※上記の広告は60日以上更新のないWIKIに表示されています。更新することで広告が下部へ移動します。

205 :ウェハース第七話 ◆Nwuh.X9sWk :2010/09/17(金) 11:01:55 ID:9UEy9fHN

夏休みに入って三週間。僕たちは休みを謳歌していた。授業のある学校生活より疲れ果てて毎日家に帰ると泥のように眠り、そしてまた体
力のギリギリまで遊びに行くという地獄の鉄人レースのような毎日を繰り返していた。

今日も平沢、武藤と隣町の山の麓にある河川敷にまで遊びに出かけた。

「やべー……、足折れたかも知れねえ」

武藤は暗くなり、山を降りた頃から足が痛いだの、折れただの、五月蝿い。

「マジ折れたかも、ちょい見てくれよ」

「馬鹿野郎、この暗さでお前の臭い足見ても何にもわかんねえよ……」

お前が押したせいだろ、と武藤は半べそをかいて言う。

昼間、高低差のあるちょっとした滝のようになっている所から僕たちは飛び降りたりしていた。
しかし僕たちの中で『ピグレットよりチキン』と評判のピグレット武藤がそれを躊躇っていた。平沢はその様子に業を煮やし、武藤の背中
を押したのだ。

ここまでなら、まぁよくある話なんだが、武藤は引きの悪さもあり、一時期イーヨー武藤とも呼ばれていたぐらいだ。そして今回もその引
きの悪さを発揮してしまった。

彼はなぜか着地してしまったのだ。深くなっている底まで行かず、水深三十センチぐらいの所に足を着いてしまい、慣性の法則に従い運動
エネルギーを吸収するという大技を水のクッションを使わず自分の身一つでやってしまったのだ。
膝を曲げ、腰を落としても、顔だけは水面から出ていた彼を見て、僕と平沢は腹を抱えて笑っていた。

それが今になってこんな風にグチグチと文句を言うだけになってしまった。
僕と平沢が疲れ果て、あまり相手にしなかったのにも起因しているのかもしれない。

まあ、多分大丈夫だろう。
やっと山を下り、街灯がちらほら見え始めた頃にはもう夕闇が辺りを包んでいた。

「おい、頼むよ神谷、平沢ついに無視し始めたからさぁ」

いい加減五月蝿いので僕が診る事にした。

僕は武藤の足を見て、度肝を抜かれた。明らかに左右バランスがおかしい。
左足は普通なのだが、右足がまるで超人ハルクの様に青々として肥大化している。思わず言葉を失う。多分こんな場所で使う言葉では無い
が、その光景はまさに壮観の一言に尽きる。

「おい、平沢」

「ん……、うわ」

平沢の小さな「うわ」という言葉が惨劇を物語っていた。
なんかもうどこぞのサッカー漫画の日向くんみたいなバランスになっている。

「おい、何だよ。どうなってんだよ?」

こ、これは……。

「お、折れてるな」

「ああ、間違いない。アイツどんだけだよ」

平沢が舌打ちをする。お前が押したせいだろ。

「しかし、すごいな」

「俺なんか今ブランカ思い出したわ」

「俺はハルク」

「結局、緑じゃねえか」

小さい声で確認を取って、武藤に出来るだけオブラートに包んで事実を告げた。

「武藤、右足もんっすごい折れてる」

武藤は青い顔で、嘘だろ、と訊ねてきたから僕らは首を横に振ってから平沢が言った。

「お前右足だけブランカみたいになってる」

僕はハルクの方が合ってると思うんだけどなあ、まあこの際一緒か。
武藤はその後失禁し、僕らは病院まで武藤を運び、病院で武藤の両親に頭を下げてから家に帰った。



206 :ウェハース第七話 ◆Nwuh.X9sWk :2010/09/17(金) 11:05:01 ID:9UEy9fHN

昨日の事件により、僕らはいったん身体を休める事に集中するようにした。

というか事件により地元にいる平沢と武藤の身動きが取れなくなったのがデカイ。
事件の翌日の今日、十一時間も寝ていた僕はある事を思い出した。

「夏休みの宿題、やらなきゃ……」

そうしてそれから晩御飯を食べて二時間後の今、僕は頭を抱えていた。

英語、国語は両面印刷で十枚、化学、数学Ⅱ、B、物理、生物は小冊子一冊ずつ、世界史にいたっては自分の興味の持った歴史上の出来事を深く調べる。といってレポート十枚を義務付けられている。

