82 名前:忍と幸人 第三話[] 投稿日:2011/04/11(月) 21:23:36 ID:vZqUPmGs [2/11]

 誰かが捨てていったらしい――そこら辺に転がっていた週刊誌を流し読みしていると、二階の一室が乱暴に開かれた。中から出てきたのは、あの女と幸人の二人だ。大方の予想通り、女は濃い化粧をバッチリと決めている。幸人も口紅を塗る等の軽い化粧をさせられたみたいで、見る限りでは女の子そのものだった。これから仕事に向かうのだろう。
 気だるそうに女が階段を降りていく。幸人は一言も喋らずに後を追う。その顔は母の背中を眺めているが、目は力無さげに半分閉じている。どこか遠くを見る様な視線だ。
 「スイッチ」が切り替わっている。これからその体を弄ばれるから、感覚を司る神経をみんな切り離してしまったのだ。幸人はそれを体現する様に全身を脱力させている。今彼の目の前に私が現れても、思い切り抱き締めたとしても、彼は私を認識してはくれないだろう。ゼンマイ人形みたいに私を素通りしていくだけなのは目に見えている。
 国道沿いに二人が歩いていく。
 距離を保つ事を意識して尾行する。夕闇の訪れはまだ少し浅いが仕方ない。
 帰宅ラッシュの時間帯なのも気掛かりだ。私のすぐ傍を幾つもの車両が矢継ぎ早に通り過ぎていくが、すぐに走り去ってくれるのならともかく、信号に捕まって渋滞されてしまうと尾行もやり辛くなる。
 パトカーが視線の端を過ぎて行った。女も幸人も平然としている。
 コツコツと歩く。時折電柱に身を隠して様子を伺うが、二人はどうも黙りこくったままみたいだ。楽しく談笑するとは思えないが……一言も口を利かないで淡々と歩く様はどうにも不気味だ。
 足が痛むのだろう、幸人は偶に足を止める事もあるが、やはり母に咎められるのを恐れてか、すぐに遅れた分を早足で詰める。身売りに連れ出される娘そのままの絵面だ。昼間は路上で花を売り、夜は路地で春を売る「花売り娘」を髣髴とさせた。
 その背中を歯軋りしながら見つめる。エンジンの唸り、タイヤと路面の擦れる音に包まれている内に、脳が熱気を発している様に感じ始めてきた。
 視野を二人の背中にガッチリと固定する。些細な異変も見逃す事が無い様、監視を怠らずに続ける。僅かな見落としが、そのまま仕留め損なう原因になるのかもしれないのだから。

83 名前:忍と幸人 第三話[] 投稿日:2011/04/11(月) 21:25:28 ID:vZqUPmGs [3/11]
 国道沿いのレジャー施設、コンビニ、カーショップ……次々に通り過ぎる。それ程時間は経っていないが、一体どこに向かうつもりなのだろうか。
 ここら近辺に性風俗店は無いはずだから、「出勤」するなら車やバス、タクシーを用いるのがセオリーだろうが、仮にも公安委員会に届け出をしている正規の店に所属しているのなら、子供を連れたままの出勤なんて許されないだろう。必然的にどこかで客と待ち合わせる形になるはずだが……。
 もしかしたら、待ち合わせの場所で客の車に乗り込み、さらに別の場所に移動するのかもしれない。そうなるとそれ以上の追跡は断念しなければならない。せいぜいできるとしたら、その車のナンバーを書き留める事ぐらいだが、そのナンバーの解析を合法的に行うのなら国家権力に頼らなければならなくなる。
 警察には依頼したくない。となると、策が尽きてしまう。逢引する相手の顔を携帯で撮影しておくつもりではあるが、それもどこまで役立てられるかが疑問になってくる。あの女には私が満足する形で懲らしめてやりたい。その為にも、警察に動いてもらうのはまだ後に回したい。
 今後の段取りはこの尾行で分かった情報を元に組んでいく。なるべく長引く事が無い様に短期で終わらせる。

 「……む?」

 足を止めて、電柱に隠れる。二人が横断歩道前で立ち止まったのだ。その横断歩道は国道を横切り、渡った先の近くには森の中へと続く薄暗い道がある。そこが目的地なのか。
 信号が青になった。二人が歩道を渡り始めた。すぐに追いたいが、この信号が一旦赤になって、次に青になるまで待たなければならない。今の内に下手に渡ろうとすれば、二人に近づき過ぎてしまう。
 赤になった。また車が右へ左へと走りだす。交差する車の影の向こうに見える二人の背中がどんどん遠くなる。間も無く見失ってしまった。
 気持ちが逸るが、歩行者用信号はまだ青にならない。二人が暗闇に消えて時間が経っている。気持ちが少しずつ焦っていく。
 ようやく青になったのを見た私は、少しでも早く追いつこうと思い切り地面を蹴った。
 停車した車の前をすぐさま横切り、森の中へと駆け込む。確かこの先はハイキングコースになっていたと思ったが、その手前に公園がある。二人がいるとしたら公園周辺になるだろうか。

