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92 :ドラゴン・ファンタジーのなく頃に 第十七話 ◆AW8HpW0FVA :2010/10/31(日) 20:38:46 ID:DPPMAttU
第十七話『夏祭りと明暗』

凱旋したブリュンヒルドは、都中からの万雷の拍手と歓声で迎えられた。
満面の笑みを民達に振りまきながら、ブリュンヒルドは入廷した。
しかしどういう訳か、その笑顔はすぐに消えてしまった。
王より直々の褒詞を受けたというのに、ブリュンヒルドはまったく喜ぶ様を見せず、
ただ静かに受け答えをするだけだった。退廷してからもブリュンヒルドは、
文武百官達からの祝辞に耳を傾けず、憮然とした表情を浮かべながら歩き去ってしまった。
百官達は皆、ブリュンヒルドの機嫌の悪さの原因がなんなのか分からなかった。
ブリュンヒルドが向かった先は、シグナムの執務室である。
ノックする事なく扉を開けたブリュンヒルドは、書類に目を通しているシグナムの目の前に立ち、
「シグナム様、なぜ朝廷にいなかったのですか!」
と、今にも掴み掛からんばかりの勢いで聞いてきた。
シグナムはブリュンヒルドの戦勝報告の場にいなかったのである。
それがブリュンヒルドには気に入らなかったらしい。
「私がなんのために戦ってきたと思っているのですか!
全ては天下のために、強いてはあなた様のために戦ったのです!
だというのに、肝心のあなた様がいなかったら、なんの意味もないではありませんか!」
ブリュンヒルドの視線と言圧が、一斉にシグナムに襲い掛かった。
これほどの圧力を受けているというのに、シグナムは自若として書類に目を通していた。
バンッ、と凄まじい音が部屋中に響いた。ブリュンヒルドが机に拳を叩き付けたのである。
書類が宙に舞い上がり、床に散らばった。
ようやくシグナムは目を上げた。感情のない瞳がブリュンヒルドを刺した。
「お前は王より褒詞を賜ったのだろ。これ以上の名誉はないではないか。
たかだか私がいなかったぐらいで、この様に政務を邪魔するのはどうかと思うが」
「そういう問題ではありません!宰相とは、朝政の席では常に王に侍り、
王が褒詞を述べたならば、続けて宰相も褒詞を述べて然るべきなのです!」
「……要は、私の褒詞が欲しいという訳か……」
「それが宰相としての役目ではありませんか!」
「……………………」
シグナムは黙っていたが、内心では煮え立つ怒りを抑えるので必死だった。
こんな下らない事のために、仕事の邪魔をされた挙句、余計な仕事を増やされたのだ。
それに、ブリュンヒルドを褒めなければならない事も気に食わない。
だが、それをしないとブリュンヒルドはここから出て行きそうにない。
舌打ちをしたい気持ちを押さえ、シグナムは搾り出す様に、
「……大儀……」
と、一言だけ述べた。褒詞としてはあまりにも短いこの言葉を聞いたブリュンヒルドは、
「もっ……申し訳ありませんでした!
