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156 :やんでれの娘さん 日常の巻(裏)  ◆3hOWRho8lI:2011/07/09(土) 21:58:45 ID:UU0NqYJc
 大切なモノは、全力で繋ぎとめなければならない。そうでなければ、遠くにいってしまうから。
 それは、幼いころから母に何度も聞かされた、もう家訓とも言っても良い言葉。
 けれども、私はそれを言葉としても理解しながら、感覚としては長らく実感していませんでした。
 兄が目の前から消えるその日まで。
 何も言わずに、何も残さずに切り捨てられたその日まで。
 けれど―――


157 :やんでれの娘さん 日常の巻(裏)  ◆3hOWRho8lI:2011/07/09(土) 22:00:01 ID:UU0NqYJc
 御神家のリビングで、私は彼の膝の上に体重を預けています。
 御神千里くん。
 私にとって唯一絶対、一番大切な人。
 絶対に失いたく無い人。
 あ、ごめんなさい。ご挨拶が遅れてしまいましたね。
 私は御神三日(予定)、あるいは緋月三日。
 こうして一人称でお会いするのは初めましてになりますね。
 もっとも、私自身に語ることなどあまり無いのですが。
 むしろ、千里くん(私の将来の旦那様、現在も事実上の旦那様)の素晴らしさについて語りたいくらいなのですが。
 今、千里くんは私と一緒にDVD鑑賞(『超人戦線ヤンデレンジャー 第二十四話 大帝出陣の巻』)をしています。
 普段通り穏やかな笑顔を浮かべ、テレビを注視しています。
 少し視線を落とせば、私の姿が見えるのですが。
 正確には、浴衣を下品にならない程度(だと良いのですが)に着崩し、時折誘うような視線を送っている私の姿が。
 …言語化すると我ながらあざといことこの上無いですね。
 勿論、私も千里くんと一心同体ですから、ちゃんとDVDを観ています。
 子供向けとはいえ私たちくらいの歳の者が観ても面白いですし、子供向け教訓話として良くできた内容ですから。
 現に、今テレビの中では2人の変身ヒロインによって、
 『残念よ、ヤンデレスキュー。貴女のことは友達だと信じていたのに!』
 『ごめんなさい、ヤンデレイン。貴女がリーダーのヤンデレッダーを好きなのは知っていたけど、私は自分の気持ちを抑えきれないの!』
 『そう言うことなら、仕方ないわね。友達として、あたしがこの手で貴女を殺してやる!』
 『そうはいかないわ。私たちヤンデレンジャーは、物心ついたときから正義のために戦うべく教育された存在』
 『そう、名前も、親も、兄弟も無い。人並の喜びも幸せも知らずに生まれ育った、戦うためだけの存在』
 『だからこそ!』
 『そう、だからこそ!』
 『『この恋心だけは譲れない!!』』
 と、言う子供には是非知っていて欲しい光景が画面の中に広がっているのですから。
 いや、この後勝負がつく前に、悪の組織が現れたせいで、想い人のヤンデレッダーさんから出動要請がかかったために勝負は水入りになるのですが。
 こればかりはお母さんたち悪の組織に空気を読んでと言いたくなりました。
 いや、お母さんは悪の組織を演じてるだけですが。
 その論理で行くと、お母さんの演じる悪役がひきつれている名状しがたいセンスの着ぐるみもお母さんセンスということになってしまいますし。
 聞いた話では、第一話の怪人が怖すぎてクレームが来たせいだとか。
 赤ん坊がモチーフの怪人というのがそんなに問題だったのでしょうか。
 そんなことを考えていると、画面に『続く!』の文字が現れ、私のお気に入りのエンディング曲が流れ出しました。
 身を引き裂かれるほどの苦しくも激しい恋心を歌った曲。
 いつ聞いても心の奥底に響きます。
 それにしても……
 「お母さん、テレビで観ると別人のようですね」
 「そう?」
 非常に納得しがたいという顔をする千里くん。
 ファーストコンタクトを考えると、分からない話では無いですが。
 「…千里くんがどういうテンションのお母さんを言っているのかは分かりませんけど…、少なくとも家の中のお母さんは落ち着いた大人の女性ですよ?」
 「へぇん……」
 「…怒ると、家族で一番怖いですけど」
 「あー、納得。ある意味最強だからなぁ」
 それは、お母さんとテレビの中の役のどちらですか?
 ともあれ、そこで会話は途切れてしまったものの(話のネタが無い!)穏やかな時間が流れます。
 美しい曲をバックに、千里くんの顔を見上げると、自然にドキドキしてきます。
 嗚呼。
 この人の全てが欲しい。


158 :やんでれの娘さん 日常の巻(裏)  ◆3hOWRho8lI:2011/07/09(土) 22:00:45 ID:UU0NqYJc
 「…千里くん」
 ほんの少し勇気を出して、体を起こして私は言いました。
 「なぁに、三日?」
 いつものように優しげに、千里くんは聞き返しました。
 「…キス、しませんか?」
 「……えーっと」
 そこでなぜか戸惑う千里くん。
 ひょっとして、嫌なのでしょうか。
 答えを聞くのが怖くて、私は自分の唇で彼の唇を塞ぎました。
 「ン!?」
 強引な行為に、千里くんは一瞬目を見開きましたが、すぐにいつも通りの笑顔に戻りました。
 そして、決して上手とは言えない私のキスを優しくリードしてくれます。
 互いの体温を、心音を、そして何より存在を感じられる、夢のようなひと時。
 けれども、それは他ならぬ千里くんによって破られてしまいました。
 「ぷはぁ!」
 急に、強引に唇を離されます。
 「…何で、止めちゃうんですか?」
 自然、恨みがましくなります。
 正直、不完全燃焼なことこの上無いです。
 「いや、もう10分近く続けてるじゃん。いい加減一息ついて良い頃合いじゃない?」
 「…まだいけます」
 と、言うよりもうそんなに時間が経っていたんですね。全く気がつきませんでした。
 「そろそろお昼ご飯の準備もあるし、三日も汗だくじゃない。シャワー浴びたら?」
 「…」
 やんわりと中止を促され、私は千里くんの体から降りることにしました。
 その時でも私の体を支えてくれる彼に優しさを感じます。
 「んじゃ、入ってきてよ。その間お昼準備してっからー」
 「…分かり、ました」
 まだ夢見心地の気分が抜けないながら、すっかり乱れてしまった衣服を整え、私はフラフラと浴室に向かいました。
 着替えを洗面所に置き、スルリと浴衣を脱ぎすてます。
 最近、浴衣は千里くんの家で洗ってもらうことが多いです。
 毎日のように彼の家へ通い妻をしておきながら、さすがにそれは厚かましいとも思いましたが、「1人分増えても変わらないしー」というあの人の言葉に甘えることにしました。
 お陰で、なんとなく浴衣に『千里くんの感じ』が染みついたようで、着心地が良くなった気がします。
 ともあれ。
 私は御神家の浴室をお借りして、冷たいシャワーを全身に浴びることにしました。
 けれども、冷水を浴びても体の奥の火照りが取れる気配はありません。
 こうした火照りや疼きは、いつも体の奥に溜まって行くばかり。
 千里くんは、そうしたことは無いのでしょうか。
 少なくともそうした素振りを私に見せたことはありませんでした。
 ただ、たまにキスをしていると体の下の方に妙な出っ張りがあたることがあるのですが、何なんでしょうね、あれ。ベルトの金具では無いようですし。
 私は、自分の全身を見回しました。


