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95 :ウェハース第五話 ◆Nwuh.X9sWk :2010/09/14(火) 15:50:45 ID:1Hqvk10p

「今日ね……、お母さん、帰り遅いの」

切りそろえられた前髪から覗く彼女の瞳が僕を捉えていた。

「だから、もう少しいてくれても全然迷惑じゃないから」

彼女としては気が気じゃないんだろう。証拠に白い肌が微かに紅潮している。視線は僕を逃がし、伏せられ、どこかを泳いでいる。

「あー…、えっとさ」

「ん」と藤松さんは僕を見ずに反応する

「そんなに意識しなくてもいいから。俺そんなにガっつかないって」

「えっ」藤松さんは頬を紅潮させたまま、僕の方を一度見ると、また目を伏せて溜息を吐いた。

「神谷君……」

「ん?なに?」

目を伏せながら、藤松さんは囁くように言った。

「他に好きな人がいるの?」

「へ?」

僕は間の抜けた声を出す。

「学校の友達が言ってたの、一ヶ月の間にエッチな事をしてこない男子はホモの人か、付き合ってる女の子が好きじゃないか、他に好きな人がいるって……」

心にチクリと小枝が刺さった。
そうだ、きっと僕は本当に藤松さんの事が好きなわけじゃない。だからこの前藤松さんにドッキリじゃなかったって分かっても付き合って

いる理由を聞かれたとき、上手い具合にはぐらかしたんだ。
僕にとって藤松さんは綺麗な宝石と変わらない。見ているだけで満足している。宝石だから恋をすることはない。でも綺麗だから手放したくもない。
なんて都合のいい奴なんだろう、僕は。

「手を繋ぐだけ。それも学校じゃ嫌がるし……。ねえ、黙ってても分からないよ。答えてよ」

いつの間にか伏せられていた藤松さんの眼が僕を捕らえていた。その瞳は揺れずに僕だけをその水面に映している。

「私、その子になるから……、その子みたいになるから、神谷君が好きな女の子になるから、だから…、だから……、好きって言ってよ」

涙が藤松さんの白い頬を伝って落ちていった。僕は何も言えず、ただ俯くしかなかった。

「ねえ、誰なのその子」

「いないよ、そんな子。それに…僕たちまだ付き合って一か月も経ってないだろ?」

鼻を啜る音が聞こえて、すぐに「ウソ」と藤松さんの冷たい声が聞こえた。

「ウソじゃない、本当だよ」

「本当なら、目を見て言って」

顔を上げる。
泣き顔の藤松さん。目が充血している。
初めて見るその表情に僕は鬼気迫るものを感じた。

「藤松さんの事が好きだよ」

そう言うと彼女はとうとう本格的に泣き出してしまった。
ただ、僕は「前にもこんな事があったな」と少し昔を思い出していた。


96 :ウェハース第五話 ◆Nwuh.X9sWk :2010/09/14(火) 15:52:15 ID:1Hqvk10p

初恋の人を思い出していた。

僕の初恋は小学校三年の時、席替えで三回も隣になった女の子。名前はもう覚えていない。
地味な子だったというのは覚えている。昼休みは外でドッチボールやサッカーをするよりも室内の端で読書や仲のいい子たちと談笑していたイメージが強い。

僕としては嬉しい感情だった。僕の周囲にはませた子供も多かったから自分に好きな人が出来ないのが少し不安だった。
誰に聞かずとも、その娘と話す時の上手く噛み合わない感じが恋だと分かった。

僕はその頃から人気者で、人気者の僕が地味な女子に過度に話しかけているに勘のいい男子が気付き、囃し立てた。

「神谷、もしかしてコイツの事好きなんじゃねえの?」

僕はどうでもよかったのだが、そんな事を女の子には慣れない事だったのだろう、ついに泣き出してしまった。

「場が白ける」といった状況を僕は初めて身をもって体験した。
男子達は何も言わず、四方八方に散っていき、廊下には僕と泣きじゃくり、その場に座り込んでしまった女の子だけになった。

とりあえず休み時間が終わるまでに泣き止ませようと、僕は女の子に声を掛けた。
女の子は涙を必死に拭いながら言った。

「神谷君なんか嫌い」

その子の名前も、顔も今となっては思い出せないけど、その時の声だけは今でも鮮明に覚えている。
初めての恋は叶わなかった。僕の築いきた周囲、環境に彼女は傷つけられたのだ。
その時、僕はこう思った。「僕は人を好きになってはいけない」と。
だから僕は生き方を変えずに成長した。彼女への思いを切り捨てたのだ。

僕はそれからその女の子と口を聞く事はなかった。

今の僕の前にいる藤松さんは両手で顔を覆い、泣いている。
「ごめん」そう言って、身を乗り出してテーブルを挟んで向かいに座る彼女に手を伸ばした。涙を隠す左手を出来るだけ優しく取り、両手で包み込む。