「無理だな、これは」

いっその事シュレッダーに掛けるかどうか迷っていた時、携帯が鳴った。
画面には『藤松さん』と表示されている。

藤松さん……小町さんとは夏休みに入って今から一週間前に遊んだだけで、それ以外は電話でしか話していない。
僕は通話ボタンを押して、携帯に耳を当てた。

「もしもし、藤松ですけど……」

携帯に携帯から電話してるんだからそりゃ小町さんでしょ、なんて事が浮かんだが口からは出さなかった。

「うん、どした?」

「えっとね、明日空いてるかなって思って、真治君に会いたいし……」

「小町さん、ごめん」

「えっ……?」

不安がこぼれた声になる。なんでそんな泣きそうな声を出すんだ小町さん。

「……夏休みの宿題、手伝って」

「えっ?えっ?」

電話の向こうはパニックに陥っている。
余計な事するんじゃなかった。煩わしく思いながら僕は現状の説明を彼女を落ち着かせるのと同時進行ですることにした。

「……というわけで、二時間でした事は呼吸と瞬きと自己嫌悪だけだ」

説明に五分も掛けてしまった。電話の向こうの小町さんはようやく落ち着きを取り戻し、今ではクスクスと可愛らしい笑い声を僕の耳にこだまさせている。
僕は声フェチなのかもしれないと一瞬思ったけど、あまりにどうでもいい事だな、とすぐに思いをかき消した。

「うん。分かった」

やっと分かってくれたようだ、これでやっと宿題をシュレッダーに掛ける事ができる。

「明日から宿題付き合ってあげるね」

「へ?いいの?だって俺まだなーんもやってないよ?本当だよ?シャーペンの炭素も付けてないよ?」

「うん。私もう終わっちゃったし」

スゴイ。やっぱり出来る子ってスゴイ。

「もうね、一生付いてく。ありがとう小町さん……」

「それほどでも……あるかな?えへへ」

ああ、クエスチョンマークってなんて偉大なんだろう?電話の向こうではにかむ彼女の顔が容易に想像出来る。

「それじゃ、明日朝の……、八時からでいい?」

僕は驚いて、思わず聞き返した

「は!八時ぃ!?」

向こうの彼女は不思議そうな声の様子でえっ、というと「だって、早く会いたいじゃない?」と続けた。
にしたって八時は早すぎるだろ。なんとか用事がある振りをして時間をズラすか。

「穂波も送らなきゃいけないし、昼ごはん食べてからにしない?」

小町さんは逡巡の後、「じゃあお昼に会おうよ」と言った。

これは何だろう、昼ご飯一緒に食べようよ?って意味なんだろうか?




207 :ウェハース第七話 ◆Nwuh.X9sWk :2010/09/17(金) 11:07:04 ID:9UEy9fHN

「お昼ごはん、一緒に食べたほうがきっと美味しいよ?」

そういう意味だった。

それから、なぜかミスター味っ子を思い出した。いや忘れてくれ。

昼は確かに両親はいないけど……、お昼の家庭事情を考えていると、彼女の家の事情を思い出した。
誰もいない一人の食事。
たまにだったらなんとも無いだろうけど、それが長い間続いて当たり前になって……。
他の人とご飯を一緒に食べてその寂しさが急に重く感じるようになったら、僕ならきっと耐えられない。

