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79 :ラ・フェ・アンサングランテ 【第三話】   ◆AJg91T1vXs :2010/11/15(月) 00:06:58 ID:L6F9TM5r
 ジャンが合同墓所に着いた時、既に太陽は南の方角に昇りかけていた。

 街の正門をくぐり、レンガで舗装もされていない道を歩くこと小一時間。
 赤錆びの目立つ鉄製の策に囲まれた、寂しげな場所にそこはあった。

 街の教会に墓を持たない人間は、この合同墓所に埋葬されることになる。
 そのほとんどが、どこの誰とも知らない曰くつきの者ばかりだ。

 旅の途中で行き倒れ、身元も分からないまま埋葬せざるを得なくなった行商人。
 怪しげな呪いを使うとされ、神父に看取られることもなく亡くなった老婆。
 不運にも、旅の途中で山賊に襲われ、そのまま命を落としてしまったジプシーの一団。
 この合同墓所は、そういった街の墓所に入れない人間達の遺体を、一重にまとめて埋葬しているような場所なのだ。

 墓所の入口近くにある小屋の鐘を鳴らすと、管理人と思しき老人が中から姿を見せた。
 その目はどんよりと光を失って濁っており、背中は醜く曲がっている。
 手にしたスコップを杖代わりにして、老人は訝しげな顔をしながらジャンを見た。

「なんだね、あんたは。
 こんな墓場に、真っ昼間から何の用だい?」

「ある男の埋葬をお願いしたくてやってきました。
 ここに、その遺骨があります」

 ジャンは鞄から父の遺骨が入った袋を取り出したが、老人はちょっと見ただけで、すぐに興味なさそうに目を逸らした。

「あんた、変わった人だな。
 骨しかないってことは、体を焼いちまったんだろう?
 どうして焼いた場所に埋めず、わざわざこんなところまで持ってきた?」

「この人は、この土地で生まれた人です。
 旅先で亡くなったんですが、教会に墓が作れるような人じゃありません。
 だから、仕方なく遺体を焼いて、ここまで持って来たんです」

「それはまあ、ご苦労なこった。
 あんたがどんな人間かは知らんが、まあ、ここは聞かんでおこう。
 その方が、あんたも何かと都合がええじゃろうて……」

 老人の淀んだ目に、一瞬だけ光が戻ったような気がした。
 低く、鼻にかかるような声で笑うと、隙間だらけの黄色く汚れた歯が覗けて見えた。

「それじゃあ、埋葬をお願いします。
 何か、必要な書類とかはありますか?」

「そんなもんは要らんよ。
 まあ、あえて言うならば、お布施の代わりでも欲しいかの。
 わしは別に神父でもなんでもないが……街の連中から渡されておる補助金だけじゃ、とてもではないが暮らして行けんのでな」

「だったら、これを使ってください。
 少ないですけど……何かの足しにはなるはずです」



80 :ラ・フェ・アンサングランテ 【第三話】   ◆AJg91T1vXs :2010/11/15(月) 00:07:39 ID:kHJ4GEnX
 そう言って、ジャンは何某かの金と共に、父の遺骨を手渡した。
 老人からは埋葬するところまでつき合えと言われたが、さすがにそこまでするつもりはなかった。

 形だけとはいえ、父の骨は故郷の土に帰したことになる。
 それ以上は、自分が何かを義理立てする筋合いはない。

 墓の場所にも興味はない。
 流浪の医師である自分が墓参りをすることなど、未来永劫ありはしないのだから。

 墓守の老人を一人残し、ジャンは踵を返して墓地を後にした。
 が、すぐに振り返ると、金を数えながら墓地の奥へと向かう老人に声をかける。

「あっ……ちょっと、言い忘れましたけど!!」

「なんじゃ、若いの。
 まだ、何か用かね?」

「そのお金、お酒を買うのに使ったら駄目ですよ!
 これ以上飲んだら、次にお墓の下に入るのは、おじいさんの番になるかもしれませんからね!!」

 遠くからでも聞こえるように叫んだつもりだったが、老人はジャンの言葉に返事をしなかった。
 そのまま杖代わりのスコップをついて、墓地の中へ入って行く。

(あれは、たぶん駄目だろうな……。
 あそこまで末期だと、口で言っただけじゃ、どうにもならないか……)