藤松さんはまだ泣いている。

「好きな女の子がいないのも、藤松さんが好きなのも本当だよ。手しか繋がないのだって、僕が恥ずかしがり屋だから、だからごめん。こ、小町…、さん」
彼女はハッと顔を上げる。

「……うん。嬉しい、もっと呼んで」

「えっ?えっと……」

僕が言いあぐねているの見て藤松さんは、小町さんは笑った。

「ふふっ、ごめん。少しイジワルだったね」

そう言えば小町さんは付き合い始めの頃から僕の事を下の名前で呼んでいてくれたんだっけ。本当にどうしようもないな、僕は。

「あの……、あのね」

「う、うん?」

僕らは付き合い始めた翌日に戻ったみたいに、互いに緊張していた。なんだかこそばゆい。

「あのね……キス、してみない?」

時が止まった音がした。




97 :ウェハース第五話 ◆Nwuh.X9sWk :2010/09/14(火) 15:53:10 ID:1Hqvk10p
「えっ?ええっ!?」

驚きを隠せるハズがなかった。小町さんはさっきよりも頬を赤くして、俯いた。

「キス、してくれたら……、さっきの信じるから。だ、だから」

握っていた小町さんの左手が、僕の右手を握り返してくる。
逃げる術も、逃げる理由もない。だけど、覚悟も無い。ああ、草食系男子とかヘタレとか僕みたいな奴の事を言うんだろうな。

「……いい?」

小町さんはテーブルに身を乗り出し、目を瞑り、小さな口を差し出す。

白い肌とは色と少しの起伏でしか区分けされていない小町さんの唇はいつもより艶やかに見える。
心臓の音がやけに五月蝿い。少しは黙っていて欲しい。止まってもどうせ五分間は生きていられるのだから。
おい、脳味噌!過剰にホルモンを分泌するな!少しは空気を読め!慎め!!志操堅固という四文字熟語を思い出せ!!
いかん。手汗が半端なく湧いてきた。呼吸も少し荒くなってきた。
どうしよう!どうしよう、どうしよう!!

『お前は今日男になるかもしれない。それだけは覚悟しておけ』

五月蝿いよ!こんな大事な時にお前の顔なんぞ思い出したくも無いわっ!!
ああ、神様!人前で話をしても恥かしがらない肝っ玉だけが俺のとりえだったのに!!こんなに恥かしいなんて!!
おい平沢!これが男になるって事なのか!?チクショウ、こんな土壇場にアイツに質問なんて恥かしい!!

うわあわわわわああああああああああああ!!

とりあえず落ち着こう。それで、『フレンチキス』とやらで済ましておこう!!
こういう時って、確か男も目を瞑ってイった方がいいんだよな。よし落ち着け…、落ち着け、神谷真治……。ビックリするぐらい落ち着け。
なんなら、「これが日常茶飯事ですけど?」ってぐらい落ち着け。
呼吸を三回して、自分を落ち着かせる。ここでお腹の下辺りにまで空気が行き届くのイメージするのがミソだ。

包んでいた左手を小町さんの肩に乗せる。刹那、小町さんが震えた。いや今も震えている。
無理をさせているのを痛感した。

とりあえず、まだ目を閉じずに距離を詰める。空調の音が妙に浮きだって聞こえた。
ある程度、距離を詰めると肩の震えを止めるように少しだけ強く掴んだ。右手を握り返される。