159 :やんでれの娘さん 日常の巻(裏)  ◆3hOWRho8lI:2011/07/09(土) 22:01:19 ID:UU0NqYJc
 ともすれば中学生にも見える身長。
 不健康にも見える細い手足。
 白い肌はともすれば病的な印象を与えるかもしれず、その上胸から腰にかけての大きな手術跡。
 足元を見ようとすると、何の抵抗も無く、胸が邪魔になることも無く、見ることができます。
 ボリュームがあるのは、手入れを欠かしたことの無い長い髪だけ。
 …千里くんを誘惑するのには、色々な意味で色々な部分が足りないようでした。
 それでも、私はキスだけでは、足りない。
 キス以上のものが、欲しい。
 気がつくと、私の手は自分の敏感な部分に向かっていました。
 千里くんに、触って欲しいところに。
 「…ゥン」
 左手で胸元に触れるだけで、千里くんの手だと思うと声が漏れる。
 ―――そんなに、触って欲しかったのー?―――
 私の想像の中で、千里くんが笑いながら言いました。
 右手は胸元からお腹、下腹部へと流れ、私の女の子の部分に辿りつきます。
 ―――こんなに濡らして、シャワーの水だけじゃないよね、コレ?―――
 からかうような声音の混じる千里くん。
 ―――ふしだらな女の子だね、三日は―――
 そう言って、敏感なところを強く触ります。
 「…セ、千里くん!?千里くんにだけだから!?ふぁ!?」
 ―――そんな女の子には、お仕置きが必要だね―――
 「…千里、くん!?千里くん千里くん千里千里千里!!ふぁああああああああああああああ!!」
 もっとも強い刺激が、私の全身を襲いました。
 ガクン、と膝をつき、そのまま床の上にうつぶせに倒れました。
 御神家の浴室の、千里くんの浴室の。
 浴室の排水溝に、冷水と一緒に私の汗と愛液が吸い込まれるのが見えます。
 まるで、千里くんの生活空間に私の存在が吸収されていくようで、恍惚感を覚えます。
 そう、私はふしだらなことに、千里くんに抱かれたいのです。


160 :やんでれの娘さん 日常の巻(裏)  ◆3hOWRho8lI:2011/07/09(土) 22:01:55 ID:UU0NqYJc
 その後、私は汗を流し、髪と体を軽く洗うと千里くんの元に戻りました。
 「…お待たせしました」
 先ほどの行為を気取られないよう、平静を装って私は言いました。
 「いや、ちょうどできたところー」
 その言葉通り、ダイニングルームには既に食事が並べられていました。
 如才なく食事の準備をする彼の姿は本当に普段通りで、先ほどまでキスをしていたとは思えませんでした。
 もっとも、内心はどうなのかは分かりませんが。
 私は、千里くんに全てを捧げたい。
 そして、それと同じくらい千里くんの全てが欲しい。
 千里くんの喜びも。
 千里くんの怒りも。
 千里くんの哀しみも。
 千里くんの楽しみも。
 けれども、彼は時にそれをさせてくれません。
 それどころか、時としてそれを拒んでいるような気さえします。
 それには、時として不安を、怖ささえ覚えるのです。
 そんな考えが表に出たのか、千里くんが僅かに困ったような顔になりました。
 こういう場合ですと…
 「…いえ、ご飯が不満ということは無いです」
 「心を読まれた!?」
 あ、当たった。
 こう言うときは心が通じ合ったようで、なんか嬉しくなります。
 「…と、言うより千里くんの作るものが美味しくなかった試しはありませんし、千里くんの作るものが美味しくないはずもありません」
 「そう言ってくれると、悪い気はしないよ」
 通り一遍の礼を如才なく言う千里くん。
 「…それです」
 「?」
 「…『悪い気はしない』、『悪くは無い』とは言っても、『良い』ということ、滅多に無いですよね?」
 「……どうしたのよ、藪から棒に」
 「…キスの時もそう。初めての時はともかく、自分からは絶対に誘ってきてくれない」
 「その時のことは忘れてくださいお願いします」
 「…優しい優しい千里くん。…穏やかな千里くん。…素晴らしい千里くん。…私の千里くん」
 千里くんの頬にそっと手をやり、繰り返し言います。
 自分にも言い聞かせるように。
 内心の恐怖と不安をかき消すように。
 それでも、抑えきれない想いがある。
 「…千里くんって、人に対してどこかで一線を引いてませんか?」
 「……」
 千里くんは、答えてくれませんでした。
 「…他人に対してなら、良いんです。…他人は所詮他人ですから。…でも私たちは……」
 「あー。そう言えば今日、午後から葉山と遊ぶ約束があったんだ」
 私の言葉を遮り、千里くんはそう言いました。
 それ程答えたくない、答えられない、ということなのでしょうか。
 私はそれ程の相手だと、その程度の相手だということなのでしょうか。
 「ンな顔しないでくれよ。いい加減外出て買い物もしないと、冷蔵庫の中身が無くなるってのもあるし」
 千里くんが正論を言いました。
 ここで実務的な正論を語るのは、あまりにもずるく感じてしまいます。