私とした事が、気が動転してしまって……。今すぐ片付けます!」
と、先ほどまでの怒気が嘘の様に消え、悄悄とした物言いになっていた。
しゃがんで書類を集め始めたブリュンヒルドだったが、
正直、さっさと出て行って欲しいというのがシグナムの本音だった。



93 :ドラゴン・ファンタジーのなく頃に 第十七話 ◆AW8HpW0FVA :2010/10/31(日) 20:39:48 ID:DPPMAttU
シグナムは夏が嫌いである。降り注ぐ太陽の光が肌を焼き、汗を止めどなく迸らせるからだ。
執務室や朝廷で政務を行なう際は、常に左右に団扇持ちを侍らせた。
団扇持ちは、大抵の場合は女性や少年である事が多い。
この王朝では古来より女性を使っていたらしいので、シグナムもそれを踏襲した。
所がシグナムの執務室で団扇持ちは、女性ではなく少年である。
理由は簡単だ。ブリュンヒルドが女性関係にうるさいからである。
シグナムが女官と話していたり、偶然横を歩いていたりしただけで、
なんの話をしていたのですか、なぜ一緒に歩いていたのですか、と詰め寄ってくるのだ。
以前にもこういう事があったな、とシグナムは思い出した。
シグナムがイリスを従者にしていた時、それに最も反対したのがブリュンヒルドだった。
よっぽどブリュンヒルドは、自分に女を近付けさせたくないらしい。
それがなぜなのか、シグナムにはブリュンヒルドの意図が分からない。
分からないが、これがどうせブリュンヒルドの嫌がらせなのだろうという事はよく分かる。
十四年前からの関係は、相変らず続いているという訳である。
糞女め、とその事を思うたびにシグナムは地が出そうになる。
その不機嫌を押し隠しながら、シグナムは政務に励んでいるが、
完全には隠しきれないらしく、朝廷内の雰囲気は、常に張り詰めたものになっていた。
王や百官達は、今までのシグナムの陽気さに慣れていただけに、
現在シグナムから放たれる凄まじい陰気に戸惑い、心配していた。
そんな周りの心配を、シグナムは全く察する事もせず、
時折団扇持ちを外に出し、なにかを書いているなどしていた。
この陰気な王朝に、危機感を抱いた者達がいた。バトゥ、トゥルイ、フレグの三人である。
彼等は会合を開き、シグナムが陰気になった原因を話し合った。
明晰な頭脳を持っている三人である。シグナムの陰気の原因がブリュンヒルドにあると察した。
しかし、誰一人としてシグナムとブリュンヒルドの関係が険悪であるという事に気付かなかった。
三人共、シグナムこそ真の英雄だと信じて疑わない。
その英雄が差別などという下らない感情に振り回される訳がない。
その狂信にも似た決め付けが、三人の慧眼を曇らせた。皆が思うほど、シグナムは完璧ではない。
そういう間違った認識から導き出された答えは、
「シグナム様は、ブリュンヒルド将軍に好意を持っているのではないか」
と、いうものだった。間違った認識と言ったが、この答えには彼等なりの典拠がある。
バトゥは、自分とシグナムが話していた時に、ブリュンヒルドが怒鳴り込んできた事を思い出し、
トゥルイとフレグは、シグナムがブリュンヒルドに冷たく接していたのを思い出した。
以上の事から察するに、おそらくシグナムはブリュンヒルドの事が好きなのであるが、
自分が貴顕の位におり、自らの一言で朝廷内に余計な波風を立ててしまう事を嫌い、
あえて冷たく接し、告白しないでいるのだろう。
そのストレスが、陰気となって発散されているのだ、というのが彼等の結論であった。
当然、その答えも、典拠の是非も、推論も全て外れている。
だが、彼等にそんな事など分かろうはずもない。誤った考えのまま、話は進んでいく。
「主が悩んでいるのなら、それを取り除くのが部下の務めだ」
「でも、どうすればいいのかな?ブリュンヒルド将軍は別にいいとして、
シグナム様をその気にさせるなんて、すっごく難しいと思うけど」
「さて、どうしたものかな……」
と、二人が悩んでいると、しばらく会話に参加していなかったトゥルイが満面の笑みを浮かべ、
「その点は私にお任せください。身分の事など関係なく告白させる策ならあります。
今がそのちょうどいい時期です。今すぐその事をシグナム様に申し上げてみましょう」