 初めて老人の顔を見た時、ジャンは彼がアルコール中毒患者であることを見抜いていた。
 そのため、最後に釘を刺しておこうと思ったのだが、どうやら無駄骨に終わったようだ。

 アル中の管理人に守られた合同墓所で、誰に看取られるまでもなく静かに朽ちて行く。
 自分の父親のことではあったが、ジャンは同情などしなかった。
 医師としての務めを放棄してまで己の探究心を満たそうとした男の末路としては、これはこれで相応しいのではないかと思っていたからだ。


※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※




81 :ラ・フェ・アンサングランテ 【第三話】   ◆AJg91T1vXs :2010/11/15(月) 00:08:48 ID:L6F9TM5r
 ジャンが宿場に戻って来たのは、正午を過ぎて二時間程経った頃のことだった。
 一階の酒場はまだ開いてはいなかったが、特に気に留める必要もなかった。

 昼食は、既に外で済ませてきている。
 リディに頼めば何か出してくれそうなものだが、さすがにそこまで甘えられない。

 二階へ続く階段を上り、ジャンは夕方までの時間をどう過ごそうか考えた。

 いつもであれば、旅先で困っている病人がいないかどうか探し、その家に往診にでも行く時間である。
 しかし、彼にとって生まれ故郷でもあるこの街は、同時に彼にとって酷く冷たい街でもあった。

 自分の素姓が街の人間に知られたら、問答無用で叩き出されるだろう。
 父の骨も手放したことだし、明日にでもこの街を発つことにしよう。

 そんなことを考えながら、ジャンは二階への階段を上って行った。
 受付の前まで来ると、そこにはジャンを待つリディの姿があった。

「お帰りなさい、ジャン。
 あなたにお客さんが来てるわよ」

「お客さん?
 特に、誰かと約束したつもりはないけど……。
 どんな人なんだい?」

「なんだか、ちょっと冷たい感じのする人。
 どこかの御屋敷の執事みたいだけど……」

「執事?
 そんな人が、僕になんの用だろう……」

 訝しげな表情を浮かべながら、ジャンはリディに案内される形で奥の部屋に入った。

 それにしても、この街に自分を尋ねて来る人間がいるとは驚きだ。
 まさか、父のことを知っている人間が、自分を追い出しに来たのではないだろうが……とにかく、話を聞いてみないことには始まらない。

 リディに案内された部屋に入ると、なるほど、そこには黒い正装に身を包んだ一人の男がいた。
 感情のない、刺すような視線がジャンに向けられる。
 敵意があるわけではないのだろうが、どうにも冷たい印象を抱いてしまう。

「ジャン・ジャック・ジェラール様ですね」

 ジャンが自分の名前を言うよりも先に、男が言った。

「お初にお目にかかります。
 クロード・ラ・シールと申します」

「は、はぁ……」

 腕を胸の前に添え、男はジャンに深々と頭を下げた。
 こういった空気には慣れていないのか、ジャンもリディも完全に呑まれてしまっている。

「私は、テオドール・フラド・ツェペリン伯爵にお仕えする者です。
 本日は訳あって、ジャン様をお迎えにあがりました」


82 :ラ・フェ・アンサングランテ 【第三話】   ◆AJg91T1vXs :2010/11/15(月) 00:09:54 ID:L6F9TM5r
「僕を迎えに?
 でも……いったい、なんで……」

 テオドール・フラド・ツェペリン。
 その名前に、ジャンは聞き覚えがなかった。
 目の前の男が言うには伯爵ということだが、そもそもこの街に、そこまで名のある貴族が住んでいるという話は聞いたことがない。
 少なくとも、ジャンがこの街を出た十年程前においては、であるが。