161 :やんでれの娘さん 日常の巻(裏)  ◆3hOWRho8lI:2011/07/09(土) 22:02:16 ID:UU0NqYJc
 「俺がどうであれ、お前に不安不自由にはさせないさ。そこは安心して良いところだぜー」
 それでも、私を安心させるように、千里くんは頭を撫でてくれました。
 お兄ちゃんの、割れ者に触るような撫で方とは違う、力強さを感じる撫で方が心地良い。
 けれども、その心地良さは私を完全に安心させてはくれませんでした。
 「…なら、1つ聞いても良いですか?」
 「なーにー?」
 「・・・私たち、付き合ってるん、ですよね?」
 なんとなく、今までストレートに聞いていなかった言葉をぶつけてみました。
 一応、以前『惚れた弱み』がどうとか言っていた気がしますが、あれは軽い雑談の一環だったので、それだけではどうにも根拠として弱いのです。
 不安を払しょくしてくれないのです。
 「・・・・・・聞かないでよ、そんな当たり前のこと」
 嗚呼、千里くん。
 千里くん千里くん千里くん千里くん千里くん。
 どうして貴方は私に全てをくれないのですか。
 どうして欲しい時に欲しい言葉をくれないのですか。
 せめて、一言だけでも言ってくれれば、この胸の奥の不安は消えてなくなるのに。
 『愛してる』の一言を。


162 :やんでれの娘さん 日常の巻(裏)  ◆3hOWRho8lI:2011/07/09(土) 22:02:45 ID:UU0NqYJc
 こう言う日にやることは決まっています。
 千里くんが出かけてしまった後、持ってきていたポシェットを身につけて、お義父様から預かっている合鍵で戸締り。
 服装が白のワンピースにサンダルタイプの靴なので、微妙に動きづらいのが難点ですが、お出かけ開始。
 目的地は足の向くまま気の向くまま。
 ただし、千里くんの。
 今日の場合、目的地を千里くんから聞き出せたので、かなり楽でした。
 路上でも一際目立つ高身長(と、言うと本人は渋い顔をするのですが)を追って、近所の公園へと向かいました。
 「よぉ、みかみん」
 「やっほー、はやまん」
 待ち合わせていた千里くんと葉山くんが挨拶を交わし合い、2人はストリートバスケのできる小さなバスケットコートへ向かいました。
 私も、遠目から2人の姿を追い、髪と服が汚れないように気をつけながら、物陰から2人の様子を見守ります。
 「久々だかンな。先行のボールはみかみんに譲るぜェ」
 「それはありがたいね、俺下手だし」
 「俺よりは、って意味だろ?」
 千里くんは上着とストールを隅の方に置き(葉山くんは最初から膝丈のパンツにTシャツだけの、動きやすい服装でした)、2人で軽く準備運動。
 それぞれ位置について、ゲームスタート。
 バスケ部レギュラーらしく、最初から貪欲にボールを取りに来る葉山くんの動きを、何とかいなす千里くん。
 けれども、ひらひらと動く葉山くんにボールを盗られ、一点先取されてしまいました。
 なるほど、確かにバスケ部でレギュラーになるだけのことはあると、素人ながら感心させられる動きでした。
 けれどもどうでしょう。
 そんなプレイヤー相手に千里くんは楽勝、勝負にならない、という程でも無い様子で、一応は勝負を成立させています。
 良く見ると、時折葉山くんも千里くんに手こずっている時もあるようですし。
 なのですから、千里くんの運動神経ももっと評価されるべきではないでしょうか。
 そんな様子を物陰から見ていると、近くの木陰から人の気配を感じました。
 端々から見える、ファッション誌からそのまま取ってきたようなデザインの靴や、鍛えられた健康的な色香を感じさせる美脚。
 それに、葉山くんに向かう熱烈な視線。
 間違いありません、彼に想いを寄せる朱里ちゃんに違いありませんでした。
 向こうはこちらには気づいておらず、状況的に挨拶が出来ないのが残念です。
 そうこうしているうちに、2人の勝負は着いてしまったようで(結局、ギリギリの所で千里くんは点が取れなかったようです)、近くの自動販売機でジュースを買うことにしたようです。
 2人で何事か話をしながら、千里くんがジュースを選び、コーラとスポーツ飲料の二つを取り出し、元のバスケットゴールに戻りました。
 そのタイミングを見計らい、私もジュースを買うことにしました。(暑いですし)
 恐らく、千里くんが飲むのは先に買った方、コーラでしょう。
 私も同じものを買うことにしました。
 コインを二枚入れると、ガコンという無骨な音と共にコーラのペットボトルが落ちてきます。
 ペットボトルを片手にバスケットコート(の見える物陰)に戻ると、私は苦虫を噛み潰しました。
 …千里くんがコーラを葉山くんに手渡していたのです。
 どうやら、友達の分を先に買ったようでした。
 我が家では『自分がやる時は自分優先』というのが徹底されているので、その発想はありませんでした。
 それでも、コーラを捨ててしまうのはもったいないので、飲むしかないのですが。
 食べ物や飲み物を粗末にするのは、ナチュラルボーン主夫である千里くんの最も嫌うところですし。
 コーラに口を付けながら、私は先ほどの轍を踏まないよう、千里くん達の会話に耳をすませました。
 …
 …
 …


