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433 :a childie:2011/05/14(土) 12:32:23 ID:X/QXFnBk

ある日。
ある少年が、
空爆で破壊され崩れた自分の家の前で、ただ座り込んでいた。
家は燃えていた。
そこには彼の両親がいた筈だ。
ただ、幸運か不運か少年は一人生き残った。

その日、その街ではありふれた光景の一つ。


またある日。
とある場所で銃声が響く。
死人が転がる部屋。硝煙と血が漂う空気。死と生の一瞬。
対象に銃口を向ける男。
それはかつての少年。
銃口を向けるはかつての戦友であり、仲間であり、今の敵だった。

それは世界で沢山ある悲惨な事柄の、ほんの一つ。


434 :a childie:2011/05/14(土) 12:33:13 ID:X/QXFnBk

男がいた。
笑えるぐらいに臆病な男がいた。
悲しいぐらいに臆病な男がいた。

筆を握って絵を描く方が似合っている手で銃を握り、
不格好なまでに似合わない傷を身体に拵えていた。

二人の女を必死に守るために精鋭足る衛兵を演じ、
いつのまにか一人の女に誠実な騎士と勘違いされるようになった。

身丈に不相応な役目を背負い、
愚直に責任と向き合って勝手に潰れた、憐れな人間。

彼が演じるは喜劇か?
それとも悲劇か?


435 :a childie:2011/05/14(土) 12:34:53 ID:X/QXFnBk

「まだぁ?」
痺れをきかせてチズナが聞いてきた。
目の前にまだかと目を輝かせながら待っている。
ユリィは気にしてないとソファで本を読んでいるけど、
時折こちらに視線を向けてくる。
「もうちょっと、待って」
僕は笑ってそう言う。
薄く淡い赤の色鉛筆を取り出し、
ユリィが着ているワンピースを仕上げていく。

休日、昼ご飯を食べ終えた後の、ゆったりとした空気が流れていた。
そんな中で日向ぼっこをしながら、ユリィとチズナの二人を題材に
絵を描いていた。
絵を描いてあげるとチズナは喜んでくれる。
ユリィは黙って受け取るけど、喜んでいると思う。たぶん。

絵を描くのは好きだ
最近は自分のためにではなく、二人のために描くことが多いけど。
描いている間は夢中になれる。
そうすれば、少しの間だけ他のことを忘れていられる。

たまに絵がうまいと言われることがある。
下手な絵を褒められると恥ずかしいから、御世辞半分に聞いている。
絵の描き方については父さんが教えてくれた。
だから褒められる時、
父さんの教え方が良かったんだと思っている。

父さんは売れっ子の絵描きとは言えなかったけど、
父さんが描く風景画を好きだと言って買っていく人はいた。
僕も好きだった。
学校から帰ると、いつも父さんと作業場に籠って絵の手伝いをしたり、
描き方を教わっていた。
母さんは絵に夢中な僕らにあきれ顔をするけど、よくお菓子を作ってくれて
作業場で三人食べていた。
母さんの得意な紅茶のシフォンケーキが僕は好きだった。



チズナが待ちくたびれてきたのか、
ソファのクッションを抱えてうとうとし始める。
僕と一緒に日向に当たっているから、暖かくて気持ちいいのかな。
見るとユリィもソファでうたた寝をしていた。
二人とも午前中は近くの公園で遊んでいた。
それから、お腹一杯にご飯を食べたんだから眠くなる。

空気の入れ替えに軽く開けてある窓から
一筋の風が迷い込む。
それは開けっぱなしの本のページをめくり、
彼女の自慢の、綺麗で長い銀髪を散らした。

初め、自分が彼女達二人の間に無理矢理入ってきた
邪魔ものに思われていた。
仕方ないけど。
二人は、はたから見れば姉妹のように見える。
チズルは母親と同じ栗色の髪をしているから見分けることは簡単。
でも、
彼女が生まれてからの今まで六年間、ユリィは一緒に過ごしている。
僕は二年前やってきた新参者。
しかもチズルの兄という立場を与えられてやってきた。
顔をでかくして居座っているつもりはないけど、
嫌われてしまうのは当然だった。

