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 七海に会いたい。気がつけば僕はその事ばかり考えていた。
 胸の奥がザワつくのだ。康広に知らされた時から、七海の心配ばかりしている。
 こうして湯船に浸かってもう何分になるだろうか。そろそろ一時間になってしまうかも知れない。もうすっかりのぼせてしまった。
「お兄ちゃん、まだお風呂入っているの?」
「……うん、もう出るよ」
 立ち上がろうとする僕を見ながら優花は顔を赤らめた。そうか、今立ち上がるわけにはいかない。僕は浮きかかった腰を下ろし「ごめんね」そう優花に謝った。
「……おにいちゃん……」
 優花が服を脱ぎ出す。僕はそれに驚きながらも、最近優花を抱いていない事に気がついた。
 服を全て脱ぎ終えると、体を引きずる様に風呂場へ入ってくる。僕はその姿を見たまま、硬直し、動けずにいた。
「……おふろでするのは……はぁ……はじめてのときいらい……だね……」
 その言葉に背中を冷たい物で逆撫でされた様な気がした。優花を初めて抱いたあの日、僕は何を考えていただろうか。いいや、それ以前から僕は何を望んでいたのだろうか。
「……どうしたの、おにいちゃん……もうなんかいもしてるのにきんちょうして……へんなの」
 「何回もシている」その言葉に胸が刺されたように痛み出す。僕は今何をしようとしていた、優花を抱こうとしていたのだ。
 七海の表情が思い浮かぶ。どうして今七海なのだ、それが分からない。けれども、その表情は確かに僕を責め立てていた。「僕の願いは優花を巣立たせる事」それを望んでいたのでは無かったのだろうか。それが今、僕は優花と新たな巣を築こうとしている。
「優花」
「……おにいちゃん」
 僕は立ち上がる。そして浴槽から出ると、そのまま優花の横を通り抜けた。
「風邪、引かないようにね」
 扉を閉めようと振り返ると、優花は座り込んだまま僕を見つめていた。絶望に打ちひしがれた表情で。
「……なんで?」
 口の中で何度も問いかけては首を傾げる。そんな優花の表情に僕の心臓が警笛を鳴らした。どうして警笛を鳴らしたのか、それは分からない。けれども、それを鳴らした本能は優花の恐ろしさを必死に脳へ訴えかけていた。
「優花、もう優花を抱けない、抱くわけにはいかない。そうだよ、僕たちは兄妹だったんだよ」
「……なんで?」
 僕の言ったことに納得が出来ないのか、表情を変えずに即答した優花は僕に手を伸ばした。
「……すき……おにいちゃん……」
「だからダメなんだ。僕らはこんな事をしちゃいけないんだよ」
 一歩下がってバスタオルで体を乱暴に拭くと、トランクスを履いて優花に向き直る。
「もうやめよう、優花。僕はもう優花とは愛し合えない。いいや、愛してなんていないのに、そんな表現はおかしいか。とにかく僕らは距離を置こう、きっと優花もわかる筈だ」
 吐き出すように、搾り出すようにそれを口にすると、僕は首を振って走りだす。そうだ、全て間違えていたんだ、何もかも。最初から全てがおかしかったんだ。優花を抱くのは当然、そんな事、当然に成り得る筈が無い。
 階段を駆け上がり、自分の部屋に閉じこもる。
 鍵をかけ、扉を背に僕はうずくまった。涙が溢れてきたのだ。僕の犯してきた過去を今、罪として認めたからだと悟ったから。
 間違いに気づくのはあまりにも遅すぎたのである。




 女の子がひとり、公園のブランコに座っていた。
 きっと公園で遊んでいるのだと、僕は思った。
 けれども、その女の子は楽しそうじゃなくて、ただ座ったまま下を向いていた。
「いっしょに遊ぼうよ」
 少女は微動だにしなかった。けれども、しばらくしてからゆっくり顔を上げると、小鳥のような澄んだ声で「わたし?」そう僕に聞き返した。
「そう」
 僕は少女に手を差し出す。少女は不思議そうにその手のひらを見つめると、恐る恐る左手を重ねて、泣き出しそうに笑う。
「ぼくはすずいはると。君は?」
「……ななみ」
 少女の笑顔は今までみたどんなものよりも綺麗だった。




 七海の座席は誰も座ってもらえず、少し寂しそうに見えた。
 もう七海が欠席し始めてから何日経ったのだろうか、一週間程にはなるかもしれない。こうして毎日この扉を開ける度に七海の席に視線をやるがそこに七海はいない。
 僕は今日も期待に胸を膨らませてあの扉を開けたが、席に座った今頃には期待なんてとうの昔に消え失せてため息で胸を潰すのがもはや習慣になってしまっている。
 登校時あんなに軽かった足が今ではブリキのおもちゃの様に関節を曲げることもままならず、心は沈みきって帰りたくなってくる。本当に帰ってしまおうか、けれどもそれを実現させようともしない、出来ない自分に更に嫌気がさしてくる。
 授業は僕を置いて時間通りに始まり、終わる。黒板に書かれた文字、教師の話なんて頭に入ってこないし、黒板を叩いて滑るチョークの音が聞こえない筈の秒針の音とひとつの曲を奏でる。
 既に僕は抜け殻だった。移動教室であれば勝手に動く体に思わず苦笑い。そうだ、僕はもうここにはいないようなものだ。きっと、優花に止められたあの時、僕の中身はそのまま七海の元へと行ってしまったに違いない。
 日は昇り沈み始め、ホームルームに差し掛かった時、頬杖を突きながら窓の外を向いていた僕に山田先生は「鈴井」そう呼んだ。
「あとで職員室に来るように」
 それに僕が気がついたのはワンテンポ遅れてからだった。
「え?」
「放課後に職員室だ。どうした、鈴井。またぼうっとして……」
「いえ……何も」
 職員室に行かなくてはいけないのか、面倒くさい。


「これだ、鈴井」
 手渡された資料に見覚えがあった。
「これは? 僕、貰いましたよ」
「馬鹿、これは夢のだ。お前夢と仲が良かったよな。随分溜まってな、悪いが鈴井これを夢まで届けてくれないか?」
「え」
 それは七海に会えると言う事だろうか。手元の一センチ程度の厚さのそれに視線を落とす。B5程度のコピー用紙が僕には七海に会える、チケットの様に見えた。
「……わ、わかりました!!」
「お、おう。頼んだぞ、鈴井」
 僕は深く腰を折ると鞄を鷲掴み、足早に職員室を後にする。
 資料をクリアファイルに入れて鞄に押し込むと、靴に履き替えて歩き出す。先程まで沈んでいた自分は気が狂ったかの様に浮かれ、歓喜している。
 七海に会える。それだけが、今の僕の燃料であり、僕を突き動かしていた。
 校門を抜け二十分ほど経っただろうか、頬に冷たいものが落ちる。それに指先で触れ、冷たいものの正体が水であると理解した直後、それらは一斉に僕に降り注いだ。
 黒い雲が空を覆い、雨粒という弾丸を僕に発砲する。きっと七海の資料を狙っているのだと、僕は直感した。そういえば七海は僕以外に嫌われているのである、僕だけが七海を嫌わない事に不満があって、それで雨なんて物を降らせたのだ、そうに違いない。
 僕は鞄を抱え、前屈みで再び歩き出す。




『ねえ私、もう潮時じゃない?』
 声がする。
 どっちが上で下なのか、方向が全く分からない。宇宙空間ではこんな感覚なのだろうか。
『はるはあなたを必要とはしていない、いつもあなたが言っていたじゃない。はるは幸せになれた。だからもうここにいる理由なんて無いのよ』
 ここにいる理由なんてない、そんな事は私自身に言われなくても知っている。私はいなくてもはるに影響なんて無いし、私がいない事で、はるの為になるかだって分かっている。
『ねえ私、もうお終いにしない?』
「………………」
『苦しいでしょう、悲しいでしょう? 命を断つ、それだけじゃない』
「……で、でも……はるを遠くからでもみて……」
『気持ち悪い……あなた、自分の価値を知っている?』
「……う、ぁ……」
『値段を付けるとすればマイナス、あるいは商品にもならない。素の自分じゃ周りなんて手に終えないし、自分自身も妄想の中でしか保てない……赤子や幼児ですら自分自身を保ててるのにね』
「………………」
『はるはるはるはるはるはるはるはるはるはるはるはるはるはる、あなたはそれしか考えられないの?』
「………………」
 痛い、全身が痛い。
『あなたは欠陥品、スクラップになる筈だったのに間違いで世に出てしまったゴミくず。さあ、誰かに迷惑をかける前に消えましょう、もう遅かったみたいだけど』
 痛い。
「……はる、たすけてよぉ……は――」
 顎先に激痛が走る。口の中を切った、気がした。
『あなたはその言葉を口にしてはいけないの、あなたが発していい音は「ごめんなさい」と「さようなら」と「死にます」だけよ?』
「……ご、ごめんなさい」
『そう、それで良いの。さあ、明日消えましょう。それで彼が、そして沢山の人も救われるわ』


 雨の音がする。ぼうっとする頭を働かせ、目を開くと、窓の外から光は大して入ってはこなかった。
「………………」
 どうやら夕方のようだ。自分にとっては時間など、どうでも良い事であるが。
 顎先に違和感がある。指で撫でて確認してみるが特別な変化は無いようで、それと同時に蹴られたのは夢の中であるということも思い出した。
「……!」
 思い出した、もう明日なのだ。私の寿命。長かった気もするし、短かった気もする。いや、それももうどうでも良い事か。
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……さようなら、さようなら」
 はる、最後にもう一度だけ声を聴きたかった。私を見て欲しかった。一度だけ、私に触れて欲しかった。けれども、それは叶わない。
「ごめんなさい」
 枕に顔を埋めると、涙が滲んでくる。この涙ももう流れないのだと思うと、いつもと少し違って感じられる。
 涙がとまり、疲れて脱力感が全身を覆いだした頃、インターホンが部屋中に虚しく鳴り響いた。
「………………」
 出なくては、これ以上人間に迷惑はかけられない。重い体をやっとの思いで起こすと、揺れる視界に戸惑いながら歩いた。
「………………」
 インターホンの受話器を取る。さて、なんて応答しようか。
「――あ、七海?」
 嘘。
「学校からのプリントを持ってきたよ」
 ウソ。
 うそ。
「………………」
「七海?」
 私は、駆け出していた。
 はるはるはるはるはるはるはるはるはるはるはる。あのはるが来てくれた。もう会ってはいけないのに、これから消えようとしているのに、はるが来てくれた。
 ドアの鍵をコンマ一秒でも速く外そうと、いつもより慌てて手を動かす。正確さと落ち着きを失った手は独りでに検討違いな動きをした。
「…………!!」
 鍵をやっとの思いで外すと、ドアを力一杯開け放った。
「う、うわっ!」
 私が数日ぶりに外の空気に触れた時、目の前にはいままで私が見て来た、私のよく知るはるがいた。
「久しぶり、七海。数日分のプリント、溜まってたからまとめて持ってきたよ」
 心臓が高鳴り、嬉しさで体がはじけ飛びそうになる。はるがいる、こんなに近くでみたのはいつぶりだろうか。
「はる……と君」
 全身に激痛が走る。痛い、けれどもはるを見て、お話をして、声を聴けるのならこの痛みなど安い代償であった。
「………………」
 はるが私をみつめる。そして、目を閉じたかと思うと、はるが頬を緩めて涙を流した。
 そうか、私のせいか。ごめんなさい、でも許して、もう明日からは泣かなくても良いようになるから。
「あれ……なんで僕は泣いているんだろう、ごめんね……」
 ごめんなさい、それは私のせい。はるの体は拒否反応を起こしているんだね、何で私はまだはるに迷惑をかけているのだろうか。
 涙の粒を目で追っていると、輪郭をなぞって顎から雫が落ちた瞬間、ワイシャツが濡れている事に気がついた。
「……濡れてる」
「あぁ、傘を忘れちゃって……でも安心して、鞄は守ったからプリントは濡れてないよ」
「風邪引いちゃう、はると君、急いで体を温めなきゃ!!」
 気がつけば私は、はるのワイシャツを掴んでいた。
「はると君、お風呂に早く入って。風邪を引いちゃうよ!?」
「え、え?」
 はるが風邪を引いてしまう、私のせいで苦しい思いをさせてしまう。何とかしなければ。
「はやく!」
 はるを家に引き入れると、脱衣所に押し込んだ。
「あ、ありがとう?」
「いいから早く入って!」
「えっと……」
 はるがボタンに指をかけながら言った。
「あの、そこにいられたら脱げないんだけど」
「…………ご、ごめんなさい!」
 急いで廊下まで出る。頬が熱い、私ははるの裸をみようとしていたのか、何て懲りない欠陥品だろうか、私は。
「……はるの……はだか……」
「ねえ、七海」
「――ご、ごめんなさい!!」
「ど、どうしたのさ……七海、乾燥機借りてもいいかな?」
 布の擦れる音がする。
「……つ、使って!」
 我慢の限界であった、間違いが起こらぬよう、逃げるようにしてリビングに走り出していた。
「………………」
 シャワーの音がする、体温が上がっているのを実感しながら、現状について整理していた。
 これは御褒美だ、そうに違い無い。これから消えようとしている私への神様からもらった最後の思い出なのかもしれない。
 手の平が冷たい。はるに触れた証拠である、今、この手の平がとても愛しい。
 触りたい、きっと気持ちいいに違い無い。シャワーの音が私の心臓を跳ねあげ、妄想癖がフル稼働して性欲がなだれ込んでくる。
 ソファーに寄っかかり、自分のあそこに指を伸ばす。冷たい指が敏感なところに触れると、その刺激に声を出しそうになった。
 今、声を出せばはるにばれてしまう。はるに蔑みに目でみられながらするのも快感だが、はるに不快な思いをさせてはいけない、もしかしたらトラウマになってしまったらどうしようか、それは申し訳なくて耐えられそうに無い。
「……んっ!」
 ぼうっとする、何も考えられない、気持ちいい。
「はぁっ……はあ……あっ、んっ!」
 気持ちいい。もうイキそうだ、はるの指でイカされる。
「は、はるぅ……い、いっちゃうよぉ……」
 陰核を中指で擦りながら人差し指で弾く。シャワーの音が止まったと思った瞬間、耐え難い電流が頭に流れ込んできた。
「いやあああああああっ!!」
 体が何度も跳ね、大きな快感が全身を支配する。愛液を飛び散らないように手の平で抑えるが、抑えきれなかった愛液は淫らに床を濡らす。
「どうしたの、七海!?」
 聴こえてしまったらしいはるが扉を開け放ち慌てて飛び込んでくる。
 私は間一髪のところで座り直し、あそこを弄っていた愛液だらけの右手を背中に隠した。
「どうしたのさ、いやって、何かあったの!?」
「はぁ……べ、別に……はぁ……何も無いよ?」
 はるが私の顔を覗き込んで心配そうに見つめてくる。
「顔も赤いし、息も荒いし……大丈夫そうには……」
「はぁ……はぁ……」
 さらに半歩分近付いたはるが、何かに気づき、足を止めた。
「今、少し濡れてた気が……」
「あ、はるとくん……ダメ……」
 無意識にはるの手首を掴んでいた、右手で。
「七海の手……」
「あ、これは……その……」
 耐えられなくなって手を離すと、手の平と手首の間を透明な糸が引いた。
「いや……」
 はるが動きを止める。
 その糸を凝視した後、私を見ると、何かを察したのか、目を見開いた。
「これって……七海の……ご、ごめん。そんなつもりじゃ無かったんだ。あと五分遅く出てくれば良かったよね? あぁ、何やっているんだろう、僕は!」
 はるが顔を赤らめながら必死に謝る、まただ、また私は迷惑をかけてしまった。しかも今回は今までの中で最悪のものだ、もう笑って済みそうも無い。
 けれども一番許せないのはそんな状況にも関わらず、はるに愛液を触られて悦んでいる自分だ。
 また性欲が湧いてきた。弄りたい。どうせならはるの手を愛液でぐしょぐしょにしてみたい。はるのカウパー線液と混ぜてみたい。はるに愛液を飲んで欲しい。
 はるは怒っているだろうか、気持ち悪がられていないだろうか、ゆっくり、気が付かれないようにはるに視線をやると、自分の想像とは違った光景が飛び込んできた。
「………………」
 はるは手首に視線をやりながら、僅かにではあるが、息を乱していた。
「はる……とくん?」
 呼びかけると、一秒程のタイムラグの後に慌てふためきながら呼びかけに答えた。
「え、な、何?」
「お、怒ってない?」
「なんで僕が怒らなきゃいけないのさ……」
「嫌いになっちゃった……よね?」
「嫌いになんてならないよ、全然変な事じゃ無いと思うし……僕も……いや、なんでも無い」
 そうは言うものの、印象が悪くなった事に代わりは無いだろう。
「な、七海。ちょっとトイレ借りるよ?」
「あ、うん」
 洗い流すのだろうか、是非そうして欲しい。これ以上はるを汚すのは許されない。
 はるは足早にトイレへ向かうと、中に入って行ってしまった。
「はるぅ……」
 したい。弄りたい。
 下着を履いていないため、割れ目から今も湧き出てくる愛液が太腿や足を伝い、床を再び濡らす。もう我慢ができない。さらに我慢をすればおかしくなってしまいそうだった。
「ごめんなさい、はる……っ!!」
 再びソファーに身を投げた。




