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488 名前:愛と憎しみ 第三話 ◆O9I01f5myU[sage] 投稿日:2011/08/02(火) 21:57:24 ID:jhtXEcPc [2/6]

 夜。幸人はベッドの中でぐっすりと眠りについている。それを視線の端で確認した香山はこっそりと抜け出し、寝室を後にする。その足先は玄関を向いていた。
 物音を立てない様に外へ出て、県道伝いに駆けていく。漆黒の帳が下りた住宅地の中、街灯を頼りに町の中心へ行く。遠い距離でもないのでそれ程時間も掛からない。
 変質者に悩まされている市町村もあるだろうが、この町ではそういった悪い噂は聞かない。過信こそ禁物ではあるが、夜でも比較的安心できる。時折男とすれ違うものの、こちらに関心も示そうとしない。
 夜でも営業している店は数多い。中心地ともなるとそれは顕著で、真夜中であるというのに目が眩む。点々とした街灯のみの明かりでは足元が少しおぼつかないが、これだけ光源に溢れていればもうそんな心配もいらなかった。
 光に包まれた町の中を歩み進んでいく香山。やがて一つの店の前に立つと、その中へと吸い込まれる様に入って行った。電飾の飾られた看板には、ネット喫茶の大手チェーン店の名前が大きく描かれている。
 平日の真夜中には似つかわしくない、若い男女の散りばめられた中を案内された部屋。香山は一息吐くと、椅子に腰を落とし、パソコンを起動させた。
 アクセスしたのは、インモラルな話題を多く扱ったコミュニティサイトだった。殺人事件やカルト宗教、レイプ、ヴァイオレンス、自殺、果ては公開処刑の映像の投稿もされているホームページだ(動画については海外の投稿サイトのからの転載である事が殆ど)。
 掲示板が各ジャンル毎に分けられており、香山はその中の一つのスレッドを開いた。
 シークバーを下す。数多の文字が下から上へと駆け昇っていく。香山の瞳は左右へ揺れ動き、その流れを追う。
 合間に画像もアップされており、それにも勿論目を通す。週刊誌からスキャンした物、ニュースサイトからの転載、個人が撮影した物とあるが、どれも似通った物ばかりで、香山の求めている物ではない。個人がアップした物に至っては、事件現場の外観を写した程度の物でしかなく、論外だった。
 情報の力というのは侮れないもので、少年法によって保護された未成年犯罪者をも割り出してしまう。十二歳で殺人を犯した少年や、少女を輪姦し、死に追いやった少年グループも露にされている。

489 名前:愛と憎しみ 第三話 ◆O9I01f5myU[sage] 投稿日:2011/08/02(火) 22:00:23 ID:jhtXEcPc [3/6]
 一度どこかがそれを明らかにしてしまえば、後はそのデータが瞬く間に蔓延していく。栄養を得た細菌と同じだ。この手のコミュニティサイトはそういった各地に広がった情報を各自がかき集めてくるので、データの蓄えが豊富にある。
 一見、断片的で役に立たない様な残滓でも、数が揃えば互いを補完し合い、一端の情報になり得る。このサイトも発足当時はその様な形で、雑誌やニュース、新聞の流し読みで得た知識を若干数の人達が世間話程度に交換するぐらいであったのが、年月を経ていく内に人数は集まっていき、やり取りされる情報の量が増大していった。その流れに乗じてサイトのコミュニティサービスも充実していき、今の形にまでなった。
 だが、この発展の裏にはあまり良くない事情も絡んでいる。このサイトが注目を浴びたのは、このサイトの閲覧者が殺人未遂事件を起こした事が報じられてからだ。曰く、このサイトを見て人を殺す手順を学んだとの事で、それが各媒体で報道されてからアクセスが倍加、認知度も高まったのだ。
 無論、このサイトの存在を危険視する向きも強く、倫理を問う声も多かったが、それら論争がさらにこのサイトの常連を増やしていく事になっていったのだから皮肉なものである。
 普段ネットに詳しくない香山がこのサイトの存在を知ったのも、そういった一連の動きをリアルタイムで視聴していたからだった。
 マウスを握る手が止まった。香山の目はスレッドの一文に釘付けにされている。
 ――市営団地女性殺人事件の被害者の息子はどうなったんだろう?
 文章の流れる速度が緩やかになる。一字一句の見逃しを許さない眼差しで読み進めていく。
 曰く、「子供はまだ小学生だったらしい」。曰く、「施設に入ったんじゃないの?」。曰く、「親戚は引き取りたがらないんじゃないの、売春婦の子供だし、親族の間では不仲だったらしいし」……等、憶測の域を出ない雑談が続く。
 進むに連れて、段々別の話題へと変わり始めようとしている。最もな話だ。結論の出ない一過性の話を延々と続ける意味は無い。
 落胆を覚える香山だったが、そのまま惰性でホイールを転がし続けて出てきた書き込みに、頭が瞬時に冴えた。

