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318 :Tomorrow Never Comes話 ◆j1vYueMMw6 :2010/09/20(月) 22:43:04 ID:0lY2Zvwi
14話「Typhoon Bambi」

 21時半。お兄ちゃんはこれから、1階の部屋をくまなく掃除する。掃除機をかけ、ホコリ取りで見えないところも綺麗にし、水周りのカビを徹底的に磨き落とす。
床にワックスをかけたり、害虫対策の霧状薬剤を撒くこともあるが、経済上の理由から、最近は月末だけにしているみたいだ。ちなみに、2階はあまり汚れないせいか、掃除は週末にまとめてする。
 終わるのはだいたいいつも22時半。しかも今日は、珍しく伯父さんが帰ってきている。場合によっては雑談などでさらに遅れる可能性もある。
 少なくとも1時間、お兄ちゃんは確実に2階には上がってこない。
「最後にトイレの掃除をするから、その間に戻ればいいよね・・・」小さく口に出して確認し、再び枕に顔を埋める。そのまま大きく鼻で息を吸い、そのまましばらく呼吸を止める。
 お兄ちゃんの匂いが鼻を通って、肺を満たす。それが血液に乗って全身を巡っていくのを想像すると、この上なく幸せな気持ちになる。
 30秒ほどで限界が訪れ、弾ける様な勢いで口を開放した。
「はぁ、っ・・・・ふぅ」
 少しだけ枕から頭を持ち上げて、息を整える。そして、呼吸が落ち着けば、もう一度。これを何度も繰り返す。昨日からこれを何回したのか、多すぎて見当もつかない。
今なら薬物中毒の人の気持ちが少しだけ分かるような気さえする。
 今の私を支配するのは、幸福感と充足感。空を飛んでいるかのような、フワフワとした感覚に包まれている。
 今までの私は、何をするにもどん臭くて、いつも周りの人に迷惑をかけてきた。それなのに、事故に遭い、さらに役立たずになってしまった。
 そんな救いようの無い私に、お兄ちゃんは手を差し伸べてくれた、助けてくれた。私が困っていれば、すぐに駆けつけてくれるし、何か失敗をしても、笑って許してくれたお兄ちゃん。
 そんなお兄ちゃんに、ようやく私は恩返しをすることができた。何も出来なかった私が、しかも独りでやり遂げたのだ。
 お兄ちゃんは私にニコニコと、優しく笑いかけてくれる。それだけで充分。口に出さなくたって、お兄ちゃんが私を褒めてくれるのが分かる。
 やっつけた。お兄ちゃんを唆して、私達のことを邪魔する敵を、私が独りでやっつけた。本当は見えないところでやるつもりだったが、結果的にお兄ちゃんも喜んでくれているのだから、問題はない。
「おにぃ・・・ちゃ・・・・」


319 :Tomorrow Never Comes話 ◆j1vYueMMw6 :2010/09/20(月) 22:43:28 ID:0lY2Zvwi

 真夜中に、洗面所で馬鹿でかい蜘蛛と対峙した時、あまりの衝撃で数分間動けなかったことがある。ただでさえ衝撃的な出来事が、予想だにせず起きると、人間は思考、肉体共に固まってしまうようだ。

 そして今、自室の部屋の前で俺は硬直している。ドアノブに手をかけようとしたままの状態で、どうするべきか分からずにいる。
 部屋の中から聞こえてくる悩ましき声は、くるみのもので間違いないだろう。
 くるみが俺の部屋にいることは知っていた。扉の立て付けが悪いせいで底が床に擦れてしまい、1階にはかなりの音が響く。居間にいれば扉の開け閉めは把握でき、慣れればどの部屋かすら分かるようになる。
 本来、この時間の俺は掃除をしているはずである。しかし、予想外の来訪者のせいで、掃除は明日に持ち越すことにして、下手に絡まれる前にさっさと風呂に入ろうという算段だったのだが、それすらも崩されてしまった。
「あっ、おにぃ・・・」相変わらず、扉の向こうからは熱のこもった声が小さく聞こえてくる。
「・・・どうしたものかねぇ」
「なにが?」
「ぬぉっ」突然、背後から声を掛けられたせいで、驚いて前にのめってしまった。そのまま、扉に顔をぶつける。
 部屋の中から、まるで女の子が驚いてベッドから落ちたような音が響いた。というか、確実にそれだろう。
「どーしたの、ケンちゃん」
 振り返ると、バカみたいにニコニコと笑う姉がいた。
「どうもしない」
「あー、ケンちゃんがウソついたー」どうでもいいところで勘がはたらくのがこの人である。「まぁいいや。ケンちゃんあれ貸して、あれあれ」
 そう言って姉が口にしたのは、俺が集めている内で最も好きな漫画だった。お色気が多く、女性受けするようには思えないものだが、何故か姉もこの漫画を全巻読んでいる。
 貸すのは構わない。だが、今部屋に入れるのは、流石に気が引ける。くるみも気まずいが、俺のほうが数倍気まずい。
「あれさ、この前のが最終巻だったろ?だからもう読むのはないよ」
「後日談的なのが出たんでしょ?」
「まだ買ってないんだ」
「ウソだー。ケンちゃんこの前、買ったってメールで言ってたじゃん」
 不覚。やはり咄嗟についた嘘では勝ち目がない。
「ああ、そっか。じゃあ後で持ってくよ」
「いいよ、悪いし」
「いや、大丈夫だから」
「それに、ケンちゃんの“後で”は遅いんだもん」
「ちゃんと持ってく、すぐ」
 名案も浮かばぬまま、必死に時間を稼ぐ。部屋の中のくるみが上手いこと隠れてくれるのを期待してみるが、こういう時の彼女はあまりアテに出来ない気もする。