 僕はなんて馬鹿なんだろうか。
 手首に視線をやる、蛍光灯の光が反射して淫らに光っている。
(これが、七海の――)
 心臓が五月蝿い、息が荒いと自分でも分かる。
 指でそっとその光を指でなぞると、指は抵抗も無く滑っていった。
(――七海の愛液)
 自分のモノに血が集まっていく。息が乱れて光に視線が釘付けになる。けれども駄目だ、ここは七海の家だし、七海で抜くわけにはいかないだろう、幼なじみとして。
(これを自分のモノに……)
 変態的な欲求に駆られる、少し異常だろうか。いや、考えても見ろ、本物だぞ? ローションなんかじゃない、本物の愛液。
 欲求が土砂の様になだれこんでくる。もう我慢できそうも無い、だが我慢するのだ、家にかえって自室に入れば心置きなくできるではないか。
 我慢しろ、我慢するのだ。
 手が震える、家まで待っていたら乾いてしまうかな、それは少し残念だ。
 我慢、我慢。
 気がつけば掌に愛液をぬぐい移していた。そうだ、このまま洗い流せば……
 掌を開いてみると、指の谷間に絡みつき、糸が引いている。
 僕はその瞬間、欲望に負けた。


 七海がひとりでしていた、それに少し驚きを隠せない。勿論、驚いただけで、いいものを見れたというか、変な意味じゃな――変な意味なんだけど。僕の知らない七海を見れた気がしてなんだか嬉しい。
 それにしてもなぜ僕がシャワーを借りている時を選んだのだろうか、背徳感? 僕のシャワーをネタに――それは無いか。いや、でももし、七海が僕をネタにしたのだとしたら少し恥ずかしい反面、嬉しくもある。七海は僕を男性として扱ってくれていると言うことなのだから。 はて、どうして僕は嬉しいのだろうか、どうして七海が僕を男性として扱ってくれるのが嬉しいのだろうか、僕は七海に何を求めているのだろうか。そういえば七海と久しぶりにあったわけだが、七海が扉を開けて顔を見せてくれた時、僕は無意識に涙を流してしまった。べつに悲しくて流したわけではない、思わず安心したのだ。七海が僕と会話をしてくれなかった間、どこか脱力感というか、ショックが大きかった、七海に嫌われてしまったのではないだろうか、そんなマイナスな考えばかりをしていた様にも思う。
 『七海に嫌われたくない』これは単に幼なじみだからであろうか、七海といるときの気持ちの落ち着き、感情の高ぶり、今思うと単に幼なじみというだけではこんな気持にはならないと思う。
 なら僕は七海をどう思っているのだろうか――わからない。




 ティッシュで床と割れ目を拭き取ると、はるがトイレから出てきた。
 手首を洗うのにだいぶ時間をかけたようだ。落として安心したのか、はるの息もだいぶ落ち着いている。
「………………」
 私とはるの間に会話は無い。
 はるは、ソファーに腰をかけると、小さくため息をついた。
「ごめんなさい、プリントを届けてくれたのに汚いものを見せちゃって……忘れてくれると……嬉しいかな」
 はるは首だけ曲げて顔を伏せると、動かなくなってしまった。相当ショックだったのだろうか。
「ねぇ、はるとくん?」
 近付いて顔を覗き込んでみる。すると、静かに一定の息をしながら目を閉じていた。
「寝てるの?」
 返答は規則的な呼吸音だけ。どうやら疲れて寝てしまったようだ。
「………………」
 そっと頬に触れる。今、はるは間違いなく寝ているのだ。強く刺激をしなければ起きないかもしれない。
「……はる」
 これも御褒美なのだろうか、そうかもしれない。神様とは欠陥品である私にもこんなに素晴らしい慈悲をくれるのか、もし、これを知っていたのなら、神様をもっと敬っておけば良かったと思う。
「はる」
 気がつけば私は、この汚い唇をはるの唇に重ねていた。
「ちゅ……ん……」
 幸せだ。はるに相応しく無ければ出来ないこの行為を今、こうして私がしているのだ。
 頭がふわふわする。何も考えたく無い、無意識に腕をはるの首に回し、体を預けていた。全身ではるを感じる、自分の存在理由だった、たった一人の人がこんなに近くにいるのだ、心臓が高鳴り、はるへの想いが満たされていく。
「ん……ふぁ……」
 もっと深く、もっと近くに、もっと……もっと。




 光がすこしずつ入ってくる。そこには七海の顔があった。
「――っ!」
 驚いて下がる。けれども下がれない、ソファーの背もたれを枕にしているのだから当然だった。僕が目覚めた事に気づいていないのか、七海は僕の顔を食い入るようにな目つきでのぞきこんでくる。
 しかし、その目は虚ろで、どこか恐怖を覚えたが、頬を赤く染め、見惚れている様に見えなくもなく、悪い気ばかりでも無い、不思議な気持ちになった。
「…………はるが私の側にいる……私なんかがこんなに幸せでいいのかな……」
 自分の世界に入ってしまっているらしく、僕の胸元に頬ずりをする。
「……はる、はるぅ…………このまま……このまま時間が止まればいいのに……」
 七海が僕を抱きしめる。
 僕は目の前の七海が僕の知っている七海で無いような気がして、恐怖を覚えた。
「…………はるぅ、これは神様がくれたご褒美なんだよね?」
 僕の知らない七海に恐怖する。
 恐怖、先程も夢であろう出来事が脳裏に浮かんだ。
「…………私は……ガマンしたから……だから神様がこの時間をくれたんだよね……」
 僕の頭が再び混乱し始める。
「…………はるを抱きしめられる――はるとキスができる――はると一緒にいられる……」
 混乱する僕の脳。様々な事が頭の中を駆け巡る。
 今ならわかる。そうか、あの時出した答えは答えではなかったのか。
「……「もう二度と関わっちゃいけない」って優花ちゃんに言われた時、私は死んだんだ……だって、はるのいない世界には生きられないもん……だから自分を殺して、はるを観るだけでガマンする事にしたんだ………………苦しかった……はるが誰かに笑いかけるたびにどこか遠い所に行っちゃう気がして……息が出来なかった」
 七海が僕を抱きしめる力を強める、まるで僕の存在を確かめるように。
「…………はるはきっと誰かを好きになる……でも、それは絶対に私じゃない……だから、私ははるが幸せになれる様にずっと願っていたんだよ……」
 七海が語りだす胸の内――僕はもう、後戻りが出来なくなった。
「…………私は、はるが好き……愛してる……でも私にははるを好きになる権利は無いんだ……私ははるが知りたくて、はるに内緒で嫌われることをしちゃったんだもん……」
 七海が告白する全て。聞きたくないような、でも聞かずにはいられないような、もどかしさの中で、それでも何故か心には余裕があった。
「……はるの事をカメラで監視してね? はるの事をずぅっっっっっっっっっっと観てたり……はるのオナニーやお風呂を観ながら私もオナニーしてたんだ…………はると一つになれた気がして幸せだったな…………私ね、もし本当に一つになれたら死んでも良いんだ……何度かね、考えた事があるんだ。はるに『エッチな気分になったからどうしても沈めたい。知らない人とは嫌だからやらせて』って必死に頼むの……もし、『良いよ』って言ってくれたらはると一つになりながら……幸せに包まれながら死ぬんだ……最後で最高の幸せだよ。それで、もしダメなら、はるが私の事を嫌うなら……私は要らない。だからはるに早く忘れて貰うために……私はどこか遠くで静かに死ぬんだ。私ははるが大好き。でもはるにはもっと相応しい人が沢山いる。私ははるの足枷……はるは私がいない方が幸せだよね?」
 そう七海は言うと、僕の唇に、七海の気持ちをそっと押し付けた。
「…………んっ……」
 唇を割きながらゆっくりと、求める様に七海の舌が入ってくる。それはとても熱くて、七海が僕をどれだけ大切に思ってくれているかを示していた。
「………………はるぅ……」
 舌は僕を這う様に探した。そして僕の舌に触れると、うれしそうに七海は舌を重ねた。食べ物を味わうのとも、優花と唇を重ねたときとも違う、心の満たされる、恐らく七海も知らないであろう感触にちょっとした驚きと違和感を覚えながらも、何故か安心している自分がいることに気がついた。
 七海は足りないのか、それともさらに欲しくなったのか、僕の舌の感触を確かめ始める。そんな七海にすこし驚きながらも、同時にそれを僕は受け入れ始めているのだと知った。いや、それは違う。抵抗なんて最初からしていないのだ。
 心地いい。
 舌を動かしたい。
 七海を確かめたい。
 七海が愛しい。
 七海が欲しい。
 これは七海に流されているだけ? 人間としての一次欲求? 脳がまたショートでも起こしたか?
 
 ――違う、僕は七海が好きだったのだ。

 なぜ気が付かなかったのだろうか、家族だと思っていたからだろうか、それもあるかもしれない。
 正確に言うならば、僕は七海の存在が当たり前になっていたのだ。『家族への愛情』≠『異性としての愛情』。僕はずっと前者だと信じて来た、“七海は家族の様な存在”それで納得したと思い込んでいた、“だから七海が大切なんだ”と。けれども自分の本心は知っていたんだ。だから日に日に七海とのズレが生まれて来たし、会いたいと思いもした。さっきの独り言で隠しカメラが七海の物である、七海が常人とは少し逸脱していると分かっても、驚きはした物の、僕は七海を咎め無かった。出来なかった。
 僕は愚かだ。僕のせいで七海は苦しんだのだ。もしもっと早く自分を見つめ直していたら、七海は苦しむ事も無かった筈なのに。
 今からでも七海を救えるだろうか。償えるだろうか。僕で良いのだろうか。いや、償うんじゃない。そんな事は二の次だ。僕は自分に、七海に、素直になる。
 七海は口の周りが唾液で濡れ、顎に雫をためても拭うこと無く僕を確かめ、僕の首に腕をまわし、酔いしれていた。
「…………ぁ……れろ……」
 僕は七海の舌に合わせると、そっと抱き寄せた。
「……っん!!」
 突然の事に驚いたのか、唇を放して僕の顔を覗き込んだ。先程まで繋がっていた舌は二人の唾液の糸でそのまま繋がれており、照明に反射して、綺麗に光りながら途切れた。
「…………はる……春斗君。こ、これはね、えっと……」
 目を泳がせながら俯きがちに言い訳を考える七海。そんな姿さえも愛しく思えた。
「……そ、そうだっ……え、『エッチな気分になっちゃって、おかしくなりそうだったんだけど、春斗君が気絶しちゃってて、丁度いいから春斗君で沈めようとしたんだ』」
「………………」
 一時的な幸せで死ぬか絶望に浸りながら死ぬ、か。
 こんな選択肢を考えさせるまで、僕は今まで何をしてきたのだろうか。
「『だから、このまま』……」
 七海が相変わらず虚ろな目をしてそう縋った。この結末を僕は七海自信から聞いている。だから僕の答えは決まっていた。
「――七海、わかったよ。七海のお願いだもの、僕で良いのなら聞くよ」
「……ほ、本当? よかった……ありがとう、はる……とくん。嫌いじゃないんだね……ありがとう……」
 七海は肩の力を抜くと、その虚ろな目のまま僕の胸に頬をすり寄せる。
「……じ、じゃあ、私の部屋で待ってて? すぐに行くから」
「一緒に行こうよ」
「……え?」
「僕も体が熱くなってきたから」
 予想外の反応なのだろう、七海に少し焦りの色が見え始めている。自殺の方法、先に行かせて刃物でも取りに行くつもりだったのだろう。刃物であれば首を裂く事で命を絶てるかもしれない。
「……わ、私はちょっとお風呂と……その……」
「そっか、じゃあ部屋で待ってるね?」
 流石にそこまで言われてはどう仕様も無い。僕は少し焦りながら七海を離した。
「……う、うん」
 この状況で冷静である、流されない事もそうだが、自分は思っていたよりも意外とその手の事に強いのかもしれない。
 立ち上がって、七海に微笑みかけると、七海の部屋に向かうことにした。歩き出して気がついたが、まだ服を着たままであった。どうやら七海は僕にあの選択肢を選ばせるまでそういう事をするつもりは無かったらしい。
 七海の部屋の前で僕はふとだいぶ前に来た時の事が思い浮かんだ。
 左耳からは微かにシャワーの音が聞こえる。
 あの日、この部屋の扉には、曲げられた釘とドアノブを通して、南京錠で鍵がしてあったような気がする。しかし、今はその鍵も無い。当時はそれを不審に思ったが、今考えれば、当時のあの部屋はどうなっていたかが分かる。流石に他人に、しかも盗撮相手には見られれば、笑い話では無い。
 しかし、鍵の無い今はこの部屋の中がどうなっているのか大体予想がつく。流石に、僕が盗撮をされていたという事実を知っている事は知らないであろう。だとすると、普通の部屋となっているハズだ。
「七海。僕はバカだ、七海を苦しめていたのは僕なのに……」
 僕は抜かれた釘の痕を指でなぞると、ドアノブに手をかけ、ゆっくりとひねった。