「……、明日は一緒に食べよう小町さん」

「えっ?」

「一緒に食べたほうがきっと美味しい」

「う、うん!じゃあ……場所、どこにする?」

すっかり予定を決めた気になっていた僕は場所と聞かれて少し間を空けた。
勉強するんだし、図書館とかの方がいいよな。

「じゃあ、図書館でいい?」

「……わかった」

多分、分かっていない。そういう声の調子で言っていない。

「はぁ……、小町さん行きたいトコあるんなら言ってよ」

ほんとうにいいの?電話の向こうからの声はさながら小動物を思わせる。

「もちろん何処えなりと」

「じゃあね……」

どこでも行けるさ、なんたって今日は早めに寝るからね。と軽い気持ちで言った。それが間違い、いや失敗だった。

「真治君の家!」

「駄目だ」

「うっ、返答早いね……。なんで?」

「エッチな本隠さなきゃいけないから」

「えっ?持ってるの?」

「男子の嗜みです」

「ふーん。でもさっき『何処えなりと』って言ったよね?」

何処えなりとの部分だけ僕の声を真似て低い声で言う小町さん。似てねぇ、と僕は本音をグッと堪えた。

「うん」

「じゃあ交際中の女の子の頼み事を断るのも、嗜み?」

向こうで悪戯な笑顔を浮かべているのが分かる。それがおかしくて僕も口元だけで笑ってしまう。

「分かった、じゃあ俺んちに……えっと」

「八時!!」

「だから八時は早すぎだから!」

迅速に却下を下す。これ以上の譲歩は危険だ。その内今日からとか言い出しかね無い。

「じ、じゃあ八時半!!」

「とりあえずそれでも早すぎだから!本当に勘弁して!!」

結局議論に議論を重ねた末、僕が少し折れる事になり、約束の時間は十時に決定した。
小町さんはそれでも不服そうで、声の調子をあからさまに落としていた。

僕は電話を切る前に「さっきの声真似全然分からなかったけど?誰の真似したの?」と聞くと彼女は何も返さず、そのまま電話を切った。




208 :ウェハース第七話 ◆Nwuh.X9sWk :2010/09/17(金) 11:09:20 ID:9UEy9fHN

穂波に起こされる朝は土日に限定されていたのだが、今日は土日でもないのに穂波に起こされた。
時計を見ると八時ちょっと前。まあ、いいだろう。部屋を出ると、ジメッとした空気に思わず部屋に戻りそうになった。

それでもめげずにリビングに下りると母が最近になってハマり始めたカレーライスが食卓に並んでいた。

「あら、アンタの分無いわよ?」

実にありがたい事だ。僕は心の内を悟られないようにいいよ自分でなんか拵える、と台所に立った。
朝からカレーとは強靭な胃袋だ。口も臭くなるしな。

「母さん、牛乳と一緒に食って歯磨いてから行けよ」

分かってるわよ、と母さんは穂波に幼児用のスプーンを渡す。
とんだゲテモノ食いだな。

ちなみにゲテモノとは漢字で『下手物』と書く。じゃあ『上手物』もあるのかって?勿論ある。
下手物とは本来大衆向けの廉価版みたいな意味合いで使われていた。しかし戦争や時代の波などがあり、下手物は廉価版なのにさらに質を落とさなければいけなくなった。
そして下手物は使えない物、食べられない物という意味で使われるように変わっていった。

さっき、僕が母さん達の朝食に使った意味は『信じられないもの』として使った。現代ではこういう風に派生する事もある。
それから母と穂波を見送り、皿を洗い、洗濯物を干し、リビングに戻ってニュース番組の前日までの甲子園ハイライトを見ていると、インターホンが鳴った。

時計を見ると九時十五分。宅配便ってこんなに早くからやってるなんて凄いなあ、大変だなあ、と呑気に思いつつ判子を持って玄関を出ると、とても宅配便を持ってきた人に見えない格好の人物が立っていた。
割と幼く見える顔に黒髪の栄える白のシフォンワンピース。細い足が際立つ黒のタイツ、靴は可愛らしい夏を意識させるサンダル。
思わず見とれてしまう。彼女、藤原小町は自分に似合う服と言うのが十二分に分かっているらしい。

ジャージに白の生地に下山と黒い字がプリントされているTシャツ姿の僕とは住む世界が違うように見える。

「あぅ、えっと……」

首を可愛らしく傾げ、癖の無い彼女の表情が微笑む。

「なに照れてるの?」

クスクスと笑う彼女に照れている自分が本当に情けなかった。

「て、照れてないよ。それよりまだ九時なんだけど……」

「え?ホントに?」彼女はワザとらしく驚いてみせる。確信犯か。

ちなみに確信犯とは間違っていると分かっていて、なお実行する事では無く、本人が正しいと思って実行する事を言うらしい。
でも間違っててもやるのと、正しいと思ってやるのとは結局同じではないだろうか?
現に彼女は間違ってても自分は正しいと思ってここに来た。同じ行動をどういう角度から見るか、それだけの話だと思う。