と、自信満々に言った。
「兄上、その策とはなんなのですか?僕達にも教えてください」
フレグが目を輝かせた。バトゥもそれを聞きたそうである。
二人を近くに呼び寄せたトゥルイは、微かな声で秘策を打ち明けた。



94 :ドラゴン・ファンタジーのなく頃に 第十七話 ◆AW8HpW0FVA :2010/10/31(日) 20:40:22 ID:DPPMAttU
「夏祭りをやりましょう」
トゥルイが執務室に入ってきて開口一番、そんな事を言った。
書類から目を離したシグナムは、トゥルイの方に目を向けた。酷くやつれた目だった。
「トゥルイ、その夏祭りとやらに、なんのメリットがあるというのだ。却下だ」
にべもなくそう言って、シグナムは書類に目を戻した。が、トゥルイは食い下がってきた。
「メリットならばあります。シグナム様もご存知の通り、民衆の心は戦いにより荒んでおります。
このまま政治を進めていくと、必ず民衆の怒りを買い、最悪、反乱に繋がります。
それを防ぐために夏祭りを開催し、民衆を楽しませ、彼等の心を宥めるのです。
そうすれば、滞りなく政治を行う事が出来るのです」
真剣にトゥルイは語っているが、シグナムはそれを傍耳で聞き流していた。
確かにトゥルイの言う通り、今の政情は不安定極まりなく、多少のミスも許されない状況である。
そういう時だからこそ、厳しく民を取り締まるべきである、とシグナムは思っている。
夏祭りなど、以ての外だった。それぐらいの事、トゥルイなら分かりそうなものである。
「祭りなど、金の掛かる事ではなく、法律を厳しくし、民を治めるべきだと思うが」
「それはお止めになった方がよろしいかと思います。ただでさえ戦乱に苦しんできたというのに、
ここに来てさらに厳しく取り締まったら、民衆の反発は必死です。
その様な力政は、向こう三年は抑え、寛治を行うのが適切でございます」
「寛治……?」
聞きなれない単語に、シグナムは再び書類から目を離した。
「なんだそれは、お前の造語か?」
「造語ではありません。寛治とは、文字通り緩やかな政治の事です。
税の徴収を軽くし、兵役を緩和し、戦没者遺族に十分な施しを与える。
そういう慈しみの政治こそが、寛治なのです」
トゥルイの舌は止まらない。彼は上唇を舐めた。
「古より、戦いに勝ち、勇名を得た者は幾千とおりました。
しかし、その者達の多くは、なんらかの理由で悪名を被り、忘れ去られています。
それはなぜか……、理由は簡単です。彼等は怠ったのです、民衆を慰撫するという事を。
知っての通り、民衆など、青史に名を残す事のない、そこらに生えている雑草の様な存在です。
……ですが、雑草ゆえに、彼等は多い。それこそ刈っても刈り切れないほどに……。
それ等が一度爆発したら、我々貴族では対処しきれない。今回の戦乱が好例です。
私個人としては、シグナム様には英雄であっていて欲しい。歴史に埋没して欲しくない。
たった少しの親切で、シグナム様が英雄になれるなら、私は喜んで進言します。
……シグナム様、どうか寛治を行なってください。
その寛治の始まりを告げるのに、この夏祭りほど適当なものはありません」
長広舌を振るった後、トゥルイは深々と傾首した。
「抜かしたな、トゥルイ」
と、シグナムは言ったが、悪い気はしていない。むしろ、久し振りに気分が高揚していた。
それだけトゥルイの話は、しっかりとシグナムの心に沁みこんだという訳である。
トゥルイの話術に嵌ってしまったな、とシグナムは微笑しながら思った。
「いいだろう。お前の進言を聞き入れよう。しかし、やるからには盛大にやるぞ。
祭りの準備及び実行はお前に任せる。その祭りには私も参加するからしっかりやれよ。
開催日は今日よりきっちり七日後。遅延はなしだ。分かったな」
と、言ったシグナムの目には、活気が蘇っていた。
それを見たトゥルイは、満面の笑みを浮かべて部屋から出て行った。



95 :ドラゴン・ファンタジーのなく頃に 第十七話 ◆AW8HpW0FVA :2010/10/31(日) 20:41:53 ID:DPPMAttU
夏祭りの開催が決まった翌日、バトゥはブリュンヒルドの部屋に来ていた。
中に入った瞬間、刺す様な殺気を感じ、バトゥは足を止めた。
