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36 :ウェハース第三話 ◆Nwuh.X9sWk :2010/09/12(日) 17:00:58 ID:4iKpRBc0

「寝ちゃったね、穂波ちゃん」

「いつもよりはしゃいでたから、藤松さんのおかげ。今日は本当にありがとう」

皿洗いを終え、台所から出ると穂波はソファーで寝息を立てていた。

「かわいい。本当に天使みたい」

「穂波って名前、いい名前だと思う?」

うん、と穂波の頬を優しく撫でながら藤松さんは頷く。

「父さん意外と凝り性でさ、穂波の名前を決めるのに一ヶ月掛けたんだ」

「すごーい!何か意味でもあるの?」

「穂っていうのは昔の人にとって幸せとか、大地から受けた恵みを意味していたんだって。そんな幸せとか、恵みが波のように押し寄せてくるように付けられたのが”穂波”だって」

「幸せが波のように……か」

「聞いたときは安直だなぁって思ってたんだけど、穂波が生まれてからずっと幸せだった気がするよ」

等間隔で上下する穂波の胸に、少し昔を思い出した。
思えば、穂波を笑わせるために顔芸を練習したんだっけ。

「穂波、上に運んでくる。藤松さんはゆっくりしてて」

「うん、わかった。」

もう、お姫様抱っこにも慣れたな。最初は落っことして母さんにドツきまわされたなぁ、そういえば。
抱えた掌だけで穂波と母さんの部屋を開けて、布団を敷き、穂波を横にさせた。

歯磨きはさせてないけど、今日のところはご愛嬌だろ。

一階に降りると、藤松さんがウフッといった感じの笑顔で僕を迎えてくれた。

「そろそろ帰ってアリバイ作っとかないと、非行に走ったと思われるから帰るね」

「送るよ」

「いいよ、穂波ちゃん一人になっちゃうし、それに……」

「実は家が近所じゃない?」

図星って感じの顔になる藤松さん。そりゃ分かるだろ普通。

「クラスの女子から聞いたよ、本当は最寄の駅△△△駅なんでしょ?」

申し訳無さそうに、藤松さんは表情を曇らせる。

「うん。嘘付いてごめん……」

「謝んないでよ、近いのはあってるし。母さんももうすぐ帰るってメールも来たし、逆に早く送らないとちょっと面倒なんだよね、実際」

「あ、邪魔者発言ですか?それは」

怒った風に、眉間に皺を作る藤松さん。

「ほら、行こう?駅までだけでも送らせてよ」

また藤松さんがウフッて笑った。

「じゃあ、お言葉に甘えて。ありがとう、真治君。あ、それとね……出る前に聞いときたいんだけど」

「うん?」

「明日も朝来てもいいかな?」

「勿論、穂波も喜ぶ」

「…そう、じゃなくて、さ」


静かにだが、深淵の暗闇から突然浮かび上がる泡のように藤松さんの小さな声が響いた。
じっとこちらを見つめる瞳。揺れる事もなく静かに僕だけを捉えるそれは少し不気味だ。

「真治君のために……、来てもいいかな?」




37 :ウェハース第三話 ◆Nwuh.X9sWk :2010/09/12(日) 17:02:19 ID:4iKpRBc0

家を出ると昼間よりも気温は下がったけど、湿度は上げましたよって言った感じの空気で満ちていた。
ジワリと暑い。

「お邪魔しましたー」

穂波を起こさないように藤松さんは申し訳程度の声で言った。藤松さんが玄関を出てから鍵を閉めて、家を後にした。

帰り道は朝の登校の時と変わらずいつも通り、僕が藤松さんを笑わせるためにずっと喋りっぱなしだった。

映画、ドラマ、アニメのパロディや創作ネタのオンパレードである。まぁ創作ネタなんて八割ぐらいが即席モノなんだけど。
藤松さんはお腹を抱えて笑ってくれた。特に好評だったのが『武士の情け』という映画で木村裕也が目が見えなくなってから家の中で歩くたび柱に当たるという目の不自由の恐怖を訴える所のシーンのマネ。
僕の自信作だ。これを映画を見に行った後の平沢の前でやったらすごくウケて一週間くらい会うたびにアンコールされてた。