84 名前:忍と幸人 第三話[] 投稿日:2011/04/11(月) 21:27:29 ID:vZqUPmGs [4/11]
 公園に着いた。この森の中の公園はなかなか広大で、端から端まで何百メートルとある。その脇の木陰は「よろしくやる」には打ってつけだろう(男の同性愛者による待ち合わせがここで行われているとの事で結構有名らしい。彼らもそのまま仲良くやってしまっているのかもしれない)。
 木々がざわめき、風が吹いた。結構強くて生温い。その風に音が乗ってこないかと期待して耳を澄ましてみるが、何もそれらしい物音は聞こえてこない。
 「まだ」なのか、それとも音源が遠いのか……。
 周囲を睨み、辺りを探してみる。闇はますます濃くなっていく。夜目が利く者達を羨ましく思う。
 広い野原の中、薄暗闇の中、闇雲に足掻く。耳に入るのは風の音ばかりだ。ただ彷徨うばかりで時間を浪費するだけ。
粘り強く木と木の合間を縫って歩くが、人影らしいものは無い。
 見当違いだったのだろうかと思う様になってきた。或いは、どこかで私が付けていた事がバレて姿を眩まされたのか……。
 額を拭う。汗でびっしょりだ。今夜もきっと寝苦しい夜になるのだろう。吹く風は温くて不快感をより煽るばかりで少しも気持ち良くない。
 幸人はどこに行ってしまったのだろう……。
 薄い闇に囲まれて人恋しさが募ったのだろうか。少し心許無くなってきた。
 最初から警察に通報するという手段に踏み切ってしまえば随分楽だったのにと、ふと思う。が、そう思えてもなお、それをする気になれない自分に笑ってしまう。
 私はこんなに頑固だっただろうか。それとも、狂ってしまっただけか……。
 ……いや、元々私は狂っていたのだろう。きっと。
 私は狂っているのだ。小さな子供に抱いたのは庇護欲ではなく、彼の全てを独占しようとする黒い欲望なのだ。彼の綺麗な顔立ちとか弱さ、私に甘えてくるあの魔性の頬笑みに惑わされ、踊らされているのだ。あの子を汚す者達に抱いた憎しみは嫉妬だったのかもしれないとすら思える。
 二十を迎えた女が、年端のいかない少年に惹かれた――前にニュースで女性教諭が教え子と関係を持ったという事件を報じていたが、今の私はまさにそれだろう。もし私が幸人に抱いている感情が外部に知られたら、きっとニュースで嘲笑された女教師と同じ視線を向けられるに違いない。
 もう自分は引き返せない事を自覚する。いや、引き返すつもりにもならないのだ。

85 名前:忍と幸人 第三話[] 投稿日:2011/04/11(月) 21:30:16 ID:vZqUPmGs [5/11]
 体を起き上がらせる。全身が熱を持ち、汗腺から蒸気が放出されている。
 胸に燃える何かに身を委ねた気がした。それは何故か、とても気持ちが良い。炎に焼かれる苦しみが快楽になった様な……不思議な感覚だった。
 また強い風が森の中を通り抜けた。
舞う木の葉と塵の中、両目が見開く。今度の風は私に情けをくれたのか、ゴォッという音の中に微かな人の声が聞こえた。
 慌てて振り返ると、そこには数人……六、七人の男達がいた。
 まさかと思った。私は草木に紛れ、その後を追った。
 彼らが向かった先は公園のトイレの背中、そのまたしばらく進んだ所だった。大きな木が目印代わりにそびえ立っている。
 そこに、幸人とあの女がいた。
 男達はあの女と話をしているみたいだが、ここからではよく聞き取れない。交渉をしているのか?
 男達が何かを手渡した。金だろうか。女は何やら満足そうにその場から離れ、こちらに向かってくる。さっと身を隠すと、あの女はそのまま私の傍を素通りした。家に帰るつもりなのか……念の為、注意深く監視するが、何事も無く消えて行った。
 幸人と男達に視線を戻す。よく見えないのでじわじわと近寄っていく。物音を立てない様に細心の注意を払う。
 携帯を録画モードに設定する。まだ距離が離れており、男達も幸人に気を取られているのもあって、音には気が付かれなかった。風の音が誤魔化してくれたのもあるかもしれない。
 気を取り直して距離を詰める。男達は幸人を囲んであれこれと話し掛けているが、幸人の反応が薄いので、段々まだるっこしくなってきている様子だ。

 「いいや、このままやっちまおう」

 男達が幸人に手を掛けた。一人はシャツを捲り、一人はズボンをずらす。手が空いた男達は自分のジッパーを降ろして陰茎を露出させている。
 携帯のライトを光らせる。男達は一様にビクッと肩を跳ね上げた。