 七海の部屋は何も無かった。
 本当に何も無かった。
 全くと言う訳では無いが、何も無かった。
「これは……ポスターの痕?」
 真っ白い壁紙に所々穴が開いている。壁も天井もポスターを隙間なく貼りすぎて、自然と規則的な穴になっているほどだ。そして、ダブルサイズのベッドが部屋の奥の方に一つ。確か七海は寝相が悪かったハズ。それはそのため? それともこうなる事を見越してだろうか。いや、それはどうでもいい。ふんわりとして寝心地が良さそうなベッドに、雲のようにふんわりとした、大きな枕が二つ置いてあり、タオルケットがやや雑にかけられている。
 けれども、それだけ。
 ベッドが置いてあるだけの部屋。
「………………」
 少し壁紙が変色している所がある。長い間そこに物が置いてあったと言うことが分かる。形から察するにパソコンデスクでも置いてあったのだろうか。撮影した動画はパソコンに転送されていたらしい。ここに何も無いとすると、処分、又はどこかに移動したか。処分したのであれば、あのお願いは今日でなくても近いうちに言われていた事になる。
「今日で、良かった」
 もし、他の日であれば間違いなく手を打てなかったであろう。
 とりあえず、床に座るのも気がひけるので、ベッドに腰を掛ける事にした。掛けてから分かるのだが、今更ながら緊張が背中を駆け抜けてくる。
「……春斗くん、ごめんね。待たせたよね?」
 するとそこに、七海がやってきた。そういえば、もう一度お風呂に入ってからのほうが良かったかな。
「……春斗くん、ありがとう……本当にありがとう。もう私……死んでもいいや……」
「沈めるだけじゃなかったの?」
「…………そう……だったね……」
 僕は七海の顔を見た。七海はパジャマだろうか、可愛いデザインの服に着替え立っていた。頬は少し上気し、髪が少し濡れていた。その姿に思わず心臓が跳ねる。
「……春斗くん……もう待てないよ……」
 片方の腕を背後に隠したまま、七海が僕の方に手を伸ばす。僕は知らないうちに、七海の手をとり、自分の方に引き寄せていた。
「七海……」
「はる……春斗くん……」
 七海を抱きしめ七海の体温を、存在を感じる。ただ抱きしめているだけなのに、心臓が跳ね、けれどもとても落ち着く。そんな不思議な感じがした。
「……はる、と君……」
「もう、いいんだよ」
「…………え?」
「今七海は何か危ない物を持っているんでしょう。それを遠くに置いてくれないかな?」
 抱きしめていて、どんな表情をしているのかは分からないが、おそらく驚いた顔をしているのだろう。
「……そ、れは……」
 七海が手を離す、金物がフローリングに落ちて乾いた音を立てた。そして、僕を力強く抱きしめると、鼻をすすって小さく泣きはじめた。
「僕とひとつになれたら、七海は死ぬの?」
「………………な、なんで……」
「ごめん、七海。さっきのを聞いていたんだ……」
「……嘘……うそ……うそ……」
 僕の腕の中で七海が震える。今すぐにでも開放してあげたくて、僕は続けた。
「僕は七海に死んで欲しくない」
「………………」
「だから――」
「…………はる、と君。これは春斗君の為なんだよ?」
 七海が僕の声を遮ってそう言い放つと、僕を押し倒した。
「……どこから聞いたのかな? ……もう、どこでもいいけどね。私ははる……と君が好き。愛してる。春斗君がいれば……何もいらない」
 僕の服に手をかけ、脱ぐように促す。
「……でも、春斗君と私じゃ吊り合えない。私には春斗君と一緒になれない……物心ついた頃からそうしてきたんだから……」
「――え?」
 僕が服を脱いだのを確認すると、七海は自分のパジャマをつかむ。
「…………普通じゃ嫌われる事をしてきたんだ……そうやって春斗君を求めないと私がおかしくなりそうになった……春斗君のストーキングなんて当たり前、もっと酷い事もした……」
 僕の罪は、どこまで深いのだろうか。昔の自分に説教をしてやりたくなってきた。
「…………気づいた時にはもう遅かったし、春斗君との距離が近すぎる事にも気づいてたんだ……」
 七海はパジャマを脱ぎ捨てる。七海の体は、シミひとつ無い透明で美しい肌に覆われていた。乳房の発達はそこまででは無いが、形はとても美しくて、ピンク色の乳首が少し硬くなっているのが目で見て取れた。
とにかく七海の体は幻想的で、その現実離れした美しさに、僕は目を疑うほどだった。
「…………春斗君。私を許してくれるかな? もう、終わりにするね……だから、最後だけ……一回だけ、私に一番幸せな思い出をください。そしたら、地獄にその思いでを持っていくから…………もう……春斗君に迷惑かけないから……お願い……」
 七海は泣いていた。虚ろな目で明後日の方向を向きながら。
「はる」
「――え?」
「はるって呼んで、七海」
「……はるとくん? だって、それは……」
「七海……僕は七海が好きだ。愛してる。これは嘘なんかじゃないし、家族としてでもない。僕は自分に嘘をついて……七海を傷つけて、七海を苦しめてたんだ……」
「……嘘……春斗君は優しすぎるよ……」
 七海は涙を流しながら僕に抱きつく。肌が触れ合う、その感触が気持ちいい。
「“はる”だって言ってるじゃないか。それに、僕は七海が好きだから抱く。この先も一回じゃ無くて、何回だって抱く。だから、ずっと一緒にいるから……僕の一番大切なひとでいてください……」
 僕は七海の抱き寄せて、その唇に気持ちを伝えた。その感触はとても心地が良く、更に七海を愛しくさせた。切ない、とはこう言う事を言うのだろうか。
「……は……はる……」
「うん」
「はる……」
「七海、大好きだ」
「本当に、私で良いの?」
「僕は七海が良い、七海じゃなきゃダメなんだ」
 七海の目に光が戻った気がする。そして、その目に大粒の涙を貯めるのをみると、自然と七海を抱き寄せ、キスを交わしていた。
「……っん……くちゅ…………んん……ぷは……はる、はるぅ……」
 七海が僕を見つめて何度も名前を呼ぶ。
「……七海」
「私は……はるの側にいていいんだよね?」
「七海はいてくれる?」
「……いたい。はるの側にずっといたい……はるは……わたしの側にいてくれる?」
「七海がいてくれるなら、僕は幸せだ」
「……嬉しい…………くちゅ……れろ……」
 口内をお互いの舌で貪りあい、互いの唾液を交換する。口の周りが唾液まみれになっても気にしない。むしろ、自分が、七海が一つになって行く様で、幸福感さえ感じる。
 僕は七海の肌を這う様に胸に触れると、手のひらで軽く揉みほぐした。
「…………あっ……ごめんね……小さいよね?」
「七海なら何でも愛しいよ」
「はる……」
軽く乳首に口付けをすると、口の中で乳首を舐めた。
「……あぅ……だめ……」
 体を震わせ僕の頭を抱える。その仕草が愛らしくてもう片方の乳房に手を伸ばすと、乳首を親指と人差し指で挟みながら丁寧に触れる。
「…………はる……はるぅ……」
 僕の背中にぞくっとした電流の様な快感が流れる。七海を見ると、その小さな手で僕のそそり立つそれをうっとりとした目で見つめていた。
「はるの……こんなに大きくなってる……」
「七海が欲しくてたまらないんだよ……」
「はるはエロいね……こうやってはるが擦ってるのを何度も見た事があるよ……」
 そう言って僕のモノを軽く握ると、親指で尿道に触れながらゆっくりと上下に擦り出した。
「な、七海」
 やっている事は同じなのに、自分でやるのとは全く比べ物にならない程の快感が駆け抜け、下半身の辺りが熱くなってきた。
「イキそうになったら言って……止めるから……」
「や、正直、もうヤバイ……」
「……え?」
 勢い良く飛び出した精液が七海の手にかかる。七海は驚いた顔をみせるが、手にかかった精液を見つめると、おもむろに舐めとった。
「……あんまり良い味じゃないね……でも、はるのだから美味しい……」
 手についた精液を舐めとると、まだ硬度を保っている僕のモノを咥えて、吸い始めた。
「……綺麗にしてあげるね…………ず……」
 吸い取られた精液を口の中でうごかすと、ゆっくりと飲み込んだ。
「幸せ……」
「………………」
 七海が愛しい。
 いよいよ抑え難くなってきた。
 七海の下半身に目が行く。そこは毛が生えておらず、僅かに濡れているのがわかるが、それが僕の性欲を刺激する。
「七海……七海が欲しい……」
「…………うん……わたしもはると一つになりたい……」
 七海は顔を上気させると、僕の顔を掴んで、七海の性器に近づけた。
「はる……はるにあげるね……私の全部……だから、私にもはるの全部を下さい」
「好きだ……七海……」
 七海のそこは毛が生えておらず、小さなピンク色の性器が顔を覗かせている。そして濡れたそこは、僕のモノを欲しがってヒクついていた。
「綺麗……」
「はるだけのだから……はると一つになるためにあるものだから……」
 口を近づける。その小さくて綺麗で未完成な割れ目に舌を這わせる。
「……あっ…はるぅ……んんっ……きもち……いぃ……」
 七海の割れ目からコポコポと愛液が溢れてくる。感じてくれている事が嬉しくて、その愛液を舐めとった。
「いやぁ……それ……きたないから……あっ……はるがよごれちゃう……んん……!!」
「違うよ……僕が綺麗な七海を汚しているんだよ……」
「……ちがっ……あんっ……わたしは……はるをよごし……あぁっ……!!」
 ピクピクと膨らむピンク色のクリトリスを甘噛みし、徹底的に舐める。喘ぐ七海をもっと見たくなった。
「いや!! ダメ、そこはっ……あん……いやぁっ……はる……はる……!!」
「それじゃあ、一緒に汚れよう? 僕は七海によごされるならない嬉しいな」
 舐めるスピードを速める。クリトリスの感度を始め、七海の感度は随分と高い様だ。
「いや……おかしく……っ……なる……はる……はる……はる……くる……イクっ!!」
 愛液であろうか、お漏らしの様に吹き出し、背中を仰け反らせ、七海は絶頂に達した。
「はるぅ……はる……きて……せつないよ……はる……」
 七海は僕を見ながらそうおねだりをした。それが可愛くて、愛しくて、僕はその限界まで硬度を高めたソレを七海の小さな割れ目に当てがった。
「七海、一つになろう……」
「ずうぅっっっっっと一緒だよ……はる……約束だから……」
 七海の膣内に、自分のペニスをゆっくりと推し進めた。
膣内はとてもキツく、大量の愛液が進む手助けをしてくれていた。すすめるごとに七海が辛そうな顔をする。
 すこし入ると、少し違和感を覚えた。これが七海の処女膜であろうか。
「七海、痛かったら言って……すぐに抜くから……」
「……ありがとう、はる」
 少しづつ、出来るだけ破かない様に慎重に進める。
「……あ……あぁ……」
 七海が痛みに顔を歪める。少し焦りが出ている自分を落ち着かせると、小さく息を整え続ける。
 亀頭が処女膜を抜けると、やはり僅かではあるが、血が出てきた。
「ごめん……痛いよね……」
「だ、大丈夫……私ね、今幸せなんだ……はると一つになってるんだって感じるんだもん。絶対に無理だと思ってたはると……結ばれたんだ……嬉しい」
「僕も、嬉しいよ。七海がこんなに近くにいる。七海と結ばれたんだから……」
 もう少し腰に力をいれ、一番奥まで入れる。丁度最後のまで入った時、鈴口に何かが当たった。
「……あんっ……はる……奥にあたった……よ……」
「七海とピッタリだね……相性が良いのかな?」
 七海は満遍の笑みで
「はると運命の人だったら良いな……」
「僕もそう信じてる……痛くない?」
「大丈夫……段々慣れて来た……動いても良いよ?」
「……わかった」
 ゆっくりと、腰を前後に動かす。しかし、思った以上に七海の膣圧が強く、スグに果ててしまいそうなる。けれども、ペニスに絡みつき、精液を凄い膣圧で絞り出そうとする膣内が気持ちよすぎてもう腰が止まらなかった。
「……あっ、ああっ、いやぁ……あっ……あん……うんっ……」
 次第に七海から喘ぎ声が聞こえる様になり、突くスピードも上がって行く。
「あっ……はるっ! はるっ……ヘン……頭が白くなって来て……いやっ、クル……何かくるっ!!」
 七海を抱き寄せてキスをする。お互いに口内を貪り合う。こうすればより一つになれると思ったから。
「んんッ……んん!! れろ……ちゅっ……んッ……イクッ! イクッ!! はぅっ、はぅッ……はる!! ダメ、一緒に!! イクッ!! いやあぁぁぁぁああああああああああああ!!」
 最後は舌を重ねたまま膣の一番奥で同時に果てた。七海は尿と愛液を勢い良く吹き出し、シーツを濡らした。
「はる……はるぅ……はる……はる……好きぃ……大好きぃ……はるぅ」
 七海と僕は抱き合ったまま意識を失った。




 画鋲の跡が空いた天井が目に入って来た。どうやらここは私の部屋のようだ。私は何をしていたのか、体を起こそうとして自分が裸である事に気がつき、止めた。
 窓に目をやる。外はまだ暗く、時計が無いため正確な時間はわから無いが、深夜である事はわかった。体がべとつく、また私は自分を慰めて眠りについてしまったのだろうか。
 目を擦ると、布団の擦れる音が私の横でした。思わずそちらに目をやると、反射的に私の鼓動が跳ね上がった。
 そこには、幸せそうに寝息を立て、枕を握り締めるはるの姿があり、はるもまた、私と同じく裸であった。
 体温がどんどん上がって行くのが分かる。思い出した。はると私は結ばれたのだった。物心ついた頃から好きだったはると一つになれた。数時間前にここで求め合った事を思い出す。はるが私を好きだと言ってくれた事を思い出す。現実味の無い幸せに、思わず頬が緩む。
「はる……」
「……っん」
 はるが目を覚ましたのか、眠そうな細目で私を見つめながら、左手の指で私の頬を撫でた。
「はる……好き……」
「……僕も好きだ、七海……」
 私はそっとはるに顔を近づけ、その唇にキスをした。
「そろそろ、帰らなくちゃ……」
 その言葉を聞いた瞬間、私は何故か焦燥感に駆られた。
「……何で帰るの?」
「何でって言われても、自宅だから……」
「ずっと一緒にいるって約束したよね?」
 必死だった。ここで帰らせたら、もう戻ってこないのでは無いか、そう思っての事だった。
「僕は何処にも行かないよ」
 はるが体を起こし、私を抱きしめる。私ははるの体にしがみついた。
「本当?」
「嘘ついてどうするんだよ、もう遅いし、優花も心配しているだろうから帰らないと。明日、また来るよ」
「……約束だよ?」
「勿論」
 私ははるを押し倒すと、キスをした。これは約束のキスだ、自分にそう言い聞かせて。
 はると私はお風呂に入ると、服に着替え、はるを玄関まで送った。
「それじゃあ、七海。また来るよ」
「うん、約束だからね?」
 はるは笑うと、扉を開け、ゆっくりとした足取りで帰って行った。