「だ、駄目、ふ、ふっきんがぁ」

しかしこれには大きな弱点がある。映画を見た人になら誰にでもウケるが、みんなが爆笑するので普段はクール系や、おしとやか系の人の仮面を剥がしてしまう。
藤松さんも学校では物静かで、清楚で、少し影があるって感じの女子なのにさっきまで笑い転げていた。
その仮面が剥がれるところを、まざまざと見せつけられる。面白いが故の悩みでもある。

まぁ、藤松さんは笑顔も可愛いから結果オーライなんだが、やっぱり心境としては少し複雑だ。

ちなみにこの映画で主演の木村裕也、通称『キムヤ』が失明したきっかけはトリカブトの根を食べたからなんだが、この根の名称は『附子(ぶす)』といい、
僕らが日常でお顔が残念な人に罵倒や哀悼の意を表すために使う「ブス」の語源であったりする。
なんでも、食べた人は猛毒に苦しみ、七転八倒、阿鼻叫喚の末、恐ろしいほど顔が歪み、その顔が目を背けたくなるほど酷い有様になるんで顔の表現に使われるようになったとか。

閑話休題。そうこうしている内に駅のロータリーに出た。

駅に入り、改札の前まで来ると何だか少し名残惜しくなった。

「……じゃあ、また明……」

言葉が遮られた。背中に藤松さんが急に抱きついてきた。
藤松さんのブラの少し硬い部分が抱きつく事で押され、潰されていく。形を変えていくのが服越しにだが分かる。

「ごめん……もう少しだけ、一緒にいて。お願い」

そう言って手を強引につかみ、指を絡ませてくる。
心臓が鷲掴みにされたように、全身の血流が止まった。いや心臓をいきなり止められても血流は三回は全身を回って心臓に戻ってくるが、そんな野暮な事はどうでもいい。表現の問題なんだ、こういうのは。

「……ごめんね、ワケ分かんないよね。でも、私もそうなんだ、ワケが分からないの。なんだか離れたくなくって……ごめん…。ごめんね」

彼女、藤松小町は震えていた。

「わかった、とりあえず駅一回出ようか」

「……うん、ごめん」

彼女はそう言ってから僕の手を握り直した。
僕は彼女を手を引いて駅を出た。



38 :ウェハース第三話 ◆Nwuh.X9sWk :2010/09/12(日) 17:03:03 ID:4iKpRBc0

駅を出て、個々に落ち着いてから三十分くらい彼女の手を握りながら夜空を見上げていた。
駅の近くにあるブランコと鉄棒、それからベンチしかない公園の前にはさっきみたいな人通りはない。たまに犬の散歩でもしているおばちゃが通り過ぎるくらいだ。

「俺さ……、藤松さんの告白ウソだと思ってたんだ」

藤松さんはただ僕の手を握り返すだけで反応をみせる。

「女子とかは『えー、だって神谷くん面白いからモテそう』って言うんだけどさ、実際そんな事無くって、人に好きになってもらえた事なんてなかったから藤松さんの告白も面白がった女子グループのドッキリかなって思ってた」

藤松さんはまた手を握り返してきた。ちょっと手が汗ばんできた気がしたけど、全然不快じゃなかった。

「だから、ごめん。簡単に付き合うって返事言ったりして」

「……、じゃあなんで」

「ん?」

「なんで付き合ってくれたの?」

「ドッキリってさ、失敗するとドッキリ仕掛けた人が一番辛いんだよね」

僕は藤松さんに笑って見せた。なんだかそうしないと自分が潰れてしまいそうで、多分こういうのが僕の仮面なんだと思う。

「だから、そういうの分かってる僕がノってあげたら誰も傷つかないし、面白い。そう思ったんだ」

そう言うと藤松さんは恥かしそうにして、顔を伏せた。
ちょっとクサかったかな?

