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81 :上書き ◆kNPkZ2h.ro [sage] :2008/01/13(日) 21:43:21 ID:637IVz6l
「加奈を、本当に、好きか?」
 島村の質問を、そのまま口にしてみる。
そうでもしないとそのまま聞き流してしまいそうな程、それは当たり前なことだ。
頭の中でも、言葉でも、繰り返し繰り返し確認してきた――俺という人間の前提。
「お前にしては愚問だな」
「真面目に答えて下さい」
 準備していましたと言わんばかりに即答された。
完全に返答を読んでいなければ絶対に出来ないであろうスピードだった。
それだけ真剣なのだということは理解したが……改めて思う。

 愚問にも程がある。

 島村は何を言っているんだ?
自分で、俺が加奈を好きだということは分かっていると言っておきながら、何で再びその一言を要求しているんだ?
経験上島村がどこか呑み込み難い性格の持ち主だということは知っているが、同時に言っていることに意味があることも解していた。
だが今の島村は、俺の理解の範疇を完全に超えている。
何か目的あってのことだという確信はあるが、その周囲が煙っていて全く見えない。
兎にも角にも――俺に出来るのは、肯定することだけだ。
人様に誇れるほど大層なものは俺には何もないが、加奈への気持ちだけは負けない自信だけはある。
この唯一無二の感情は、誰にだって否定させはしない。
「加奈のことが、誰よりも好きだ――」
 力強く宣言した俺をよそに、瞬きする間もなく、島村は俺の頬を叩いてきた。
それも、かなり重い平手打ちだ。
掌でやられた筈なのに、破裂音と言うには程遠い、鈍い音が響いた。
頬が腫れを通り越して打撲のように青ざめてるんじゃないかと心配してしまうほどの痛みが走る。
手で頬を押さえるという恥を忍びながら、若干呆然としたままの状態で島村を見返す。
「ふざけんのも大概にしろよ」
 思わずそんな汚い言葉が漏れたのは、先程ニュアンス的に俺の加奈への想いを否認されたような気分になったというのもある。
しかし何よりも俺を怒りに駆り立てているのは、今俺を見下ろしている島村の目に、溢れんばかりの非難めいたものが込められているからだ。
言葉にはしないが、お前はどういった了見でそんな視線を浴びせてくるんだと言いたくなる。
お前の命令に近い要求を呑んでやったというのに、した途端の仕打ちがこれか。
さっきまでの穏やかな気持ちが払拭されてしまったよ、全く以ってな。
「ふざけて、そんな暴力振るう訳ありませんよ」
「どの口が言うんだ。人のことつい前まで奴隷扱いしておいて」
 脳裏に浮かぶ男として屈辱としか表現し様のない光景。
少しだけ笑ってしまったのは、その惨めな姿が自分であるという事実を受け入れたくないが為に、客観視したからだ。
ますます、虚しくなった。
「何で笑っているんですか」
「どうでもいいことだ。それより、こんなに豪快にぶっ叩いてくれたんだ。何か意図あってのことだよな?」
「意味のない行動だってありますでしょうに」
「そんなことはどうでもいいから、俺の質問に答えてくれ」
 島村から、悪びれた様子は欠片も見受けられない。
逆に清々しくなる程に当然を身に纏ったその立ち居振る舞いに、沸々湧いていた憤りも萎縮してしまった。
いつもそうだ、こいつは。
俺に対して、傲慢としか取れないような言動を、半強制的納得と共にぶつけてくる。
人並の頭があるなら、いつかそれが俺の逆鱗に触れる時が来るかもしれないという場合を想定出来る筈だ。
にも関わらず、島村はまるで――俺が怒っても、行動には出さないと確信しているかのように振舞っている。
そこまで、俺を信用――そう呼んでいいのかは定かではないが――出来るその要因は、一体何だというのだ?
 ……今更だが、考えるだけ無駄か。
とりあえず思い直して、間もなく島村が返してくるであろう解答に耳の全神経を集中する。
筋道すら見えなければ、永遠に正解には辿り着けないんだ。
「一つは……単なる、嫉妬です」
「は?」
「今のところは諦めるとは言いましたが、私が誠人くんを好きだという気持ちに変わりはありません。絶賛継続中なんですけど」
「あ……」
「もう少し、乙女心というものを分かって下さい。女の子は繊細なガラス玉なんですから」
「どの口が――」
 言うんだか、とは言えなかった。
ふざけて開けてた大口に、島村の親指を除いた右手の四指がすっぽり入れられたからだ。
「憎まれ口しか叩けない、いけない口は、こうして塞いでしまいますからね」


