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361 :日常に潜む闇 第8話 ◆4wrA6Z9mx6 :2010/11/22(月) 00:46:08 ID:Z5jDf5mR
~~友里の回想‐retrospect‐~~
 過去、と言っても今から数年前の話だ。
 私は恐怖と絶望のどん底に居た。
 理由は極めて単純。家庭内暴力だ。母親からの過度な期待に応えることができなかった私に対して、母は家事の一切を任せていた父を酷く責め立てた。それからというもの、父は母からの精神的な攻撃に遭い始め、その矛先は私にまで向いていた。
「どうしてあなたはいつもそうやって適当にやるのかしら? 本当にやる気あるの?」
「ま、待ってくれ。俺はお前が仕事で疲れてるだろうと思って、その、それで……」
「それでこんな出来そこないみたいなものを私に寄越すのね? ふうん、これって私に対する嫌がらせ? それとも皮肉かしら?」
 そう言って母は、食卓に並べられているグラタンに冷めた視線を向けた。
 父は先ほどからフローリングの床に正座させられ、頭上から辛辣な言葉を浴びせられている。
「お母さん、お父さんをそんなに責めなくても……」
「できそこないは黙ってなさい。大体、娘のあんたもあんたよ。どうしてあれしきのことができないのか不思議で仕方無いわ。
 本っ当、父娘揃って最悪ね。娘のあんたがしっかりしないからこの人は駄目なのよ。ついでに言えばあなたがしっかりしないから娘のこの子もあんなくだらない失敗をしたの。分かる? あなたたち二人は駄目人間、出来そこないも同然なのよ?」
「……………………」
「……………………」
 人格をも頭ごなしに否定する母の言葉に黙りこんでしまう父と私。
 何もそこまでいわなくても、と思う。
 父は単に母をの苦労をねぎらうために、普段は作りなれていないグラタンを、レシピを見ながら調理したのだ。味が少しだけしょっぱくて、表面の焦げ付きが多少酷いからって、ここまで責める必要があるのかと思う。
「…………いつまでも黙ってちゃ埒が明かないのよ。それにあんたのその顔、見てるだけで腹が立ってくるわ」
 パシン!
 父が驚いて、顔を上げる。そして何が起きたのか理解して、慌てて立ち上がった。
「な、なにをするんだ! よせ!」
「あんたがつまらない失敗をするから!」
パシン!
「あんたさえ躓かなければ!」
 パシン!!
「やめろ! やめるんだ!」
「私は恥をかかなかった! あんたみたいなできそこないを生んだ覚えも育てた覚えもないわ! 死んでしまえ! 出来そこないなんて死んでしまえ!」
 何度も、何度も頬を平手打ちされ、私の両頬は鋭い痛みを伴って赤く腫れていた。
 母に責め立てられ、それに押されるようにして私はダイニングから駆け足で逃げ、自室に籠もる。
鍵をかけ、ベッドに潜り込んで泣いた。当然声は布団で押し殺す。そうしなければ母がうるさいと言って平手打ちをするからだ。



362 :日常に潜む闇 第8話 ◆4wrA6Z9mx6 :2010/11/22(月) 00:48:24 ID:Z5jDf5mR
 ドアと布団を通り越して、ダイニングからガラガラガッシャーン! という何かが落ちて割れる音が耳に入り込んで来た。
「あなたが教育に失敗したからあの子はあんなできそこないに落ちぶれたのよ!