163 :やんでれの娘さん 日常の巻(裏)  ◆3hOWRho8lI:2011/07/09(土) 22:03:08 ID:UU0NqYJc
 『九重かなえ』ッテ誰デスカ?
 「九重だよ。九重かなえ。中等部の頃一緒につるんでた奴。忘れたわけじゃないだろ?」
 「いや、覚えてるけどさ……」
 中等部の頃と言えば、私たちがまだ出会ってさえいない頃のことです。
 その瞬間、私は千里くんの過去をほとんど知らないことに気が付きました。
 『千里くんの全てが欲しい』と思いながら何たる体たらく!
 自分で自分を殺したくなりました。
 「いやぁ、あの頃てっきり、みかみんは九重にホれてるもんだとばっかり思ってたしなぁ」
 ホれてる!、と驚愕しましたが、対する千里くんは渋い顔。
 同時にガサリ、と近くの草むらが動き、泣きながら脱兎のごとく駆け出す少女が見えました。
 …中途半端に鈍い想い人を持つと難儀なものですね、朱里ちゃん。
 「それを、ポッと出の新キャラみたいな奴がかっさらったら、そりゃ毛嫌いもするっつーか何つーか。まぁ、緋月がストーカー女だからってのもあるけどよ」
 私に対するネガティブキャンペーンが絶賛進行中でした。
 「ポッと出の新キャラって言ったら、元を正せばみんなそうだろ?お前も、九重も、それにお前にとっての俺も」
 「まぁ、誰だって初対面だった頃はあったがよ」
 人生は、次々に新キャラの出る漫画みたいなものですか。
 「それに、九重と俺が付き合うなんてこと『無い』から」
 「無しかい」
 「そう、『無い』」
 いつになく強い語調で、千里くんはそう言いました。
 それで、私は、気が付いてしまいました。
 「それに、アイツの生活を考えると、どうしたって俺やらお前とかと恋愛とかムリじゃん。超遠距離恋愛になるし」
 畳みかけるような言葉に、分かってしまいました。
 「あー、今はどこの国に居ンだろなってカンジだもんな、アイツ」
 「しょーじき、九重のオヤジさんも単身赴任とかにしてくれりゃ良ーンだけどな」
 「それは思う」
 ふと浮かべた千里くんの、寂しげで切なげな表情で確信してしまいます。
 九重かなえ
 間違い無い。
 彼女は千里くんがかつて恋をしたモノ。
 恐らくは、恋は恋でも失恋を。
 かつて、兄に対して恋にも似た淡い憧れとも依存心ともつかない感情(恋その物ではありませんが)を抱いた私だからこそ、確信が持てました。
 ペットボトルを握る手の力が自然に強くなります。
 許せない。
 許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない!
 今はどこにいるとも知れぬモノの癖に千里くんの心を一ミリでも占めるなんて。
 千里くんの心を奪うなんて。
 千里くんを―――苦しめているなんて。
 九重かなえ
 …九重かなえ九重かなえ九重かなえ九重かなえ九重かなえ九重かなえ九重かなえ九重かなえ九重かなえ九重かなえ九重かなえ九重かなえ九重かなえ九重かなえ九重かなえ九重かなえ九重かなえ九重かなえ九重かなえ九重かなえ九重かなえ九重かなえ!!
 どんな相手なのかも分からないけれども。
 この場にはいない相手だけれども。
 どこにいるかさえも知らないけれど。
 これだけははっきりしています。
 お前は敵だ!


164 :やんでれの娘さん 日常の巻(裏)  ◆3hOWRho8lI:2011/07/09(土) 22:03:44 ID:UU0NqYJc
 その後、九重かなえが海外にいる上連絡も取れないということを聞き、私の心は多少の落ち着きを取り戻しました。
 思えば、今となっては過去の話ですからね、ええ。
 私がお兄ちゃんのことを考えるのと同じくらい無意味なことでした。
 九重かなえなんて踏みつぶしたアリと同じくらいの価値しかありません。
 …さすがに、葉山くんが「千里くんと九重かなえがお似合い」と言った時には殺意を抑えるのがやっとでしたが。
 その後、葉山くんと別れた千里くんの背中を追っていると、唐突にヅガン、という金属がぶつかるような音がしました。
 「何だぁ!?」
 千里くんがそう言うのも道理でした。
 私の親友、朱里ちゃんが自動販売機を親の仇のように蹴り続けていたのですから。
 「畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生……」
 怨嗟の声と共に蹴り続ける朱里ちゃん。
 「御神のヤロウ御神のヤロウ御神のヤロウ御神のヤロウ御神のヤロウ御神のヤロウ御神のヤロウ御神のヤロウ御神のヤロウ御神のヤロウ御神のヤロウ御神のヤロウ御神のヤロウ御神のヤロウ御神のヤロウ御神のヤロウ御神のヤロウ御神のヤロウ……!」
 冤罪だー!
 落ち着いて朱里ちゃん、今回千里くんは何も悪いことしてませんよ!?
 いや、千里くんが悪いことをしたなんて一度として無いのですが。
 あったとしても誰か別の悪党の責任なのですが。
 「あんなヤツより、私の方がずっとずっとずっとずっとずっと正樹のことが好きなのに好きなのに好きなのに好きなのに好きなのに好きなのに好きなのに好きなのに好きなのに好きなのに好きなのに好きなのに好きなのに好きなのに好きなのに……!」
 いや、朱里ちゃん?
 葉山くんの千里くんへの『好き』はほぼ確実に友情ですよ?(希望的観測)
 「好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好きすきすきすきすきすきすきすきすきすきすきすきすきすきすきすきすきすきすきすきすきすきすきすきすきすきすきすきすきすきすきすきすきすきすきすきすきすきすきすきすきすきすきすき……」
 ヅガンヅガンヅガンガンガンガンガンガガガガガガガガガガガ…と蹴り続ける朱里ちゃんの姿に戸惑っているうちに、いつの間にか千里くんの姿が消えていました。
 「ハッ!千里くん!?」
 思いのほか大きな声を出してしまいました。
 「きすきすきすきすきす……」
 ピタリ、と自動販売機に蹴りを入れた姿勢のまま制止し(器用です)、朱里ちゃんはまるで錆びついたブリキロボットのようにギギギギと首だけ回してきました。
 こちらに。
 「……」
 「…」
 まずい。
 と言うか気まずい!
 「…ええっと、こ、こんにちは、朱里ちゃん」
 「………ええ、こんにちは、みっきー」
 互いに引きつった表情で、挨拶を交わしました。
 「…………で、見たのね?」
 威圧感あふれる声でそう聞く朱里ちゃんの言葉は、質問では無く確認作業でした。
 「…ごめんなさい、見てました」
 正直にそう言うと(それ以外の選択肢はありませんでした)、朱里ちゃんはどんよりとしたため息を吐きました。
 「アンタが近くにいるってことは御神の下衆ヤロウも見てたのね、さっきの私の姿」
 殺る気満々だぜ、という目をする朱里ちゃん。
 証拠隠滅する気だー!
 具体的には殺す気だー!
 「…見テマセンヨ?」
 「本当に?」
 質問と言うより尋問のような口調で、朱里ちゃんは言いました。
 「…ええ本当です本当です千里くんは確かにこの近くにいたんですけど気付かずに行ってしまって私だけが朱里ちゃんの姿を見てしまったというそれだけのことなんですよ」
 息継ぎなしでの長台詞で一気に状況を説明(嘘)しました。