 遅い。
 お兄ちゃんが帰ってこない。現在深夜一時。もうこうして座って待ち始めてからどれだけの時間が経っただろうか。鍋のカレーはもう冷めているみたいだから、また温め直さなくてはいけない。この作業も何回繰り返しただろうか。
「お兄ちゃん……どうしたのかな……携帯の電源は入ってないみたいだし、もしかしたら不審者に襲われて――」
 ――不審者。あの女。
「……お兄ちゃんに手出しして無いでしょうね」
 焦りからか、勢いよく椅子を引くと、立ち上がった。
「お兄ちゃんに近づいたらどうなるか、まだ分かってないのかな」
 あの監視カメラがあの女の物だとしったらお兄ちゃんはどんな顔をするだろうか。
 リビングを抜け、玄関まで来たところで、インターホンが部屋中に鳴り響いた。
「もしかして……!!」
 鍵を外し、扉を開くと、そこにはお兄ちゃんが立っていた。
「――お兄ちゃん!」
「ご、ごめん。遅くなっちゃって……」
 頭を深々と下げるお兄ちゃん。まるで飲み会で遅くなった旦那さんを見ているようで、すこし嬉しくなった。
「お兄ちゃん、大丈夫!? 不審者に襲われてない。絡まれてない?」
「大丈夫。絡まれてないよ」
 ひとまずホッとする。友達と遊び歩いていたのだろうか、色んな意味で心配になる。
「じゃあ、お兄ちゃんはどこに行って来たの?」
「えっと、ね、ネットカフェ?」
 風に乗って微かに香るシャンプーの匂い。
「シャンプー、家のじゃないよね?」
「え……」
 やっぱりそうか。あの女か……
「ね、ネットカフェにも風呂って言うかシャワーがあって……」
「七海さんとおんなじ匂い……」
 お兄ちゃんに顔を近づけてワザとらしく言ってみる。
「そ、それは……」
「やっぱりそうなんだ」
「…………うん」
 お兄ちゃんがあの女に会った、つまりあの女はあたしの命令を無視したと言う事。あの女は随分とお兄ちゃんに執着していたもの、いずれ破る事は分かっていたけれど、存外早かった。しかもシャンプーの匂いがすると言う事は、あの女の家に上がったと言う事、もしかしたら既にお兄ちゃんは……
「……お兄ちゃん、風邪引いちゃうからとりあえず中に入って……」
「遅くなってごめんね、優花……」
 お兄ちゃんが謝りながら家の中に入る。とりあえずご飯を食べさせよう、話はそれからだ。
「お兄ちゃん、はい」
「えっと……カレー?」
「うん、そうだよ。沢山食べてね」
 カレーを温め返すためにガスコンロに火をつける。火加減を調節するために火をみていると、リビングの方で椅子を引く音がした。
「……ねえ、優花」
「なに、お兄ちゃん?」
「………………」
 お兄ちゃんは躊躇っているのか、言葉を詰まらせた。
「……僕は、七海と会って来た」
「そうなんだ」
「そ、それで、七海が僕を避けていた理由も聞いた」
 お兄ちゃんが俯いて絞り出すように言葉を出す。
「……七海さんは何て?」
「優花に……言われたって……」
 お兄ちゃんはゆっくりと、私を見た。今、お兄ちゃんにあたしはどんな風に映っているのだろうか。
「それは、本当なの?」
「本当だよ」
 即答。「無視をしろ」そうあたしがあの女に脅しをしたと信じ切っていない様にもみえる。何処かで嘘であって欲しいと願っている様な、あたしに否定して欲しいと願っている様な、そんな所だろうか。でも、理由を聞けばお兄ちゃんだって納得してくれるに違いない。
「……これはお兄ちゃんを守るためなの。どうして七海さんを遠ざけたのか、家には監視カメラがいっぱい仕掛けられてたの。それを付けたのはね――」
 さようなら、七海さん。
「――七海さんだよ。キモチワルイよね、盗撮だよ? しかも何台も! 意外と身近に居るんだね、本当に怖いよ。だから、お兄ちゃんが事件に巻き込まれない様に言ったんだよ。だからお兄ちゃん、もう七海さんに関わっちゃダメだからね?」
 あたしの勝ち。長かった、やっとこの瞬間が訪れた。嬉しすぎて踊りたくなって来た。
「そんなの……知ってる」
「え?」
「知ってる。カメラの事も、七海が僕を好いてくれてた事も……優花、どうしてカメラの事を言ってくれなかったんだ!」
 え、知ってる?
 そっか、お兄ちゃんは自分で話をつけて来たんだね。流石お兄ちゃん。こんなに遅いって事は、あの女に足止めされてたからかな、本当にキモチワルイ女だよね。これでもう安心だよ、今頃あの女は首でも吊ってる頃かな?  本当に哀れ、笑いたくなっちゃう。
「うんうん、あんなキモチワルイ女なんて早く忘れたほうが良いよ。早く忘れて、あたしと今までどおりに暮らそうね、お兄ちゃん」
 もう監視されない、もう邪魔はいない。お兄ちゃんはあたしの物。
「優花……七海は気持ち悪くない、僕の大事な彼女だ。それよりも、どうしてカメラの事を言ってくれなかったんだ!」
 ――は?
 彼女?
 ダレが?
 あたし?
「……お兄ちゃん、誰が彼女って……」
「だからカメラの――」
「誰が彼女だって言ったの、お兄ちゃん!!」
 七海は僕の大事な彼女? 「優花は僕の大事な彼女」の間違いだよね。
「だから、七海は僕の大事な彼女だから、悪口は許さ――」
「…………うそ……」
「嘘なんかじゃ……」
 嘘だ。
「嘘は良く無いよ、お兄ちゃん。あのキモチワルイ女に洗脳されちゃったんだね、可哀想に……」
「洗脳? 違う、僕は本当に七海が好きなんだ!」
 嘘だ。
「お兄ちゃんは優しいから、きっとあの女が可哀想になってそれを勘違いしているだけなんだよ」
 本当に可哀想なお兄ちゃん。
「可哀想だからじゃない! 僕は七海が好きだから抱いたし、七海も受け入れてくれたんだ!」
「――え?」
「抱きしめたの? ダメだよ、ストーカーを餌付たら……その気になるから……」
「…………わから無いなら良い」
 呆れた様に、疲れた様にお兄ちゃんは肩を落とした。
「お兄ちゃん、もしかして、もしかしなくてもセックスの事じゃ無いよね? 無理矢理襲われちゃったの? お兄ちゃんのをあんな汚いゴミにあげてないよね!?」
 お兄ちゃんの神聖なモノをゴミが貰うなんて禁忌に等しい、そんな事はあってはならないのだ。きっと聞き間違いに違い無い。お兄ちゃんとあの女のセックス? 想像できない、したくも無い。お兄ちゃんの大事なモノはあたしのだし、あたしの中に入るためのモノなのだ。あの女の汚くてガバガバなマンコより、お兄ちゃんの為に清潔で、締まりの良いあたしのマンコの方がお兄ちゃんも良いに決まってる。お兄ちゃんと一緒に何度もイッたからそんなのは分かりきってる。
 お兄ちゃんの目を見つめなおす。その目は、真剣で曇りのない眼だった。
「僕は七海とセックスをした。これは僕の意思だし、七海はとても綺麗で、一番大切な人だ」
「そっか……」
 お兄ちゃん、あの女としちゃったんだね。ならあたしはオニイチャンヲキレイニシナクチャ
 アレ……イシキガトオノイ……




 優花が僕に近づいて来る。何のつもりであろうか。
「お兄ちゃんを綺麗にしなくちゃ」
「え?」
 優花が僕をみながら微笑む。あの目だ……優花の目は、あの時の様に沈んでいた。
「おいしい……」
 一瞬だった。優花はいつの間にか僕に抱きつくと、僕の首筋を少しざらついた舌で舐め上げ、首筋に吸い付いた。何とも言えぬ感覚が僕に優花を意識させる。
「や……やめ……」
 そこまで言いかけるが、最後まで言う事は出来なかった。何故なら、僕が言葉を発する為に口を開けた瞬間、優花が僕の口を口で塞いだからだ。
 今日何度目であろうキス、しかも自分の妹と。舌が何の躊躇いも無く入って来る。七海の舌とは違った感触で、七海を求めると表現するのなら、優花はそれが当然とでも言いたげな、そんな強引なキス。
 止めさせたい、けれどもその目は、僕の数センチ先で「無理だ」と静かに僕の動きを縛り付けていた。
「ぷはっ……あはっ、お兄ちゃん美味しい~。この味もあたしだけの物、誰にもあげない」
 優花は唾液でまみれた僕の唇をなめとると、舌舐めずりをして笑う。。
「胸は……小さいほうが好きだよね、お兄ちゃん?  あれ、あたしってお兄ちゃんの理想通り?」
 僕の右手首を掴むと、優花は自分の左胸に僕の手を押し当てた。
「はん……お兄ちゃん……」
 身をよじらせながら胸を揉ませて来る。僕は腕に力を入れ、離そうとするが、腕は固められたかの様にぴくりとも動く事は無かった。この様な力をその小さな体の何処から出して居るのだろうか。
「優花、良い加減に……」
「良い加減にじゃない」
「え?」
 僕は言い切る事が出来なかった。
「あたしは本気だよ? お兄ちゃん、あたしは春斗お兄ちゃんを愛してるの」
 僕に顔を近付け、蕩けたような目で見つめてくる優花。次第に何かに堪え切れなくなったのか、唇を軽く噛むと、僕の唇に重ねた。
「…………ぅむ……」
 舌を入れようと僕の唇をこじ開ける、今は唇に力を入れ、どうにか耐えてはいるが、もう持ちそうにない。そして、痺れを切らしたのか、顔を離すと僕の頬を張った。
「お兄ちゃん、ベロを出して! お兄ちゃんを綺麗にしなくちゃいけないんだよ!?  お兄ちゃんもあたしを愛してくれてるんでしょ、もうガマン出来ないよ!!」
「ゆ、優花。ぼくは……んぐっ……」
 口を開けた瞬間、待っていましたとばかりに舌をねじこむ優花。僕の舌に触れると、再び貪り始める。
「……んっ……ごくっ……」
 優花が僕の口内に唾液を流し込んでくる。気持ち悪い。
「…………お、お兄ちゃん……もうガマン出来ないよ……ねえ、早く挿れて?」
 虚ろな目で僕の膨らんだモノを凝視すると、ファスナーに手を掛けた。
「……やめっ!」
 その手を抑え、突き放す。しかし、しがみついた優花は全く離れない。
「一つになれば、お兄ちゃんも幸せになれるよ?」
「……意味がわからない」
 優花が僕に抱きつき、首筋をひたすら舐めたり、口付ける。
「お兄ちゃんとあたしが永遠になる事だよ」
「僕と優花は兄妹じゃないか……」
「そうだよ、皆そう言うの……兄妹、兄妹、兄妹。あたしはお兄ちゃんが好き、お兄ちゃんもあたしが好き、思い合ってるのに皆あたしたちを引き裂こうとする、こんな世界はおかしいよ……苦しいよ……痛いよ……お兄ちゃんとあたしは向かい合いながら触れられない様に鎖で繋がれてるの……目の前にいるのに触れちゃいけない、だから最初は仲の良い兄妹で良いとずっとガマンしてた……でもダメ、ガマンなんて出来ないよ……こんな世界は要らない、お兄ちゃん、一緒に逝こう? そうしたら皆祝福してくれるよ、『優花ちゃん、春斗くん、お幸せに』って……大丈夫、家事は任せて? その為にあたしはずっとお料理を作ってお兄ちゃんに尽くして来たんだもの」
 優花が表情一つ変えぬまま涙を流し続ける。本当にそれが優花の幸せなのだろうか、僕には分からない。ただ、僕は優花を妹として愛していて、異性としてはどうしても向き合えない、それだけは言えた。
「さあ、逝こう? お薬が良いかな、首を切っても良いよ?  あたし達の赤い印……綺麗だろうな……」
 耳元でそう囁かれ、思わず寒気が走る。
「お兄ちゃんはどれがいい?」
「僕の幸せは……」
「え?」
「僕は、七海と幸せになりたい!」
 勢い来のせて突き放す。今僕が出せる最大の力で。
「お……お兄……ちゃん?」
「優花、僕は優花の気持ちに答えられないよ」
 優花の重心がわずかに崩れる、恐らくこれが最後のチャンスだろう、僕は優花の腕を振り払い、駆け出していた。
「お兄ちゃん! ダメ……」
 支えを失った優花は背中からフローリングに倒れる。僕が走り出した直後、その音に反応してか僕の方に手を伸ばしてきた。
「行かないで!!」
 止まったら死ぬ。廊下を滑りながら走り抜け、靴の踵を踏みながらも履くと、玄関を開け放ち、跳び出した。




 気が付くと、あたしは手を伸ばしていた。何をしていたのだろうか、周りを見回すと、深夜の静けさが虚しさを演出する。
「お兄ちゃん……」
 そうだ、お兄ちゃんだ。
 お兄ちゃんがあの女から助けなければいけない、何故こんな大事な事を忘れていたのだろうか。
「おにいちゃんは?」
 先程、あたりを見回した通り、お兄ちゃんの姿は見えない。キッチンからは焦げ臭い匂いがする。カレーが焦げてしまったようだ。
「何処に行ったの?」
 起き上がると、背中にしびれた様な痛みを感じた。
「痛……お兄ちゃーん!」
 呼びかける、返事はない。焦げ臭い部屋を縫進む様に声が駆け抜け、響いて戻ってきた。
「お兄ちゃん?」
 返事がないと言う事は、自分の部屋に入ってしまったのだろうか。
 キッチンへ歩き、コンロの火を止めると、換気扇を回した。
「お兄ちゃん、どこ?」
 階段を昇り、お兄ちゃんの部屋の扉をゆっくりと開く、お兄ちゃんの目を一秒でも早く覚ましてあげるのだ。
「…………」
 誰もいなかった。
 風呂だろうか、しかし水音は聴こえない。
「あの女のところ?」
 寒気がする。どうしてあの女なのだろうか、あの女に対する慈悲? それとも場の流れ? どちらにせよ、お兄ちゃんを正しい世界に引き戻さなければならない。
「助けてあげる……今いくね、お兄ちゃん」
 間に合うだろうか。




 止まるな。
 走れ。
 ――走れ!