 うだうだと押し問答をしていると、姉が急に口を閉ざし、俯いた。波がかった黒髪がフワリと目元にかかる。
『言葉のAk-47』と呼ばれる姉が口論の途中で黙るのは、どこか不自然に感じる。ちなみに、母の異名は『言葉のBARRET』である。いずれも名付けたのは父だ。
AK-47というのは命中率の悪い機関銃で、BARRETは1500m向こうの兵を真っ二つにしたライフルらしい。言い得て妙、というやつだ。
「なにをかくしてるの?」姉がポツリと、呟く。
「は?」
「ケンちゃんの部屋の中に、なにがあるの?」
「いや、だから」
 なにもないよ、と言いかけて言葉が詰まる。姉の急激な態度の変化に、違和感を覚えずにはいられない。
「どいて」
 言葉のでない俺を押しのけて、姉はドアノブに手をかけた。
 そして━━


320 :Tomorrow Never Comes話 ◆j1vYueMMw6 :2010/09/20(月) 22:44:01 ID:0lY2Zvwi
 そして、姉はドアに挟まれた。「ふぐぇ」という蛙が潰れたような情けない声を上げながら。
 姉がドアノブに手をかけようとした瞬間、扉が内側から唐突に開かれた。目の前にいた姉はそのまま正面から直撃を受け、壁との間に挟まれた。
 部屋の入り口には、くるみが立っていた。顔を真っ赤にして、涙目のまま、直立している。
「お、おに、おにおにおにい、ちゃちゃちゃちゃちゃ・・・」
「とりあえず落ち着きなさい」
「ここここここれ、か、かりりりるよっ」そう言って突き出した手には、姉が言っていた、例の漫画があった。
 言い終わると俺の脇を抜け、一目散に自室へと駆け込んでいく。
 彼女なりに頑張って考え出した作戦であったのであろう。悪くはないと思う。
「あぅあー」
 なんともいえない脱力感のある声と共に、ゆっくりと扉が元の位置に戻っていく。それに比例して、床にへたり込んでいく姉が見えてきた。
「大丈夫か、姉ちゃん」
 目の前で手を振ってみる。目で追ってはいるが、崩れかけのジェンガよろしく、身体はグラグラと左右に揺れている。
「はな、いたい」真っ赤な鼻から、鼻血がつつっと垂れていった。