165 :やんでれの娘さん 日常の巻(裏)  ◆3hOWRho8lI:2011/07/09(土) 22:04:05 ID:UU0NqYJc
 「……」
 ソレだけで殺されそうな視線を向けてくる朱里ちゃんですが、一度吐いてしまった嘘を撤回することはできません(怖くて)。
 「アンタがそこまで言うならそうなんでしょうね。信じるわ」
 「…ありがとうございます」
 「もし見られてたら、さーちあんどですとろいだったけど」
 やっぱりだー!
 「正樹の奴、私と遊ぼうってのを無下にしておいて何してるのかと思ったら……そんなにあの最低ヤロウが良いのかしら、ねぇ?」
 「無下にって……」
 って言うか朱里ちゃん、発言するたびに千里くんへの形容詞が酷くなってませんか?
 それはともかく、どのような経緯があったのかは分かりませんが、葉山くんには朱里ちゃんを無下に扱おうなんて気は無かったのではないでしょうか。
 朱里ちゃんが遊び(≒デート)の申し出があった時には、もう千里くんとのバスケットをする先約があったから、とか。
 ある意味恋の障害である葉山くんですが、公平に見る限り、友情をかなり大切にするタイプな筈で。
 それは幼友達である朱里ちゃんにもきちんと適応される筈です。
 そう言ったことを朱里ちゃんに言ってみると…
 「ンなことは分かってるわよ。分かってるけど……」
 ヅガン、と朱里ちゃんはもう一度自動販売機に蹴りを叩きこみました。
 こんなに鉄塊を蹴っていると、同性である私でも憧れるような美しい脚に傷がつかないか心配になります。
 「なんつーか、私よりも御神千里を優先するっつーか、御神千里より私を優先してくんないのが死ぬほど腹立たしいワケよ、分かる?」
 気がつけば、状況は朱里ちゃんが愚痴る時間になっていました。
 「あんな!ヘラヘラした!鈍感な!木偶の棒に!ばっかり!気ィ使って!私のことなんて!ちっとも!」
 千里くんの代わりとばかりに、自動販売機を蹴り続ける朱里ちゃん。
 私にとっての障害が葉山くんであるように、朱里ちゃんの恋にとって最大の障害が千里くんなのでしょう。
 いや、もっとひどい。
 なぜなら、私は曲がりになりも千里くんを射止めたのに対し、朱里ちゃんは自分の想いにすら気づいてもらってないのですから。
 「ねぇ、みっきー」
 凄惨な表情で、こちらに近づく朱里ちゃん。
 「力を合わせて御神千里を殺してみない?」
 …今何ト仰イマシタカ?
 「だーかーらー、アイツ殺した方が色々スッキリするんじゃないって話。アンタだって内心、アイツが憎らしくなる時があるんじゃない?憎しみは愛情の裏返し、なんて言うし」
 「そんなこと!」
 私は弾かれるように叫んでいました。
 その言葉に、朱里ちゃんはさめたように凄惨な表情をひっこめました。
 冷めたように、覚めたように。
 「冗談よ冗談。言ってみただけ。でも……」
 ヅガン、ともう一度だけ朱里ちゃんは自動販売機を蹴りました。
 「本ッッッ当にアイツ大嫌い。憎々しいし妬ましい」
 これ以上なく憤怒に満ちた、それでいて痛ましい表情で。
 「私が欲しいモノを、みんな持ってるから」


166 :やんでれの娘さん 日常の巻(裏)  ◆3hOWRho8lI:2011/07/09(土) 22:04:50 ID:UU0NqYJc
 その後、朱里ちゃんは熱が冷めた様に去った行き、私は再び千里くんを追いかけ始めました。
 先ほど葉山くんも言っていましたが、千里くんは大概にして女性に縁があります。
 ようやく千里くんに追いついた時、やはり彼は女性と話していました。
 「こんにちは…なんだよ、おにーさん」
 「うぎゃあ!?」
 フリルをあしらった可愛らしい衣装を着た可愛らしい女性と。
 「…お母さん」
 それは、私の母である緋月零日さんでした。
 こんなところで見かけるとは珍しいことです。
 近くで撮影なのでしょうか。
 それはともかく、千里くんと親しげに話し、あまつさえ…
 「はい…コレ」
 「はい?」
 「いや、プレゼント…なんだよ」
 「プレゼント!?」
 千里くんにプレゼントまで渡すなんて!
 お母さんにはお父さんと言う物がありながら!!
 浮気!?浮気ですか!?浮気なんですね!!
 「それじゃあ…」
 楽しげな歓談を終え、千里くんと別れたお母さんは、その場を離れ…アレ…?
 何だか真っ直ぐにこちらに向かってきてませんか?
 「こんにちは…三日ちゃん」
 「うひゃあ!?」
 バレてたんですか!?
 いるのがバレてたんですか!?
 気配を殺していたはずなのに!?
 「リアクションが千里さんとそっくりだね…三日ちゃんは」
 そう言ってお母さんはクスクスと笑いました。
 お母さんの千里くんへの呼び方は一定していません。
 当初はただ『千里』とだけ呼んでいましたが、私でもまだ到達していない呼び捨てをすることに思うところがあったのか最近は『千里さん』と呼んでいます。
 もっとも、千里くんの前ではからかいの意味を込めて、子供っぽい口調で『おにーさん』と呼んでいるようですが。
 「…ところで、今度お父さんに『お母さんが浮気してる』と報告する必要があると思うのですが」
 「そうなったら、三日ちゃんが二度と千里さんに会えないようにして…あげようかな」
 「…」
 「…」
 「…ごめんなさい」
 「よろしい」
 先に折れたのは私でした。
 お母さんは基本的に緋月家のヒエラルキーの頂点に経つお方です。
 「ちなみに、千里くんに二度と会わせないために三日ちゃんをどうするのかと言うと…」
 「止めてくださいお願いします聞きたくありません」
 嫌な予感しかしなかったので全力で止めました。
 いや、時々嬉々としてとんでもないことをするんですよね、この人。
 「まぁ、お兄ちゃんって、浮気されたところでどうこうなるとも思えないけど…ね。自分の不幸も他人の不幸もまとめて笑ってると言うか笑うしかないって思ってるような人…だし」
 肩をすくめながら、どこか寂しげにお母さんは言いました。
 お母さんは、私のお父さんのことを『お兄ちゃん』と呼びます。
 血縁上、お父さんはお母さんのいとこにあたり、結婚前のお母さんはお父さんを『いとこのお兄ちゃん』と慕っていたため、らしいです。(らしい、というのは両親ともになぜか結婚前の話はあまりしたがらないからです)
 決してお父さんが、結婚相手を妹に見たてるプレイが好きな変態さんと言う訳ではないので、念のため。
 「ああ…そうそう。会ったついでに千里さんに携帯電話を渡して…おいたよ」
 なるほど、さっきのプレゼントはそう言うことなんですね。
 「…先日、お母さんが話の勢いで壊してしまった千里くんの携帯電話の代わりですか」
 「不可抗力…と言いなさい」
 「…はい、不可抗力で壊してしまった携帯電話の」
 「そう…その通り。ついでに、三日ちゃんの携帯電話も千里さんに渡して…おいたよ」
 「…私のも、ですか」
 そう言えば、先日我が家の食卓で「そう言えばそろそろ三日にも女子高生らしく…ケイタイデンワ…を持たせても良いんじゃないかな、どうでも良いけど」とお父さんが言っていましたっけ。
 それをお母さんが聞きいれてくれていたとは。