 未だ要領を得ないジャンであったが、執事の男、クロードは、先の調子をまったく変えずに話を続けた。

「私の御主人様であるテオドール伯は、病を患っておられます。
 私はジャン様に、御主人様を治していただくべく、こうしてお迎えにあがらせていただいた次第であります」

「それはまた、随分なことだね。
 でも、僕なんかでいいのかい?
 この街にだって、もっと腕のいい医者がいるだろうに……」

「私も初めはそう考えて、街の医者を頼りました。
 しかし、街の医者の出す薬では、御主人様の病には効果がなかったのです。
 その点、ジャン様は東洋医学にもお詳しいとのこと。
 最後の頼みの綱として、我々は長らくジャン様を探していたのです」

「ま、まあ……確かに僕は、そっちの方の話も少しは分かるけど……」

 自分の内面まで丸裸にされているような気がして、ジャンは思わず身構えて言った。

 確かに、自分は東洋の医学に関するある程度の知識を持っている。
 なんのことはない、父の残した医学書の中に、主に薬草に関してまとめられた東洋医学の本があっただけだ。
 如何わしい魔術書のような本の中でも、それだけは唯一まともな本だったと言ってもいい。

 実際、その本に載っていた薬草の類は、確かに効果があった。
 詳しい理由はジャンにも分からないが、効能だけは確かだったのだ。
 薬によっては行商人から買わねば材料が揃わないものもあったが、必要に応じてバザーなどで買い揃えるようにしていた。

(それにしても……)

 目の前に現れた謎の男の言葉に、ジャンは無言のまま考える。

 クロード・ラ・シールと名乗った執事の男。
 彼は、いったいどこまでこちらのことを知っているのだろうか。

 自分はそこまで有名な医者でもない。
 東洋の医学に詳しいという話も、一部の患者を除いては知る者などいない。

 ならば、クロードはどこからその話を聞きつけたのか。
 そして、彼を遣わせたテオドール・フラド・ツェペリン伯爵とは、いったい何者なのだろうか。

 今はまだ、わからないことが多すぎる。
 不安でないと言えば嘘になったが、謎を解くためにはクロードの申し出を断るわけにはいかない。
 それに、自分を求める患者を放り出して逃げ出すなど、ジャンにはできそうもなかった。


83 :ラ・フェ・アンサングランテ 【第三話】   ◆AJg91T1vXs :2010/11/15(月) 00:11:14 ID:L6F9TM5r

「わかりました。
 僕で力になるかどうか、少し不安ですけど……とりあえず、できる限りのことはやってみます」

「それはありがたい。
 では、早速私と共に来ていただけますか?」

「はい。
 ところで……テオドール伯の御屋敷は、ここから遠いのですか?」

「ええ、少し……。
 外に馬車を待たせてあります。
 詳しくは、そこでお話しましょう」

 相変わらず、クロードは無機的な声で答えた。
 申し出を受け入れてもらえたというのに、喜ぶ素振りも見せなければ表情も変えない。
 ただ、宿の近くに馬車を待たせていたという手際の良さだけは、ジャンも感心せずにはいられなかったが。

「と、いうわけで、悪いけど仕事が入っちゃったよ。
 今晩は何時に帰れるかわからないから、夕食の用意は要らないよ」

「ええっ、そんなぁ……。
 折角ジャンに食べてもらおうと思って、お昼から仕込みをしてたのに……」

「ごめんよ、リディ。
 まあ、帰ってきたら、また賄いのシチューでも食べさせてもらえればいいさ。
 それじゃあ、ちょっと行ってくる」

 足元に置いた鞄を手に、ジャンはクロードと共に部屋を出た。
 その後ろ姿を名残惜しそうに見つめるリディだったが、そんな彼女の瞳に、ジャンが気づくはずもなかった。


※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※


 テオドール・フラド・ツェペリン伯爵の屋敷は、街から少し離れた丘の上にあった。
 丘の上からは冷たい吹き下ろしが流れ、それが街に流れ込んで冬の訪れを告げる。
 ジャンが物心ついた時から、これだけは変わりがない。