82 :上書き ◆kNPkZ2h.ro [sage] :2008/01/13(日) 21:43:48 ID:637IVz6l
 島村の指咥えるのって、これで二度目だな。
同じ女の子の指を強制的に二度も口に含まされるってのは、男としてどうなのかね。
自分の認識を遥か遠くへと追放しながら、追憶してみる。
一度目は、保健室で治療と称した拷問をされた時だったな。
あの時は、頭踏まれたりして、その影響で半ば自棄になって丹念に消毒液を舐め取ってやったんだったな。
……そういえば、俺が意味を読み取れない素振りもあの頃から始まっていたな。
確か、島村の質問にへの返答に皮肉を込めたら、どこか物悲しい顔をしていたんだっけか。
結局、その真意も分からず終いだったな。
ま、今頃訊いたところで、当の島村本人が覚えている可能性は薄いし、何より俺の勘違いって線も捨て切れない。
どちらにせよ、今となってはどうでもいいことだ。
「あ」
 いい加減、涎が溜まってきたので慌てて指を放す。
本来ならば顔を真っ赤にして早急に引き抜くべきところを、何を冷静に俺は数秒間も犬のように咥えていたんだ。
島村の言う通り、身体に受動的快楽を享受する経路みたいなものが確立してしまったのかもしれないな。
「ご主人様とペットごっこは、この辺りで打ち止めにしておこうぜ」
 そう言いながら、口内に残った唾を嚥下した。
若干塩辛く感じたが、その理由を追究した先にはきっと恥ずかしい現実が待っているであろうから、そこで思考を打ち切った。
出来ればこの話題はそろそろ転換したい俺をよそに、島村は俺の涎で滑っている自身の指を色々な角度から凝視している。
見てるこっちも恥ずかしくなる程、島村は平然とそれを眺めている。
そのまま続けること十数秒。
「そうですね」
 相変わらず自分の指を見るのに夢中になっている様子の島村は、若干心此処にあらずな不安定極まりない口調で呟いた。
それを聞いて、ひとまず安堵の一息を吐こうとしたのも束の間――。
いきなり、島村は自分の人差し指を舐めた。
その唐突さに一瞬度肝を抜かれつつ、何とか平生を装いながらその光景を見据える。
猶も島村はアイスバーでも舐めるかのように、中指、薬指と次々に咥えている。
そんな扇情的な場面を前にして、今俺の中で渦巻いているものはと言えば、情けないながらも「厭らしい」の一言……。
島村を本当の意味で“知る”までに俺が彼女に対して抱いていた清楚――と言うと大袈裟だが――なイメージとのギャップが大き過ぎるんだよな。
半分以上言い訳だけど。
「以前みたいに飾る必要なんてないんですよね」
 若干追及したい節があったが、否定されなかった時の反応に困るだろうから無視することにした。
「今は一応ただの友達同士なんですから。友達って、そういう関係なんですよね? 誠人くん」
「そうなんじゃないのか……ねぇ?」
 ――友達、か。
頭の中でその言葉を反芻してみるが、いまいち実感が掴めない。
別に気心の知れた友人がいなかった訳ではないが、彼ら(彼女ら)が果たして俺にどれだけの影響を与えていたのか?
俺を占める割合の中で、当然のことながら一番は加奈であり、後は言い方は悪いがその他のようなものだからな。
そんな風に一括り出来る程、友達って存在は矮小なものなのか?
それとも、そう思うことは、単に俺が求め過ぎているだけだとでも言うのか?
……馬鹿だな、俺は。
普通の奴は、俺みたいに無駄に深く考えたりなんかしないよ。
皆、小さい頃に心で理解する術を学んでいるんだ――加奈のことに夢中な俺を除いて。
「だとしたら、私は加奈さんより少しだけ得したかもしれません」
 俺の適当甚だしい回答に、表情はそのままながらも、島村は僅かながら声を和らげた。
罪悪感に心が軋む音が聞こえたような気がした。
「彼女って立場では決して見れない誠人くんの一面を、垣間見れたんですからね」
「それって――」
「そのこととも関係があるんですか、もう一つの理由を教えてあげます」
 続きは遮られた。
だが、そのことはもうどうでも良くなっていた。
島村の言葉から察するに、俺の言おうとした疑問も全てひっくるめた解答を用意しているに違いない。
さっきまでそれを半ば怒りに任せて要求していたんだ。
素直に受け取るのが礼儀だ。
「後、話している間はおとなしく聞くだけで、割り込まないで下さいよ。私語厳禁、これ命令ですからね」
「わかったよ」
 島村由紀――彼女に関する幾つもの疑点、それが分かるということへの期待からか、俺は子供のように嘗てない程ワクワクしていた。
「それじゃ、まずは一つ告白しておきます。宿題は早目に終わらせるタイプなんでね」
 精一杯の深呼吸を披露した後、始めた。