ちゃんとノックをして、入る前に一声掛けたはずである。
バトゥは殺気の出所であるブリュンヒルドに目を向けた。
窓際に座っているブリュンヒルドの手には手帳が握られていた。
「……なにか……用……」
表情も口調も、全てが不機嫌そのもののブリュンヒルドは、
バトゥに目を向ける事なく、手帳を懐にしまった。
その些細な動作でさえ、バトゥには恐ろしくて堪らなかったのと同時に、
シグナム様は、こんな恐ろしい人と一緒にいたのか、と改めてシグナムを尊敬した。
ブリュンヒルドの殺気に当てられ、既に冷や汗で背中が湿ったバトゥは、
自らに喝を入れ、からからになった口を開いた。
「将軍、夏祭りが開催される事が決定しましたが、あなた様はそれに参加しますか?」
「……だから、……なに……」
「いや、せっかくのお祭りなのですから、お誘いしようと思いまして……」
「……で……」
「あっ……あのですね……」
バトゥはしどろもどろだった。どれだけ自分に喝を入れても、
ブリュンヒルドの殺気が、それを全て吹き飛ばしてしまう。
将軍は、シグナム様の事が好きなのです、などと死んでも聞けない。
言った瞬間、首を引き千切られそうである。
遠回しに言おう、と頭に浮かんだ時、自分はヘタレだな、とバトゥは苦笑いしたくなった。
バトゥは、小さく深呼吸をした。
「当日は、シグナム様も夏祭りに参加されます。
その際、案内役として私が傍に付く事になっています。
シグナム様は、私が案内する場所になんの反対もなく付いてくるでしょう」
「……………………」
「その夏祭りは、シグナム様の肝煎りで、大々的に行なわれます。
そのため、大混雑が予想されます。おそらくは、迷う人も続出するでしょう。
もしかしたら、案内をする私も迷ってしまうかもしれません」
「……あんた……」
ブリュンヒルドの表情が変わった。殺気が薄らぎ、どことなく華やいだ様である。
やはり聡いお方だ、とバトゥは感心した。そして、その反応から脈ありと判断できた。
「それでは、出来れば早く場所を指定して置いてください。
私が言いたかったのはそれだけです」
バトゥはそれだけ言って、退室した。しばらく歩いたバトゥは、
「疲れた……」
と、ぐったりした様に言った。今まで幾つもの戦場を踏んできたバトゥであるが、
話だけで命の危険を感じたのはこれが始めてであった。
極力、ブリュンヒルドには近付かない方がいい、とバトゥが心に決めていると、気配を感じた。
顔を上げると、そこにはヘカテが立っていた。
「……………………」
ヘカテは無口で無表情である。だが、結婚してまだ数日しか立っていないとはいえ、
バトゥはヘカテの表情や雰囲気だけで、彼女がなにを言いたいのか理解できる様になっていた。
ヘカテの瞳が訴え掛けていたものは、嫉妬だった。
どうやら、自分が別の女の部屋に入った事を見咎められたらしい。
「ヘカテ、これはだな……」
慌ててバトゥは弁解しようとしたが、それよりも先に、ヘカテに手を掴まれ、引っ張られた。
引っ張られた先は、誰も使っていない、人目に付きにくい部屋だった。



96 :ドラゴン・ファンタジーのなく頃に 第十七話 ◆AW8HpW0FVA :2010/10/31(日) 20:43:00 ID:DPPMAttU
少し無茶を言い過ぎたか、とシグナムは思っていた。
だが、夏祭りというからには、夏の内にやらなければ意味がない。
もう後三日ほどでその夏を過ぎてしまう。急ぐ必要があったのだ。
とはいえ、流石に七日でというのは無理がありすぎた。
準備期間を少し延長しよう、とシグナムが決めた時、
それを告げるべき相手であるトゥルイが、夏祭りの準備が完了した事を報告すべく執務室に来た。
夏祭り開催を決定して、まだ五日しか経っていない。
シグナムは、トゥルイの顔を凝視した。
有能だ、有能だ、と思っていたが、この様に急な出来事であっても、
それを大過なく、それでいて素早く処理するトゥルイの手腕には、目を見張らざるを得ない。
自分の後の事は、こいつに任せれば大丈夫か、とシグナムは確信した。
「トゥルイ、お前が女だったら、私はお前に告白していたかも知れんな」
「それを肯定したら、私はソフィアに殺されます」
シグナムの戯言に、トゥルイも戯言で返した。執務室に笑声が響いた。