「家の時計壊れちゃったのかな?ごめんね。ワザとじゃないんだよ?でもこのまま外にいると熱中症になるし、家は遠いし、中に入れてほしいなー」

僕はエロ本、DVDの位置を頭の中で整理し、作戦を練った。
でもなんでアダルトDVDの事を未だにAVと呼ぶんだろうか?ADになるんじゃないの?まあどうでもいいか。

溜息を吐いて、彼女を招き入れた。すれ違った時に彼女からほのかに香った匂いに少し愚息が固くなったのは秘密だ。

「ねえねえ!真治君の部屋に行っててもいいかな!?」

目をキラキラさせて小町さんは普段見せない、出さない声で尋ねてきた。

「いいけど、あんまいじるなよ?」

彼女は二回頷くと、僕の部屋に向かった。あれは絶対エロ本を探す気だな。
大丈夫、昨日あれだけシュミレーションしたんだ。僕がお茶とお菓子を持って部屋に行くまでの時間しか彼女に探す時間を与えなければ僕の勝ちだ。




209 :ウェハース第七話 ◆Nwuh.X9sWk :2010/09/17(金) 11:10:44 ID:9UEy9fHN

コーヒーと牛乳を二対八の割合で混ぜ、氷を二個入れておく。
スプーンでかき混ぜるとそうしたものを入れた二つのコップを台に乗せ、シュガースティック、マシュマロ、チョコパイを乗せた皿も同じく台に乗せ、台所を出た。この間実に三分。
行ける!何の問題も無い!!急ぎすぎず、かといって慎重過ぎずといったペースで歩を進める。
部屋の前まで来た。時間は四分に手が掛かるかどうかといった所だ。

「おまたせー……」

部屋に入ると、僕のコレクションが机の上に出されていた。

「ちょっ、おま!!」

台を適当な所に置き、空しい抵抗として、本の何冊かを拾い集める。
彼女は真顔で僕を見たまま、数冊の山を分かるように叩いて見せた。

「男の子の嗜みって、案外即物的なんだね」

初めての彼氏の部屋訪問でお宝を探す彼女と言うのは少し珍しいのではないのだろうか?

っていうかどんな拷問だよ、これ。ぜったい寝る前に思い出して恥かしさのあまり胸を掻き毟るだろ。

「頼むから、大人しくしててくれ。ホント頼むから……」

なぜか勝ち誇った笑みを浮かべる彼女に、初っ端から疲労してしまった僕。
こんなんで宿題出来るのだろうか、少し不安になった。そりゃあ色んな意味で。

「それじゃ、始めようか」

「……うん」

彼女が僕の部屋に来て始めての共同作業は宿題の教え合いではなく、エロ本の整理だった。

※※※

夏休みの宿題と言うのは約四十日間の休暇の間に学力の定着及び苦手範囲の克服を目標としているのであって、物量を嘆くものではない。
宿題を終えた時に残っているのは達成感ではなく、苦手科目を克服、学力の定着による安心感であるべきだと『永遠の学徒』と称された教師が言っていた。

はっきり言おう、そんなのを感じる高校生は稀だ。多分将来の夢は「警視総監です!!」とか真顔で言っちゃうタイプだ。
僕の様な落ちこぼれた高校生にとって忌むべき存在である夏休みの宿題はそのような存在に昇華する事はこれから先も絶対にない。
いつからだろう、宿題を煩わしいものだと感じ始めたのは。小学校の頃の僕はどんな事があっても宿題を真面目に、従順にこなしていた。
鍵を忘れて締め出されても、玄関の前でやっていたぐらいだ。