「私、処女じゃないんですよ」


83 :上書き ◆kNPkZ2h.ro [sage] :2008/01/13(日) 21:44:15 ID:637IVz6l
 俺は今、ドッと噴き出る冷汗を感じながらも、心底ホッとしている。
もし発言を禁じられていなければ、島村のあまりにも突発的且つ突飛な告白に対して、俺は何か答えなければなかったのだ。
異性の繊細極まりない問題に、果たして俺はどんな対応が出来ただろうか……?
仮に慰めたとして、それは“処女”の重要性を肯定することになり、そうでない彼女を傷付けてしまう。
かと言って平生を装ったとしても、単純に薄情だと思われてしまうかもしれない。
完全な袋小路――どんな反応も、彼女を追い詰めてしまうのではないか?
「処女喪失の時は、高一の夏。当時付き合っていた男とです」
 必死に思慮している俺を置いてきぼりにして、島村は平気な顔でどんどんプライベートなところへと進んで行く。
その吹っ切れた感のある表情と口ぶりだけが、今の俺にとっては救いの手であった。
「事後の第一印象は、男の性欲旺盛な様です。だって、私と彼が付き合い始めたの、その三日前だったんですよ?」
 “手”は払い除けられた。
とんだ勘違いをしていたことに、気付かされてしまった。
確かに、島村の淡白過ぎる物言いには、心残りは欠片も見受けられない。
代わりにそこに込められているのは、悲しみや怒りを超越した――純然たる、呆れ。
それは、本来の上下関係を無視した威圧感を備えており、又、俺に畏怖の念を与えるのに足るものであった。
「でも、私に彼を貶める権利はありません。彼の『愛している』が当時の私にとっては全てだったんですからね。馬鹿はお互い様ですよ」
 すっかり冷静にさせられた思考の中で、俺を気持ち悪くしていたのは一種の矛盾であった。
女王の風格すら漂う、男を小馬鹿にした島村と、俺に一途に想いをぶつけてきた彼女――その二つの像が、全く一致しないのだ。
結局その根源を辿っていけば、島村が俺をあれ程に好いていた理由は何かという疑問にぶち当たるので、何も進んではいないんだがな。
「その頃の私は、それはもう“いい娘”でしたよ」
 島村は、苦笑を間に置いた。
「朝は彼と一緒に登校する為に、まだ光がない時間に起きて、彼の弁当を持参して家まで迎えに行きました。
 学校でも彼に恥じない彼女になるよう世間体を気にして過ごすようになりました。
 彼と下校する為に部活も辞めました。夜は、彼が求める日はいつでも応じました」
 島村から語られる過去の彼女の姿を脳裏に思い浮かべてみる。
あくまで傍観者としての率直な感想を述べるなら――。
「ちなみに、それは全て彼が私に要求してきたことなんですよ」
 異常だ。
「まるでゲームみたいですよね。自分の操作通りに動いてくれる人間なんて。
 薄気味悪いことこの上ありませんが、彼にとってはそれが至福だったんです」
 彼女のそんな様子を見て注意を促さないどころか、逆に火に油を注ぐようなことをしでかすその男も。
「それが彼にとっての幸せと割り切って我慢していた、私にとっても」
 傍目から見れば最低極まりないそんな男を妄信的に好きになっていた、島村も。
「“恋は盲目”とは良く言ったものです。私は献身的に尽くしました」
 再び、苦笑を一つ。
「ですが、どんなゲームにもいつか必ず訪れてしまいます――“飽き”という段階がね。その後の展開は、大体予想つくでしょう」
 言われなくても、今まで散々考えるということに没頭してきた身の俺にとって、それ位のことは訳ないことだ。
今までしてきた努力の継続では、彼氏を自分の下に繋ぎ止めておけない。
そんな状況に陥った島村が――恋の奴隷になった彼女が導き出す答えは、“足りない”ということ。
彼氏の非を決して認めない島村は、彼氏が離れていくのは自分の愛が足りないだけと信じて疑わないだろう。
彼氏は彼氏で、島村への好意を失くしたことでようやく客観的な視点で彼女を見て、気付いたに違いない――彼女の異常性に。
余計に彼氏は離れ、島村は原因を誤解したまま自ら彼氏に恐怖を植え付けるという、負の連鎖が形成される。
……俺の想定し得る、最悪の結末だ。
「双方にとって非生産的な状況のまま、高二の春になりました。
 春――あの男のことですし、けじめをつけるいい機会だとでも思ったのでしょう」
 三度目の苦笑を、島村は漏らした。
今まで最も深く、そして陰気な感がした。
「とうとう、別れを言い渡されました」