夏の太陽が秋の太陽と交代しようとする中、遂に夏祭り当日となった。
会場はまだ朝だというのに多くの人でごった返していた。
シグナムの予想では、戦争が終わってそれほど経っていないから、
あまり動員数は期待できないだろうと思っていただけに、大いに驚いた。
「皆どの顔にも、活気が溢れています。これならば、反乱を起こす気などなくなるでしょう」
と、言ったのは、シグナムの先導役のバトゥである。
そう言うバトゥも、やけに楽しそうである。シグナムはからかうつもりで、
「せっかくの祭りだというのに、愛妻と屋台を回れないのは残念だな」
と、笑いながら言った。バトゥは微苦笑した。
「まぁ、これも仕事ですから……。ヘカテも、その辺りは分かってくれていますし……」
「実はお前の後ろを付けていたりして……」
「嫌ですよ、そんな冗だ……」
バトゥは言い掛けた言葉を呑み込んだ。
「どうしたんだ?」
「いえ、なんでも……」
シグナムの問いに、バトゥはおざなりに答えた。シグナムはそれ以上問い詰めなかった。
それはさておき、せっかくの夏祭りである。
笛や太鼓、それにトランペットの音楽に合わせ、人々は踊りに身を投じ、
それをやらない者達も、即席で作られた屋台に屯し、酒や食べ物を喰らっている。
しっちゃかめっちゃかの音楽、辺りに漂う酒や肉などの焼ける匂い、
それらは全て、シグナムの五感を刺激した。
「下品……だが、なかなか面白いものだな、夏祭りというのも……」
シグナムの感想は、そういうものだった。



97 :ドラゴン・ファンタジーのなく頃に 第十七話 ◆AW8HpW0FVA :2010/10/31(日) 20:43:30 ID:DPPMAttU
この夏祭りにおいて、シグナムは多少なりとも貴族としての箍を外した。
かき鳴らされた音楽に合わせて踊ってみたり、行儀の悪い立ち食いなどもした。
酒や料理などは、安物で作られたのは間違いないはずなのに、なぜだか美味しく感じられた。
これが夏祭りマジックという奴であろうか、とシグナムは思った。
バトゥも案内に先導に熱が入った。
夏祭りに始めて参加するシグナムを退屈させない様に、様々な所を案内してくれた。
このたびの夏祭りでは、多くの出店者は奇を衒ったのか、くじ引きや射的など、
食べ物以外のものを売りにしているかなり凝った出店もあった。
ここでシグナムは、くじを引いてみた。
くじとは、言わば神託であり、紙に書かれている事は未来で必ず起こる、というものらしい。
その神託という言葉に、シグナムは惹かれた。
シグナムが引き当てた紙に書かれていたのは、
怨讐と決別する時は近く、運命の人と再会す、運命の人と再会す、というものだった。
よく分からなかったが、シグナムはその紙を木の枝に結んだ。
こうすると、悪い預言は浄化され、良い預言は叶う、らしい。
その訳の分からない預言は、ややもすると、綺麗サッパリ忘れてしまった。
神託といっても、所詮は一般庶民が書いたものである。
当る筈などなく、覚えるだけ容量の無駄である。シグナムはそう思った。
それよりもシグナムは他の事に興味が移っていた。
次はあそこに、やれその次はあれだ、と年甲斐もなくはしゃいだ。
出店はごまんとあり、それらを丹念に回っていくと、日は暮れ始めていた。
シグナムは串に刺さった肉に喰らい付きながら、未だ喧騒の衰えない人混みの只中にいた。
ふとシグナムは、先ほどまで自分を先導していたバトゥがいなくなっている事に気付いた。
迷ったのだろうか、と思い辺りを見回してみると、背後から声を掛けられた。背筋が凍った。
「あれ、シグナム様もこの夏祭りに参加していたのですか?」
それは、今最もシグナムが聞きたくない、ブリュンヒルドの声だった。
着ているものは黒い鎧ではなく、ブリュンヒルドの髪の色と同じ、白いローブである。
胸元が大きく開き、そこから深い谷間が覗いている。
巨乳フェチであれば生唾ものであるはずなのに、
シグナムはそれを見ても、なんの感慨も抱かなかった。
「お前も来ていたのか」
「えぇ、せっかくのお祭りなので。ところでシグナム様、お一人でどうしたのですか?」
「別に……、バトゥとはぐれただけだ」
「でしたら、私と一緒に回りませんか?」