167 :やんでれの娘さん 日常の巻(裏)  ◆3hOWRho8lI:2011/07/09(土) 22:06:40 ID:UU0NqYJc
 「…ありがとうございます」
 「まぁ、いつまでも友達との長電話に家の電話を使われると…不都合だったしね」
 「…すいません」
 「不都合と言っても大した不都合では無いけれど…ね」
 不都合なのか、そうでないのか、どっちなのでしょう。
 「その、あなたと千里さんの携帯電話だけど、基本的には市販のものと変わらないん…だけどね」
 「…変わらないんですか?」
 「そう。でも、お兄ちゃんに頼んで裏機能を付けて…もらってあるよ」
 「…裏機能?」
 「隠しコマンドを入力すると、互いの位置が一発で…分かるよ」
 「それは便利ですね!」
 所謂GPS機能のようなものでしょう。
 機種によっては標準装備されていそうなものですが、なぜそれを裏機能にしたのかは謎です。
 って言うか、隠しコマンドって。
 朱里ちゃんとよくやる格闘ゲームじゃないんですから。
 「コマンドは待ち受け画面で電話を横倒しにして『3219685740』のキー入力だけ…だよ」
 「…意味があるような、無いような?」
 「お兄ちゃんによると、入力完了すると『ファイナルカメンライドー!』の音声が流れる…とか」
 「…」
 きっと、キーを押すごとにヒーローの名前が鳴るのでしょう。
 本気で分かる人にしか分からないネタでした。
 と、言うより個人製作の機能とはいえ、著作権的にどうなのでしょう、それは。
 限りなく今更な気もしますが。
 「ちなみに、この機能は説明書には載っていないし、千里さんも知らない」
 「…ああ、そう言う意味で『隠し』コマンド」
 私と両親、3人しか知らないのですからね。
 「そんな訳で、私からのプレゼント、後で受け取って…欲しいかな。もっとも、三日ちゃんにとっては千里くんから受け取ることが最大のプレゼント…かな」
 ああ、そう言うことだったんですね。
 ついでと言いつつ、最初から千里くんを通して私に渡すつもりだったと。
 「…ありがとうございます」
 「勘違いしては…駄目」
 お礼を言うと、お母さんは諭すような口調で言いました。
 「今回は本当についで。三日ちゃんのことを喜ばせようとか好きとか愛してるとか…そう言うのじゃあ無いから。私が愛しているのはこの世でただ1人…お兄ちゃんだけ」
 こう言うところ、お姉様ととてもよく似ている所です。
 私の家族は、少し優しくしてくれたと思うと、肝心なところで拒絶してきます。
 「そんな顔…しないでよ」
 私の想いを見てとったのか、お母さんは諭すように言いました。いつものように。
 「言ってるでしょ…いつも?愛は…自分の手で掴み取るもの。全力で掴み、全力で繋ぎとめる…もの。そうでなければ―――」
 「…分かっています」
 お母さんの言葉に私は頷きました。
 「「そうでなければ遠くへ行ってしまうから」」
 私と、お母さんの声が唱和しました。


