159 :ウェハース5.5 ◆Nwuh.X9sWk :2010/09/15(水) 23:18:55 ID:aOHfBpVC
見つめるのは闇、あるのは孤独。沈黙する私を救い出そうとする人はいない。
毎日と言う時間の経過に埋没していく自分に退屈していた。何か夢中になれるものが欲しかった。
惰性が自分の中に蓄積して、溜息として吐き出す工程を休みなく繰り返していた。
私、藤松小町はとても退屈な人間だと思う。
趣味もなく、可愛げもなく、小賢しい娘。
人がどうすれば喜ぶか、どうすれば自分の味方になってくれるか何となくだが小さい頃から分かっていた。私は人並みに以上に顔の造形がいいらしく、黙っていても評価は人並み以上だった。
ただそう言った性格のせいか私は人よりも計算高い性格だった。
新しい学年に上がって、人間関係が一新されてもすぐまた皆から好かれる環境を作るのは容易だった。
すぐに飽きてしまった。シーソーゲームなど在りはしない。
駆け引きの前に、信頼関係が始まるよりも前に人には好みがあり、傾向があるからだ。
斜に構えた子供が抱えた不安も両親に隠すのは他愛もなかった。
結局人は訴えるものがなくては聞く耳を貸さないのだ。
思わせぶりな態度、いつもとは違う声の調子、視線の移動。
変化の兆しを見せなければ、心の表面を見せたりしなければ人は分かろうともしない。
輪にも葛にも掛からないとはこういう事だ。
頭打ちになった現状に私は絶望も悲しみも感じなかった。
そんな事になるのは薄々気付いていたから。私は他人と衝突しないまま、小学校を終えた。
中学に上がってすぐ告白された。
相手は同じクラスの男子で、小学校も同じだったハズだ。
彼はクラスでも中心人物的立場で女子からも人気だった。
告白されても何の感情も起こらなかったというのが少し悲しかった。
私は適当に告白を断り、その後も何回もされる告白を蹴り続けた。
一度だけ、私に告白してきた男子に聞いた事があった。
『私のどこが好きなの?』
男子生徒は性格だとか、なんとか言ってたけど。私ではなかった。私の事ではなかった。
本当の私を見抜いていない。まるでドラマみたいで笑えてきた。
どうせ顔だけの癖に、変な見栄を張らないで欲しい。
そうして、中学生活が終わった。
高校受験の折、初めて私は失敗と言う言葉を味わった。第一希望だった私立高校に落ちたのだ。
しかし、それでも落ち込んだり、感傷に浸ったりはしなかった。
そこそこの公立には受かっていたし、それで落ち込まなかったかもしれない。
何よりどこにいても同じという考えもあった。
高校に入っても始めの内は詰まらなくて仕方がなかった。
私はそのうちコミュニティから外れていき、孤立するようになっていった。必然的に男子からの告白数も減った。
生徒の気性が変わったのも関係するだろうが、それは私にとってありがたかった。
人間関係から解放された私を待っていたのは穏やかな時間だけであった。
ゆっくりとだが、確実に流れる時間は私にとっては心地のいいものだった。
遠くからクラスメートを眺めているのは少なくとも心労にはならなかった。
そして、いつものように蝉が鳴き、馬が肥えて、木の枝に雪が積もり、それが溶けて桜が溢れた。
何も得ず、何も失わず、私の高校生活一年目は終わったのだ。
春休みも一人っきりの家で読書して過ごした。


160 :ウェハース5.5 ◆Nwuh.X9sWk :2010/09/15(水) 23:19:52 ID:aOHfBpVC
高校生活の二年目の始まりの前に父から電話が入った。
内容は一緒に海外で暮らさないか、というものだった。
私としてはそれはそれで面倒だったので、言葉を濁しておいたが、父は私と暮らしたいらしく「考えておいてくれ」と半ば強引に話を置いていった。
高校二年目のクラスは始業式当日から騒がしいものだった。いや、不思議と心弾むものだった。