ブリュンヒルドの提案に、シグナムは目を見張った。
とんでもない、そんな事は死んでも嫌だ。頭の中でそういう言葉がぐるぐると回った。
「悪いが、バトゥを捜さなければならないのだ」
と、シグナムは体のいい言い訳を告げて、その場から立ち去ろうとした。
しかし、ブリュンヒルドに腕を掴まれ、
「バトゥもいい年をした大人なのですから、それほど心配する必要などありませんよ。
仮に捜すにしても、この何十万という群衆の中から見付けるなど不可能です。
それよりも、せっかくこうして会えたのですから、私と一緒に会場を回りましょう」
と、言われた。シグナムは歯噛みしたくなった。
こう言われると、断り様がない。シグナムは無言で首を縦に振った。
「それでは、行きましょう」
ブリュンヒルドが嬉しそうな声を上げて、シグナムの腕に抱き着いた。
腕がブリュンヒルドの谷間に埋まり、その張りのある胸に圧迫された。
それだというのに、シグナムの表情は暗いままだった。



98 :ドラゴン・ファンタジーのなく頃に 第十七話 ◆AW8HpW0FVA :2010/10/31(日) 20:43:58 ID:DPPMAttU
先ほどまでの興奮が、嘘の様に鎮まった。
耳に入る統一感のない音楽は、シグナムの神経を逆撫で、
鼻腔を刺激した無数の食べ物の匂いは、煩わしいものとしか感じられなくなった。
これほどまでシグナムの余裕がなくなったのは、全てブリュンヒルドのせいである。
当の本人は、シグナムの鬱屈など関係なしに、嬉しそうな表情で、ずんずんと前へ進んでいく。
シグナムは心底帰りたくなった。
「あっ、シグナム様、射的がありますよ。やってみましょうよ」
ブリュンヒルドが声を上げ、シグナムを引っ張って行った。
射的は鏃のない弓矢で、遠くに置いてある人形を打ち落とすというものだ。
しかし、弓はどう見ても子供が遊ぶ様な玩具であり、距離もかなりあるので、
人形に当てるのはかなり難しいと思われた。
ブリュンヒルドは玩具の弓に矢をつがえ、きりきりと弦を張り、刹那、放った。
矢は誤たず、標的である人形の頭を射抜き落した。
「あぁ、いつもの癖で頭を狙っちゃいました」
と、言ったブリュンヒルドは、続けざまに矢を放ち、
その全てを(人間であれば)急所に当てて、射抜き落した。
宛がわれた矢は、全て人形に変わった。
「大量ですね」
両手いっぱいに、どこかしら穴の開いた人形を抱えたブリュンヒルドは微笑んでみせた。
シグナムは笑えなかった。玩具をも凶器に変えるその技量に恐怖を感じただけだった。
その後も、シグナムはブリュンヒルドに引っ張られ、様々な屋台を巡った。
シグナムは、回った屋台も、なにを食べたのかも、全く記憶に残らなかった。
そうこうしている内に気付いてみると、
シグナムは祭りの喧騒から離れた所に連れて来られていた。
周りに人影は見当たらず、人を殺すには格好の場所だった。
「こんな所に連れて来て、……いったい……、なんのつもりだ」
シグナムの声は震えていた。
以前、ニプルヘイムでブリュンヒルドに毒を盛られそうになった事をシグナムは忘れてはいない。
遂に来たか、とシグナムは身構えた。しかし、飛んできたのは凶刃ではなく言葉だった。
「シグナム様は、好きな人はいますか?」
「……はぁ……?」
シグナムにとって、それはまさに不意打ちだった。呆気に取られているシグナムを他所に、
「私にはですね、……いますよ。強く、気高く、美しくて、皆を導いてくれるんですけど、
いつも無茶ばかりして、心配もさせてくれないんです。それを見てると、守ってあげたくなる。
愛おしくて、抱き締めてあげたくなる。私があなたの居場所になりますって言ってあげたくなる。
そういう人がいるんです」
と、言ったブリュンヒルドは、じっとこちらの方を見つめた。
シグナムは呆れた。呆れた後に、これ以上もないほどの殺意をブリュンヒルドに抱いた。
なぜいきなりその様な事を告げたのか、シグナムには理解できない。
というか、そもそも理解したくもなかった。するだけ無駄であると思ったからである。
この狡猾な殺人兵器に人間の感情などあるはずがない。
人間らしさがあるとすれば、殺した敵の首を数えて喜ぶぐらいしかないであろう。
この様な戯言に付き合うのも阿呆らしかった。
