190 :名無しさん@ピンキー:2010/08/30(月) 00:12:26 ID:gwllVSj8
声を掛ける前に松本尋は顔を上げ、こちらを確認してから、大きく溜め息をついた。
携帯電話をしまって、玄関前から少しだけ移動した松本が、目の前に立つ。
「携帯」
暗い夜道でもよくわかる、不機嫌な表情と不機嫌な声で、一言言い放った。
そしてその言葉で、理由にすぐ思い当たる。携帯電話を取り出すと、やはりというか、電源が落ちていた。
「あんたさ、いつになったら携帯を充電するって習慣を身につけるの」
「いや、待ってくれよ。あるだろ電池切れることくらい」
ちょっと言い訳しようと思ったが、松本の睨みが鋭くなっただけだった。
「まあもういいわ。そうだろうとは思ってたけど、やっぱり心配だから、連絡は取れるようにしといてよね」
神経質な発言なのだが、どうも松本は連絡を取ろうとして取れないと落ち着かないらしかった。出会った頃からそんな感じで、連絡が取れないとなると、大した用事がなくてもこうして直接会いに来たりする。
でも随分と久しぶりだ。ここ最近は、朝に学校で嫌味を言われるだけで、家に来たりはしていなかった。
「松本が来たの、半年振りくらいか?」
「そのくらいかな。前に来たときは、髪切ってもらったときだし」
「……お前、髪伸びたな」
時間が経つと髪は伸びる。毎日のように顔を合わせているとあまり意識しないものだが、ふと何かの拍子に、ああこいつ髪伸びたなと思ったりするのだ。
松本は特に自分の髪型に拘りがないのか、伸びて切ってを単純に繰り返していて、今は髪が長い時期ということになる。
「今日、他の奴にも言われてさ。用はそれ。明日、髪切って」
用事はあったようだ。となると、連絡がつかなかったのは本当にいらついただろう。
こんな風に、松本は何度か散髪を頼んできたことがある。修行中の身としては、人様の髪に手を出すのはよろしくないと思うのに、実際に松本の頼みを断ったことはない。
無料で散髪ができる奴と、本物で練習ができる奴。損する奴はおらず、得しかない。ついでに実は、誰にも言えない狙いがあったりもする。
こう、髪に一家言ある人間としては、友人の髪にも注文をつけたいというか何というか。
「明日かよ。まあ、いいけどさ」
「うん。じゃあ私、もう帰るから。また明日ね」
「送ってくか?」
「いいよ、一人で帰る」
軽く手を振って、松本は歩き出してしまった。目的を果たせば、さっといなくなるのも、まあ慣れたものだ。


191 :名無しさん@ピンキー:2010/08/30(月) 00:13:59 ID:gwllVSj8
「今日俺、掃除当番だったわ」
次の日の朝、相変わらず先に教室にいる松本が正面に座り、放課後の予定を改めて確認しようというところで、凄く地味な問題が発生していた。
「つっても、どうせ夜までは店使わせてもらえないでしょ」
「それまでどうする? 何やるにしても、待たせることになるんだけど」
「別に掃除くらい待つよ。あー、でも、待って。それなら夜まで依子と遊ぶかも」
そう言って携帯電話を出して、松本は友人と連絡を取り始める。大宮依子というのは中学時代の友人の一人で、今でも松本とは仲がいいらしい。
「まあ、昼までにはメール返ってくるから、そのとき決める」
「お前メール打つのはえーなー」
問題と言っても、この程度の話。そもそも、予定が変わるような事件なんて、そんなに起こるものではない。
ましてやつい先日、事件と言えるような出来事を体験しているのだから、しばらくの間は何もないに決まっている。

メールは本当に昼に返ってきたそうで、松本は夜まで大宮と遊ぶことになり、放課後は松本を待たせることなく掃除となった。
教室の掃除は基本的に適当だ。当番の掃除なんてものを真面目にやるつもりはなく、周りの連中と揃って終始だるい感じにやり終えた。毎回そんなもので、学生のうちは多分ずっとこうなんだろうと思う。
ちょっと床に落ちている長めの髪の毛なんかが気になったりもしたが。あの日に綺麗に全部片付けられるとは思えないし、昨日の掃除だってどうせ適当だっただろうから、少し残っていたのかもしれない。


掃除当番を終えて、普段より少しだけ人の少なくなった校舎を出て、いつものバス停へ向かう。
極少数しか使わないバス停は、こうして時間を外すと誰もいないのが常で、今まで掃除当番の日に誰かと居合わせたことはなかった。もっと遅くなれば朝は一緒であるバスケ部の奴が使うみたいだが、帰宅時は部活が休みの日にしかそいつと遭遇することはない。
なので、木村千華が立っていることに気付いたときは、かなり驚いた。


192 :名無しさん@ピンキー:2010/08/30(月) 00:15:36 ID:gwllVSj8
昨日と同じように、こちらに気付いた彼女が声を掛けてくる。
「今、帰り?」
「ああ、うん。木村も?」
聞き返すと、彼女は首を振った。
「大須賀君を、待ってたの」
またか、と思ったが、その後に何か考えるより早く、彼女から質問が飛んできた。
「大須賀君、松本さんと付き合ってるの?」
「……あー」
付き合ってない。と言うのは簡単だが、それにしてもこの質問、一体何度目になるかわからない。
クラスメイトの男子にも聞かれたし、女子にも聞かれたことのある質問だ。否定した後日、再確認するように聞かれたこともある。
確かに、少し女友達にしては距離が近いかなあとは思うものの、松本は他人との距離が元々近い奴なので、中学時代の別の男友達ともこんな感じだった。
大宮を加えたその四人でつるんでいたのだが、環境が変わり、二人になって途端に目立つようになったということだろう。
「付き合ってないよ。友達」
と、結局は簡単な返答になってしまう。
「そうなんだ。よかった」
「よかったって」
「あの女は駄目だよ」
一瞬、何を言われているのか理解できなくて、理解しても何を言われているのかわからなかった。


193 :名無しさん@ピンキー:2010/08/30(月) 00:16:26 ID:gwllVSj8
「今日は、それを伝えたかったから、待ってたの」
「……ちょっと待ってくれよ。松本が何だって言うんだ」
あまりに唐突な物言いだ。まあこの子はいつだって唐突だったが、それにしても内容はとても軽く流せるようなものじゃなかった。
「理由は、言えない。言ったら、大須賀君が、松本さんに教えちゃうから」
そして今までと同じように、木村千華は笑った。
「友達だからって、信用しちゃ駄目。私を信じて。あの女のこと、よく見てみて」
正直、彼女の言葉に頭がついていけてないという事態が起きていたのだが、彼女が松本に対して、明確な敵意を持っているということくらいは理解できていた。
ここは怒るところなんだろうか。俺の友達を悪く言うなよ、と。
「いや、信じてって言われても」
でも、そんなどうしようもない返しが精一杯だった。
曖昧な返事に対して、彼女は明確な何かを持って、忠告らしい言葉を締める。
「気をつけていれば、きっと気付くから」

そのまま一緒のバスに乗り込んだが、何を話していいかわからなかったし、彼女から新たに話を振られることもなく、彼女が降りるまで、もう見慣れ始めていた彼女の笑顔をちらちらと窺い続けた。
最終更新:2010年08月30日 09:55