490 名前:愛と憎しみ 第三話 ◆O9I01f5myU[sage] 投稿日:2011/08/02(火) 22:02:52 ID:jhtXEcPc [4/6]
 「この間聞いた話だが、その被害者の息子だと思う子供が、黒のロングヘアでデカい図体をした女と一緒に歩いていたらしい」
 その書き込みを境に、ちらほらと目撃証言が出てきている。それらの特徴を纏めると、その女はかなりの長身で肩幅も広く、服を着ていても分かる程胸が大きく、さらに目が吊り眼で三白眼であったという。極めつけに迷彩服を羽織っていたという事で、全てが合致している。
 間違いない。ここで目撃したという女性は忍の事だ。ここまで特徴的な要素全て当てはまるのは彼女以外にいない。
 これで一つ分かった。幸人は佐原幸華の息子で、彼女の死後、忍が彼を引き取ったのだ。
 この点は結び付いたものの、まだ合点のいかない節はある。どういう因果で接点の無い筈の幸人を忍が引き取ったのか。彼女は幸人を捨て子と説明していたが、どうして嘘をつく必要があったのか。
 嘘をついた事に関しては、幸人の記憶が大きく関わっているからだと考える事はできる。彼は過去を「憶えていない」と言っていた。彼が本当に記憶を失っているとしたら、忍は幸人にショッキングな記憶を思い出させない様に、少しでもその可能性を排除したかったのかもしれない。だから自分にも真実を明かさなかった……。
 確かに筋は通ると香山は思った。話の筋では納得がいく。が、心の面ではまた別だ。言い様にもない疎外感を感じずにはいられなかったのだ。
 自分だけには真実を教えてくれても良かったのではないか?
 結婚の件でもそうだ。どうして自分に何一つと相談してくれなかったのか。好き合っている人がいるなんておくびにも出さなかったが、ほんの少しでも教えてほしかった。披露宴にも呼んでくれなかったし、その話題を出そうともしない。
 香山の脳裏に、幸人を伴って来訪してきた、お腹の大きな忍の姿が浮かび上がった。
 ……私は貴女にとって、どういう存在なの……?
 力無く電源を落とし、席を立つ。香山はそのまま、酒に飲まれた様な足取りで、目の眩む町に背を向けていった。
 夜闇の中、外灯の明かりが彼女の顔を照らしだした。その顔は生気がすっかり抜け落ちていた。光の加減なのか、肉の削がれた骸骨に皮膚だけが貼り付いている風に見える。背筋は丸く、足元はおぼつかないその様子は、ホラー映画に出てくるゾンビを思わせる。

491 名前:愛と憎しみ 第三話 ◆O9I01f5myU[sage] 投稿日:2011/08/02(火) 22:04:40 ID:jhtXEcPc [5/6]
 胸の中が散っていく感覚を覚えていた。心がひび割れ、段々と風化し、形を保てなくなってくる。
 心が無くなると人はどうなるんだろう――そんな事を考え始める。
 境界線は彼女の目の前に現れた。
 その境を超えずに留まるか、超えてしまうか。
 留まれば、まだ日常の中にいられる。
 超えてしまえば、今の日常は無くなってしまう。
 香山は思う。あの笑顔を……自分を見捨てていく彼女の幸せを、砕いてやりたいと。
 黒い想いは答えを導いた。
 後に残ったのは、踏みにじられた白線だけだった。