84 :上書き ◆kNPkZ2h.ro [sage] :2008/01/13(日) 21:44:57 ID:637IVz6l
 打って変って、自らの体験談を語るその口調には、やはり清々しさが漂っていた。
その言い草の軽快さたるや、まるで話すことを楽しんでいるかのようにすら思えてしまう程だ。
「当然反発しましたよ。省みると羞恥心で身が溶けそうな位取り乱して、とにかく何としてでも気を変えてもらおうとしましたね」
 懐かしむように島村は遠くを見回しているが、俺の心にはそんな余裕は露ほどもない。
感覚的にはほんの前に俺は、正に島村が口にした自身の像と類似する姿を見せ付けられたのだから。
俺の為に体を傷付け、心を侵し、自分を捨てた――形振り構わない、一人の女としての姿。
それがくっきり脳裏に焼きついて離れてくれない。
今でも耳にこそばゆい甘い囁きと、何度も与えられた肉体的苦痛。
飴と鞭を駆使して翻弄された感覚が、体にも心にも染み付いている。
だが、それは決して忘れてはいけないものなのだと思う。
同情だとか罪悪感なんて理性的なことを抜きにして、ただ本能がそうあるべきだと訴えかけてくるから。
「そんな私の様子を見て、狼狽し切った彼が私に言ったこと……何だと思います?」
 突然の問い掛けに一瞬戸惑い掛けたが、深呼吸をしている島村を見るに、回答は求められていないようだ。
胸を撫で下ろしていると、島村はゆっくりと俺の方へと近付いてくる。
そして何を思ったか、俺の右耳を親指と中指で抓んで、自分の口元に引っ張る。
「『もう俺に付き纏わないでくれっ!』」
 島村の言葉は、至近距離だったのと壮絶な音量だったのとが災いして、聞き取れたものの耳が痛くなった。
キーンとかいう擬音が俺の周りを飛んでいる気がして、耳を押さえる他どうしようもない。
その上、声量という点を除いても、島村の先程の言葉には有無を言わせない気迫があった。
結果的に俺に出来るのは、馬鹿になりかけた耳を壊れ物のように撫でながら、島村の次の言葉を待っていることのみだ。
「彼に最後に感謝した瞬間でした。その言葉を聞いて、私はようやく夢から覚めることが出来たんですからね」
 和解――島村が語るこの結末が、俺には少し腑に落ちなかった。
今の島村は俺が好きだということを考えれば当然のこととも言えるだろうが、彼女の常軌を逸した愛情を肌で感じ取った身としては、最終的にはあっさりと退いたことをおかしく思った。
「さて、誠人くん。問題です。私は何故こうもあっさり関係を断ったのか? あ、勿論もう喋っていいですからね」
「……」
「何ですか? その目は」
「いや、お前やっぱり俺の心の中見えてんじゃないかって思っただけだよ」
「そうだったらどれだけ幸せか」
 真顔の島村をよそに、俺は女々しく髪を弄くっている。
島村からの問いに答えようなどとは微塵も思っていない。
正解が導ける筈がないと諦めているからというのもあるが、何よりも俺は勘違いすることを恐れていた。
相手の心中についての懐疑の末に間違った結論を出して、そのことで相手を傷付けることだけはもう沢山だった。
――涙なんて、もう見たくない。
「ところで無言でいるのは、わからないってことでいいですね」
 沈黙で肯定する。
「難しく考える必要なんてありません。簡単なことです。私は人として彼を見損なった。だから別れた。それだけです」
「見損なった?」
「女を人形のように使い古して、飽きたら自身の罪悪を自覚しないで一方的に相手のせいにする。どこに魅力があるのですか」
 正直、意外だった。
あれだけ俺に対して一途に思いをぶつけてきた島村のことだから、前の相手にも同じだけの愛情を向けているのだと思っていた。
現にさっきまで島村が話していたことによれば、彼女は異常なほど元彼氏に尽くしていたようだ。
なのに、今は彼氏に未練どころか、逆に軽蔑している節すらある。
このことに対して、俺は失礼承知で尋ねずにはいられなかった。
「幾らなんでも、心変わり早過ぎないか?」
「全然」
 島村は目を丸くして俺を見つめてきた。
心底言っている意味がわからないとでも言いたげな、おかしな表情をしている。
この即答に、俺は再び沈黙の殻に閉じこもる他の選択を取り上げられてしまった。
「すぐに男を代えられるような軽い女と思うのならご自由にどうぞ。でも、これだけは言っておきます」
 息を若干大きく漏らしながら続けた。

