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名前:ラ・フェ・アンサングランテ 【第十三話】  ◆AJg91T1vXs [sage] 投稿日:2011/01/10(月) 22:13:30 ID:amJrtyAU [2/11]
 薄暗い地下の一室で、ジャンは様々な実験器具の並べられた机の前にいた。

 今朝、街で見たルネの笑顔。
 彼女があんな顔を見せたのは、実に久しぶりのことだった。

 ジャンがルネの身体の治療法を探し始めたのは、彼女に対する贖罪の意味が強い。
 少なくとも、今まではそうだった。

 だが、今日のことではっきりとわかった。
 ルネは、贖罪など求めていない。
 自分勝手な理屈かもしれないと思ったが、それでもジャンは、むしろ今までの行いの方がルネを寂しがらせていたのではないかと考えた。

 ルネはただ、偽りのない自分の姿を受け入れてくれる人が欲しかっただけなのだろう。
 養父にさえも己の本当の姿を見せることができず、唯一、執事長の忠義心に甘えることで、なんとかその心を保ってきたに違いない。

 これ以上、ルネを悲しませてはいけない。
 そんな考えが、ジャンの心の中に生まれつつあった。
 義務や使命、それに贖罪ではなく、一人の人間としてルネのために何かをしてやりたい。
 そう考えているからこそ、ジャンはあえて地下の研究室に籠り続ける道を選んだ。

 義務でも贖罪でもなく、純粋に彼女に喜んでもらいたい。
 今日の街でルネが見せた、あのような笑顔をもう一度見たい。
 そのためには一刻も早く、ルネが太陽の下を歩けるような身体にしてやらねばならない。
 行いは同じでも、その源となっているものが、ジャンの中では明らかに変化していた。

 ランプの灯りだけを頼りに、様々な医学書に目を通しながら研究を続ける。
 ルネの血が固まってしまう原因は何か。
 彼女の嗜好は何が理由で、吸血以外にその衝動を抑える術はないものか。
 その日のジャンは今まで以上に、ありとあらゆる方法を試そうと息巻いていた。

 血の病に効くと言われ、行商人から手に入れた東洋の薬。
 怪しげな魔術師紛いの男から入手した、どんな病にも効くという魔法の薬。
 そして、一度は忌避して捨てようとさえ思っていた、父の残した如何わしい錬金術の書。

 その信憑性さえ定かでないものもあったが、それでもジャンはあらゆる望みに賭けてルネの血を調べた。
 傍から見れば馬鹿らしいと思うような方法にまで、その日は積極的に手を出した。

(こうなったら、形振りなんて構っていられない……。
 なんとしても、ルネに吸血なんて行為をしなくても済むようにしてやらなくちゃ……)

 食事を摂ることさえ忘れ、ジャンはひたすらに作業に没頭した。
 が、運命の神というのは残酷な者である。
 洋の東西を問わず様々な医学的手法を試し、更には眉唾物の錬金術にまで手を出そうともしてみたが、それでも何ら新しい発見はなかった。


「くそっ!!
 どうして……どうして何もわからないんだよ!!
 なんで、固まったまま……ルネの血は元に戻らないんだよ!!」

 自分以外は誰もいない地下室に、ジャンの叫びがこだまする。
 焦りは禁物だとわかっていたが、それでもジャンは自分の無力さが許せなかった。
 たった半日で、何かが変わるわけでもない。
 そう、頭ではわかっていても、やはり納得の行かない自分がいる。

 ふと、部屋の隅を見ると、そこには手つかずの夕食が置いてあった。
 恐らく、クロードが運んできたものだろう。
 作業に夢中になり過ぎて、食事を運んでもらったことさえ忘れていた。

227 名前:ラ・フェ・アンサングランテ 【第十三話】  ◆AJg91T1vXs [sage] 投稿日:2011/01/10(月) 22:14:40 ID:amJrtyAU [3/11]
「はぁ……。
 とりあえず、何か食べて落ち着くか……」

