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677 :合わせ鏡 ◆GGVULrPJKw [sage] :2008/01/10(木) 03:37:44 ID:uJlu1Z3v
お母さんは私にいつも言った。ヒトサマにメイワクをかけてはいけません。
お母さんは私にいつも言った。ヒトサマに恥ずかしいことをしてはいけません。
父親がいなくて、祖母に負けて高崎家から追い出された母は、せめて世間に恥ずかしくない
ようにと、私にいつもそう言った。
多分私のためではなく、世間体のため。
でも、考えてみれば、他人に認められるということは、私を守ることでもあった。
親が一人しかいないと言って、とやかく言う輩はどこにでもいるのだ。
私は、いつもいい子でいた。人様に迷惑をかけることもなく、人様に顔向けできないことを
することもない。そして、誰にも感心される優秀な子供。
他人の目にうつる自分こそが全て。その自分は愛される人間でなければならない、排除される
人間であってはならない。
自分の心など、感情などどうでもよいのだ。他人にとって私が何を考えているかなど、何の意味
も持たないのだから。
だから、弟に恋する変態であってはならない。それは、世間に対し、顔向けのできない恥ずか
しいことだから。
でも、瑞希は、そんな私の迷いを一足飛びに飛び越えてきた。
それが例え、無知に基づく誤謬で、完全に間違った行動であっても……羨ましかった。
それは、私がしたいことで、できないことだったから。

そう、鏡の向こうの自分は、自分と同じ顔をして、自分と違う行動をする。
鏡の右は私の左。鏡の左は私の右。私達は鏡像でしかない。同じように見えても、私と瑞希は
真逆だ。
育ってきた環境も、望むものも、見ているものも、真逆なのだ…。



678 :合わせ鏡 ◆GGVULrPJKw [sage] :2008/01/10(木) 03:38:19 ID:uJlu1Z3v
自分一人で決めることはできないと、こーたは言った。
話し合って了解をとりたい、両親も、何も言わずにこーたが決めるより、相談して欲しい
と望むだろう、と。
伯父と伯母は、生さぬ仲とはいえ、こーたにとってはかけがえのない、本当の親なのだ。
こーたが望むなら、私が何を言えるだろう。
それに、瑞希がこーたの姉であると、瑞希に知らせるのは、私も望んだことだったのだ。
こーたは、謝ってくれた。水樹が忠告してくれた時に、それを聞いていれば、水樹をあんな
目に合わせることはなかったのに、と。
そんなことを気に病む必要なんてないのに。私に心配される価値なんて、ないのに。


こーたを高崎家の婿にという申し出自体は、もちろん、断るとしても、きっと瑞希は
いろいろな手をこれからもうってくるだろう。
前回の事件で、私もこーたも、瑞希を告訴しなかった。警察も、私と瑞希が姉妹であるという
ことから、穏便な処置をとった。
それは、実の姉を、妹を、犯罪者にしたくないという私達の思いと、高崎家の無言の圧力の
結果だった。
でも、次はあってはならない。それは、私だけの思いではなく、伯父と伯母も同じようだった。
話を聞いた二人は、土日を利用して、すぐに飛んできた。
こーたが本当は「高崎の父」の息子であると、高崎家自体に知らせることは、誰しも
反対だった。
でも、これ以上の彼女の空回りを防ぐためにも、瑞希にだけは伝えるべきではないか。
その思いもまた、誰しも同じだった。

伯父と伯母と瑞希は話し合いの場を持った。
真実を聞かされた瑞希は、想像を裏切り、非常に静かに、現実を受け入れたという。


「水樹、こーたのせいで、いろいろと迷惑をかけたわね」
「…そんな、私はなにもできなかったし、むしろこーたに迷惑をかけたと思う」
伯母さんの料理を久しぶりに堪能した後、私は皿洗いを手伝っていた。伯父さんとこーたは
居間でテレビを見ている。
「そんなこと気にすることないのよ」
伯母さんは、私を元気付けるように笑った。
無力な私。思い出すたびに、胸がちりちりして、黙ってうつむく。
「水樹は女の子だし、なにもなくて良かったわ。こーたのためにも、本当に良かった」
「こーたの、ため?」
「ええ」
伯母さんは意味ありげに笑った。
「こーたは本当に昔から水樹が好きだからね。自分が瑞希ちゃんに付きまとわれるのは
 全然構わなかったくせに、水樹が危ない目にあったら、すぐに行動だもの。あのスカした
 息子が取り乱す様、見せてあげたかったわ」
「…伯母さん」
いたずらっぽくとんでもないことを言い出す伯母さんの言葉に、私は思わず笑った。
伯母さんは、私が笑ってほっとしたのだろう。さらに軽い口調で言葉を続けた。
「なにしろ、こーたにとって、水樹は、初恋の人だったりするんだから」




