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31 : ◆g1RagFcnhw [sage] :2010/10/29(金) 16:51:06 ID:RnyLP4B6
「私は、自分の事が大好きだ」
暗い部屋の中。
その部屋にある、椅子の一つ。
そこに、男が座っていた。
「何故か?…そもそも、昨今の人間というのは自分の事を蔑ろにし過ぎる。何の根拠も無いのに『自分は駄目だ』と意味のわからん自己暗示を自分に掛けるのだ。そうしてあっさり負のスパイラルを作り出し、勝手にネガティブになっていく。全く馬鹿馬鹿しい。馬鹿甚だしい」
男は語る。
「そんな馬鹿甚だしい人間が跳梁跋扈している馬鹿甚だしい時代に対し、私はこの素晴らしい肉体と精神をフルに使い、全力でポジティブな時代に変えてゆきたいのだ」
だからこそ、と男は一息ついてから続ける。
「まずは自分の事を好きになるべきだと私は思うのだ。そして他人も好きになる。性別年齢人種分け隔てなく好きになる。するとどうだ!?世界はハッピー!!私もハッピー!!皆もハッピー!!」
男は最後の辺りを喚くように、叫ぶように言う。
そして、急に声の調子を落とし続ける。
「だが無論私は博愛主義であっても全てのものを共通に愛せるほど聖人ではない。私は強い者が好きなのだ。ここで言う強い者とは、つまり――」
「――兄さん、幾ら寂しいからといっても、喉を嗄らすまで一人で喚かないで下さい」



32 : ◆g1RagFcnhw [sage] :2010/10/29(金) 16:51:38 ID:RnyLP4B6
男の言葉は、最後まで言い切る事は無かった。
暗い部屋の扉。
そこから、一人の少女が入ってきたからである。
「ああ、妹か、妹よ!待っていた!待ちすぎて思わずいつものように叫んでいた所だった!折角だからもう少し二時間程続けてもいいかな!?」
「止めて下さい。独り言ショウは終了ですよ」
少女は黒く長い髪をしており、コートを着ておりマフラーをしている。
左手にはスーパーで買ったであろう食材が入ったビニル袋を持っていて、右手には――一振りの出刃包丁。
大きさは所謂大出刃と呼ばれる出刃包丁としては大き目のサイズであり、切っ先から刃元にかけて赤黒い液体がべっとりと付着していた。
その包丁の様子を見て、男は派手なため息を一つついた。
そしてその男のため息を聞いて、少女が右手に持った刃物を見る。
「ああ、兄さん。御免なさい。汚い物を持ってきてしまいましたね」
微笑みながら、包丁を部屋にある台所らしき場所に置いた。
「兄さんに擦り寄る女をまた一人、一人殺してきたんですよ」
包丁を置き、椅子から座っている男に背後から抱きつきながら、少女は言う。
喜びと、恍惚の表情を浮かべながら。
「妹よ。君は…君は何て事をしてくれたんだい?」
男は少女に抱きつかれながら、ため息をついた。
その明らかな落胆の様子を見て、少女は『不思議そうな』表情をして言った。
「何故ですか?そんなにあの女がお気に入りだったのですか?」
「違う」
男はその少女の言葉にきっぱりとそう告げ、大仰な口ぶりで言った。
「その、包丁だよ」
「は?」
「幾らだと思う?妹よ」
「はあ…おそらく、五千円程度かと」
少女の言葉に男はありえない、君は馬鹿かね、と言わんばかりの態度を取った後言った。
「四、零、九、五、零。――四万九百五十円だ」
「――あら」
その男の言葉に意外そうに少女が驚きの声を上げる。
「君が例えば近くのスーパーでバイトする――因みにあそこの時給は八百五十円なんだが――として、君が一日三時間を十六日働き、ようやく稼げる金だ。大金だよ」
「でも、三時間も私がいなければ兄さんは」
その言葉を少女が最後まで言うより先に、男は言った。
「無論、妹よ。君が三時間いなければ私は死ぬ。具体的に言うと孤独死か餓死でね。特に私は寂しがりなので、君が三時間居ないとなるといよいよ首を吊ろうか括ろうか果たしてどっちにしましょうか、となる訳だ」
男は続ける。
「よって、その包丁一振りで『私を刺さなくても』私は死ぬ。君がその道具を乱雑に扱って台無しにしてバイトに行くだけで私は死ぬわけだ。という訳でもっと大事に扱いたまえ」
そうして長い長い語りを男が終わらせると、今度は急に少女が――笑い出した。
「ふふ。兄さん。寂しかったんですね」
「無論」
今度もまた断定的な口調で言い切る男に対し、少女は背中から抱きついていた腕を外して男の前に立ち、言う。
「兄さん」
「む?」
「兄さんは、私の事が好きですか?」
今まで、男と少女の間で幾度と無く繰り返されてきた言葉。
「無論だな」
「じゃあ、兄さんは――どんな人が好きなのですか?」
「――強い、人間が」
男と少女で、いつもどおりの言葉を交わす。
「兄さんにとって強い人とはどんな人ですか?」
今までも、これからも。
永遠に、続いていく言葉達。
「――狂ってる者だ。そんな人々が、私は大好きだ」


33 : ◆g1RagFcnhw [sage] :2010/10/29(金) 16:52:26 ID:RnyLP4B6
少女は時偶、思う事がある。
――兄が自分を永遠に愛し続けてくれるためには、如何すればいいのか。
そして、何時も答えは同じだった。
――狂うのだ。
――そして、自分と同じくらい狂っている人間を全て殺すのだ。
――そうすれば私は最強だ。
――『強い人』が、『狂っている人』が彼は最も愛してくれる人間なのだ。
そして時に、少女はこうも考える。
――兄さんは、自分自身と私の事、どちらが好きなのだろうか。
それは聞いてはいけない禁忌の疑問。
聞いて、もし期待していない答えが出れば如何すればいいのか。
だが少女は一つ、一つ確信している事があった。
――兄さんは、きっと私以上に狂っている。
それは唯の感覚でしか無く、それは唯の直感でしか無いことだったが。
彼女はそれを、信じていた。
そして兄を、愛していた。

少女は男に抱きつき、背中に手を回す。
「ねえ、兄さん」
そして、再び言葉を交わす。
ある種儀式のようにも思える言葉を。
「ん?」
「兄さんは、私の事を狂っていると思いますか?」
これを儀式とするなら、これは愛の確かめ合いでもあった。
「ああ…全く、私の妹とは思えないくらいの狂いっぷりだ」
「兄さんは、そんな私が強いと思いますか?」
狂愛。
狂った愛の、確かめ合い。
「ああ、最強だ。君はまだ死んでないからね。それは最強の証明だよ」
「そうですか。…ねえ」
「何だい?」
「兄さんはそんな私が、好きですか?」
「――ああ。大好きだ」
原点から始まり、原点に終わる。
そんな傍から見れば無意味な、無価値な会話を交わす。
愛のために。
ただただ狂った、愛のために。


never end.