 街外れの丘に貴族の屋敷があることは、ジャンも幼い頃から知っていた。
 だが、ジャンが以前に聞いた話では、そこは別荘のような場所であるとのことだった。
 なんでも、隣国にいる名のある貴族の持ち物で、夏の間だけ避暑地として訪れることがあるという話だった。

 クロードの話によると、テオドール伯は三年程前に、隠居するような形でこの地を訪れたのだという。
 隣国にあった土地や屋敷、果ては所有していた農地や鉱山までも売り払い、本来は別荘でしかない丘の上の屋敷に移り住んだのだというのだ。

 テオドール伯が、何を考えてこの地にやってきたのか。
 それはジャンにもわからなかった。
 ただ、自分が街を離れていた間にやってきたため、伯爵の名前を聞いたことがない理由だけは納得した。



84 :ラ・フェ・アンサングランテ 【第三話】   ◆AJg91T1vXs :2010/11/15(月) 00:12:10 ID:L6F9TM5r

 馬車の揺れが収まり、クロードが扉を開けて外に出る。
 彼に促されるようにしてジャンも外へ出ると、彼の前には立派な屋敷が姿を現していた。

「それにしても、凄い御屋敷ですね。
 丘の上に貴族の屋敷があることは知っていましたが……こうして間近で見るのは初めてです……」

 屋敷の屋根を見上げるようにしてジャンが言った。
 その隣にいるクロードは、やはり表情一つ変える様子はない。
 主君の家を誉められても、喜ぶこともしなければ謙遜もしない。

「テオドール伯がお待ちです。
 どうぞ、こちらへ……」

 余計なことは一切語らずに、クロードはジャンを屋敷の中に招いた。
 彼に先導される形で、ジャンも屋敷の入口へと足を踏み出す。

 その時、ふと、こちらを見つめているような視線を感じ、ジャンは思わず顔を上げた。
 彼の見つめる先にあるのは、屋敷の二階にはまっている大きな窓ガラス。
 場所からして、恐らく窓の向こう側は廊下でなく部屋だろう

 二階から見下ろすような視線を感じたジャンだったが、クロードに屋敷へ入るよう促され、それ以上は確かめることはできなかった。

 あの視線は気のせいなどではない。
 では、いったい誰が、自分のことを見ていたのだろうか。
 取るに足らないことではあったが、ジャンには妙に気になって仕方がなかった。

「どうされました、ジャン様?」

 ジャンの微妙な変化を感じ取ったのだろう。
 クロードが、やはり表情は変えずとも、ジャンに尋ねた。

「い、いや……。
 ちょっと、緊張していてね。
 テオドール伯に失礼があったらいけないだろうから……」

 適当な理由をつけて、ジャンはその場をごまかした。
 それに、今は余計なことを考えている場合ではない。

 入口の扉をくぐると、そこは大きな階段のあるエントランスルームだった。
 階段には赤い絨毯が敷かれ、いかにも貴族の屋敷といった感じがする。
 異国の珍しい彫像品でも置いているかと思われたが、美術品の類は見当たらなかった。

 階段を上り、正面にある一番大きな扉を開ける。
 その先は廊下になっており、更に奥の方に別の扉が見えた。

「こちらです、ジャン様」

 左右の壁にある扉には目もくれず、クロードは一番奥の扉へとジャンを招いた。
 クロードに案内された部屋に入ると、そこには白い口髭をした、いかにも厳格そうな老人が座っていた。



85 :ラ・フェ・アンサングランテ 【第三話】   ◆AJg91T1vXs :2010/11/15(月) 00:13:16 ID:L6F9TM5r
「御主人様。
 ジャン・ジャック・ジェラール殿をお連れ致しました」