「……ズルいよ、いい事さらっと言っちゃうんだもん」

少し、藤松さんの握る力が強くなった。
やはり相当クサかったみたいだ。我ながら聞いた人の方が恥かしがる事を言うなんてどうかしている。

「あ、あのさ、」

藤松さんは恥かしそうにして、握っていた手を見る。

「い、今は……」

「……」

「なんで付き合ってくれてるの?」

そうなんだ。もうドッキリじゃないって分かったら、僕としては付き合う必要は無いんだ。

「それを答える前にさ、僕も一つ聞きたいんだけど……」

少し間をおいて、息を吸う。じゃないと押しつぶされてしまいそうだから。

「なんで、僕が好きになったの?」

藤松さんはきょとんとした表情のまま首を傾げた。

「俺、藤松さんとなんも接点無かったでしょ?何回か喋った事があって、ただそれだけ。遊んだ事も無かったし、アドレスも知らない同士だったのに」

「えっ……?そんなにおかしい事かな?」

「いや、うん。多分おかしいと思う。だってそれって……」

「一目惚れみたい?」

薄っすら笑顔を浮かべて藤松さんは僕の言葉を紡ぐ。

「……うん」

「私、告白とか付き合うとかそういうの初めてだけど……、一目惚れっていう理由は充分だと思うけど」

藤松さんと繋いでいない左手を握りしめる。
駄目だ。
そんな簡単な理由じゃ、僕は駄目なんだ


39 :ウェハース第三話 ◆Nwuh.X9sWk :2010/09/12(日) 17:04:18 ID:4iKpRBc0

「あるよ、ちゃんとした理由」

少し暗くなった僕を見かねたのか、藤松さんはいつものウフッて笑いながら続けた。

「初めはね、少し一目惚れも入ってたけど、それはただのキッカケ。興味を持つための」

「きっかけ?」

「うん。でね決定打があったの。それも決定打なんて言ったけどそれが三回も」

藤松さんは握っていない方、左手の親指で小指を押さえ人差し指、中指、薬指を上げて見せた。

「告白する前に一回、知り合ってから一回、さっきの入れて三回。あっ、でもこれだと付き合う前のヤツが決定打だね」

穏やかな彼女の笑顔が夜の闇にとても栄えて見えた。

「初めてなの、他の人の事にこんなに心が占められるの。それから私のこと見て欲しいって思った。いつもは放っておいて欲しかったのに、皆の輪の中にいる真治君がとっても遠くて、自分が惨めに見えた」

目を伏せる藤松さん、僕もなんだか居場所に困ってただ向こうに見えるブランコを見つめるだけだった。

「なんとかしなきゃって、必死に考えてやっと行動したのがラブレター。それも自信がなかったから。真治君を私って言う人間一人だけの魅力で二人っきりになれる自信が無かったから宛名も書かなかった」

ズルいよね?そう言って自嘲気味の笑みを見せる。

「私それまであなたに近づくために必死だった。周りの人と話してみたり、メールの打ち方勉強したり……。でもやっぱり駄目だった。そんな事をしても無駄って分かっただけ」

「知らなかった」

「だって、あなたの事は一度も他の人に聞かなかったから。なんだか、名前を呼ぶのも書くのも意識しちゃって……馬鹿みたいだね」

ココまで聞くと小学生男子みたいな奴だな、と素直に思った。

「恥かしいけど、勉強とかしてる時にね……その…笑わないでね?」

「いや、聞いてみないことには…なんとも」

「じ、じゃあ言わない!」

恥かしがったり、怒ったり、ころころ表情を変える藤松さんが何だか僕には新鮮だった。いや、呆気に取られていたといってもいい。

「分かった、努力する。気になるから早く」

「うー。えっとね…、その……苗字とか変えた名前書いたり、してたの」

「は?」

「だ、だから…苗字の藤松のトコ変えて……、神谷小町とか、書いてみたりしてたの……」

恥かしがる藤松さんを置いて、僕は笑いを噛み殺した。それも唇を噛んで必死に笑いを堪えた。
だって、そんな痛い事するの思春期の男子ぐらいだと思ってたから、なんだか妙にツボに入って、笑えてくる。
駄目だ、堪えきれない。