 頬で割く風は冷たく、鋭い。けれども、今にも沸き上がりそうな自分の体温が切り裂かれる感覚は、こうしてまだ自分が生きていると実感できる。何とも情けない話だ。
 外は真空にでもなったかの様に空間に味気がなく、その静かな空間で場違いにも大汗を放ちながら足を動かす僕の頭には、僕でさえも聞こえない音楽が何重にも重なり、自分と言う空間に味気を醸し出していた。
 味気が濃すぎるのか、それとも目立たないのか、思考と言う物は埋もれ、ただ本能と言うその醜い形が空間の中で暴れ回っている。
 逃げろ、立ち止まるな。振り向くな、終わる。そう何度も何度も叫んでは切り裂かれ、叫んでは切り裂かれた。
 一体どれぐらいの時間走っていたのだろうか、数分、数時間、ほんの一瞬だった様にも感じられる。
「はぁ……はぁ……ゴホッ、ゴホッ……」
 足が止まる、ここは何処だろうか。
 震えすぎて今にも崩れてしまうのでは無いだろうかとういう膝を抑えつつ、顔をあげる。
「……そうか」
 目の前には、少女が立っていた。
 夢七海――僕の彼女、ここは七海のマンションのエントランス前だったのだ。
「……どうしてここに?」
「はるこそ」
 七海は僕の側に歩み寄ると、痺れ切った体を抱き寄せた。
「ずっと……待ってたの?」
「うん」
「なんで……」
「わからない」
 七海の体は酷く冷え切っていた。
「はる、はる」
「……七海?」
「はるが帰っちゃったあとね、嫌な感じがしたんだ」
「………………」
 それは優花の事だろうか。帰宅後の優花のあの目を思い出してしまい、少し血の気が引いた。
「私の部屋に行こう? 外は危険だよ」
「……うん」
 これが女のカンと言うやつなのか、七海の予想は当たっていた。優花がおかしい、まるで別人の様であった。いつもの優花を表と捉えるのであれば、あれは裏の優花と言う事になる。僕は裏の優花に何度か会っている、最初に会ったのは、優花との元々の約束を破り、七海との約束を優先してしまった時だっただろうか。
「はる、鍵開けたよ?」
「……え? あぁ、うん」
 暴力的で独占欲が強く、優花の感情が強く表れる。けれども、表になると裏の自分を忘れ、自覚もない。
「ねえ、はる」
「ん?」
 七海が目を瞑ると、僕の首に腕を回してきた。キスをしろと言う事らしい。今更であるが、七海の整った綺麗な顔を間近で見るのは未だになれない。七海が僕の彼女になった今でもそれは変わってない、僕は少し戸惑った挙句、耳に響き渡る心臓音で我を保ちながら観念して唇を重ねた。
「…………えへへ」
「………………」
 七海が嬉しそうに笑う。何だか恥ずかしくなって、思わず目を逸らした。
「はるの顔が赤くなってる」
「う、うるさいな」
「はる、はる」
 七海が僕に抱きついて幸せそうに頬擦りをすると、それをぶち壊すかの様にインターホンが鳴り響いた。
「――!」
 七海の腕に力が入る。僕も気が付かぬうちに七海を強く抱き締めていた。
「は……はる」
「どうする、七海?」
「優花ちゃん……だよね?」
 再び鳴り響く呼び出し音。
「嫌っ……」
「………………」
 インターホンの液晶を確認する。鳴らした主は、やはり優花だった。
「優花……」
 三度目の呼び出し音。
 出ないと、マズイだろうか。
 七海は僕の腕の中で震え、必死にしがみついてくる。このまま居留守を使うのも手かもしれない、けれどもこのままインターホンを鳴らされ続けたらこっちが滅入ってしまいそうだ。
 呼び出し音。
 正確には、僕は構わないとしても、このままだと震えている七海の精神が持ちそうには無いと思ったからだ。
「七海、でるからどこかに隠れて……」
「い、嫌! はるともう離れたく無いもん、ずっと一緒だって結んでくれたよね、それって嘘じゃ無いよね!?」
 呼び出し音。
「も、勿論。でも七海が--」
「嫌。絶対に嫌!」
 呼び出し音。
「わかったよ……」
 僕は七海を抱き締め直すと、受話器に手をかけた。
「………………」
 風の音とノイズが聴こえる。心臓が悲鳴をあげ、今すぐにでも切ってしまいたくなった。何秒であろうか、時間がとても長く感じられると思うと、何の前触れもなく始まった。
「…………………………お兄ちゃん」
「――っ!」
「…………ねえ、お兄ちゃんでしょ?」
「優花……」
「……やっぱりお兄ちゃんだ……ねえねえ、一緒に帰ろう? お兄ちゃんの家は此処じゃ無いよ?」
「嫌だ」
「……ダメ、お泊りはもう禁止だよ? お兄ちゃんを綺麗にしなくちゃいけないんだもん、早く帰らないと」
「優花が僕を好いてくれているのは嬉しいよ、でも僕は七海が好きなんだ。優花の気持ちには答えられない」
「……いいんだよ、お兄ちゃん。言わされているんでしょう? 今あたしが助けてあげる。だから扉を開けて?」
「帰ってよ、優花」
「……お兄ちゃんも一緒に帰ろう? ダメだよ、朝帰りなんて……浮気をするなんて酷いよ」
「だから七……」
「一緒に帰ろう、お兄ちゃん」
 ダメだ、優花がおかしくなってしまった。僕はどうすればいいのか分からない。
「はる……」
 七海が涙を流しながら疲れ切った顔で僕の名前を呼ぶ。
「………………」
 このままでは七海が壊れる。
 僕は――
「――わかった、帰ろう。それで良いんだろう?」
 その声に反応して七海が顔を上げる。
「……え?」
「本当!? 早く下に降りてきてよ、お兄ちゃん!」
 優花の嬉しそうな声。
「ごめん、七海。これは七海の為なんだ、絶対に帰ってくるから、約束するから、だから……」
「ずっと一緒……ずっと一緒……でもはるが帰るって……何で?」
「な、七海?」
「行かせない!!」
 七海が僕から受話器を奪い取ると、よろけながらも立ち上がり、受話器を壁に叩きつけた。
「優花ちゃんの所に行っちゃダメ、行ったらもう帰ってこれなくなる!」
「でも帰らないと、これ以上七海を苦められ……」
「私は良いの! 苦しくても、痛い目にあっても、はるの側にいられればそれで幸せなの!」
 七海が僕の胸の中に顔を埋め、体を震わせながら必死にそう訴える。
 扉が勢い良く叩かれ、ドアの鍵がガタガタと悲鳴を上げた。どうやら優花が耐えきれなくなってここまで来てしまった様だ。
「……お兄ちゃん! 早く、帰ろうよ。ねえ、聞いてるの!?」
 呼び出し音。
 呼び出し音。
 呼び出し音。
 呼び出し音。
 呼び出し音。
 呼び出し音。
 優花がインターホンを連打する。ドアを力一杯叩き、ドアノブを何度も捻ってこじ開けようとした。絶え間無いその音に恐怖を抱きつつも、時間や近所迷惑を考えるとこのまま騒がせるわけには行かなかった。
「はる、ダメ……帰らないで……ずっと一緒にいてよ……」
 僕はどうしたらいいのか、七海は大切である。けれども、優花をこのままにしておく事も責任として許されない気がした。
「………………」
 携帯が静かにポケットの中で小刻みに動き出す。優花からだ、ドアの向こうからかけているのだろう。
「優花……」
「お兄ちゃん、早く出て来てよ。帰るんでしょう?」
「……わかってる。でもね優花、ひとつ条件があるんだ」
「条件?」
「そう、ひとつだけね。七海をこれ以上苦しめないでくれ、僕の大切な彼女なんだ」
「……なんでお兄ちゃんは好きでも無い人と付き合ってるの?」
「だ、だから、僕は本当に七海が好きで……」
 空気が変わる。携帯後しでそれが何故かわかった。
「お兄ちゃんの好きな人はあたしだよ。あたしとお兄ちゃんは想人で兄妹じゃなかったの?」
「優花、優花は僕の妹だろう? 優花の事は好きだけど、それは妹としてであって、異性としてでは……」
「嘘だ。それもあの女に言わされているんでしょう? 大丈夫、そんな苦しい事言わなくていいんだよ、あたしは全部分かってるから」
 結局ここにたどり着く。どう説得しても優花に分かっては貰えないのだ、「自分とお兄ちゃんは想い人」この優花の理想が何時しか現実との境目を消し去り、優花の現実となってしまってるのだろう。僕がどんなに説得をしようと、優花にとっては「あの女に言わされている」「嘘を言っている」「またからかっている」という解釈にしか行き着かないのだ。
「ゆ、優花! だから……いや、もう良いよ」
「うん。帰ろう? お兄ちゃん」
 携帯の通話を切る。僕に必死にしがみつく七海に笑顔をみせてやると、七海が不思議そうな顔をした。
「一緒に行こうか、七海」
「え?」
 僕は七海の手を握ると、そのまま手を引いて歩き出した。


 ドアの鍵を外しドアノブを捻ると、扉が勢い良く引っ張られた。
「お兄ちゃん!」
 扉を勢い良く引っ張ったのは優花らしい、二度と閉まらない様に扉自体をその細い指で掴み、素早い動きで体を入り込ませた。
「お兄ちゃん、はやく帰らない、と……」
 笑顔で入ってきた優花はそう言いかけて止めた。わかり切っている事だが、その視線の先を追うと、僕の後ろで怯えている七海に当たった。
「……ねえ、何でいるの?」
 優花がそう僕に問いかける。
「………………」
「お兄ちゃん、なんでその女もいるの?」
「………………」
 七海の背中に腕を回すと、抱き寄せ。
「…………な、何やって……」
「は、はる!?」
「七海、大好きだ」
 そのまま七海に口付けをした。
「……ちゅ……んん……」
 舌をいれ、唾液を絡ませる。七海の良い匂いが鼻孔を擽り、七海がとても近くに感じられた。
「……い……嫌ぁ……」
 優花が目を見開く。首をゆっくりと左右に振り、扉に寄っかかりながらゆっくりと、その場に崩れた。
「嫌。やめて、お兄ちゃんを汚さないで……お兄ちゃんが汚れる……汚いゴミに汚される……お兄ちゃんが……」
 優花がゆっくりと手を伸ばす。伸びた手は僕の学生服の裾を掴み、力無く、けれどもしっかりと握って離さなかった。
「………………」
 名残惜しく思いながらも七海の唇を離す。七海の瞳は潤んでただ、僕を見つめていた。
「七海」
 七海は嬉しそうに微笑み、僕の胸に顔を埋める。
「はる、好きだよ。ありがとう、本当に幸せだよ?」
 七海をそっと抱きしめる。体温が腕を、体を通して伝わってきて、なんだか暖かい気持ちになった。
「……お兄……ちゃんを……返して……」
 優花が裾を掴んでいた指を緩めると、そのまま伝うように、足の存在を確かめるように腕を回し、足にしがみ付いた。そして弱々しく「返して」と何度も繰り返し呟いては僕の足に頬擦りをする。
「優花、僕は本当に七海が好きなんだ。優花の気持ちには応えられないよ」
「……嘘だ、嘘だ……」
 優花が何かをブツブツと呟く、それはとても小さな声で、耳を凝らしてみても聴こえない程であった。
「……してるんだ」
「--え?」
「試してるんだ、そうでしょう? これが最後なんだ……」
 優花がゆっくりと立ち上がる。
「お兄ちゃん、わかったよ……」
「い、痛い」
 何がわかったのだろうか、まんべんの笑みを浮かべると、七海の髪を掴んだ。
「な、なにをやって……」
「このゴミをすてればもうお終いなんだね……これでお兄ちゃんと一緒に居られるんだね!? これが最後の試験なんだね!?」
「痛い、離して!!」
 優花が髪を引っ張ると、七海がそれに釣られて引っ張られる。そして、優花が痛がっている七海の顔を汚らわしそうに見つめると、そのまま壁に叩きつけた。
「ぅあっ!!」
 僕が我に帰って動いたのとほぼ同時に、優花が七海の頭に蹴りをいれた。マンションの壁はコンクリートで出来ており、嫌な音が響き渡る。
「七海!!」
 七海に腕を伸ばすが、その直前に二発目の蹴りが再び七海の頭を捉える、もはや少女の成せる業では無かった、ものが壊れる音と共に、七海が頭から大量の血を流しながら蹲る。
「……痛いよ……」
「優花! やめて、七海が死んじゃ……」
「そうだよ、そのゴミを壊せばお兄ちゃんと一緒にいられるんだよ、ね!!」
 僕が庇うように蹴りを防ぐ、脇腹に入った蹴りが内臓に食い込み、息が出来なくなる。
「お兄ちゃん、なんで庇うの!? 危ないからどいててよ!!」
 優花が僕と七海を引き剥がすように、僕を突き飛ばす。僕の体は軽々しく吹っ飛び、コンクリートの柵に背中を打ち付けた。
「ゴホッ、ゴホッ」
 激痛が走る。呼吸をするたびに肺が悲鳴をあげ、胃の中の物を吐き出しそうになる。
「あ……はる……そんな……」
 七海が目を見開き、僕をただ見つめたまま固まる、優花はそんな七海に舌打ちをしながらも蹴りを繰り出し続けていた。けれども、いくら蹴られようとも七海は悲鳴を上げる事もせず、ただ僕を見つめたまま何かを呟いている。
「はるが傷付いた……私のせいだ ……」
「そう、お前さえいなければお兄ちゃんも幸せだったのに、何でお兄ちゃんに触れようとしたの!? お前はゴミでしょう、大人しく妄想してれば良かったのに!!」
 七海の血液が垂れてコンクリートを濡らす。それでも七海は言葉を唱えることを止め無い。
「神様ゴメンなさい、はるゴメンなさい……あの時私がはるに抱いてもらおうとしなければ良かったんだ、はるを遠くから観ていれば良かったんだ、はるにあわなければ良かったんだ、私なんて存在しなければ良かったんだ……そうすれば、はるは幸せだったんだ……私は……このゴミは…………いらないんだ……」
「わかってるなら消えて、お兄ちゃんとあたしの世界を壊さ無いで!!」
 七海の頭上で足が振り上げられ――
「……はる……ごめんなさい」
 ――そこで止まった。
「……ならはやく消えて。お兄ちゃんを病院に連れていかなきゃいけ無いの!!」
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい」
「…………な、七海……何を言って……」
「……痛かったよね? 私がいるからはるは痛いんだよね? ゴミだからはるが苦しんじゃうんだよね?」
「七海、違う! 七海はゴミ何かじゃない!!」
七海がよろよろと立ち上がる。そして、血だらけの頭を押さえると、体を引きずりながら扉のドアノブに手をかける。
「はる、ありがとう……はるが幸せなら私も幸せ……だから……幸せになって……」
「ま、待って! 七海と一緒にいるのが僕の幸せなんだ。だから僕は、僕は」
 七海が扉をゆっくりと開き、体を押し込める。血だらけのままどうするつもりなのだろうか、一刻も早く治療しなければいけないのは誰がみても明らかだった。
「消えろ、消えろ消えろキエロキエローーーーッッ!!」
 優花は叫そう叫ぶと、追い討ちをかけるのか、蹴りの体制にはいった。
「優花、これ以上蹴ったら七海が死んじゃう!!」
「死んじゃえばいい。これでお兄ちゃんはあたしの物だーーーっ!!」
 七海が死ぬ。
 考えられるだろうか、自分の大切な少女が目の前で殺されようとしているのだ。次瞬きをしたら七海はどうなっているだろうか、もう動いていないかもしれ無い。
 それは嫌だ、僕にはどうする事も出来ないのか、僕は無力すぎる。いや、無力なんじゃない、何もしていないだけだろう。まだやれる事はあるのでは無いか。
「……やめろ」
 激痛のはしる体を無理矢理動かそうとする。駄目だ、動かない。
 体に力が入らない、痛い。けれどもこんな痛みは七海の痛みと比べれば遥かに軽いだろう。僕は何をしているのか、動かなくても動かすのだ。七海を守るのだ、僕の体なんて知るか、僕の体は七海を守る為にあるのだ。
「やめろ、優花!」
 僕の体は動いただろうか、目の前の景色が変わっている、どうやら動いたらしい。
「お兄ちゃん、何をやって……あっ……」
 優花の背中に抱きつき引き倒す。これで七海は生きられただろうか、目の前が霞んでよく分からない、けれど、腕の中にある優花の感触で蹴りは防げたと、思う。
「お兄ちゃん、離して! あのゴミを壊すの、邪魔しないで!?」
「嫌だ! 七海を殺すなら僕が優花を殺す!!」
 優花が立ち上がろうと必死にもがく。けれどもさせるものか、僕は優花を後ろから抱きしめ、暴れる優花を抑え付ける。
「すぐに終わるから! 終わったらお兄ちゃんを綺麗にするから、だから……」
「うるさい、五月蝿い。黙れ優花アアァァァ!」
 七海は、僕が守る。