・・・
 地獄のテスト週間、そして悪夢のテスト返却が終わると、終業式となる。これを『夏休みの前の最後の関門』と取るか、『夏休みへの入り口』と取るか、その違いによってこの日のテンションは大きく変わる。
ちなみに、俺は後者だ。
「ぬぁー、校長の話なげぇっつうの」
「ヘチマの神様の話なんかもう何回も聞いたわ、あの野郎」
 どうやら佐藤と叶は前者らしい。
 1学期最後のホームルーム後、校門の前で、俺と佐藤と叶の3人でダベっていた。ウメちゃんは用事があるらしく、もう帰ってしまった。
 おあつらえむきな晴天の中、誰も彼もが晴れやかな表情をしている。この時ばかりは、受験生の3年でさえも嬉しそうだ。この顔が9月には片っ端から真逆になると思うと、夏休みの意義について考え直したくなる。
「成績表なんか捨てて、思いっきし遊ぶぞー」
「海だー、山だー、温泉だー」
「お前らバレーしろよ」
「遊び優先だこの野郎」
 暑さのせいか、佐藤はともかく、叶までネジが緩んでしまったようだった。
 8月目前、それはつまり夏の序盤戦が終わり、いよいよ中盤戦にさしかかろうという時期だ。暑さは日に日に増していき、際限なく上がるのではないかと不安になってしまう。
しかし、大抵の人間はその疑問に胸をはらはらさせる前に、熱でやられてしまう。判断力が鈍るのも、奇行に走るのも、好きでもないあの子に思わず告白してしまうのも、全部、『夏のせいなんだ』と言い訳できてしまうほどに。
「何してんのよ、アンタら」
 冷ややかな目線を送りながら、遊佐が校門から出てきた。今日は女子バレー部は活動するはずだが、と疑問に思ったが、鞄を持たず、その手には長財布があることに気づく。
さらに、同じように財布だけを持った女子が数名、遊佐の後ろにくっついている。そのうち数名は遊佐と同じく冷たい目を、数名はおびえきった表情で佐藤と叶を見ていた。――違った、俺のことも含めてビビッてるようだ。
「俺に訊かないでくれ」
「浅井ってこんなキャラだっけ?」
「今日は暑いから」
「ああ、なるほど」自分で言ったものの、あまり納得しないで欲しい。
「遊佐は買い物か」
「そ。女バレでお昼ご飯をね」



321 :Tomorrow Never Comes話 ◆j1vYueMMw6 :2010/09/20(月) 22:44:54 ID:0lY2Zvwi
 遊佐が後ろを振り返りながら言うと、さっきまで冷ややかな目をしていた、見覚えのある何人かが笑顔で手を振ってきた。やっほー、だとか、ちわー、と気さくに挨拶をしてくれる彼女らは同学年だ。
1年の付き合いともなれば、俺があだ名ほどの人物どころか、実は大した奴じゃないことに気づいてくれるらしく、近頃ではこうやって、普通に接してくれる。
そして、その後ろで怯えながら頭を下げるのは1年生だ。こっちはまだ、俺のことが怖いらしい。正直、泣きたい。
「大丈夫よー、こいつただのヘタレだから」だがまぁ、遊佐のおかげで誤解が解ける日は近そうだ。十中八九、偏見が生まれるだろうが。
「ねぇねぇ、大将さ」お下げの子が話しかけてくる。確か、女子部のリベロの子だ。「1年の窪塚さんと付き合ってるってホント?」
 急なことに弱いのは相変わらずで、返事も出来ずに固まってしまった。あの子のことだから、きっとわざと広めるとは思っていたが、いざその時となるとキツい。
「あー、あたしも気になってたんだ」
 それを火種に、後ろに控えてた何人かが押し寄せてくる。どうして女性はこの手の話が好きなのだろうか。他人の色恋なんか聞いて楽しめる神経は、理解の範疇を超えている。
さっきまで怖がっていた1年生も、気になって仕方ない、といった表情に変わっているのにはさすがに呆れた。
「どういう経緯で付き合ったの?」
「やっぱ落ち込んでたあの子を慰めてあげたとか、そんな感じ?」
「もしかして、前々から狙ってたとか!?」キャーと黄色い声が飛び交う。
 これぐらいだったら、普段ならばため息1つぐらいで流せる。ただ、どうしても、1つだけ許せないと感じてしまう。
「はいはい、そこまでね。憲輔も困ってんでしょー」遊佐が間に入って、今やテンション最高潮の女性陣を窘める。
「えー」
「杏が一番気にしてたんじゃん」
「いいから、アンタ達はさっさとコンビニ行ってきなさい」
 遊佐が一喝すると、しぶしぶといった感じでその場を離れていく。
すれ違いざまに、「後で聞かせてね」とか、「急にごめんね」などという言葉を残して、彼女らはここから歩いて5分ほどのコンビニに向かっていった。
「ごめんね、あの子たちったら」
「さすが部長。部員を見事に統括してらっしゃる」
「ばーか」チョップをしてきた遊佐は、少し照れくさそうだった。
 我が校のバレー部は男子女子共に夏休み突入前に早々と敗退し、3年生はかなり早い、とはいえこの部としては例年通りの引退を迎えた。
ただ“1人”を除いて、という点が腑に落ちないが、今更どうこう言える話ではない。
 それから、男子バレー部の部長が佐藤登志男、女子バレー部の部長は遊佐杏に決まった。大将なのにヒラってどうなの?と、遊佐を始め多くの知り合いに言われたが、佐藤本人に言われたのが一番しんどいというか、堪えた。