 食器の乗ったトレーを持ち、ジャンは机の上にそれを運ぼうとする。
 しかし、机の上に乗っていた一冊の本が目に入ったとき、ジャンの身体は氷のように固まって動かなくなった。

 そこにあったのは、父の残した本だった。
 生前、不老不死の魔力にとり憑かれ、最後は得体の知れない研究に没頭して亡くなった男の本。
 僅かばかりの望みを託して読んでみたジャンだったが、冷静になればなるほど、自分の行為が愚かしいものに思えてきた。

 謎の病を治すという名目の下、日夜薄暗い地下に籠って怪しげな研究を続ける自分。
 その姿は、あの忌むべき父のものとそっくりではないだろうか。
 ルネのために何かをしたいという一心に駆られ、周りが全く見えなくなっていた。
 気がつけば、とうとう父と同じ愚を繰り返し、医学的根拠など皆無の魔術的な方法にまで手を染めようとしていた。

「くそっ!!」

 自分の身体に流れている血が、改めて汚らわしく思えた。
 食事の乗ったトレーを叩きつけ、更には机の上の機材までも払いのける。
 金属が床にぶつかるような音に混ざり、ガラスの割れるような音もした。

「はぁ……はぁ……」

 込み上げる感情を抑えつつ、ジャンは肩で息をしながら呼吸を整えた。

 結局、自分は何がしたかったのだろう。
 口では大層な理念を掲げていながら、行きついた先は父親と変わらない。
 親子二代に渡り同じ愚を繰り返すことしかできない自分自身が、無性に腹立たしく思えて仕方がない。

「なにをやっているんだ……僕は……」

 自分に言い聞かせるようにして、ジャンはぼそりと呟くようにして言った。
 その時、唐突に扉の開く音がして、ジャンはそっと後ろを振り返る。

「ジャン……」

 そこにいたのはルネだった。
 先ほどの物音を聞きつけて来たのか、その目はどこか不安げにジャンを見つめている。

「なんだ、ルネか……」

「はい。
 地下で、あまりに大きな音がしましたもので……。
 もしや、ジャンの身に何かあったのではと思いまして」

「ごめん、ルネ……。
 ちょっと、頭に血が昇っていてね。
 でも……もう、大丈夫だから……」

228 名前:ラ・フェ・アンサングランテ 【第十三話】  ◆AJg91T1vXs [sage] 投稿日:2011/01/10(月) 22:16:54 ID:amJrtyAU [4/11]
 目の前にルネが現れたことで、ジャンの心も先ほどよりかは平静を取り戻しつつあった。
 それに併せ、ジャンは自分の右手に微かな痛みを感じ、そっとランプの灯りに照らして見る。

 机の上の機材を払ったとき、ガラス器具にぶつけて切ったのだろうか。
 ジャンの指からは一筋の赤い鮮血が滴り落ち、それが彼の手から腕を伝って下に流れていた。

「ジャン……」

 名前を呼びながら、ルネがふらふらとした足取りでジャンの前に歩いてくる。
 その身体は震え、何かに抗おうとしているものの、自分の意志ではどうにもできない様子だった。

「血……。
 ジャンの……血……」

 瞳の奥に淀んだ闇を浮かべながら、ルネが物欲しそうにジャンの指を見た。
 そのまま白い両手を伸ばし、慈しむようにして指を包む。

 クロードの身体のことを考えて、ルネが吸血行為を我慢していること。
 そのくらいのことは、ジャンにも直ぐに想像がついた。
 だが、どれほど我慢したところで、最終的には衝動に抗えない。
 ジャンの指から流れ落ちる血を見たことで、そのスイッチが入ってしまったに違いない。