680 :合わせ鏡 ◆GGVULrPJKw [sage] :2008/01/10(木) 03:48:54 ID:uJlu1Z3v
「え?」

私は何か聞き間違えたのだろうか。口を薄くあけたまま、呆けたようにかたまる私の心の裡など
伯母は何も気づかないだろう。私の驚きの意味合いを取り違えたまま、冗談のように言葉を紡ぐ。
「まだあの子が中学の時よ。水樹を絶対お嫁さんにするんだって言いだしてね。子供の言うこと
 だし、初恋を無残に摘み取るのもかわいそうだったんだけど……」
まず心配したのは伯父だったのだと。二人で悩んだ上、こーたに私を姉だと告げたのだと、
伯母は言った。
「最初は信じようとしなかったし、あの子、すっかり落ち込んじゃってね。あの大食いの子が
 夜ご飯も食べずに部屋にひきこもっちゃったの。でも、次の日の朝、勢い込んで下に降りて
 きてね、笑顔で言ったのよ」

『お母さん、水樹がお姉さんってことは、俺と水樹は一生家族なんだね。ずっと、一緒に
 いられるんだね!』

その、こーたの笑顔を、私はまざまざと思い描くことができる。
きっと、お母さんが死んだ時に一緒に暮らそうと言ってくれて私が頷いた時の、東京に来る前に
私と一緒に暮らせると知った時の、あの顔に違いないのだ。
私を女としてでなく、一人の家族として案じ、愛し、労わる笑顔。
私を傷つけ、奈落に落とし込む、絶望の笑顔。


681 :合わせ鏡 ◆GGVULrPJKw [sage] :2008/01/10(木) 03:49:47 ID:uJlu1Z3v
それから後、伯母さんと何を話したかは覚えていない。
でも、きっと上手く切り抜けたのだろう。自分の感情を見せず、他人に不快を与えず、相手に
合わせて話し続けるのは……我を忘れても機能する、私の得意技なのだから。
部屋に入り、電気を消す。ベッドに座る。眠る用意は全て終えたが、床に臥す気にはなれな
かった。
心の中で、今まで感じたことのない暴風が、全てを吹き飛ばし、荒れ狂っている。


伯母さん。どうして、言ったのですか。

いや、どうしても何もない。私とこーたは姉弟で、決して結ばれることなどない。
年上の従姉に対する少年の憧れはそのまま消える可能性は高いけれども、まかり間違って
恋としての形をとってしまえば、どんなに足掻いても待つのは苦しみだけだ。
そんなことは自分が一番よくわかっている。
伯母さんの行動は正しい。私が伯母さんでもそうするだろう。そうしない理由などない。

けれども。

考えてはならないifを私の脳は紡ぎだそうとしている。
もし、こーたが真実を知らず、私への憧れが恋へと変わっていたならば、私はこーたに抱かれて
眠ることができたかもしれない。その先に待っているものがどんな悲劇であろうとも、他人に
顔向けできない禁忌であったとしても……例えこの身が破滅しても、私が本当に望んでいるものが
そこにはあったのではないか。
私は姉でなければならない。弟の幸せを姉として見守ることしか許されない。
それは、半分は私の望みである。誰よりも大切な男性に幸せになって欲しいというのは、誰もが
抱く美しい夢だ。
でも、もう半分は血反吐を吐くような思いで自分につき続ける嘘である。この汚らわしい嘘が
存在する限り、私は決して幸せになどなれない。でも、私がこの世界でまっとうな人間として
生き続けるためには、嘘をつき続けなければならない。



682 :合わせ鏡 ◆GGVULrPJKw [sage] :2008/01/10(木) 03:50:36 ID:uJlu1Z3v
ああ、そして。
伯母さん、どうして、私にこの話をしたのですか。
選択の余地がないからこそ、何も疑わずに済んだのに。ありもしない希望の光を、夢見ずに
すんだのに。
この大地が針山だと知らなければ、ここが地獄だと知ることはなかっただろうに。

私はその瞬間、伯父を、伯母を、憎んでしまった。
ただ、自分の汚らわしい欲望のために、誰よりも私によくしてくれた恩人の正しい行動を厭って
しまった。
握り締めた右手に、殺意があった。

たとえ、その心を打ち消しても、魂に私の罪は刻まれてしまった。



683 :合わせ鏡 ◆GGVULrPJKw [sage] :2008/01/10(木) 03:51:32 ID:uJlu1Z3v
マタイ5章

しかし、わたしは言っておく。
みだらな思いで他人の妻を見る者はだれでも、既に心の中でその女を犯したのである。
もし、右の目があなたをつまずかせるなら、えぐり出して捨ててしまいなさい。
体の一部がなくなっても、全身が地獄に投げ込まれない方がましである。
もし、右の手があなたをつまずかせるなら、切り取って捨ててしまいなさい。
体の一部がなくなっても、全身が地獄に落ちない方がましである。


聖書は言う。心の中で姦淫しても罪であると。
大学の授業で聖書を読んだときに、私はうちのめされた。この罪人は私だ。実の弟をみだらな思いで
見ている、許されない罪人。
私は別にキリスト教徒ではない。でも、それいらいこの言葉は私の心に食い込んで離れようとしない。
もう、すっかり覚えてしまった。

そして、今、私は誰よりも恩を受けた人たちを心の中で殺してしまった。
私はどこをえぐり出して捨ててしまえばよいのだろう。
目を?口を?手を?足を?いや、そんなことで私は許されはしない。
私はもう地獄に落ちている。この体の全て、細胞の全て、DNAの螺旋にいたるまでが罪人なのだ。



それからほどなくして、私はそれを、思い知ることになる。