 未だに雄たけびをあげている2人をしばらく見てから、遊佐は辺りを気にしつつ、小声で話しかけてくる。
「で、本当にりおちゃんと付き合ってるの?」
「結局お前もか」まさか遊佐から訊かれるとは思てなかったので、苦笑を漏らさずにはいられない。「ホントだけど、なんていうか、その・・・」
「わけあり?」
「まぁ、うん、そう」
「よくわかんないけど、くるみちゃんから逃げるのは」
「わかってる、それは」
 ならいいのよ、と言った遊佐は、そのまま黙ってしまった。目線を泳がせているが、今度はどうも、辺りを気にしているという風ではない。
「あの、さ」しばらく、微妙な空気が流れた後、遊佐が切り出してくる。「海行こうよ、海」
「海?ああ、合宿の話か。ちょっと個人の負担額が大きくないか?」
「いや、そうじゃなくてさ、個人的に、って意味」
「個人的?」
「そ。気晴らしにはパーッと遊ぶのが一番なんだからさ」
 腰に手を当てて、遊佐は笑う。その顔にはまだどこか、照れ隠しのようなものが見え隠れしているように思える。そして、態度には表れなくとも、こちらを心配してくれていることも、伝わってくる。
「気晴らしか・・・いいかもな」
「決まり!じゃあ場所とかさ」



322 :Tomorrow Never Comes話 ◆j1vYueMMw6 :2010/09/20(月) 22:45:40 ID:0lY2Zvwi
「よーし、場所は俺に任せとけ。こう見えて、俺の一家は旅行好きが多くてな」遊佐の言葉を遮って、佐藤が割り込んでくる。
「海か、随分と行ってないな。よし、久しぶりに沖まで泳ぐか」
「なんでアンタらまで参加することになってるのよ!」
「他に海に行く予定がないからだよ!ここで割り込まなかったら今年も青春イベントお預けになっちまう」
 むしろここまでくると清々しいなと思う反面、佐藤のキャラ崩壊が不安で仕方ない。
「なんだよ、お前。まさか憲輔と2人きりで――」そこまで言った叶の腹部に、遊佐の拳がつきたてられる。非常によろしくない音がした気がする。続いて、叶に便乗しようとした佐藤の尻に回し蹴りが炸裂した。
 このままでは収拾がつかない。間に入るしかなさそうだ。
「いいんじゃないか?気晴らしならみんなで行ったほうが楽しいし」
「憲輔まで!」ぐだっている佐藤の胸倉を掴みながら、すごい剣幕で返事をしてきた。気圧されそうになる。
「私も参加したいですっ」
 突如、背中に重みを感じる。同時に、本能的に幸福感を感じずにはいられない、柔らかなものが押し付けられていることにも気づく。肩越しに細い、綺麗な肌をした腕が伸びてきていて、俺の胸元あたりで合わさっている。
「窪塚さん?」耳元でした声は間違えようのない、彼女の声だった。
「半分当たりです」
 頭を捻ると、ギリギリ彼女の顔を捉えることが出来た。眉をハの字にして、別の答えを期待するような、強請る様な表情でこちらを見上げている。
 半分?なんのことなのか、皆目検討もつかない。
 首を傾げていると、窪塚さんはわざとらしいため息を1つ零し、俺から離れた。そして俺の横に並ぶのだが、密着といっても語弊がないほど、ピッタリとくっついてきた。周りの目も痛いが、遊佐がじっと見てきているのがその数倍痛い。
「私も行きたいです、海」ニッコリと無邪気で可愛らしい笑顔を浮かべながら、片手を高々と挙げ、遊佐に向かって、『はい、先生』といった風に意見する。
「りおちゃんまで・・・わかったわよ、じゃあみんなで行きましょ」