 ジャンの血を舐めようと、ルネの口がその指に迫る。
 以前のジャンであれば、この時点ですぐに逃げ出していたことだろう。
 もっとも、今度ばかりは逃げ出すわけにもいかないということは、さすがのジャンもわかっていた。

「止めろ、ルネ……」

 空いている左手で、ジャンはルネの腕をそっとつかんで制した。
 その行為と言葉に、ルネの身体が一瞬だけ震えて動きを止める。

「止めるんだ……。
 そんなことをしても……君の苦しみは、何も変わらないよ……」

 震える声で、ジャンはルネにそっと語りかける。
 恐怖心がないわけではなかったが、それ以上に、ルネを助けたいという気持ちが強かった。

「ジャ、ジャン……」

 ルネの瞳に、微かに光が戻った。
 闇の淵に沈みそうになる気持ちを堪え、なんとか意識を保とうとしているのだろうか。

「私……私は……」

 掠れて消えそうな声だったが、それはジャンの知っているルネのものだった。
 高貴で、それでいて純粋な、穢れを知らないルネの声だ。

229 名前:ラ・フェ・アンサングランテ 【第十三話】  ◆AJg91T1vXs [sage] 投稿日:2011/01/10(月) 22:17:59 ID:amJrtyAU [5/11]
「大丈夫だよ、ルネ。
 君のことは、僕が支える。
 だから……もう少しだけ、待っていてくれないか?」

「は、はい……。
 ですが、ジャン。
 あなたの指は……」

 意識が戻るにつれ、ルネはジャンの指を心配そうに眺めた。
 獲物を求めるときの目ではなく、あくまで傷を負ったジャンの指を案じるようにして。

「ああ、これかい?
 この程度だったら、僕の鞄に入っているもので適当に治療できるよ」

「本当ですか?
 では……それは私にやらせて下さい」

「えっ!?
 で、でも……」

「お願いです。
 今の私は、ジャンに与えてもらうばかりです。
 少しくらい恩返しをしなくては、罰が当たりますわ」

「やれやれ……。
 仕方ないな」

 普段の様子に戻ったルネを見て、ジャンも改めて安堵した。
 それに、そんな彼女の顔を見て、今まで頭にかかっていた霞のようなものが少しだけ晴れたようだった。

 自分がルネのためにできる本当のこと。
 それがなんであるのかも、少しだけわかったような気がしたからだ。


※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※


 貴族の箱入り娘かと思っていたが、ジャンの手当てをするルネの手先は器用だった。
 ジャンが鞄の中から取り出した包帯を使い、それを丁寧に傷口に巻いてゆく。

 今、ジャンとルネがいるのは、他でもないルネの部屋である。
 地下の暗がりでは手当てがしにくいということで、ルネに言われるままに部屋へとやってきた。
 もっとも、あの散らかしたままの部屋を放置して来てしまったことが、ジャンには少しばかり気がかりだったが。

 締め付け過ぎないように注意しながら、ルネはジャンの傷口を包帯で包んだ。
 最後に優しく結び目を作り、軽く手の甲に触れてそっと微笑む。

「終わりましたわ、ジャン……」

「ああ、助かったよ。
 それじゃあ、僕はそろそろ帰らないと。
 あまり遅くなり過ぎると、宿に泊まっているお客さんにも迷惑がかかるしね」

 簡単な礼を言い、ジャンはその場で立ち上がる。
 鞄を手にし、ルネに背を向けて扉に手を伸ばしたところで、自分の腰を何かが後ろから押さえているのがわかった。

230 名前:ラ・フェ・アンサングランテ 【第十三話】  ◆AJg91T1vXs [sage] 投稿日:2011/01/10(月) 22:19:01 ID:amJrtyAU [6/11]
「ちょっ……!!
 ル、ルネ……!?」