多分中学に上がって、平沢達と出合った頃、穂波が生まれたぐらいからだ。少しだけ芽生えた親への反抗心、未だに分からぬ社会への稚出な知識から出来た不安。
研修に行っただけで自分達を分かった風に振舞う教師達への反抗。それらが合わさって、社会の縮図である学校へサボタージュを起こしたのだ。だからって何か変わるわけも無いのに。

「お、終わった!!」

あれから三時間で驚く事に国語の宿題が完了していた。

「はい、おつかれさま」

小町さんは僕の肩を揉んで健闘を称える。

「あー、やった。頑張った、頑張ったな俺!」

「そうだね、倒置法の問題間違えた時は心配だったけど」

僕の浅はかさを笑う彼女。でも悪い気分ではない。

「少し休憩しようよ、ね?」

彼女は急かすように僕に言う。



210 :ウェハース第七話 ◆Nwuh.X9sWk :2010/09/17(金) 11:14:09 ID:9UEy9fHN


そうしようかと「よっこいしょ」と席を立つと、よろめいてしまった。小町さんの方に力が働いているのを感じる。小町さんが僕の手を掴んで引っ張っていたからだ。
僕はもうバランスを崩していた。そのまま彼女は僕を力任せに引っ張った。抱き寄せられる感じで、彼女の方に引き寄せられる。

「えへへぇ、捕まっちゃったねえ?」

そのまま彼女はベッドの方にバランスを崩す。二人してベッドに倒れると

彼女の瞳はさっき見たキラキラとした宝石ではなく、光を捕らえたまま反射する事はない宝石に見えた。
彼女の瞳に映る僕に気を取られていると、いきなり唇を奪われた。犯すような動きで侵入してくる小町さんの舌に僕は反抗することは無かった。
瞳が、宝石が僕を閉じ込めたままだったからだ。蛇に睨まれた蛙。その動けない理由を僕は今、体験していた。
ネチャネチャと舌が絡み合う音がどれだけ続いただろう。僕はもう骨抜きになっていて、指先まで動けなくなっていた。

「この一週間、何をしていたの?」

「えっ?」

やっと離れた口から互いに出た言葉は問う言葉とそれに戸惑う言葉。
彼女は咎めるように続ける。

「また平沢君でしょう?」

微笑みながら彼女は言う。僕は平沢の台詞を思い出していた。

『目が笑ってねえんだよ』

この大きな目が、僕を捕らえて離さない。

「真治君、あの人にばっかり付きっきりだね」

「ごめん」

僕よりも小柄な、二周りぐらい小さな彼女からの圧しに思わず謝ってしまう。

「ん?なんで謝るの?」

彼女が顔に手を伸ばしてくるのに怯えて目を瞑ってしまう。伸ばされた手は瞳の横をなぞる。

「ねえ、しようか?」

艶かしい声の調子でそう言った彼女は、僕の顔をなぞっている方とは違う手をTシャツの下から中に入れてきた。ゆっくりと上がってくるその手の侵攻を止める事なんて僕には出来なかった。
彼女は片付けた場所の一つである本棚の方に一瞥をくれると僕に尋ねた。

「あんな本見て興奮してるんだから、いいよね?」

Tシャツが捲くられていく。

「お、俺……」

彼女からの拘束からやっとのことで抜け出し、声を絞り出した。

「ん?なに?」

彼女は余裕のある微笑を浮かべ、僕の必死の声に耳を傾ける。

「……俺なんかで、いいのか?」

情けないが、本心でもある。ここまで来ても僕はまだ心の底では彼女の好意が信じられなかったのだ。
彼女は妖しい微笑を見せてからそのまま僕を抱きしめる。

「もちろん。むしろ貴方じゃなきゃ嫌なの……」

耳元が濡れる。ピチョピチョと濡れる音がする。彼女が耳を舐めているのだろう。
軟骨に沿って下りていって、耳たぶに吸い付く。背中に冷たいものが走る。

「愛しいだけじゃ不安だもの」

確かなものが欲しいの、彼女はそう続けた。

「そう、愛しいだけじゃ物足りない。だから、これは誓いの印」

破瓜の痛みが誓いの証、ならば僕はなんの痛みを負うのだろう。

「ウフフッ」

不敵に、妖しく微笑む彼女は続けた。

「私も、ずいぶん即物的だね?」