 遊佐はやれやれと言いながらも、どこか楽しそうに見えた。対して、さっきまではハイテンションだった佐藤と叶は、目に見えて戸惑っていた。
 無理もない。昨日の今日と言ってもいいぐらい、俺らにとってこの前の事件は、まだ色濃く残っているのだ。
「そうねぇ。バレー部で、ってのもいいけど、この面子なら生徒会慰安旅行ってことでもいいかな。浅井はおまけで」
そんなことは露も知らない遊佐は、楽しげに計画を広げている。「梅本君誘って、あとはくるみちゃんも呼ばなきゃねぇ」
「引率とか、いなくてもいいのかな」窪塚さんが一瞬、険しい表情を見せたので、慌てて話題を変える。これ以上肝が冷えるのはごめんだ。
「どんだけまじめなんだよ、お前」叶が合わせてくれる。
「ん~、引率は置いとくにしても、足が必要なのは確かよねぇ」
「あし?車ってことか?」
「そうそう。電車とか、けっこーバカになんないし。あたし含め、参加者のほとんどはバイトしてないでしょ」
 そういえば、叶がしているというのは聞いたことがあるが、他の面子は俺の知る限り、バイトをしていないはずだ。
「向こうに着いてからもちょくちょく移動するだろうし、今からバイト始めたら夏休み中には叶わなくなっちゃうしねぇ」
 一瞬、姉の名前を出そうかと迷ったが、すぐに却下した。確かにあの人は免許を持っているし、帰郷する時は車だ。
だが、あの人の運転で少なくとも4回程、九死に一生を得ている身としては、みんなをそんなジェットコースターに招待するわけにはいかない。なにより、俺が乗りたくない。
「あぁ、それなら俺ん家で車出せるかも」意外な助け舟の主は、佐藤だった。「今、親戚が遊びに来ててさ、頼めば車出してくれるかもしんねぇ」
「ホント?でも、ちょっと申し訳なくないかな」
「でーじょーぶだって。人が良いのが取り得だし、なにより旅行好きだからさ。きっと喜ぶって」
 それ以外に挙がった人数の問題も、車を二台出す、ということでまとまった。なんでも、その親戚の人が婚約者を連れてきたらしく、その人に頼んでみるそうだ。
随分と迷惑をかけることになるが、佐藤曰く、『そういうのが嬉い人たち』らしい。まだまだ捨てたもんじゃないなぁ、なんて感慨深く思っていたが、遊佐の、「ドMってこと?」という発言で全部台無しになった。
「んじゃ、細かい話し合いとかはまた今度ね。メール回すから」そう言い残すと、遊佐は走ってコンビニへと向かっていった。
 それからすぐに、叶は用事で商店街へ、佐藤は親戚を待たせてるとのことで、その場で解散となった。


323 :Tomorrow Never Comes話 ◆j1vYueMMw6 :2010/09/20(月) 22:46:10 ID:0lY2Zvwi
「楽しみですねぇ、海」
 しがみつくようにして俺と腕を組んでいる窪塚さんは、ニコニコとしながら、さっきから同じことばかりを言っている。その笑顔はあまりにも純粋で、演技という感じは微塵もしない。
そのせいか、俺の警戒もだいぶ緩んでしまっていた。
「反対してくると思ってた」
「まさか。私はそこまで露骨な真似はしませんよ」口元に手を当ててクスリと笑う。「あの女じゃあるまいし、周りから怪しまれるような行動したら本末転倒です」
 甘かった。蜂蜜漬けのキャラメルよりも甘かった。

「確かに、他の女と一緒に、ましてや海なんかに行くなんて、正直、言語道断としか言いようがありません。ですが、そこに私も行くなら話は別です。
確かに遊佐先輩は全体的にスタイルがいいですけど、胸なら私のが勝ってます。あの女は問題外です。勝負になりません。
それに私は先輩の彼女だと、全校生徒のほとんどが知っていますから、流石にあの女も、みんなの前で迂闊に手は出せませんしね。一方的に見せ付けるチャンスです。
この夏休み中に先輩を海に誘う計画はしていたので、水着にもぬかりはありません。2人きりで行くのが叶いませんでしたが、もう一回行けばいいだけのことですしね。
あ、ちなみに水着はしっかりと、綿密に先輩の好みをリサーチした上で選びましたので、ご心配なさらず。行き先が決まれば2人っきりになれるポイントとかもチェックしなきゃですね。
あ、ゆなちゃんからカメラも借りてこなくちゃですね。先輩の貴重な水着姿をしっかりとおさめなくてはなりません。授業のプールでは見ることが出来ませんでしたから、今度こそはしっかりと撮らなくちゃですね。
アルバムに保存する用と拡大する分とあとは・・・どうしました、先輩?」

「・・・頭痛い」
 今、彼女が口にしたことは、常人からしたら充分に狂っている。狂っているのだが、今までの彼女と比べると、どうしても微笑ましく感じてしまう。
そして、そう感じ始めている、状況を理解していない自分に対して頭痛がしてくる。