私が笑ったのだ。
私の列の一つ横の席の男子。神谷真治。彼の話はとても面白かった。
彼は送れて教室に入ってくるなり、担任に遅刻した理由を咎められた。
彼は荒れる呼吸を整えるなりこう言ったのだ。
「家を出たら自転車が地面に突き刺さってたんです!!」
開口一番のそのセリフに私は小さく笑い声を漏らした。
彼が事の次第を説明していると今度は平沢という男子が遅刻してきた。
先生がまた平沢君にワケを聞くと彼は言った。
「家を出たら自転車が庭に突き刺さってたんです!!」
その答えにクラスは笑い声で溢れた。二人は担任に頭を小突かれると、席に座って置くように指示された。
「いや、まさか地面に突き刺さってるとはなあ、思わず写メ取っちゃったよ」
担任の教師が教室から出て行くと、彼は携帯の画面を皆に見せた。
いつもなら、私はそこで傍観者に戻っていたのだけれど、妙にさっきの事が気になっていた。
彼はそんな私に気付いたのか、私に柔らかな笑みを向けると「君も見る?」と携帯を見せてくれた。
そこには地面からハンドルが生えている画像が映されていた。
思わず、笑い声を上げてしまった。ハッと我に返ると彼が笑みを浮かべていた。
「すごいだろ?」
私は言葉を失くした。屈託の無い、と言うのを初めて見た。
私はただ力なく頷くだけで言葉を返す事が出来なかった。
「おい、神谷俺にも見せろよー」
行かないで。言葉があとに続かない。
「おー、分かった。ごめん、じゃあね」
彼は私に見せていた携帯を他の男子生徒に見せ、談笑を始めた。
それから彼の話に人が集まり始めた。担任が帰ってくるまで、彼の周りで笑い声が途切れる事は無かった。
彼と話してみたい。素直にそう思った。慣れない気持ちが少し不快だった。
彼の下の名前を知ったのはその後だった。
その日の晩、私は父に電話を入れ、誘いを断る意思を告げた。



161 :ウェハース5.5 ◆Nwuh.X9sWk :2010/09/15(水) 23:21:02 ID:aOHfBpVC
翌日から、私は彼を気に掛けるようになっていた。
分かったのは四つ。彼はとても人当たりがいいという事。
あれは人と争った事も無いような性格だ。人をいじった後もしっかりと侘びを入れ、気遣いの良さを見せる。
根が優しい人なのだろう、いじられた人も彼にならその行為を許容しているようだ。
二つ目は交友関係の広さ。彼はとても交友関係が広い。クラスだけに止まらず、違うクラス、違う学年にも話しかけられているのをよく見かける。しかし奇妙な事にこれは男子に限った事なのだ。
女子生徒とは同じクラスか、前に同じクラスであったかぐらいの人数としか喋らず、自分からも話しに行こうとしない。
同性といる方が気楽なのは分かるが、当人の方に苦手意識があるように見える。
三つ目は勘なのだが、多分家族内に年下の家族がいる。
時たま見せる気配り、面倒見の良さ、人付き合い。どれを取っても彼は同年代より頭一つ抜けている。多分歳も結構離れているのだろう。
そして最後にだが、彼は私と同じ。人の考えが分かるように見える。
皆から笑いを取る時の喋り方、話のテンポ、オチの付け方、アジテーションどれをとっても人の笑いのメカニズムを完全に理解し、掌握している。
歳を重ねるごとに変わって行くそれらも熟知し、教師達を笑わせる場面も良く見た。
何より彼は博識なのだ。俗に言う話のネタを数え切れぬほど持っている。知識の幅は音楽では落語から洋楽。映画やドラマ、アニメに関しても知識があり、どんな人とも話が合う。
そして自ら進んで大衆の笑い者になっている。私のように人に絶望することなく、人と関わり、それに対して喜んでいる。
分からなかった。私の生き方、考え方を全て間違いだったと、愚かだったと言うようなその生き方に私はさらに興味をそそられた。
彼と話がしたい。その考えは変わることは無かった。