俯いて、聞こえないように息を吐いて、吸った。
顔を上げると、今までになかったぐらい藤松さんの顔が近くにあった。

周りから音が消えていた。僕の眼には小ぶりな小町さんの唇だけが映っている。

こんな時になんだが、『本当に顔小さいなあ』とか『肩柔らかいな』なんて思ってしまう。

思わず愚息が反応したのが分かる。このまま顔を近づければ、唇は触れ合うだろう。

……覚悟を決めた。そして目を閉じる。
近づいていくのが分かる。藤松さんの可愛い鼻息が鼻にに当たったからだ。

それからきっかり五秒後、僕は自分の唇に温かいものが触れたのを感じた。




98 :ウェハース第五話 ◆Nwuh.X9sWk :2010/09/14(火) 15:54:02 ID:1Hqvk10p

優しく触れて、ゆっくりと唇を離す。

離す途中で、目を開くと小町さんと目が合った。
微笑んで見えたその瞳は深い亜麻色で底が見えない。

「ねえ……」

まだ距離はそんなに離れていない。吐息がかかる。

「そっちに行ってもいい?」

妖しく微笑む小町さんの質問に、僕は心臓を鷲掴みにされたような気分になった。だからただ頷くだけ。
小町さんはウフッて笑うと、立ち上がって、僕の隣に座った。

「フフッ、何だかいつもより近くに感じる」

そう言って小町さんは僕の手を握る。また汗が噴き出してきた。

「ねえ、どう……だった?」

「どうだって、そりゃ。チョコパイの……匂いがした」

またウフッて小町さんが笑った。

「ねえ、真治君」

小町さんの両手が僕の頭の後ろに回る。

「んっ!」

再び、唇が塞がれる。さっきよりも長く強い。唇の肉が圧されて形を変える。
そしてまた離れる。

「藤松さん!?」

「もう戻ってる……」

藤松さんは眉間に縦ジワを作る。
それからまた口付け。
さっきとは僅かに違う。僕の上唇を小町さんが口に含んでいる。

もう小町さんは僕の膝の上に乗っていた。小町さんは次に下唇を舐めた。
僕は頭の芯が痺れたみたいになって、身体が麻痺していた。されるがまま、無心に僕と接吻を続ける小町さんを止める事は出来なかった。
どれぐらいそうしていたのだろうか。
小町さんは息が荒れていて、僕の顔は彼女の涎で濡れていた。

「はぁ……はぁ…、しん、真治君……!」

身体を時折震わせて、小町さんは微笑んでいた。
それから、また口付けをした。今度はさっきよりも深い。舌が口の中に入ってきた。
それに臆して、僕は舌を奥に引っ込めたけど、小町さんの舌はお構い無しに口の中を動き回る。

「舌を……ハァ…、出して」

言われるがまま、舌を申し訳程度に出すと小町さんはそれに吸い付いた。
口から引き出されたように舌が引っ張り出された。

舌がようやく解放され、小町さんのキス攻めが一端終わる。

「藤松、さん……」

「大丈夫、任せて」

また深い口付けをされる。小町さんは僕の胸に手を置いて、やさしく押す。
僕はそのまま押し倒される。
キスはまだ続いている。押していた手はいつの間にか僕の頭の後ろに回っていて顔を固定されている。

「ま、まって!!」

やっと、唇から束縛から抜け出して、僕はやっと藤松さんを制止する。




99 :ウェハース第五話 ◆Nwuh.X9sWk :2010/09/14(火) 15:54:30 ID:1Hqvk10p

「どうしたの?」

「駄目だ、こんな風に大切な事を簡単に決めちゃいけない」

手を掴み、馬乗りの形で僕の上に乗っている藤松さんを見上げる。

「それは、私の事が好きじゃないから?」

僕は努めて静かに首を横に振る。

「そんなんじゃない」

分かってくれと念を込めて言葉を放つ。

偽りは無い。

藤松さんは僕の眼をじっと見つめてから、息を吐いた。

「……分かった」

「いや、僕も意気地が無いから、ごめん」

僕がそう言うと藤松さんは首を横に振ってみせる。

「ううん。私のことを大事に思ってくれてる。そう感じるから、私、嬉しいよ」

藤松さんは僕に覆いかぶさる形で僕を抱きしめる。
僕も彼女の腰に手を添える。きつく抱きしめると折れてしまうんじゃないかっていう腰の細さに少しドキリとする。

「でも、こういうの止めるのって大体女の子方だと思うけど」

少し笑って、胸元の藤松さんの頭を撫でる。

「そうだろうね」

手触りのいい細い髪が。触れてみると砂みたいに掌から滑って落ちていく。

「ねえ」

心地のいい声で耳元に呟かれた。

「うん?」

「今は、私のこと好き?」

『今は』というところが酷く心に刺さる。同時に……、

『なんで付き合ってくれてるの?』

あの時の藤松さんの不安でいっぱいの表情を思い出す。

「……うん」

腰に回されていた腕の力が強くなった。

「そう、よかった。本当によかった」

そう言って藤松さんは顔を僕の胸に埋める。自然と手が藤松さんの頭を撫でていた。
穏やかに、時間が過ぎていく。

「あ……」

「ん?」

「鼻水付いちゃった」


100 :ウェハース第五話 ◆Nwuh.X9sWk :2010/09/14(火) 15:55:21 ID:1Hqvk10p

「今日はありがとう」

「いや、僕の方こそ教えてもらってばっかりで……、ごめん」

藤松さんはウフッと笑うと、僕の頬に沿って指を滑らせた。

「また、明日向かいに行くから」

「あっ、うん。また明日」

「うん。駅まで送れなくてごめんね」

「いや、じゃまた」

手を振って玄関を出た。
階段を降りて門をくぐって、夜空を見上げる。僕の地元より、星が多く見える。
唇に触れて、ついさっきの事を思い出す。

「なんで俺なんだろう?」

あれだけ尽くしてくれる理由をまだ僕は知らない。
知らない?そういえば、今日テスト勉強したよな?
あれ?何したっけな?

「ああー。やっぱ家でしか勉強できないか」

僕はやけに星が栄える夜空を見ながら今日やった事を思い出そうと記憶を辿りながら駅を目指した。