324 :Tomorrow Never Comes話 ◆j1vYueMMw6 :2010/09/20(月) 22:46:53 ID:0lY2Zvwi

「はい、くーちゃん」

 お姉ちゃんが笑顔でガラスのコップを差し出してくる。お礼を言って、それを受け取る。氷の入った、よく冷えたカフェオレからは、明らかにカフェオレとは違う匂いが感じられたが、口には出さずにおいた。
 一口飲むと、やはり、明らかにカフェオレとは違う味がした。あまり甘くない。コップを机の上に置く。
 いま私がいるのは1階のリビングで、時刻は12時半。平日は毎日やっているお昼の代名詞ともいえるバラエティを観ながら、2人で昼食とその片付けを済ませ、のんびりとしだしたところだ。
本当ならお兄ちゃんを待つはずだったのだが、用事で少し遅くなるそうなので、先に済ませてしまった。
 お昼はお姉ちゃんが作ってくれた。「何か作ろっか」と言って冷蔵庫を開けて材料を確認すると、あっというまにドリアを作り上げてしまった。
「簡単だよー」と笑っている通り、ドリアを作るのはそれほど難しくない。私だって作れる。
けど、『ドリアを作ろう!』と思って作るのと、『冷蔵庫にあるものから何か作ろう!』と思い立ってドリアを作り上げてしまうのでは、天と地ほどの差が、決定的な経験の差がある。
私ではそんな真似はできないし、こんなに手際よく作り上げるのも無理だと思う。
 私の記憶では、お姉ちゃんはそこまで出来る人じゃなかったはずだった。むしろ、ドジばっかりしてた覚えがある。
そのことをお兄ちゃんに言うと、「あの人は努力が趣味だからなぁ」と皮肉なのか褒めてるのかよくわからない返事をくれた。
「晩御飯はくーちゃんに任せようかなー」自分の湯飲みと玄米抹茶を淹れた急須を手に、お姉ちゃんは私の向かいの椅子に座った。
「私のなんかより、お姉ちゃんが作った方が良いよ」
「そぉ?でもケンちゃんが絶賛してたから、あたしも食べてみたいなぁ」
 お兄ちゃんが絶賛。話半分だとしても、たまらなく嬉しい。

「ところでさ、くーちゃん」余韻に浸っていると、お姉ちゃんが静かに、呟くように話しかけてきた。まるで、独り言のように。「なんか隠し事、してない?」
 一転、胸元が、くっと絞まる。お姉ちゃんは微笑を浮かべながら、テーブルの上で組んだ手に顎を乗せて、こっちを見ている。
「なーんか隠してる?」
 言葉が出ない。
「くーちゃんだけじゃなくてさ、ケンちゃんもなんだけどね。隠してるよね、なんか。ううん、絶対隠してる。少なくともケンちゃんは。あの子、隠し事ヘタなんだよねぇ。言葉が雑になって、短くなるんだよね、話し方が」
「そうなんだ」初耳だった。次からは気にしてみようと思うが、それどころはない。
 どこまでかはわからない。でも、お姉ちゃんは何かを知っている。もしくは、感づいている。
「くーちゃんはなーんか余所余所しいし、ケンちゃんは無駄にニコニコしてると思ったら急に難しい顔するし」
 壊される。このままでは私とお兄ちゃんの平穏が壊されてしまう。手を打たなければ、何か手を打たないと、手遅れになってしまう。でも、どうやって?