「うむ、御苦労。
 後は、私から話をする。
 お前はもう、下がって良いぞ」

「はっ……」

 椅子に座ったままのテオドール伯に向かい、クロードは一礼をしてその場を去った。
 後に残されたジャンは、しばし呆然とした様子でその場に立ちつくす。

「なるほど。
 君が、ジャン・ジャック・ジェラール君かね?」

「えっ!?
 あっ……は、はい……」

「なんだ、緊張しておるのか?
 別に、とって食ったりはせんよ」

 そう、口では言っているものの、伯爵の顔は険しいままだった。
 長年、貴族としての誇りを持ち続けて生活してきた故に、仕方のないことなのかもしれないが。

「あの……。
 ところで、伯爵はご病気と伺いましたが……。
 いったい、どのようなもので?」

 このまま突っ立っていても仕方がない。
 場の空気を変えるためにも、ジャンは伯爵へ問診を始めることにした。

「ふむ、どのような病気、とな……」

 重い腰を上げるようにして、伯爵が椅子から立ち上がる。
 腰はそこまで曲がっていないものの、杖をつかねば歩くのも辛そうだ。

 口で何かを言う代わりに、伯爵はジャンの目の前に左手を突き出した。
 節くれだった関節と、皺の目立つ皮膚。
 だが、それ以上に、右手と比べて明らかに不自然な方向へ向いている指先が気になった。

「これは……リウマチですね」

「その通りだよ。
 ここ数年で、病状が酷く悪化してな。
 街の医者に見せて薬も出させたが、大した効き目はなくてな」

「なるほど。
 それで、最後の頼みの綱として、僕を呼んだというわけですか」



86 :ラ・フェ・アンサングランテ 【第三話】   ◆AJg91T1vXs :2010/11/15(月) 00:14:38 ID:L6F9TM5r

「うむ。
 噂によれば、お主は東洋の医学にも詳しいと聞く。
 それを使って、なんとかならんかと思ったのだが……」

「なんとか……ですか。
 でも、リウマチは完全に治す方法などありませんよ。
 僕の持っている東洋医学の本にも、痛みを和らげたり症状を軽くしたりするための薬しか載っていませんし……」

「それでも構わんよ。
 どの道、老い先短い人生だ。
 ただ、痛みで夜も眠れないというのは、さすがに勘弁願いたいのでな」

 険しい顔は変わらなかったが、伯爵の話す口調は幾分か穏やかなものになっていた。

 それにしても、テオドール伯は、いったいどこでジャンの噂を聞きつけたのだろうか。
 先ほどから気になっていたのはそこである。
 クロードの話によれば、方々の街に遣いを出して、ジャンの足取りをつかませるようなことまでしていたらしい。
 それだけ自分にかけている期待が大きいのだろうが、ジャンとしては複雑な心境だった。

「あの……テオドール伯爵」

「なんだ?
 まだ、他に病気のことで聞きたいことがあるかね?」

「いえ、そうではありません。
 ただ、伯爵がどうして僕のことを知ったのか……。
 それが、少し気になりまして」

「そんなことか。
 まあ、他愛もない話だがね……」

 立っているのが辛くなったのか、伯爵は再び椅子に腰かけて話を続けた。

「君は、以前にフレデリック・セギュールという男に会ったことはないかね?」

「フレデリック……?
 そう言えば、そんな名前の患者がいたような、いないような……」

「実は、彼は私の古くからの友人でね。
 私が病で苦しんでいることを知り、君のことを手紙で紹介してくれたのだよ。
 もっとも、その時には君もフレデリックの下を去っていただろうから、手紙をもらった後に方々を探しまわらせることになってしまったがね」

「そうだったんですか……」

 伯爵と話をしている内に、ジャンの頭にも昔の記憶がおぼろげながら蘇ってきた。

 フレデリック・セギュール。
 以前、ジャンがとある山村で診た老画家である。
 若い頃は貴族のパトロンを後ろ盾に、比較的安定した生活を送っていたが、現在は隠居暮らしをしているとのことだった。