「その人の名前は……」
「私は」
まだなにか言おうとしていたブリュンヒルドをシグナムは遮り、
「誰かと付き合うとか、結婚するとかいう気は一切ない。これからも、一生な」
と、その場の雰囲気をぶち壊す様な事を言った。刹那、二人の間に冷たい風が通り抜けた。
それはまるで、夏の終わりを告げるだけでなく、二人の決裂を表している様でもあった。
シグナムはブリュンヒルドの表情の変化を確認する事なく、足早にその場から立ち去った。
祭囃子は嘘の様に静まり返っていた。



99 :ドラゴン・ファンタジーのなく頃に 第十七話 ◆AW8HpW0FVA :2010/10/31(日) 20:44:56 ID:DPPMAttU
夏祭りが終わってから、シグナムは五日間も執務室に篭り、朝廷にも出仕しなくなった。
その間シグナムは、王に提出する書類の作成に心血を注いでいた。
それは今後のオゴタイ王国が行なうべき政策を記した、言わば計画書であり、
シグナムはそれが書き終わり次第、この西方大陸を出て行くつもりである。
このままこの大陸の宰相に収まってもいいのだが、シグナムには、まだやる事があった。
時折やって来るブリュンヒルドを無視し、
遂に書き終えた書類を王に献上し、シグナムは暇乞いを願い出た。
王の顔から血の気が引いた。唇をわなわなと震わせ、目には涙が溜まりだした。
「なっ……なにを言い出すのだ!私は汝を疎ましいと思った事は一度もないぞ。
それに、宰相殿がいたからこそ、私はこの椅子に座る事が出来たのだ。
その恩をまだ返せてもいないというのに、宰相殿は致仕するというのか!」
「いえ、王が知っての通り、私は他国者にございます。
その様な者がいつまでも宰相の席を汚す訳にはいきません。
後継者は、その書類に記されております。ご安心してください」
「この国が復興できたのも、全ては宰相殿のお陰だ!
他国者だからという理由で、汝を執政の席から降ろす訳にはいかぬだろう!」
ここまで王に信頼され、愛されていると分かったシグナムは、嬉しさのあまり泣きそうになった。
しかし、それでも王の言葉を受け入れる訳にはいかなかった。
「私の様な愚か者をそこまで信頼していただき、実にありがとうございます。
ですが、これが常道なのです。常道に逆らえば、天譴を受けます」
シグナムはそう言うと、恭しく傾首し、退廷した。
シグナムが致仕したという話は、すぐさま都中に広まった。
それからすぐに、シグナムの許にはバトゥ達がやって来た。
目的は王の時と同様に、シグナムの致仕の再考を願うものだった。
その事を予期していたシグナムは、三人にそれぞれ紙を渡した。
紙には今までの事を感謝する言葉と、自分の不徳を詫びる言葉で埋め尽くされていた。
そして最後には、バトゥを軍務大臣、トゥルイを宰相、フレグを副宰相にする、と書かれていた。
所謂除官であった。これを見た三人は、シグナムを説得する事を諦めた。
皆、目に涙を溜め、部屋から出て行った。執務室は静寂に包まれた。
夕方になると、シグナムは明日出発できる様に荷造りを始めた。
背後には、ブリュンヒルドが悲痛な面持ちでシグナムを見つめている。
「ブリュンヒルド、お前はここに残ってもいいんだぞ」
と、シグナムは振り向く事なく、ブリュンヒルドにそう声を掛けた。ブリュンヒルドは声を荒げ、
「シグナム様は私の主です。従が主の許を離れる訳にはいきません!」
と、言った。荷造りの手を休めないシグナムは、苦いものでも食べた様に気分が悪くなった。
なにが主だ、とシグナムは吐き捨てたかった。この女が人に頭を下げるはずがない。
それが例え、王太子であろうと、その考えは変わらないだろう。
ブリュンヒルドの顔を見るのも嫌になったシグナムは、
「ブリュンヒルド、お前は明日朝一番の船に乗り、ファーヴニルに向かえ。
私は東方大陸に向かう」
と唐突に命令した。ブリュンヒルドは驚いた様に、
「シグナム様、私と一緒に旅をするのではなかったのですか!?」
と、言った。シグナムは相変らず振り返らない。
「東方大陸は国内で内戦が続いている。宗主国として、私にはその戦いを鎮める義務がある。
お前はそれを王室に伝えてくるのだ。分かったな」
それだけ言うと、シグナムはそれ以降しゃべらなくなった。