325 :Tomorrow Never Comes話 ◆j1vYueMMw6 :2010/09/20(月) 22:47:26 ID:0lY2Zvwi
 私が必死に考えを巡らせていると、突然、小さな唸り声と一緒に、お姉ちゃんは大きな伸びをした。
「・・・くーちゃんは、昔の話、知ってたっけ?」
「昔?」
「知らないかぁ。んじゃ、ケンちゃんが何で怪我したかとかも知らないよね?」
 お兄ちゃんの怪我、といえば右足首の怪我のことだ。激しい運動の際には少し痛むらしく、部活のときはサポーターをつけているのを見たことがある。
日常生活にはさほど支障がないようで、普段は気にさえならないが、治るようなものではないと、お兄ちゃんは言っていた。
「事故に遭った、としか聞いてないよ」
「事故かぁ。間違ってはないんだけどね」
 お姉ちゃんはそこで、憂いとも慈しみともつかないような、微妙な表情をした。どこか弱々しく感じる微笑みを浮かべながら真っ直ぐと私のことを見据え、話し出す。
「私が小学校6年のころだから、ケンちゃんは3年生だね。夏休みに山登りに行ったんだよ、家族で。富士山とか、あさ、あさ・・・ま、やま?とかみたいにすっごい山じゃなくてね、
小さい、遠足とかで行けちゃうような小さな山だったの」楽しそうに話していたかと思うと、急に下を見て、「家族が揃うの、久しぶりだったからさぁ」と、お姉ちゃんは零した。
「あたしねー、しょーじきに言うと、あの頃はケンちゃんのこと、大っ嫌いだったんだよ」
「ホントに?」
 今のお姉ちゃんを見ていると、驚かずにはいられなかった。お姉ちゃんは私以上にお兄ちゃんとスキンシップをとっているし、帰省してきてからはしょっちゅう絡んでいるからだ。
「だって、あの頃のケンちゃん、平気な顔してヒトのことを自分よりも優先するんだよ?」
「今もそうじゃないかな、お兄ちゃんは。それに、それはお兄ちゃんの良いところの1つだよ」
「今はそうだよ?でも、あんなちーさい頃に、ってゆーのは、ちょっとおかしくない?」
 想像してみて、確かに、と納得してしまう自分と、流石はお兄ちゃん!、と賞賛する自分とに分かれた。
「だからね、けっこー冷たくあしらってたんだけど、ケンちゃんは今と違って人懐っこくてねぇ。いっつもあたしの後おいかけてきてたんだよー」
「人懐っこい・・・甘えてくるお兄ちゃん」――私に。すごく、いい。
「その日もあたしの後ろから、『おねーちゃん、おねーちゃん』って言いながらピッタリくっついてきててねー。ちょっと、というか、かなりうっとーしくてさ、我慢できなくて怒鳴ろうとしたんだ」
 私に甘えてくるお兄ちゃんというのも想像しづらいが、お兄ちゃん相手に怒鳴るお姉ちゃん、というのも中々に難しい。
「山道だったんだよね、それなりの。そこで勢い良く振り返ろうとして、あたしは足を踏み外したの」
「ちょっと待って、事故にあったのはお兄ちゃんじゃないの?」
「うん、そーだよ。怪我をしたのはケンちゃんで、あたしはしてないよ」
「じゃあ」
「ケンちゃんは、あたしを庇って落ちたの」


326 :Tomorrow Never Comes話 ◆j1vYueMMw6 :2010/09/20(月) 22:47:54 ID:0lY2Zvwi


 そう言った時のお姉ちゃんの顔は酷く悲しげで、それでいて、とても大切な思い出に触れているような、優しい顔をしていた。それを見ただけでも、彼女の心境が伝わってくるようだった。
 足場の崩れたお姉ちゃんを前に、お兄ちゃんは咄嗟にその手を掴み、引いた。体勢を崩しかけていたお姉ちゃんは何とか持ち直し、そのまま前のめりに倒れこんだ。
それと入れ替わるようにして、お兄ちゃんは踏み出した足場が崩れ、斜面を落ちていった。
 不幸中の幸いというか、それほど急な坂ではなかったこと、木々や岩が少なかったこと、そして、下がそれほど深くない川でたまたまその日、鮎の放流が行われていたおかげで多くの釣り人がおり、
すぐに引き上げられたことから、命に関わるような怪我は負わずに済んだ。とはいえ、現在まで後遺症が残るような大怪我を負ったのは事実で、当時は数ヶ月ほど入院する羽目になったとのことだった。
 しかし、お姉ちゃんの話はそこで終わり、というわけではなかった。むしろ、ここからが本題、いよいよ核心に触れる、といった趣さえ感じられる。
「病室で包帯ぐるぐる巻きになって横たわってたケンちゃんが、あたしになんて言ったか分かる?」私は黙って首を横に振る。「『お姉ちゃんは怪我してない?』って言って、
『お姉ちゃんが無事でよかった』って笑ったの、あの子。想像できる?小学生が、動けなくなっちゃうような大怪我して、泣くわけでも怒るわけでもなく、他人の心配をして笑ってる。
その時に思ったの。この子はきっといつか、こんな風にして死んじゃうんだ、って。自分ばっか損する人生を送って、他人のために死ぬんだ。だから決めた。この子はあたしが守る。
守ってあげなくちゃいけない。もしあの子を傷つけるような人がいたら、あたしは容赦しない」
 お姉ちゃんは俯き、少し間を置いてまた話し出す。
 今まで見たことのない真剣な表情で私を睨みつけてくる。
「それが例え、くーちゃんでも」
 この人は、味方じゃないのかもしれない。
 少なくとも、この人は“私の”味方ではない。