六月に入るかどうか、そんな時に私は教室に忘れ物をした。
慣れない事だった。バス停を降りた時に忘れ物に気付き、そのままバスでとんぼ返り。
部活動は始まって一時間ほど経っていてもう校舎には教師を除いて暇な生徒か受験生ぐらいしか残っていなかった。
クラスの前まで来ると中から話し声が聞こえた。普通ならここで構わず入っていって忘れ物を取って帰るのだけれど、私は引き戸に手を掛けなかった。
中から聞こえた声は、彼の、神谷君の声だったからだ。耳を欹てる。
「お前さ、なんでそんな真面目なこと言えんのに皆の前であんな馬鹿なことすんだよ?」
この声は、たしか平沢とかいう男児の声だ。
「ああ、なんていうかさ、俺さ小さい頃から何となくだけど人の笑いのツボって言うの?そういうの分かるんだよ」
「へえ、そうなの?」
うん、と彼は肯定する。私は何だか嬉しくなっていた。私と一緒の人がいた。それが無性に嬉しかった。
「それでさ、人を笑わせていたらそれが嬉しいとか楽しいって思うようになった」
「殊勝じゃねえか」
うるせえよ、と神谷君は擽ったそうに言う。
「でも中学くらいの頃かな?イジリってのが出てきたんだ。面白くないヤツもあった。でもいじれば面白くない奴でも笑いを取るのは簡単だし、何より自分が汚れないから、やりたい放題」
「ああ、確かにいるよな、イジリネタしかしない奴」
だろ、と彼は苦笑いを交えて相槌をうつ。
「それでさ、俺以外が望まない汚れ役になるぐらいだったら俺がそうなろうって。俺ならつまらないイジリだって面白く出来る、そう思ってさ。あ、これ恥かしいな」
ああ、彼はなんて……。
「汚れる気が無い奴とは泥遊びは出来なけど、やってる姿を見て楽しそうだなって思って欲しいんだ、俺は」
彼はなんて強かなのだろう。なぜそんな事が思えるのだろう。私は諦め捨てていたのに彼はそれに殉ずるという。
自らよりも軽率で、聞き分けも無く、助けもしてくれない他人になぜそこまで出来るのだろう。
けっして誰にも気付かれる事はないだろう事を胸に秘め、馬鹿にされ笑われるだけ。




162 :ウェハース5.5 ◆Nwuh.X9sWk :2010/09/15(水) 23:21:32 ID:aOHfBpVC
あえてならない人も卑怯。でも求める大衆もまた卑怯なのだ。
人々は優れた生贄を求めているだけ、自分達が盛り上がるために血が見たいだけ。それにあえて買って出るなんて、それではまるで。
「ただのピエロじゃないか」
ああ、と彼は相槌を打つ。
「でも、相手を貶めた所で相手に好かれるわけ無いだろう?そういった人たちを咎めるのも同じ事だし、結局は堂々巡り。なら技量も覚悟ある俺が一肌脱ごうって思った」
「ちょっと出しゃばりだけどな」と照れ隠しなのか、恥かしそうな彼の声が後から着いて来た。
いがみ合いでさえ他人の事なら笑ってしまう人がいるのに。そんな破廉恥な人達すら彼は内包しようとしている。
これだけ優しい人が、なぜこんなに辛い決断をしなければならなかった。
なぜそんな決断をした人を知れずに彼を笑える。なぜ彼は、こんな風に見ず知らずの隣人達を慈しむ事が出来るのだろう?
いつの間にか私はその場から駆け出していた。
人の気配の無い三階に上がり、非常口に出てようやく気が付いた。
私は泣いていたのだ。私に微笑みかけてくれた彼の表情を思い出す。
私も彼の優しさの中にいた、分け隔て無く彼はこんな私にすら、包んでくれていた。
それがたまらなく嬉しい。心が震えたのだ。そして彼がそうしてくれたのが嬉しいのだ。
嗚呼、身体が軽い。解放と同時に見つけたのだ。
いかなる束縛も断ち切り、どのような障害も物ともしない『夢中になれるもの』を。
胸が疼き、気持ちが昂る。慣れない感情に少し戸惑ったが、大丈夫、今なら受け入れられる。
私はその日、彼に恋をした。
最終更新:2010年09月16日 10:09