 どうして守れなかったのだろう。
 どうして七海は死ななきゃいけなかったのだろう。
 どうして。
「おにいちゃん」
 優花が僕の腕を絡め抱きつきながらそう呟いた。僕は腕を解こうと考えながらも、体はそれを諦めた様子でピクリとも動かなかった。
 あの後の事は綺麗に思い出せない。いや、覚えているけど、思い出したくないと言うのが正しいだろうか。七海が僕にキスを強請ったあの時の顔が綺麗すぎて、僕が最後に見た七海の顔が本当に七海だったのか、今でもよく分からない。
 七海の通夜と葬式はひっそりと、小さく執り行われた。夢家意外で出席したのは恐らく鈴井家だけだろう。
 久しぶりに見た七海のおじさんとおばさんは気の強い人だってわかってたけど、実の娘の死に顔を見てもそれは変わらなかった。ただ、七海の顔を見た時に目を細めていたところをみると、何も感じなかったのでは無く、悲しんだ顔を誰にも見せたくは無かっただけなのかもしれない。
「ねえ、お兄ちゃん。これでもう良いんだよね。もうずっと一緒にいても良いんだよね?」
 下にはまだ両親が居るって言うのに、優花はそんな事すらお構いなしに僕にベッタリとくっついている。
 今日だって「誰も見ていない」そんな様な事を言って僕にキスを強要したり、両親の前で手を繋いで見せたりと、もう僕にはどうする事も出来ない。僕にできるのは優花を怒らせない様にご機嫌をとる事とーー
「ねえお兄ちゃん、また……いいかな?」
「朝にしたじゃないか」
「お兄ちゃんはそのままでいいからね」
 ワンピースを着ている優花は慣れた手付きでショーツを脱ぎ、胡座をかいている僕に体をまかせた。きっとワンピースを着ているのも、これの為だろう。
「お兄ちゃん……」
「………………」
 優花はゴムの使用を許さない。最後は必ず膣内に出させるし、外へ出そうモノならその三倍の量を膣内に出す様命じる。いつ赤ちゃんが出来ても可笑しくない。
「あ……はぁ……」
 自分のモノが暖かくてぬるついた物に飲み込まれる感触、不快ならばどんなに良いであろうか、ヒダが擦れて気持ちいい。優花が僕に抱きつきながら腰を揺らすと卑猥な水音が微かに聴こえ、絡みついた膣の刺激に思わず腰が動く。
「あ……いい……よ、おにいちゃん」
 だんだん視界も揺れてくる。肌の感覚が敏感になり、抱きしめている優花の柔らかい触り心地がより一層この少女と繋がっている事を意識させる。
「ゆか……せめて……静かに……ね?」
「はぁ……そんなこと……いったって……あっ……んん……こえ……でちゃう、んっ」
 優花の口をキスで塞ぐ。早く終わらせてしまおう、それがいい。
「ゆか、僕が動かすよ」
 優花を寝かせようとするが、それを優花は首を横に振って嫌がった。
「嫌! お兄ちゃんはそのままでいて。はぁ……はぁ……まだまだ一つでいたいの、今日はずっとずっと一つでいるの。お兄ちゃんとあたしはこうしているのが一番幸せ、お兄ちゃんはあたしのもの、あたしはお兄ちゃんのもの。愛し合う男女は離れないように、気持ちを伝える為に、繋がるの」
 あの日、七海を救急車で病院に送った僕は応急処置をしてもらった後、自宅に返された。自宅に帰った僕は傷に触れない様にシャワーを浴びて自分の部屋にフラフラになりながら向かった。
 けれどもベッドに優花が全裸で待ち受けていて、僕を綺麗にするなんて言って犯された。体は快楽に正直で、実の妹にも関わらず、実の妹だからか、自分の体に相性が良いと分かると、優花の体を抵抗なく受け入れた。優花の膣内に何度も精液を注いで妹に種付をしようとする。優花もそれを喜び、僕の名前を呼びながら必死に喘いで僕に自分が雌である事をアピールして、更に精液を欲する。
 優花の体は世界で一番僕と相性が良いのかもしれない、恐ろしく気持ちが良いのも確かだ。でも僕から優花への愛は無い。なのに、表情ひとつ変えずに優花を抱きしめている僕は酷い人間だろう。
 結論から言うに、優花を恐れているのだ。あの非道な、人外じみた優花に恐れているだけなのだ。そして、そんな優花が怖いから僕は逃げているだけ。七海が大事なはずなのに、七海が死んだ事で優花を憎んでいる筈なのに、そんな優花をただ怖いからという理由で抱きしめているだけなのだ。
 最低な人間。僕自身なのに言い切れる、本当に最低な人間。無能で、その癖大切な者を守れなかった腰抜けで、逃げることが得意なヘタレなのだ。




 何度も何度もはるの痛がる表情が頭に浮かぶ。あれも私のせいだ、はるに触れた事をやっぱり神様は許してくれなかったんだ。
 それにしても、私が悪いのにどうして神様ははるを傷つけたのだろうか。悪いのははるではなく私なのに。
 わからない。でも、改めて思い知らされたのは、はるに触れてはいけないんだって事。はるも怒っているに違いない。嫌われてしまった、きっとそうだ。どうしよう、どうすればいいのだろう。もうはるを見る事も許されない。それ以前にもうここにはいられない。
 もう行かなきゃ、最初からそのつもりだったんだもの。最後に大きな幸せを貰えたんだ、その代償に嫌われたと思えば…………やりきれなくもない。
『さあ、包丁を持ってきなさい。もう行きましょう、あなたは長居しすぎたのよ』
 後ろから私が催促をしてくる。言われなくてもそうするつもりだ。
 冷たいフローリングを指でしっかりと踏みしめながら台所まで壁伝えに歩と、いつも仕舞ってある扉を開け、扉に刺してある包丁をゆっくりと引き抜いた。
「……せめて、はると一つになれたあの場所で……死にたいな」
 震える手にもう片方の手を添えて包丁を落とさないようにベッドを目指す。あの場所だけは特別なのだ、はるの事を思い続けた時も、はると一つになれた時も、あの場所だったのだ。あの場所でなら、少しだけ許してもらえる気がする。
「はる……はる……はる……」
 ベッドで仰向けに寝転がると、傷が入りながらも鈍い光を放ち続けている包丁の刃の部分を見つめた。
 そこには自分の目がボヤけながらも映り込んでいた。なんて濁った醜い目だろうか、こんな目ではるを見つめていたのか。きっとはるは恐怖していただろう、こんな目でははるを映していい筈が無い。
「はる……ごめんなさい」
 包丁に映る醜い顔が更にその酷さを増している。こんな顔ではるを思っていたのか。不釣合い、はるを思う事すらおこがましい。本当に私は汚物をかき集めて適当にくっつけたゴミ細工なのだ。
「…………ごめんなさい」
 もう行かなきゃ。ゴミ細工が処分されるだけだ、別にどうという事はない。
 はるの足枷を解こう。もうはるは幸せになれる。ついでにはるの不幸も持っていけたら、向こうではるの苦しみも全部私が受けて、はるはずっと幸せでいられる。はるの幸せは私の幸せ、だからそれができたらきっと素敵だろう。
 そっと包丁の切先を首に近づける。
「……大好きだよ…………はる……」
 呪いの言葉を口にしながら、私は包丁を――


 ――足元が冷たかった。不思議に思って視線をゆっくり落とすと、何故だかすぐに理解できた。無理もない、水に足をつけているのだから。
 視線を前に戻すと、そこには川幅が十メートル程の浅い、緩やかな川が流れていた。音も無く、透明なその川はどこまでも清い。けれども、何処と無く悲しそうにも思える。
「本当に私は死ねたのだろうか?」そんな不安にも似た疑問が頭をよぎった。
 周りを見渡すと、そこには人がいた。決して多くはないけれども、少なくも無い。
 ふと、左隣の人を見たのとほぼ同時に、その人物はゆっくりと足を前に出した。水の抵抗を受けて歩き辛そうではあるが、川に入っていく。その先を追っていくと、対岸に人が何人かいるのがわかった。
 対岸の人々が手を振り始める。川を進んで行る人はそれに応え、腕を力強く振って見せた。
 そう、その人物は対岸を目指していたのである。深い霧で視界の悪い川で、その振られる手を頼りに渡るのだ。それはその人物だけではない。多くの人がその先にいる誰かを目指して進んで行くのだ。
 恐らくは自分の先祖だと思う。やっと理解した、ここは死後なのだと、自分は死ねたのだと。
 ならば私も渡らなければいけない。はるに沢山の幸せを貰ったから、だから今度は罪を償いに行くのだ。
 前に向き直り、対岸を目指して足を進める。冷たい水なのだが、不思議と寒くはない。寧ろ心地が良かった。
 中ほどまで差し掛かったあたりでふと、ある事に気がついた。対岸に誰もいないのである。周りを改めて見回すと、やはり全員に出迎えてくれる人がいるらしく、既に対岸に着いた人は皆、その中で暖かそうに迎えられていた。
「はる……」
 はるの顔が思い浮かぶ。そうだ、はるだけなのだ。
 不思議と悲しくは無かった。きっと自分の何処かでそれを分かっていたから、そして、はるが私を見てくれてた。それは強く強く、大きく私の支えになっていたから。
「さようなら、はる」
 立ち止まり振り返ってそうつぶやく。
 対岸へ渡りきると、大きく長い道が続いていた。先祖と共にその道を歩く大勢の行列。私も歩かなければいけない、そんな気がした。
 道ではすすり泣く声や、「立派になった」なんて激励の言葉が聞こえたりなんかもした。塊が道に一つ、二つ、三つ、四つ、五つ、六つ。一個である私を除いてそれは空から見たら異様な光景だろう。
 松明が見えてくると、その塊は不恰好ながらも列を作り始める。塊に挟まれるのに耐えられなくて最後尾に付くと、列はそこで止まった。
 これは何の列なのか、それすらわからないまま、目立たないように、足元に転がる枯葉のように静かに立っていた。
 頭に浮かんでくるのははるのこと。はるは今何をしているのだろうか、学校に行っているのだろうか、それとも寝ているのだろうか。時間の感じ取れないここで、そんな事を考える。
 しばらく待つかと思っていたけれど、列は意外にも早く進んで行った。大きな扉は開くたびに塊を取り込み、音も無く閉じる。扉は開いても中の様子は聴く事も観る事味も出来ず、不安ばかりが募る。
 自分だけが取り残されると、そんな不安も最高潮に達した。
「はる……はる……」
 はるの名を勝手に口走り、落ち着こうとするこのゴミ細工。そんな私を尻目に扉は再び音も無く開いた。
 扉をくぐると、そこには机と、その奥に数人の老人。そしてそれを囲むようにして見守る先程の塊がいた。
「君が最後か。はやく席に付きなさい」
 私にそう促すと、机を指差した。
「ふむ、本日最後だ。ここまで地獄行きの人は辛うじていない。それでは始めようか?」
「裁判……?」
 どうやらそうらしい。本日最後の裁判、つまらなそうにしているこの老人もはやく仕事を終わらせたいのだろう。
「君には弁護人はいないのかね?」
「弁護人?」
「普通は先祖がするんだがね。まあいいさ、そういう事もある」
 周りから動揺の声が上がる。老人はそれを横目でみると、大きく咳払いをした。
「君は自殺だね。人生はあえて話さないが……ふむ、苦労をしたようだ」
 乾いた髪を老人は掻くと、「しかし」そう続けた。
「君は人を信じなかった、一人としてね。全てを疑った。そして最後は裏切りか」
「え?」
 耳を疑った。最後、つまりは自殺した理由、それは全てはるのためだ。裏切りなんてしてないしたくない。
「なぜ彼を裏切って自ら命を絶ったのかね。彼は今悲しんでいる。彼は君を愛し、救おうとした。けれども君はそれを拒否した」
「ち、違う……」
 周りのざわめきが少し大きくなる。
「違う、ならどういう事かね?」
「…………あ、えっ……う……」
 怖い。恐い。あの老人は何を言っているのか。声が出ない。頭に靄がかかって言葉が思い浮かばない。代わりに体がはるを求めている。助けて欲しい、はるなら助けてくれる。はるの腕の中で眠りたい。はるなら。はるなら……
「肯定で良いかな?」
 木槌を軽く叩き、背を正して、咳払いをすると、口を開いた。
「裏切りは重罪。君を牢獄にて終身刑に処す。一生全てを裏切りに費やした人間は初めてみた。もしかしたら人ととは何かが違うのではないかと私は思うね」
 裁判は始まって間も無く終わった。本当に一瞬、未だに何が起きたのか分からない。
「ちがう……うらぎってない……はるのために……はるのためにぜんぶやったのに……うそだ……はるはしあわせで……ちがう……」
 誰かに腕を掴まれた気がした。
「い、いやっ。はる……はるぅ……」
 振り払うとしゃがみこみ、必死に考える。
「はるがしあわせじゃない……はるはしあわせになれて……はる……はる?」
 はるはいましあわせなのだろうか。ほんとうにかなしんでいるのだろうか。はるをまたくるしめたのはわたし。はるは……