327 :Tomorrow Never Comes話 ◆j1vYueMMw6 :2010/09/20(月) 22:48:17 ID:0lY2Zvwi
・・・
「はい、ケンちゃん」
 姉が笑顔でガラスのコップを差し出してくる。礼を言って、それを受け取る。氷の入った、よく冷えたカフェオレからは、明らかにカフェオレとは違う匂いが感じられたが、一応、一口だけ飲んでから判断することにした。
 口に含み、舌の上でよく味わい、飲み込む。これはもう疑いようがない。
「姉ちゃんに言いたいことが、2つあるんだが」
「んー?」
「まず1つ、普通カフェオレからきなこの匂いはしない」
「おー、流石ケンちゃん、よく気づいたね。砂糖が切れちゃっててさ、代わりにきなこを使ってみましたー」
「2つ目だ。姉ちゃん、種類にもよるけど、きなこ自体はあんまし甘くない」
「・・・・ふぇ?」
 窪塚さんと別れて帰宅した俺を迎えたのは、相変わらず牛のきぐるみパジャマを着た姉だった。どうやら、くるみは眠ってしまったらしい。当然、俺の部屋でだ。
 くるみは現在、姉の部屋を自室としているため、必然的に姉の居場所がないということになる。姉の帰省直後にどうするものかと考えていたのだが、父からすぐに、
『姉と同じ部屋』か『一人でリビング』の二択をつきつけられた俺は、迷うこともなく後者を選び、結果、くるみが一時的に俺の部屋を使うことになった。それを告げたときのくるみの輝いた顔は、当分忘れられそうにない。 

「あー、そうだ、ケンちゃん」
「ん、どった?」
「れーっつ、かーみんぐあうっ」
「・・・あい?」姉は突然、泡立てをマイクよろしく、俺の口元に突きつけてきている。 
「しーくれっ、しんぐす、れーっつ、かーみんぐあうっ」
「日本語でおっけー。っつか泡立てを下げなさい、顔に当たってるから」
 いつもよく分からない人だが、今日はいつにも増して意味不明だった。これは骨が折れそうだ。くるみが部屋に篭って眠ってしまったのも分かる気がする。
「姉ちゃん、落ち着いて、1から話してくれ」
 何度訊いてもなだめても、姉は妙な態度で妙なことを言うばかりで、結局、10分近く無駄なやり取りを行う羽目になった。俺が根気強く聞き続けると姉はどんどん俯き、小さくなっていく。
「ケンちゃん、何か隠してる」
 きなこ味のカフェオレを飲みながら、どうしたものか思案していると、ようやく、姉が口を開いた。
「隠し事あるよね?ねーちんに」
「そりゃあ、隠し事の1つや2つはあるお年頃だし」
「ふざけないで!」姉は急に立ち上がり、机を強く叩いた。怒鳴り声に驚きはしたが、姉の顔から覇気は感じられない。「心配なんだよ・・・っ」
 崩れるように椅子に座った姉の目からは大粒の涙が、止め処もなくこぼれていた。それを両手で拭いながら、彼女は話を続ける。
「心配なんだよ、ケンちゃん。ケンちゃんはいっつもそうやって1人で抱え込んで、周りのみんなに負担をかけないように全部自分で解決しようとして・・・知ってるんだよ?
そのせいで何回も損をしてきたのも、つらい思いしてきたのも。足の怪我だって・・・・」
 彼女が誰よりも家族のことを思っているのは知っていた。だからこそ、俺は自身のことは全部自らの手でどうにかしようと決めていたのだが、どうやらそれも裏目に出てしまったようだ。
「あたしは頼りにならないかもしれないよ?でも、でも、なんだってしてあげるつもりでいるんだよ。家族の、ケンちゃんのためだったらあたしはなんだってできる。だから、ねぇ、頼ってくれて良いんだよ」
 顔中を涙で濡らし、しゃっくりを繰り替えしながらも、姉は必死で笑顔を作ろうとしている。
━━俺は間違っていたのだろうか?
 ここまで来るまでに、俺は多くの人を巻き込み、言い表せない程に迷惑をかけてきた。だからこそ、この問題は、自らの手で解決すべきだと、そう考えていた。
━━頼ってもいいのだろうか?
━━弱音を吐いてもいいのだろうか?
━━俺は・・・


A:全てを打ち明ける
B:これ以上巻き込むわけにはいかない