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663 :埋めネタ [sage] :2010/08/25(水) 01:40:55 ID:W5/rP/Xg

「正直、好きな女の子が人を殺したりしたら、引くよね」

 僕がそんなことを呟いたのは、自室でくつろいでいる時だった。
 独り言を言ったわけじゃない。近くにいる人間に話を振ったんだ。
 僕専用のベッドの上で正座して漫画を読んでいるのは、幼なじみの三四子だ。
 彼女の通称は、みょん。
 本人は嫌がっているが、呼びやすいし、なんだか可愛いので、皆が彼女のことをみょんと呼ぶ。

「……いきなり何を言っているんですか」
「いやね、今ちょっとネット上の掲示板を覗いてるんだけど」
「またそんなものを見て……お父上やご母堂が悲しみますよ?」
「ばれなきゃ平気さ。で、その掲示板では、ヤンデレっていう属性のキャラクターをメインにしたお話が、一杯投稿されてるんだよ」
 みょんは首を傾げた。
「ヤンデレとは?」
「主人公が好きだけど、愛するあまりに心を病んでしまった状態、またその状態のヒロインの事をさす、だって。
 つまり、愛する人間に対する思いが募って、それが原因になって、心を病んでしまった人のことらしい。
 心を病んでしまった女性は、刃物を持ち出したり、暴力的な行いをしたりする傾向があるらしいよ」
「ほ、ほう」

 みょんが頷いている。
 どうやら彼女はヤンデレのことを知らなかったらしい。
 そりゃそうだ。
 なにせ、ニッチなキャラ萌えの世界の、さらにマニア向けな属性だから。
 みょんがヤンデレのことを知らないことについて僕は安堵している。

「そのやんでれとやらが、何か?」
「うん。刃物を持ち出すってことは、やっぱり相手を傷つけちゃうし、場合によっては命も奪ってしまうよね」
「ええ」
「僕は好きな女の子がそんなことをしたとしたら、引いちゃうと思うんだ。いや、絶対に引くね」
「それは、なぜ?」
「どうして傷つける必要があるのさ。まあ、喧嘩して傷つけるのはまだわかるけど、相手の命を奪うのは駄目だろ。
 そんなことをしなくても、好きな人を手に入れることはできるはずだ、って僕は強く思うんだ。
 ヤンデレっていうキーワードで検索したら、ヤンデレは人を殺すんだ、っていう誤解が広がっていて、悲しくなるよ」
「それでは……人を殺さなければいいので?」
「うん。……いや、ちょっと違うかな。
 ヤンデレにどうして萌えるかっていうとさ、あの健気さにあるんだよ。
 一人の男を好きになった。でも男は自分以外の女と付き合っている。でも男を嫌いになれない、忘れられない。
 そうして、叶わない思いがどんどん募っていく。そこに萌えるんだ。可愛いんだ」
「私には、理解できません」

 みょんが立ち上がり、漫画を本棚に収める。
「そんな馬鹿なことを言ってないで、勉強でもしていてください」
「ちょっと待って。まだ語り足りないんだ」
「迷惑にならないよう、枕相手に語りかけていてください」
 と言うと、みょんは僕の部屋から立ち去った。

 様々なヤンデレ系スレッドの流れを見ながら、僕は呟く。
 きっと、今となっては遅いだろうけど、誰にも聞き入れられないだろうけど、言いたくて仕方ない。
「人を殺すなんて……そんなの、全然可愛くないよ。
 叶わない思いが募って、追い詰められて、心身ともに疲れ果てて、もう本能しか残っていない状態になって、
 初めて他人の命を軽く見るようになるんだ。
 人の命は、簡単に奪って良いものじゃないんだよ」

 僕にはそう思えてならない。
 他人の未来を奪う権利なんて、誰も持っちゃいけないんだ。



664 :埋めネタ [sage] :2010/08/25(水) 01:42:21 ID:W5/rP/Xg
*****

 心が重い。体が重い。なにより、鍛え上げてきた拳が重い。
 まさか彼があんなことを言うなんて、思っていなかった。
「他の女を排除するために鍛えてきたのに、全て――――否定されてしまった」
 彼に思いを寄せる女性は多い。
 年上、年下。学校の先生、同級生、部活の仲間。
 彼を狙って、紛れ込んだ不届きものが身近にはたくさんいる。

 いろんな脅威から、彼を守りたかった。
 だから学校では空手道部に入った。家でも自主練習を欠かさない。
 おかげで、全国大会でも上位に入賞できるほどの腕になった。

 すべてが、幼なじみの彼のため。
 でも彼は言った。他人の命を奪ってはならない、と。
 私だってそう思っている。私の拳は人を殺すために鍛えてきたわけじゃない。
 でも――彼の言葉は重くのし掛かってくる。
 
 私は、彼を守るためなら前科持ちの汚名を着ることも構わない、と考えている。
 彼しか居ない。こんな背の低い、胸も小っちゃい、可愛くない空手女を好きになってくれるのは、幼なじみの彼だけ。
 奪われるぐらいなら、私は彼を――――
「……いえ、そもそも、こういう考えが駄目なんでしょう」
 彼は、他人を傷つけることを嫌う。
 暴力は振るわないし、言葉で貶すこともしない。
 そんな人間だから、彼を舐めてかかる人間が次から次へと沸いてくる。
 彼のすごいところは、そんなネガティブな人間達まで真剣に相手するところ。
 時々、見ていていらいらしてしまうけど、そこがいい。