「リヴィングデッド」
ユリィは僕をそう呼ぶことがある。
よく絵本や物語に出てくる怪物の一種。
言ってしまえば動いている死体である。
本で知ったのかわからないけれど、
彼女が僕を嗤いたい時、使ってくる。

心臓に良くない言葉だ。
言われるたびに、ぐさりと刺さってくる。
一応、難しい言葉を使いたいだけなんだと思ってユリィに、
その言葉をあまり人に使わないでね、と笑いかける。
自分に良く似合ってる、という思いを感じながら。

最後に背景を描き終え、絵が仕上がる。
でも見せたい二人は夢の中にいる。
色鉛筆を元通りにケースに戻して、
脇に置いておいたキャンパス生地の肩掛けバックを開いた。
中にあるのは九ミリ口径のオートマティックと小さなスケッチブック。
ケースをバックに入れ、代わりにスケッチブックを取り出す。

表紙を開いて、画用紙をめくっていく。
暇があればこれに描いていた。
全部埋まってしまって、もう描き込めないけど。
これと鉛筆一本。
どんな時でも持ち運んでいた。

描いている間は夢中になれる。
そうすれば、少しの間だけ他のことを忘れていられる。
辛いことが多かった戦場で、それを知った。

僕は一度、そこで死んだ。

まだ生きているから形容でしかないけれど、
今の自分と、戦争が始める前の自分との間に途切れが感じられた。
足元のおぼつかなさ、浮遊感。
この世界にいることに現実味が湧かない。
僕はユリィの悪口を笑うことしかできない。

死んだ時に、手に持っていたものは全部、無くしてしまった。

そんなものでスケッチブックは一杯だった。


436 :a childie:2011/05/14(土) 12:36:52 ID:X/QXFnBk

長い時間が経って、表紙はよれてしまっている。
染みが付いている部分があったり、日に当たりすぎて黄ばんでいたり。
絵が薄れて見えないページもある。
それでも棄てないでいる。
ゴミとして捨てようとして、何となくページを開き、
また元に戻す。
その繰り返しだった。

スケッチブックには昔、
街に住んでいて好きだったもので埋め尽くされていた。

通っていた学校、教室。遊んだ友人。
人懐っこい近所の三毛猫。
よく買い物に行かされたパン屋。
そこで売られているクリームパン。
街を通る小川。
父さんが模写していた桜の木。
絵を描いていた作業場。
母さんが料理する台所。
そこで作られていた焼き菓子。
紅茶のシフォンケーキ。
家。
街で暮らしていた家。

良かった思い出を思い浮かべ、
必死に目の前のことから逃れようとして描かれた絵。

あの時の俺は忘れていたわけではない。
それら、その人達がもう存在しないことぐらい。



警鐘はされど、起きる筈が無いと考えられていた戦争。
友好的だと思われていた隣国。
そうあるべき現実。
誰もが望んだ幻想は、概してそう成りえない。

突然始まったと言われる戦争は、
侵攻してきた隣国の戦略破綻で泥沼に化した。
磨り潰れていくような戦闘の繰り返し。

兵士が足りなくなった国家は
武器が持てるなら無差別に動員するようになる。
俺も根こそぎ動員されたうちの一人だった。
十歳の俺でも戦力になると見做された。

俺と同じような連中、少年兵と呼ばれた連中は、
非正規戦力として一括りにされて前線に飛ばされた。
使い捨てても惜しくない戦力。
何も知らず、教えられずに旧式装備で駆り出されるは、
死守命令下での正規軍の殿。
敵主力誘導のための囮。
前線の最前線である前哨陣地での見張り。

まともな戦場に立ったことはない。
その前に自分がいる境地がまともでないことすら分からなかった。

部隊を率いたのは懲罰人事でやってきた士官で
各小隊どころか一個中隊に一、二人。

最初にいた中隊には同じ街出身で友人だった人間がいた。
三回戦闘に出て再編成した時には、知り合いは誰もいなくなった。
抗い方を知らない俺達は
作戦が終わると良くて全滅、大抵壊滅に陥っていた。

父さんがくれたスケッチブック。
義父の中隊に出会うまでの二年間、生き残った理由は今でも見つからない。