168 :やんでれの娘さん 日常の巻(裏)  ◆3hOWRho8lI:2011/07/09(土) 22:07:09 ID:UU0NqYJc
 お母さんと話しているうちに、千里くんは自宅近くにあるスーパーマーケットへ入ってしまったようです。
 私は、店内で千里くんの姿を探し求めます。
 「あら、三日ちゃんじゃない?」
 すると、後ろから親しげに声をかけられました。
 振り向くと、髪をポニーテールにした綺麗な女性がいました。
 年齢は私より少し年上でしょうか。
 友人か家族と思しき2人の女性(1人は眼鏡をして、1人は野球のバットケースを持っています)も一緒で、どちらも系統は違えどかなりの美人さんです。
 しかし、私の知り合いにこんな人達がいたでしょうか。
 私を下の名前で呼ぶ人は、かなり限られるはずなのですが。
 「ああ、ゴメンゴメン」
 私の困惑が分かったのか、ポニーテールの女性は気さくな調子で言いました。
 「こっちが一方的によく知ってるから、ついお友達感覚で話しかけちゃったけど、ちゃんとお話したのはコレが初めてだったわね」
 そう言って、女性はペコリと頭を下げて言いました。
 「初めまして。私は夜照3年の一原百合子。アナタのお兄さんとお姉さんの後輩で、御神ちゃんのお友達よ」
 女性―――百合子先輩がそう言うと、後ろの2人も。
 「夜照学園高等部3年生、生徒会所属、氷室雨氷。会長である百合子さんを補佐する副会長と妻を務めています」
 「同じく1年、一原愛華です!生徒会庶務でぇ、お姉の妹妻です!ヨロシク、緋月先輩!」
 と挨拶をしてくれました。
 それを聞いて思い出しました。
 夜照学園高等部の生徒会長は全校の女生徒を手籠にしようとするとんでもない人物だから、決して関わり合いになってはいけないと、千里くんに言われていたことを。
 「いやいやいや、別に私たち怪しい者じゃ無いわよ!?何で微妙に距離取られるの!?」
 「…いえ、千里くんからの忠告で」
 「御神ちゃんの奴、何かと理由付けて生徒会室に呼んでも三日ちゃんを連れてこないと思ったら!」
 そう言えば、人助け大好き千里くんは、生徒会にも何かと重宝がられていましたが、その裏にはこんな事情があったのですね。
 …実はこの人たち敵なんじゃ無いでしょうか、恋路的な意味で。
 「いやいやいやいやいやいや、御神ちゃんと友達なのはホントだから!むしろマブダチ!だから棚の後ろに隠れるのは止して!」
 そう言って百合子先輩に手を合わせて頼みこまれたので、私は恐る恐る出てきました。
 「しかし、不思議なものですね、緋月三日後輩」
 百合子さんと一緒にいる眼鏡の先輩、氷室先輩が言いました。
 「御神千里後輩に、あの不愉快な男。あなたの関係者とは親しくさせてもらっていましたが、あなたとこうやって話をするのは今になってやっと初めてというのは」
 「あと、緋月先輩のお姉さんには、お姉が告白したけど一刀両断されたんだったよね、物理的な意味で!」
 氷室先輩と愛華ちゃんがしみじみと言いました。
 不愉快な男って誰のことでしょうか。
 って言うかお姉様、物理的に一刀両断って、一体何をしたんでしょう、想像するだに恐ろしいです。
 「…ええっと、姉がご迷惑おかけしました」
 「いーのよ。あの時は当たって砕けろって感じだったし。まさか、物理的に砕けるとは思ってなかったけどねー」
 凄惨な過去が透けて見える内容をケラケラと笑いながら仰る百合子先輩。
 基本的に、明るくて良い人なのでしょう。
 この人に人望がある理由が少しだけ分かった気がしました。
 「…ところで、先輩方は今日はどうしてここに?」
 「夕飯の買い出しね。受験勉強の息抜きで、皆でワイワイ料理でも作ろうかってコトになって。」
 「…なるほど」
 受験勉強ですか。高校三年生ともなれば、将来のことを考えないわけにもいきませんからね。
 「それで、偶然にも三日ちゃんを見かけたから、ちょっとお喋りしたいなーって」
 そう言うことだったんですね。
 手籠とか誘拐とかそういうことで無く。
 「まぁ、以前一日先輩からあなたのことを頼まれてたしねー」
 「…お兄ちゃん―――兄が、ですか?」
 「そうそう。『妹を頼む』って」
 頷く百合子先輩に対して、私はきっと、とても良くない顔をしていたことでしょう。


169 :やんでれの娘さん 日常の巻(裏)  ◆3hOWRho8lI:2011/07/09(土) 22:07:29 ID:UU0NqYJc
 「…嘘でしょう?」
 「三日ちゃん……」
 だってそうでしょう?
 お兄ちゃんは私の自慢で、憧れで、愛しい家族で。
 けれども。
 お兄ちゃんは私を捨てて、切り捨てて、遠くに行ってしまった家族で。
 そんな人が、「妹を頼む」なんて
 「確かに、厳密には百合子会長から申し出たことです」
 淡々と、氷室先輩が言いました。
 「けれども、その申し出をあの不愉快な男、あなたの兄が受け入れたのもまた間違い無く事実」
 とても、信じられないことでした。
 「何でしたら、私が証人になりましょうか?」
 「…え、えっと」
 本当に、本当のことのようです。
 けれども、どうして良いのやら。
 どう感じて、どう信じれば良いのか、分かりませんでした。
 お兄ちゃんが?私を切り捨てたお兄ちゃんが?心配していた?私を?本当に?
 「まー、緋月一日先輩とは、ホントに楽しくやらせてもらったわねー。ホント、良い先輩だったわ」
 少々シリアス寄りになってしまった雰囲気を明るくするように、百合子先輩は言いました。
 「それに、御神千里後輩も」
 「そうそう!あのツンツンが今ではすっかり丸くなったというか、デレデレになったというか、特に三日ちゃんに!」
 氷室先輩の言葉に、百合子先輩は笑いました。
 「…ツンツン、ですか?」
 私の知る限り、千里くんを形容する言葉に『ツンツン』なんて言う無いのですが。
 聞き違い?勘違い?
 「あ、三日ちゃん聞いてない?もしかして?中等部時代とかの頃の御神ちゃんの話」
 「御神後輩としては、話せたものではない、といったところかもしれませんけどね」
 「って、お姉、雨氷副会長さん!私とかその話全然知らないんだけど!私とか完全にアウェーなんだけど!」
 「ああ、ゴメンね、あっちゃん、三日ちゃん。でも、あの時のことを想うとつい、ね」
 「時の流れの不可思議さを感じずにはいられぬものですよ」
 しみじみと言った風な百合子先輩と氷室先輩。
 昔の千里くん、ですか。
 私の知らない、この人たちが知っている千里くん。
 「…あの、一原先輩」
 「なぁに、三日ちゃん」
 私は、勇気を出してこう申し出ることにしました。
 「…いつか、教えてくれませんか?…昔の千里くんのことと、お兄ちゃんのこと」
 正直、先輩方に対して厚かましかったかな、水を差してしまったかな、という不安はありました。
 しかし、
 「おっけー、お安いご用よ。好きな時に生徒会室にお出でなさいな。あの2人の恥ずかしい過去を思いっきりぶっちゃけてあげる」
 と、先輩は笑顔で言って下さいました。