 テオドール伯の言っているフレデリックとは、あの老画家のことで間違いない。
 恐らく、以前にフレデリックのパトロンだったのが、ツェペリン家の人間だったのだろう。



87 :ラ・フェ・アンサングランテ 【第三話】   ◆AJg91T1vXs :2010/11/15(月) 00:15:24 ID:L6F9TM5r

「それにしても……」

 不自然な形に歪んだ伯爵の指を診察しながら、ジャンが何気なく尋ねる。

「伯爵は、なぜこのような辺鄙な場所に引っ越しを?
 やはり、療養のためですか?」

「なぁに、そんな大した理由などではない。
 私の父が若かったころは、ツェペリン家も名のある貴族だったがね。
 どうも、私が生まれる前の戦争で、軍資金を使いこみ過ぎたらしい。
 それでも、平和になってからは画家や音楽家のパトロンなどもやっていたが……すぐに先祖の財も底を尽きた。
 以来、私が後を継ぐ頃には、ツェペリン家もすっかり没落貴族でな。
 とうとう祖国の土地を売り払い、丘の別荘に隠居することになったのだよ」

「そうだったんですか……。
 すいません。
 なんだか、失礼なことを聞いてしまって……」

「いや、構わんよ。
 事実は事実。
 物笑いの種にされようと、こればかりはどうにも変わらん」

 伯爵の口調は、いつしか哀愁を含んだようなものに変わっていた。

 富を失い、祖国の土地を追われ、最後は異国の別荘にて余生を送る。
 そんな自分とテオドール伯の姿に、ジャンはどこか親近感のようなものを抱いていた。


※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※




88 :ラ・フェ・アンサングランテ 【第三話】   ◆AJg91T1vXs :2010/11/15(月) 00:18:05 ID:L6F9TM5r
 結局、その日は伯爵に手持ちの薬を処方して、宿場に帰ることになった。
 ジャンの渡した薬に伯爵は満足していたようだが、果たしてどこまで効果があるかはわからない。

 その上、東洋医学における薬には、即効性が期待できるものが少ない。
 様々な薬を組み合わせながら、毎日飲み続けることが大事なのだ。
 そうやって、身体の中から徐々に体質を変えてゆき、病に対する回復力や抵抗力を高めるのが、東洋ならではの治療法なのである。

 この様子では、当分の間、自分は伯爵の下を訪れて治療をせねばならないだろう。
 正直、早く街を離れたかったのだが、患者から頼まれた主治医とあってはそうもいかない。

 そんなことを考えながら屋敷を出ると、ジャンは再び二階から自分を見降ろすような視線を感じた。
 気になって後ろを振り向くと、そこには二階からこちらを見つめる二つの赤い瞳があった。

「君は……!?」

 聞こえるはずなどないのに、ジャンは思わず口にした。
 その途端、瞳の主は窓辺から離れ、カーテンの向こう側に姿を消した。

 窓辺からジャンを見下ろしていたのは、赤い瞳をした一人の少女だった。
 幽霊のようにか細い身体に、雪のように白い肌。
 髪はブロンドにしてはやけに色が薄く、白金色と言った方が正しい。

 そして、なにより極めつけだったのは、やはり血のように赤いその瞳だった。
 窓の向こう側に消えてしまった今では確かめる術もないが、あまりに人間離れしたその容姿だけは、忘れようにも忘れられない。

 あの少女はいったい何者だったのか。
 伯爵の子どもにしては若すぎるし、使用人でもなさそうだ。
 ならば、伯爵の孫娘といったところだろうか。

 彼女の正体が気になったジャンだったが、今の彼にはそれを確かめるための術などなかった。

 クロードに促されるまま、ジャンは帰りの馬車に乗って宿場へ戻る。
 伯爵の病のことや薬の材料を手に入れるための手段も心配だったが、それ以上に、屋敷で最後に見た奇妙な少女の姿が頭から離れなかった。