 ジャンの腰に回されたもの
 それは、紛れもないルネの両腕だった。
 その白くか細い姿からは想像もできないほどに強い力で、しっかりとジャンのことを抱きしめている。

「お願いです、ジャン……」

 背中に顔を埋めるようにして、ルネがジャンに懇願してきた。

「行かないでください……。
 今宵はずっと……私の側にいてください……」

「ルネ……。
 君、何を言って……」

「駄目なのです。
 今、あなたが私の前からいなくなってしまったら、私は自分で自分を抑えきれなくなります。
 そうなれば、またあの衝動が蘇ってきそうで……」

 背中が暖かい物で濡れるのを感じた。
 涙を流しているところからして、ルネは本気なのだろう。
 いつもの高貴な雰囲気はまるでなく、そこにいたのは、紛れもない一人の少女でしかなかった。

「ジャン……」

 ルネの手が、ジャンの腰から徐々に上へと昇って来た。
 決して厚くないその胸板を弄るようにして、それでもしっかりとジャンのことを抱きしめている。

「抱いてください、ジャン。
 少しでも私のことを想ってくださるのでしたら……私の身体を抱いてください」

 聞き間違いなどではなかった。

 ルネはジャンに、自分のことを抱いて欲しいとせがんだのだ。
 その言葉の意味は、ジャンとてわらかないはずもない。
 言葉通りに抱きしめるだけではなく、そこから先、男と女の関係になること。 
 ルネが求めているものは、それである。

「ルネ……僕は……」

 鼓動が早まっているのが自分でもわかった。
 同時に、自分がルネに抱いていた感情がなんであるのかも、ここで初めてはっきりとした。

 自分はルネを愛している。
 初めは単なる好奇心や同情だったかもしれない。
 だが、連日に渡って彼女と関わり続けたことで、ジャンはいつしか目の前の少女に惹かれるようになっていた。

「僕は……それでも……」

 胸元に添えられたルネの手をそっと外し、ジャンは彼女の方に向き直る。
 そして、その目の高さを同じくするために腰を落とすと、色白な手を包むようにしたままゆっくりと告げた。

「それでも……僕は、君を抱くことはできない……」

231 名前:ラ・フェ・アンサングランテ 【第十三話】  ◆AJg91T1vXs [sage] 投稿日:2011/01/10(月) 22:20:05 ID:amJrtyAU [7/11]
 偽りではなく、それは本心だった。

 ルネのことを愛していないわけではない。
 できることなら、彼女の気持ちに精一杯答えてやりたい。
 しかし、そんなジャンの純粋な想いを、先ほどの地下室の一件が阻害した。

 同じ異端者でありながら、ルネは極めて純粋な心の持ち主だ。
 その一方で、自分は彼女のためと称しながら、最後は父と同じ愚行に手を染めようとした人間である。

 自分がルネを抱くことで、ルネが穢れてしまうのではないか。
 そのことが、ジャンにルネを抱くことを躊躇わせていた。
 欲望に任せて彼女を抱くことで、穢れの無い彼女の身体に不純で汚いものが入り込んで行くような気がして嫌だった。

「ルネ……。
 僕は、君が思っているほどに、素晴らしい人間じゃないんだよ。
 僕みたいな人間に、君を抱く資格なんてありはしない……」

「それでも構いません。
 あなたがどんな人間であれ……私の知るジャンは、ただ一人です」

「でも……それじゃあ、僕が納得できないんだ。
 僕の父さんは、不貞の父親だったからね……。
 当然のことながら、その血は僕の中にも流れている。
 そんな穢れたもので君を犯すのが……僕にはとても耐えられないんだよ……」

 最後の方は、ルネの目を見て言葉を口にすることさえできなかった。
 彼女の想いに応えたいという自分と、醜い自分自身でルネを汚したくないという葛藤。
 そんなジャンの気持ちが伝わったのか、ルネはそっとジャンの頭に手を伸ばし、撫でるようにして動かした。