 少しは責任ってものを感じないの? 最低最悪極まりないわ。やっぱりあなたにませるべきではなかったみたいね。期待して損だった」
 たぶん、グラタンの入った器が床に落ちて割れたのだ。
 時折父の悲鳴が聞こえるから、もしかしたら母が蹴りを入れているのかもしれない。
 半年前、父は脚を骨折し一度だけ入院していた。
 ここまで容赦がないと、次は命が危ないのでは、と私は危機感を抱き始めていた。
 殺そう。あの人を殺そう。
 いつしか私は実の母親に殺意を抱いていた。
 今思えば実に愚かな行為だったと思う。しかし当時の私にはそれが唯一絶対の、安穏を手に入れるための正義だとしか思えなかった。
 そうして決行に移ったのは去年の冬だった。
 というよりも殺さざるを得なかった。その夜、父は数十年来の親友が危篤と聞いて、その人が入院している病院に向かっていた。そのため、夕飯は必然的に私が作ることとなった。
「なに? あんたが作るの? 下手なもの作ったら容赦しないわよ」
 帰宅するなり母は私を一瞥してそう言った。
 腹立たしい。しかし今は耐えなくては。この肉親とも思えない母親に最高のプレゼントをしてやるまであと数日の我慢だ。
 母は、テレビをつけ、特殊法人が放送するニュース番組を見ている。
 私はチラリとそちらを一度見て、また調理に没頭した。
 炒める段階に入って、火力の調整を失敗したためか焦げ臭いにおいが辺りに漂い始めた。
「ちょっとなにしてるの? ――って、何焦がしてるのよ!? これだから出来そこないはムカつくわね……!」
「……………………」
「何よ? 文句でもあるの?」
「……………………」
「――その反抗的な目が気に入らないって言ってんでしょ!!」
 いつまでたっても答えようとしない私に痺れを切らした母は、すぐ傍にあった包丁を手に取り、私に突きつけてきた。
「きゃっ!」
 咄嗟にコンロで火にかけていたフライパンを母に向ける。それも中身をぶん投げるように。
「ぎゃあ! あ、熱いぃ!」
 運良く、と言うべきか、炒め物が母の顔面に直撃。手から包丁を離し、両手で目を押さえながらよろめいた。
 この時私はこの後生じるであろう恐怖に震えていた。母が体勢を取り戻したらきっと私にこれ以上の手段を以って復讐するだろう、と。いや、もしかしたら殺されるかもしれないとさえ思い始めていた。
「……殺される、くらいなら」
 私は、床に落ちていた包丁を掴む。
 目標は母の首筋。頸動脈。
「殺してやるっ!!!」
 その叫びに、ようやく視界を取り戻せたらしい母がこちらに顔を向けたのが分かった。
 しかし今から抵抗してももう遅い。
 包丁の刃は、私の突進による運動エネルギーが上乗せされて、事態を把握しようとしていた母の首筋を深さ3センチから4センチメートルほど抉り、貫通した。



363 :日常に潜む闇 第8話 ◆4wrA6Z9mx6 :2010/11/22(月) 00:48:50 ID:Z5jDf5mR
「あがっ! ぎ、ざばぁ……! よぐも……」
 憎しみと恐怖を伴った視線を向け、何事か喋りながら前のめりに母だったモノは倒れた。
 そしてピクリとも動かなくなる。
 私は、酷く興奮していたが、自分が殺したのだと言う証拠を隠すために工作しなければならない。
 まずは包丁から指紋をふき取らなければ。
 そう思い、自身の服で包丁の柄を拭く。
 どうせ返り血で使い物にならないのだ。最後くらいは雑巾にでもなって活躍してもらおう。
 次に、手に着いた血を洗い場で流すと部屋へ戻り、替えの下着と服を用意し、風呂場で全身にこびりついた血を洗い流した。
 風呂場から出て、真新しい服を着ると、今度はキッチンへ向かう。
 返り血を浴びた服はゴミ袋に詰めて、どこか別の場所へ投げ捨てなくてはならない。
 台所から持って来た不透明なビニール袋に脱いだ服を放りこみ、空気を十分に抜いてから口を縛る。持ち運ぶための鞄に違和感無く入るか心配だったが、特に問題はなかった。
 死体はこのまま放置する。解体してどこかへ捨てることも考えたが、手間がかかるうえに後始末が面倒なのでやらない。
 全て、事前の計画通りに進んでいる。順調過ぎて、私は不覚にも笑みをこぼしてしまった。
 しかしまだ証拠隠滅の工程が残っている。気を引き締め直すと、私は靴を履き、鞄を肩に提げて外へ出る。
 投棄する場所はなるべく人目につかない場所が良いと思ったのだが、逆に警察の捜査の手が及びそうで怖い。しかしこの時間帯ではそこに捨てるしかないだろう。
 だが前々から計画を練っていた私は、もしもの時のためにと、本命とそれ以外の幾つかの候補をリストアップしておいてあった。やはり複数の案は用意しておいて正解だった。
 捨てる場所は、予定を変更して捜査の手が伸びないであろう遠い位置を選んだ。
 この時私は間違いなく正しいことをしたのだと信じて疑わなかった。
 その後、父が帰宅し、惨状を見てすぐさま警察と救急に通報。私はその様を呆然と眺めているような振りをしていた。いや、振りをしていたはずだ。