170 :やんでれの娘さん 日常の巻(裏)  ◆3hOWRho8lI:2011/07/09(土) 22:07:57 ID:UU0NqYJc
 「…あ」
 その後、一しきり先輩方とガールズトーク(百合子先輩談)をしてから別れた後。
 千里くんの姿を見つけた私は、彼の隣に忌々しい姿を見つけました、
 河合直子。
 何かにつけて千里くんに這い寄る、もとい言い寄る女。
 何でそんな女と仲良さそうに買い物とかしてるんですか、千里くん。
 しかも…
 「あら、御神さん家の千里くんじゃない」
 「ええ。こんにちはです、お隣のおばさま」
 「隣の子は彼女さん?」
 「はいはーい!御神先輩の彼女の河合直子です!」
 「チョーシに乗らないの。あばさま、この娘はただの後輩です」
 「あらあら、似合いに見えるわよ」
 「ホントですかー?直子マジ嬉しいです!」
 「あの、おばさま。俺、そーゆーカンジの子は他にいるんで……」
 なんてイベントまで発生して!
 私だって千里くんと並んで歩いていてそんなこと言われれた事無いのに…!
 いや、分かりますよ。
 千里くんが後輩に対して仏心を見せてしまうタイプだということは。
 でも、駄目じゃあないですか。
 いけないじゃあないですか。
 「ああ、そうそう先輩」
 「何?」
 「私、先輩のコト、まだ好きです」
 「ウン、ありがと」
 そこ、お礼とか言うところじゃ無いじゃないですか。
 ええ、千里くんのせいじゃないですけど。
 悪いのは全部全部全部あの女ですけど。
 とりあえず、おイタの過ぎる後輩には後でお仕置きするとして。
 まずは、可及的速やかに千里くんの元へ行かなくてはなりません。
 そう思って、物陰から、音も無く千里くんの背に近づきます。
 なぜかほんの少しフラフラします。
 千里くん分が不足しているのでしょうか。
 「…楽しかったですか、河合さんとのデートは」
 自然と恨み事が口から出てきました。
 「デートじゃないって。お待たせ、三日」
 いつものように、千里くんは優しく言ってくれました。
 千里くんは本当に優しい人。
 誰に対しても、優しい人。
 「…待ってはいません。今日はずっと千里くんと一緒にいましたから。…千里くんの後ろに」
 「うっわー、それじゃあ色々カッコ悪いところも見てたり?」
 「…今日の千里くんは一から十まで見させていただきました」
 「恥ずかしー」
 ほんの少し、見栄を張ってしまう。
 もっとも、正直言って一から十どころじゃ足りない。
 千里くんのことを、一から千まで、表から裏まで、綺麗なところから汚いところまで、全て知りたい。
 千里くんの全てが、欲しい。
 だから、
 「…ねぇ、千里くん」
 自然と、こう聞いていました。
 「…九重かなえって、誰ですか?」
 「……!」
 驚愕する千里くんの表情は、私が初めて見るものでした。
 それに嬉しさを覚えると同時に、こんな顔をさせることのできる、九重かなえというモノに、ほの暗い嫉妬心を覚えてしまいます。
 しかし、それも一瞬のこと。
 「……友達、だよ。中等部時代の、俺の大切な友達」
 いつも通り穏やかな表情にもどった千里くんは、そう言いました。
 「…今の間は何ですか」
 「ちょっと驚いたから、かな。お前の口からその名前が出るとは思わなかったから」
 「…そうですか」
 説明としては当たり障りの無い、無難な言葉。
 だからこそ、私の中で疑いと不安が噴き出して行きました。
 「…そのお友達と、私と、どちらが大切ですか?」
 その感情を少しでも和らげようと、私は千里くんに言葉を求めます。
 「友達とお前とで順位を付けろって言われてもなぁ」
 「…どっちが大切ですか?」
 早く答えが欲しい、安心させてくれる答えを。
 「2人とも、だよ」
 「…!」
 一瞬、呼吸が止まりました。
 その程度なのでしょうか、私は。
 千里くんにとって、私は九重かなえ程度と同等に並べられる程度の存在なのでしょうか。
 「けれども」
 けれども、千里くんの言葉には続きがありました。
 あって、くれました。
 「三日への『大切』は特別だから。ちゃんと、特別だから」
 『大好き』とか『愛してる』とかに比べると直接的とは言い難いものの、その言葉は私を確かに安心させてくれました。
 それは、きっと千里くんの本当の想いを乗せた言葉だったから。
 「…千里くん」
 「三日」
 千里くんが、私の頭にポンと手をやってくれる。
 それだけで、私は幸せでした。
 「帰ろっか」
 千里くんの穏やかな言葉。
 帰る先は決まっています。
 御神家です。
 それは、千里くんが私を家族として認めてくれていると言うことで。
 「…はい」
 私は幾万の幸せを込めて、そう答えました。


171 :やんでれの娘さん 日常の巻(裏)  ◆3hOWRho8lI:2011/07/09(土) 22:08:29 ID:UU0NqYJc
 おまけ
 「…うう…ん?」
 あれ?
 それから私、一体どうしたんでしたっけ?
 「大丈夫、三日?」
 目を開けると、心配そうな顔をした千里くんがいました。
 「…はい、大丈夫です」
 「いやー、いきなりブッ倒れるから驚いたよー」
 どうやら、私は熱中症か何かで倒れてしまっていたようです。
 驚いたと言いつつもどこか軽い調子なのは、私に対する気遣いでしょうか。
 「とりあえず、スーパーまで取って返して、飲み物と氷買って。ちょっと落ち着いたみたいだったから、そのままウチまで運ばせてもらったよ」
 ああ、そうだ。
 私は倒れて、千里くんが色々と運んできてくれたんだ。
 …あれ?運ぶと言えば…
 「…どうやってここまで運んできたんですか?」
 車があった訳でもないのに。
 「ああ、いや、その……」
 なぜか頬をポリポリやりながら、目をそらす千里くん。
 「ウチまでは近かったし、腕にビニール袋通したまま、両手で、胸の前で、こう……」
 そうやって千里くんがジェスチャーで示してくれた動作は、
 「…お姫様抱っこ」
 「……」
 お姫様抱っこを千里くんにされたのは、久々でした。
 一度やってもらって以来拒まれたので、二度とされる日は無いでしょうと思っていたのですが。
 「…千里くんって、時々すごく嬉しいことやってくれますよね」
 思わず、笑みがこぼれました。
 「……そう言う言い方しないでよ」
 笑みが凍りつきました。
 千里くんの言葉に、一瞬、拒絶されたと思いました。
 お母さん達のように、お兄ちゃんのように。
 けれども。
 「これでもすっごい恥ずかしいんだからさ」
 顔を真っ赤にして照れ隠しをする千里くんを見て、そうではないことが分かりました。
 その表情は私が初めて見る物で、それはとても可愛らしいものでした。
 大切なモノは、全力で繋ぎとめなければならない。そうでなければ、遠くにいってしまうから。
 それは、幼いころから母に何度も聞かされた、もう家訓とも言っても良い言葉。
 けれども、私はそれを言葉としても理解しながら、感覚としては長らく実感していませんでした。
 兄が目の前から消えるその日まで。
 何も言わずに、何も残さずに切り捨てられたその日まで。
 けれど、今私は、それと同じかそれ以上に、全力を持って大切な人のことを知りたいと思っています。
 そうする度に愛おしくなる、大切な人のことを。
 だから、千里くん。
 いつか、私にあなたの全てをくださいね。