのだから殺さない。絶対に。

本当に?
当たり前だ。瑞希は私と同じなのだから、私と同じように考えるはず。私はこーたを殺そうと思った
ことなど…。

先輩が警察としているのであろう緊迫した会話が、すうっと遠くなった。
自分のものにならないのなら、殺してしまえばよいと、思ったことは、本当に、なかったか。
ソファーで無防備に眠っているこーたを自分だけのものにするために、二度と目をさましてほしく
ないと願ったことは、本当に、なかったか。
二人共に生まれ直せるよう、全てをリセットしたいと思ったことは、本当に、なかったか。



88 :合わせ鏡 ◆GGVULrPJKw [sage] :2007/12/12(水) 19:23:09 ID:Fph0owpB
「あ…あああっ!」
体を衝撃が駆け抜ける。見たくない悪夢と認めたくない記憶、二つが入り混じって私を突き動かした。
行かなきゃ!こーたを助けなきゃ!こーたが殺される!
私は、はじけるように駆け出す。
「はい…あああ、こらっ!」
しかし、警察と話している途中だった先輩が、私の体をつかんで止めた。
必死でもがくけれども、瑞希一人でさえ跳ね除けられなかった私が、体育会系の先輩の腕から逃れ
られるわけがない。
「は、はい。できるだけ早くお願いします。たちの悪いストーカーなので。はい。…水樹ちゃんっ!」
電話を切った先輩が、空いた腕で、私の頬を張り飛ばした。痛みと苦しみとぐちゃぐちゃの感情が、
出口なく私の中で吹き荒れる。わけのわからなくなった私は、立ってさえいられなくなり、
その場に崩折れた。
勝手に目から涙が出てきて、たまらずしゃくりあげる。
「もう少し冷静になってくれ。君が行ったところで、一体何ができるんだ?」
「あ…あ…ごめんなさ…」
先輩は、私から離れ自転車にまたがると、厳しい声で私に言った。
「わかったら、ここでおとなしく待っていてくれ。男二人なら、女性一人を取り押さえられる。
 でも、君がいたら、邪魔だ。守らなければならないだけ、邪魔になる。本当に浩太のことが
 心配なら、このままここで無事なままでいてくれ。…A204に刈屋がいる。そこで待って
 るんだ」

私の返事を聞かず、先輩はそのまま自転車で走り去った。
私はただ、何もできず、その場にしゃがみこんで、先輩を見送った。



89 :合わせ鏡 ◆GGVULrPJKw [sage] :2007/12/12(水) 19:23:53 ID:Fph0owpB
警察が素早く動いてくれたのは、はっきりと先輩が言った訳ではないが、クラブのOBが警察に
いたのと関係あるかもしれない。警察が家に入るにあたっては、私の承諾があったから、早かった。
こーたは、警官二人と先輩が家に入るまで、眠っていたというのだから、大物と言うか、なんと
いうか。
瑞希は、こーたのベッドに入って一緒に眠っていたらしい。あっさりと取り押さえられ、高崎家
へと帰されたという。
先輩の冷静な判断のおかげで、大事に至らず、素早く事件は解決した。


「水樹、心配、かけたね」
俺はなにもしてないけど…。と照れくさそうに笑いながら、こーたは私に言った。
私は、ただうつむいて、何も言えなかった。
私が何もできなかったせいで、瑞希に荷物を奪われて、こーたを危険にさらした。
こーたの身に何もなかったのは、先輩の冷静な判断のおかげで、私一人だったらどうなっていたか
わからない。
こーたを守るどころか、ただ、蚊帳の外で、泣いていただけ。
なんて無力で馬鹿でどうしようもない私。こんな私なんて、いない方がこーたのためかもしれない。

「でも、水樹に何もなくてよかった。これからは遅くなったら俺を呼ぶとかしてくれ。迎えに行く
 から。研究室に一人で残る時は、鍵をしっかりかけてくれ」
涙が出てくる。こーたが心配した様子で私を見る。ああ、今ショックを受けて大変なのはこーた
なのに、私のことを第一に心配してくれるなんて。なんて幸せなんだろう。
「ありがとう。本当にこーたは優しいね…。ごめんね、お姉ちゃんなのに、こーたを守れなくて」
「水樹のせいじゃないよ。水樹が無事でいてくれることが一番大事なんだから」
こーたの笑顔。部屋に戻っても、一日中私は幸せなままだった。
あまりに幸福を感じすぎて、卒倒しそうになる。



90 :合わせ鏡 ◆GGVULrPJKw [sage] :2007/12/12(水) 19:24:37 ID:Fph0owpB
でも、瑞希のことを思い出した瞬間に、その感情は逆のベクトルへと噴出した。
どろどろと渦巻く怒りと憎しみが、臓腑を焼く。
私と、代わる?こーたを、守る?なんて馬鹿なことを言うのだろう、あの子は。
しかも、こーたと一緒に寝ていたなんて、何を考えているのだろう。
そんな方法でこーたが守れるものか。
瑞希は、こーたと一緒になりたいだけだ。でも、こーたは瑞希なんか、姉なんかと一緒になる
わけがない。
こーたは、普通に恋をして、普通に結婚して、普通にお父さんになって、普通の幸せを掴むの。
それを見守るのが、姉ってものでしょう。それを望むのが、姉ってものでしょう!!
私はそれを望むことができる。瑞希にはできない。だから瑞希はこーたの側にいてはいけない。

本当に?
あの日、私を襲った悪寒が、もう一度背筋を駆け抜けた。首を振る。
当たり前じゃない。私は姉。こーたの姉なんだから。
こーたの幸福こそ、私の望み。


私は役立たず。私は無力。でも、今度こそ、絶対に、何があっても、こーたを守り抜く。
どんなことをしてでも。
そう、どんなことをしてでも。



91 :合わせ鏡 ◆GGVULrPJKw [sage] :2007/12/12(水) 19:25:27 ID:Fph0owpB
でも、私一人がどんな決心をしても、世界は何も変わらないのだ。
そう、私一人の願いなんて現実の前には無力で、誰一人動かせないと言うことを、私はすぐに
知ることになる。


「水樹、父さんと母さんがこっちに来ることになった」
「え?どうしたの?」
「昨日、電話で相談した」
「…何を?」
夜ご飯を食べる間中、こーたはずっと暗い顔をしていた。頑張って盛り上げてみたけれども
嫌な予感はしていた。
食べ終わり、ごちそうさまを言った後、言いにくそうにこーたが切り出した。いい話であるわけ
がない。
こーたの顔が強張っている。私の顔も強張っていく。


「昨日、高崎家から、俺を瑞希の婿に、という申し出があった」


宙に浮いていた手を膝に置こうとして、距離感をどうして間違えたのだろう、机の角に思い切り
手をぶつけてしまった。
派手な音を立てて机の上の皿が一瞬、踊り、その後はただ、静寂だけがその場を支配した。