僕は藤松さんとは違うほうを向いてから爆笑した。
一分間爆笑した後、待っていたのは藤松さんの涙を溜めた視線だった。

「……うそつき」

初めて見た拗ねた藤松さんの表情も、とても可愛かった。




40 :ウェハース第三話 ◆Nwuh.X9sWk :2010/09/12(日) 17:05:08 ID:4iKpRBc0

それから藤松さんを宥め、二人で少し談笑した。小学校の時の夢とか、中学校での思い出。とにかく色々だ。

最後に僕の中学の話をした。
僕の中学で靴下に関する決まりで、靴下は踝以下は駄目で色も白に統一されていた時があった。

僕たちは勿論労働組合(生徒会)に立候補し、教師達と戦った。
もう生徒の声なんか頭ごなしに聞くようになっていた教師達の対応に怒り心頭だった僕らは生徒集会の最後の直談判の翌日。
僕らのクラスの同じ志を持つ全員が黒のニーハイソックスを穿いて登校する計画を立てた。
勿論下半身はブルマだ。これには少し男子生徒としての正義も入っている。

しかし、穿いて来たのは僕と平沢を含む男子数名だけで、逆に緊急集会で吊し上げにされただけであった。

これが学級新聞に取り上げられ、それを見たPTAの人が直談判し、学校側は事件をもみ消す代わりに、靴下の制限を無くしたのだ。

しかし、その体罰をネタにして文化祭のクラスの出し物の候補にニーハイソックス喫茶を提案すると担任がブチ切れた。
主謀者である僕と平沢を殴り、これまた不幸な事に殴られるダメージを減らすために殴られる瞬間に 拳が飛んでくるのと同じベクトルに飛んだ平沢にパンチがクリーンヒットし、平沢は慣性の法則にしたがって壁に突き刺さった。
そして、学校側はこれをもみ消すためにニーハイソックス喫茶も許可した。

ここで、藤松さんは爆笑した。目に涙を浮かべ、腹筋を痙攣させている。

少しオチは弱いが、それはいくらでも肉付けすればどうにでもなる。

藤松さんの爆笑の波が過ぎて、やっと落ち着き始めた頃、僕の携帯が鳴った。母さんからだ。時計を見るともう十時前。
来たメールはたった『帰りにアイス買ってきて』という内容だけで、帰りが遅くて心配させたかな?と思ったがなんだか損した気分だ。

時間を告げると、藤松さんは少しビックリしてから、困ったように笑った。

「送るよ」

「うん。ありがとう」

今日四回目の駅前のロータリーを抜けて、改札まで行く。
それから僕は藤松さんに聞いた。

「決定打はなんだったの?」

「駄目、教えない」

財布から定期を取りながら藤松さんは悪戯っぽく笑う。

「だって、一つって言ったでしょ?」

『でしょ?』の語尾の上がりだけで胸がキュンとした。なんだかもう笑うしかない。

「それじゃ、」

「うん。また明日」

僕は藤松さんが改札を抜けて、手を振るのを見た後、踵を返して駅を出た。
駅を出る前にもう一度振り返ると、まだ藤松さんがいた。じっと僕を見つめている。

なんだか反応に困って、とりあえず手を振ると、藤松さんはどう形容していいか分からない笑顔を浮かべてから、手を小さく振って返事をしてくれた。