「私は、弱い人は嫌いです」


85 :上書き ◆kNPkZ2h.ro [sage] :2008/01/13(日) 21:45:39 ID:637IVz6l
 断固として捻じ曲げさせまいという心意気が伝わってくるその言い振りは、島村が胸を張っているような錯覚すら覚えさせた。
「自分の正当性を疑わず、自省をしない――彼のような心が脆い存在を好きにはなれません」
 島村のことを軽い女だなんて思わないし、思える訳もない。
一人の相手にあそこまで執着する様は寧ろ、恋愛に対して実直だとすら評価出来るものだ。
だからこそ、島村が元彼氏への好意を完全に喪失した背景には、何か彼女自身の思考回路からの影響があるに違いない。
無論、俺には分からないが。
「彼は私に飽きて、そこで初めて客観視したことで私を気持ち悪く思ったんでしょう。
 それは私も同じで、彼のあの言葉で事態を客観視したんです」
 言いながら、島村は自分の顔を右人差し指で指した。
「誠人くん、あなたは私の過去を聞いた時、十中八九こう思った筈です。狂っている、と」
「そこまでは思っていないが……」
「なら異常だ、位ですかね。どちらにせよ、常識的に見れば明らかにおかしいと感じましたよね?」
 問い掛けながら、目で『分かっている』と教えてくる……島村らしい、実に厭らしい攻めだ。
「全く以ってその通りです。彼は私を玩具にし、私は彼を愛すだけ。
 お互い相手のことばかりで、自分を見つめようとしない――そんなの、恋愛とは呼べませんよね?」

 ……恋愛とは呼べない……恋愛トハ呼ベナイ…………レンアイトハヨベナイ…………レンアイジャナイ………………

 アレ?