「あははっ……くすぐったいよ、はる……」
 少女の手首には鉄の杭が突き刺さっており、その杭は鎖に繋がれて背中の冷たい岩盤に埋め込まれている。
 足首にも杭は突き刺さっており、こちらも太い鎖が岩に伸びていた。手に力は入っておらず、杭から先をダラリと垂らしてその背を堅く、湿り、冷たく、尖った岩盤に預けている。
 目の前には拳ほどの太さの鉄格子がなされている筈なのだが、灯りの無いこの洞窟でそれを視認する事は出来なかった。
「うん……好きだよ……はるは……はるは好き?」
 少女は暗闇の中で何かを見つめ、言葉を紡ぎ続けた。
「……うん……そうだよね…………ごめんね……気持ち悪い事聞いて……すぐに喉を潰すよ……ごめんなさい……」
 けれどもそれは出来なかった。
 力を入れても杭で貫かれた手は微動だにし無い。少女は自分の手でありながら、まるで他人の物のように感じた。
「…………え、許してくれるの?」
 少女は動かない手を止める。
「ありがとう、はる……うん……うん。はるは優しいな……うん…………え、もう帰るの?」
 声とは裏腹に表情をはじめ、体全体に感情が無い。もう少女にそれらは必要無いと心の奥で気付いていたからかもしれない。
「ううん……さようなら、はる……また明日」
 少女の目には少年が映っていて、少女の体は動いているのだ。だから夕焼けの空を背に手を振る。少年は確かに微笑み返してくれて、少女はそんな少年の後ろ姿が見えなくなるまで手を振り続ける。いなくなると少女は少女の中の一日を思い返しながら自室へ向かい、自分のベッドに倒れこむ。
「はる……はる……私ははるに作ってもらったのに、はるのために何もしてあげられなくてごめんね。私がはるにしてあげられる事は何かな、はるを見守る事? そうだよね、はるが幸せになるのを見守るのが私の恩返しだよね。はる……好きなんて言ってごめんね……苦しかったよね、悲しかったよね、辛かったよね……」
 少年の名を唄うように重ねる。
 少女は幸せだった。それだけで痺れる様な快楽が頭を支配し、絶頂を目指してさらに名前を奏でる。
 自分という人格を作ってくれた少年の名前、幸せの意味を教えてくれた少年の名前、自分が女である事を気付かせてくれた少年の名前、自分が何を言っているのか分からなくなった時にはもう少女の舌は快楽で動かなくなっていた。
 もう少女に現実は存在しない。今まで妄想だった物が現在の現実。少女は自分の体を捨てて妄想の中に生きる事にしたのである。




 僕は生きているのだろうか。
 だとしたらどうして生きているのだろうか。
 何故僕が生きているのだろうか。
 右手を開いて閉じて、指は僕の言う通りに動いて見せる。それが普通、これが僕の体。もう今となっては煩わしいだけの血肉で出来た鎖。この鎖で縛られた体では七海に手を伸ばすことも叶わない。本当に煩わしいだけの肉体。
 ふと、窓に目をやる。七海の涙の様だった梅雨は終わり、代わりに目に刺さって痛いくらいの日差しが僕を責め立てるだけ。そうか、あれからもう一年経ったのだ。
 右腕を枕に静かな寝息を立てている優花の体温が梅雨明けの朝には少し暑く感じて、あんなに軽く感じた優花も今は重く感じる。果たしてこれは優花が成長して重くなったのか、それとも優花に対する嫌悪が僕にそう思わせているのか。それは些細なことだった。
 そろそろ起き上がりたいがその為には優花を退かすか起こすかしなければならない。だが、それすらも面倒くさい。
「……お兄ちゃん」
 鼓膜から変換され伝わった電気信号が脳にその音が届いた瞬間、僕は思わず歯を噛み締めていた。何故これはこんなにも幸せそうなのだろうか、これも一度は壊れたであろう。なのに、なぜこれは直った? ならば七海も治らなければオカシイでは無いか。これと七海の差は何だ、どうしてこれは幸せで、七海は不幸せなのだ。納得がいかない。
「起きて、優花」
 そっと優花を揺する。こんなモノでも丁寧に触れてしまう僕が許せなかった。今ならば僕はこれを壊せる。けれどもそれは出来ない、出来ないのだ。何故だか僕にはわからない。ただ、どうしても壊せない、僕の体はそれを拒否する。そうだ、煩わしい体だ。
「お兄ちゃん、おはよう」
「…………おはよう」
 優花が僕の首に腕を回し、当たり前の様にキスをする。柔らかい唇の感触が今の僕をイラつかせた。
「……お兄ちゃん」
 押し倒そうと体重をかけてくる優花を制すると、引き剥がしてベットを出た。
「セックスは今度だよ。準備をしないと遅れちゃう」
 残念そうな、名残惜しそうな顔をした優花が自身の唇を指でなぞる。そうだ、その表情だ。
 顔を洗いたい、出来るのならば体も。寝ている間に優花が僕に何をしたか分かったものでは無いからだ。
「先に下へ行ってるよ」
 シャツに袖を通し、鞄に手をかけると部屋を後にする。優花はどうせ僕を見つめていたのだろうが、僕はそんな優花に視線をくれてやる事はしなかった。
 自分でパンを焼く。一体これを僕は何時から続けているのだろうか。
「止めて、お兄ちゃん。何度も言ってるよね? お兄ちゃんが焼いたらだめなの!」
 後ろから聞こえる声に僕はゆっくりと振り返って応える。優花が学生服に着替えてそこに立っていた。すっかり馴染んだ優花の制服姿。美しいとは思うが、今の僕は微塵も心を動かされなかった。
「どうして? 自分でやれることは自分でやった方がいいだろう。優花もその方が楽だと思うけど」
「嫌、お兄ちゃんの料理は全部あたしが作るの。お兄ちゃんは何もしないで」
 楽、ね。本当は優花にやって欲しく無いだけ。
「そっか。でももう焼いちゃったしさ」
 優花が何も言わずにこちらへ歩いて来る。僕はそれに気圧されるように後ろへ下がっていた。そしてトースターの前で優花が立ち止まると焼けたパンを掴み、生ごみ箱の蓋を開けてその中に叩きつける。
「何をするんだ優花。勿体無いじゃないか」
「……いらない。こんなのいらない」
 僕の顔を覗き込むと、笑って言った。
「今つくるから待っててね、お兄ちゃん」
 優花はもう一度パンをトースターにセットすると、僕の背中を押して台所から追いやる。僕はされるがままにリビングの椅子に座ると、優花が後ろから抱きついてきた。
「お兄ちゃんはあたしを愛してくれればいいんだよ。あたしの作った物以外を食べちゃ嫌、お兄ちゃんが作ったらその食事はあたしの料理がお兄ちゃんのお腹の中に無い事になるよね、それが許せないの」
 そう言って“帰ってからのご褒美”を強請ると、台所にもどって行った。


 授業など頭に入らなかった。寧ろ耳障りなものに感じられた。
 全員が何事も無かったかのようにノートへ向かっている。それが許せなかったが、僕がその場で何を訴えようとも、その場においては僕が間違っている事はわかっていた。だからこうして居られなくなった僕は屋上で缶ジュースを片手に空をながめている。
 雲が羨ましい。僕もあそこまで行けば七海に逢えるのだろうか。けれども僕では届かない。手を伸ばせば掴めそうなほど透き通っている空は近く感じてもそれは僕の錯覚で、僕みたいな能無しではどう足掻いても触れることすら叶わない。
 缶ジュースを傾け、喉を潤す。屋上は風が吹き込む反面、日差しが直接降り注いで暑い。口に広がる炭酸飲料がその暑さをはじき飛ばしてくれる。なんて呑気なものだろうか。けれども、そんな呑気なこの時間が、とても心地良かった。
 この後は“帰ってからのご褒美”を優花にあげなくてはならない。ご褒美なんて響きは良いが、結局は優花を抱かなくてはならない、ということだ。どうかしている。家に帰ればシャワーを浴びて、優花を抱いて、優花と夕食を食べて、優花を抱いて、優花と寝て……本当にどうかしている。体は酷使されされ続けて休まりなんてする筈が無く、けれどもそれを優花は幸せだと、そう僕の上で喘ぎ続けるのだ。
 性欲として、体は満たされる。だが、心は満たされない。僕が男であるという事がこんなところで仇となるなんて、笑いたくても笑え無い。
 鐘が時間通りに響き渡る。鐘は与えられた仕事を忠実にこなしただけだが、僕にしてみれば今日はその仕事をサボってくれた方が嬉しかった。これは逃げだろう。


「少し、疲れたよ」
 僕の上で喘ぐ優花を制すると、立ち上がろうとした。
「……や、まって」
 荒い息の優花が僕の体にだらりとしがみつく。僕はそんな優花を振り解くと、愛液に濡れた自分のモノを部屋に常備していたウェットティッシュで拭い、椅子に腰掛ける。
「わかったよ、おにいちゃん。いまきれいにしてあげる」
 這いずり近づいてくる優花を横目で捉えると、僕は足を組み伸ばされる腕を手の甲で払いのける。優花は何が起きたのか理解出来ていない様子で、払われた腕を再び伸ばす。
「もう綺麗にした。優花も疲れたよね、休もう」
「まだすこし汚れてるよ。だからあたしが……」
 僕の太腿に触れ、滑らせる様に僕のモノへ伸びていく優花の指。それが到着する前にその指を抑えつけ、優花に向き直った。
「もう僕はセックスをしたく無い、もう疲れたんだよ」
「……なんで。まだひとつになりたりないよ?」
「僕は、もう優花とやりたくないんだ」
 その言語を聴いた瞬間、優花の顔が青ざめていくのがわかった。戸惑っていた胸のうち、告白。優花は腕をだらりと落として僕を見つめると、縋るように言った。
「ご、ごめんなさい。キモチよく無かったからそういうんだよね?」
 小さな声で謝罪の言葉が重ねられるたびに、優花への怒りが沸き起こってくるのが全身で感じ取れる。握りこぶしを作っていたのに気がついたのはその直後で、それを優花に叩きつける事のない様に、もう片方の手で覆い隠していた。
「なんで」
「え、おにいちゃん?」
「……なんでそうなるんだよ。僕は“優花とセックスがしたく無い”そう言っているんだ。遠まわしに“優花が好きじゃない”って言っている事に何で気がつかないんだ。僕はセックスを娯楽として捉えていない。だから好きでもない優花と体を重ねることは苦痛でしか無いんだよ。なんで……何でそれを理解しようとしない!?」
 大声で捲し立て、優花を押しのける。「優花が傷つくと僕の胸が苦しくなる」? そんなものお構いなしだ。そんな痛み、七海が味わった痛みに比べれば傷などではない。もうどうにでもなれ、寧ろどうにかなって欲しかった。それで優花とのこの苦痛が開放されるのであれば、僕など既にどうなっても良かった。
「……うそだよね? お兄ちゃんとあたしは互いに想い合っていて、お兄ちゃんは絶対にあたしを嫌いになったりしない」
「そんなの優花の妄想だ! 僕は、僕は七海を愛していた。七海だって、僕を愛してくれていた。なのになんで七海は死ななくちゃならなかったんだよ、やっと触れ合えたのに、なんで!!」
「あの女はああなって当然だったんだよ、何を言っているのお兄ちゃん? やっとお兄ちゃんを助けてあげたのに、どうして、可笑しいよ」
「……なにが“当然”だよ……返せよ……七海を返せよ! どうしてお前が生きていて、七海が死んでんだよ。返せ、返してくれよ……っ!?」
 七海の笑顔が脳裏に浮かぶたびに頭の中が掻き回される。どうして僕は守れなかったのだろうか、どうして優花が幸せそうに生きているのか。何度も繰り返した自問自答、答えなんて誰も教えてくれはしない。いや、答えが出たところでもうすべてが遅いのだ。
「変だよ……お兄ちゃんが可笑しくなっちゃった……」
「可笑しい? 可笑しいのはお前だろうが、僕は可笑しくなんか無い! 狂ってなんか、無い!!」
 優花が後ずさり、何を思ったのか跳ねるように立ち上がり、部屋を出て行った。そうだ、それでいいんだ。これがいいんだ。
「……うっ……ぐ……ううう。うああ、七海……七海ぃ!! うあああああっ」
 止まらなかった。今さらになって出てきて、本当に迷惑な涙だ。こんなに涙を流したら、もう感情を抑えることなんて出来無いじゃないか。七海が死んだことを認める事になってしまうではないか。僕は何も出来ない能無しだったと自らを戒められなくなるはないか。
 異様な脱落感で崩れてうずくまっている自分の体はもう動くことを諦めていた。無力な赤子の様に、赤子にも嘲笑わられるであろう自分は流れる涙を拭うこともせず、唯ひたすらに、叶わぬ願いを訴え続けるしか無かった。
「……お兄ちゃん」
 そんな僕に不快な声が呼びかける。けれども、それすらも涙のせいでそれが本当に不快なのかも分からなくなっていた。
「お兄ちゃんを今度こそ助けてあげる」
 声は扉の方から聞こえ、その後、そちらから足音が少しづつ大きくなって聞こえてくる。そして、僕の頭上でその音は止んだ。
「だから、少しじっとしててね」
 じっとしているも何も、もう体は動かないのだ。それに、動けたとしても動く気は起こらなかっただろう。

「……ごほっ……」

「あははっ、すぐに終わるからね。お兄ちゃん!」
 痛い。
 どうして痛いのだろうか。
 口いっぱいに鉄の味が広がる。不味い。痛い。
「……あ?」
 そう声を発したと同時に床へ垂れる赤い液体。
 血。それの正体が血液である事を理解するのに、思考はいらないかった。それがポツリポツリと一滴づつ垂れて広がっていく。痛い。
「まだ、ダメ? ならもう一回……でもお兄ちゃんすごい痛いんだよね」
 肘の力が抜けて頬から床に倒れこむ。その衝撃で口の中の血液を吹き出してしまった。
「でもお兄ちゃんを助ける為だもの。もう一回ぐらい許してくれるよね」
 視界の端に包丁を両手で握り締め、高々と掲げる優花が写っていた。そうか、僕は刺されたのか。そしてもうじき僕は死ぬのだ。優花は、僕を助けてくれるのか。
 七海の元へ行ける。七海に逢いに行ける。それがとても嬉しかった。全身が死を受け入れていく、優花が包丁を突き刺してくれるのを待って、痛みを感じ無いように、僕は瞳を閉じて、そっと体から意識を離した。