 「今、記録させてもらっている。お前達、自分が何をしているか、分かっているな?」

 携帯をポンポンと叩き、録画している事を強調する。男達は慌てて股関を隠すがもう遅い。

86 名前:忍と幸人 第三話[] 投稿日:2011/04/11(月) 21:33:01 ID:vZqUPmGs [6/11]
 「何だお前は!」

 一人が気丈に食い掛かってきた。

 「その子の……友達だ」

 活力の見出せない目をしたままの幸人を見つめ、そう返す。私が見えていないはずはないのだが、何一つと反応を見せてくれない。分かってはいたが少し悲しい。

 「その子が夜な夜な大人達の慰み者になっているという噂を聞いたので、尾行させてもらった。これをバラされたくなければ、私の言う事に従ってもらおうか」

 連中の目線が私の携帯に集中する。ある者はうろたえ、ある者は眉間に皺を寄せてこちらを睨んでいる。
 じわじわと、私の死角に回ろうとする奴がいるのを視界の端で捉える。威嚇程度にこちらも睨みつけてやると、その動きをピタッと止めた。こいつ、私の隙を突いて携帯を強奪しようとしていたのか?

 「さぁ、どうする? 私としては寧ろ穏便に済ませたいというのもあるのだが、それもお前達の返答次第だぞ」

 面子をざっと眺める。どこにでもいそうな面だ。特別に変態そうな顔をしているわけでもないし、犯罪者とは到底思えない、ごく平凡な顔だ。年齢層はおよそ二十代か三十代程で、中肉中背、本当に特徴らしい特徴が見られない容姿だ。
 私の脅かしにどう出るだろうか。まぁ、こちらは図体がでかいとは言え一人の女で、向こうは複数の男だという事を考えればオチは予想できるが。
 男達が目配せをしているのを見て、どうも予想通りの事の運びとなりそうだと思った。
 静かに草を踏みしめて、ゆっくりと私の目前に展開する。私を頂点とした、扇形の並びになった。その形を保ったまま、さらにこちらに近寄ってくる。その顔は血気盛んと言うよりも、引くに引けない切羽詰った感の溢れるものだった。
 それなりに喧嘩慣れしている奴もいるらしい。さっき、私に食い掛かってきた男だ。こいつは他の奴らよりも少しだけ肉が付いているみたいだ。

 「アンタの要求は呑めないね」

 そいつが言った。

 「今ここでその携帯を壊してしまえば証拠は残らないだろう?」

 確かにその通りだ。この携帯の録画データを消されれば、それでもう物的証拠はこちらには残らない。
 お前達にそれができるかは知らんが。

87 名前:忍と幸人 第三話[] 投稿日:2011/04/11(月) 21:35:25 ID:vZqUPmGs [7/11]
 一人の男が木の棒を手に殴り掛かってきた。私はそれを腕で受けとめ、空いている右の拳を思い切り顔面に打ち込んでやると、そいつはまるで風船人形みたいに宙を舞った。背中から受け身も取らずに落下し、じたばたと悶える。
 奴らはその光景に随分怯んだみたいだが、なかなか根性はあるらしく、正面から挑んできた。
 一人の胴に蹴りを入れる。その脇に備えている奴の繰り出してきた拳を止め、頭突きを見舞う。背後から首に巻き付いてきた腕には、そいつの脇腹に肘鉄を喰らわして振り払った。それぞれが紙切れみたいに散っていく。
 周囲を確認しようとしたその瞬間、頬に痛みが走ると同時に視界が揺れた。さっき私に怒鳴り散らした、あの男の一撃だった。
 まともに入ってしまった。やはりこの男は他の奴らよりかは強いみたいだ。
 視界がチカチカするが、持ち直す。

 「アンタ、随分と強いねぇ。それに、なかなかのべっぴんさんときた」

 ヘラヘラ笑っている。相当の自信家であるらしい。

 「俺はこいつらと違って喧嘩には慣れている。アンタは体はデカいが所詮は女――」

 勝手に一人語りを始めている。隙だらけだ。
 羽織っていた迷彩のジャケットを奴の眼前に投げつける。視界を失ったその一瞬を突き、力一杯、奴の股間を蹴り上げてやった。

 「んぉっ」

 断末魔が聞こえた。
 魂が抜かれた様に地面に伏すのを確認し、奴の頭に被さったジャケットを剥ぎ取る。そこには、泡を蟹の様に吹き、白目剥いて気絶している顔があった。
 馬鹿め、油断するからだ。
 埃を払い、ジャケットを羽織り直す。生き残った二人はやり合う気概も無くしたか、顔を青ざめて震えていた。その奥にいる幸人は相変わらず、興味も無さそうにこの場を傍観していた。

 「まだやるか?」

 指の骨を鳴らす。二人はブンブンと首を振った。
最終更新:2011年04月15日 11:47