「愛すことしかせず反省をしない、私が嫌いな人間に自身がなっていたショックもあって、私は彼と別れました。
 ですが、その時はほんの少し、それこそ米粒ほどの未練があったんですよ。
 それを完全に払拭してくれたのが、後の誠人くんとの出会いでした。
 誠人くん、あなたは知らないでしょうけど、私はあなたのことをあの女子トイレの時以前から知っていたんですよ。
 その時、あなたは丁度加奈さんに――“上書き”されているところでしたよ。
 当時の光景を振り返ってみても、壮絶だったとしか言い様がない程、衝撃的でしたよ。
 自分より一回りも小さな女の子に滅茶苦茶にされているあなたの姿は、惨めという言葉がお似合いでしたよ。
 でも、泣きながら謝っている加奈さんを笑顔で許しているあなたの姿を見た瞬間、胸が高鳴りました。
 『俺も悪い』と言いながら加奈さんの頭を撫でているあなたは、私が見てきた誰よりも格好良かった。
 あなたとなら、自分の罪を認める強さのあるあなたとなら、私は幸せになれる……あなたが欲しい、こう思うようになったんです。
 それからは密かに機会を伺っていたんですが、まさか女子トイレ前で会うとは思いませんでしたね。
 しかも、また“上書き”されているんですから、二重に驚かされましたよ。
 でも、そこから関係を持てるようになったんですから…………って、誠人くん、聞いているんですか?」
「……」
「誠人くん?」
「……どういうことだよ、島村? どうして、どうしてそんなこと言うんだよ!?」
 荒れる息をそのまま、俺はベッドから瞬時に飛び退いて島村から距離を取った。
訝しげな視線を送る島村に対して、威嚇するように俺は彼女を睨みつけている。
「そんなことって、何のことですか? ほら、冷静になって――」
「来るなよっ!!」
 立ち上がろうとした島村を言葉で制してみるものの、俺の言葉など意に介さず彼女はスッと立ち上がった。
更に俺は島村から離れる為に後退りした。
「本当にどうしたんですか? もしかしたら傷が深かったのかも……」
「おかしいぞ、この病院。さっき島村は大声を出した。そうでなくとも今俺は叫んだのに、何で看護婦も誰も来ないんだよ?」
 島村と話している間は熱中していてそんな些細なことにすら気付かなかった。
それに、俺が今いるこの部屋にはベッドが幾つもあるのに、俺の以外は全て空席状態。
俺以外は患者が誰もいないなんて、どう考えたって変だ。
「誠人くん、落ち着いて下さい……。話し合いましょうよ……」
「もう一つ」
 何よりも島村に追及したいことがある。
知りたいのは、あの言葉に関して――“故意があるかないか”ということ。

「お前は元彼氏と自分の関係を恋愛とは呼べないって言ったよな?
 それは、俺と加奈の関係に対しても言ったのかよ?」


86 :上書き ◆kNPkZ2h.ro [sage] :2008/01/13(日) 21:47:18 ID:637IVz6l
 お互いに相手のことばかりを気にして、自分の行動を振り返れない。
そんな緊張状態の中で何とか保たれてきた、俺と加奈の関係。
島村と元彼氏との関係に類似するそれを、島村は恋愛ではないと否定した。
自分は俺から身を引くと言っておきながらだ。
……勿論、俺の思い過ごしだという可能性もある。
そうであってくれ。
いつもみたいに、馬鹿にして一蹴してくれ。

「ははは……私、馬鹿ですね」

 束の間を置いて放たれた言葉。
似ているけど、違う。
『私』は余計だ。
素直に俺を馬鹿呼ばわりしてくれて構わないから……。

「気付いていましたよ、“矛盾”に。私が求めているものと、それがそうである為に必要なことは、決して交わらないってことにね。
 でも……もう戻れないところまで来てしまったんです。私もあなたもね。こうなったら、形振り構っていられません……ははは」

 島村が近付いてくる。
再び下がろうとしたが、壁にぶつかってしまった。
ドアを探したが、島村を挟んで逆側にあった。
逃げ道はない。

「誠人くん、私は二つ嘘をつきました。それを教えて、謝りますから、その暁には……ふふふ、ははは……」

 島村しかいない。