「わかりました……。
 ジャンは、御自分の血が穢れていると……だから、私を抱く資格がないと……そう、仰るのですね」

「ああ、そうだよ。
 僕は所詮、薄汚い藪医者の息子なんだ。
 君を助けるとか言っておきながら、病の原因一つ突き止められないでいる、情けない男なんだよ……」

「では、こうしましょう。
 私にも、ジャンのその苦しみをわけてください。
 そうすれば、ジャンも躊躇うことなどなく、私のことを抱いてくれますよね?」

 一瞬、何を言われたのかわからなかった。

 ルネはジャンに、苦しみをわけて欲しいと言った。
 では、その言葉の意味するところはいったい何か。
 それに、互いに同じ苦しみを分かち合うことで、なぜジャンがルネを抱けるようになるというのか。

 あまりに唐突なことで、頭が回らない。
 そして、ジャンがその答えを出すより先に、ルネの唇がジャンの首筋にそっと触れた。

232 名前:ラ・フェ・アンサングランテ 【第十三話】  ◆AJg91T1vXs [sage] 投稿日:2011/01/10(月) 22:22:19 ID:amJrtyAU [8/11]
 次の瞬間、ジャンは自らの首元に、鋭い痛みが走るのを感じた。
 固く、冷たい何かが皮膚を裂き、その下にある血管にまで達している。
 頸動脈を切られたわけではないが、ルネの犬歯が自分の首に刺さっていることだけは、ジャンにもはっきりとわかった。

「ル、ルネ……。
 いったい、どういうつもり……」

 そこから先は、言葉にならなかった。
 最初に感じた痛みは既になく、全身を痺れるような感覚が支配している。
 頭は夏の暑さにのぼせたときのようにぼんやりとし、まともな思考をすることさえも難しい。

 首筋から流れ出る血をルネが啜っていることだけは、今のジャンにも理解できた。
 が、しかし、不思議と抵抗したいという気は起こらない。
 今の状況に全てを委ねてしまいたいとさえ思う、麻薬のような感覚。
 そんな危険な快楽が、ジャンの動きを止めていた。

「うふふ……。
 あなたの身体に流れる血が穢れていると言うのなら……私がそれを飲み干してさしあげますわ。
 そうすれば……あなたはもう、一人で苦しむ必要はありませんもの」

 その口元をうっすらと赤く染めながら、ルネが紅潮した顔でジャンを見る。
 想い人の血を直に口にしたことで、吸血とは別の衝動が強くなっているようだった。

「でも……このままでは、少し不公平ですわね」

 そう言うが早いか、ルネはジャンの側から一瞬だけ離れ、近くの棚から何か光るものを取り出した。

 それは、ルネの部屋に置かれていた護身用の短剣だった。
 恐らくは伯爵が置かせたのであろうが、ルネ自身、これを使って誰かを傷つけたり殺めたりするつもりは毛頭なかった。
 そのため、長いこと使われないでいたのだが、ルネはそれを思い出したかのようにして唐突に手にしたのである。

「今度は私の番です。
 私がジャンを飲み干したように……今度はジャンも、私を飲み干して下さい」

 そう言って、ルネは自分の手首に刃を当てると、躊躇うことなくそれを横に動かした。
 一瞬、鋭い痛みに眉根を寄せるものの、すぐに溢れ出した血に口をつけて啜る。
 放っておけば三分と持たずに乾いてしまうため、いささか慌てた様子だった。

(ジャン……。
 今、私のものを、あなたの中にあげますわ……)

 その口に自らの血を含んだまま、ルネは心の中で呟いた。
 そして、未だ呆けたような顔をして佇むジャンの唇に、自分の唇をそっと合わせる。

「――――っ!!」

 ルネがジャンと唇を重ねた瞬間、ジャンの顔に先ほどまでとは明らかに異なる動揺が走った。
 ぼんやりと、どこか遠くを見つめるようにしていた瞳は既になく、その目は驚きに溢れたように大きく見開かれている。