 もういっそのこと、拳を封印してしまおうか。
 彼が必要としてくれないのなら、こんなものは必要ない。
 昔のように、隣に居て彼の隣で笑って――いつか幸せになろう。
 誰も傷つけなければ、きっとあの人だって、私のことを嫌いになったりしない。



665 :埋めネタ [sage] :2010/08/25(水) 01:44:05 ID:W5/rP/Xg

「見つけましたよ、三四子。いえ――拳豪みょん、と読んだ方がいいかしら」

 女が前からやってくる。
 見知った顔だ。剣道部に所属している同級生。
 私の敵。彼を狙う女。
 私の――倒すべき相手。
「今日こそは、私の剣の錆になってもらいますよ、拳豪」
 だが、今は相手をする気分にはならない。
 拳が鈍っていて、とてもじゃないがいつものキレはない。
 この状態で彼女と戦ってしまえば、敗北は必至。

 戦闘を避けるために、ハッタリを仕掛ける。
「……何度戦っても同じです。それに今の私は機嫌が悪い。痛い目を見たくなければ、出直してくることです」
「関係ありません。あなたと出会ったその時が、あなたと決着を着ける時。
 構えなさい。今日こそ、あなたから彼の隣のポジションを奪い取ってあげます」
 彼女はそう言うと、携えた細長い紫色の袋に手を伸ばす。
 袋から出てきたのは、陽の光を反射して輝く刀身。
 そのまばゆい輝きと、力強い造形美は、ハッタリなどではない。

 前触れなしの奇襲。
 目を狙って放たれた横一文字が空を切る。なんとかかわせた。
 だけど、今のは危なかった。
 コンマ数秒遅ければ、顔面を断ち切られていただろう。
 額にかかっていた前髪が、半分ほど持って行かれた。

 息つく間もなく高速の斬撃が襲いかかる。
 反撃の機会を見つけられず、防戦一方になってしまう。
 駄目だ。今の体調では、手も足も出ない。
 ――負けてしまう。



666 :埋めネタ [sage] :2010/08/25(水) 01:49:42 ID:W5/rP/Xg

 腿を狙った攻撃が左足を掠める。しかし日本刀の切れ味なら、掠めるだけでも傷口は大きくなる。
 視線をやると、流れた血が膝下へと伝っていくのが見えた。
「……まあ。今ので血を流すなんて、悪いのは機嫌ではなくて、体調でしたか。
 これは好機。そういうことなら、遠慮無く倒させていただきます」

 敵が刀を構えた。おそらく突進してくる。
 彼女が得意とする間合いまで踏み込んだら、もう私はこの世にいないだろう。
 ――誰も殺さなければ、あなたは私を可愛い女の子だと思ってくれますか?
 そんな暢気なことを考えて、敵と向かい合う。
 私を殺してしまえば、彼女は彼に嫌われるだろう。様を見ろ、邪魔者め。

「――――拳豪、覚悟っ!」
 気合いと共に、敵と刀が向かってくる。刀は血を求めているみたいに輝いている。
 遅い。
 遅い。まだ来ない。
 遅すぎる。ここまで待って、ようやく敵は私に一歩近づいた。
 なるほど、これが死の際か。
 殺されるまでの一瞬の間に、辞世の句を詠んでおけということか。

 未練はない。
 未練は――――いいや、あるだろう。諦められない思いがあるだろう。
 例えこの拳が、非力な拳であろうと、岩をも砕く剛拳であろうと。
 そんなものは、私の本当の武器ではない。
 私の本当の武器は、彼への思いだ。
 私を強者たらしめているものがあるとするなら、愚直に突き進む彼への恋心だ。
 拳など無くて良い。この思いだけで私は闘い、勝利することができる。
 ずっとそうしてきた。そして、これからも勝利し続ける!
「うぅぅぅぅ……めぇぇぇぇ……」
 突き進め、彼のところへ。
 貫き通せ、穢れ無き私の心を。

 右拳を握る。強く、固く。砕かれぬ拳を思い描く。
 これまでに経験したことのない感覚だ。
 全身が脱力しているのに、力が漲り、血液が熱くたぎる。

「チェストォォッ!」
 上段から刀が襲い来る。
 同じタイミングで、私も拳を放っていた。
 そう、これが私の最強の一撃!
 全てを無視して、貫いて進め!
「桂月が第四週! 第三十四位の『鋼穿ち』! 受けてみょっ!」
 相手の攻撃を拳で迎撃し、破壊する奥義。
 この拳に触れた武器は、なんであろうと――例え鋼鉄の刃であっても、粉々に砕け散る。
 例外は一つとて、この世には存在しない。


 倒れた女、散らばる刃物の欠片。
 私は勝った。今まで一度も成功しなかった奥義が、成功した。
 見事に武器だけを破壊し、女を通常の突きで気絶させた。
 そうだ。諦める必要なんかなかったんだ。
 私の拳には可能性がある。殺人の拳があるなら、人を殺さない拳があってもいいじゃないか。
 この拳を携え、愛する彼の元へ。
 私の悩みまで粉々になったように、心は軽くなっていた。

 空を見る。真夏の太陽を邪魔する雲は、どこを見ても浮かんでいなかった。


埋めだみょ!