 川が見える。そうか、これが三途の川なのだろう。澄んだ綺麗な川だけれども、悲しそうにも見えるのは死後の川だからなのか、それとも自分が悲しいからなのだろうか。いや、後者は無いと思う、何しろこの先に進めば七海に会えるのだから。
 生前に未練は無い、と思う。何故ならばもう川を渡るために足が動いているから。僕の心はすっかり舞い上がっていた。七海に会える、それが僕の背中を、足を動かす燃料になっていた。
 川を渡り切るのにそう時間はかからなかった。対岸は一本道が見えるだけで何も無い。辺りを見回すと、多くの人がその先を目指して歩いている。皆、誰かに寄り添われているようで、その様子から察するに、それらはその親族で有ることは自然と理解できた。
 自分の親族は誰かいるだろうか、曽祖父辺りが来るかも知れないが、近親相姦を行っていた子供の下になんてそうそう顔出しも出来ないかもしれない。どちらにせよ、そんな事はどうでも良い。七海に会うこと、それだけで頭の中は一杯だった。
 足早に道を進む。五分もしないうちにその道は終わり、大きな扉が目の前に現れた。頑丈そうな、けれども古びた扉である。早足で人を抜かしてきた為、自分以外はここに誰もいない。待つことも考えたが、それをすぐに取りやめて僕は扉を両手で押し開けた。
 扉はその大きさとは裏腹に軽い力で開く。その先には横倒しの木を削った様な机が二つ並んでおり、そこに頬杖を突きながら書類に目を通す老人が数人、僕に気が付いたのだろう、そのギョロッとした目を動かして僕を捉えた。
「気が早い奴だな」
 その中の誰かが口を開く。その声を皮切りに、全員が何かしらの行動を起こした後「そこに立て」と僕に指示した。
「急いでいるようだね。それにしてもまた弁護人無しか、最近は流行っているのかな?」
 その言葉に数人の老人が咳き込むように笑う。何が面白いのかは分からないが、彼ら内で通用する内輪ネタとでもいったところだろう。
「ええ。ここは何ですか?」
 無礼なのはもちろん分かっている。けれども、僕はそれを正す気など微塵も起きなかった。
「地獄に堕ちるか、天国へ昇るか、それを裁くところだよ」
 書類を数枚捲る。そして、咳払いをして続けた。
「鈴井春斗。妹によって殺害される、ね。君は天国に行きたいのかな?」
「行けるのならばそうしたいですね。けれどもその前に、ここに夢七海という少女は来ませんでしたか?」
 その言語に引っかかるものがあったのか、書類から目を離し、唇をひん曲げて笑った。
「勿論。彼女は少し変わっていたからね、覚えているよ」
「なら良かった。彼女はどこに行きましたか?」
「死なせてしまった彼女に会いたいのかい?」
「ええ。その為に、来ました」
 「そうかね」と書類を机に落とすと、指同士を交差させて紙の上に置いた。
「彼女は今、地獄にいるよ。労働や拷問といった荒事はしていないが、牢には入ってもらっている。彼女は精神が壊れてしまっているようでね、こちらから語りかけても何も反応しない。それでも、君は彼女に会うかね?」
 七海は今地獄にいる。七海の所在、それが分かって胸に仕えているモノが少し楽になった気もするが、同時に、七海がここでも苦しみ続けている事に怒りに似た虚無感を覚えた。
「……会いたいです」
「よろしい。ならばまずは先にそちらへ行くといい。途中まで案内を出そう」
 老人のひとりが指を鳴らす。その乾いた音が強く、大きく響き渡ると、奥から筋肉質な男であろうか、が静かに歩いてきた。
 近くまで男が寄ってくると、その威圧感に思わず気が引けた。清潔感のある格好をしてはいるが、重量感のあるその姿は警戒心を張り詰めるのには十分過ぎたのだ。
「なに、君は罪人じゃないからね。手荒なマネはさせんよ。その少年を罪人の下まで連れて行ってやりなさい」
 老人に軽く会釈をすると、「付いてきて下さい」と歩き出す。僕は男に付いていく他なかった。
 会話の無いまま十分ほど歩くと、洞窟であろうか、岩をくりぬいた様な入り口が見えてくる。その手前で男は立ち止まり、「この先の地下、その奥です」と無愛想に七海の居場所を告げる。そして、はたまた軽く会釈をすると、音もなく去っていってしまった。
「ありがとうございました」
 僕は男に背を向け、暗い洞窟へ入る。
 暗い、暗い洞窟は等間隔で壁にかけられたランタンのみで光が入らないために寒く、水滴が天井から滴り落ちる音だけが洞窟の空気を揺らしていた。ある程度歩くと、階段が二つ、行き止まりの道に削られていた。
 登る階段と下る階段。僕は男が言っていた通り地下へと向かった。意外なことに階段は整備されていて、恐らくは滑って踏み外さない様に最低限の舗装をしたのだと、僕は結論に至った。
 階段を長いこと降り続け、終えると、そこは一本道となっていた。相変わらずの等間隔でかけられているランタンが不気味さを演出していたが、その先に七海がいるのだと思うと、今にも駆け出しそうだった。
「七海、今いくよ」
 歩き出す。一歩、一歩。今か今かとそれに釣られて鼓動の音が大きくなって行くのがわかった。
 そして、それが最大に達したとき、僕は別の意味で鼓動を止めるのであった。


 思わず声を失った。目の前の少女に会えたからだけではない、その有様にだ。
「はる……はる……」
 七海は項垂れ、僕の名前を弱く、呻くよう繰り返していた。目は虚ろで手足首に刺さった杭は付着した七海の血が固まって痛々しい。
 僕は鉄格子を掴み、七海に呼びかけた。
「七海!」
 七海の反応は無い。
 ただ僕の名前を繰り返すだけ。
「……七海」
 腰の力が抜け、その場にへたり込む。七海にやっとの思いで会いに来れたのに、その七海は廃人となってしまった。
 僕は七海の声が聞こえているのに、七海は僕の声が聞こえていない。直線距離で言えば三メートル、そんな目の前にいるのに触れられない、それが何より悲しかった。
「はるは……幸せ?」
「え……?」
 七海は微動だにせず、そう呟いた。
「私がいるからはるは幸せになれないんだよね……わかってるよ」
「違う。七海がいないから、僕は幸せになれなかったんだ!」
「……苦しかったら言ってね……はるを幸せにしてあげる。はるの不幸をぜーんぶ持って行ってあげる」
「……不幸じゃなくて幸せを持って行ったのは、七海じゃないか」
 もう聴いていられなかった。悔しかった、この少女を不幸にしていたのは自分だったのに、それに気付くことも無く、七海を傷つけ続けていたのだ。僕は鉄格子を握り締める。
「はる、ありがとう。私に気付いてくれた、それだけで幸せだよ。でももし許してくれるなら、贅沢なお願いしてもいいかな。ずっと、ずっと……はるを見ていてもいい? 遠くでいいんだ、はるが幸せになるまで、ずっと……ずっと……ずっと……」
「僕も……七海を見ているよ……」
 七海を幸せにしてあげたいのに、僕にはそれが出来ない。いや、僕にしか出来ない筈なのに、僕には出来ない。同じ気持ちは間違った方向に進んでいて、二つが重なることは無かったわけだ。
「わかったよ。七海の願い」
 正確には違う。重ならなかったのでは無く、重ねてはいけなかったのだ。僕らは互いを求めあって、傷ついた。僕が七海に触れる事で、触れたところから七海が壊れて行く。惹き付けて止まない妖艶さを持ちながらも、薄いガラスの様に脆い、それが七海なのだ。本当に幸せを願っているのであれば、自分がしてあげるべき事は一つであろう。


「彼女には会えたかい?」
「ええ」
 老人は皺くちゃの唇を開けて笑った。けれども、その目はだれが見ても笑ってはおらず、僕の考えている事は分かっていると見透かされているようで、説明する手間が省ける反面、いい気はしなかった。
「僕がどうしてここに来たのか、分かりますよね」
「ああ、勿論だとも。大方『彼女を開放してくれ』そんなところだろうね」
「はい。彼女を――七海を返してください」
 老人は重い腰を上げ、鼻から一息吐いて見せ、口を開いた。
「素直にそうですか、というワケにはいかないね」
 やはりそう来たか。要はこう言いたいのだろう。七海の罪を消してみせろ、と。
「そもそも七海に罪は無かったのに、ですか?」
「……裏切りは重罪なのに?」
「ええ。僕は七海に裏切られたと思っていない、被害者となってしまっている僕が被害を受けていないと言い張るのならば、それは第三者の判断によるものである。これは裏切りと言えますか?」
「第三者の判断で良いのではないか?」
「判決は、ね。僕が言いたいのは『七海の行為に非が存在しなかった』それです」
 老人は唇に手のひらを当てて「なるほどね」と唸った。そして、肩の力を静かに抜くと、呆れたように。
「君は何か勘違いをしているようだね」
「え?」
 勘違いとはどういう事だろうか。僕は耳を疑った。
「彼女を開放する事は可能だ。けれども、それにはそれ相応のモノがあるだろう、そう言ったつもりなのだが」
 それ相応のモノ。つまり七海の罪に匹敵する何かしらの変わりが無ければいけないらしい。けれどもそれは、一体何を差し出せば良いのだろうか。
「何なら七海を開放出来ますか?」
「そうだな、彼女は拘束されているから……代わりに君が拘束されるとか。拘束、拘束、労働の刑も良さそうだ。彼女の刑期の半分、君が労働するとか、そんなところかな」
「僕が労働……」
 半分ならば拘束に比べて七海に再会できる時間も早まる。七海を開放する為だ、迷う理由は無かった。
「嫌かな?」
「それがいいです。ですが約束してください、七海を必ず開放してくれると」
 今度は目も笑っていた。見透かされていると感じていた分、表情で考えが読めると若干気が楽になる。
「勿論だとも。彼女を開放した事を一緒に確認してもらった後、君に労働させる。それでいいだろう? さあ、そうと決まったら行こうではないか」
 老人はゆっくりと背筋を伸ばして欠伸をすると、その皮ばった姿からは想像もつかなかった程足取り軽く僕の来た道を進みだした。


 洞窟の奥深く、光も届いていない道を、壁に打ち付けられているランタンの炎だけを頼りに進んでいく。そして足を止めると
「さあ、着いたよ」
 老人が指差す先には七海が相変わらず項垂れたままそこにいた。
「開放するまえにひとつ、君の仕事を確認しておきたい」
 どんな仕事を押し付けられるのだろうか、想像もつかない、けれども、どんな仕事でもこなして見せる覚悟はとうに出来ていた。
「君には魂を裁く仕事をしてもらいたい」
「それって……」
「私と同じ仕事だ。誤審だと君は言ったね、ああ言われたのは初めてだった。興味が湧いたのだ、そう指摘してきた人物がどのような裁きを下すのか、ね」
 老人は愉快そうに笑い、鉄格子を指で叩いた。
「なに、君はこの子にいつでも会えるような内容だ」
 僕は覚束無い足取りで七海に歩み寄った。手首の杭も消え、手首が落ちる。僕はそれに吸い込まれるように七海を抱きとめた。
「七海、七海!」
「……はる」
 七海がゆっくりと目を開く、そして、目を見開いた。
「…………なんで、はるがここにいるの? はるが私に触れてる、そんな筈無い。ここは何処、これは、夢?」
「七海」
 分かっていた、こうなる事は。
「違う、はるは私に触れたりしない。私を見たりなんかしない。違う、違う……」
 七海が崩れる。僕は七海が怪我をしないようにそっと離れると、七海の温もりを体に覚えこませるように目を閉じた。
「………………」
 僕と七海の動きが止まる。そして、七海が動きだしたのを感じてから僕も目を開いた。
「……春斗君?」
 七海がキョトンとした顔で僕の名前を呼んだ。
「なんだい、七海?」
「ここは何処なの?」
「僕達は死んだんだよ」
 そうだ、七海は忘れるのだ。僕に触れる事は七海にとっての非現実。だから忘れる、何もかも。
「そうなの?」
「うん」
 七海は手首に指で触れて首をかしげていた。勿論、空いていたであろう穴は塞がり痣となて残っているのみではあるが。
「さあ、帰ろうか。七海」
「う、うん!」
 さっきまでいた老人は何時の間にかその姿を消しており、僕は礼をしていなかった事に気がついた。
「有難うございました」
 聞こえているかは分からないが一応言っておく。何処かで聞いている、そんな気もしたからだ。
「春斗君、何で私たちは死んだのかな」
「さあ、どうだったかな」


 扉をノックすると、間も無く扉は開かれた。
 頬をほんのり染めながら七海は扉の隙間から顔を見せた。
「近くを通ったから来たよ」
「春斗君いらっしゃい」
 嬉しそうに扉を開けて中に招き入れられると、コートを脱いで手渡されたハンガーに掛ける。
「何か飲む?」
「そうだね、紅茶を」
 七海がスリッパを忙しく鳴らしてキッチンへ向かう。金色の髪が流れる様に揺れ、そんな七海を目で追っていくと、カップに紅茶を手早く注いで戻ってきた。
「今日は春斗君が来ると思ってお湯を沸かしておいたんだ」
「何で分かったの?」
「わからない」
 きっと七海の事だ、僕が来る事を期待していつも沸かしてあるのだろう。
「そっか。元気にしてた?」
「うん。春斗君も病気してない?」
「勿論。病気したら七海のところに遊びに行けないからね」
「からかわないでよ」
 そう言いつつも満更でも無い様子で、俯いてしまった。当然本意であり、寧ろ毎日来たいが、それは言わない。
 僕が触れると七海は壊れてしまう。七海は繊細で彼女が受け容れられる幸せは、こうして僕と会って、目を見て、話をして、時間を過ごすところまで。だから僕も七海も気持ちを心に仕舞う、それが正しい距離。
 幸か不幸か七海の記憶は乱れ、僕と結ばれる前の七海に戻ってしまった。当初は七海から距離を取るつもりでいたものの、それをせずに済んだわけだ。
「……さて、七海の顔も見れたし、そろそろ行こうかな」
「うん、また来てね」
「近いうちにね」
 七海が笑う。僕も笑えているだろう。
 薄めのコートを羽織って木製のドアを開ける。目の前には慣れたと思っていた煉瓦造りの街並みが飛び込んで来て、秋空に良く映えていた。
「それじゃあ」
「うん」
 七海に背を向けて歩き出す。今日は風が強いようで、思わず身を縮めてしまう。
 枯葉が舞い、草木が騒めく。そんな小枝に目を奪われていると。
「……またね、はる」
 今日は風が強い。風の便りなんて言葉を思い出したが、その意味がなんと無く分かった気がした。
 視界のはしから小さな少年と少女が楽しそうに駆けてきた。そんな子供達を微笑ましく思うと、空を仰いで、深呼吸。
 そして僕は石畳を叩いた。


 The End.