233 名前:ラ・フェ・アンサングランテ 【第十三話】  ◆AJg91T1vXs [sage] 投稿日:2011/01/10(月) 22:23:22 ID:amJrtyAU [9/11]
 口づけと共にジャンの中に入って来たもの。
 それは紛れもない、ルネの手首から流れ出た血液だった。
 錆びた鉄のような味で気づいたものの、初めはあまりの冷たさから、それが血液だとわかるまでに数秒の時間を要した。

 冷たく、錆びついていて、そして生臭い。
 そんな液体を口内に注ぎ込まれ、ジャンは思わずむせ返りそうになる。
 だが、彼の頭はルネがしっかり押さえており、口も口で封じられている。

「あっ……がっ……はっ……」

 咳き込みながらも、ジャンはその口に流し込まれた殆どのものを、己に意思に関係なく飲み干すしかなかった。

 やがて、ジャンが自分の血を飲んだことに満足したのだろうか。
 名残惜しそうにしながらも、ルネがそっと唇を離す。
 彼女の口から漏れた血混じりの唾液が、赤い糸を引いていた。

「ル、ルネ……。
 これは……いったい……」

 未だ喉の奥が焼けるような気がしたが、それでもジャンは、なんとか呼吸を整えながら言葉を発した。

「ジャンは、御自分の血が穢れているから、私を抱くのを躊躇われたのですよね。
 でしたら、私が自らジャンの血を飲み干せば、ジャンが私を穢したことにはなりませんわ」

「で、でも……。
 それじゃあ、君が……」

「大丈夫です。
 それに、ジャンも私の身体に流れる血を飲まれたでしょう?
 これでもう、二人の間に流れている血は同じ物になったも同然です」

 それは、何の迷いも躊躇いもない口調だった。

 ルネはジャンを求めていた。
 その気持ちは一時の迷いなどではない。
 彼女の告げた言葉から、ジャンは改めてルネの想いの強さを知った。

 自分の愛する者が穢れているというのであれば、その穢れごと受け入れる。
 その上で、今度は自分を受け入れてもらうために、自らの身体を傷つけてまで相手にそれを伝える。
 吸血という、ともすれば相手に忌み嫌われかねない行為を通してでも、ルネはジャンと一つになりたいという気持ちを告げようとした。

 歪な形ではあったものの、ルネの想いそのものは純粋だ。
 彼女は自らジャンの全てを受け入れることを示し、その上でジャンに自らを抱いて欲しいと求めたのだ。
 その気持ちに応えないというのであれば、さすがにそれは嘘になる。

234 名前:ラ・フェ・アンサングランテ 【第十三話】  ◆AJg91T1vXs [sage] 投稿日:2011/01/10(月) 22:24:08 ID:amJrtyAU [10/11]
「ルネ……。
 君の気持ちはわかったよ……」

 首筋に残る傷跡をさすりながら、ジャンはそっと立ち上がる。
 見降ろすようにしてルネを見つめると、そのまま両腕を開いて言葉を続けた。

「君がそこまで僕を想ってくれているのなら……僕も、その気持ちに応えよう。
 それで、君が笑ってくれるなら……僕は今度こそ、迷うことなく君のことを抱くよ」

「ジャン……。
 それでは……」

「ああ。
 こっちにおいで、ルネ」

 その言葉と同時に、ルネがジャンの胸元に飛び込んできた。
 自分よりも頭一つ分も小さい、華奢な身体だ。
 そんなルネの身体を受け止めて、ジャンは彼女のことを精一杯抱きしめる。
 白金色の髪に覆われた頭に顔を埋めると、ほのかに百合の香りがした。

「んっ……あぁ……ジャン……」

「ルネ……はぁ……僕は……君を……」

 互いに貪るようにして、舌を絡めて唇を求める。
 二人の口内には少しだけ血の味が残っていたが、やがてそれは、もっと柔らかく甘美な味のものに変わっていった。