 警察の捜査では、物色された様子がないことから怨恨の線で殺害事件として扱われたが確定的な証拠が出るわけでもなく平行線をたどり、規模は縮小。
 父は、どうしてか母の死を嘆き悲しんでいた。
 なぜ暴力を振るうあの人の死を悲しむのか私には理解できなかった。
 告別式の後、父が私に話があると言って、ダイニングへ来るよう言った。
「母さんが亡くなって悲しいが、二人で頑張っていこう」
「…………」
 父の泣き腫らした赤い目を見て、私は言葉を返すことができなかった。
 間違いなく父はあの人を愛していたのだと、例え何かにつけて暴力を振るうような人間でも、確かに一人の女性で会いしていたのだと初めて気付かされた。
 私が殺したと告白できなくて、どうしてあんな人を今も愛し続けられるのか聞けなくて、感情が爆発するように私は家を飛び出していた。
 父が後ろで何か言っていたかもしれない。しかし私は自分の感情に振り回されるままに街へ逃げていた。少しでも、現実から目を逸らすために。
 それは何の皮肉か、クリスマス・イヴの日であった。





364 :日常に潜む闇 第8話 ◆4wrA6Z9mx6 :2010/11/22(月) 00:49:20 ID:Z5jDf5mR
~~友里の回想‐retrospect‐其の二~~
 今日はよりもよってクリスマス・イヴ。あの人にとって最悪の、そして私たちにとって最高のプレゼントが贈られるはずだったクリスマス・イヴ。
 しかし現実はどうだろうか。あの人はともかく、少なくとも私たちにとっては最悪のクリスマスプレゼントが贈られた。
 私には罪の意識、父のもとには最愛の妻の死というプレゼントが届いた。
 本当に、これは何の皮肉だと思う。
 だが今更自首をしたところで元には戻らないし、私は自首をする気にはなれなかった。
 怖くなったのだ。
 今までは正義の下で行動していたのに、その根拠が崩れた。
 だから私は怖くなった。自分が実親を殺したという、その事実が。
 だから、自首したくなかった。
 しかし殺人を犯した私はどうして生きていられようか。
 そう思うあたり、私もまた父のようにあの人を愛していたのだろう。
 これで私宛の最悪のプレゼントが二つになった。
 笑いたい。自身への嘲りを以って笑いたい。
 きっと鏡を見れば、今の私は酷い顔をしている。
 ああ、死にたいな。
 いつしかそんなことを思って街中をフラフラしていた。
 赤信号に捕まり、交差点の手前で立ち止まる。
 今ここで足を踏み出せば、楽に死ねるだろうか。
 悶々と考えていた時だった。
 突然、つんざくような音が聞こえ、金属と金属が衝突して潰れるような音がしたと思えば周囲の人が騒ぎ始めた。
 何事だろうか。
 顔を上げた時、目の前から、バンパーがひしゃげたバスが、私に向かって突っ込んでくるのが見えた。
 フロントガラスの向こう側に居るバスの運転手は、どうしたことかハンドルにもたれかかるようにぐったりとしている。
 しかし私はここで死ねるのだと。これが私への最高のクリスマスプレゼントなのだと思えた。
 そう思って目を瞑る。
 ところが急に身体が大きく横に振られたかと思うと、半身が地面に叩きつけられたような痛みに襲われた。
 驚いて目を開ければ、私に覆いかぶさるようにして一人の男の人が意識を失っている。
 私は助かったのか……。
 その事実にどうしてか安堵の思いを抱きつつ、私もまた気を失った。





365 :日常に潜む闇 第8話 ◆4wrA6Z9mx6 :2010/11/22(月) 00:50:15 ID:Z5jDf5mR
 目を覚ませばそこは見知らぬ場所だった。あまりのも周囲が白いので、ここが天国なのかと思ったほどだ。
 しかしすぐに病院だと悟る。
 点滴の管やチューブ、パックが視界に入ったからで、なによりも隣から話しかけられたからだ。
「ああ、意識取り戻したみたいだね」
 隣に居た男の人は、私を助けた人だった。
 その後、看護師とともに医師がやって来て、異常がないか簡単な問診と検査をした。当然、異常はなかった。
 医師たちが帰った後、私たちの間には沈黙が降りかかる。
 どうやら大部屋のようだが、どうしてか私たち二人だけのようだ。広くて誰もいない分、シーツの衣擦(きぬず)れまで聞こえてしまいそうだ。
「どうして私を助けたんですか?」
 沈黙に耐えきれなかったからか、それとも助けられた時から思っていた疑問を尋ねたかったのか。自然と友里の口からこぼれていた。
「え? いやまあ目の前で死なれると嫌だからかな。うん、それに助けられるなら助けたいに決まってるじゃない」
 彼の言葉に、私の胸の中で、確かに何かが芽生えた。
 温かい、それでいて、渇きにも似たとてつもない欲望。
私を生かした。それは貴方からのクリスマスプレゼントですか?
それがどうであれ、私を生かしてくれたんだから、とことこん貴方について行きます。それが、私から貴方へのクリスマスプレゼント。
覚悟してくださいね。